「う~~~~~~~」
数々の壮麗な装飾が施された家具が並ぶ王族もかくやという部屋に、机に突っ伏した俺の声が響いた。
目の前には象形文字ともハングル文字ともはたまた甲骨文字にも見える奇妙な記号、この世界の文字が書かれた藁半紙のノート。
まだ歩けないので、ベッドの端を椅子の代わりにして座っている。
隣には真面目な表情で万年筆を動かし、ノートを一心不乱に書くイドゥン。そう、俺達は今、文字の勉強中なのだ。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
目前の玉座を思わせる椅子に座ったナーガが声をかけてくる。
「い、や……」
嘘はいっていない、嘘は。
いや、気分は悪くないんだけど……。
むしろ体の調子は最高、今まで感じたことのないぐらい軽い。
でも、、覚えづらい。本当に覚えづらい。
英語ならともかく何なんだこの言語は!?意味が分からないにも程がある。
今の俺を悩ませるのは、知恵熱であった。知恵熱は病気じゃないと、思いたい。
「……ん」
隣のイドゥンがつんつんと突っついて来る。
何かと視線で問うと、彼女がペンで俺のノートの一箇所を示した。
そこを見てみると、文字の形を間違えていた。
「ありがと、う」
まだ少し発音が可笑しいが、眠る前に比べてかなり動くようになってきた舌を動かして礼を言う。
イドゥンが返答として顔を綻ばせた。それがまた眩しい笑顔で、直視できずに思わず顔をそらす。
事の発端は一寝入りして、ある程度体力と精神力が回復したら、まるで見ていたかのようにナーガが部屋に入ってきたことから始まる。
以前は気がつかなかった、腰に挿してあるエメラルドグリーンの装飾が施された美しい剣に思わず眼が引き付けられる。
改めて自己紹介をしたナーガはもう一度俺達に俺達の名前を伝えると、暖炉に火を付けて、簡単にここが何処なのかを語り始めた。
何処からか取り出した茶色の大きな紙を眼前に浮遊させて持って来た机の上に広げる。
ナーガが取り出したもの、それは地図だった。しかしそこに書かれていた大陸は俺の知っているものとは違う形をしていた。
ぱっと見た感じではオーストラリア大陸にも北海道にも似ているが、そのどれとも違う。
『エレブ大陸』
ナーガは地図に書いてある大陸をそう呼んだ。
そして今俺達がいるのは大陸東部の山岳地帯、ベルン地方と呼ばれる場所に築かれた竜たちの故郷ともいえる場所「殿」という建物らしい。
西には人が住むエトルリアという王国。その奥の沖縄みたいな大小様々な島は西方三島という。
他にも、ベルン地方の北にはサカという草原が広がっているとか、更に北に行くとイリアという雪原地域で、ペガサスなどが生息しているとか。
……正直、普通なら信じられないが、あの竜の群れをみた後で感覚が少し麻痺している俺は割りとあっさり信じられた。
そして次にナーガは万年筆と茶色くて硬い紙で出来たノートと何やら意味の分からない記号が書いてある白い紙の本を取り出し、一つ一つ、読んで俺達に聞かせた。
いや、読んではいたが、人の言語では表せない発音だった。少なくとも人間の喉から出せる音じゃない。
次に俺達に今、読んだのを繰り返せと言ってきて、内心発音は無理だと思ったが、案外すんなりその「音」が出せて驚いた。
だが、何よりも俺が驚いたのはイドゥンの声だった。
彼女の声は、一つの楽器としても通用できるほど透き通っていて、オペラとはまた違った美しい声だった。
途中、何度もかんだり、どもったりしてはいたが、無事に言い切ることが出来た。
そして次にナーガが取り出したのは二冊の藁半紙のノート。それを俺達の前に置いた机の上に並べると隣に変な記号が書いてある白い紙のノートを置く。
