爆発音が聞こえる。次いで、少しだけの振動も。
恐らく一番多くこの爆発を聞いた事がある、さらに喰らった事があるキュルケはすぐに気が付いた。
(何してるのかしら。ついに蹴りで爆発でも起こした?)
ルイズ自身は知らないが、キュルケや他の貴族、その他使用人にいたってもルイズには感謝しているのである。
だって、あれほどに便利な目覚まし時計は無い。
気合を込めた声と、何かを破裂させたような音。
始めの内は不思議で堪らなかったが、アレはルイズがトレーニングしている時の音だったのである。今日はなかったが、いつもはアレにプラスして魔法の失敗爆発まで付いてくるのだから起きないわけにはいくまいて。
彼女のおかげで遅刻者の数はグッと減ったと上級生が言っていたのを聞いた事がある。
ゼロのおかげで感謝される彼女は、それはそれは不名誉だと喚き立てるだろうが、しかし一片でも感謝の気持ちを持っているのだ。その点に関しては素直にありがとう、である。
まぁ、キュルケはルイズ本人を目の前にして言う気は皆無だが。
そしてまた爆音。
(……あの馬鹿。授業にも出ないで何やってんのよ……本気で留年するつもり?)
決して心配したわけではないが、授業が始まる前に聞いてみた。ルイズは留年なのかと。ちょうど使い魔召喚の儀で監督を務めていたコルベールの授業だったし、あくまでもついでなのだ。
キュルケから見て、少しだけ目つきが悪くなったかな、と思うコルベールは、さらに顔を歪ませながら言った。
『保留だね。一応使い魔自体は召喚できているし、学院長も鬼ではない。慈悲を願うばかりだ』
再度爆音。埃が天井から降ってきた。
さて、どうなるのだろうか。
決して心配なわけではないが、自分が好きな火の授業をこれ以上爆音で邪魔されるのも腹が立つ。ここは一つ、手を貸してやってもいいかも知れない。ヴァリエールに貸しを作るのは大変有意義な事だ。
笑い声と噂話で若干うるさくなり始める中、キュルケは立ち上がり挙手をしながらコルベールへと声をかけた。
「ミスタ」
「……うむ、分かっている」
「あら、何をご存知なのかしら?」
「君等は友人なのだろう。心配なのが分かっているのさ」
柔らかく笑いながら言うコルベールにはぜひとも反論をしたいのだが、ここで時間が潰れてしまうのも馬鹿みたいなものだ。だからキュルケは大して否定もせず“ご冗談を”とだけ言い、続ける。
「行っても?」
「ああ。……ただ、あの使い魔には気をつけたまえよ。学院長が“視て”おられるが、何かあったらすぐに助けを呼びなさい」
「まぁ、物騒な事ね。彼、とても情熱的でしてよ?」
妖艶な笑みを浮かべながらキュルケが言うと、コルベールは嫌そうな顔を隠しもしないで、
「破滅的の間違いだろう、それは」
06/『反射の一方通行』
流れ出そうになる涙を根性で塞き止め杖を振る。
振るのだが、もちろんそれは爆発を起こすだけ。しかも何度振っても狙い通りのところには行かず、自分を狙って撃てと言う一方通行の機嫌が悪くなっていく。加速度的に悪くなっていく。それが手に取るように分かってしまうのだから余計に怖いのだ。
「え、えいっ!」
爆発が起こった。
一方通行のだいぶん後ろで。
冷ややかな目と、腕を組んで立つその佇まいがまたルイズの恐怖心を煽るのである。
「……」
「な、何か言いなさいよ」
「無能」
「ぐぅ……!」
一応まだぐうの音は出た。
一方通行はルイズの事を虚無だといった。虚無のルイズと。
はっきり言って、昨日今日魔法に触った人間が何言ってんだか、といった程度。
ありえるわけが無い。
始祖が使った伝説の系統と呼ばれ、未だかつて存在が確認されたのは物語の中くらいだ。
