これは、果たして“見ている”と言っていいのだろうか?
いや、そもそもこれは本当に現実に起こっている光景なのだろうか?
それとも、イドゥンが居ないことに耐え切れなくなった自分の精神が見せている身の毛もよだつ幻影?
自分は自分でも気が付かない内にそこまでおかしくなってしまったのか?
全く持ってイデアには意味が判らない。ありえない光景としか言いようが無い。
いつ見てもかつて『空があった』場所にある、ありとあらゆる色を混ぜたような淀んだ色彩を描く今の空を見ると、本当にこれが現実なのだろうか? と、疑いたくなる。
夜空が甲高い、ガラスの砕けるような耳障りな音と共に“砕け散り”エレブの秩序が崩壊した日から既に“数日経ったと思われる”
あの真っ赤な満月の夜を境に世界の全ては大きく変わった。それも悪い方向に、誰もが望まない方向に変わったのだ。
たった数日で世界は壊れた。それも眼に見える形ではっきりと。
まず、季節が無茶苦茶になった。
冬と夏が無茶苦茶に数時間単位でランダムに入れ替わり、岩さえも焦げ付く地獄の如き熱さから、一気にイリアの冬の如き刺す様な寒さが幾たびも襲ってくる。
もしもイデアが竜でなければ余りの変化の激しさに付いて行けず、倒れてしまっていただろう。
そして次に狂ったのは昼と夜だ。
太陽と月が同時に空に昇り、昼と夜の領域をまるで戦争でもしているかのように広めあい、互いが互いの領域を侵食し続けている。
そして夜でも昼でもない隙間の空間には無限に色を混ぜたような、狂った色彩が埋め尽くしていた。
その結果、今が昼か夜かの区別さえも付かなくなってしまった。それどころか、今がいつなのかさえも判り辛い。
何日たったのかさえも正確にはわからない。それにこの淀んだ色彩の空は見ているだけで引き込まれ、魂まで囚われるような、そんな危険な魅力を放っている。
そして変化は竜族にさえ訪れた。世界が壊れたあの日から、多くの竜族が体調不良を訴え出したのだ。
主な症状は重度の倦怠感と脱力感。命に別状はないとは言え、里に存在する大多数の竜がそんな症状に悩まされている。
イデアは特にそんな症状に悩まされることなどなかったが。
だが、フレイ曰く『イデア様がいれば特に問題はない。神竜は存在するだけで全ての竜に絶対的な加護を与える竜の世界を生み出す』だそうな。
以前、同じような言葉をイデアはエイナールの口から聞いたことがある。事実、この言葉の通りイデアは自分の力が『里』はおろか、ミスルの全域を覆っていくのを感じている。
イデアを中心に彼の神竜としての力が絶えず流出し続けている。全ての竜を育み、守護する世界がイデアより流れ出ているのだ。
侵食、という言葉では生ぬるい。そう、書き換え、上書きと言っても差し支えは無いだろう。
イデアの力はあの夜を境にたった数日で更に強大になっていた。まるで世界が壊れれば壊れるほどその力を大きくしていくかのように。
幼い神竜の胸の内にある“太陽”は日ごとにその爆発を大きくし、イデア自身でさえも時折恐怖を感じるほどの力を彼に提供し続けている。
つい先日までは到底不可能だろうと思っていたことも今ならば出来そうな気がした。そう、“大抵”のことなら。
しかし本当に残念だが、この大抵の中にはイドゥンを救うという事は含まれてはいない。
幾ら力が爆発的に、それこそクラス・チェンジ(覚醒)と言っても過言ではない程に膨れ上がっても、無理なものは無理なのだ。
それに今はやるべきことがある。イドゥンを探しに行くのはそれからだ。先ずは長としての責任を最低限果たさなければならない。
神竜としての彼の体と能力は竜族の危機を救うべく、異常なまでに活性化し進化と呼んでも過言ではない程に成長を続けているのだろうか?
