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No.6434の一覧
[0] とある竜のお話 改正版 FEオリ主転生 独自解釈 独自設定あり [マスク](2017/08/15 11:51)
[1] とある竜のお話 第一章 前編[マスク](2009/07/29 01:06)
[2] とある竜のお話 第一章 中篇[マスク](2009/03/12 23:30)
[3] とある竜のお話 第一章 後編[マスク](2009/03/12 23:36)
[4] とある竜のお話 第二章 前編[マスク](2009/03/27 07:51)
[5] とある竜のお話 第二章 中篇[マスク](2009/03/12 23:42)
[6] とある竜のお話 第二章 後編[マスク](2009/03/27 07:50)
[7] とある竜のお話 第三章 前編[マスク](2009/03/27 07:50)
[8] とある竜のお話 第三章 中編[マスク](2009/04/14 21:37)
[9] とある竜のお話 第三章 後編[マスク](2009/04/26 22:59)
[10] とある竜のお話 第四章 前編[マスク](2009/05/06 14:49)
[11] とある竜のお話 第四章 中篇[マスク](2009/05/16 23:15)
[12] とある竜のお話 第四章 後編[マスク](2009/05/26 23:39)
[13] とある竜のお話 第五章 前編[マスク](2009/07/05 01:37)
[14] とある竜のお話 第五章 中篇[マスク](2009/07/20 01:34)
[15] とある竜のお話 第五章 後編[マスク](2009/07/29 05:10)
[16] とある竜のお話 幕間 【門にて】[マスク](2009/09/09 19:01)
[17] とある竜のお話 幕間 【湖にて】[マスク](2009/10/13 23:02)
[18] とある竜のお話 第六章 1[マスク](2009/11/11 23:15)
[19] とある竜のお話 第六章 2[マスク](2009/12/30 20:57)
[20] とある竜のお話 第六章 3[マスク](2010/01/09 12:27)
[21] とある竜のお話 第七章 1[マスク](2010/03/18 18:34)
[22] とある竜のお話 第七章 2[マスク](2010/03/18 18:33)
[23] とある竜のお話 第七章 3[マスク](2010/03/27 10:40)
[24] とある竜のお話 第七章 4[マスク](2010/03/27 10:41)
[25] とある竜のお話 第八章 1[マスク](2010/05/05 00:13)
[26] とある竜のお話 第八章 2[マスク](2010/05/05 00:13)
[27] とある竜のお話 第八章 3 (第一部 完)[マスク](2010/05/21 00:29)
[28] とある竜のお話 第二部 一章 1 (実質9章)[マスク](2010/08/18 21:57)
[29] とある竜のお話 第二部 一章 2 (実質9章)[マスク](2010/08/21 19:09)
[30] とある竜のお話 第二部 一章 3 (実質9章)[マスク](2010/09/06 20:07)
[31] とある竜のお話 第二部 二章 1 (実質10章)[マスク](2010/10/04 21:11)
[32] とある竜のお話 第二部 二章 2 (実質10章)[マスク](2010/10/14 23:58)
[33] とある竜のお話 第二部 二章 3 (実質10章)[マスク](2010/11/06 23:30)
[34] とある竜のお話 第二部 三章 1 (実質11章)[マスク](2010/12/09 23:20)
[35] とある竜のお話 第二部 三章 2 (実質11章)[マスク](2010/12/18 21:12)
[36] とある竜のお話 第二部 三章 3 (実質11章)[マスク](2011/01/07 00:05)
[37] とある竜のお話 第二部 四章 1 (実質12章)[マスク](2011/02/13 23:09)
[38] とある竜のお話 第二部 四章 2 (実質12章)[マスク](2011/04/24 00:06)
[39] とある竜のお話 第二部 四章 3 (実質12章)[マスク](2011/06/21 22:51)
[40] とある竜のお話 第二部 五章 1 (実質13章)[マスク](2011/10/30 23:42)
[41] とある竜のお話 第二部 五章 2 (実質13章)[マスク](2011/12/12 21:53)
[42] とある竜のお話 第二部 五章 3 (実質13章)[マスク](2012/03/08 23:08)
[43] とある竜のお話 第二部 五章 4 (実質13章)[マスク](2012/09/03 23:54)
[44] とある竜のお話 第二部 五章 5 (実質13章)[マスク](2012/04/05 23:55)
[45] とある竜のお話 第二部 六章 1(実質14章)[マスク](2012/07/07 19:27)
[46] とある竜のお話 第二部 六章 2(実質14章)[マスク](2012/09/03 23:53)
[47] とある竜のお話 第二部 六章 3 (実質14章)[マスク](2012/11/02 23:23)
[48] とある竜のお話 第二部 六章 4 (実質14章)[マスク](2013/03/02 00:49)
[49] とある竜のお話 第二部 幕間 【草原の少女】[マスク](2013/05/27 01:06)
[50] とある竜のお話 第二部 幕 【とある少年のお話】[マスク](2013/05/27 01:51)
[51] とある竜のお話 異界 【IF 異伝その1】[マスク](2013/08/11 23:12)
[55] とある竜のお話 異界【IF 異伝その2】[マスク](2013/08/13 03:58)
[56] とある竜のお話 前日譚 一章 1 (実質15章)[マスク](2013/11/02 23:24)
[57] とある竜のお話 前日譚 一章 2 (実質15章)[マスク](2013/11/02 23:23)
[58] とある竜のお話 前日譚 一章 3 (実質15章)[マスク](2013/12/23 20:38)
[59] とある竜のお話 前日譚 二章 1 (実質16章)[マスク](2014/02/05 22:16)
[60] とある竜のお話 前日譚 二章 2 (実質16章)[マスク](2014/05/14 00:56)
[61] とある竜のお話 前日譚 二章 3 (実質16章)[マスク](2014/05/14 00:59)
[62] とある竜のお話 前日譚 三章 1 (実質17章)[マスク](2014/08/29 00:24)
[63] とある竜のお話 前日譚 三章 2 (実質17章)[マスク](2014/08/29 00:23)
[64] とある竜のお話 前日譚 三章 3 (実質17章)[マスク](2015/01/06 21:41)
[65] とある竜のお話 前日譚 三章 4 (実質17章)[マスク](2015/01/06 21:40)
[66] とある竜のお話 前日譚 三章 5 (実質17章)[マスク](2015/08/19 19:33)
[67] とある竜のお話 前日譚 三章 6 (実質17章)[マスク](2015/08/21 01:16)
[68] とある竜のお話 前日譚 三章 7 (実質17章)[マスク](2015/12/10 00:58)
[69] とある竜のお話 【幕間】 悠久の黄砂[マスク](2017/02/02 00:24)
[70] エレブ963[マスク](2017/02/11 22:07)
[71] エレブ963 その2[マスク](2017/03/10 21:08)
[72] エレブ963 その3[マスク](2017/08/15 11:50)
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[6434] とある竜のお話 第二部 六章 2(実質14章)
Name: マスク◆e89a293b ID:1ed00630 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/09/03 23:53



英雄、という言葉がある。



それは人々に希望を与え、物語の中で悪の魔王を滅ぼし、世界を平和へと導く存在だ。
彼らは輝かんばかりの存在感を持ち、書物と御伽噺の中で語り継がれ、不滅の勇者として後世まで人の心の中で生きて、終いには神話となる。






そして、英雄と言う存在にも実は二つ種類がある。まず一つは圧倒的なまでに他と隔絶した力を持つ英雄。
覇王などとも称されるその者らは一人で何でも出来るほどに優れているか、もしくはとある一部分の才能が、ありとあらゆる全てを凌駕するほどに突出している事が多い。
ハルトムート、テュルバンの様にその圧倒的な力と存在感に惹かれて人が集まってくるのが彼らだ。






正に太陽とも言える彼らは、苛烈な生き様を晒し、その熱を多くの人々に与えることだろう。





二つ目は、不思議なことに、その者自体は大して大きな力を持っていることは少ない種類。
全てを踏み潰す武力もなく、知力もそこそこの彼らは……とても不思議な存在だ。
求心力を持っている、というべきなのか。彼ら、もしくは彼女達の周りには様々な人が集まり、一枚の岩となってその力を高めあうことになる。
まるで例えるならばそれは物語の主人公の様に全ての出来事の中心となり、世界を動かしていく存在。




覇王と違うのは、部下達がそのリーダーを積極的に助け、そして時には間違っていると叱咤できることなのか。
覇者というのは、往々にして自らの考えを中々に曲げないのに対し、二つ目の種類は、自分を冷静に省みることが出来る。




