エレブが燃えていた。何処とも知れない荒野の様な場所で激しい戦いが起きていたのだ。
大地は血の川で塗りつぶされ、天には竜族の作ったモルフ・ワイバーンの軍団が残忍な咆哮と共に飛び交い、
偉大なる竜に楯突いた愚か者を葬ろうとその金色の眼で“獲物”の品定めをしている。
そんな光景をイデアは誰かの眼を通して“見て”いた。恐ろしい戦争の光景を。
この世界の全てが自分を殺そうとしているのだと思い知らされる胃の捻れそうな重圧と共に。
薄く濁った雲で覆われた空には純黒のカーテンを掛けたように、無数の飛竜の姿をモチーフに創られた生命体であるモルフ・ワイバーンの群れが何千と飛び交う。
ソレらはギャーギャーと背筋が凍るような野蛮で戦意を削り取る鳴き声をあげつつ、
地上に敷かれた何万という完全武装した人間で編み上げられた絨毯に向けてその口を開き
ブレスの一斉射撃という名前の火の豪雨を降らせる。その直後に無数の絶望と後悔が入り混じった悲鳴が戦場に轟き、人々は逃げ惑う。
超高度からのブレスの一斉射撃を防ぐ術など彼らにはないからだ。ひたすら逃げ惑うのみ。
共に訓練し、共に笑い合い、共に食事を取った仲間さえも見捨てて、人間達は我先と言わんばかりに必死な形相で逃げ回る。
そして無慈悲に着弾。世にも恐ろしい悲鳴が上がった。断末魔の悲鳴が。
何万という炎の雫は人間の編隊をズタズタに焼き尽くす。第二射、第三射とそれに続き、合計1万を超える炎の固まりが無茶苦茶に炸裂し、地響きと共に爆音を響かせる。
大地はあっという間に火の海に変えられた。人間の油を原料に燃え盛る海だ。人間の肉と油、そしてその絶望を糧にどこまでも広がる地獄。
着弾と同時に何百という人間は火達磨になったり、バラバラになったり、あるい業火の余りの熱量によって地面に影だけを残して着込んでいる鎧ごと蒸発していく。
しかし一発で即死できたものは運がいいといえる。意識を保ったまま炎に焼かれたり、煙に覆い隠され呼吸を阻害されて窒息するよりはマシな死に方といえる。
まぁ、即死したものは原型どころか、肉片の一つも残らないだろうが。
これは戦争、というよりは一方的な虐殺としかいえない光景だ。
遠くからこの光景を見れば神秘的で美しいと思えるかも知れない。叙事詩的な戦いであると判断を下す者もこの光景を見たならば、少なからず居るだろう。
だが、この戦いに実際に参加している者にとっては、コレはパニックと混乱でしかない。
そしてそういう事に考えを向け、注意を逸らしたた者から順に炎の洗礼を受け、このエレブより骨一つ残さず焼けて消えていく。
何だこれは?
一体何が起きている?
戦争? これが戦争?
こんなことが実際に起きているのか?
イデアは訳がわからなかった。何故自分がここにいるのかさえも判らないし、自分が今は“何”なのかさえも判らない。
今のイデアは自分が神竜なのか、人間なのか、モルフなのかさえもわからない。いや、イデアはその全てであった。
この夢の中ではイデアは殺される人間でもあったし、殺害者であるモルフでもあった。
殺される人間の絶望と、殺すワイバーンの殺意。その二つをイデアは確かに自分の物として感じていた。
正反対のこの感情はイデアの中で混ざり合い、彼の心を困惑という感情で満たしていく。
今のイデアは均衡を失った天秤であった。左右の皿に乗った絶望と殺意で無茶苦茶に揺れ動く天秤。
これは悪夢である。酷く恐ろしい夢。しかし現実に起きている悪夢だ。
今このエレブに住む全ての人間が味わっている絶望でもある。そしてイデアの悪夢である。
そして竜族は総崩れになり、撤退する人間の軍を見て一つの判断を下した。
より人間に打撃を与え、その戦意を粉々にするために彼らは彼らの切り札を投入することにしたのだ。
荒野の奥底から現れたのは“竜”であった。
背から紅蓮の翼を放ち、その一歩で大地を揺らしながら堂々と征く火竜。その体躯はまるで小さな山の様にも見える。
鱗と敵意で構築された頑強な砦が炎を吹き出しながら、歩いているようにも見えるだろう。
しかしその体は普通の竜よりは2回り程度小さいし、少なくともイデアが感じられる力もそこまで大きくはない。
今のイデアでも竜の姿に戻れば難なく勝てるという確信があった。
それでも人間からしてみればかなり危険な存在であることに変わりはないだろうが、何百という人間が結束し挑めば勝てるだろう。
そしてイデアは、何故かこの“竜”に奇妙な親近感が自分の中で湧き上がっていることに気が付いた。
とても……言葉では表せないが、自分に近い存在の様な感じがする。
しかし、その“竜”を見た人間達は更に恐怖した。
鎧兜に包まれた彼らの顔が想像を絶する恐怖によってクシャクシャに歪んだのをイデアは確かに“見た”
何故か? 何故人間は恐怖したのか?
