それは、ありふれた旅客用宇宙船の、ありふれたデッキの一室だった。 清潔で無機質で、機械こそが人を支配する空間。それを誤魔化すために、慰み程度に置かれた観葉植物が、誰からも忘れながら部屋の隅に佇んでいる。 少女は、一人ぽつねんとビニル製の安っぽい長椅子に腰掛け、壁に掛けられた大型モニターをぼんやりと眺めていた。 どこからか、低く唸るような音が聞こえる。 それは少女にとって耳慣れない音だったが、他の者が聞けば単なる機械のモーター音だとすぐに気がつき、それ以上気に止める事すらなかっただろう。 しかし、その、腹の底に響くような音を、少女はどこか懐かしく、馴染み深いもののように感じていた。 それは、戦乱の音だった。 戦場に響く、鈍く重たい行軍の音。 遠く巻き起こる砂塵と、近くにわき起こる鬨の声。 人の群れ、軍馬の群れ、空を飛ぶ鴉の群れ。 遠からず、緑の大地は朱に染まる。 身体が震える。いつだってそうだった。戦いの前は、胃液を吐き戻しそうになるくらいに怯えていた。 恥だと思った。何故、戦士として、そして王としての身分を持つ自分が、戦如きに怯えているのか。『怖いか、ウォル』 隣にいるのが誰かなんて、確かめる必要すらない。 そこには、黄金色の髪があるだろう。白磁の上に薔薇の粉を撒いたような頬があるだろう。引き絞られた弓が如きしなやかな筋肉があるだろう。 そして、緑柱石色の瞳があるに違いないのだ。『俺は――』『おれは怖い』 彼だけの戦女神は、微塵も恐怖を含まない、毅然たる声でそう言った。 男は、こちらの返答を待たないのは卑怯だと、そう思った。『お前でも、怖いと思うことがあるのか』『当たり前だ。戦いは怖い。いつだって怖い。すっ飛んで逃げだしたくなる』 その秀でた額には、少女の瞳と同じ色をした銀冠の髪飾り。 臆病を微塵も感じさせない、身軽な戦装束。 腰には、男自身の命を救ったこともある、銘の無い名剣。 名も無き丘より、唯一男と並び立ち、この世の終わりのような光景を眺める。『では、何故お前は逃げない。俺は王だ。ここで戦を指揮し、その結果を見届ける義務がある。しかしお前は王妃だ。ならば、俺の勝利を宮殿で待っていてくれればいい。お前がここにいなければならない理由など、どこにもないというのに』『そこまでだ、ウォル。そこまでは許してやる。でも、それ以上言ったら、お前だって許さないぞ』 その声にだって、ほんの少しも怒ったところは無かった。 むしろ、楽しげに揺れていたくらいだ。 男は、苦笑した。男だって、まさか本気で言ったわけではない。ただ、自分の隣に立つ、獣と呼ぶにはあまりに美しい金色の獣と、少しだけ戯れたくなっただけのこと。 そして気がついた。自分の中に沈殿していた恐怖や不安、畏怖の念が、魔法のように消え失せていることに。『死ぬのは怖くない。殺すのだって怖くない。いつ死んだっていい。だから、いつだって殺してやれる。そして、おれは毛の先ほども死ぬつもりなんかない』『しかし、それは闘う理由にはならないな』『その通りだ、ウォル。人を殺していいっていうことと人を殺すということには、無限にも近い距離がある』『ならば、何故お前は闘う?俺の隣で剣を振るってくれる?』 男は、その時になって初めて、己の隣に並び立つ、年端もいかぬ少女を眺めた。 いや、それは既に少女ではない。出会ったときは少女であったとして、今のそれは既に女であった。 男と共に永遠の愛を誓った、しかしそれ以上の絆で結ばれた、永遠の同盟者であった。 その女が、見るもの全てを虜にするような、輝かしい微笑みを浮かべて、言った。『決まっている。おれは、お前が負ける姿なんか見たくないからだ。だって――』 お前は、おれだけのバルドウなんだからな――。 遠い、気が滅入るほどに遠い、昔のことだ。 ウォルは、星々の大海の中に身を埋めていた。 