それを意思が弱いと見るか、それとも思慮深いというかは、後世の歴史研究家が決めればよい。




蟻が巨大な生物を殺すのと同じ様に、完全に連携を取り合い、一つの勢力を、巨大な生き物へと昇華させた際に産まれる力というのは竜でさえも脅威を感じることになるだろう。

個の英雄と群れの英雄、真に恐ろしいのはどちらか。












しかし、どうでもいい。個だろうが群れだろうが関係ない。少しだけ強い微生物と群れた微生物の違いなど、人間には意味をもたないだろう。
真実、怪物にとってはその程度でしかない。




そんな些細な違いなど、今イデアが視界を借りている存在には全てがどうでもよかった、そんな念が流れ込んでくる。
喉を乾かし、腹を鳴らさせる飢餓感。心を侵食させる狂おしいまでの狂気。そして全てを塗りつぶす絶対の力の波動に身を委ねながら、怪物は全てを見ていた。
夢だ。夢を、見ていた。見ず知らずの誰かが見ている光景をイデアはその誰かの眼を通して重ねて“見て”いたのだ。



それは正に神の視点。文字や絵として描かれた物語を読者が見ているが如く、万象を隅々まで理解し、見下ろし、観測している。




かつて大戦の最中に見ていたあの光景と同じように、イデアは地獄を見ているのだ。
燃え盛る街……この大きさ、この設計、いたる所に作られた塔や教会などは此処が以前訪れたアクレイアだとイデアに次げている。
しかし……その様子は全くといっていいほどに変わっていた。





王都周囲の大地は以前は草木に満ち溢れ、森や川、果ては小規模な湖まであったというのに、今ではその全てが不毛の荒地となり
何も感じない、荒涼とした死の大地が果てなく広がっている。それどころか、所々が裂けた大地は至る箇所から毒々しい色の煙、瘴気を吐き出して世界を汚染していく。
鳥が死に、馬が死に、川が枯れ、水がなくなり、空気が穢れ、人を含むありとあらゆる存在がたった一つの例外を除き、全て滅び、世界が終わる。




退廃的で、退嬰という字を体現した風景。世界が病み衰え、万象は衰弱し、全てが貪り尽くされていく。
蒼天に昇る太陽は異常なまでに丸々と巨大で鮮血の様に紅く、爛々と輝きを発しており、朽ちる世界とは裏腹にその輝きだけが圧倒的に容赦がなくなっている。
見ようによればソレは巨大な、想像を絶するほどに超大な、神と形容するのさえ憚られる存在の眼にも見える。





これは、自然なことなのか? 人が年老いて衰えていくのと同じく、世界にも寿命が来て、緩やかな死へと向っているのか?
否、だ。全ては否。違うのだ。これは世界に寿命が来たからこうなったのではない。




喰われている。世界は、自らが生み出した存在にその生命力を丸ごと貪食され、抵抗さえ出来ていない。
既に力関係は逆転し、やろうと思えば世界を喰らっているその存在は片手間で全てを終わらせる事が出来るというのに
あえて残忍な喜びを浮かべて世界に生きる生命達を虐げている。




絶叫と絶望を限界まで搾り出し、その味を楽しんでいるのだ。そして、それから産まれるささやかな抵抗さえも怪物にとってはただの茶番だ。




歓喜、狂気、退屈、そして底なしの飢餓と不足感をイデアは今視界を同調させているモノから感じた。
次いで覚えるのは絶対の力。神竜の波動に近くもあり、始祖の波動にも近いソレは、紛れもなくあの神祖の力。
しかし、その質量は想像を絶する。かつてテュルバンとの戦いで神祖となったあの力が全くの笑い話になってしまうほどの力の総量。
正しく無限と形容する他にない、全てを押し潰し蹂躙する究極の暴力の具現。





しかし、不思議と恐怖は感じなかった。
眼の前に神さえも殺す刃物があったとしても、ソレを握って、支配しているのが自分ならば、何を恐れる必要がある?




まさか、自分の力が恐ろしいなどと世迷言をほざくモノはいないだろう。
それに、だ。何故かは判らないが、理屈を超えた所で怪物は自分を傷つけるようなことは決してしないと、判っていたのかもしれない。




王都アクレイアの中枢、人類で最も最高位の存在、エトルリア王国の国王が本来ならば座するだろう聖王宮の玉座に堂々と腰を降ろし
あえて人の姿を取った怪物は手を組み、悠々と鼻歌さえ歌いながら楽しんでいた。
怪物は眼を通す。たった一動作、頭の奥底で見たいものを見たいと考えるだけで、その願いは叶う。





彼の視界はそれと同調しているイデアと共に様々な場所へと飛んでいく。
市街地の至る所であがる争いの音。元はこの都には100万にも及ぶ人間が住んでいたが
この都の現在の住人達は……死さえも慰めとなる姿へと変わり、怪物の奴隷へと堕とされていた。





腐った体を無理やり固定され、魂さえも術で縛られて戦い続ける哀れな姿、舞台上で幾つもの糸に絡められて動く人形と同じ存在。
時折、口から零れるのは獰猛な獣を想起させる息遣い。



屍兵。全身をツギハギだらけの異形の亡霊兵に創りかえられたソレは、蠢くように小隊単位で侵入者を迎撃すべく襲い掛かり、呆気なく切り伏せられる。
銀の鎧に身を包んだ騎士達は絆を胸に、戦友に背を預けながら戦い、瞬く間に屍兵達を駆逐していく。
その者達の胸に熱く灯る“希望”を見て、怪物は心底嬉しそうに、嗤った。




至る箇所、至る場所、ありとあらゆる地で人々が立ち上がり、怪物を滅ぼすために人間賛歌を高らかに歌い上げつつ自らへと迫ってくる。
鬼気迫る気迫、凄然と燃え上がる勇気と、絆の光、絶対に折れない信念、全てをしっかりと“見て”怪物はその嗤みを残忍に深めた。





王宮に配備しておいたそれなりに強い屍兵もたちどころに滅ぼされ
永遠の命を与えてやると吹き込み、堕落させた人間の部下たちさえも打ち破った英雄達が一呼吸ごとに向かい来るのを手に取るように把握しながら
怪物は玉座に座りなおし、リンゴの焼き菓子を乗せた銀の皿を手に取り、ソレを口にする。





扉が勢いよく開け放され、怪物が展開していた防衛線を突破した幾人かの英雄達が部屋に烈風の如くなだれ込む。
喉元に処刑斧を突きつけられたとさえ思えるほどの圧迫感を怪物に浴びせかけている英雄達の顔は……よく見えない。
顔に砂嵐が掛かっている。体形や鎧の装飾、もっている武器などははっきりと判るのに、顔だけが認識できない。







“あなたを倒して、全てを終わらせる──!”






青い鎧を着込んだ英雄が、手にした宝珠を宿す名剣の切っ先を突きつけて叫ぶ。それに続くように、英雄と同じく顔が見えない部下達が各々の武器を構える。
声も顔と同じく水の中で聞く音と同じ様にくぐもって聞こえたが、何とかこの声の主はソルトと同じぐらい年の少年だという所までは予想できた。
顔も見えない。声さえも判らない。なのに、何故か知らないがイデアは一目でこの少年がどういった存在か理解する。





少年は、英雄だ、と。それも掛け値なしに規格外の英雄。
このソルトと大して年も変わらないだろう勇者は、きっと、恐らく、ありとあらゆる災禍を打ち払うための象徴、旗印になる。
思えば、彼の後ろに控えている者達は全てがバラバラに見える。騎士の甲冑に身を包むもの、軽装で最低限の防具しかつけていない剣士。
少年の様な体形の魔道士……他にも外には世界中から集まった英傑達が集っているのだろう。





正に群れの英雄の極地、そう断じてもよい存在感。




試しに一際怪物の興味をひいた存在、先頭の英雄のすぐ後ろに控えて、高位の魔導書を構える膨大な魔力を内包した少女へと“眼”を向けると……玉座の主の口角が小さくつり上った。





その少女の内心は、先頭に立つ英雄への……陳腐な言い方だが信頼と愛に満ちていた。




“大丈夫、私達は絶対に負けないわ。だって、皆あなたを信じているもの、ねぇ、そうでしょう───”





