「殿」の北、サカ草原との境界線間近には、広大な荒野が広がっている。
大地は岩盤のような硬い土に覆われ、若草の1本も生えておらず、そして荒野の地平線には更なる遥かな地平線まで連なる山脈が延々と続いていく。
雲ひとつなく、大きな太陽が日光を地上に降り注がせる快晴の空には無数の小型(それでも人間よりも大きい)の影――トカゲに翼を生やして大きくしたような生き物、飛竜が奇怪な鳴き声を上げて飛び交っている。
そんな荒涼という言葉を明確に表した地に3つの人影があった。
「今日は、お前達に竜の姿に戻る術を教授する」
3人の人影で最も大きな影――ナーガが一切の無駄を廃した声で残りの二人に、ここに連れてきた理由を告げる。
一週間に渡る教育でイドゥンとイデアが文字を完全に覚えたと判断したナーガは自身の子らに次に必要な事を教えようとしていた。
と、まだ歩くのが苦手で、補助の杖を突いて歩行しているイデアがおもむろに杖を持っていない方の手を上げた。
少しだけ顔が青白いのが見て取れる。
そして天を指差してこの一週間で大分饒舌になった発音で言った。
「空が、うるさい」
言われ、ナーガは空を仰ぎ見る。
30ほどの飛竜が遥か天空でけたたましく鳴き喚きながら、互いに激しくぶつかり合っている。
そう言えば、今の季節は飛竜の繁殖期だったなと思い出す。
恐らくは、メスを取り合ってでもいるのだろうとナーガは結論づけた。
なるほど、自分はともかく、これでは子供が怯えるのも無理はない。
自分達を襲うことなどありえないが、確かに子供が怖がる要因としては及第点を超えている。
見れば先ほどから一言も発さないイドゥンはイデアのマントの内側にすっぽりと隠れて、胸の辺りに手を回して、服に皺が出来るほど強く握り締めていた。
ぶるぶると震えながら、尖った耳は何も聞きたくないとばかりに折れて耳の穴を塞いでいる。
時々、こちらをチラチラとイデアの背中から盗み見ているのが見て取れた。
(全く…)
内心、多少、イラつきながらもそれを表には決して出さず、練習の邪魔になるであろう上空の飛竜の群れに対処する。
天の飛竜の群れに向けて、片手を上げる。懐の竜の力を封じた黄金の石が淡い輝きを放ち、同時に掲げる手に力が収束していく。
ほんの数秒で眼を覆いたくなる程の眩い光を放つ、「矢」がナーガの手に出来ていた。そして――――
【ライトニング】
放たれたのは、最下級の魔法。まだ魔道を学んで間もない見習いが最初に高確率で習うであろう、いわゆる初心者向けの魔道のひとつ。
精々が人1人をようやく殺傷する程度の、数ある魔道の術の中でも最も威力も効果も低い部類の術。
間違ってもこの術ではベルン地方に生息する獰猛な飛竜には太刀打ちなど出来はしない。
そう、ただ今回は術者が異常なだけだった。
無限と言っても差し支えのない程の莫大な魔力の源であるエーギルを持つ、ナーガの掌から放たれた一本の光で形作られた「矢」は発射と同時に、遥か上空を飛ぶ飛竜の群れの真ん中の空間を貫いていた。
次いで音が遅れて付いていく。「矢」はそのまま光の粉を撒き散らしながら、更なる高み、上空へと消えていく。
飛竜達が甲高い、耳障りな雄たけびを撒き散らしながら、大空をバサバサと翼を忙しなく動かして、自らの群れに攻撃した者をその強靭な爪で排除するため攻撃態勢を取り、急降下するが…。
だが…。
気付いた。
自分達が何に攻撃しようとしているのか。
飛竜は余り知能こそ高くないが、その野生の獣としての本能は他のどの動物よりも優れていた。
故に後一歩で踏みとどまる事が出来た。
降下の体勢を崩して翼を大きく広げ、先ほどよりも高速で羽ばたき、その場に滞空する。他の飛竜も次々と同じように滞空を始める。
『グギイイイイイイイイィィィイィィィイぃっっ!!!!』
一声、悔しそうに高く鳴くとそのまま巣のある山脈の方向へと飛び去っていく。
「これで邪魔な外野は消えた」
つまらなそうにその光景を眺めていたナーガが二人に視線を戻す。
「いまのは…?」
イデアが眼を瞬かせながら、呆然とした様子で問いかける。
その眼に浮かぶのは初めてみた力に対する、恐怖と好奇心だ。
「簡単な術の一つだ、修練すればお前達もすぐに扱えるようになる。それと、そろそろ出て来い、イドゥン」
「……」
呼ばれたイドゥンがひょいっとイデアの胸の後ろから顔を出す。しかし今だに耳は畳まれ、その眼には恐怖が残っていた。
