とある竜のお話 第二部 開幕
ミスル半島はエレブ大陸の南西部に存在する広大な大地だ。大きさは大体サカ大草原の7割から8割程度と言ったところか。
ミスル半島の中央部にはナバタ砂漠と呼ばれる不毛の大地が広がり、ありとあらゆる生命を徹底的に拒絶している。
日が昇っている内は全てを焼き尽くす灼熱の太陽光。月が昇れば容赦ない砂塵の大嵐と、昼との温度差で岩が砕けるほどの極寒が侵入者を襲う。
生物が生きるのに必要不可欠な水や食料もオアシスにしか存在せず、大抵の者はそこまで到達することは出来ない。
砂漠の日差しに焼かれるか、極寒で凍てつくか、または砂の地獄に住まう毒をもった生き物に殺されるかのどれかだ。
そんな死の大地がナバタ砂漠。自然が作り上げた、どんな要塞や城よりも攻め難い地である。
そこは正に“楽園”という言葉を現実に現した様な場所だった。
青々とした木々が犇き、爽快な青い命を宿した風が豊かな土から生えた草花を優しく揺らす。
砂漠に吹き荒れる生物に死を与える風とは違う、むしろ正反対の命の息吹を感じる涼やかな風だ。
風は駆ける。丸々とした果実を実らせた木々の間を。大きな稲穂を揺らす作物の間を。
明らかに人工的に造られたであろう広大な農作地帯と森を風はその名の通りに風の如く駆け抜ける。
森を抜けるとそこにあるのは様々な石造りの建物が規則正しく秩序を持って並んだ地域――ありたいに言ってしまえば『街』だ。
特徴的なのは家々を構築している石のブロック1つ1つにビッシリと何かの模様が刻まれていることだ。
何かの文字の様にも見えるし、人とは感性の違う画が描いた個性的な絵画にも見える紋章だ。
魔術についてそれなりの知識を持った者がその模様を見ればソレらはかなりの力を秘めた風化や欠損に対する強い魔術的加護だと理解出来たことであろう。
砂漠の熱や砂による研磨などに対しての防護策である。
人などが行き交っているであろう通路は歩きやすい様に石で整備され、砂などはその全てを石の下に押し込められている。
当然、この道を構成している石達にも小さく模様が刻まれている。
しかしこの通路、その大きさが少しおかしい。
人や馬などが通るのに十分は幅は大体5メートル程あれば問題ないのだが、この道はその3倍、いや下手をすれば4倍以上の幅を持っている。
まるで人よりも遥かに大きな存在でも通れる様に調整されていると言えば想像しやすいだろう。
そう、例えば人間の身体よりも何十、何百……特殊な個体によっては山々を覆うぐらいの肢体を持ち
且つ『道路』という概念を理解するほどに高等な知能を持った生き物のために造られた道だ。
最もこの道を使う者はそんな生き物の中でもかなり小さな身体をした者ら――つまり子供とかに限られるのだが。
この道を使う者ら――『竜』の成体ではこんなちっぽけな道は歩けない。
仮にそんなことをすればこの小さな道どころか、たったの一歩で街の区画が丸ごと壊れてしまうだろう。
それでも狭く造るよりはマシであろうと、ギリギリまで街の機能と景観を壊さない程度まで妥協して大きくしたのがこの道だ。
まぁ、今の竜族は巨大な本来の姿よりも小さくて色々と遊べる『人間』の姿をとる事の方が気にいっている者が多いので
あまりこの道を使う際に不便は生じないであろう。
風がそんな巨大な道を通り抜け、街の中心へと突き進む。
真上から見ると、まるで遊戯板の板の様に完全な四角形をしたこの街の中心に建てられた巨大な神殿の様な建物へと。
偉大なる神を奉る神殿と王侯貴族の権力の象徴たる城、そして難攻不落の堅牢な要塞を足して、それらの全ての要素を規則正しく分割したような威容を持つ建造物だ。
視力の優れた者がよーく眼をこらして見れば表面にびっしりと換気のための窓がついているのが見えることであろう。
風が、その開けた窓の一つに飛び込む。そしてそこで眠っている部屋の主を、そっと撫でた。
眼が覚めるのをイデアは感じた。
身を包む心地よい感覚を全身で味わいながらも決して瞼は開かない。否、怖くて開けないというのが正しい。
どれぐらいの時間そうしていただろうか? 1時間? それとも2時間? もしかすると半日かも知れない。