恐らくは彼女と彼は、そういう関係なのだろう。英雄には、伴侶が必要だ。





苦笑交じりに、怪物は口を開く。もごもごと口の中で焼き菓子を溶かしながら、見世物を楽しむ観客の様な声音で剣呑な敵意と殺気を向けてくる英雄達に言った。
イデアの口が勝手に動き、イデアの意思とは別に怪物の思考によって打ち出された言葉が声帯を震わす。
茶目気を出したつもりなのか、怪物が小さく肩を竦めたのまでイデアは余さず感じた。







“ご飯の邪魔をしないで欲しいなぁ、……アァ、所で何か言ったのかな? ごめんね、全く聞いてなかったよ───”





くぐもった声。確かに自分が発したというのに、怪物の声も濁っており、男か女かさえ判らない。
微かに視界の端に映るのは、怪物の細く白い手。大人が力を込めれば折れてしまいそうな程に細い腕だが……実際は違う。
怪物の保有する力を考えれば、この腕を一振りするだけで天変地異が起こってもおかしくない。




“しかし、煩いな。もう少し落ち着いたらどうかな。そんなに慌ててても──”




続きの言葉は紡げなかった。何故ならば、莫大な魔力が篭もった火球が怪物へと叩きつけられたから。
通常の十数倍にも及ぶ魔力を注がれた【エルファイアー】が着弾し、玉座の間の空気を沸騰させる。
装飾に使われていた金属が気化し、肺を焼く気流が周囲に立ち込めた。





術を放った少女らしき人物が魔道書を開き、身動ぎもせずに怪物の居た場所を注視。
彼女の全身を流れる魔力のなんと強大なことか。





気流が晴れると、そこには無傷の怪物がいた。
先ほどまでと違うのは、その手に一つの武器を握っているということか。
あぁ、とイデアは自分が視界を共有している存在が握る武器を見て、思わず溜め息を吐いた。




もちろん、今のイデアは全てが朧であり、夢の中で意識だけが溜め息を吐いたところで、誰も判るものなどいない。
彼は今まで全てを見ている、あの魔力の塊が直撃する直前に、怪物が虚空に無造作に手を突っ込み、位相がずれた異界から一つの武器……、否、兵器を取り出すところを。
濁った湖の底から物体を引き抜いた時と同じように、取り出された存在は此方の世界に引っ張り出されてから急激に全景が判るようになる。




取り出した黒い刀身の長剣を一振り、ただそれだけで火球の魔力は霧散し、その熱だけが周囲に拡散する結果となったのだ。






【ヘズルの魔剣】






兵器の銘はそういった。元は偉大なる神話、系譜の中に登場するソレだ。
神が人に与えたとされる力は今や怪物の愉悦の為にだけ振るわれている。
最も、これ自体はオリジナルではなく、過去の記憶から再生したレプリカだが。



しかし怪物にとっての“木偶の棒”ぐらいの威力はある。





愉悦、怪物にとって今のこの戦いは戦いではなかった。





武器など使う領域を遥かに超えた段階にある怪物があえて剣を取り出した理由は一つだけ。
対等の地平線で戦ってやろう、遊んでやろうと思ったからだ。例えるならばそれは、父が子と遊んでやるために加減をするのと同じ。



そして、更にもう一押し。怪物は、英雄達を試すように力を発動させる。






【──神祖の絶叫──】





爆発的に広がる『正』の気と『負』の気がごちゃ混ぜになった混沌とした波動、それが場を重々と塗りつぶす。




怪物を中心に黒金色の光が迸る。光はやがて薄い霧となって、広がる。玉座の間から、外へ。
王都を軽々と黒金の霧は覆いつくし、その先へと吹きぬける。
轟音が、響く。それは無数の、何万と言う数の屍たちの鼓舞の声。





怪物は、屍兵達に加護を与えたのだ。効果は単純な全能力の大幅な底上げのみ。
その単純な強化は……怪物が倒れない限り永遠に続く。
念押しだ、と怪物が指を鳴らすと、朽ちた王都の上空に千を超えるほどの無数の円形魔法陣が展開され、黒金色に発光するソレの中央が、人間の瞳孔の如く開いた。





転移の術式が、甲高い音を立てて回り出す。底なしの穴倉の奥からこちらを侵食するように現れるのは名伏し難き異形達。
混沌の海から引き上げられ、殺意と狂気をもって世界を蝕む者ら。





灰色の人間の骨だけの剣士、真紅の色で体を彩る、馬車ほどの大きさの蜘蛛、ハルバードを軽々と振り回すデス・ガーゴイルの群れ
三つ首の獅子ほどの大きさの魔犬、人間と同じ大きさの眼だけの怪物、巨大な戦斧を振るう半身人間、半身馬の男
一つ目の筋骨隆々の巨人、全身が朽ちてなお動く、ドラゴンゾンビ、そして人と同じ姿をしながらも、その実何倍にも強化された戦闘モルフ達に
怪物の力で変異させられ強制的に怪物へ従属させられている各属性の精霊ども。





おおよそ、悪夢の世界でもご対面は叶わないだろう魔の軍勢、その全てが新たに屍たちの増援として天から雨の如く無尽蔵に降り注ぐ。
戦闘竜のゾンビ、屍兵、魔物、モルフ、その全てが怪物の軍団であり、手足だ。もちろん、神祖の絶叫は彼らにも大幅な能力補正を与えているだろう。




英雄達が、呆けた様な雰囲気でその魔雨を見つめているのを怪物は観察し、一言告げた。






──戦うなら急いだほうがいいぞ? 速くしないと、皆死んじゃうよ?





頬を吊り上げて怪物が嗤うのをイデアは感じた。そして、それが決戦の火蓋を切っておとす。





一方的な死闘が始まった。
玉座から立ち上がり、動き出した怪物と、それを討伐しに来た英雄達の戦いが。
魔法が飛び交い、剣術同士がぶつかり合い、血飛沫が舞う。
1対多数という本来ならば多勢に無勢という言葉が当てはまる状態は、多数が一に終始圧倒されるという摩訶不思議な逆転現象を引き起こしていた。




魔剣が一振りされる度に生み出される強力な衝撃波が玉座の間を、王宮そのものを切り刻んでいく。
幾本もの尖塔が木の枝の如く丸ごと切り落とされて、崩れていく光景は、冗談じみていた。
だが、少年が、英雄が握る剣は魔刃が吐き出す衝撃を全て受け止め、逸らし、時には弾き返しさえする。





英雄達の心は折れない。
その心を象徴するように、少年の剣は清浄な炎を宿し、怪物が全方位に存在するだけで撒き散らす瘴気を焼き払う。





魔法を打ち払い、切り込まれる剣や槍を軽々と回避し、怪物は中空全体を悠々と這い回って、ありとあらゆる場所から魔法と剣での攻撃を行う。
それを英雄の仲間たちが数人掛りで魔法を弾き、振るわれた剣を何とか受け止め、生じた隙に追撃を許さないために魔法で怪物をけん制。
背を預けあい、互いに叱咤激励し、各々の長所を合わせて戦う人間達の姿は人の持つ可能性を感じさせる程に光り輝いていた。





しかし、終わりは訪れるものだ。古今東西、英雄譚というのは勇者が魔王を倒して完結するものと相場が決まっている。
一本の剣、青い鎧に青いマントを装備した勇者……最初に怪物に剣を突きつけた少年の剣が、深々と怪物の胸に突き刺さり、その奥で鼓動を続ける心臓を破壊。




傷口が燃え上がり、炭化していくと同時に……水晶の様な固形物が怪物の全身を侵食し、存在の全てを否定し、封じようとする。




イデアは自分であって自分ではない存在の心臓に剣が付きたてられ、そこから血液が漏れ出て行く感触を感じ首を傾げた。
おかしい。おかしい。滑稽でたまらない。何故、何故、何故──。
血を吐き散らし、それでもなお笑みを崩さない怪物。指でつぅっと燃え上がる剣を撫でて、そこを伝う自分の血液を拭う。





真っ赤な液。紅い、凄く紅い。熱い、熱い……。
少年の剣が、更に激しく燃え上がる。封印など生温いと叫びを上げ、その刀身が清廉な業火を纏い大炎上。
怪物は悲鳴さえあげることが出来ずに、完全に世界から消えてなくなる。





しかし、イデアの観測はまだ続いている。寄り所となっていた怪物が消滅したというのに、変わらずイデアはまだ光景を“見て”いた。
床に突き立った魔剣が光の粒となって消えていく様も、王都中に展開させていた軍団の活動が一斉に停止するところも、何もかも全てを。






