はてさて何故だか自分に使い魔のルーンが刻まれてしまったルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだが、どんなに叩こうがどんなに騒ごうがどんなに泣こうが一向に起きる気配すら見せない一方通行に怒りを通り越して、最早その寝顔に何かの神々しさすら感じ始めているのである。
「すごい……すごいわ。ゼロが使い魔なんて、タイトル変わっちゃうじゃない。うふふ……」
常人には見えないお花畑を眺めながらルイズは静かに呟いた。
使い魔のルーンが出てしまったのだ。自分に。間違いなく、この左手の甲に。
あひぃ、と何か分からないため息をつき、どうしたものかと思案するも、どう考えても自分でどうこう出来る問題ではない。素直に頭を下げて誰かに相談するしかないのだが、一体誰がこの解決法を知っているだろうか。
断言できる。使い魔のルーンを自身に刻む事の出来た魔法使いは有史以来、己だけだ。
(……ていうか、んな無駄な事誰もしないっての……)
取り合えず落ち着くために腕立て伏せをはじめ、カウント50までいった所で汗を拭いた。
どうしようかとまたも頭を悩ませ、そこで部屋の扉がノックノック。
「……はぁい?」
「あの、シエスタです」
「!」
主人の車の音が聞こえた犬のよう。
ルイズはピクンと反応し、狭い部屋を走って扉に近づくと、全力をもって開け放った。
ごつ、とか、がち、とかなにやら硬い音がしたがまったくもって気にしない。
額を押さえたシエスタは少し涙目になりながらもしっかりと微笑んでそこにいてくれた。
視界に入れた瞬間に今までのほの暗かった気持ちは吹き飛んで行き、そこには本物のお花畑が見えたようで、そしてシエスタが天使に見えた。己の召喚した凶悪な奴じゃなくて、絶対に慈愛とか、癒しとか、何かその辺の。
「しえ、しぇ……っ!」
「はい」
「っしぇすッたぁ!!」
「シエスタですよ、ルイズさん」
平民に抱きつき、涙と鼻水を存分に擦り付けるルイズは一応貴族である。
二人きりの時だけ“ルイズさん”と呼んでくれる彼女には、この時ばかりは本当に下の姉を超えるほどに癒された。ぐずぐずと涙を流す細い身体を抱きしめられ、ぽんぽんとあやすように背中を叩かれる。
「もう、もう訳わかんないよぉ……」
「大丈夫。大丈夫ですよ、ルイズさん」
これがシエスタの魔法であった。
何故か落ち着いてしまうその言葉。大丈夫、と言い方を変えればただ無責任なだけとも思える言葉だが、シエスタが言うとそれは魔法に変わる。
ルイズは何度となくこの言葉に救われてきた。ルイズに嫌なことがあると何故かそれを敏感に察知する彼女。シエスタの“大丈夫”を聞くのは何度目だろうか。
「さぁ、ルイズさん。ルイズさんは立派な貴族様なんですから、ゆっくり涙を拭きましょう。ゆっくりゆっくり、一歩一歩、今までそうやって努力されて、遂には魔法に成功されたではないですか。これからだって何も変わりません。分からない事だって、ゆっくり解決していきましょう」
「……うん……うんっ」
鼻をすすりながら、そこから十分ほど抱きついたままで。
07/『パニック・グラモン』
「あン?」
「だから私が使い魔になっちゃったの!」
「あァ、それがどうかしたのか?」
「どうもこうもないわっ! 使い魔のあんたにルーン刻もうとしたら跳ね返ってきたのよ! どうなってんのよあんた!」
その前に寝ている間に使い魔のルーンとやらを刻もうとしたお前の頭はどうなっている、と問いたい一方通行であるが、非常にやかましいルイズの後ろからとんでもなく剣呑な眼差しをしているメイドがいるのだ。
正直に言おう。苦手なタイプだ。
恐らくあのメイドは命を掛ける。今、一方通行が手を伸ばしルイズを黙らせようものなら、ルイズを助けるためなら、その命を掛ける事が出来る人種だ。
『最弱』を筆頭に、一方通行はその手のタイプの人間が苦手だった。嫌いと言い換えてもいい。なぜならそういった存在は理解の範疇に無いから。
明らかな居心地の悪さを感じ、騒ぐルイズを前にしてため息をつく。
「自業自得って言葉……知ってるか?」
「知ってるし今まさに体感してるわ! その通りよ、自業自得よ! でもねぇ、それだけじゃ納得できないトコまで来てんの!」
(……開き直りやがった……)
