最低だ。
最低その1。帰還のことが頭からすっぽ抜けていた自分。
最低その2。帰還の魔法が頭に存在しないマホーツカイ。
最低その3。死なないと言ってるのに喧しく喚くメイド。
「最低です! ミスに呼び出された使い魔なのに、それなのにご主人様に手を上げるなんて! 最低です!!」
二回言うなとよほど言ってやろうかと思ったが、それではまた喧しくなるだけだろうと一方通行の聡明な頭脳は判断した。
ルイズを医務室に運ぶ際に、無視してそのまま何処かへ行こうかとしていた一方通行はメイドに捕まってしまったのだ。
やけに強気なその女はシエスタであり、メイドなのだ。
叫び倒れたルイズを見るなり一方通行に掴みかかり、もう何を言っているのか分からないくらいの声量で捲くし立てた。
ギリギリで可聴領域の声だけを判断するなら、『ルイズ様に何かあったらあなたを殺して私はヴァリエールに頼み込み無罪放免』のような事を言っていた。
何となく逆らいがたい物を感じ、何となく手伝ってしまい、何となく医務室に残っている。
「最低ですっ!」
「あァそうかい」
「またそんな態度! あなたは自分のした事がまったく分かっていません!!」
「ちょっと生体電流乱してイかせてやっただけだろが」
「い、イかせ……最低です!!」
ため息をつきながら反射を行使。鼓膜の振動をゼロにした。喧しいのが相手の時にはいいものである。音は消え、目を瞑れば一切の闇。ああ、世界は今日も狂とて平和ではない。
そして尻のポケットから見取り図を取り出し、また開く。
毎度毎度迷いでもしていたらたまった物ではない。きちんと憶えるつもりで、しっかりと脳内に刻んでいく。
目の前で大口開けて叫んでいるメイドは無視。
数分が経ったか、ベッドの上の住人がもぞりと蠢いた。
「ん~、うるちゃ~い……」
一方通行には聞こえなかったが、わずらわしそうな顔からするに、何か文句の一つでも言っているのであろう。
反射を切り、一方通行にとっては大問題である帰還の件に聞こうと口を開く。
「お」
「ああ、ミス・ヴァリエール、申し訳ありません私が間違ってました! この使い魔は悪魔です! 外道畜生の類の魔物です! 即刻解雇するべきです!!」
「ん~、シエスタ、何言って……」
「ミスの使い魔は本物の悪魔だと申し上げております! 人ではありません! あのような所業、トロル鬼でも可愛らしく見えてしまいます!」
「んあ? ……ってそうよ! またやったわねアンタァ!!」
やかましい。
起きて早々に元気のよい事である。
ルイズの健康状態もメイドの興奮状態にもまったく興味が無い一方通行は今度こそ口を開き、問う。
「俺は帰れねェのか?」
「何処によ?」
「……俺が居た場所にだ」
「へ、へん! 知らないわよそんなの! そ、ん、ぐずっ、そんな、に帰りたいんだったら、帰れば、っいいじゃない! もう知らない!」
涙を瞳いっぱいに溜めながらルイズは言った。
帰ればいいじゃない。
分かっていない。召喚主は自分が召喚した者の事を一切わかっていなかった。
一方通行も帰る事が出来るのなら、それは嬉々として帰ろう。帰る手段があるのなら当たり前のように帰るさ。
しかし今、目の前の小さな女が帰還の手段なのだ。
呼び出しておいて、帰れない。
「っは、まさしく一方通行ってか。冗談にしちゃ随分ツマンネェな……」
「……何よぉ、まだ何かあんの?」
「っち……」
くそったれ。
そう呟きながら一方通行は説明した。
己が呼び出された場所。なにやら不可思議な鏡。月は一つが常識で、魔法などあるわけが無い。
一つ一つを丁寧に、どのような馬鹿でも分かるように説明していった。
家族も恋人も友達も居ないが、見返したい連中が居る。殺してやりたい奴が居る。そしてあの『最弱』に、無敵になった姿を見せるのだ。指先一つで昏倒させ、その様を存分に哂ってやるのだ。
やりたい事がある。もちろんこの世界でも。
しかし帰れなければ意味がない。魅せ付けてやる、『無敵』の一方通行が『最弱』の上条当麻に勝つ様を、全ての人に。