顔こそ見えないが、英雄達の傷だらけの体から喜びと勝利が溢れる。
誰もが顔を見合わせ、頷きあい、自分たちが成したことの素晴らしさを噛み締めていた。




少年と少女が手を取り合い、喜びを分かち合う。
そのまま二人は仲間たちを引き連れて歩いていき、王都全体を展望できるテラスに寄り添うように並び立つ。
眼下に広がるのは人間の軍隊。幾つもの旗を掲げ、一つとして同じ顔のない何万という数の人々が歓喜の叫びと共に二人を祝福する。





皆々が口を揃えて叫ぶ。万歳、やった、伝説を作ったんだ、と。
さざ波の如く興奮が伝播し、それらは混ざり合い、影響しあって一つの巨大な津波となり、世界を熱気で包む。
普通の英雄譚ならばここで完結する。舞台の上で踊り、謳われていた演目は終了し、残すはカーテン・コールのみ、のはず。






その、全てを“見て”“聞いて”その上で……イデアと同化している存在は人知れず嗤った。以前の戦役はここで終わりだったなァ、と。
だが……今回は誰も知らない続きを用意したのだ。戦役と同じ結果を繰り返すだけというのは、余りにも馬鹿馬鹿しい。




歓喜の声が、止まった。音が消え、声が消え、空気の流動が停止する。
全ての人間の顔が笑顔のまま、凍りついた。世界は……絶望を知ることになる。




天にある太陽が、太陽ではなかった。何時も柔らかな光りを降り注がせ、世界を包む太陽が……違う。
紅蓮の色をした太陽に、真ん中から真っ直ぐ縦に二本の黒線が入り、大きく左右に開く。
円の中にもう一つ縦長の円が生まれ、それは生物的な動きと共にぎょろぎょろ動き回り、少年達を見てから……細まった。








瞳孔、それは眼だ。とてつもなく巨大で、絶対存在の瞳。この瞳だ、この瞳が今まで全てを“見て”いたのだ。
何時から入れ替わっていたのか、本物の太陽は既になく、今まで世界を照らしていたのはこの瞳だ。
ただ、誰もその事実に気がつかなかっただけ。





ピシッ。最初は小さく、一回。空虚な音が、鳴った
更に続けて数回ピシッという氷を踏み潰すような音が不気味に世界に響く。
空間がまるで蜃気楼の様に歪み、向こう側に映る光景が滅茶苦茶に屈折を始め、蒼が歪む。





青い空に無数の断線が走る、さながら重量に耐え切れずに割れる銀の硝子の如く。
崩落。天が崩れ落ち、無数の断片となって、蒼天が瓦解。
一つ一つが青い空を映した無数の欠片が地上に墜落し、突き刺さる。





砕けた天の奥に座すのは、竜。



屈みこみ、窮屈そうにその身を丸めて、世界を見下ろす巨竜。
夜と昼をそのまま溶かした様な黒金の色彩の重殻に身を覆い、体の至る所に赤黒い光が走る……竜。
天蓋と化した喰世竜は、地上を隅々まで観察し、口角を吊り上げて不気味に嗤った。






軍団が、再度稼動を開始する。武器を、触手を、前足を振り上げ、魔軍が喝采の声を叫ぶ。
それは、己たちの絶対神に対する信仰の表れなのだろう。





遊戯版というゲームのボードの大きさをエレブとするならば、竜の大きさは成人男性程度の大きさになる。
空に隠れていたもう一つの眼が浮かび、“二つの紅と蒼の太陽”がその姿を現す。
眼の前に置かれた食事に対しての冷酷な欲望と、絶対零度の侮蔑の念によって歪に細まる。




余りにも大きく、余りにも馬鹿馬鹿しい。怪物をまともに見た兵士達の半数以上が思考を停止し
怪物が何なのかを理解した小賢しい者達は、恐怖に引き攣った掠声を叫び、そのまま発狂し絶命。




この存在の前には化け物、という言葉さえ生ぬるい表現に成り下がる。




全身に纏う紅い文様が走る黒く濁った黄金色の鱗は、それ一つだけで小島よりも大きく、一つ落とすだけで、極大の災禍を巻き起こす。
ソレは責任を放り出し、世界を背負うのをやめ、自らの快楽と欲望、願いだけを追及する存在。他の一切合財全ては、既に、ない。
永劫に飢餓に苛まれ、決して満たされない哀れな怪物。誰も怪物を止められず、怪物は誰も見ていない。




しかし、怪物を見る者には掛け値なしの、最悪の絶望を叩き付ける。一体、どうすればよいのか。
眼前に聳え立つ霊峰を動かそうと思うものなどおらず、天に浮かぶ月に矢を当てようと思うものなどいない、つまり、怪物と戦うというのはそういった行為と同義だ。





力。力。ただ絶対無比の力。規格外、次元違い、逆らうという行為など意味をもたない。
神将器? 魔法? 神将? 英雄? 封印の剣? 炎の紋章? その全てを怪物は嘲る。それがどうした。
既に怪物にはこの後の事を考える余裕さえあった。足りない、足りない、足りない、腹が減った。満たされない。





まだ“餌”は至る所にあることを怪物は知っている。
ここから飛び立てば“食べ放題”だということを。既に門など不要。




世界に響く終焉の鐘の音の如く、怪物の狂嗤が天から全てに叩きつけられ、英雄達の戦いそのものを無意味だと嘲笑した。
最初から最後まで、お前たちは私の掌の上だったんだよ、と。そして怪物は付け加える……もう、お前たちに振り回されるのはうんざりだ。





“本当の意味で私が平穏と安寧を得るためには、お前たちが居ないのが最も都合がいい”




ソレは真実、この喰世の竜が掲げて信仰する正義。




信念、勇気、希望、英雄達を支えていたモノが全て砕けていく音を捉え
怪物は、イデアは、心が満たされていくのを心地よく受け止めながら、その巨大な顎を開けて───────人間がパイに齧り付く様に、一口で何もかもを喰い尽くした。





呆気ない幕切れだった。心も光も希望も、全て“齧られ”“咀嚼され”“嚥下”された。
英雄譚は終わった。ただし、終わったのは物語ではない。物語を展開する土台、即ち舞台が終わったのだ。
























「──────!」






掠れた声を上げてイデアがその瞼を無理やりこじ開ける、動悸が激しく高鳴り、全身からはヌルヌルとした気持ちの悪い汗が吹き出ている。
眼の奥がずきずきと痛み、喉がカラカラに乾いているせいか、口蓋の皮が突っ張ったような、鈍痛が彼の意識を現実へと引き戻す。
ふと、服が引っ張られているのを感じて、襟の辺りを見ると、自らの創造物たるモルフ、
リンゴの姿をしたソレらが声さえ出せないものの、心配そうに服の裾を器用にリンゴの切断面を使って引っ張っていた。





頭を動かすと、ここは自分の研究室であることを思い出す。どうやら、机に突っ伏して眠っていたらしい。
しかし、眠った記憶は自分にはない。眠気を感じた覚えさえないはずだ。
その事に思い至り、背筋に寒いモノが走り抜けていく。





……既に自分には睡眠は必要じゃないはずだが、どうして?





いや、そもそも寝ていたのか? 夢にしてはあの光景を自分は、はっきりと覚えている。
戦役の最中にも同じ様な光景を見たことがあるが、あれははっきりと眠っていたと認識しているのだが……。
それに夢、の一言を片付けてしまうには、アレは少々現実味を帯びすぎている。





「……未来予知?」





自分で呟いておいて、それはありえないと即座に否定する。
確かに過去の竜族には未来を断片的に見ることが出来る存在も居たらしいが……自分は違うと断言できる。
そもそも、そんな力があれば今頃長は自分ではなく、イドゥンがやっていただろう。





あれは予知、等と言うあやふやなモノではない。もっとはっきりと、確実で、まるで何処かで起こった出来事を見ているような──。
所詮は夢だと割り切るのは簡単だろうが、どうにもそういう気が起こらない。
ならば何なのか、あれは。夢の一言で切って捨てるには、余りにも生々しいあの映像は。




全て覚えている。英雄達と戦ったことも、化け物どもの支配者になったことも、そして英雄達の心を念入りに砕いたことも、だ。
白昼夢、なのか。だが、と予想を幾つも立てている内に同じところをグルグルと周ってしまう。
思考が歯車の中で回っている、同じところを延々と。





答えは出ないと判断したイデアは速やかに考えるのをやめると溜め息を吐いた。






「疲れているのか?」





ポツリと呟いた言葉は、自分でも不思議な程に胸の内側に染み込んで行く。
そういえば、最後に休日を謳歌したのは何時だったか。
思えば、この頃は酷く無機質な生活を送っている。




