天蓋つきのキングサイズのベットの中で特上の柔らかさを誇る、シーツと毛布に挟まれてイデアは眼を覚ました。
もう、何度目かになるか分からない新しい世界での目覚めだった。
イデアの朝はそれなりに早い。少なくとも姉のイドゥンより遅く起きたことは今の所ない。
窓に眼をやると、朝の眩い光が部屋に射している。
暖炉の火は消えており、炎が燃え盛っていた場所には炭と灰が積もっていた。
「うぅぅぅぅん……」
ベットの中で横になったまま背伸びをする。朝にこれをしないとどんな世界でも一日が始まらない。
「ふぅ…」
そして力を抜いて、自由な体勢でベットに体を預ける。このまま二度寝してしまいそうな程に心地よい。
ふと、隣に暖かい塊があるのに気がつく。
もうそれが大体なんであるのかも分かっているが、あえて見てみる。
「…………」
予想通りそこには自分の「姉」が安らかに眠っていた。
すーすーと気持ち良さそうに安心しきった表情で寝息を立てている。
「ふふ……」
あまりにも平和的で微笑ましい光景に思わず笑みが口から出た。
そのまま暫くの間、横になったまま隣で熟睡している美しい「姉」の寝顔をじっくり堪能する。
イデアのささやかな朝の楽しみだった。
おずおずと手を伸ばして、柔らかい紫がかかった銀色の髪をゆっくりと撫でる。
さらさらと絹を撫でているようで手が気持よい。
正直な話、こうして何でもいいから楽しみを見つけなければ精神がどうにかなってしまいそうだ。
最初は竜やらイドゥンやら、エレブやらで混乱していたが、人の慣れというものは恐ろしい物で、1~2週間も経てばそれが現実だと受け入れるようになっていた。
そうすると最初は考えられなかった事がイデアの心を蝕んだ。
それは望郷の思い。
イデアの精神、人格ともいう■■■にも家族はいる。いや、いたと言うべきか。
まだ成人はしていないので妻などはいないが、それでも父や母はいる。
だが、もう会えない。何故ならば、最後の記憶が正しければあちらの自分の体は完全に死んでいるのだから。
仮にこの体で会いにいけても、外見が余りにも違いすぎる。家族と認識されないだろう。
それに、第一、会いに行く術さえない。
だが、自然とイデアは悲観こそすれ絶望はしなかった。
その要因の一つに不思議なまでに心の奥底まで入ってきた「姉」の存在があった。
何故だかイデアは「姉」を見ていると精神的に落ち着けるのだ。
やっぱり身体の中を流れる血、ナーガ風に言うなら【エーギル】が関係しているのかな? とイデアは考えている。
眠っている姉の顔を見ながら考え事をしていると、とんとん、と、木を叩く音。ドアが叩かれた。
「どうぞ」
入室の許可の意を伝える。
ぎいっと音がして布こすれの音と共に見慣れた白髪の男、ナーガが入ってきた。
彼の横には銀色の優雅な装飾のされた皿が浮かんでいる。
最初は物が浮くという非現実に驚いたが、この光景にも、もう慣れた。
みれば、皿からは湯気が立ち上っている。
そしていつもの通りの大分聞きなれた無表情なナーガの無機質な声。
「朝食だ」
そうして今日もエレブでのイデアの一日が始まる。
「今回はお前達に歴史を教える」
ナーガが目の前の双子の我が子に今日の授業内容を述べた。これも今や恒例の出来事だ。
二人の子供の神竜は興味深そうに周囲の壁、正確には、そこに納められている途方もない数の書物を見ている。
それも無理はない、ここに初めて入ったら大概はこの膨大な資料に圧倒されると、ナーガはその様子を観察しながら心の奥底で考える。
朝食を「姉」と食べ終えてから歯を磨いて、着替えてから暫くして、イドゥンとイデアはナーガに転移させられた。
転移させられた場所を一言で表すのなら【図書館】、この一言に尽きる。
遥か高みまで続く石造りの円筒状の壁には本棚のような物が埋め込まれていて、そこに数々の資料が収まっている。
何千か、はたまた何万あるかさえ見当がつかない莫大な量だった。
見れば50人ほどの人、否、人の姿を取った竜が本を手に取っている。
「ここは?」