とてもじゃないがお話にならない。すごいとさえ思ってしまった。最強の一方通行ですらこうは生きられない。珍しい事に一方通行がきょとん、と目を丸くしてしまうほどである。学園都市の誰かが見たらそれだけで大事件なのではないだろうか。
「な、なによ、そんな可愛い顔しても許してやらなっ……じゃない! 違う違う、うん。許す許さないじゃないわ。これは自業自得なの。そう、悪いのは私だから、だから謝るわ、ごめんなさい。
……で・も! きっとあんたも、シロも悪いわ! 『反射』の事、もっとちゃんと説明しててくれたらあんな邪な思いを抱きはしなかったのよ! 反則にも程がある、あんなの!」
確かに説明は不十分だったかもしれない。
しかし、体表に感じるベクトルをあーだこーだと説明した所で理解は出来ないだろうと思い(あとかなりの面倒くささがあったので)説明しなかっただけだ。
善意(?)で説明を省いたのに、それでここまで言われるのはとてもとてもオンコーな一方通行も腹が立ってくる。
自分では自業自得と言っているが、本当はそう思っていないのではないだろうか。
恐らく何らかの正当性のようなものが欲しくて口にしているだけで、その本心は分からない。
「ちょっと、聞いて───」
振動反射。音は消えた。
『無敵』に成るまでの付き合いだが、もつかどうかが真剣に危うくなってきた。もしかしたら我慢できないかもしれない。もしかしたら人殺しの血が騒いでしまうかもしれない。
気に入らないと思って、殺す事が出来るだろうか。今まで殺してきた人間たちは、それは気に入らなかったから殺したのだったか。
違う。目的があり、その無敵にたどり着くには殺すのが一番だったから。存在自体は気に入るとか、気に入らないとかそういうものですらなかった。
ふと、思った。
そういえば気に入らないと思って殺しをやったのはいつだろう。
思えば随分と昔の話のような、まだ力の制御も上手くない、随分と子供の時以来か。
殺そうと思って殺してきたのだから殺人には違いないが、もっと、わがままに殺したのはいつだったろうか。
目の前で身振り手振りを加えて、そして大声で話しているであろうルイズ。
殺したいかと問われれば、それには否と答える。
殺したい殺したくないではなく、これは、
(どうでもいい)
かち、と何かがはまったような感覚。答えはこれか、と。
絶対能力を手にするまでは一緒に居よう。『虚無』という魔法特性が伝説と言われるほどに少ないのなら、ここで手放すのはもったいない。帰還の事もある。
しかしそこから先はどうでもいい。
何処で死のうが、どうやって死のうが、誰かに殺されようが、自殺しようが、それは自分に関係の無い事だ。
一方通行にとってルイズの価値は6と帰還にだけある。
うん、と自分自身納得。
そしてもう一度ルイズに目を向け音を復活させた。
「───なのっ! 分かった!?」
「おい」
「なにっ!?」
「風呂に入りてェ」
「舐めとんのか!」
くっく、と咽喉を震わせる一方通行は変わらず冷めた目をしていた。
。。。。。
そしてルイズはほかほかと湯気の立つ一方通行をつれて学院長室を訪れた。
正直、もうどうしようもない。ルーンの事などさっぱり分からないし、反射された事例も一度だった聞いた事が無い。
しかし、ここの学院長ならどうだろうか。もしかしたら何か解決法を知っているかもしれない。百とか二百とか適当な歳のとり方をしている老人だ。
もしかしたら、とルイズは藁をも掴む思いで学院長室の扉をノックしようとし、すると一方通行は無言のままノックも無いまま扉を開けて
、まるで自分の部屋のような気軽さで侵入。
「ちょ!」
ルイズは余りの事に咎める事すら忘れて右手を伸ばしただけに終わった。
室内にいる秘書と思しき人物が非難の目を浴びせてくるが一方通行はなんのその。つかつかと足音高く学院長の机の前に椅子を移動させると、どかりと座り込み足を上げ机の上へと。面白そうに目を細めるオスマンの気が知れない。
頭には退学の二文字が。
厳密には違うのだが、己の使い魔が学院長に対しまさか、こんな態度をとろうとは。いや、多少の失礼は覚悟の内だったが、まさかここまでとは思わなかった。
言い訳も思いつかず、あ、う、と謎の言葉を話してしまうわけだが、とにかく謝らなければなるまい。そうだ、どう考えても。