アルマーズとの戦い、その後のモルフ研究と封印研究、他には食糧問題などへの対策、研究、研究、研究……。
余りにも心休む時間がない。





つい最近完治したばかりの顔面の半分を撫でてみる。火傷の痕など全く残ってない皮膚は、少しばかり白く、衝撃に対して僅かに敏感だ。





自分で作った食用モルフの試作、リンゴを撫でてやると嬉しそうに擦り寄ってくる。
思えば、何故かは判らないが食用モルフの研究の方が完全自立モルフの研究よりも進んでしまっているのだ。
知性を与えるというのは、本当に難しいのだ。自分で考え、自分で成長し、自分で進化するモルフというのは思えば人間や竜と大して変わらない。
それならば、まだ子供を作ったほうが手っ取り早いだろうが、やはりモルフは量産が効くというのが一番の利点だ。




あぁ、駄目だと頭を振るう。息抜きするつもりなのに、また変な方向へと流れている。
これは少しばかり、息抜きを入れたほうがいいだろう。はっきりと自分でも判る程に、精神の何処かが悲鳴をあげているのが聞こえる。
眠るわけでもないのに、瞼を閉じると、その裏側の闇に複雑な魔術の文様が小さく浮かんだり消えたりしているのを見るに、色々とたまっているのだろう。





ならば何をしようか。





疲れや先ほどの夢の事は別にしても少しばかり、モルフ研究や封印開放、ファイアーエムブレム、神将器のことを忘れて思いっきり無駄な何かやりたい。
うーんと腕を組み考える。何か、娯楽はないか。ないのなら作れば言いとして……何をしようか。
開け放された窓から吹き込んでくる荒涼とした風が頬を撫でていく、イデアが無言で窓の外の月夜を見て……閃いた。



あぁ、と息を吐く。思えば、アレを最後に見たのは何時だったろうか。見てみたい、という衝動がこみ上げてくる。
やろうとしていることは恐らく、かなり難しいだろうが……いい気分転換になるはず。




そうと決まれば、行動は速くしたほうがいいだろう。
とりあえずは計画から、とイデアは手元の何も書かれていない紙に、素早く書き込みを始めた。















明朝、いつもの様に玉座に腰掛けたイデアは一枚の紙をフレイへと渡し、彼がそれに眼を通すのを黙って見つめていた。
時間にして一刻の4分の1にも満たない時間で老火竜が全てを読み上げると、彼は紙をイデアに返して言った。




『なるほど、確かに面白そうですし、住民達に対してもよい娯楽の提供が出来そうですが幾つか問題があります』





ふぅと息を吐くと老火竜はガラガラの声で続ける。





『とりあえず技術面と構想やらの問題がありますが……これは今は置いといて、一番の懸念事項は賊共です。
今は結界の補強の時期ですし、下手をすれば気が付かれる可能性も考慮したほうがよいかと』







ナバタは不毛の大地であるが故に、国家の手なども入ってはいない。
だからこそ賊が根城にすることもあるのだ。そして現在イデア達が確認しているのは
小規模の賊たちがナバタのとある場所を根城にしているということ。



だが賊の拠点は里からは恐ろしい程に離れており、間違っても賊の者達が里に気がつくことはありえないだろう。
そう、普通ならば。だが、イデアが行おうとしている行為は、今の結界の状態では距離が離れていても気付かれる可能性がある。
そして、どうやら賊たちの中には魔道を齧ったモノもいるらしく、本当に微弱だが魔力を感じるのだ。



最も、メディアンやヤアン、里のそれなりの魔導士達と比べれば苦笑しか出てこない魔力量だが。
だが、何か妙な気配を感じるのも事実であり……いずれは駆除が必要だと考えている。




そしてナバタの里を覆い隠す結界や“場”を歪曲させる術式も既に十年以上が経ち、更には終末の冬と呼ばれる『秩序』の崩壊による空間へのダメージや
『秩序』を修復させる際にイデアが行使した莫大な力による影響などを考えるに、もうそろそろ補強と強化を考える時期になっていた。






『万が一にでもコレを実行する際に気が付かれたら……問題が起こります』






「目障りだな。厄介な事になる前に消すか」





口の隙間より漏れた言葉はとても軽い調子だった。賊たちの命など、どうでもいいという意思の表れ。
居場所と根城の位置は既に把握している。
この自分の力に溢れたナバタの地で竜の眼から逃れることなど出来ないのだから。




それに消したとしても、このナバタは不毛の大地。たかが賊が消えたとしても、誰がソレを調べに来る?
よっぽど不審な消え方でもしない限りは、自然現象に飲み込まれたと考えるのが普通だろう。




だが、と。イデアは思考を続ける。害虫と同じように消せども消せども、そういう輩は湧いて来るだろう。
根本的な解決策を練っておく必要があるかもしれない……少なくとも、姉を取り戻したら、絶対に誰にもこの里を侵されないようにする必要がある。
既に幾つか考案があるが、まだそれは技術的にも自分の能力的にも実行は難しい。





「とりあえず、だ。先ずは結界の補強、強化と術式の完成を重視する。賊共への対処は後回しにするが、いいか?」




『はい。そして結界の補強の際には重々ご注意ください、一時的に結界の何処かに小さい穴が空くことも考えられますから……。
 里の住人達に補強の最中は出来るだけ居住区から離れない様に言っておいたほうがよろしいかと』





「判った、実施日を決めた後、立て札を幾つか立てておこう」





とりあえず、物事を整理する。まずは実行に必要な技術の会得と、練習。その後に結界の補強の日程を決めて、里へと通達。
最後に……これが一番難しい作業である具体的な構想や準備作業を行い、計画の見直しをした後に実行、簡単に纏めてしまえばこんなところだろう。





『構想作業と実行時は里の魔道師や火の扱いに長けた竜族の何人かに声を掛けて協力してもらうといいでしょう。さすがにイデア様お一人ではコレを全て実行するのは難しいと思われます』






「協力してくれると思うか? 我ながら突拍子も無い計画だと思うんだが」




『彼らは……時間を持て余しているものがかなり居ますからね。里を賑わせる為だと言えば喜んで食いついてくる者たちもでしょう』





その返答にイデアは思い当たる節があるのか恥ずかしそうに笑った。
決して悪政を行っているつもりはないが……少々里での生活には刺激がないのだ。
毎日毎日同じことを繰り返す生活は安定しているが同時に退屈でもあるのだから。





「所で、お前は紅い炎以外の炎や爆発を出せるか?」





玉座の上で腕を頭の上で組み、リラックスした姿勢でイデアが問いかける。





『出そうと思えば……。蒼、オレンジ、緑、黄……後は赤を含むコレらの色を混ぜあわせて調整しながら色彩を変えていく、というところです』





万の年月を生きた火竜が彼には珍しく楽しむような口調で語る。
恐らく、火という現象に対して最も理解がある竜にとって、炎の色だけを温度や燃焼している物質とは無関係に変えるなど容易いことなのだろう。




「俺にも出来るかな」





『様は魔力のコントロールと術の効果を左右させるイメージの問題です。
 単純な最下級魔法の『ファイアー』の色を変える練習から始めてみるとよいかと……慣れてしまえば、案外簡単ですよ』





イデアが人差し指を立ててその先に炎を灯す。その色は紅。次に人差し指を立ててその先に同じく炎を灯す、ただし色は蒼。
中指、薬指、小指、それが終わったら逆の手の指を順々に立てて点火。その全ての炎の色が違う。
色とりどりの炎を瞳に映しこみ、竜は笑う。





「なるほど」





よしよしと満足気にイデアが頷く。全ての指を拳の形にして握りこんで炎を消すと
彼はこの話はここまでだ、と態度で示し、今日の長としての仕事に取り掛かるべく書類に眼を通し始めた。

























長としてのとりあえずの仕事を終えた後、イデアは殿にあるヤアンの部屋を訪れていた。
時間は昼を過ぎた辺りで、里の中ではそれなりの活気に満ちているが、彼の部屋は外界から切り離されたように静寂に満たされている。
そんな時間が凍りついた様な部屋の中で、テーブルを挟みつつ二人は向き合っていた。