イデアが辺りを落ち着きなく見渡しながら疑問のニュアンスでナーガに問う。
やっぱり息子は姉に比べて好奇心が強いと思いながらも問われた父は答える。
「この場所は「殿」の資料室、もしくは知識の溜り場、過去から現在まで【記す】という概念が出来た時から、歴史、技術、魔道、物語、生活、このエレブの全てが納められている」
「それって、凄いの?」
いまいち言われた事の意味が分からないイドゥンが左に首を傾げる。
ふむ、と少し考えるそぶりを見せて、問われた父親が出来るだけ分かり易く例えて教えた。
「例えるならば、人間の魔道士にここの事を教えたならば、竜の本拠地にも関わらず押し寄せてくるほどにな」
「へぇ~~~~~~」
イデアが声を上げる。以前見た様々な竜の大群、それら全てを敵に回してでも読みたいとは、よっぽど価値のあるものなのだろうと自己完結する。
ナーガがかつかつと大理石の床の上を足音を鳴らしながら近くの木製の椅子と机のある場所に歩いていく。そして椅子が二つ勝手に動いた。双子に座れと言わんばかりに。
イドゥンは周りをキョロキョロと落ち着きなく見渡しながら、イデアは補助の杖を突きながら椅子へと歩いていき、座る。
「では」
ナーガは二人が椅子にしっかりと座ったことを確認すると、声を上げる。
「文字の読み書きはもう出来るな?」
「「うん」」
姉弟が声を完璧に揃えて答える。
イドゥンもイデアもこの世界で生きていく為に必死で学んでいた為、読み書きは完全に覚えていた。
読む事と書く事をしらないと生きていけないとまでナーガに脅されたのも原因のひとつだが。
ナーガが二人の眼前に辞典よりも分厚くて、巨大な本をそっと置く。
茶色をしたそれは所々に染みなどが出来ていて、少し黒くなっており永い時間を経た、歴史的にも価値ある一品である事が素人眼にもすぐ分かった。
「さて、お前達に竜の、神竜族の歴史を教授する」
イデアが竜の歴史という部分に期待で目を光らせ、イドゥンが「おぉー」と声を上げて、好奇心を表した。
「まず最初に」
ナーガがどこからか片目用の眼鏡のようなレンズを取り出して、右目に装着する。
「歴史とは、繰り返されるものであり、死が無きに等しい竜はそれを見続けることになるということを、覚えておけ」
不思議とその言葉には説得力のような、まるで自分が体験してきたような実感が篭もっており、イドゥンとイデアの奥底にすんなりと届いた。
イデアは「不老不死」という言葉を脳内に浮かばせる。
実感は沸かないが、自分はこれから先、何年竜として生きることになるんだろう? ふと、そんな考えがイデアの、もっというなら■■■の頭をよぎった。
「人が産まれる遥か以前、世界の始まりには、【光】と【絶望】があった」
ナーガが朗々と分厚い本を浮かばせて、それを読んでいく。
読み上げる内容は神話のような雄大な話。
「やがて、【光】と【絶望】は姿を変えて、生命となる」
ナーガが言葉を区切って、次の言葉を強調するように言った。
「その【光】が神竜、反対の【絶望】が始祖竜と呼ばれる竜だ」
「始祖竜って?」
イデアが聞きなれない種族名を疑問に思い、聞く。
ナーガは眼を細めながら、イデアに視線を向ける。威圧感に限りなく近いものがイデアを包む。
「全てにおいて、神竜の反対の竜と言っておこう」
そして、とナーガは続ける。
「我ら神竜族と竜の覇権を賭けて争った竜だ」
ナーガが分厚い本のページを捲る。
ペラッという本が捲れるときの独特の音がした。
「奴らは、【絶望】から産まれた、それ故に奴らは攻撃的であった」
まるで実物を見たことがあるようにナーガは淡々と続ける。
「我らが新たな物を創造する存在だとすると、奴らは全てを破壊する、命や世界さえもな」
「それに……」
ナーガの表情が一瞬、暗くなったがイデアもイドゥンもそれに気がつかなかった。
「今、この場におる」
万の言葉を費やすよりも只一回、実物をその眼で見たほうがいい。故にナーガは腰に差しているその剣を抜いた。
えっとイデアが声を上げる前に彼の父はいつも腰に差していた剣を鞘から抜く。シャアンッと金属が擦れる音が鳴る。