彼女の漆黒の瞳に映っているのは、本物の星の光ではない。外洋宇宙船の高精度スクリーンに映った、いわば機械の目を通した偽物の星の光だ。 それでも、ウォルにはその光が、何か特別なものに感じられて仕方がなかった。今まで、いくら手を伸ばして掴もうとしても掴めなかった宝物が、目の前に転がっているような気すらした。 赤。青。白。紫。ほとんど黒に近いような、ぼんやりとした光。 人の想像しうる、あらゆる光がそこにはあった。 美しいもの。おぞましいもの。恐ろしいもの。 そこには全てがあり、何も無い。 その中で、一際美しく光る星があった。 緑色に光り輝く、宝石のような星だった。 名前は、知らない。 ただ、その緑色の、誰かの瞳のような輝きが、大気のない虚無の空間の中で、瞬いているような気がした。 ウォルは、言葉も、時間も、息をすることすら忘れて、その星を見つめていた。「お嬢さん。こんなにも辺鄙な宇宙が、そんなにも珍しいのかな」 ふと気付けば、すぐ隣に人の気配があった。 ウォルは、さして驚いたふうでもなく、落ち着いた様子で声の主の方を見遣った。 そこには、彼女の知らない顔があった。 漆黒の視線を正面から受け止めたその男は、苦笑しながら続けた。「いや失敬。君があまり熱心にモニターを睨みつけているものだから、つい、ね」「失礼。どこかでお会いしたのだろうか」 この世界に限って言えばそれはまず無い。ウォルにとって面識があるのは、彼女の同盟者たる金色の獣とその関係者を除けば、両手の指で足りるほどの人間としか顔を合わせていないからだ。 然り、声の主である初老の男は、首を横に振った。「私の記憶が正しければ、君と話すのは今日が初めてだろうな。しかし最近はどうにも物忘れが激しくてね。自分の記憶に今ひとつ責任が持てない。だから、私が忘れているだけならここで謝罪させて頂こう」 男の声は、その言葉とは裏腹にほんの少しの老いも感じさせない、矍鑠たるものだった。 それがおかしくて、ウォルは言った。 「いや、それには及ぶまい。俺も、あなたと顔を合わせるのは初めてのはずだ」 男は、ウォルの言葉遣いに少しだけ眉を顰めた。しかしそれは嫌悪感を表すものではなく、己の常識と現実との齟齬に首を捻るような、無邪気なものであった。 そして、その思いをそのまま、口に出して言った。「私はあまりテレビや雑誌というものに目を通さないのだが、最近の女の子の間では、そういう話し方が流行しているのかな?」「そういうことは無いと思う。少なくとも、俺の知る女の子は、俺の知る通りのしゃべり方をしていた気がするからな。やはりおかしいか?」 ドレステッドホールの女の子たち、ドミューシアとデイジーローズのことを思い浮かべながら、ウォルは答えた。彼女達の口調はウォルにとっても馴染み深い、年頃の女の子に相応しく可愛らしいものだったから、自分の言葉遣いが如何に『浮く』ものなのか嫌と言うほどに思い知らされた。 しかしだからといって、自分が女性を取り繕うことには限界があることをウォルは理解していた。むしろそれが当然である。シェラのように、女性としての振る舞いや作法を叩き込まれて成長した男性など、この世にどれほどいるのだろうか。 今現在のウォルの身体は、紛れもない女性の身体ではある。しかしそこから滲み出る気配は、どう糊塗したところで男性のものにしかなり得ない――少なくとも今のところは――ことを受け入れざるを得なかったのだ。 ならば、慣れない女性として振る舞うよりも、むしろ男性として振る舞った方が良かろうというのがウォルなりの結論である。そうすれば最初から『少し変な女の子』として周囲は理解する。その結果受け入れられることもあるだろうし、逆に最初から拒絶してくれるかも知れない。それに比べて、後々になって『とても変な女の子』であるとばれたときのほうが致命傷になりかねないと、彼女はそう判断したのだ。 