そんな伝説がこの身に宿っているなど夢のまた夢。第一に伝説の系統だと言うなら、何故魔法が使えないのだ。使えてもいいじゃないか。空くらい飛ばせろと言う。
「続けろ」
少しだけ考え込んでいたルイズに一方通行から声がかかった。
未だに一度も当たらない、魔法でもないただの爆発。
それを自分に当てろと言われたときは真性のマゾヒストなのかと疑ったが、そんなわけが無い。一方通行がマゾな訳が無い、と思った後でそういえば謎の反射があるのだったと気が付いたのだ。それほどまでに一方通行はルイズに対して攻撃的だった。
ご主人様と使い魔の立場が完全に逆転し、もうむしろコレでいいかもとルイズも思い始めている。
「おい、聞ィてンのか?」
「ん……あの、さ」
「あ?」
「休憩しない? 私、疲れちゃったんだけど……」
「寝ぼけてンのか? 一回も当てずにやめる気かよ……あァ、ゼロっつーのはそういうことか?」
「……へ、へへ」
乾いた笑いしか出なかった。
まさしくその通りだから。
恥ずかしいのだ、自分が魔法を使うという行動そのものが。むしろ魔法にすらなっていないのだが、恥ずかしい。
もちろん魔法は使いたいけれど、その思いは誰よりも強い自信はあるが、ルイズは自然と自分から魔法を遠ざけようとしていたのかもしれない。
「シロにはわかんないのよ、魔法を使えないというこの気持ちが……いくら努力しても届かないっていう虚しさが……」
「こっちも流石に太陽は一つか」
「っ慰めなさいよ!!」
大体ね、と鼻息荒くルイズは続ける。
「私は怪我も治ってないの! 背中に火傷しちゃってるの!! んなこたぁ言いたかないけどねっ、私はっ、ヴァリエールの三女なのよ!? 世界の違うアンタにはわかんないかも知んないけどねぇ、私ってそこそこ、なかなか、まぁまぁの貴族様なの! お家柄だけならこの学校じゃ割と偉いのよ!? それをアンタ、こんな辱めに……っ! ゼロで悪いか! 無能がどうした! ……ふぅえ、うえっ、うわぁあんっ!!」
今度こそ、涙腺崩壊である。
まだ会って一日だが一方通行には泣かされっぱなしだ。これが嬉し涙であるなら大したジゴロだと褒めてやるが、全部が全部恐怖か悲しみである。
ルイズは思った。己が呼び出した使い魔は余りにも人の事を軽く見ている。自分本位なのだ。ルイズは割と『俺様』は好きだが、コレは余りにも度が過ぎるだろう。男たるもの我が道を行けとも言うが、その道の隣すら歩けないではないか。
そして、
「終わりか? さっさと使えよ、マホー」
これである。
「ふぇっ!? 鬼かアンタ!」
「鬼程度じゃ及ばねェな、俺の足元にも」
「悪魔! 吸血鬼!!」
「雑魚ばかりじゃねェか」
「こ、このっ、魔王! アンタなんか魔王よ!!」
「悲しいなァ、俺の評価はその程度か?」
心底心外だという調子で口を開く一方通行は自信に満ちている。
本当に、微塵たりとも思っていないのだ。鬼にも悪魔にも吸血鬼にも魔王にも、微塵たりとも負けるとは思っていない。
本当に、冗談ではなくだばだばと滝のように涙が出てきた。
腹が立つと同時に羨ましいとも思ってしまっている。
何故そこまで自分に自信がもてるのか分からない。立ち居振る舞い、先日見せた戦闘、それを見れば確かに強いのは分かるが、その心が一体何で出来ているのか不思議だった。プレッシャーは無いのだろうか。自分自身に潰されそうになった事は?
ルイズは毎日感じている。
魔法が使えぬままに今ではもう16歳。
始めは温かく“いつかきっと”と言ってくれていた家族すらもため息を付く始末。果ては学院に押し込められた。
使えるようになるとでも思ったのか?
今まで使えなかったものが学院に放り込まれただけで使えるようになれば誰も苦労はせんのじゃクソジジイ!