「俺は帰るぞ。それこそどんな手段を使おうが」
「ま、待って待って、そんな急に世界が違うとか、そんな、本気で言ってるわけ?」
「お前ェらと違ってこっちの頭はしっかりしてンだ」
「信じられるわけ無いじゃない、そんなの。何か証拠は無いの?」
そう言われて身体を探るが、もともと昼食を食べに行っただけなのだ。出てきたのは財布だけ。
一応カードキーと電子マネーIDも出てくるが、それが証拠になるかといわれるとそうではないだろう。携帯なんぞ最初から持ち歩こうとすら思わなかった。
一方通行は自嘲気味に笑いながら財布を放った。
『一方通行』。
学園都市だったら知らぬものは居まい。それほどの有名人なのだ、彼は。テレビの中のアイドルよりも何よりも。
何不自由無い生活が送れる金を貰い、実験に協力した。もとより学園都市から出る事の叶わぬ身。不自由の中の自由を求め、突き抜けて、最強になり、6の可能性を知り、負けて、鏡に喰われた。
超超わがままに生きてきた。ウルトラマイペースなのだ、一方通行は。
「く、くく、成る程な。有名なのも面倒クセェが、ここまで『俺』を知らねェか。まァ、当たり前っちゃ当たり前だ、クソッタレが」
そんな彼は言い、踵を返す。
すぐに帰るというわけではない。科学者どもの頭の中身は分からないが、実感としてあと一万人を殺しても6に成れるとは思わなかった。だからこっちで成る。魔法という摩訶不思議なモノがあるこっちで。
なので今すぐにどうこうしろという訳ではないが、それでも何の保険も無いままに行動しようとはさしもの一方通行であろうと思わなかった。
「ちょ、待ちなさい、何処行くのよ!?」
「お前ェにゃ関係ねェな」
「んな訳ないでしょう! こら、ちょっと!」
制止も聞かずにズンズンと歩を進め、廊下に出、そして目指すは学院長室。学院長と呼ばれる老人なら何か知っているかもしれないと思ったのだ。
脳内で何処をどう行けば最短ルートか瞬時に算出。
勝手に足が動いていますというほどにルイズを無視し続けた。
足元がややおぼつかないルイズがふら付きながら、言う事を聞かない太腿を叩きつけ追って来る。シエスタが心配そうに肩を貸そうとするのを断り、その足で。
「何処に行こうっていうのよ! あんたホントに帰っちゃう気!?」
「……」
花札の鹿の絵。モミジと共に鹿の写っている花札。
それを語源にした任侠用語、それが『シカト』である。
一方通行はまさしくシカトした。むしろ何も聞こえていなかった。
「このっ、人の話くらい……っ聞けぇ!」
ちらりと振り向けば拳を振り上げながらルイズが猛然と駆けてきている。
呼吸をするよりも自然に反射。一方通行に触れたルイズの拳はそのベクトルの一部を返された。
ごち、と嫌な音が響く。
「いっ! か、硬っ! なん、あ、あんた一体何で出来てんのよ!?」
「ああ、いけません。すぐに治療をっ」
当然硬い。今の一方通行は鉄よりも。
力を反射するとはそういうことだ。例えば其処にある壁だって殴れば当然痛かろうが、それでも力のいくつかは伝わり、逃がしてくれる。
しかし一方通行の場合はそうは行かない。殴ればベクトルは返ってくるのだ。当然、硬すぎるほど硬いし、殴った拳が壊れなかっただけ僥倖なのだ。
『殴られる』という作業の中で脳裏に映るのは別の『最弱』。
「……最弱でも、その中でも弱ェ部類だぜ、テメェ」
拳に息を吹きかけているルイズにしっかりと捨て台詞を残して一方通行は蔑むように鼻で笑い、またも歩を進めた。
確信する。二度も三度も殺されかけて、それでこの身に潜む脅威に気がつかないのはただの馬鹿。相手にする時間すらもったいない。
一方通行からするならば目を瞑っても勝てる相手(どんな相手でもだが)。帰還の方法も知らないならば意を向けるだけ無駄な存在だ。
「消えてろ」
感情を感じさせない声色。
ほとほと興味が失せたといった表情をしていた。
しかし、である。
ゼロ、ゼロと入学当初から毎日言われ続けているルイズが、毎日を筋トレと枕殴りで過ごしてきたルイズが、消えろと言われて素直に引くか?