彼はイデアから手渡された書類を何枚か読むと、顔をあげた。





「今日来たのは、コレに私を協力させるためか?」




少なくとも表層からは何も読み取れない声で、火竜ヤアンは言葉を発した。
相変わらずこの男は変わらない、イデアは淡々と言葉を返してくるヤアンにそういう感想を抱く。





「そうだ」




少しばかりヤアンに似せた口調でイデアが返す。一切の無駄を排して、単純な返答のみを。





「判らんな。これをして何の意味がある? 準備に掛かる時間、労力などを考えるに、非効率的だ。それどころか、万が一というデメリットさえもあるではないか」




一定のリズムで、高音低音とリズムの変化なく吐かれる言葉は棒読みの様にも聞こえるし
もしくは感情と言う機構を超越した存在のお告げにも聞こえるが、イデアは既にコレは聞きなれている。
全身の力を抜いて、リラックスした様子でイデアは返した。





「じゃ、断るのか? 俺はそれでも別に構わないが」





一泊の間が空いた。ヤアンが再度紙に眼を移し、そうして顔を上げる。
彼の真っ赤な眼の中にはイデアが映っている。





「私は一度も断るなどと言った覚えはない」





ヤアンが右手の人指し指を少し動かすと、そこから“力”が放出されるのをイデアは見た。
数本の紐の形状をした真紅の力は、部屋に置いてあった物置の扉を開けると、そこから幾つかの物体を持ち上げて取り出す。
持ち出されたのはかつて殿でイデアが遊んだ遊戯盤とその駒。それらが机の上に置かれ、駒が指定の位置へと配置されていく。




娯楽としてヤアンにこのゲームを教えたのはイデアだ。そしてヤアンは今まで一度もイデアに勝ったことは無い。
そういえば、最後に彼とこうして遊んだのはいつになるだろうか。負けるたびにもう一回だ、とせがんでくる火竜を見ると、イデアは肩を竦めそうになる。
全ての駒の用意が整い、ヤアンは無言で白い駒を掴んだ。





「これも非効率的だな」




イデアが皮肉を混ぜた口調で黒い駒を掴んで、手の中で弄くる。
非効率的だというなら、そもそもこういったゲームを持ちかけてくること自体が無駄だろうと含み笑いしながら。




「娯楽を楽しめと言ったのはお前だろう。勝負が終わった後で答えを返そう」




一人で戦う相手が居ないから、相手してくれと素直に言えばいいものを。イデアは辟易しながら言葉を紡ぐ。




「お前が勝つまで勝負を続ける、とかは無しだぞ。俺も忙しいんだ、一回だけしか相手しない」




チッと、ヤアンの心の中で舌打ちが鳴った様な気配をイデアは確かに捉えた。
これは心の舌打ち、とでも名づけるべきか。
だがと、神竜は意識を切り替える。勝負は勝負だ。絶対に負けるつもりはない。





無言で先攻をヤアンに譲り、イデアは手に持っていた駒を所定の位置へと置く。
















思ったよりも時間が掛かってしまった。イデアは里の図書館の通路を歩きながら胸中で溜め息を吐いた。
ヤアンとの対戦は一回だけで終わったのだが……その一回がかなり長引いた。
持ち時間を明確に決めていなかったため、両者の1ターンの時間が長くなり、想像していた数倍は時間を食うはめになったのだ。




いつの間にあいつはあそこまで遊戯版が強くなったのやら、と呆れ半分、驚嘆半分な感傷をイデアは抱く。
勿論、勝負は自分の勝ちで終わらせたが。ヤアンが無言で詰みとなった盤面を何とか出来ないかと見ている顔は面白かった。




そして先ほど、里の魔道師たちに協力を持ちかけて、無事にソレの承諾を得てきたばかりだ。
フレイの言ったとおり、里の魔道士たちは研究熱心ではあるが、娯楽と刺激に飢えていたらしく、その知識を貸してくれとお願いしたら即答で構わないと言われた。
天に炎で華を咲かせる、そう形容した計画を魔道士達に話したところ、やはりというべきか大声で笑われてしまった。




最初、イデアはそれが嘲りの笑みだと思った。
魔術、魔法でそんな下らないことをするのかと聞かれると想像していたイデアに掛けられた言葉は一言「面白そうだ」というモノ。
後はとんとん拍子に話が進み、気がつけば大よその予定や計画の書類作りにまで至ってしまった。





……そこまで、自分は里に娯楽を与えていなかったのだろうか。やはり、熱中できるイベントというのは集団には必要なのか。





「ところで、何でお前は俺の後をつけてくるんだ?」





イデアが少しだけ顔を横に向けて、背後の人物へと声を飛ばす。
先ほど、里の者との会談を終えてから自分の少し後ろを黙ってついてくるヤアンに、イデアは少々うざったさを感じていた。
まぁ、遊戯版で勝った後、返答として協力するという言葉を貰ったのは感謝しているが。





「ただの気まぐれだ。気にすることではない」





返答はそれだけ。簡潔に言葉を飛ばすと、彼はまた黙ってしまう。
視線だけが背中に突き刺さるのを感じて、イデアは溜め息を吐く。



が、直ぐに気を取り直してイデアは振り返って言葉を紡ぐ。




「好きにしろ」





にこやかに、自分でも不思議なほどの満面の笑顔を浮かべて神竜は言う。




「…………」




返答はない。だが眼だけで答えを返すとヤアンは首を左右に動かし、真紅の瞳でイデアと、その奥を見る。
新たにこの場に現れた気配とエーギルの波長はよく知っていた。





「こんにちわ、長。」




ふふふと、感情が読めない笑顔を浮かべて笑う紅い女性、アンナが片手に何かの本を掴み、立っている。
チラリと、イデアの背後のヤアンに眼を向けて会釈をすると、彼女はイデアへ視線を移す。




「何やら、刺激的な行事を行うつもりと聞いたのですが、確かですか?」




まだこの里の中でも一握りの者しか知らない情報を手に入れているというのはさすがといったところか。




「確かだよ。お前も協力してくれるか?」





冗談めかしにイデアが言うと、アンナは笑みを深くして答える。
艶笑と表現する程の色気に満ちた顔で彼女は言葉を紡いだ。





「私の炎は、焼き滅ぼし、砕くためのモノです。どうやっても見世物にはなりませんわ」




そうかい、とイデアが頷く。
彼女の炎をあのアルマーズ入手の際に見たことがあるイデアは無駄な口を挟まないことに決めた。
アレは炎と言う名の破壊現象そのものだ。屈強なガーゴイルを粉々に粉砕する爆砕の華は美しいが……決して見世物には相応しくない。




何よりも彼女自身が嫌だといっているのなら、無理強いする必要は無いだろう。
既に一度、自分の我侭につき合わせているのなら、尚更だ。






「所で、その本は何だ? 随分と分厚いけど」




「これですか? 溜まり場で見つけた面白い本で──」




ひょいっと親指ほどの厚さを持つ本の表紙をイデアへ向ける。
そこには古い文字でこう記されていた。





「“商人アンナの記録”……?」





お前、本になってたのか。視線でそう訴える呆然とした様子の上司に彼女は苦笑して答える。




「私のことではありませんよ。あくまでも物語のタイトルですわ。
 この本に少し、興味が湧いちゃいましてね。偶然とはいえ自分の名前が本の題名になっているなんて面白いことですもの」





触りだけ読んだが、内容もそこそこに面白いらしく、彼女は饒舌に語り始める。
曰く、アンナという名前の女性の商人が商人という立場から物語の中に出てくる勇者や英雄達を見つめる、というものらしい。
しかし面白いのが、このアンナというのは個人の名前ではなく、一族の名前だとか。




物語中の彼女は全て姉妹で、全員同じ顔の商人達が活躍する……という内容の物語。
しかも奇妙な事に、物語のアンナの姿はここの火竜アンナとそれなりに似ているというのだ。
かつての始祖が作り出した魔の眷属にビグルという巨大な眼に触手をはやした存在があり、その魔物は、ヒトデの如く分裂して増殖したらしい。




何故だかは判らないが、頭の中でピグルの様に増えるアンナを想像してしまい、イデアは身震いした。




「……長、何をお考えですか…………?」




ジーっと粘性を帯びた視線を飛ばす部下の女にイデアは目を逸らし、わざとらしく咳払いすると。




「何でもないぞ。あぁ何でもない」




誤魔化すようにそっぽを向いて喋るイデアにアンナは小さく笑った。
今度は先ほどの様な感情が判らない、本音を隠す笑みではなく、本物の愉快な笑み。
親が子をからかう様な口調で彼女は楽し気に話す。