そして。
「お前達には、これから文字を学んでもらう」
なんて、言い出した。
そして冒頭に戻る。
「あ~~~~~~~~~~~~~」
最初の30分ぐらいは分からない所は聞いたりして積極的に励んでいたのだが、小さな文字をずっと見ていたせいか眼が疲れて眠くなってきた。
気分を紛らわせる為に渡された万年筆を観察してみる。
手触りからして材質は…、木、かな? 所々に金で見事な刺繍がしてあり、それが本体の黒と芸術的に合わさって、いかにも高級品です!というオーラを振りまいている。
…………。
何だか余計に眠くなってきた……。
いくら小さな文字を見続けたからといって、これはおかしい気がするが、眠いものは眠いんだから仕方ない。
ふと、イドゥンはどうしているか気になりもう一度隣を見てみる。
「……」
起きてはいたが、かなりぎりぎりの様だ。その証拠にトロンと薄目を開けて、ゆらゆらと前後左右に揺れながら、ノートに文字を記している。
次にさっきから一言も発さないナーガを見てみる。
……見なければ良かったと本気で後悔した。
ナーガは俺達を「観察」していた。比喩ではなく、文字通り。
かろうじて瞬きはしているものの、じいっと何も言わず、無機質な色違いの一対の眼が唯々、見ている。
背筋に寒気が走り、手や足に鳥肌が浮かぶ。
……正直な話、睨まれるよりも何倍も怖かった。そんな眼で見られるのが嫌で
「な、ぁ、が」
「なんだ?」
試しに呼びかけてみたら、ちゃんと返事が返ってきた。
「ねむ、い」
物は試しと、今の自分の状態とリクエストを告げてみる。
ほんの少しの間だけナーガがまた沈黙した。
すると。
ナーガが指を少し動かし、ノートがナーガの広げた手の上に跳んでいく。
そしてぱらぱらと書き写した文字に眼を通す。
「今回はこれぐらいにしておくか…」
パタンとノートを閉じながら言う。次に視線を完全に座ったまま眠ってしまったイドゥンに向ける。
長い耳がへにゃっと下を向いているのは、寝ているからだろう。次に俺を見て。
「今日はもう寝るといい」
そして本当に少しだが、笑った。他者にはどう写るかは分からないが、俺にはその笑みが人形みたいな作り物に見えた。
暖炉にまたどこから取り出したか太い薪を4本ほど入れ、火を大きくする。
しゅん、と、空気が軽く振動する音だけ残して、一瞬にしてナーガが部屋から消えた。
本当にどうやってやってるんだろ? ワープ。
自分以外誰も動くものがいなくなった部屋でベッドにごろんと寝転がる。
ふと、服にゴツゴツした物が入っている感じがして、ポケットに手を入れてそれを取り出す。
「おぉ…」
手に握られていたその黄金の石を見て思わず声が出る。
改めてよくみたその石はキラキラと輝いていて、相変わらず綺麗だ。
次に座ったまま眠っているイドゥンを見る。
このままではあれなので、起こすことにする。
石を懐にしまい、近くまでベッドのふかふかのシーツの上を這っていき、肩に手をかけて軽く揺する。
「……ふ、ぁ?」
起きたイドゥンは眠気が満たされたぽけぇって言う擬音が似合う眼でこちらをみた。
「……」
ぼおっとしていたイドゥンだが、眼の中に徐々に意思の光が戻ってくると、部屋をきょろきょろと見渡して
「おとう、さん、は…?」
大きな紅と蒼の瞳に不安を浮かべて聞いてきた。せわしなく周りに眼を走らせ、親を必死に探す。
「かえっ、た」
とりあえず、こうとしか、言えない。
まだ少し寝ぼけているのか、俺の言葉を咀嚼するように沈黙する。
そして。
大きな眼が徐々に潤んでいく。まるで幼子が泣く寸前のように。
それを見て、何故か心が痛んだ。まだ出会って数時間しか経っていないのに何故だろう?