昨年の年の瀬。
実家にも帰らず学院の寮に残ったルイズに一通の手紙が届き、その手紙の返信にこう書いてあげました。
下の姉から届いた手紙によると大変ショックを受けていたそうな。
ルイズは手紙一通にもビクビクしなければいけないのに、なのに一方通行は。
輝いて見えた。
これで使い魔が適当な平民だったのならそれはそれで諦めが付いたかもしれないのに、出てきたのはとんでもない魔王然としたこの男。
元来、努力と反骨心だけは誰にも負けない自身を持っている。
だから、
「ぅ、ぐす……だ、だったら教えなさいよ、アンタの事。ご主人様であるこの私が直々に評価を下してあげるから……」
珍しい服の袖を引きながら言うと、一方通行は舌打ちをしながらもその場に座り込んだ。
一方通行が語った内容は信じられないものばかりだった。
化学や科学が進歩し、人間は『超能力』という人を超えた能力を手にしたと言う。その能力は様々あり、デンジハの波を読み取り電撃を放つ者や瞬間移動するものまでいるらしい。
学園都市と言う囲われた空間で一番強かったのが何と自分が呼び出した『一方通行《アクセラレータ》』なのだ。
「それでそれで、そのウチュウって何処にあるの? ジンコウエイセイって落ちてこないの?」
「あーウルセェウルセェ」
「あなたの能力は何なの? やっぱりあの魔法を跳ね返したり、バチってくるやつ? 電気で動いてるの? 科学なの?」
「っち、ガキかテメェ……」
一方通行がため息と共に吐き出したとき、
「あら、私も興味あるわ」
その声は二人の後ろから。
ルイズ自身はよく聞いた事のある声で、毎日のように嫌味を言ってくるその口を物理的に縫い付けたくなるようなそれ。
振り向きもせずに“うげ”と呻き、首だけを向ければやはり見知った顔。
「何の用事よ、ツェルプストー。あんた今授業中でしょう?」
「それは貴女もじゃない。ああ、そういえば留年保留ですって」
「やたっ! ラッキー!!」
「それで、異世界から来た貴方はどんな事が出来るの?」
「めんどくせェのが増えやがった……」
そのときの一方通行の言い草、態度。
何となくではあるが、
「……んん?」
何となくである。女の勘ともいうか。
何となくピンと来たのだが、二人は知り合いなのだろうか。
ルイズにとっては面白くない状況である。
何故ツェルプストーなんかと知り合いなんだ。いや、誰と知り合おうが特に支障は無いけども、だがしかし、ツェルプストーはダメだろう。これは個人ではなく、小さな頃から聞かされ続けた『クソッタレのツェルプストー家秘話』による、いわば刷り込みのようなものだが、それでも嫌なものは嫌なのだ。
ちらりと視線をキュルケに移せば、なにかルイズの視線に感じ入るものがあったのだろう、ワザとらしく一方通行の肩にしな垂れ掛かり、その胸を、ルイズよりもたっぷり大きな胸を腕に押し付け始めた。
「ねぇダーリン、朝みたいにはしてくれないの?」
「あァ?」
「ちょ、まっ、何、あんた昨日はツェルプストーのトコに居たの!?」
「うるさいわよ、ヴァリエールの小胸娘(しょうきょうにゃん)。私はダーリンと話してるの」
「やかましいのはそっちよ! って、んな事はどうでもいいの! シロ、あんたホントに」
「そうよぉ? 今朝は三回もおっぱい持ち上げられちゃった」
「な、何よその持ち上げられたって……!」
まさかルイズには持ち上げるほど乳が無いとでも言うのかまさにその通りだが。句読点すら挟まずにその通りだが。
ギロリと一方通行を睨めば我関せずといった調子に欠伸をしている。
次いでキュルケを睨めばふふん、と鼻で笑っていた。
信じられなかった。
まさか一夜にしてツェルプストーに奪い取られるなぞ思いもしなかったのである。その尻の軽さは話に聞いた以上じゃないか。
自然と、怒りに震えるルイズの手は腰の後ろに挿していた杖に伸びた。
それを見た一方通行がニタリと笑うのにも再度腹が立つ。
「ハ、今度は当たンのかよ、それ?」
プチ、と。
「あ、あああ当ててやるわよコンチクショオ!!!」
振った杖の先から一瞬の閃光が奔り、爆発。
後にルイズが“これまでで一番だった”と語った爆発は、地面を少しだけ焦がし、もうもうと爆煙を立ち上らせた。