当たり前だが、この程度で諦めるはずもなかった。
「ふぇっ、うえ、あんたなんか、あんたなんかぁ! ふっとべぇええ!!」
ルイズが腰の裏に差し込んでいた杖、それを振った瞬間、一方通行の歩く先で爆発が起こった。
吹き飛べといいながら何処を狙っているのだろうか。
しかもつまらない爆発。この程度の規模の爆発ならばレベル1でも起こせる。
触るのすら気を使いそうなほどに可愛らしい。
「あ、あれ? この、えいっ!!」
杖を振ったのだろう。またも一方通行の先で爆発。
狙いすらも定まらないらしい。
この辺りがゼロと云われる所以か、と可愛らしい風を感じながら思考。
思考。
「もう、何で当たんないのよっ! でぇい!!」
爆発。廊下自体が揺れるような。
爆風。一方通行の前髪をなびかせる。
思考。風を感じた。
瞬間、口角が吊りあがった。
考えてみれば当然か。そう、一方通行の後ろで可愛らしい爆発を起こしている少女は一方通行を召喚した。あの鏡の元凶なのだ。
「……あァ、そういう事か」
爆発で風を感じた。あろう事かゼロと呼ばれる女の魔法が反射を抜いてきているのだ。
つくづく因縁めいたものを感じる。よほど『最弱』との相性が悪いらしい。いや、寧ろ良いのか。
くっく、と咽喉を鳴らしながら振り向いた。
その際にビクリと跳ね上がるルイズの肩。余りにも可愛らしすぎる。本当に、触れば壊れてしまいそうな。
「……なァ」
「っうぅ」
「ルイズさんに触らないで!」
またも頭の上に手を置いた。
ルイズの瞳いっぱいに溜まっていた涙がはらはらと流れ落ち始めた。
メイドが先ほどから脛をげしげしと蹴りこんでくる。
何もかもが気にならなかった。
「腹ァ減ったな、おい」
6。随分早く道が見つかった。かも知れない。
05/『虚無』
ちょうどよく朝食の時間だった。運がいいのか悪いのかは分からないが。
ただ間違いなく言えるのは、
「く、くくく……」
気持ち悪い。
自分で呼び出しておいてなんだが、とても気持ちが悪い。
突然腹が減ったといい、突然従順になり、突然咽喉を鳴らし始めるのだ。
いくらなんでも恐ろしすぎるだろう。
「ちょ、ちょっとシロ、あんた前歩きなさいよ。いきなり殺されそうでたまったもんじゃないわ」
「仰せのままに、ゴシュジンサマ」
「何なのよ行き成り……」
先ほどまで居たシエスタが居ない事に不安を感じる。
彼女はメイドだ。当然朝食の準備になると忙しくなる。流石に学院付きの使用人を拘束する事も出来ず、かなり名残惜しかったのだが仕事に戻ってもらった。
結局名前の交換すらすんでいない使い魔はシロと呼んでいる。失礼かとも思ったが、どうやら名前に何か思うところも無い様で、このまま固定でもいいかも知れない。
「ああ、何か首筋がぞわぞわする」
呟きながら先を歩く使い魔を見る。
大股でコツコツと足音高く歩ていくその姿は確かに男らしいのだが、やはり何ともいえない中性さ。
身長も高くは無い。流石にルイズよりは高いが、それでも男性にしては少し低いくらいではないだろうか。体格だってよくない。ひょろひょろのモヤシ体形。一見すると美しいその顔だって、あの狂笑を聞き、見た後では逆に恐ろしいだけ。
「……はぁ、何だってあんたみたいなのが召喚されちゃったんだろ。ねぇ、ちょっと聞いてる? 私はありがとうって言いたかったのに、そんな気持ちどっかに飛んで行っちゃったじゃない」