「もう飛竜共はいないぞ」
「……」
彼女は周りに忙しなく視線を走らせると、ゆっくりとマントの内側から出てきた。
片手はしっかりとイデアのローブの裾を握ったままだったが。
「本当に、もう、いない…?」
「ああ」
父が軽く頷くと、イドゥンもイデアの裾を握っていた手も離す。そして、へたれていた耳が少しだけ上昇し、定位置に戻った。
「さて」
ナーガが仕切りなおすかのように咳払いをしながら言う。
「今日はお前達に竜の姿に戻る術を教授する」
パチパチとイデアが無機質な拍手を送り、イドゥンは言われたことの意味が分からず「?」マークを浮かばせ、首を左にかしげた。
片方があまり理解していない事に気付いたナーガが噛み砕いて言った。
「石は持ってきているだろうな?」
「「うん」」
姉弟が揃い合わせたように似た声で返答し、寸分の狂いなく、それが当然のように全く同じタイミングで、同じ場所にしまっていた同じ形、同じ黄金色の石を同じ動きで取り出した。
「おぉ……」
今の動きに気付いたイデアが、奇跡的なシンクロ率を達成した動作に思わず感嘆の声を上げる。
ナーガとイドゥンは特に気にも留めてはいないようだ。そしてナーガが手招き。
「イドゥン、こちらへ来い」
呼ばれたイドゥンがとととっと小走りでナーガの元に向かう。
そして辿りつくとじいっと彼の顔を次の指示を求めるように見つめる。
「石に意識を集中させろ」
言われた通り彼女は眼を瞑り、息を整え、肩を少しだけ上下に揺らしながら、意識を一点に集中させる。
即ち、自らの力の大本、【竜石】へと。同時にナーガがイデアに向けて一言。
「お前も眼を閉じた方がいいぞ」
何だろうと? と、思いながらも言われたとおりに眼をぎゅっと瞑る。
イデアがその言葉の意味を知るのと、変化は同時に訪れた。何故ならば【竜石】が網膜を焼かんばかりの暴力的な輝きを上げたからだ。
そしてイドゥンを中心に巻き起こる暴風嵐。
更に強く石が光を放ち。瞼をきつく閉じていても尚、イデアの視界が白と黄金に染まる。
「もう、開けても構わんぞ」
風が流れる音が響く荒野にナーガの声が耳に届いた。
イデアが眼を恐る恐る開くと――――
幼い【竜】がそこにはいた。
(改めて見ると、凄いな……)
イデアが内心、驚嘆する。
以前、「殿」の薄暗い祭壇で人の姿になる前に見て以来、この姿は見ていなかったが、やはり何か圧倒されるものがある。
(あぁ……俺も、こいつと同じなんだよな……)
以前は自分も同サイズだったからその大きさと威容はあまり実感できなかったが、こうして人の姿で見ると、自分を襲わないと分かっていても、正直、怖いとイデアは思った。
本来の「イデア」なら何とも思わなかっただろうが、ここにいる「イデア」の中身は自分で、自分は元々人間なのだ、本物の竜に人間の心が恐怖を抱かないはずがない。
ぎょろり、と【竜】――――本来の姿に戻ったイドゥンが大きな眼を動かし、イデアを遥か高みの頭から眺める。
――見つめられている
そう感覚で感じたイデアの鼓動が早くなる。口の中がカラカラに乾き、背中にはびっしょりと汗が吹き出ている。脚がガタガタと震え、すくんで動けなくなる。
がくりとその場にたまらず膝をつく。
息が更に苦しくなり、意識が遠のき、「落ちる」寸前に
「おい」
ナーガの声に引き戻された。
世界が元に戻る、
何時の間にかすぐ近くまで移動してきて、自分を覗き込んでいるナーガの表情には幾らか自分を心配している様な感じがした。
「ナ、ァ…ガ……?」
「それ以外の誰に見える?」
暫くの沈黙。
「耳長おじさん」
イデアの顔面の直ぐ横に【ライトニング】が先ほどとは違い、貯め時間なしで放たれた。少量の火薬が爆発したような音がイデアの耳を、そしてその奥を揺るがす。
「~~~~~~~~~~~~~~!!っ」
「問題はないようだな」
辺りの荒地を耳を握り締めるように押さえて、転げまわるイデアを能面のような顔で眺め、言う。
と、おもむろにずしんずしんと、一歩歩くたびに軽く近場の地面を揺らしながら、イドゥンがイデアに徐々に近づいていく。
イデアは、、、、、気がつけない。
ぴたりと、地を転げまわるイデアの回転が止まった。
答えは簡単「上から大きな力を加えられて、押さえつけられたから」だ。
では、その大きな力を加えているのは?