ゆっくりと風に乗って煙が晴れて行き、その爆心地にはもちろん三人。
ルイズは黒く焦げながらケホと咳をし、キュルケはとっさに盾にした一方通行をそっと見やり、直撃を食らったはずの一方通行はぴかぴかの無傷だった。
「……とんでもねェ女だ」
ポツリ一方通行が何か呟いたようだったが、ルイズには聞こえない。爆音で鼓膜がちょっとおかしいのだ。
爆発を放った自分がボロボロになり、一方通行は無傷。理不尽じゃないか、そんなの。
ルイズは怒りに震えながら、頭に上った血はそのまま下に降りる事はなく、
「キュルケッ!」
「何よ?」
「風呂に行くわよ!!」
「……はいはい。じゃあまたね、ダーリン」
一方通行に投げキスをするキュルケを小突きながら浴場へと向かうのであった。
。。。。。
「……ッハ、何が魔王だ。爆弾が裸で歩いてるようなもンの癖してよく言うぜ」
一方通行は自身の腕をさすりながら言った。
反射で感じた『訳の分からないもの』。
朝方の爆風に乗ってきた物と同一のものだったからよかった。ギリギリで『訳の分からないもの』として『反射』が間に合った。理解には至らなかったが、反射するだけなら。
そして反射が出来ると言う事は一方通行にとってそれほどの脅威が無いというわけだが、彼の表情は硬い。
理由はもちろんルイズの放った爆発にあった。
傍目で見れば一発の小規模爆破だが、その実態はまるで違う。
小さな小さな破裂が重なり、幾重にも、さらに、もっともっと、とその存在を大きくしていくのだ。ルイズの爆発は多重のものである。
一方通行が先ほどの爆発で反射した『訳の分からないもの』の総数は8万飛んで3つ。
恐ろしい事にその『訳の分からないもの』の種類が71種類カウントされているのだからたまった物ではない。そう、『反射』の『一方通行』が、小さな小さな爆発に、なんと71回も抜かれたのだ。
『最弱』に負けて以来、一方通行は自分の能力を『膜』と考えている。
そこには膜があり、当たったものを跳ね返す。
だが、相手によっては跳ね返らないものもあるのだ。『最弱』の右手を筆頭に、この『虚無』もそう。
ただの『訳の分からないもの』ならいくらでも跳ね返す事が出来る。前記の通り、『訳の分からないもの』として処理してしまえばいいだけの事。
しかし、『訳の分からないもの1』×1000発。『訳の分からないもの2』×1000発。『訳の分からないもの3』×1000発……。このように、一方通行を倒す為だけにあるような、『穴』を付いてくる『訳の分からないもの』。
種類が違う。いや、そもそも『種類』という言葉にくくれるものではなかったのではないだろうか。
スパコンにも勝るその頭脳で一方通行は8万3個の計算の答えを瞬時にたたき出したわけだが、一瞬だけ計算が間に合わないかもしれない状況が脳裏を掠めたほどであった。
実際のところ、威力としては先ほどのルイズを見れば分かるように少しこげる程度。
だが、もしアレを完全に使いこなせるようになれば、とゾッとするような想像が沸き立つ。
「っくく、面白くなってきやがったァ……」
理解してみせる。
誰となしに誓った。
あの『訳の分からないもの』≒『最も小さき粒』≒『存在しない物質』を『理解』してしまえばどうなるのだろうか。
『反射』ばかりに目が行きがちだが、一方通行の本質はあくまでベクトル操作。計算能力にこそその威力は在る。
この肌に触れた最も小さき粒はどういう反応を見せるのだろうか。
そのとき自分は何を感じ何を見るのだろうか。
頂点から外れた『無敵』とは。
「俺を導くか……いや、違ェな……」
道は一本しかない。
先にしか進めない、細い一本道。
先頭を歩いているのはもちろん一方通行。だがそこには道が在る。
「俺は進む。来たきゃ勝手に来いッてかァ? ひ、ひゃはは、マジで、面白く、なってきやがったァ……!」
笑う一方通行。
魔王と呼ばれても何らおかしくない邪悪な顔をしていた。
。。。。。
「何なのよアイツはホントに! ホントにっ! 何なのよぉお!!」
「あーもぉうるさいわねぇ。ちょっとはじっとしてなさいよ」
「もともとアンタのせいなんだから! って言うかアイツ! いい訳くらいしろってのよ!」