「……ミス・ヴァリエール」
心臓が掴まれた思いだった。
声の主は学院長、ではなく秘書。
「は、はひぃ……」
「貴女は、使い魔をここまで自由に?」
「いえ、あの、こ、この使い魔は、すこし特殊でして、人間でして……」
「特殊なのも人間なのも見れば分かります。私が言っているのは───」
「ほっほ、よいよい。この若人はアクセラレータ君と言っての、わしの友人なんじゃ」
流石にそれは苦しいぞ、と突っ込みかけたのを何とかこらえ、そして一方通行を見ればだらりとこれでもかと言うほどにだらけていた。
「わし等は少し話がある。ミス、少しだけ散歩でもしてきてくれんかの?」
「……はい」
オスマンに言われ、秘書はその鋭い目でルイズをまじまじと眺めながらも部屋外へ。
扉が閉まる音と離れていく足音に安心を感じ、ゆっくりと息をついた。
ミス・ロングビル。物凄い秘書だ。
雰囲気が語っているが、怒った彼女はなんだか堅気の人間が出せないものを放っている気がする。
美人という言葉がぴたりと当てはまる彼女は、無表情で居るとやや目つきが鋭い。眼鏡の奥にあるその目で睨まれるとどうしても捕食される側になってしまうのである。
ルイズはその目をさらりと流してしまう一方通行を改めて人外だと思い、助けてくれたオスマンに深い感謝を。
「申し訳ありません、学院長」
「良い。それに実はわしにも謝る事があっての」
「はい?」
「覗いておったのじゃ、主らの事を」
「それは、その……シロ、じゃなくて、アクセラレータを?」
「……悪いとは思ったんじゃが、まぁ仕方のない事だろうて。大暴れじゃったからなぁ、のう?」
「っハ、あの程度でかァ?」
けらけらと笑いあう二人。
オスマンはさほどでもないが、一方通行は明らかにその腹を探っているような眼差しだった。
はらはら、どきどき。ルイズの心臓はもうもたない所まで来ている。
余りにも礼儀知らず過ぎる。いくら別の世界から来ていても、年上でしかも学院長だと教えたのだ。それにも拘らず一方通行は敬語どころか、その態度はついさっきまでルイズと話していた時と何ら変わる事なく、まさしくフリーダム。世間知らずな若者を気取っているのではなく、自由人。
「自由か!」
「?」
「ミス・ヴァリエール、確かに彼の自由は約束しておるが……?」
「あ、いえ、違うんです。えと、それで……」
「おお、そうじゃ、謝ろう。ミス・ヴァリエール、君等を覗いておった事は真に申し訳ない」
「いえ、アクセラレータが暴れたのは知っているので、それは当然の事かと思います」
「ん。ミスの寛大な心に感謝を。
……それでの、ちょっと言わせて貰えば、いくら乳やら太腿やらに噛み付こうが、己のは育たん。よぉく憶えておくといい」
入・浴!
「……」
「じじいの道楽じゃよ?」
「……は、い。ええ、そうですね。そう……いくら、噛み付いても、自分のものには、なりません……っ」
いけない。決して怒ってはいけない。
犬にかまれたと思えばいい。豚に裸を見られたと思えばいい。何年生きているかも分からないような老人だ。彼の言うとおり、本当に道楽のようなものにちょこっとだけ巻き込まれたと思えば、大丈夫、我慢できる。
ルイズは震える咽喉と手を根性で押さえ、随分と遠回りをしたが、何とか平常心を保ったまま本題へと入った。
「オールド・オスマン、私、自分に使い魔のルーンが出てしまったのですが……」
「ふむ」
「アクセラレータの『反射』に跳ね返されちゃって……」
「うむ」
「解除の方法、あります?」
「……」
「学院長?」
「……見慣れぬルーンじゃの……」
ルイズの質問には答えず、その左手を見ながら呟くようにオスマンは口を動かした。思案をめぐらせているその表情は迂闊に話しかけるのも躊躇うほど。
ルイズはルーンのスケッチを始めたオスマンをただ待ち、暇をしている一方通行はすこしだけニヤついている。
彼がなにを考えているのかは分からないが、どうせ碌な事はしないに決まっている。だって、一方通行が召喚されてからというもの、ルイズには不幸しか訪れていない。
また何かやらかす気か、と少しだけ緊張感を高めたルイズだが、止める間もなく一方通行は加速。
「こいつ、『虚無』だぜ」
「……はぁ、何言ってんのよ。いいの、そういうのは。部屋に帰ったらちゃんと聞いてあげるから」