「「……」」
抜き放たれた剣の全容を見て、双子は声を失った。
エメラルドグリーンを基本とした見事な装飾の数々を施された刀身は見入る程に美しい、だが、だが、
それでいて、眼を覆い、そらしたくなるような、禍々しい【ナニカ】が剣から溢れ出ていた。
「これ」に最も近い言葉、それは【絶望】
確かにこの剣は美しい、それは自他共に認めるであろう、だがそれでもこの剣は、駄目だ。イドゥンとイデア、魂を分けた双子は本能的にはそう思った。
見ているだけでも不安になる、落ち着かない、まるで底が知れない、闇を、絶望そのものを直視している気分だ。
駄目だ、この剣の形をした【絶望】は駄目だ。自分という存在の根源レベルで受け付けられない。
「やはり、まだ刺激が強すぎたか」
ナーガの声が何処か遠くから聞こえる。キンッと鞘に剣が収まる音がして、視界から【絶望】が消えた。
「ぁ、はぁぁぁ……」
緊張していたものが途切れるように深く、まるで過呼吸を発症したようにイデアは何度も何度も深呼吸を繰り返す。
息苦しい中で隣の「姉」を見てみる、彼女もまた目尻に涙を浮かばせ、肩を抱いて、【ナニカ】に怯えるように震えていた。
「すまぬな。やはりお前達には早すぎるようだ」
ナーガが声にほんの僅かな感情を乗せて謝罪し、死屍累々な状態の自分の子を助けるために魔道を発動させた。
【レスト】
精神の異常や簡単な毒などを排除する際に使用される治療用魔道。今回はイドゥンとイデアの精神の波長を正常に戻すために使用される。
以前イデアに使用した【リカバー】に近い性質の光がナーガの指から二人に照射された。
青白いを通り越して、気味が悪くなるほどの純白だった二人の顔色がみるみると健康的な色に戻っていく。
「その、、、剣って……?」
イドゥンが少しだけ荒い呼吸で父親に聞く。みれば目元には少しだけ涙が溜まっており、片手はイデアの手をがっしりと掴んでいる。
まだ身体の震えは収まってはいない。
内心悪いことをしたと、少しだけ自己嫌悪に陥りながらもそれは表に出さない。
今度は鞘ごと腰から取り外し、イドゥンとイデアの目の前に持って行き、晒す。
双子の息を呑む気配と怯える気配がナーガに机越しに痛いほどに伝わってくる。
「この剣の銘は【覇者の剣】、少なくとも奴らはそう呼んでいた」
「やつ、ら……?」
先ほどよりは遥かに健康的だが、未だに青い顔でイデアが声を絞りだす。
質問されたと判断したナーガの受け応えは早かった。
「始祖竜」
ただ、一言、簡潔にそれだけを言う。
それだけでイデアは理解した、この男は始祖竜に会った事があると。
思えばこの男の正確な年齢なんてイデアは知らない。
外見こそ20代後半だが、竜であるこの男の実年齢は何歳なのかイデアには想像もつかなかった。
そして、同時にまだまだ自分は「父」と名乗るこの男について何も知らない事を改めて知った。
ナーガがペラッと頁をめくる。
「奴らと我らは激しく争った、それこそ世界の根源たる【秩序】を破壊するほどに」
遠い過去に思いを馳せるように、まるで語り部のように語る。途中、分からない単語が出てきたが、今は聞いてはいけない気がイデアはした。
「そして、永い戦いの末、我らは奴らを滅ぼした」
そして剣に視線を落とす。
「この剣は、奴らの血肉、骨、そして【エーギル】、始祖竜の全てが内包されている剣だ」
そう言って二回ほど大きく【覇者の剣】を回転させて腰に戻す。
そこで首をんっと傾げる。その仕草は娘のイドゥンによく似ていた。
そして当初の予定より話が脱線したことに気がつく。
仕切りなおす為に声を上げた。
「さて、話が少々、逸れてし「ねぇ……」
ナーガの言葉にイドゥンが割り込み、彼の言葉が切れる。イデアが驚愕を顔に貼り付けた表情でイドゥンを見た。
暫しの沈黙が降りる。図書館に他の利用者が頁をめくるペラッという音がやけにはっきりと響く。
少しして沈黙を破ったのはナーガだった。
「何だ?」
イドゥンを見据え、何を聞きたいのか問う。