これも答えは簡単。今、この場にそんな大きな力をイデアに加えられるのは二人しかいない。
ナーガとイドゥンである。
そしてこの場で最も大きな力を持つナーガは何もしてはいない、只、人形のような無機質な【表情】を貼りつけてイデアを眺めるだけだ。
消去法で残りは1人(体)になる。
そう、【竜】の姿に戻ったイドゥンだ。
何かの遊びと勘違いしたのだろう、イデアをその巨大な前足でがっちりと押さえ込む。
更にそのまま地面にこすりつけるように転がす。
「~~~~~~~~~~!!!!!」
「~~~~~~~~~~♪」
何やら弟が悲鳴のようなものを上げているが、楽しんでいるからだろうとまだまだ幼い彼女の心は結論する。
結局ナーガがイドゥンを叱り、止めに入ったのはきっちり1分後であった。
「口は時として災いの元となる。よく刻んでおけ」
「で、も、これ、は……やり、す…」
衣服や髪が散々姉に弄られてボロボロのイデアが倒れ付して、抗議の声を、目の前に立っている自称父に、息も絶え絶えに上げた。
それをみたナーガが小さくため息を吐く。何時の間にやらイデアが手にしていた杖は何処かに行っていた。
「全く、情けない…」
「むちゃ、いう、なぁ…」
とりあえずイデアの中ではナーガは冗談が通じない奴、と永久に確定した。
その冗談の通じない男、ナーガがゆっくりと膝をついてズタボロのイデアに右手をかざす。
【リカバー】
先ほどの【ライトニング】とは違い、今度は暖かい癒しの力がイデアに照射される。
破壊の魔道ほどの派手さはないが、それでも効果は劇的だった。擦り剥いた傷は瞬時に跡形もなく消えうせ、破れた服や土や埃のついた髪も時間を巻き戻したように綺麗に復元していく。
ほんの数秒程でイデアの全身は汚れや傷が一つもなくなっていた。
「これ、は…?」
先ほどまで頭の奥でキンキンしていた喧しい音も消え失せたイデアがナーガの手を借りて、立ち上がり自分の手や足を動かしながら問う。
「これも魔道の術の一つだ」
「おれも、使える、ように……?」
イデアの問いにナーガは頷いた。
「当然だ。術の使い方などは近いうちに教える」
イデアの眼が輝いた、そこにあるのは純粋な不可思議な術に対する憧れと好奇心、そして自分も使えるという興奮。
ナーガがイドゥンの方を向く。
そこには金色の竜が犬のお座りのような体勢でイデアを見つめていた。
見ればその瞳が揺ら揺らとゆれていた。
ナーガが【竜】に呼びかける。
「人の姿になりたい時は、強く願え」
言葉に従い【竜】が眼を瞑った。
【竜】の全身から溢れた光が一点に集中する。そして光が徐々に個体に変わっていく。
光で出来た個体が大きくなるに連れて【竜】のシルエットがどんどん小さくなっていった。
あっという間に【竜】は幼い少女、イドゥンへとその身を変えていく。
イドゥンが体の調子を確かめるように手や足を動かす。そして黄金色の石をローブの内側にしまうと、少しだけふらふらしながらイデアの元へと歩いていく。
弟の前に到達したイドゥンは
「ごめんなさい」
謝った。
「え?」
イデアが間抜けな声を上げる。
イドゥンは続ける。
「いたい、こと、して、ごめん、な、さい……」
言葉が途切れ途切れなのは、舌が動かないだけではない。声に嗚咽が混じっているからだ。
「ご、めん、な、さい、……」
何時の間にか、言葉は意味を成さなくなり、泣き声だけが出てくる。
イデアが困り果て、視線でナーガに助けを求めるがナーガはより困った顔で肩を小さく竦める
思わず、あんた俺はともかく、この子の親だろうが!という言葉が口から出そうになるが、後が怖いので飲み込む。
慎重に一つ、一つ、言葉を選んで目の前の「姉」に語りかける。なるべくその心を傷つけないように。
「だいじょうぶ、もう、なおったから」