思わずため息が出てしまった。
なにを言うのかと思えば、まさかここで虚無の話とは思わなかったのだ。
ルイズは思う。一方通行の言うとおり、もし自分が伝説の虚無であったなら、まさか使い魔との契約に失敗する筈が無いであろうと。
この馬鹿の言う事は信じないで下さいね、と口に出すのは怖いので視線に乗せてオスマンへ。
「……なるほどのう」
「納得!? え、納得!?」
「なんで二回言うんじゃ」
「あ、いえ、まさか学院長がこんな話し信じるなんて思わず、その、すみません」
「メイジは己の力量に合った使い魔を召喚するもんじゃ。ミスが虚無だとするなら、まぁ分からんでもない」
オスマンがにやにやしながら一方通行に視線を送った。
使い魔を見よ、との格言通り使い魔のレベルを見れば自ずとその主人の実力も分かるもの。
一方通行を召喚して見せたルイズがただの無能者のはずが無いのだ。
「ンなモンただの消去法だろうが。コイツに聞きゃ、貴族ってのはレベルの違いがあろうと誰だって使えンだろ。そンで失敗で爆発起こすような例も自分だけっつってたな。系統ってのが5種類あるとして、土・水・火・風の四大元素以外の『最も小さき粒』を操るってのは『虚無』以外ありえねェだろうが。ちったァその足りねェ頭働かせて考えてみろ。そこらのガキにも分かるような簡単な問題だ。この世界で生きてきたテメェ等が何でその答えに気が付かねェのか不思議でならねェよ」
そこまで言うと一方通行は足を組み替え、両手を組んだ。態度と視線に心底馬鹿にしています、と出ている。
己の使い魔の言い分は、まぁ分らないでもないが、違う。ルイズ達はこの世界で生きてきたからこそその事に気付かなかったのだ。
例えばルイズが“私は虚無だ”と誰かに言ったところで、それは笑われるだけに終わる。思う存分馬鹿にされて、そこまでで終る。現実に魔法は使えないし、虚無を感じた事も無い。
説明はちゃんと聞いてたんだな、とその事をきちんと憶えている一方通行に舌を捲きながらも、やはり自分が虚無だと言う事は信じられない。
「ゼロか」
「学院長……?」
「ミス、君は随分と洒落た二つ名を付けられたもんじゃな」
「ほ、本当に信じてるんですか? こいつはこの世界に来てほんの一日しか経っていないんですよ?」
「この世界、かね?」
「そうです! このアクセラレータは違う世界から来たんですもの! こいつの本当の世界はチキューって言うところで、ウチュウって言うところに浮いてる星で、そこにはジンコーエイセーって言う、天気や時間を百発百中で当てる物まであるそうです!」
「……と、ミスは言っておられるが?」
「まァ、だいたい当たってらァ。くく、証拠が何一つねェのが悔やまれる、ってな」
「ふむ。参考までに聞くが、そこに住む者は皆『反射』が使えるのかね?」
「さァな。似たような事出来るヤツはいるだろうが、俺の『反射』を真似できるやつは中々いねェだろ」
クローンでも作ってなけりゃな、と一方通行は皮肉気に笑った。
ルイズは一瞬、ほんの一瞬だが一方通行に陰りが見えたような気がした。
傲岸不遜を絵にかいた様な人物だが、元の世界の事は(特に自分の事)は語りたがらない。何か自慢の一つでもしてくると思っていたのだが、そこに見えたのはなんだったろうか。
悲しみではない。
怒りでもない。
喜びでもない。
絶対に見た事のある感情のはずだが、あの目の色はなんだったろうか。
「ミス・ヴァリエール」
「あ、はい」
「まだわしも確信があるわけではない。虚無の事は伏せておきたまえ」
「ええまぁ、私自身信じていませんので」
「それとルーンの事じゃが、これはわし等で調べてみる。解除の方法も一緒にの」
「……ありがとうございます」
とは言うものの、やはり自分の左手に刻まれたルーンを現時点で消す方法は無いようである。若干の気落ちをしながら小さくため息をついた。
「それとの」
「はい……?」
「進級、おめでとう」
「お? ……い、いいんですか? 使い魔じゃなくて、私に出てますけど、ルーン!」
「よい。言い換えれば、彼の能力が無ければきちんと刻む事が出来とったということじゃ。それに、ミスは貴族の誇りを存分にもっておるようじゃ。あの時引き返す事が出来た。己の利己心だけに囚われず、相手を慮る事が出来、最近の貴族が忘れがちな事をミスはしっかりと分っておる」
