02/メモリーズ
その日の朝も気分は良くなかった。
起きて、使い魔の寝顔を見て、ちょっとだけ気分が良くなって、だけれど一人で鍛錬を始めると、またも思考はアンリエッタに嘘をついたところへと行き着く。
はぁ。ルイズは大きくため息をついた。
「今日も今日とて悩み事かい、娘っ子。パッと忘れちまうってのはどうよ」
「忘れようと思っても、なかなかね、そうはいかないの」
「そうかい。俺なんていろいろ忘れちまってるよ」
「あんたと一緒にしないでよ。私はね、人間様なの」
「俺は伝説の魔剣様だ」
ルイズはデルフリンガーの言うことを無視してストレッチを始めた。
いち、に、さん、し、と呟きながら寝起きで固まっている筋肉を丁寧に解していく。まだ先日の戦争で負った傷も完治してはいない。いつもより丁寧に、と心がけた。
一通り準備体操をして、最後に深呼吸。心の中の嫌なものまで一緒に吐き出したい気分だが、そうはいかないのが心というやつで、ルイズは唸るように木剣を握り締めた。
ぶん! 振る。
ぶん! 振る。
ぶんぶん! 振る振る。
まったく持って気分は良くならない。心臓の辺りに鉛か何かを仕込まれているような感覚。重くて、鈍くて、もやもやして。走り出したくなるような衝動をぐっとこらえて剣を振る。
「……娘っ子」
「分かってる」
「……」
「分かってるから、何も言わなくていい」
そんなんじゃ上達しないよ。デルフリンガーはそう言いたいのであろう。それはルイズにだって分かっている。分かっていても、難しいのだ。どこかで発散しないと、何かがおかしくなりそうで、もちろんそんなのは嫌だから、だから力いっぱい剣を振る。
息が乱れて、額に珠の汗が浮かんだ。目に入って、しみる。口に入って、しょっぱい。
いったい何度振ったろうか。何度握ったろうか。
「ふんッ!」
鼻息荒く放つのは剛剣。力任せのそれ。
ただ、何度も何度もやってるうちに、マメはつぶれて手のひらは血だらけに。
「ふんッ!」
だからそれと同時に、剣が手のひらからすっぽ抜けて行った。
くぅるくる回りながら、木剣が飛んでいく。あらぁ、とルイズは間の抜けた声を出して、その視線の先には一人の女の子がいた。
当たる。こりゃ当たる。ルイズは確信した。そしてその確信の通り、もちろん当たった。
「んぎゃ!」
聞こえる声。
なんともいえない表情を、ルイズはつくった。
「……娘っ子」
「分かってる。分かってるから……」
「……」
「……えらいこっちゃ!」
◇◆◇
それがどうした。一方通行の答えはそれ。
ゴシュジンサマの様子がおかしかろうとなんだろうと、それがどうした。
その原因が自分にあろうとなかろうと、それがどうした。
一方通行には差し伸べる手がない。助けようとした瞬間、それは一方通行ではなくなる。だから、それがどうした。
「あなたね、気にならないの? あのルイズがあんななのよ?」
キュルケが珍しく強い口調でそう言った。
彼女に呼び出されて、一方通行はキュルケの部屋にいる。何の話かは大方の予想がついていた。もちろん予想通り。ルイズがおかしいからどうにかしてちょうだい、との事であった。
どうにかしてちょうだい、と言われてどうにかできるのなら、そりゃさどうにかしようもあるのだろうが、一方通行にはそのどうにかする手段が全然見当たらないのだ。どうにかするためにどうしていいか分からないものをどうにかするのはどうすればいいのだろうか。
分からない。一方通行の答えはそれ。
だから何もしない。下手に自分が何かをしようとすると、どうせまた失敗するに決まっている。
「……オマエ、俺にンなこと期待してるわけ?」
心底疲れたように一方通行は言った。
「そうよ。あのね、そもそもルイズがなんであんなになってるのか分からないけど、女の勘がこういってるの。『絶対シロ君のせいだ』って。そうでしょ。そうよね?」
「さァな」
「はぐらかさないで」
一方通行の嫌いな瞳の色だった。
輝いている。綺麗。だからこそ、自分の黒さとか暗さが浮き彫りになる。
「シロ君」
キュルケはどうにも、本気でルイズのことを心配しているようであった。
お優しいことで。一方通行は首を振った。
反射を具現化したようなこの身で、誰かを助けるなんて、それはとても難しいことである。助けるというのは、プラス。反射ってのは、マイナスだ。
何度も繰り返してきた自問自答。
助けるは、無理。守るも、無駄。救うも、無為。
だけれど、と一方通行は考えた。
それがどうした、と一方通行は思った。