こんな時にも上手く廻らない自分の舌と脳味噌に軽い殺意を覚えながらもイデアは必死に続ける。
「おこってないよ」
沈黙が荒野におちる。
ナーガは姉弟のやり取りに我関せずを決めたのか腕を組んで、二人のやり取りを黙ってみていた。
イドゥンがまるで何かに怯えるかのように歯をカチカチと鳴らしながら、上目でイデアを見つつ、慎重に、びくびくと震えながら、問う。
「ほんとう、に……? きらい、に、ならな、い……?」
「うん」
大きくイデアが頷くと、彼の「姉」はイデアのローブをがっちりと掴んで、声を大にしてわんわん泣き出した。
「え? なん、で……?」
予想外の「姉」の反応に思わずイデアは疑問の声を出し、首を傾げた。
中身の精神年齢が高いイデアには幼子の思考回路を理解できる筈が無かった。
「今日は帰るぞ」
ようやくイドゥンが泣き止んだのを見計らってナーガはそう言った。
「おれの、れん、しゅう、は?」
イデアがナーガに問うが、ナーガはイデアの膝を見て返答した。
「出来る状況か?」
イデアが地に座り伏した自身の膝を見る。
「~~~~~~~~~~~~~~~」
そこには「姉」が安らかな寝息を立てて自分の膝を枕代わりに眠りについていた。あの後10分間ほど泣いていたイドゥンだったが、ひとしきり泣き終えると
電源が切れたように眠ってしまったのだ。
土の上に寝かせる訳にもいかず、担ぐには少々イデアには重かったので現在に至る。
やはり帰ってベッドで寝かせるのが一番だとナーガは判断したのだろうとイデアは考えた。
ナーガが純白のマントを翻す。
「お前の練習は後日とする」
短く、極限まで無駄を廃し、用件だけ伝えると転移の術を起動させようとする。
だが、その前にイデアがイドゥンの柔らかい柴銀色髪を指で弄りながら、一声発した。
「ねえ、ナーガ、一つ聞いて、いい?」
「何だ?」
妙に冷静なその声音に多少の疑問をいだく。
荒野を一陣の風が吹いた。ナーガのマントがばさり、と風に揺られる。
風が止んだのを好機と見て、イデアが口を開き、この世界に来て、この世界をほんの少しだけ知ってから最も気になっていた小さな疑問の解を得るべく尋ねた。
「なんで、竜、は人の姿を、とるの?」
ナーガの全ての動きがほんの一瞬だけ、凍った。
だが、1秒後には何事も無かったかのように活動を再開し、逆に質問を返す。
「何故、そのような事を…?」
探るような、そして鋭い目つきで、自身の子を睨むように視る。
問われたイデアの返答は早かった。
「とくに、理由、はないけど、強いていうなら、好奇心、かな」
「そうか……」
ナーガがイデアに背を向ける。
そして続ける。
「一言などではとても説明しきれないが、強いていうならば、そう、竜が本来の姿で人と共に暮らすには……」
次にナーガが言った言葉は中身が人間であるイデアには十分理解できる事であった。
「このエレブは些か……狭すぎる」
その声の奥深くにどこか絶望に近いものがあるのをイデアは感じ取った。
次の瞬間、一瞬だけ荒野が転移の術の影響で輝くと、3人は消えていた。
あとがき
久しぶりです、皆様。更新が遅れてしまい本当に申し訳ありません。
何度も何度も書いたり消したりしている内に10日もかかってしまいました。
中々プロット通りに話が進みません……orz
以前も言いましたが、小説を書くのは本当に難しい事ですね。
ギャグセンスやネタ、ノリの良さは欠片もないSSですが、暇つぶしがてらにも読んでくださると嬉しいです。
ちなみに竜化の練習に使われた荒野のイメージは、覇者の剣でエトルリアとベルンの決戦があったあの荒野でお願いします。
追伸 家の者で自分以外全員がA型インフルエンザを発症しているのですが、どう対処すればいいでしょうか?