わしゃわしゃとキュルケに頭を洗われながら怒りをあらわに。
昨夜はキュルケのところではなくタバサのところに止まったらしい一方通行。
確かにキュルケよりはマシだ。マシだが、自分が殺しかけた人物が床に伏せているのに様子くらい見に来たらどうなんだ、と今まで湧かなかった憤りがふつふつと湧いてくるのである。
そう、よく考えたら(よく考えなくてもだが)ルイズは一方通行に殺されかけているのだ。
背中のやけどだって治っていないのに、今まで一回もサボった事の無い授業にも出してもらえず、そして言う事が“今度は当たるのか?”である。
「力いっぱい蹴りを見舞ってやりたいわ……!」
「はぁ、あなたもよほど体育会系ね」
「……どう、この腹筋?」
「はいはい、細くて羨ましいわね」
「ウエストじゃなくて筋肉の事聞いてるのよ!」
「ん、んー……まぁ、それなり?」
「ち、ちくしょー……」
背中の火傷に泡が落ちないように気を使って洗ってくれているのか、キュルケの洗髪はやけにゆっくりで気持ちがよかった。
はぁ、と一つため息。
馬鹿な事を話しているが、もちろん頭は一方通行の事でいっぱいである。良くも悪くも。
別の世界から来たらしい彼は超能力者だった。
一番強くて、魔王で、反射する。
恐らく彼の能力と言うのはあの反射なのであろう。本当にエルフのような能力だ。
世界の事は話してくれたが、自分の事は一切教えてくれなかった。
もちろん会って一日で信頼しろとは言わないが、少しくらい話してくれても良いだろうに。
「あぁ、よく考えたら私もそんなに話してないか」
「何を?」
「……自分の事」
魔法が使えなくて、劣等生。家から追い出されるような形で入学して、未だゼロ。
キュルケの指が気持ちよくて、なんだかいらない事まで考えてしまう。
愛想を付かされてしまうだろうか。
自問。
恐らく無いだろう。そもそも彼は自分に愛着なんて無いはずだ。
自答。
ルイズは堪らなく欲しかった使い魔。
召喚に応えてくれた時はハグしてキスの雨でも降られてやってもいい気分だったのに、一方通行は違ったのだ。
訳も分からず召喚されて、でも自分の意志で戦って、それで、それで。
「……あいつ、何で私に付き合ってくれてるんだろ?」
「衣・食・住の確保とか?」
「そんなに可愛い性格じゃないと思うけど……」
「あんなに可愛い顔してるのにね」
「……顔はね。顔だけはね」
可愛いと言うよりも、美人だろう。羨ましくなるような綺麗な肌をしていた。
こっちは生傷だらけだと言うのに、使い魔は傷一つ無い。
別に卑屈になる事は無いのだが、ここでも一方通行のほうがご主人様のようだ。
「流すわよ~?」
「うん」
「もうちょっと頭下げて。背中にかかっちゃうわよ」
「うん」
言われて、キュルケの太腿に頭を落とした。
むっちりとした感触と妖艶な褐色の肌に、自分には無い『女』を感じてしまってさらに別の劣等感。腹が立つのである。
「……がぶッ!」
「痛っ! 何すんのよ!?」
「寄越せ! この肉を寄越せー!」
「いたたたたっ、ちょっと、コラ!!」
「怨めしい! 憎らしい!」
その後、ぎゃーぎゃー騒ぎながら全身を洗い終え(全部キュルケが洗った)、湯船には浸からずに足だけを浸からす。ちょっとした足湯である。
「……で、ホントにどうするのよ。あの使い魔君」
ぷかぷかと湯に浮いている乳に腹が立つも、今はちょっと真面目に聞いてきているらしい。
こちらも真面目に返答してやる義理は無いが、ちょっとだけ、ほんの少しだけは感謝しているのでまぁ答えなくもないか。
「……契約するわ」
「まぁそうなんでしょうけど、どうやって説得するのよ?」
「説得も何も、私はもともとご主人様よ……なんて言っちゃうとバチっとくるのよ、きっと」
おどけた調子でルイズが言うとキュルケはクスクス笑いながら“でしょうね”と。
ルイズは正直、今のままで使い魔として認められるのならそれでいい。契約にそれほどの拘りは無い。言う事を聞こうが聞くまいが、自分の世界に帰ろうがこっちにに残ろうがそれは一方通行の自由だ。
だがしかし、本当に面倒な事に己の留年がかかっている。
留年は本当にまずい。