「礼は必要ねェ。その内言えなくなる」
「何よそれ……はぁ、もうホントに“はぁ”よ」
「く、くく、それも必要ねェ。その内でなくならァな」
「……」
ああ、やっぱり殺されてしまうのかもしれない。
契約だってまだしていないのに、この緊張感は一体なんなのだろうか。ご主人様と使い魔の立場が逆ではないか。
使い魔に捨てられるかもしれないご主人様など御免だ。
大体にして、
「何であんたが私の前を歩いてるのよ。ご主人様は私なんだからね!」
「死ぬか、お前ェ」
一応従順なふりをしているだけであろう一方通行をからかいながら、ルイズは重たい食堂の扉を開いた。
今日は余計な気絶をした分いつもより遅かったようで、すでに配膳されており皆も席に着いている。
ルイズは少しだけ早歩きになりながら一方通行を手招いた。
「こっちこっち」
「……随分とまァ、朝からよくこンなもン喰えるな」
嫌そうな顔をしながら、コツコツと一方通行が歩く音。
そして周囲がざわついた。
ルイズとしては嬉しいのと面倒くさいのが半々くらい。
間違いなく質問が飛んでくるのだろう。
ルイズ自身も書物で読んだくらいでよくは知らないのだが、あの『反射』。アレはエルフと呼ばれる種族が使うものによく似ている。と、思う。見た事が無いのだ、仕方ないじゃないか。
しかし現実としてエルフは魔法を反射し、倒すには十倍の戦力があってもまだ足りないと言われる。
先住魔法を使う彼等は、友好関係には無い。
周囲の視線から感じる畏怖。
ルイズは少しだけ小さくなりながら席に着いた。対して一方通行は気に留めた様子も無くルイズの隣にどかりと座り込み、そして不遜に腕を組む。
当然だが、使い魔に貴族と同じ朝食など用意されているわけも無いのだが、
「あ、あの、そこはね」
「あァ?」
「……なんでもない」
ルイズは日和った。
「君、そこは僕の席なんだ、が……」
「あァ?」
「……いや、失礼。勘違いのようだ」
貴族も日和った。
結局席を取られた貴族も寝坊のために時間に間に合わなかった人物の席に座り万事解決。
ルイズは心の中で謝りながらその貴族に目配せすると“気にするな”とのジェスチャーが返ってきた。あまり見た事の無い顔だが、隣の席はあんな奴だったろうか。割といい奴もいるものだな、と一年間気がつかなかった自分の事は棚に上げ、少しだけ気分をよくしながら始祖にお祈りを捧げた。朝食開始である。
隣を見れば、食材に若干の困惑を見せながらも己の使い魔がきちんと口をつけていた。
(……いつもこんな顔してれば可愛いのにね)
眉間にしわを寄せながら食べているのだが、口に食べ物を入れたときにソレがふわりと薄くなる。正直、少し萌えた。
さらにスープを口に運ぶ一方通行は中々に様になっており、貴族と言われれば信じてしまうかもしれない。そう思うほどであった。
口調などは下品なくせに、ふと見れば何となく気風を感じてしまう。
「ちょっと、口の端ソース付いてんじゃない」
「……」
ハンカチでふき取ってやると赤い瞳を少しだけ薄め、黙って動かないのも中々可愛いものだ。
憮然とした表情でそのまま食事に移ったのも、もしかして照れているのかもしれないし、
(う、うん。ホントはそんなに怖くないのかも……お腹すいてたのかな?)