その、『少し変な女の子』を前にして、初老の男性は微笑んだ。それはそれは優しい、孫を見るような視線だった。「おかしいおかしくないで言えば、おかしい。私は狭い世界に生きる人間でね。君のように可愛らしい女の子がそんなしゃべり方をすると、どうしても違和感があるな」「正直だな、卿は」「しかし、何とも君には相応しい。とても魅力的だよ」 ウォルも、その笑みに引き込まれるようにして微笑った。それほどに、男の笑みは、底の深い、なんとも心地よいものだったのだ。「そんなことを言われたのは、生まれて初めてだな」 嘘ではない。 男として生きたときはそれなりの浮き名も流したウォルであるが、しかし女性としての自分を褒めて貰ったのは今回が初めてである。 裏表の無い褒め言葉は、基本的には嬉しいものだ。当然、男の身体の時に『魅力的な女性だ』などと言われれば怖気に背筋が凍り付くだろうが、ウォルは今の自分がどこからどう見ても女性であることを理解しているから、男の言葉を素直に受け取った。 しかし当の男は、ウォルの言葉に心底驚いたようだった。「嘘だろう?君のような女の子なら、たくさんのボーイフレンドから、もっと華やかな賞賛の言葉を受け取っていても不思議じゃないと思うんだが」「生憎、そんなものは今までとんといなかったのでな」「それは回りの男の子たちが阿呆だ。これほど見事な花を見過ごすとは、男の風上にも置けないな」 どうにも軽妙な口調である。ウォルは、そちらの方面について多大なる武勲を誇った、己の従弟のことを少しだけ思い出した。 そして、ウォルはあらためてその男を眺めて、感嘆の溜息を吐いた。 堂々たる体格を誇る威丈夫であった。 縦にも横にも、相当の質感がある。どっしりと、根の生えた大樹のような体つきだ。それでいて、少しも鈍重な印象がない。ぴしっと仕立てられた質の良い衣服の下には、鍛え込まれて錆び付きようのない筋肉が隠されていることがよく分かる。 その顔に刻まれた皺の深さから相当の年齢になっているのは明らかなのに、背筋はちっとも曲がっていないし、足取りだって確かだ。柔和な微笑みを浮かべる瞳だって少しも濁っていない。 きっと若かりし日は華やかな女性遍歴を誇った男なのだろうと、ウォルはそう考えて苦笑した。「ちなみに参考までに伺いたいのだが、卿が今の俺と同じくらいの歳の頃ならば、俺に声をかけていたかな?」「宇宙船ですれ違ったとしても、すっとんで会いに行ったろうね」「それは何とも情熱的だな」「美しい女性に声をかけるのは男の権利だよ。隣に親も恋人もいないなら、義務だと言ってもいい」 男の口調は意外と真剣な調子だった。 それがおかしくて、ウォルは笑った。声を出して笑った。 仮に男がウォルに対して異性としての興味を抱いていたならば、これは一つの勝利と呼んで差し支えないものであるはずだった。女性の心を射止めたければまず笑わせろとは、どの偉人の言葉だったか。「隣、座ってもいいかな?」「ああ、どうぞ」 そもそもここは公的な交通機関としての外洋宇宙船の中なのだから、誰に断りを入れる必要も無い。そのことは男もウォルも心得ていたが、男はあくまで礼儀として、ウォルに対して断りをいれた。 立場が逆だったとして、ウォルもそうするだろう。妙齢の女性の隣を勝ち得るためには、王に謁見する程の誠意と勇気をもって望むべきだったし、正当な努力には正当な報償をもって報いるべきだった。 男が腰掛けると、ウォルの座ったビニルの長椅子が僅かに撓んだ。 男は、その長身に似合って、相当な体重も有していたらしい。「さて、最初の話だ。君にとって宇宙は、そんなに珍しいものなのかな?」 男は、ウォルの顔を見ることなく、そう言った。 彼の視線の先にあるのは、先ほどまでウォルが食い入るように見ていたスクリーンがある。 ウォルも男に倣って、偽りの星の海に再び視線を戻した。