「……やっっったぁああ!!」
この喜びはどう表現したものだろうか。
一旦落とされてからのこの喜び。学院長も人が悪いなぁ、とルイズはオスマンの髭を撫で撫で。
ふぉっふぉと笑うオスマンと変わらずダルそうな一方通行を置いて部屋を飛び出ていった。後ろ手に扉を閉め、走りながら失礼します、と大声で。
進級確定である。授業にだって出ていい。誰かに自慢せねばなるまい。誰がいいだろうか。といってもルイズの話を聞いてくれる人物など決まっていて、
「しっえっすったぁあああああ!!!」
ルイズは廊下をブーンしながら走り去っていった。
「……随分甘ェンだな」
「良心的じゃろう?」
「ッハ、言ってろよ」
「それで、ものは相談なんじゃが……」
。。。。。
バキリ。
明らかに何かを踏み潰した感触だった。
そういえば朝方にもこんな事があった。あの時はなにを潰したのだろうか。
舌打ち一つ。
潰したものは足元を確かめるまでも無くその正体がわかった。香水だ。強烈に香るそれは少量ならいい香りなのだろう。一方通行の好きなブランドのものと少しだけ似た匂い。しかし、瓶一本を丸々と潰してしまっているのだ。割と高額だったジーンズにもかかったようで、
「……クセェ!」
砕けた瓶を廊下の隅に荒々しく蹴飛ばした。
今は若干腹が立っているのである。
短気は損気と言うが、それはまさか運自体が悪くなるのか、と馬鹿な事を考えながらルイズを探す。
先ほどオスマンが相談といってもちかけてきたのは、一言で言えば『ルイズを守れ』である。
当然、“その気はねェ”と突っぱねたのだが、老人はその代わりに帰還の方法を探すと言う。一方通行としては帰還の方法はルイズが握っているものだと考えているので当然断った。
だが、虚無と言うのは一方通行が考えていたものより厄介らしい。今、この世界の情勢は危うい均衡の上に立っており、虚無の存在が見つかれば戦争に繋がるものであるらしい。当然、虚無の担い手であるルイズもそれに参戦するだろうと。
それがどうした。
よほどそう言ってやりたかったのだが、『理解』も『帰還』も何もないうちに死なれるのは流石に困る。
『そうなったら困るじゃろ? 困るじゃろ? じゃから守ってやってくれぃ。なぁに、君がその背中に彼女を置いておけば死にはせんじゃろ? あ、なんじゃその目は。この世界にはわし位の地位が無いと入る事が出来ん場所が沢山あるんじゃがのう。そこにはもしかしたら違う世界の事や虚無の魔法の事が沢山あるかも知れんのじゃが、ここでわしが死んだら大変じゃな。もうお主はもと居った世界に帰る事は出来んのう。ん、ん? そうじゃろ? そうじゃよ』
思い出しただけでムカムカしてくる。
何よりこっちの事を知っていますといったあの態度が腹立たしい。
老人は生体電流を軽く乱しただけでもポックリ逝く可能性があるので伸ばした右手は行き場をなくし、机を強かに殴りつけただけに終わった(その後羽ペンが老人の眉間に刺さった)。
ルイズを探さなければならない。
彼女が死んでいいのは、最低でも一方通行を元の世界に帰してからだ。脅しすかし、これでもかと言うほどに虚無の事を口止めしよう。まぁ、一応オスマンにも口止めはされている。しかもルイズ自身が虚無である事を信じていないのでそれほど急ぐ必要も無いが、やはり最善は尽くすものだろう。
そして一方通行は廊下を早足に歩くのだが、そのときの周囲の視線がまた彼を苛立たせる。
もう授業は終わったのか、それとも休み時間というやつか。進む先進む先に貴族達は居る。視線自体は学園都市に居た時からなので慣れたものだが、その中身が違う。
学園都市に居た時は畏怖がその殆んどだった。皆一方通行を恐れ、そして馬鹿なやつは尊敬した。
しかしここでの視線の意味は違い、それは嘲笑なのだ。
未だに一方通行の危険性に気が付いていない貴族は大勢いる。当然、一方通行の戦闘を見たのは一つのクラスだけであるし、殆んどは『ゼロの使い魔』としての認識。
ゼロに召喚された無能のエルフ。
これが実しやかに流れる噂である。
他人からどう思われようと余り気にしない一方通行だが、流石に八つ当たりしてしまいそうだ。
イライラが頂点に達そうとしているのを、何故気付かない?