人間誰だって腹が減れば機嫌が悪くなる。
さらに隣の使い魔からするなら別の世界に行き成り飛ばされて周りは敵だらけと勘違いし、さらには教員と戦闘も行っているのだ。ストレス度数は計り知れないものがあったのかもしれない。
「ねぇ、あなたの世界の朝ごはんはどんなだったの?」
「シリアル。コーヒー。ビタミンE。カロリーメイト(プレーン)」
「分からないものばかりだわ。昼食は?」
「コーヒー。カロリーメイト(ブルーベリー)」
「朝と同じものを食べるのね。夜は?」
「ウィダー。カロリーメイト(チーズ)」
「かろりぃめいとばっかりじゃない。この鶏肉のソテーみたいなのは食べなかったの?」
「っは、食っときゃ良かったな」
「そんなんじゃ筋肉付かないわよ。もっとお肉食べなきゃ。男は筋肉よ、筋肉付けなさい」
「気持ちわりィンだよ」
小さくだが、適当に会話をしてみればそれなりに弾む。
ご飯が好きなのか、それとも本当に機嫌が悪かっただけなのか。少しだけ悩むが、まぁ恐らく答えはどちらでもなく、どれもが彼の本当の姿なのだろう。何か間違えれば今チキンを握っている右手はすぐに自分の頭の上に乗るに決まっている。
契約できるかどうか、それが勝負だ。
何のメリットも無く使い魔になってくれるはずは無いし、まず、彼が何をしたいのかを聞き出そう。帰りたいといわれるのは目に見えているが、それ以外で、何とか留まってくれるように。
考え込みながらもパクパクと箸は進む(もちろんナイフとフォークであるが)。ルイズは出されたものはしっかりと食べ尽くす派なのだ。
しかし問題は隣の一方通行。徐々に動作が鈍くなり、遅くなり、ついには止まってしまった。
「……喰えねェ。多すぎだ」
「はぁ? 何言ってるのよ、半分も食べてないじゃない」
「入らねェもンは入らねェ」
「っもう! ほら、寄越しなさいよ」
そしてルイズが筋肉のために一方通行が残した半分も何とか胃に収め、少しだけ食べ過ぎたかと脂汗をふき取っている頃、待っていましたといわんばかりにその人物は動いた。
口の周りをソースでしっかりと汚し、丸々としたお腹をコレでもかと張らした彼、マリコルヌ君。
彼は食事とルイズを馬鹿にする事に人生の半分くらいを掛けているらしく、しっかりと食事を取り終わった後にケンカを吹っかけるのである。
「ソイツはエルフだ! 悪魔だぞ!」
噂の広がりきっていない上級生側の席が大きくざわついた。
対して下級生側はマリコルヌに若干の同情の目。昨日やられているのに大した胆力だと拍手を送るものまで居た。
「何故僕たちと同じ席について朝食をとっている! 信じられない、僕はゼロのルイズが召喚した使い魔と同じ席に座っているんだ!」
大仰なジェスチャーを加える彼はさながら舞台俳優のようで、しかしそれは貴族の役柄ではないだろう。
最早いつもの事か、とルイズはため息をつき、その際に可愛らしいげっぷをかました。
「けぷ。ん、こほん。無視しなさい、いつもの事よ」
これで少しでもご主人様を庇う様を見せればもっと可愛くなるのだが、
「くく、無能の使い魔だとよ、この俺が」
ルイズの予想通り、その顔はしっかりと笑顔を作っていた。
笑顔というのはもともとリラックスからくるのもだが、この使い魔は恐らくソレから程遠いものから来ている。間違いなくリラックスなんてものじゃないのだ。
嬉しいのか? 楽しいのか? 気持ちいいのか?
わからない。が、確実なのは一方通行の邪悪な笑顔が時間に比例し深く刻まれ、ルイズの額には嫌な汗が出て来ていることくらい。
「む、無能とは言ってないわよ!」
「変わらねェな。ゼロ、無能、最弱」
「あんたねぇ、一体どっちの味方よ?」
「味方ァ? くはッ、笑わせンなよ……」
そういうと一方通行は右手を高々と持ち上げ、
「俺は、俺だけの味方だッ!」
どごん!