イデアはこの身体を突き破る程の力の濁流が、いつか自分さえも滅ぼしそうな気さえもした。
これからはもっと『力』と上手く折り合いを付けて行かなければならない。力に使われるのはごめんだ。
まぁ、どちらにせよ、これは彼にとって好都合な変化だ。
そして最も大きなイデアにとっての変化、これが彼にとって最も重要な事だが──。
イデアはイドゥンの存在を余り感じ取れなくなった。今ではほんの小さな灯火程度の彼女の鼓動を聞くのが精一杯だ。
トクントクンと、一定のリズムで鼓動を刻む彼女の小さな心音と雀の涙程の彼女の『力』を認識するのが限界。彼女の持つ竜としての莫大な『力』と『存在』は
今はまるで何かの容器に密閉されたかのようにほとんど感じられない。
しかし、これはイデアにとって喜ばしいことでもあった。決して最善はないが、最悪でもない。
イドゥンは死んではいない。全くの無事ともいえないが、死んでいない。死んでいない。生きている。彼女は生きている。死んでいない。
イドゥンは生きている。
この事実はイデアの精神をこの狂った世界で安定させるのに大きな役割を果たしていた。
天が割れようと。昼と夜が入れ替わろうが、季節が無茶苦茶になっても
どんなに世界の法則がおかしくなっても、彼女が生きている。
それだけでイデアは正気で居られるのだ。
それに、このうざったい淀んだ色の空とも今日でお別れだ。
そろそろ普通の空が見たいし、一日に何度も季節が入れ替わるのも飽きてきた。
「本当に外の世界に感づかれはしないのか?」
里の中心にある巨大な竜を奉る殿──竜殿の頂上、山の如き高さの現在地から見えるのは規則正しく、まるで一種の芸術品の様に建物が並んでいる里の全景。
砂漠を駆け巡る猛烈な風をその身に受けながら、イデアが涼しげな顔で数歩後ろに控える老竜に問う。
イデアの後ろの控えるのはこの“秩序”の崩壊の詳細を知り、どうすればよいかイデアに教えた者である火竜フレイだ。
相変わらず彼は擦り切れた喉から、擦り切れた声を発する。
彼は神竜であるイデアの最も傍に居るため、秩序の崩壊による影響を全くと言っていいほど受けてはなかった。
いつも通り淡々と彼は言う。どこかナーガに近い口調で。
『ただ、世界をあるべき姿に戻すだけです。それに、外の者は今は、こんな辺境の地のことなど気に留めることなど出来ないでしょうしね』
異常気象という言葉が陳腐に思えるほどの天変地異。昼が夜に、夏が冬に、生が死に、人竜問わずありとあらゆる存在に影響を及ぼすこの大異変は
人間にも深刻な打撃を与えていることだろう。幾つもの大地震により都市は崩壊し、急激な環境の変化で食物は消えうせ、終末思想が跋扈しはじめてもおかしくはない。
里が大地震などに襲われていないのは、メディアンという存在が全力で大地に力を注ぎ込み、ありとあらゆる災害を押さえ込んでいるからなのだ。
が、イデアにはそんな事情は関係ないし、何よりあまり興味なかった。
彼が興味あるのは自身の力とイドゥンについて、それと少々ではあるが、里についてだけだ。
長になったからには責任は果たす。イドゥンの居場所を用意し、それを守る。
そして何よりあの恨めしいナーガから半ば無理やり引き継がされたとはいえ、自分でやると言ったからには最後までやり通す。
じゃないと、自分があのナーガに全ての意味で劣っているということになってしまう。
それに責任を自分の我侭で放り投げる男にイドゥンがどんな反応をするか……。
「そうか、ならいい。それと……」
紅と蒼。対の色を持った瞳がフレイを貫くように見つめる。
狂気と歓喜、そして自分への怒りが篭もった眼。
瞳孔が縦に割れ、人間のものではない残忍な眼が、焚き火の周りをうろつく捕食動物の様に爛々と光っている。
既に人化の術が解けかかっていると言われても納得できる程に竜に近づいた眼だ。
故に老竜は深く頭を下げ、彼に忠誠を表す。その先の言葉は判っていると言わんばかりに。
イデアが顔を空に戻し、淀んだ色の空を空虚な瞳で見つめた。本当に自分に出来るのだろうか?
幾ら自分の力が強くなっているといっても、本当に可能なのだろうか?
失敗したらどうなる? 俺は本当に神竜の力を使いこなせるのか?
そんな感情がグルグルと渦を巻き、イデアの中で恐怖という形をとり、失敗を囁く。
冷え切った、おぞましい感覚がイデアの内臓を音を立てて凍りつかせ、頭蓋骨の中身を残忍に噛みしめていく。
──お前は自分の家族さえも守れなかった。そんな男が世界を直せるのか?