魔法の成績がまったくよくないルイズが留年などすれば、ルイズの両親は間違いなく辞めろと言ってくる。実家には帰りたくない。姉達には会いたいけど、両親に会いたくない。嫌いではないが好きでもない。まったく好きではない。嫌いの一歩手前である。
留年自体は保留の状態だが、この話が両親に伝わる前に何とかしたい。
そのためには使い魔召喚の儀と、呼び出した使い魔との契約が必要で、その契約がなされていない以上するしかないのだが、相手が悪い。すっごく悪いのである。
「……命令はしないとか、自由にしていいとか、そんな事で契約に応じてくれるわけ無いのよね」
「言うだけ言ってみたら? ルーンを刻めなきゃどうしようもないじゃない」
「そうだけど……あんたはあのビリってくるのを食らってないからそんな事言えるのよ。ホントに、なんていったらいいのかしら、ふわふわ~っと魂抜けてるって言うか……“あ、死んじゃったかも”って、現実にそう思えちゃうのよ?」
「……想像できないわ、少なくとも私には」
でしょうよ、とため息をつきながらルイズは考えに耽ったが、結局いい案は出てきそうにはない。
(……はぁ。ま、ツェルプストーの言うとおり、聞いてみるだけならタダか)
己の近い未来に不安を感じながら湯に浮いている乳を蹴った。
。。。。。
「契約してくれない?」
広場で考え込んでいた一方通行は風呂から上がったルイズに部屋へと連れ込まれ、そして開口一番こう言われた。
何の契約かが分からない以上“ハイいいですよ”と言うはずがないのだが、なにやらルイズは妙にギクシャクしている。
恐らく一方通行にとって不利に働くような『契約』を持ち出そうとしているのだろうという空気を感じた。
一方通行はやけに豪奢なベッドや物珍しい暖炉などに目をやりながら適当に口を開く。
「契約……?」
「つ、使い魔の契約の事よ」
「わからねェな。俺はテメェに呼び出されてンだ、そりゃ使い魔じゃねェのか?」
「そうなんだけど……まだルーンは刻んでないの」
「ルーン?」
「そう、使い魔のルーン」
ルイズは続けた。
呼び出しただけでは本当の使い魔ではなく、『使い魔になる生物』に過ぎないのだと。契約を交わして初めて本物の使い魔と言える。
当たり前だが一方通行は契約は行っていない。よって厳密には一方通行は使い魔ではないのだ。
一応その契約とやらの内容をルイズに聞くが、それがまた何ともいえない。
主の目となり耳となり、その身を守る。
ざっくりと言うとこの程度。
薬草を見つけて来いといわれても一方通行には不可能。感覚を共有する事が出来るらしいが、それが人間に通用するのか分からない。そもそも人間を使い魔にすると言う事自体があり得ない。
出来る事といえば主の身を守る事だけだが、一方通行にその気がまったく無い。
死んだら“もったいない”とは思う。聞くところによると『虚無』は伝説らしいのでまた探すのも面倒臭そうなのも確か。だが、それでも一方通行の手は、足は、その肌に触れるベクトルは何かを守るようには出来ていないのだ。
いや、守る気が無いというよりも、不可能。
恐らくそっちの方が近いな、と脳内にとある幻想殺しを映し出しながら思った。
守って欲しいのなら、助けて欲しいのならそれに相応しい奴を呼べばよかったのだ。
(俺は、)
そう、彼は一方通行なのだ、何処までも。
何度でも言おう。彼は助けない。彼は救わない。ただ進むだけ。迷いがあろうが無かろうが、そこは先に進む道しか用意されていないのだ。
「えと、もちろん衣食住は保証するわ。それに他の使い魔みたく何か見つけて来いなんてのも言わないし……ダメ?」
可愛らしく小首を傾げながらルイズは言うが、
「ダメだな。契約っつーのはな、互いにメリットがあって成立すンだ。俺は獣じゃねェ。喰いモン程度でこの俺を動かす気かよ」
「で、でもっ、この契約にはあなたの生活がかかってるわ! こっちの世界の事何にも分からないんじゃ生きていけないじゃない」
「分かってねェな。この俺を動かすのに『生存』程度かってンだよ」
「わ、わ、わっわわ私のファーストキスがつい」
「ガキに興味はねェ」
「せめて最後まで言わせなさいよっ!! 大体私の何が不満なのよ。条件なんて、ただダラダラしてるだけでも生きていけるのよ?」