「変な長。まさか、私がビグルみたいに増えるんじゃないか、とか思ってないと言いのですが?」





「ビグルか。確かアレは雌雄同体で、単一で増えることが出来たらしいな」






唐突に今まで沈黙を続けながらイデアとアンナのやり取りを黙って見ていたヤアンを口を開いた。
アンナが意外なモノを見るような、それこそ滅多に見られない珍しい存在を呆然と見る眼でヤアンを見たが、彼は気にすることなく言葉を続けた。





「大きさは大体成人男性と同じ程度の目玉…………丸焼きにすれば、美味かもしれん。いや……焼き加減や使用する調味料にもよって味は変わるのだから──」





目玉焼き、卵で作るそれとは少しばかり違うが、それはそれで悪くない、しかも減れば勝手に増えてくれる、悪くない、と続ける。。
淡々と話を続けるヤアンがここでようやく自分に向けられる2対4つの視線に気がつき、本当に不思議そうに頭を傾げた。





「なんだその眼は?」





「……何でもありませんわ。失礼しますね、長」





くくっと上下に小刻みに揺れる肩……必死に笑いをかみ殺しながらアンナがイデアとヤアンに一礼し、今度こそ足早に去っていく。
彼女の姿が廊下の角を曲がって見えなくなるまで見送った神竜は火竜へと眼を向ける。




「なんだ?」




「俺はこれからメディアンの所へ行くが、お前もついてくるか?」





顔面の表情が引き攣り、妙な表情を浮かべたのを自覚しながらイデアが喋る。
ヤアンは少しばかり考え込むように沈黙すると、図書館、知識の溜まり場に続く道を見つめてから口が動いた。




「私もここで失礼するとしよう。少しばかり、やりたいことが出来たのでな」




火竜の炎を凝縮したような眼がイデアを見据えて、細まった。
イデアが溜め息を吐き、うっと背伸びをしながらその視線を受け流す。




コイツ、まだ遊戯版でボロ負けしたことを根にもってるのか。
この男、自分では絶対に否定するだろうが……相当な負けず嫌いだ、と内心で肩を竦めながら思う。
確か、里の図書館には遊戯版を趣味としてやりこんでいる者が何人か居たはずだし、それをこの男にさっき教えたばかりだ。






「好きにしろ。俺はもう行くよ」




あぁと一言だけ返し、ヤアンが自分とは正反対の方向に歩き出すのを見てから、イデアは歩を進める。
頭の中で巡らせるのは結界の補強に対する考え。音と熱と振動と魔力の波長、その他諸々を完全に遮断する結界を作るのに必要な魔力や日数などを計算していく。





















考え事をしながら歩くと時間はあっという間に過ぎ去っていく、という事をイデアは改めて実感した。
遠くに感じるメディアンの巨大なエーギルの箇所へと歩を進めながら歩きつつも
気晴らしに周囲の景色を眺めつつ、結界に関する詳細をまとめていたら、あっという間についてしまったのだ。




里の外れ、この里を覆う様に広がる巨大なオアシスのとある一帯にイデアは居た。
周囲の木はよく見れば様々な果実の実をつけており、ここら辺の空気は香水を少しだけばら撒いた様に甘い。
木々が太陽の強烈な光りを温和してくれるこの場所は、メディアンとソルトの鍛錬場の一つ。






そこに彼女の存在を感じる事が出来たということは……何をしているかは考えるまでもない。
故にイデアは気配を消し、物陰に隠れながら状況を窺っていた。母子の大切な一時に水を差す気にはなれなかった。





……後、単純に一つ好奇の念があった、ソルトがメディアンと鍛錬を行っているのは知っているが、ソレを直に見たことはあんまりなかったから。
ソルトの努力と強い意思が前提としてあったとはいえ、たった一人の少年をあの歳で神将テュルバンの片腕を奪い取るまでに成長させた稽古というのは興味深い。
既に四半時近い時間、メディアンとソルトはイデアの眼前で“舞って”いる。ソルトが握っているのは木刀でも枝でもない真剣。
あの戦いに使用したルーンソードではなく、ただの鋼の剣だが、彼はソレを手足の一部の様に巧妙に扱い、母に攻撃を仕掛けていた。




リズムよく放たれる攻撃を地竜はたった一本の剣で作業をするように軽々と弾き
隙さえあれば剣を手首だけで器用に動かし、最小限の動きで息子を翻弄するように攻撃を加えていく。




両者共、本気の戦い。殺気さえも漂う勢いで武器を振り、相手に攻撃を叩き込む。
だが、その根底にあるのは信頼だ。貴方は、お前は、この程度では死ぬわけないだろうという一種の戦友に向けるモノと同質の信頼。




鋼の剣の刃が光を反射しながら地竜の首を刈り取ろうと踊る、ソレをメディアンは素手の甲で受け止めるべく、動かす。
普通の人間ならば骨が砕け、肉が両断されてもおかしくないはずの攻撃だが……竜の人としての腕は少しばかりの変化を遂げ……。
フルプレートの鎧を金槌でたたいた時に発せられるような、金属音が叫び声をあげる。



少年の眼が一瞬だけ見開かれ、そして次には満足気な笑みを湛えた。自分は、彼女に竜としての力を使わせるまでに至ったという喜びと共に。




彼女の手は……人としての5指の形を保ってこそいたが、その様は人のソレとは全く違う。
肌の色と質感は紅い筋が幾重にも走るドス黒い黒曜石の如く変貌しており、正に金属の如き硬質な異形へと“帰化”していた。
鋼の剣の刀身に皹が入り、ボロボロと崩れていく。自分よりも堅い存在に思いっきり叩きつけられたのだから、当然の結果だ。





武器を失ったソルトが後ろに飛びのこうとしたが……それよりも速くメディアンは動いた。
風を引き裂く音と共に、蹴りがソルトの腹部に炸裂する。ズンっという重音が靴底までを揺らし、少年の体が投石器から発せられた岩のように吹っ飛ぶ。



若草が生え茂る柔らかい場所に落とされた少年はゴロゴロと何度もわざと回転しながら蹴りの勢いを殺し……。





「~~~!!」




咄嗟に立ち上がろうとして、腹部に走った激痛に悶える。
腹部を押さえたまま、その場にしゃがみ込んでしまうのを見れば、どれほどの力で蹴り飛ばされたか大体の想像はつくだろう。


それを認めたメディアンから、全ての敵意が消え失せる。
無言で彼女が人差し指をソルトに向けると【ライヴ】を発動させ、息子の呼吸が落ち着いたのを見計らってから声を掛けた。







「今日はここまでにしようか。まだ腹は痛いだろう? 下手に動かして悪化しちゃいけないからね。……それに、どうやら長も来ているみたいだし」





迷いなく木の陰に隠れていた自分へと視線を向けて、声を掛けてくるメディアンにイデアは驚きはしなかった。
彼女ならそれぐらい普通に出来ると思っていたから。
稽古が終わったのを確信したイデアは物陰から堂々と二人の前に姿を現す。




「いつから気がついた?」





ブラブラと黒曜石の手を揺らしながら彼女は答えた。
竜石が一度輝くと彼女の腕に電流が迸り、人化の術が行使される。
一瞬にして
黒い炭化したような風貌の腕が元の白い肌の健康的な腕に変わっていく。






「来てちょっとしてから、かな……エーギルの気配は消せてたけど、呼吸音と心音、体から出てる熱で判ったよ。
 ……もっとも、あたしは息子との戦いにかなり意識を裂いてたから、何時もより気がつくのがかなり遅れちゃったけど」




戦いの時は眼の前だけじゃなくて、周りにも警戒を張り巡らせないといけないからね、と彼女は続ける。
事実、戦場などでは何時、どこから攻撃が飛んでくるのかわからないのを考えるに、彼女の言っていることは正しいのだろう。





「なるほど」




そこまで考えなければ駄目か、と一人ごちる。心音、呼吸音、全身の熱にも今度からは気を使ってみようと決断しつつ、イデアはここに来た目的を話す。





「今日は開催しようと思っている行事関連で来たのだけど……少し休んでからの方がいいな」





見ればメディアンは全身にビッシリと汗をかいていた。息こそ乱さないが、全身からは湯気の様に熱を放出している。
当たり前だ。かなりの間、精神を尖らせて殺すつもりだが絶対に殺さない様に加減しながら戦いを行っていたのだから。
叩き潰すのは簡単だが、しっかりと相手を育てるための戦いにするというのはかなり難しく、体力と精神力を削るものなのだ。