うるさい。黙っていろ。
これからイデアがやろうとしている行為は簡単だ。一言で表せる。『修復』だ。
直すものも一言で言い表せる。『世界』だ。もっというならば、“秩序”である。
イデアが顔を顰めて頭を小さく振った。恐怖は何の意味も持たない。恐れていては何も出来ない。自分が今感じているのは恐れじゃない、緊張だ。
そう自分に言い聞かせると、直ぐに感情が楽になった。呼吸が平常に戻り、リラックスした状態で空だった空間を見ることが出来た。
中々に面白い光景だが、これで見納めだ。願わくば、もう二度と見たくない。
イデアがその人間の少年の形をした片手をかつては空であった空間に向けて翳した。どうすればいいかは既に“判っていた”
鳥が空の飛び方を知っているように。魚が泳ぎ方を知っているように。人間が呼吸の仕方を知っているように。
イデアは、神竜の力で何をどうすれば変えられるかを本能的に知っていたと言うだけ。ただ、それだけ。何も難しい事じゃない。
懐の竜石が小さく黄金色に輝き、イデアに本来の神竜として力の供給を開始。
ほんの数ヶ月前からは考えられない程の超大な量のエーギルがイデアという存在を満たしていく。
黄金の濁流。正にそう呼ぶに相応しい。黄金、黄金、他の雑多な色を寄せ付けない高貴な神の色。
堰を切られた濁流の様に、エーギルが爆発的に溢れ、零れ、そして生み出され、そして主であるイデアに仕えるのだ。
何だ、これは?
無尽蔵に湧き上がるエーギルにイデアが感じたのはやはり戸惑いだ。
頭でわかっていても、自分の中で膨れ上がる力を実感すると、やはり……。
が、直ぐにそんな考えは頭の隅に追いやる。
今はやるべき事がある。とても大事なことが……。そう、これはとても大事なことなんだ、と、自分にそう何度も言い聞かせ、無理やり納得し、誤魔化す。
……正直に言うと、こんな世界の事など捨て置き、直ぐにでもイドゥンを探しに行きたくて堪らない。
今の自分ならばアンナだろうがフレイだろうが、例え転移の術が使えなくても力技で突破し、必要とあらば行動不能にでもさせて『殿』に向けて飛び立てる。
そう、確信を抱けるほどの力だ。メディアン相手にはさすがに分が悪いだろうが。
今直ぐにでも暴走しそうなこの気持ちを落ち着かせ、多少は穏やかなモノにするのに、この秩序の修復という長としての仕事はいい口実になった。
そしてイデアは自分が人としてかつて生き、その過程で培われた理性などに深く感謝してもいた。
もしも自分に前世の記憶と意志と理性がなければ、きっと、長としての責務とイドゥンの居ない空虚さ
更にはどうしようもない憎悪にサンドイッチの具材の様に挟み込まれ、押し潰されていたかもしれない。
「ふふっ……」
不思議と自然に笑いがこみ上げる。口元が三日月の様に裂け、チリチリとした黄金色の火の粉が漏れ出る。
しかし何が面白いのか自分でも判らない。ただ単純に自分の力を行使するのが楽しいのかも知れないし
この大仕事をやり遂げた後にようやく、本当にようやく、彼女を探しにいけるのが嬉しいのだろうか。
数ヶ月前よりも明らかな程に巨大に、そして力強さを増した2対4枚の竜の翼を背に開放し
ギリっという軋む音がなるほどに強く腰に差した覇者の剣の柄を握り締め、力を行使。
更に竜殿全体が薄く発光し、イデアの力を何乗にも増幅。
そして。
心臓の鼓動の様な、力強い音が里中に響いた。
巨大な黄金色の“柱”が淀んだ天空に深々と突き刺さり、淀んだ世界に金色の光を放射。
まるで剣を人の臓腑に差し入れるかのように、歪んだ世界を神竜の力が貫いたのだ。
里を、そしてミスル半島を抱き込むほどに巨大な柱が天に昇った。
天の星さえも貫きそうな“柱”はしかし、一瞬の後に崩れ、その全体を億千万もの量の粉に変え、世界に向け風に乗って花の種子の様に流れていく。