問題はその竜の大きさでも、全身に纏った炎の渦で作られた地獄の鎧でもない。
人々が恐怖した理由はもっと別にあった。
その数だ。
知ってのとおり、竜はその数が少ない。人間に比べれば彼らはあまり生殖などを行わない。
故に子の数も少ないし、必然的に大人の数もあまり多くない。ただでさえ、ナーガが率いていた勢力は根こそぎ戦争から撤退したのだ。
今、人間と戦っている竜の数はかつての全体の3割か4割程度。
だが、今人間の眼の前に現れた“竜”は違った。彼らは……違うのだ。
何十、何百という、途方も無い数の“竜”の群れが、アリの群れがうじゃうじゃと地面を埋め尽くす様に地を埋め尽くし、行進していたのだ。自分たちに向かって。
そのガラスを直接植え込んだような“竜”の眼は、まるで肉食の昆虫のように冷たく、恐ろしい。
何も映さず、何も反射しない眼。ただ眼の前で無様な叫び声を上げて逃げ惑う“障害”を事務的に排除することしか知らない眼だ。
少なくともこの“竜”にはまともな思考能力はないということがイデアには見て取れた。知性の無い眼。人形のような無感動な眼。
が、問題はそれよりも……そんなことよりも。
どこかで、見たことある……。どこかで、自分はコレに近い物をみたことがある。
“竜”を見たイデアの中にあったのは恐怖でもなければ、混乱でもなかった。
疑問だ。イデアは疑問を抱いていた。こんなワラワラと出てくる“竜”をイデアは知らなかったが、彼は直感的にこう思っていた。
この“竜”は自分の部下である、と。もし、この場所に本当に自分が居れば、自分はこの“竜”を支配することが出来る。
そう、感じ取っていた。根拠などない。ただ、事実はそうだろうな、と瞬時に思った。
“竜”の吐き散らすブレスは噴火した山から噴出すマグマの様に鮮やかで、残忍な色彩を荒野に撒き散らし、人の命を溶かしていく。
あぁ、人間はああいいう風にも死ねるのか。煉獄の炎で焼き殺される恐怖を確かに胸の内に注がれながらも、イデアは冷静にこの惨状を観察していた。
顔も知らない。名前も知らない。どんな信念を持っていて、どんな人生を歩んできたかも知らない赤の他人がどんな殺され方で、何人死のうが、イデアには関係ないことだから。
大事なのはこの焼き殺されている存在はイドゥンではない。
それだけだ。それしかない。イデアにとって重要なのはそれなのだ。
正直、イデアの興味は逃げ惑う人間には全く注がれていなかった。
イデアが興味を持っていたのは、殺害者である“竜”だった。
イデアは“竜”に意識を集中させる。その存在を探るために。この訳の判らない存在が何であるかを知りたかったから。
知的好奇心豊かな学者が興味深い古代の書物を読み漁る様にイデアは“竜”の存在を読み漁った。
この“竜”は全くの抵抗もなくイデアの意思を受け入れた。
最初からこの巨大火トカゲには抵抗の意思などなかったが、それでも恐ろしいまでにイデアと“馴染んだ”
まるで最初からこの身は全てイデアの所有物であると言わんばかりに彼を受け入れたのだ。
“竜”の視界はイデアの視界となり、その巨体から撒き散らす炎は彼の意思になり、その全てをイデアの前に差し出す。