「不満もクソもねェ。俺の生き方はもう決まってンだ。契約とか意味のわからねェ横槍はいらねェンだよ」
6に成るまでだ。
ルイズの魔法が必要なのは一方通行が無敵になり、元の世界に帰るまでだけなのだ。
いや、もしかしたら『魔法』というものを『理解』してしまえばその必要すらも無くなるかもしれない。
そんな一方通行に契約は必要ない。したくもない。
不満気な顔を隠しもしないルイズを鼻で笑いながらベッドに腰掛け横になるが、何故かやけに砂が乗ってじゃりじゃりとしていたので一度シーツをめくりソレを全て床に叩き落とした。
女臭さに一瞬顔をしかめたものの、よほどいいベッドなのだろう。文明は一方通行がいた時代と比べて大分遅れているはずなのだが、それはそれは『良い物』だと感じてしまった。一方通行が使っていた、眠れればいいだけのものとは違う。
「……それ、分かってるとは思うけど、私のベッドよね?」
「そうか」
再度ベッドに横になる。
ふかふかとしたマットレス。程よく身体は沈み込み、腰が痛くなる心配なんてなさそうだ。
「つ、使い魔が、ご主人様のベッドに、ね、ねね寝るかしら……?」
「テメェの目の前にある現実はどうだ?」
目も合わさずに一方通行は枕を手繰り寄せ頭を落としたが一瞬後にまたも顔をしかめ、くれてやるとばかりにルイズに放り投げた。ルイズの足元に落ちた枕はぽとり、と虚しい音を。
そして、
「俺は寝る」
「……信じらんない……信じらんない!」
鼓膜の振動を反射設定。
目を閉じる寸前まで騒いでいるルイズが見えるが、閉じてしまえばもう何もない。
音は無い。静寂とはまた違う、本物の無音。
疲れているようだ。すぐに睡魔が襲ってきた。
今日は計算を沢山した。反射を沢山した。脳が休みたがっている。
そして一方通行は眠りに落ちる。
己の反射に絶対の自信があるから。先ほどの『訳の分からないもの』も反射設定にしているから。
目を覚ますときに何があるかなんて、それは誰にも分からない。ことも無い。かもしれない。
。。。。。
寝た。
ぐっすりと眠っている。まつげをちょいちょいと触っても起きなかった。
ベッドから叩き落そうと殴ったら自分の拳から嫌な音がしたのだが。
「ヤっちゃおうかしら……」
ぶるぶると拳を震わせながら、ポツリと呟いた。
寝ているところを無理やり、というのはルイズも躊躇した。葛藤の最中である。
だが、この使い魔の態度は駄目だ。本当の本当に駄目なのだ。
何に腹が立つのか分かっているくせに、そこを的確についてくるのだ、一方通行は。ようは舐められているのである。己の使い魔に。
確かにご主人様らしいことはしていない。していないが、それでもルイズはご主人様なのだ。
ぺろり、と舌先で唇を湿らせた。
「そう、そうよね、私、ご主人様だし……何かやらせるわけでもないし、自由にしていいよって言えば流石に殺されたりは……」
ルイズにいつもの判断力があれば間違いなく愚考だと自分に言い聞かせる所だったろう。それは馬鹿な行いだと。一度殺されかけたのを忘れているのかと。
しかし今の彼女は怒り心頭で、悩み抜いている頭は重たくなっているし、目の前に使い魔になってくれる生物はすっかり眠ってしまっているのだ。
気分は『待て』と命じられた犬である。食べちゃいたいのである。
そこまで考えて、もう自分は止まれない所まで来ている事を知った。
はぁ、と今度は熱い吐息を。
心臓が高鳴っている。耳元で大きく、どくどくどく……。
欲が湧いてしまっている。
あれほど憧れて、追いかけ続けた『メイジ』になれる。形だけでもメイジになれるのだ。
使い魔が欲しい。
「……お願い……お願い……」
起きないで、と願った。
成功して、と祈った。
唇を舐める。
ゆぅっくりと呪文を紡いだ。呟きながら、一方通行の綺麗な寝顔へと近付いていく。
ルイズの唇と一方通行のそれは次第に距離を短く、短く。吐息の触れる距離。僅かに開いている一方通行の赤い唇からは規則正しい息遣いと、のぞく舌。
目を瞑った。
(使い魔……。使い魔を、私も……)
もう、触れてしまいそうだった。
使い魔。
出来る。
寝てる。
メイジに、なれ……る。
そしてルイズは、
「~~~っ!! やっぱダメぇぇえええ!!!」
ごちっ!