神々しさと、禍々しさ、見る者に矛盾した感情を抱かせるソレは、現行世界を満たす淀んだ色彩の天と壊れれた世界
そしてソレが齎す全ての狂った法則をあるべき形に速やかに戻していく。昼は昼に夜は夜に、夏は夏、冬は冬に。
風に乗り、遥か上空を黄金の粉は飛んでいく。まるで気楽な旅でも楽しんでいるかのように。
最初は辺境のミスルから、次にエトルリア王国の南部、そして西方三島。カフチにリキア地方、遅れてイリア地方にベルン地方。
無数に、夢幻に、一つ一つの金の雪の粉が、染み渡り、新しい秩序を作り直す手伝いをしていく。
濁った虹色の空が徐々に青く染まり、月が地平線の彼方に没し、太陽が昇り、あの焼け付くような熱気がナバタを照らしつける。
世界が、元に戻っていく。夏は熱く。冬は寒い。昼は明るく。夜は寒い。そんな当然な世界に戻っていく。
竜殿の地下大神殿、玉座の間。絶えず水に満たされ、美しい蒼に染め上げられた玉座の間。部屋のありとあらゆる天井、壁、床が蒼く発光している空間。
その部屋の中心に置かれた黄金を基本に真紅で装飾された玉座。そこにイデアは腰掛け、肘掛に頬杖を付いて、報告を受けていた。
玉座の後ろには巨大な太陽をモチーフとした紋章が刻まれており、さながらイデアが太陽を背負っているかのような錯覚さえも抱かせる。
「現状の再確認をしたいんだけど?」
秩序の修復により一度力を使い果たし、回復のため眠りに付いていたイデアが眼を覚ますのに半日ほどの時間を有した。
目覚めたイデアが窓の外から見たのは沈んでいく太陽。いたって普通の光景。しかし、この数日の間は決して見れなかった当たり前の景色。
秩序の修復は問題なく終了したのだ。イデアにそう確信を抱かせるのには十分すぎた。
それからイデアは玉座の間に戻り、今に至る。一つでも多くの情報が欲しいし、何よりコレが終わった後にやるべき事がある。
イデアにとって秩序の修復などソレに比べればおまけのようなものだ。単に長としてやるべきことだから、淡々と行っただけ。
故にこの言葉は形式的なものに過ぎない。
一応は里があの秩序の崩壊で受けた損害や、世界の情勢などを知り、それに対しての対抗策を練らねばならない。
だが、まずその前に……。何よりも前に……。
「あたしが風の精霊達から聞いた話によると、やっぱり戦争はもう終結したらしいですね……勝利勢力は、人間です。
殿に攻め込んだ特に力の強い人間と武器によって、勝利を収めたと言っていました。あの“秩序”の崩壊はあたしの推測だけど
人間と竜族の強い力がぶつかりあった結果起こったものだと思う。かつてに始祖竜と神竜の戦いでも同じことは起こったみたいですし」
神々しい玉座の真正面、床に彫られた太陽の紋章のちょうど中心辺りで膝を折り
メディアンが報告を続けるのをイデアは何処か惚けた頭で聞いていた。
風の噂という言葉の通り、風の精霊というのはありとらゆる言葉を聴いている。
イデアには精霊の声を聞くことは出来ないが、メディアンはどうやら聴くことが出来るらしい。
本当に精霊というのは便利だ。かつてイドゥンは精霊は色々教えてくれるといっていたが、まさか世界情勢までも教えてくれるとは。
じぃっと玉座に深く腰掛け、頬杖を付き、もう片方の手の指を意味もなくスムーズな動きで閉じたり開いたりを繰り返す。
彼は思考を巡らす。
竜が負けた。そんな事はどうでもいい。どっちが勝とうが正直な話、興味は無い。イデアの究極的な興味はイドゥンに向けられている。
結局のところ、これは戦争であり、戦争という事は必ず勝者と敗者が生まれる。今回は竜が負けただけのこと。
いや、そもそも竜が負けることなどもしかしたら最初から決まっていたのかもしれない。
ナーガがあの『知識の溜まり場』を丸ごと転移させ、そこに収まっていた数々の禁断の知識を竜族からもぎ取った時に勝負は決まっていたのだろう。
ならば、それが原因で姉さんは魔竜にされたのか?