そして、この“竜”の根源にあったのは──。
覚醒。やけに生暖かい空気が自分の身体を包み込んでいるのがイデアには判った。
やけにかったるい。肩が重く、喉はカラカラで、今の気分はお世辞にもいいとは言えない。
とりあえず何か硬いものに突っ伏していた頭を持ち上げ、軽くブンブンと左右に振る。
それだけで頭の中を満たしていた眠気は大分減少した。しかし、それでも胸の中にある違和感はまだ消えない。
頭を動かし、辺りをキョロキョロと見渡す。無数の天まで届きそうな巨大な本棚と、その中に収められている整理された資料の数々。
そして付近の椅子に腰掛けた何人かのローブを着込んだ人物は夢中でなにかの資料を読み込んでいた。
あぁ……ここは図書館か。ようやくイデアは自分が何処にいるかを思い出した。
そして自分が何をしていたのかも。
「……はぁ」
一気に息を吐き、次に新鮮な空気を吸い込む。気分が大分楽になった。腕をぐっと頭上に伸ばし、体をほぐし、リラックス。
これで大分気分は楽になった。少なくとも思考ははっきりとした。
そして彼は頭の中にある情報を一つ一つ分解し、順序良く整理していく。
なに、慣れれば簡単な作業だ。簡単に言ってしまえば、これは状況整理と対して変わらないから。
冷静に、粛々と、イデアは何故か覚えているあの“夢”の中の出来事を整理していく。
頭に焼きつけられた様にハッキリとイデアは“夢”の光景を想像の中で再現していく。
荒れ果てた荒野に、無数の飛竜、鎧兜で完全武装した何万という人間の軍隊。そしてあの奇妙な“竜”……。
全てが実体験した記憶のように鮮明に思い出すことが出来た。あまりに鮮明すぎて、恐ろしいぐらいだ。
まるで、全てが“夢”ではなく、現実の光景のようだった。あの戦闘は実際にあったものと言われても、イデアは納得できた。
──しかし、あれが実際にあった光景ならば、人は随分と負けているな。
まるでトンボ取りのように次々と殺されてたじゃないか。
うーん、と、イデアが考え込む。あの戦闘に対しての感想はとりあえず頭の隅に追いやって、一番大事なことを考える。
即ち、あの“竜”は何なのか? という問題だ。いや、実際は答えは得ていた。
ただ、何とも判りづらかっただけだ。
“何”なのだろうか? あの“竜”は。
イデアはほぅと小さく息を吐き、両手を膝の上で組んだ。少しでも神経を集中させたかった。
本当に不可解であった。あの夢でイデアが得た答えは不可解極まりない。
今のイデアには、理解不能で、納得できなくて、そして、どうも腹ただしい事だった。
夢の中でイデアが感じた“竜”は……あの“竜”の存在の根源にあったのは……。
イドゥンだったから。イドゥンの【エーギル】をあの“竜”から感じたのだ。
だからこそ訳がわからない。
全長50メートル程度の巨大な殺人火トカゲ兵器と、あのイドゥンに接点が全く見当たらない。
あんな……あんな、戦闘兵器みたいな“竜”と、イドゥン、一体何の関わりがあるというのだ?
あの無邪気に笑って、リンゴをこよなく愛し、馬に変なあだ名を付けて振り下ろされたり
意味もなく自分を抱きしめたり、遊戯版でボロ負けしてへこんでたりしていた彼女とあの“竜”は一体どんな関係が?