やがて決心がついたのか、おそるおそる瞼を動かす。
イデアの視界に映ったのは見慣れた天井だった。
10年以上の年月を過ごした『殿』の自室。そこに置かれたベッドの天蓋だ。
「!」
イデアが電流が全身に走った様に飛び起き、キョロキョロと周囲を見渡す。
その顔はまるで親からはぐれた小動物のように不安を湛えていた。
最強の力を持つ神竜が浮かべる様な表情ではない。
グルグルと忙しなく顔を回し、部屋を見る。
衣服が仕舞われているクローゼット。遊戯板を始めとした遊具や色々な小物が収納されている木製の上品な物入れ。
座りなれた些かサイズが大きな椅子。椅子とセットに使われ、食事を取る際などに利用されたテーブル。
竜族の術で強化され、驚くほどの頑丈さを持ったバルコニーに続くガラス窓。そして遥か先に見えるベルンの山脈。
青々とした空に太陽が昇っている。平和そのものな光景。
全てがいつも通りだった。何も問題などない。間違ってもナーガに見捨てられてなど居ない。捨てられてなど……。
イデアが笑顔になった。安堵の溜め息を吐き、いつも通り自分の隣で安らかに眠っているであろうイドゥンを───。
暗転。
眼が覚める。渇ききった中にどこか優しさを感じる風が頬を撫でるのをイデアは鬱陶しく思った。
瞼を開き、まだあまり見慣れない天井を睨みつける。そして大きく息を吸って、溜め息。
腹の中に溜まった色々な物を吐き出そうとするが……出来ない。
「……はぁ」
眠る前と同じく腹の中がどうしようもなく煮えたぎっている。まるで沸騰している湯を直接体内に突っ込まれた様に。
もっと判りやすく言えば、イデアはイラついていた。どうしようもなく苛立っていた。
それと同時にイデアの肩に圧し掛かる倦怠感と、焦燥。ソレらは姿こそ見えないが、確かにイデアをじわじわと侵食している。
そして何より、自分の半身が、今まで在って当然だった器官を持って行かれた様な嫌悪感と違和感。
無くなった器官の名前はイドゥンという。
複数の負の感情を抱え、どうしようもない状況にイデアはあった。
窓の外を見る。『殿』から見た時よりも遥かに大きくて赤い太陽が見えた。そして眼下には街が見える。
真っ赤な炎の塊は見る者全てに何らかの感想を抱かせるのだろうが、今のイデアにとってはソレさえも目障りにしかならない。
いっそ手を伸ばして握り潰してやりたくなる。神竜族の象徴である太陽を壊せば、少しは苛立ちも収まるのだろうか?
脳内にあの忌々しい男の顔が蘇り、イデアが太陽を睨みつけた。更に腹が立ってきた。
──我はお前達の父などではない。
ナーガの最後の言葉が胸の内で再生される。針で刺されたような鋭い痛みと共に、黒い炎が体内から吹き出てくるのをイデアは感じた。
イデアが窓際まで歩いていき、太陽の光に照らされた『里』を眺める。そして、大きく息を吸って――。
「そんなこと判ってたよ! あぁ、判ってたさ!! 二度とお前の顔なんか見たくない!!!! 死ね!!!!!!!!!」
喉を潰す勢いで思いっきり吼える。言葉に出さなければどうにかなってしまいそうだった。
そうでなければ竜の力でも何でも使って眼下に見える街を焼いてしまいそうだ。
何気なくイデアが『里』を見下ろす。少しだけ叫んだことによって苛立ちは薄れていた。
ここから少しだけ街の住人が見えた。
竜族の優れた視力はその歩いている一人ひとりの髪の色まではっきりと判別できる。
家族なのだろうか? 父と母とその子らしき者が仲良く道を歩いていた。非常に腹正しいことに。
イデアには理解出来なかった。
こんな取るに足らない、名前も知らない……多少汚い言い方になってしまうが
イドゥンに比べれば無価値なゴミでしかない者の命を守る義務が自分にあるなどと。
勝手に戦争して、勝手に死ねばいい。ご丁寧にこんな里まで作って、そこまでして生き延びたいのか? 俺とイドゥンを巻き込むな。
それが迎えに来た者の説明を受けてイデアが抱いた感想だった。
そも、ナーガが本気で掛かれば人間など軽がると殲滅できるだろうに、何故それをしないのかイデアには不思議でならなかった。