最も強いのがこの俺だと、どうして分からない?
足元からは強烈に芳醇な匂いが漂ってくる。
人を小ばかにした態度の老人からは無理難題を突きつけられる。
そしてルイズを探せば何処に居るのか見当も付かない(自室にも居なかった)。
そして、
「何故君がその香水をつけている! それは僕がモンモランシーから貰った―――」
付けた訳ではなく踏み潰したのであってモンモランシーと言う人物も見当に無いほか今話しかけてきている金髪にも興味は無い。
どう考えても、一方通行の歩みを止めるには不十分だった。
「邪魔だ」
出来るだけ普通に返した。
恨みがあるわけでもない。殺したいわけでもない。ストレスは溜まっているが、それをそのまま破壊に費やすほど一方通行は子供ではない。と、自分では思っている。
「貴族に向かって……! 君はエルフじゃない、そうじゃないのかね?」
「あァそーだな」
「やっぱり! どんな手品を使ったのか知らないが、僕の魔法はコルベール先生のようにはいかないぞ!!」
「そォかい」
「っ、平民め、僕は貴族だぞ!」
「そうでゴザイマスカ」
進む一方通行。後から付いてきてあーだこーだと文句を飛ばしてくる金髪の少年。
一方通行は知るよしもないが、金髪の少年、ギーシュは『青銅』の二つ名を持つメイジである。
プレイボーイを自称している彼としては、手をつけた女の匂いが自分とは別の男からするのはとても腹が立つことであり、尚且つそれが所謂『本命』であるから余計に。
さらに、先日の戦闘を見ていたギーシュには少しだけの余裕があった。
身体的な特徴からエルフではないと始めから思っていたが、それは的中。そして『反射』だが、ギーシュの得意としている魔法はゴーレムを操作する事。
『物体』を操作する以上、コルベールの炎のようにその操作権を奪われ、そのまま魔法を反射される事は考えられなかった。
だから彼は強気に出る。
本当は多少腰も引けているが、女の子に良いトコ見せたいのである。今まさに周囲の注目を浴びているが、チョーキモチーなのである。
「待て、止まれ! 侮辱罪で極刑にも出来るんだぞ!!」
それを聞いて一方通行の歩みは止まった。
「……極刑?」
「そ、そうだっ。平民は貴族を侮辱してはならない、敬わなければならないんだ!」
「俺を殺すってか?」
「そうさ! またルイズはゼロに逆もど───」
逆戻りだな。
恐らく彼はそこまで言おうとしたのだろう。
ちょうど、り、と口を動かそうとした所、不自然な形で、少しだけ歯を食いしばったような形で言葉を発しようとした時、その時三階にいたのだが、不幸な事に彼の横には窓があった。
ゴキッ!と一方通行は全て計算ずくでギーシュを殴った。
能力を使わず何かを殴るという行為に不思議な感覚を抱きながら、顎を狙ったその拳はややずれて頬の辺りに。
奇妙な顔のままよたついたギーシュは開け放たれている窓に近付いたが、もともと非力な一方通行の拳打ではその体を落とすことはできず、
「おらよ」
足を踏み鳴らせば石造りの建物のその壁、窓の枠ごとガポリ、と巨大な何かに食われたかのようにすっ飛んでいった。
「は、お……?」
身体を支えようとしたそこには何もなく、ギーシュはまるで出来の悪いコントでもやっているかのよう。すぅ、と音も無く落ちていくのである。
周囲の貴族連中もあまりの事に呆気に取られ、その中で唯一動いたのはもちろん一方通行だった。
自然に、まるで階段を一段降りていくように壊れた廊下から外へと飛び降りる。手をポケットに突っ込んだまま、ずしんと鈍い音を立てて着地。身体にかかるベクトルはもちろん反射。
ギーシュも何とか魔法を使って着地に成功したようで、落下による怪我は無いように見える。何か呆然とした顔で一方通行を眺め、パクパクと金魚のように口を動かしていた。
その表情は予想を超えて面白く、一方通行は自身の口角が自然と吊り上がるのを感じた。
「くく、言わねェのかよ、“親父にも殴られた事無いのに”ってよォ」
「こ、ここ、こっ!」
「鶏でもやってンのか? トサカ立てろよ、もうちょっとはマシにならァ」