…………。
何気なく腕を胸元に突っ込み、その中にあるものを掴んで取り出す。
取り出されたのは紫色に薄く発光する煌びやかな一枚の鱗。かつてイデアがイドゥンから剥ぎ取ってしまい、そのまま貰ったものだ。
あの時は鮮やかな金色だったのだが、今は紫色の光を放っている。禍々しくて、綺麗で、悲しい紫色を。
ソレのツルツルした表面をそぅっとイデアが撫でる。壊れ物を扱うかの様に、慎重に、そぉっと。
たった1個の鱗。竜の鱗と言ってもたった1つ。竜族にとって何とささやかで価値のないものだろうか。
が、今のイデアにとってこの鱗は宝であった。イドゥンを唯一感じれる至高の宝。
この小さくて、ツルツルの鱗はエレブに存在する全ての宝をあわせたほどの価値を持っている。
この鱗だけがイドゥンという姉、イデアの家族は確かに居たという証であり、繋がりだ。
時々、一人ぼっちである事に耐え切れなくなったイデアはこの鱗を見て、気分を入れ替えるのだ。
あの彼女と過ごした時間は決して夢なんかじゃなかったと思うことが出来る。
楽しかった時間は確かにあったのだと納得できる。
カチャカチャと音を鳴らしながら、鱗を掌で弄び、イデアは言った。
ありとあらゆる感情を込めて。
「姉さん……? 貴女は一体、どんな厄介ごとに巻き込まれたんだ?」
実際、彼にはもう判っていた。そうとも、心の奥ではもう判っていた。
この数週間という時間で世界の“何か”が変わったことを。そしてイドゥンの身に“何か”が起きたということを。
この変質した鱗、そして自分の中にある奇妙な違和感、更にあの“竜”……恐ろしい“何か”が起きている。
が、自分はそれに対して何も出来ない、弱いから。
だからこそ力が欲しい。想いや愛だけでは誰も救えないのだ。その事実をイデアはこの数週間で嫌と言うほど味わっていた。
圧倒的な力の前には力のない存在など蹂躙されるしかない、イデアは蹂躙されるのはごめんだった。自分は踏みにじられるぐらいならば、踏みにじる側になるほうがいい。
“誰にもイドゥンを奪われてたまるものか。姉さんは、俺だけの姉さんだ。俺だけの家族、俺を愛してくれる唯一の家族だ”
……。
まぁ、どんなに偉そうな事を考えても所詮は子供の強がりの枠を出ないわけだが、少なくとも今は。
「今は、判らない事を考えてもしょうがないか……」
自分に言い聞かせるように呟き、イデアが本に眼を落とす。
びっしりと刻まれた竜族言語は見ているだけで頭が痛くなりそうだが、イデアは文字の羅列を噛み付く様に睨みつけ、読み漁る。
結局のところ、どれほど叫ぼうが喚こうが、今のイデアに力が足りないのは純然たる事実であり、それ故にイデアがやるべき事は決まっていた。
既に殿での生活の最中に魔術の基礎を完成させていたイデアが今目指しているのは更なる高みだ。
恐ろしいほど高い山の山頂を目指して登っている。もしも道を踏み外し、“堕”ちてしまったら、まっているのは植物人間状態という。
イデアは、古代の竜の知識を己のモノにしようとしていた。ナーガが行使していた術の数々を手に入れようとしているのだ。
効率的な術の発動方法。転移の術。モルフの製造。エーギルを用いたマインド・コントロール。あげればキリがない。
現在必死に吸収している竜の知識に比べれば、今まで習ったことなど子供のお遊戯のようなものである。
いや、少し語弊があるか。あの殿での魔道を習った十数年間は、全てが今のためにあったのだ。
イデアは真価を問われていた。そして十数年の努力の結果を求められてもいた。
これこそが。こここそが。いまこそが。その全てを発揮する場だ。
それが無理ならば、イデアは大人しく部屋の隅に引きこもっているべきだろう。
十数年に渡るナーガの教育と、自分の努力で身につけた言語能力、そして魔道の知識を駆使し、
イデアは難解な古代の竜の文字らしきものの意味を直接“感じ”て、次にソレを一度バラバラに分解し
自分の判りやすい情報に組み替え、頭の中に保存していく。
言葉にしてしまえば随分と単純で簡単そうに見えるが、これが中々根気のいる作業なのだ。
本を丸ごと一冊翻訳して、その全ての内容を暗記している、と言えば判るだろうか?
「………」
黙々とイデアが本のページに眼を通していく。
イデアはこの面倒な作業を途中で投げ出す気など全くなかった。
力を手に入れるのを諦める気など欠片も存在しない。
あの夢で見た人間の軍が彼の邪魔をしても、竜殺しの英雄が眼の前に立ち塞がろうが
このエレブの全てがイデアの邪魔をしようが彼は止まるつもりはなかった。
彼にあるのは単純で、なおかつ至高の目的のみ。
強くなり、イドゥンを助ける。
なんとしても。
そしてもう1つの目的。
もしもイドゥンが……考えるのも恐ろしいが、死んでしまった場合は……このエレブを壊してしまおう。
そう、イデアは密かに決心した。
あとがき
皆様、こんにちわ。
今回はイデアの心理パートです。
予定では次回で戦役は終わりに向かわせたいですね。
……出来るかなぁ。
それとFEなのに戦闘が全くないと、今更気がついた次第ですw
なるべく早く入れたいです。