だから。
彼女が声を上げる前に素早く行動する。
「ひあ!?」
彼女の両脇を抱える様に掴み、そのままずるずるとベッドの中に引きずる。
「い、いで、あ?」
イドゥンが戸惑いの声を上げるが、今はとりあえず無視。ぽふっと彼女を先ほど寝ていた位置に置くと、その上に毛布をかける。
そして自分もイドゥンの隣に潜る。
「ねむい、の?」
「う、ん…」
それだけを簡潔に言うと、いつもの様に眠りに着く。何度も眠ったりしている筈なのにすんなりと意識が遠ざかっていく。
「おやすみなさい」
完全に意識が落ちる前に彼女の声が耳に届いた。
神竜族を治める長にして、全ての竜の頂点の竜であるナーガは苛立っていた。だが、その苛立ちを表に出す愚を彼は犯さない。
故にその苛立ちは彼の胸中で更に大きく育っていく。
何が彼をそこまで苛立たせるのか? その答えは簡単である。
イドゥンとイデア。
産まれてまだ間もない彼の娘と息子。
誤解されないように言っておくが、この二人は特に何も悪いことはしてなどいないし、彼も初めての自身の子の誕生には歓喜している。
彼が苛立っているのはそんな二人に対する自分の態度だ。
純金で優麗な装飾がされた玉座の前に転移し、それに腰掛ける。
そして手に持った二冊のノートを広げて、そこに書かれたお世辞にも上手とは言えない文字を食い入るように見る。
「ふぅ……」
それを見ていると何とも言えない感情が腹の底で渦巻くのをナーガは感じた。
ナーガには親はいない、人と竜でも、竜同士の交配でもなく、あえて言うなれば世界から産み出されたナーガには親と呼べる者はいなかった。
そして女を抱いたことはあっても、子を育てた事はない彼にとって子育ては全てが未知の領域である。一応知識としては知っているが、経験は無い。
故に、実の子への接し方など分かる筈がない。
先ほどの息子が自らに向けていた視線を思い出す。あの自分に対する怯えが多分に含まれた眼を。
あの後すぐに、息子に言われた言葉、遠まわしに出て行ってくれと言われたと感じたのは考えすぎだと思いたい。
パタンとノートを閉じて、机の引き出しの奥へとしまう。
頬杖をついて、気を紛らすために、今度は自分の子供としてではなく、新たな神竜としてのあの二人の事を考える。
最低限の知恵は外に産み落とされる前に身に付けてはいるようだ。些か弟の方は自我が強すぎるような気がするが、この際それはどうでもいい。
いや、むしろ好都合かも知れない。
次に、能力だが、ナーガが見た限りでは両者とも特に問題はない。このまま成長すればいずれは自分に匹敵する竜になれるだろう。
……果たして、何万年かかるかは分からないが。
だが、ナーガには一つだけ引っかかる事があった。
それはあの二人が双子ということ。
元来、純粋、もしくは純血の竜が世界から産み落とされる時は、決まって一体ずつだ、それが双子。言うなれば、血ではなく、魂を分けた双子。
普通ならば特に気にも留めない些事だが、この時期にこれは何かを示唆しているようにも思えた。
西のエトルリア王国を筆頭とする、人との確執の深まり。そして内部の火竜族の長とその派閥の考えに賛同するもの達。
今、竜という種と人という種のバランスは絶妙なものとなっている。
そんな時期にこの特殊な出生。何かを感じざるを得ない。
無論、自分の眼がある内は何者にもあの二人を害することなど許さないが…。
「長」
誰かに呼ばれる声で思考の海に潜っていたナーガは現実に呼び戻された。
聞きなれた声の主を見る。
ここまで近づかれて気付けないとは、自分も疲れているのだろうと思った。
空気さえも振動させず、いつの間にか自分の隣に佇む、紅いローブを纏った初老の男に話しかける。
「なんだ」
自分でも驚くほど一切の感情を廃した声。やっぱり自分は親には向いてないと思う。
……だからといって、努力をしないわけではないが。
いつも通り初老の男は淡々と抑揚の欠片もない声で応答する。
「【門】と【里】の建設状況をご報告に参上いたしました」
「述べよ」
男が手にした紙に書かれている事を朗々と読み上げる。
「【里】は予定建造物の7割が完成。耕地面積の7割が完成。内訳は…」
それから約5分間に渡り男の報告が続いた。
それらを一門一句、一言も聞き漏らさずに耳を傾ける。
「苦労であった、お前はまた【門】と【里】の建設に戻れ。後日、応援の「モルフ」を送ろう」
「了解」
それだけを言うと男は光に包まれて消えていった。
ふと、何気なく窓の外を見てみる。
何時になく蒼く、綺麗な満月が浮かんでおり部屋に光を注いでいた。
そろそろあの二人が腹を空かす頃だな、と、頭によぎる。
ナーガは自身の子に食事を運ぶため、人を呼ぶべく声を上げるのであった。
何時の間にか、苛立ちは薄れていた。
おまけ
ファイアーエムブレム風キャラクターステータス
名前 イデア
クラス 幼竜 (マムクート)
レベル 1
HP 35
力 13
技 9
速さ 8
幸運 14
守備 14
魔防 14
移動 6
体格 ??
属性 理
あとがき
今回は少し文体を変えて見たのですが、読みやすくなったでしょうか?
これからも自分のペースでまったりと更新していきますので、これからもよろしくお願いします。
では、次回の更新にて。