ベッドの縁にしこたま頭突きをかました。ごつ、ごつ、と鈍い音。額は痛いがこれは自分への戒めである。
(馬鹿か! 馬鹿か! 私は変態かっ!!)
ぴゅっと一吹き血が出たところでそれをやめ、身を投げ出すようにベッドに寝転んだ。
純白のシーツで適当に額の止血をし、隣の一方通行の方を体ごと振り向き、その頬をつつく。
「寝顔に騙されるとこだったわ。そうよ、コイツは危険な奴なの。知らないうちに使い魔なんて、ホントに殺されちゃう!」
ああ恐ろしい、と身震いしながら、そして笑った。
どうやら自分は魔法の才の変わりに貴族の誇りが存分に詰まっているようだ。卑怯な手は使わず正々堂々と行こう。どんなに時間がかかってもいい。もう留年だっていいじゃないか。一方通行を説得する時間だと考えよう。親が帰って来いと言ったら一方通行を差し向けてやる。
「あ~もう恥ずかしい。穴があったら入りたい気分だわ。な~にが使い魔と成せ、よ……」
ふにふにとキメが細やかで柔らかい頬と突付く。
むづがる一方通行がちょっと可愛い。
「殴ったら硬いくせに、触ると柔らかいのね」
ルイズは一方通行の能力を完全には理解していない。一方通行が一定以上の力だけ反射設定している事を知らないのだ。
初めてまともに触れる一方通行は、その寝顔は起きている時とは一転して、まさに天の使いのよう。
もしかしたら見納めかもしれないと思いながら一度だけため息をつき、それに色んなものを込めて吐き出した。
(これから頑張ればいいじゃない。そう、これまでだってゼロって言われ続けてきたんだから、召喚が出来ただけでも大きな一歩よ)
ルイズは少しだけ自嘲気味に笑み、後、不意に一方通行が寝返りを打った。
「は、むっう……?」
視界に一方通行が広がって、至近で頬をつついていたルイズの小さな身体は見事に巻き込まれ、
「ん、ん~?」
理解が追いつかないうちに唇は重なっていた。
気付き、ぞわりと背筋が熱くなる感覚。
私、死んだ。
憶えのある感覚だったのだ。一度だけ、ごく最近に。
一方通行を召喚した時にもこの感覚はあった。魔法の成功感。先ほどの使い魔契約の魔法。呟いた呪文。その効力が切れていなかった。
中断の方法など知らない。と言うよりも多分存在しない。
重なり合う唇から魔力(?)とでも呼べばいいのか、何らかの力が一方通行のほうへ流れ込んでいくのが分かり、
(やば、いっ!)
急いで離れようとする前に、
「おん?」
そのこと如くが自分に返ってきた。そんな気がした。
「はぁ……?」
帰ってきたのだ、確かに。
考えてみれば一方通行の能力は『反射』だ。教員コルベールの魔法も跳ね返していた。ルイズ程度の魔法じゃ寝ていても反射できる。そういうことだろう。
腹立たしいのとほっとするのが同時にやってきて、何ともいえない気分。
これは要するに、一方通行を使い魔にするには説得しか道が無いというわけだ。いや、そうするつもりだったが、この事故で使い魔になっててもそれはそれでラッキーだったのかもしれない。
「いや、いやいや、何考えてるのよ。正々堂々。さっき誓ったばっかりじゃなっ熱、あちちち!! なんじゃあ!?」
突如として襲ってきた左手の熱。燃えているかと思うほどに熱かった。
燃えるのは若干のトラウマになっているので勘弁してもらいたいルイズだが、左手の熱は炎ではない。何か光っている。ああ、まさか、そんなバカな話があるものか。
ゆっくりと、徐々に収まっていく熱と光。
ふぅふぅと息を吹きかけながらのぞくと、そこにはしっかりとルーンが刻まれていた。
使い魔のルーン。
「……どこまで不幸……っ、なんっで、なのよぉお!! ふえ、ぅえっ、誰か助けてぇぇえええ!! しえすた! しえすたぁ!!」
恥も外聞もなく、この日ルイズは全力で啼いた。