決して厳しくはない、しかし優しくもない。何時も通りの無機質な顔と声、声音。故にイデアは恐怖した、もしかしたら怒っているのではないかと。
感情が読めない声ほど恐ろしいものはない。
イデアは身体の奥底が冷えるのを感じた。
口をもごもごして言うかどうか戸惑っていたイドゥンだったが、覚悟を決めたのか親の眼をはっきりと見て声を出す。
「……なん、で、戦ったの、?」
ナーガがため息を吐く。今まで何を聞いていたのだと言いたげに。
そして口を動かし言葉を紡ぐ。
「先ほども述べたように、どちらの種が竜族を率いるかで「違うよ」
イドゥンが首を小さく振りながら言う、吹っ切れたのかそこにはイデアのようなナーガに対する恐怖心は無かった。
「なんで、一緒に、仲良く出来なかったの……?」
それはイデアと違い、本物の子供故の無邪気な質問。まだ世界を何一つ知らない子供の戯言。
ナーガが沈黙し、イドゥンの眼を、そしてその奥を覗き込む、心さえ見透かしそうな紅と蒼の鮮やかな眼球に彼の娘の顔が浮かぶ。
ポツリと呟くように、言葉を投げかける。
「……先ほど、【覇者の剣】を見た時、お前は恐怖を感じたか?」
イドゥンが肯定の意を表すため頷く。
「それが答えだ」
言い放つ。
「……ごめんなさい」
「構わん。疑問を持つことは素晴らしい事だ」
耳をしょげさせ、謝るイドゥンを軽くいなすと、ふと、天井、正確にはその先の太陽の位置を魔道の術を素早く発動させ、天井越しに「見る」
そして空の頂点に近い位置に日が昇っていることを確認する。
(……思ったより時間を喰ってしまったようだな)
時間だ。ナーガも暇ではない。竜族の長としてやるべき事が彼にはある。
正直、こうして子供達と接する為に貴重な時間をすり潰しているのだ。
内心ぼやく。結局教えようと思ったことの半分も教えられなかった。
(子育てとは、ままならぬ物だな……)
人知れず、二人の子に気付かれないように小さく、本当に小さくため息を吐く。
そしていずれ教育係でもつけるか? と、考える。
(まぁいい…)
とりあえずナーガは今最初にすべきことを実行した。
「もう、時間だな」
「「え?」」
唐突に、脈絡もなく、時間と口にした父親に子供二人が声をそろえて疑問の意を口に出して表す。
そんな二人に説明を兼ねて言い聞かせる。
「誠に残念ではあるが、今日はもう時間だ。……我も、暇ではない」
捲られていた分厚い本がドン、と、重厚な音を立てて閉じ、元あった場所へと浮遊していく。
ナーガがおもむろに二人に手をかざす。かざした掌に眩い黄金の光が収束して、転移の術を発動させようとする。
もう、二人は慣れたのかその光景を諦めにも似た表情でじいっとみつめている。
「昼食は給仕に持っていかせる。今日は部屋でくつろいでいろ」
それだけを言うと、二人を部屋に転移させた。
「……」
1人席に残されたナーガは一箇所をじっと観察していた。眼の前のいまだ多少の温もりと、気配が残っている二つの椅子を。
今、彼の胸中では実の娘に言われた一言が、やまびこのごとく、何度も何度もリフレインしている。
「「「なんで、一緒に、仲良く出来なかったの?」」」
子供の言うことをいちいち真に受けるのは馬鹿馬鹿しいとは思うが、それでもこの世界を何一つ知らない娘から投げかけられた言霊が頭の中で反芻する。
「……それが出来れば、どれほど素晴らしいか………」
彼には珍しく、感情を声に乗せて、低く、重く、呟く。
乗せられた感情は暗く深い【絶望】
ナーガは席を立ち、3つの椅子を手を使わず元の位置に戻すと、転移の術を用いてその場から一瞬にして姿を消した。
あとがき
皆様こんばんわ、作者のマスクです。
今回は独自設定全開です、捏造です、厨二病です。
とりあえずこのSSでは始祖竜は神竜に滅ぼされたという設定でお願いします。
今の所はまだまだ原作1000年前、竜殿編が続きます。
所で、感想数が50を超えたらその他板に移そうかな? なんて無謀な事を考えているのですが、皆さんの率直な意見をよろしければ下さい。