失った知識の溜まり場の力の変わりに、あの殿に残る竜族共は姉さんを利用したのか?
それとも姉さんは自分の意思で竜族のために戦ったのか?
イデアは内心肩を竦めた。とんでもない話だ。我ながら馬鹿馬鹿しい事この上ない。
あのイドゥンがそこまで好戦的な訳がない。
もしもあの姉さんが好戦的だったら、あのサカの地で自分たちを襲った飛竜の群れはナーガではなく
イドゥンによって吹き飛ばされていただろうし、ハノンさんでさえ危なかっただろう。
そんなイデアの思考をメディアンは言葉によって遮った。
「それと1つ気になる話があるんだけど……」
「言って」
では、と前置きしメディアンは続けた。心なしか、その声には何時もほどの覇気が感じられない。
やはり彼女も秩序の崩壊の影響を受けているのだろうか? それとも疲労?
コレはやはり……労いが必要か?
思えば彼女はここ数日かなりの無理をしていた。ソルトの世話と里の結界の内部の気候や大地の安定。
定期的に来る大規模な地震を彼女は何度も押さえ込み、その上で里の大地と、全ての植物に生命力を注ぎ続けていたのだ。
コレでは幾ら地竜といえど、疲れてもしょうがない。只でさえ動きづらい崩壊した秩序の中でソレを行った。
その疲労は想像を絶するものがあるだろう。
「精霊達の話によると、詳細は不明だけど、8つの大きな力と、ソレらを遥かに上回る1つの力を、その強い人間達が使う武器に感じたそうなんだ」
「8つの力と、1つの力……何だそれ?」
メディアンが頭を上げてイデアの顔を真正面から見据えた。
この豪快な地竜の顔には深い隈が刻まれており、どれほど彼女がこの里のために力を使ったが窺える。
が、肉体的な疲れが表に出ていても、彼女の眼に宿る強い意思は始めて出会った時から全く減衰などしておらず、むしろ逆に燃え滾っている。
この緊急時に頼れなくて、何が大人か。彼女の眼はそう言っていた。そして事実彼女は彼女の仕事を立派に果たしている。
素直にイデアは、メディアンを強い人(竜)だな、と思った。全く彼女の心はぶれていない。
今も彼女は里と息子のために全力で力を使っている。もしかすると、彼女のエーギルはこの強い精神から生み出されているのかもしれない。
「うーん……凄い抽象的になるんだけどねぇ、私が精霊を通して感じた“力”に対してのイメージは……
“烈火”“雷”“至光”深闇”“氷雪”“業火”“疾風”“武”……こんな所かな? で、あとの残り1つはどうも見えない」
「本当に凄い抽象的だね……というか、“武”って、どんなイメージなんだ?」
玉座に腰掛けたイデアががっくりと肩を落とした。確かに凄い抽象的だ。これでは全く判らない。
だがまぁ、一応は頭の片隅に保存しておこう。後々時間が出来た時にでもこの9つの力が何なのか調べてみるか、と思いながら。
イデアが玉座に座りなおし、声をはっきりと飛ばす。フレイに自信を持てといわれ、色々と思考錯誤した結果
たとえ張りぼてでも堂々としているのがいいと想い至った故の行動。故に彼はこの家臣とも言える竜に命じた。
奇しくも、その声はかつてのナーガのそれに近くなっている。本人はそんな事を知る由も無いが。
「メディアン。お前に命令する」
「はい」
砕けた口調から一転し、メディアンが深々と頭を下げ、主の次の言葉を待つ。
「休め。ゆっくり体と精神を休めて、力を回復させろ」
え? と、思わず顔を上げたメディアンが声をあげるまでもなく、イデアは懐から取り出した自らの竜石の表面をスススっと撫でて……。
「てぃっ」
パキ。そんな小さくて軽い音と共に表面の一部を砕き、剥ぎ取った。
粉末の様な金色の粉がサラサラと飛び散る。
「な、何をやってるのさ!?」
「何って……?」
メディアンが眼を白黒させる様子を何処か楽し気に眺めながらイデアはその剥ぎ取った竜石の欠片を手で弄ぶ。
そのまま玉座から立ち上がり、メディアンの眼と鼻の先まで近寄り、その手を優しく掴んだ。
そして広げさせた彼女の掌の中に、自分の竜石の欠片をそっと握らせた。
「これでも俺は神竜だし、この石の欠片は力の回復に役立つと思う。もう一度言う、ゆっくり休め」
「……はい」
暫くの間イデアの顔を穴が空くほど凝視していたメディアンであったが、唐突にふぅっと息を吐き
力を抜くともう一度深々と頭を下げる。まるで騎士が主に忠義を誓っているような格好だ。
自分はこの強大な地竜の上司足りえているのか? イデアは無条件で自分に惜しみない程の協力をしてくれるこの女性に対してそう思わずにはいられなかった。
いつか、彼女が自分に見切りを付けることもありえる。自分が余りにも長に相応しくないと思われてしまったら。
そんな時はどうすればいい?