そこに、先ほど見つけた、翠緑石色の星は無い。 ウォルは、少しだけ残念だった。「そうだな……なんと答えたものか」 この世界の人類にとって、宇宙とは、星と星を繋ぐ交易路のようなものらしい。時折未知の発見があるとしても、それは自分達の生活とはかけ離れたところに存在するものだ。 ならば、そんなものに対してこうも興味を抱くのは普通のことではないのだろうか。 ウォルは、自分がどのように答えるべきなのかを知っていた。しかし、隣に腰掛けたこの男には、自分の正直な心を伝えてみたかった。「珍しい、などという言葉では到底足りない。感動している、と言ってもまだ足りない。ただただ溜息しかでない。卿の言い様を真似るならば、遠くから眺めるしか出来なかった深窓の美姫をこの手にしたような、そういう印象だ」「その言葉は、君のような女の子が使うのは些か相応しく無い気がするが……」 男は笑いを噛み殺しながらそう言った。 そうすると、元々色の濃い褐色の肌の顔に白い歯が浮かび上がり、なんとも魅力的な顔になる。知性と愛想と勇気、その裏にぎらりと光る牙を隠し持った、女性ならばころりといってしまいそうな表情だ。 当然、少女のうちに宿った魂は女性のそれでは無かったからころりといくことは無かった。しかし、この見知らぬ男に興味を抱いたのは確かだった。「君くらいの歳ならば、もう数え切れない程に宇宙を旅したことのある子供だって珍しいものじゃない。少なくとも、知識や映像として、この光景は馴染み深いものであるはずだ。それでも君は、この宇宙に感動してくれるのか?」「ああ、感動しているとも。卿はどうなのだ?卿にとってのこの光景は、何の感慨も呼び起こさぬありふれたものなのか?」 ウォルは問い返した。 それは何気ない言葉であったが、答える男の声は存外に真剣なものだった。「私は、生まれて初めて見る光景に感動を覚えないほど、鈍い情緒をもって生まれてきたわけではないのでね。今だって、心の底から感動に打ち震えている」 それは意外な言葉だった。 ウォルは不思議に思った。この男からは、帆船に命を預け、潮風に肌を灼いた男達、あちらの世界にいた彼の友人の一人に近しい匂いを感じたのだが、それは勘違いだったのかと訝しんだ。 そんなウォルの内心に気がついたのだろうか、男はウォルの黒い瞳を覗き込むようにしながら言った。「自慢ではないが、私は地に足を付けていた時間よりも宇宙を泳いでいた時間の方が遙かに長い。そして、それは死ぬまで変わらないだろう」「やはり卿は船乗りか」「そうだね……そういう呼び方も、出来るのかも知れないな。しかし今は、到底船乗りなどとは名乗れない。時代に取り残された、ただの老いぼれだよ」 男は恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。そうすると、既に70を越えているであろうこの男に、妙な愛嬌が宿る。 だが、それがこの男にとっての仮の表情でしかないことはウォル自身気がついている。何かのきっかけと共に、この愛くるしい顔立ちが、怒り狂った獅子の顔に変わるのは明らかだ。 男から立ち昇る、噎せ返るように濃い香り。それは、ウォルにとっても馴染み深い、戦場を味わったことのある男の香りだった。だが、例えばヴォルフのように、軍人特有の堅苦しい感じがしない。 このあやふやで、それでいて心地よい感触は何だろうと、ウォルは考え込んで、内心ではたと手を打った。 「そうだ、タウだ!」 男は、突然に嬉しそうな声を上げたウォルを、不思議そうに眺めた。「タウ、とは?」「ああ、俺にとって馴染み深い土地なのだが……卿は、そこに住む人達によく似ていると思ってな」 ウォルは嬉しそうに言った後で、その男がタウという地名など到底知っているはずもないことに思いが至り、少しだけ頬を赤らめた。 男はそんなウォルを見て、笑ったりしなかった。