たとえ勝った後に竜族同士の内戦が始まったとして、始祖竜を潰した時と同じ様に、ひねり潰せばいいのに何故その選択肢を選ばなかったのだろうか。
何故自分を置いていったのだろうか? 本当に理解できない。
そして驚いたことに、その後継を自分がやれというのだ。
ナーガの跡継ぎとして竜族を纏めろと。本当に笑わせる。
自分がそんな社交的に見えるのだろうか? そういうのは姉のイドゥンの役目だ。そしてソレの影で彼女を必要に応じてサポートするのが自分の筈だ、本来は。
そも、自分は純粋な竜とは少々言いにくい。肉体こそ竜だが、中身は人間だ。
それに自分がそんな大勢に慕われるような存在になれるとは思ってなどいない。
その点イドゥンは完璧だろう。少々天然で世間離れしているところもあるが、あれでいて中々に人を惹きつける才能を持っている。
精霊の声を聴けて、魔術の才能も素晴らしく、記憶力も高い。正に言うことなしだ。
だがイドゥンは居ない。あの日──もう1週間前ほどになるか
ナーガに捨てられたあの日以来彼女の行方は知れない。最初は探索なども行われたのだが、今はそんな余裕はないと直ぐに打ち切りになった。
だがイデアは薄々感じている。今現在姉が何処にいるのかを。繋がりを感じる。直感的であはるが、イデアは確信を抱いていた。
きっと姉さんは『殿』に居る。何故かは知らないが彼女は戻ったのだ。事実、あそこ意外に彼女が行く場所は無い。
どうして? 俺と一緒に逃げれば良いのに・・・…そうすれば今頃は……。
もちろんイデアも何度も『殿』に戻ろうとした。だがその度に捕まっては自室に連れ戻されるのだ。
家に帰ることの何が悪いと駄々を捏ねる子供の様に憤慨するイデアに、フレイと名乗る老人の姿を取った竜は淡々と読み上げるようにこう告げた。
酷く耳障りで、しわがれた声で言った言葉をイデアはまだ覚えている。
『今の殿はナーガ様に反する勢力が事実上占拠しています。貴方をあそこに戻す訳にはいきません 仮にイドゥン様が戻られていても、命の心配は絶対にありません』
これの一点張りだ。まるで人形と会話しているような薄気味悪ささえも感じる。
カチャリと、イデアが首に掛けたお守り代わりのイドゥンの鱗、サカに行くときに間違って剥いでしまった物だ。
どうしても捨てられずに持っている。後々姉に剥いだことを謝ったら「あげる」って素気なく返されたのも理由の一つである。
――─黄金一色であるはずのソレが、ほんの僅かだけ、紫色に光った。美しく、悲しい紫に。
だが、イデアはそれに気が付けない。今の彼は自分の置かれた状況を嘆くことしか出来ないのだから。
否。本当はイデアも判っている。今、自分が何をするべきかも薄々と。そこまで彼は子供ではない。
幾ら現実を表向きは否定していても、深い部分では受け入れて、適応しようとしている。
事実、イデアの脳内の理性的な部分。第三者として客観的な視点を持った箇所が絶えず彼に語りかけてくるのだ。
今は行動するべきだと。後悔したくないなら、自分にやれる事をやれと。ハノンさんを救った時と同じだと叫んでいる。
――お前は何をやっている? ただ泣いてるだけじゃ、何も進展しないぞ? 今は与えられた事をやるべきだろ?
何が取るに足らないゴミだ。あいつらにだって今までの生涯があるんだぞ? 少し冷静になれ。
全くの正論である。我ながら涙が出るほどの。
「…………帰りたい」
ベッドまで歩いていき、倒れ伏す。もう何日も何も食べてない腹がずきずきと痛む。
涙ながらに呟いたその言葉の意味。果たして“帰りたい場所”とは『殿』になのか、それとも『前の世界』なのか……。
やるべき事を判っていても、精神的な苦痛に耐えてソレを実行できるだけの強さはまだイデアにはなかった。
あとがき
皆様、お久しぶりです。
2部のプロットの芯が大体完成したので、投稿しました。
予定では、烈火の剣本編前まで進めたいと思っています。
しかしながら、今年の夏はFEが熱いですねw
大全発売に、原点である紋章の謎のリメイク。
恥ずかしながら、やりこんでたせいで随分と筆の進みが遅れてしまいましたw
今は何かと忙しいので更新速度は早く出来ませんが、よろしくお願いします。