それに対しての答えは既に判りきっていた。
もっと、強くなろう。誰もが認めるほどに。結局のところ、イデアの考えはいつも此処にたどり着く。
幾ら話し合えば判るだの、暴力はいけないだの、素晴らしい正論を並べても結局は力は全てに勝る。
只の無力な存在が何を叫ぼうが意味のないこと。きっと彼らは自分たちの意思に何か意味がある
行動によって何かが変わると思っているのだろうが、それは違う。かく言う自分もイドゥンと一緒に暮らしていた時は信じていたかもしれないが……。
世界と言うのは思ったよりも単純だ。大きな力同士が絶えず鬩ぎあい、脈動し続けているのが世界なのだ。
ただの無力な存在など、その力と力の間にただ“ある”だけに過ぎない。
今回は人と竜と言う2つの勢力に自分が挟まれていた。
このエレブというのは力で回っているという単純な事実をイデアはこの数ヶ月で嫌という程に理解し実感させられている。
イドゥンを助けにいけなかったのも力が無いからだし、ナーガが自分をほとんど裏切るような形で捨てたのも自分にそれだけの力がなかったからかもしれない。
もしもあの時の自分に、今の自分と同じ、もしくはそれ以上の力があったのならば……。
本当にくだらない“もしも”だが、自分はナーガと共に戦争で人間と戦っていたのかもしれない。
そして人を滅ぼした後に、自分たちに敵対する愚かな竜の反逆者共を一柱残らず狩っていたのかもしれない。
そしてその後は──。
やめよう馬鹿馬鹿しい。
本当にくだらない“もしも”だが、時々イデアはそう考えてしまうことがある。この頃は特に。
メディアンが恭しく退室していくの見計らって、イデアはパンパンと手を小さく叩き合わせた。
『はい。長。なんでございましょうか?』
瞬時にイデアの眼前に魔法陣が展開され、一人の老人、フレイが転移してくる。
彼はイデアに膝を折り、頭を垂れ、用件をいつもの表現できない声で聞いてくる。
「数日経った後、俺は一度殿に戻る。竜族の生き残りが居るかもしれない」
『アンナを護衛としてどうぞ。彼女は転移が使えます』
フレイの返答が意外だったのか、イデアは思わず呆然、そうとしかいえない表情をしてフレイを見てしまった。
そんなイデアの表情が面白かったのか、フレイはニヤリと口角を上げた。
『はて? どうかしましたか? イデア様』
「止めないのか? 俺が殿に戻るのを」
えぇ。老火竜はそう返事をし小さく頷いた。
『生存者を探すのも大事ですが……これ以上イデア様を殿に行かせなかったら、貴方は狂ってしまいそうだ。
ただし、何を見ても大丈夫な様に覚悟をしといて下さいね』
く、はははははは。イデアは思わず笑わずには居られなかった。あぁ、そうだ。彼は知らないのだ。
イドゥンが確かに生きている事を。この男とイドゥンはあった事もないし、彼女のエーギルの波動を感じることも出来ない。
「大丈夫さ、もうそこまで弱くないよ」
イデアはぐっと掌を握り締め、その手に確かな力を感じながら答えるのであった。
あとがき
皆様お久しぶりです。
新作のFEは人竜戦役編をゲーム化してくれないかぁ……
。
でも、下手するとSSが根本的に崩壊するしなぁ、とかこの頃思っているマスクです。
それにしても、急がしてくSSをかけなくて、久しぶりに執筆したら感覚を忘れていて凄く焦りましたww
では、皆様次回の更新にてお会いしましょう。