食卓に腕を、それはもう渾身の力だろうといわんばかりの威力で叩き付けた。
ルイズの肩は跳ね上がり、ざわついていた食堂は一気に静まる。喚いていたマリコルヌもビクリと一瞬身をすくめたが何も起きない所を見てははは、と乾いた笑いを上げた。
「は、はは、何だ、今回は何もなしか? そうだろう、僕は風上の―――」
彼が風上の何かは分からない。
そこまでしか言えなかったのだ。
指先一つ。
静まり返った食堂で、一方通行が指先で軽く用意されていたグラスを弾いた。
チィ、ン……と静かな音色。
しかしソレは美しいだけではなく、スタートの合図だったのだ。
「っ!?」
ルイズには分からない。分からないが、恐ろしい速度で飛んでいく食器たち。食卓を飾っていた皿は、ナイフは、フォークは、全てがすっ飛んでいった。驚愕のあまり思わず“はおっ!?”と、はしたない声まで上げてしまったのだが、誰にも聞こえてはいないだろう。
食器はそこに食い物が乗っていようが乗っていまいがお構いなしに加速。全てマリコルヌに飛ぶソレは彼の服を、顔面を、肌を、その全てを汚しつくし、
「あぶぶぶっ!! 肉が、肉が飛んで来るだと!?」
肉たちの圧に負け、すってんころりんと転んだ先には椅子の角が。
ごっ、と鈍い音を響かせ、彼は肉まみれになりながら、しかし幾分幸せそうな顔で意識を失った。
「……な、何よあれ……肉たちの復讐? 魔法なの?」
「さァな、言った所で理解できねェよ」
相変わらずの態度。くっくと咽喉を鳴らしている様はとんでもなく気持ち悪いが、それでもルイズは少しだけスッキリした様子で息をつき、呆れたような笑顔を作ってこう言った。
「あなた、なかなかいい子かもね」
「あァ? 何だァそりゃ?」
今回間違いなく言える事は、一方通行の聡明な頭にはマリコルヌの名前が『風上のあぶぶぶ』と記憶された事。それだけの朝食だった。
。。。。。
「いい? まず魔法には二種類あるの。系統魔法って云われる魔法語の魔法と、コモンマジックって云われる口語の魔法ね」
「あァ」
何を考えたか、何故かメガネをかけたルイズに何か授業のような感覚で魔法の事を教わっている一方通行。
魔法の事は知っていて問題ない。むしろ知らなければならないことだ。
知らずとも反射はできるだろうが、それでも知っているのと知らないのでは計算量がまったく違う。『分からない物』よりも『こういう風な物』の方が感覚的に捕らえやすいのは当たり前で、6に成るための努力は一切惜しむ気は無い。
「系統魔法っていうのは土・水・火・風の四つの系統。メイジの強さは大体この系統をいくつ足し合わせる事が出来るかによるの。一つだったらドット。二つだったらライン。三つだったらトライアングルで、四つならスクウェアって名乗れるわ」
「あァ」
「でも純粋な戦闘力って訳じゃなくて、トライアングルがスクウェアに勝ったりも出来るし、ドットでも強い人は沢山いる。ようは使いようよね」
「あァ」
「……で、でね、魔法を使うには精神力が必要で、肉体的な疲労じゃなくて、まぁ、精神的にも疲労を感じるって人は少ないみたいだけど、とにかく精神力が必要なの。どんなに凄い魔法使いでも大きな魔法使っちゃったら休まなくちゃいけないし、中には一月くらい魔法が使えなくなっちゃう人もいるんだって」
「あァ」
「……」
「……」
一方通行は本来書きながらモノを憶える性質ではない。
文字を覚えるときは流石に筆を執ったが、人の話の丸暗記くらいお手の物だ。開発が進んだ脳はスーパーコンピュータに匹敵するとも言われていた。
だからルイズの話も頬杖をつきながらノートを取るでもなく適当に聞いていたのだ。勝手に脳内で答えは見つかる。一方通行にとっては当たり前の事だったのだが、どうにもルイズはそれが御気に召さない様子。
「続けろ」
「あ、あんたねぇ……あぁ、あぁってホントに分かってんの!? 熟年夫婦か!!」
「冴えてンじゃねェか。なかなか愉快だな、お前」
「後で質問してきても答えてやんないからね!!」
「お前ェの講義に漏れがなけりゃな」
「馬鹿にして!」
「続けろ」
その後もぷりぷりしながらルイズは説明を続ける。何とか見返してやろうという気持ちがあったのだろう、その説明、口上は異常に長く、教科書を丸々語りつくした。
だが、結局のところ一方通行の出来のよさが際立っただけで、ルイズはしくしくと涙を流す嵌めになるのである。