「少しあたしも休んでからゆっくりと話をしたいね。ちょっと待ってておくれ。今、少し周りから幾つか美味しそうな果物を見繕ってくるよ」





そういうと彼女は一礼し、早歩きで立ち去る。残されたイデアとソルトは顔を見合わせた。
よっこらせ、とソルトが立ち上がるとふらふらした足取りで歩き出し、近くにあった腰ぐらいまである岩へと腰掛ける。
誰に言われるまでもなく、イデアがその隣へと腰を降ろした。




イデアが“眼”を使って彼の腹部を観察すると、青い痣が出来ているのが見える。
それでも彼女は加減はしたのだろう。全力で蹴っていたら、恐らく腹に穴が空いているはずだ。




「稽古は毎日やってるのか?」




「いや、今やってたみたいなのは1日やったら1日の休憩時間を挟んでやってます。母さん曰く、体を壊しちゃったら元も子もないとか」




そうか、と頷く。
服を捲って腹部を確認したソルトが溜め息を吐いた。大きな青痣が鍛えられた腹筋にしっかりと刻まれている。






「受け流せたと思ったんだけどなぁ……まだちょっと痛いなぁ」




「一回の【ライヴ】じゃ治りきれてなかったか? なんなら俺がもう一回かけてもいいけど」




ぴんと立てた人差し指に【ライヴ】の光を灯しながらイデアが言う。術が発動を完了する前に少年は手でそれを制した。





「お気持ちだけ受け取っておきます。この傷も僕が生きている証みたいなモノですから……自分の力で後は治します」






無言でイデアが【ライヴ】を消すと、横目でソルトを見やる。
この里に来たばかりの時は母親の後ろに隠れていた幼子が、ここまで大きくなるとは。
15歳になった彼の体は鍛え上げられており、細身ながらも引き締まった筋肉で全身は覆われている。
獅子や虎のようにしなやかなその体は無駄というモノが一切合財そぎ落とされているのだ。



夢がある、そう答えた少年は着実に夢に向って努力を続けている。その結果が今の彼の体だ。



まぁ、服を着れば年頃の子供と一切変わらない体形に見えるだろうが。
後はここから青年になり、中年、壮年、老年と変わっていくのだろう。




ふと、唐突に頭の中に浮かんだ言葉をイデアは口にした。本当に、何の前触れもなく浮かんだ言葉を。






「なぁ、お前、長生きしたくないか?」





「? そりゃ、長生きはしたいですよ」





違う、そういう意味じゃなく、とイデアは頭を振った。





「人間という種よりもずっと、それこそ竜と一緒に生きられる程に長生きしたいかって意味さ。正直な話……やろうと思えば出来なくないぞ」





一瞬だけ間が空いた。
そして彼は答えた。





「結構ですよ。僕には必要ありません」






即答。何の迷いもなく返された言葉に、イデアは一瞬だけ完全にぽかんとした表情を浮かべてしまった。
次に腹の底から膨れ上がってくるのは、猛烈な笑い。思わずイデアは肩を震わせ、小さく噛み締めるように笑う。
いや、半分冗談、半分ほど本気で誘ったというのに、ここまで見事に断られると笑いしか出てこない。



不老不死。
不老に限定したとしても、戦争を起こしてでも欲する者など腐る程いるだろうというのに、眼前のただの少年はそれを一言でばっさりと切り捨てた。





「そうかい、じゃ、質問を変えるけど、お前は欲しいモノとかはあるのか?」




足を伸ばして、ぶらぶらさせながらイデアは言う。
こいつにそういう物欲はあるのかね、などと思いながら。



数瞬の空白を置いてから、彼は答えた。恥ずかしそうに眼を背けながら、妙に熱が篭もった声で。





「欲しいものなら、ありますよ……ただ、秘密ですけど」





満面の笑顔で断言する少年にイデアは溜め息を吐いた。
ふと、顔を上げてみれば、もうすぐそこまで地竜の気配が近づいているのを感じる。
どうやらソルトもそのことを察したらしく、呆然と母親の気配を何となく感じる場所に視線を送りはじめた。




「とりあえず周りにあった食べごろの果物を取ってきたよ。皿も持って来たから、食べようか」




3枚の小皿とバスケットいっぱいの色とりどりの果物を手に、メディアンは戻ってくる。
バナナに、桃、葡萄、リンゴ、椰子の実、季節感など無視している様々な果物から立ち込める芳香な気配が場を染める。




ふぅと息を吐いて岩の上にバスケットを乗せて十歩ほど岩から離れると、後ろで結んでいた髪を解いて下ろす。
音もなく彼女の固定されていた栗色の長髪が地面に引かれて落ちていく。
髪の毛をストレートに戻すと、メディアンは懐から取り出した木製の櫛で梳きはじめた。



抵抗なく櫛が髪の毛の間を流れていく。
先端までサラサラと流れ落ちていく毛は見ているだけで一本一本が柔らかく、艶があるのが判る。
イデアが物珍しそうに彼女を眺めていると、それに気がついた地竜は苦笑しながら言った。





「珍しいかい? ちょっと頭皮が痛くなってきたからさ、少しだけ見苦しい光景を見せてしまうね」





すぐに元に戻すからさと続ける彼女にイデアは間髪いれずに言う。




「いや、俺はそんなことは気にしないよ……頭が痛いんだったら、何なら今日はずっとその髪型でいたらどうだ?」




「あたしはあんまりこういうのは似合わないよ」




乾いた笑いを浮かべて彼女がまた髪の毛を先ほどの様に後ろで固定するべく手を動かし始める。
紐を巧みに扱って手馴れた感じで髪の毛を弄ろうとした彼女に息子の視線が突き刺さる。
何だと手を止めてソルトを見たメディアンに無言の抗議が送り届けられた。




真実、その瞬間彼女と少年は目だけで会話をしたのだ。
イデアでさえも気がつかない、一瞬を更に十分割した程の刹那の会話。





一瞬、メディアンは固まるが直ぐに髪を弄ろうとしていた手を降ろす。






「………………まぁ、今日ぐらいは…………気分転換するのも悪くないかな」






不承不承に何とか言葉を腹から搾り出した地竜は息を吐くと、紐を懐にしまう。
体が先ほどよりも少しだけ、不自然に熱かった。彼女の竜としての尖耳が僅かにだが、上下にピクピク、犬の尻尾の様に動いた。





いきなり彼女が意見を変えた事にイデアは頭を傾げるが
すぐに気を取り直して果物を手に取り、それをかつてアルにやってあげたのと同じ様に極小規模の【エイルカリバー】で切り分けて小皿の上に乗せていく。
まぁ、とりあえずいいか。イデアは内心肩を竦める。




切り分けたリンゴを一つ、口の中に放り込む。適度な硬さがあり、甘みも利いていて美味い。
アクレイアで食べたアレよりも数段に美味しい。
やはり地竜が作ったというだけあって、何処をどうすれば作物が美味くなり、なおかつ豊作になるのか彼女は判りきっている。




チラリとイデアがメディアンを盗み見て考える。髪を下ろすとかなり印象が変わるな、と。
何処となくエイナールを感じさせる気配を今の彼女は纏っている。結婚前の母としての貫禄が出てくる以前の彼女に何故かそっくりだと思った。
うん? 首を傾げる。メディアンはもう母親だというのに、何故結婚前のエイナールを想起したのだろうか。
普通なら、子を産んだ後のエイナールと同一視してもおかしくないというのに。





リンゴをもう一つ口に含み、咀嚼する。甘みを楽しみながらイデアは少しだけ考えた。
ソルトは欲しいものが確かにあると言った、ならばそれは何なのだろうかと。
きっと、自分ではどう足掻いても彼に渡すことは出来ないもの、という所までは予想できるが。





結局幾ら考えても自分では答えは出そうにない事をイデアは察すると、二人で並んで座って談笑を始める親子を眺め続けていた。





まぁ、たまにはこんな風に骨休みを挟むのは悪くないと彼は思った。








あとがき





やはり今回の章は難産だとつくづく思ってます。
当初の筋道からは大分離れたとしても、それは道が違うだけで、行き着く結末は一つと決めているのですが、中々そこまでいかせるのが難しいです。
今回の章をしっかりしないと、後の展開やキャラの行動にちょっとした違和感が産まれたりするかもしれないので、じっくり書いていきます。





それはそうと覚醒のDLC第二弾が始まりましたね。
速く絶望の未来編をプレイしたいです。
どうぶつの森といい、ルイージマンション、スマブラ、そして新ハードといい今年の任天堂は本気過ぎる。






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