「こっ、後悔させてやる!!」
瞬間、右手に持っていた杖(?)をギーシュは振った。妙な、不思議な形をした杖は先端に薔薇の意匠が施されており、その一枚散るようにその魔法は発現する。
花びらの一枚は地面に付くやその姿を変え、周りの土を取り込み青銅へ。姿かたちを変えるソレはやや女性らしいフォルムをした甲冑に成った。
「僕はギーシュ・ド・グラモン、『青銅』のギーシュだ! 貴族の顔を殴ったんだ、覚悟は出来ているんだろう!?」
「ワリィ。生まれてこのかた一度たりともした事ねェンだ、カクゴ」
「こ、のっ! そうやって死ぬか、平民っ!!」
裂帛の気合と共に、青銅の戦乙女は駆け出した。武装は何もしていない。素手、と言うのもおかしな話だが、その手はただ拳を握っているだけである。
そしてこの戦乙女だが、一方通行にとってはただの石を投げられたのと同じ事である。一定以上の速度と力を持った物体は、最早無意識下で張っている『反射』に妨げられる。
当然それはいくら魔法の力で動こうが、それが青銅(笑)で出来ていようがまったくもって関係なかった。
がっちゃがっちゃと関節を鳴らして迫る戦乙女に対し一方通行はハンドポケットのまま。迎え撃つだけ馬鹿だ。
ふぁ、と欠伸を噛み殺した時、その拳は確かな速度と力をもって一方通行の顔面に吸い込まれた。
木の幹を叩き折った様な、嫌な音。
勿論、戦乙女の腕から。
「……せめて鉄くらい作れねェのか、『青銅』のギーシュさんよォ?」
ぐしゃぐしゃに潰れ果てた戦乙女の腕を毟り取り、まじまじと観察。
確か、『練成』とか『錬金』とか云われる魔法だと確認した。
甲冑の中身は空で、空洞が広がっているのみ。しかしその甲冑は精巧に作られており、人間が着たのならそこそこ出来のよさそうなものだ。
ただ突っ込ませるだけなら何もこんなに複雑な構造のものを作らずとも、適当な形でいいだろうに。
一方通行は退屈そうに解体を続け、その顔面にあたる部分を片手でいとも簡単に潰した。
「……あれ?」
「よォ、御貴族様。聞きてェンだが、まさかこの程度で俺に喧嘩売ったわけじゃねェよな?」
「えと……は、反射って……え?」
「あァ、テメェ俺の反射が『物体』には通じねェとでも思ったわけか? 魔法だけを弾くって」
呆れた様に一方通行は息をつき、
「死ぬのか?」
「っ、あ、そのっ」
底冷えするような声だった。思わず耳を塞ぎたくなるような。その視線だけで人が殺せる。睨まれれば絶対に普通ではいられなくなる。
そう思わせるだけの雰囲気が、一方通行からは出ている。
ここまで馬鹿だとは思わなかったのだ。
余りにもお気楽すぎやしないか。
一方通行を殺すとまで言ったのだ。『反射』の一方通行に。
許されざる事だ。
だって、マイナスを貰ったら跳ね返すしかないじゃないか。今までそうして生きてきて、今更どうやって生き方を変えられる?
ヒントはこれまでに沢山あったろうに。
反射するのだ、一方通行は。殴られれば反射する。害意を貰えば反射する。敵意を向けられれば反射する。
勿論、殺すと威を向けられれば、
「───殺すぞッ、クソガキがァ!!」
一歩、大きく歩を進めた。本当に殺すつもりで一方通行は前に出た。
一方通行が冗談では無く殺すつもりで来ていると分ったのだろう。ぎゃあ、と叫びギーシュは杖を振った。
漸くになって分ったのだ、一方通行の危険性が。彼は『反射』した。馬鹿丁寧に反射したのだ。『反射』は彼の能力ではない。彼の生き方そのものだ。
それは本能的なものだった。ギーシュは本当に『死ぬ気』で魔法を行使。生まれて初めて精神力の減衰というものを感じるほどに、花びらは全て散り練成。
今、最も信頼している魔法を、そのレベルを限界まで上げて、計二十体の戦乙女を作り上げた。それぞれに武装を施し、剣も盾も持っている。
だが、それでも一片たりとも消える事の無い絶望感。
まさかこんなところで本物の『死闘』というものを感じるとは思ってもみなかった。
『命を惜しむな、名を惜しめ』。
グラモン家に伝わる格言だが、馬鹿な、そんなの、死んだらオシマイじゃないか!