当然、一方通行は全て憶えている。
ルイズが咳払いした回数も思い出そうとすれば可能だし、何度“えーと”と言ったかも憶えているが、そこはもう意識的に削除。その脳内は魔法の事でいっぱいになっていく。
「……そういうこと、か」
一方通行の考えでは、『魔法、恐るるに足らず』である。もともと恐れるものなどありはしないのだが。
特に攻撃に役に立つと思われる系統魔法。ソレが四大元素を基に発動するというならば完全反射可能。すでに科学で証明されているものを操っているに過ぎない。
しかし面白いのはここから。超能力と対して変わらないな、と若干の落胆を見せたときに出てきた『虚無』である。
「おい」
「なによぅ……」
「最も小さき粒ってなァ、結局なンなンだ?」
「最も小さき粒は最も小さき粒よ……何言ってんの?」
「……いや、いい。認めたくはねェが、聞いた俺が馬鹿だったみてェだ」
「な、何よ、なんなのよ!? 今馬鹿にした? したわよね!?」
正直、ここの魔法使い達が学園都市に雪崩れ込んだのなら、学園都市は潰れる。間違いなく負けるであろう。一方通行と、数人程度生き残るか。
もちろん魔法使いが自分のやっている事を科学的に理解できればの話ではあるが。
何を隠そう、魔法使いは核爆発を連発で放てるのである。えい、と杖を振れば、核。ふふん、と優雅に降っても、核。おんどりゃあと気合を込めても、核。まぁ間違いなく撃った本人は死ぬだろうが。
そしてまたしてもとんでもないのが『虚無』。
さしもの一方通行もまさかとは思う。まさか、そんな馬鹿な事は無いはずだと思うが、話を聞く限り、『虚無』とは『不確定純物質』を操っているのではないだろうか。
素粒子、量子、そして学園都市にもいたが、『存在しない物質』を自在に操れる存在が居るとするのなら、ソレは人ではない。一方通行自身も自分は人間の領域から外れていると思っているが、ソレを超えて、それはすでに、喩えるなら神で、世界でも作る気かと。
もしかしたら時間を飛ぶなどお手の物ではないだろうか。
身体を自在に作り変え、好きな時間に起きて、あ、ちょっと太陽熱いなと思ったら壊しにかかれるのではないだろうか。そして壊して寒くなったら創るのではないか?
宇宙空間に酸素を撒き散らし、マントルの中に生身で散歩して、マグマの湯に浸かり酒を一杯。もちろんコレは、完璧に、自在に操れてではあるが、可能なのではないか?
そして、である。
目の前の女。
髪の毛は最初見たときよりも随分短くなっており、今もいじけながらぐだぐだとうるさい女。
ゼロのルイズ。
随分としゃれた名前をつけたものだ。本当は分かって付けていたのではと疑うほどに。
「はっ」
思えば、最弱如きに呼べるはずも無い。この身を、一方通行を。
「な、何よ気持ち悪いわね。なまじ頭いいんだから馬鹿なことしてると余計に気持ち悪いんだけど?」
「なァおい」
「だから何よ」
「貴族ってェのは、絶対魔法が使えンだろ?」
「……普通はね」
「くく……」
「あんたケンカ売ってんの!? 絶対買わないわよ!!」
若干弱気なこの女、作りやがったのだ。
『存在しない物質』。一方通行の理解の範疇外にある物質を。反射を抜けたのだ。それしか考えられない。
「喜べよ。お前ェはゼロだ」
「んなこたぁ分かってんのよぉお! 喜ぶ要素が何処にあるってのよコンチクショウ!!」
「今日からは、虚無のルイズに格上げだなァ」
「……あぁ? あんた頭大丈夫?」
「世界くらい軽く超えて見せますってかァ!? ふざけんじゃねェぞ!! この俺が帰れねェ訳ねェよなァ!」
「なななんなのよ、怒ってんの? そ、それとも喜んでんの?」
「いやなに、ちょこっと殺したくなっちゃったなァ。表出ろよ」
「い、嫌よ。だ、だだ大体あんたから魔法の事教えてって言ったのに、教えたのに何で殺されなきゃなんないのよ!!」
「はっはァ……いいから出ろっつってンだよ、ダークマター」
「いやぁ、なんでよぉ……何で、やだぁ……ふぇ、シエスタぁ!」
そしてグズグズ泣き始めたルイズの首根っこを引っつかみ、一方通行は屋外へ。
帰還も6も、全てこの女が握っている。そんな気がする。
運命など信じた事は無い。しかし、今なら少しだけ、ほんの少しだけ信じてやってもいい。
住まう世界すら違うこの女は、俺のために生まれてきた。