ただ嬉しそうに目を細めた。「そこにいるのは、君にとって大切な人達かな?」 ウォルは、何の照れもなく答えた。「ああ。かけがえのない友人達だ」「ならばありがたい。私も君にとって、そのような存在でありたいものだ」 男も、心底嬉しそうに頷いた。 その言葉には直接答えず、ウォルは重ねて問うた。「しかし、尚のことおかしいな。卿が宇宙船を操る船乗りならば、このような光景はとうに見慣れたものなのではないのか?」「似たようなものを見たことがあるかないか、で言えば確かに見飽きたと言ってもいい。だが、この光景を、正しくこの光景を見るのは今日が初めてだ。ならば見飽きるはずもないだろう?」「ならば、卿は今まで見た宇宙を、全て覚えているのか?」「今の船乗りはいざ知らず、我々が船を操っていたときはそうでも無ければ生き残れなかった。そして私は生き残っている。ならば、そういうことも出来るのかも知れないな」 男の言葉はあくまで飄々としたものであったが、少しも不快ではなかった。 そういえばウォルの世界でも、一流どころの船乗りにとって、潮風の香りや波の色で自分がどの海を進んでいるのかを見分けるなど、常識といってよかった。少なくともそうでなければ一流と呼ばれることはなかったし、一流と呼ばれる前に海の藻屑に成り果てていた。 リィから、この世界の人間は機械無しでは一日だって生きていけないものなのだと聞いていた。しかしここに、そうではない――少なくともそれだけではない人間がいる。 ウォルは嬉しくなってしまった。「卿の名前を聞きたいな」 ウォルは素直にそう問うた。 男は意外そうな顔をした。女性から名を尋ねられることなど、老齢に差し掛かった頃でさえ珍しくはなかった彼だが、年端もゆかない少女に尋ねられるのはやはり希有なことだった。 しかし、気を取り直して口を開こうとした、その時。『お客様のお呼び出しをします。ペリティア星系エレノス宇宙港よりお越しのレオナール様、お伝えしたいことが御座います。お近くの内線電話より、三番お客様受付センターのほうへ連絡を頂きますようお願い申し上げます』 その船内放送に男が反応したのは明らかだった。 そして、そんな自分を見られたことに羞恥を覚えたのか、男はその長髪を掻き上げて、苦笑いを浮かべた。「……と、いうことだ、お嬢さん。どうやら連れから呼び出しが入ったようでね。名残惜しいが失礼させて頂こう」「待って欲しい。まだ、俺の方が名乗り終えていない」 長椅子から立ち上がった男、レオナールを引き留めるように、ウォルも立ち上がった。 そして言った。「俺の名前はウォル。ウォル・ウォルフィーナ・エドナ・デルフィン。もうしばらくすれば、ウォル・ウォルフィーナ・エドナ・デルフィン・ヴァレンタインになるだろう。長ったらしい名前だが、どれも大切な名前だ。どれか一つでも覚えておいて頂けるとありがたい」 レオナールはウォルの言葉を聞いて、少しだけ辛そうに眉を顰め、そして少しだけ暗い表情で笑った。 「そうか。では、ウォル、と呼んでもいいのかな?」「ああ。親しい人達はそう呼んでくれる」「じゃあ、俺のことはラナートと呼んで貰えると嬉しい」 レオナールと、そしてラナートと名乗った初老の男は、その銀色の長髪を靡かせるようにして立ち去った。 ウォルは、今度こそ引き留めなかった。 この船は各所で乗客を拾い、しかしその目的地はほとんど一つだけだ。 連邦大学星、ティラ・ボーン。 だからといって、再び会えるとは限らない。何せ、ウォルの生きた世界ですら旅先での出会いは一期一会、再会を約した別れであっても二度出会わないことなど珍しいことではなかった。 ならば、星の数も眩む程に人の多いこの世界、名前だけを交換しあった旅人が再びまみえる可能性など如何ばかりだろうか。 ウォルはほんの少しの寂寥と共に、ラナートのぴんと伸びた背中を見送った。