「う、ッわぁあああ! 行ってくれ、ワルキューレェエエ!!」
「ハッハァ! 面白くもねェ人形劇だァ!」
迫る戦乙女達に、一方通行は無造作に腕を振っただけだった。
虫を払う時によくやるあの動作。そのゆったりとした腕が触れただけで、全力で迫り、そしてその手に剣を持った甲冑はぶっ飛んでいく。
それも当然で、それなりの速度で走ってきている甲冑は、やはりそれなりの運動エネルギーを持っているのだ。単純にそれを反射するだけでポンポンと玩具のように飛んでいく。
掌で触れただけでその足は爆発した。剣で叩かれれば折れたその刀身が何故か戦乙女に突き刺さる。足を踏みならすと上空にすっ飛んで行き、落ちた衝撃で潰れる。
その様を見、聞き、感じて一方通行はきゃははと実に愉快そうに笑った。
「何だ何だ何ですかァこのザマはァ!! この俺に向かって殺すとほざきやがったテメェはッ、殺されたって文句ねェよなァ!?」
錬金の魔法。
一方通行自身はとても便利なものだと思う。
この世界に科学が発展し、魔法使いが自分のやっている事に気付きさえすれば、錬金は間違いなく凶悪なモノになる。いや、魔法というものそのものが凶悪だ。
自分の持っている力すら知らず、その発展性にも気が付かず、先を見ようとしない。
6という頂を目指し続ける一方通行からすると存在自体が鬱陶しい。魔法使いという存在自体が。
「ひゃはっ! 面白ェもン見せてやンぞ」
「っ何を……?」
戦乙女の数が半分程度に減った所で一方通行は歩みを止めた。
そしてその場に立ち尽くし、両腕を広げる。感じるベクトルを計算、演算。自身の反射の計算は勿論万全。
結局これを完成させる事は無かった。
『最弱』にちょこぉぉぉおおっとだけ追い詰められて、その時に、負けてやってもいいと思った時に考え付いた技。
世界は、風に満ちている。
「いま自分の住んでる所が球体の上だってのは理解してるか? 惑星っつーモンなンだが、何とコイツは回ってやがるんだ。重力、引力、斥力、科学の発展してねェここじゃ何言ってるかさっぱりだよなァ? ベクトルっつー言葉すら伝わらねェ。だがな、確かにここには『力』があンだ。その力を知覚し、操作するのが俺の能力……」
「な、何を言っている!」
「割と最近になって考え付いた新技なンだぜ。これ見て死ねるンなら、本望ってヤツだろ?」
瞬間、ギーシュは熱を感じた。
熱い。とても熱かった。何かが焼きついたような臭いが鼻につき、周囲の温度がさらにさらに上がっている。熱い。肌が焼けていくようだった。
崇める様に上空を見上げる一方通行に釣られ、見上げてしまえば、そこにはもう一つの太陽があった。
「……はぁ?」
そんなことがあるわけが無い。
そう思うも現実に熱く、真夏を越えて熱く、肌が焼けて痛くなってきた。
「高電離気体(プラズマ)ってンだが、知ってるか? 空気ってのは圧縮すると熱を持つ。風を操ればこういうモンが作れんだ。まァ、大体一万度ってトコか。生き残ってたら褒めてやンよ」
「冗談じゃ、ない……」
「あァ、冗談じゃねェな」
「まだ死にたくないんだっ、僕は!」
「この俺に殺すとまで吠えやがったんだ。そりゃしょうがねェよ」
「いや、だ……!」
そして、ギーシュが涙を湛えてそこまで言ったとき、漸く彼女が動き出す。
「ギーシュゥウ!!」
ギーシュには背中が見えた。
小さな小さな、しかしとんでもなく力を溜め込んでいるであろう背中。そして短くなっているが、見覚えのある桃色の髪の毛。
「私の使い魔にッ、ん何してんのよぉおおッ!!!」
めしゃっ!! と、何かが潰れた様な音がし、ギーシュの鼻っ柱には後ろ回し蹴りは叩き込まれた。
筋肉が好きな少女の登場である。