無理も無駄も無為も、それがどうした。
どうしたらいいのか分からない。それがどうした。
自分が原因でああなっている。それがどうした。
嫌いな瞳の色。まっすぐに伸びてきて、こちらの心を覗き込んでくるかのようなそれ。キュルケの視線は、痛かった。
一方通行は盛大にため息をついて、もう一度首を振った。
ウェールズを殺したことを考える。あの時、迷いはなかった。ああするのが最善だと思ったからだ。最善をとり続けているのに、結果は知れたもので、ほら、この有様。
「クソッタレ……」
観念したように一方通行は呟いて、右手で顔を覆う。
もそもそと、聞き取れるか取れないかくらいの声だった。
「どォすりゃいい、俺は」
◇◆◇
ルイズの必殺投擲木剣を受けた少女は、どうやら一年生のようだった。名前も知らないし、顔だって見覚えはない。完全に赤の他人をルイズはKOしてしまったわけである。
とりあえずルイズは木剣のあたった頭の部分をなでてみて、そこそこに大きなこぶがあることを確認した。息はしているので当然生きているであろうが、まさかこんなところで狙撃されるとは思っていなかったことであろう。
さすがのルイズもこの状況のままに少女を放って置くような真似はしない。いくら気分が悪かろうが、ルイズは心優しい女なのだ。ていうか自分が原因なのだ。
漢気勝る表情で、ルイズは少女を抱えた。俗に言うお姫様抱っこである。シロにだってしてもらったことないのに、何で私がする側なのよ。内心の不満はもちろん内心に留めたまま。
医務室の扉を開いて、
「なに、また君?」
「今日は私じゃないわ。この子、頭打ったみたいで」
「打った?」
「私の手から離れた剣がやったことよ」
「そりゃ打ったって言うか、君のせいだろ」
「私の手から離れた剣がやったことよ」
ルイズは少女をベッドへと寝かせて、もう用事は済んだとばかりに医務室から出ようとした。
そのときである。少女が目を覚ましたのは。
う、ん、と呻きながら、自分に何が起こったのか、自分はなぜこんなところにいるのか、そんな表情をしていた。
「あ、あー……、えと、大丈夫? ごめんなさい、あんなに朝早く起きてる人がいるなんて思ってなくて……、いえ、そうじゃなくて、うん、とにかくごめんなさい。私の不注意なの」
「……」
少女は放心したようにルイズを見つめていた。
「? えと、頭大丈夫?」
幾分失礼とも取れるが、これは頭のこぶは大丈夫か? である。
「……戦女神」
「あ?」
「あなた、戦女神のルイズ様……ですか?」
「戦女神じゃないけど、まぁ、ルイズ様ではあるわね」
「私、あなたを探していたんです」
「うん? なんで?」
瞳をまん丸にしてルイズは首をかしげた。
ずいぶん穏やかな子だと思う。自分だったら一発くらい殴っている。間違いなく。
「私は、ケティ。ケティ・ド・ラ・ロッタと申します」
少女、ケティは深々と頭を下げた。
ルイズもつられて、こりゃこりゃどもども、と。
「それで……」
顔を上げたケティ。その瞳にはぐらぐらと沸くような熱があった。
わお、前言撤回。どこが穏やか。まったく持ってンな事ないじゃないファック。
「あなた、ギーシュ様とはどういうご関係で?」
ギーシュ殺す。
ルイズの考えたことはとりあえずこれだけだった。
そりゃもうルイズは懇切丁寧に説明した。
なにが嫌って、他人から見たら、ギーシュと自分がいい感じに見えているって言うその事実。何だかんだと戦女神も嫌がってないんじゃないか、と思われていることである。
そんなことはないのだ。ルイズはギーシュなんて、まったくもって、微塵も、鼻くそ程度だってなんとも思っていないわけで、むしろ迷惑。超迷惑。戦女神とか意味の分からない二つ名はつくし、なぜかそれは徐々に浸透していっているし、しまいにゃ姫までも言い出す始末。ギーシュなんてのは、ルイズにとったら雑草か石ころ程度の存在なのだ。いまさら手のひら返したようにルイズルイズ言って来た所で、そうは問屋がおろさないわけで。
「ということなの。わかる? ギーシュなんてね、ゴミよ。塵よ。いまここにギーシュ死にますボタンがあるとするなら、三分ほど悩んで結局はボタンを押す程度の存在よ、私にとったら」
「なんて事を!」
「あなたね、ギーシュよ!? ギーシュなのよ! あんな下半身で物事考えてるような思春期ボーイを! この私がどう思うってのよ!」
「だって、だって、噂になってます! ギーシュ様、以前より素敵になったって! 恋人が出来たからだって!」
「顔だけ見るのはよしなさい。あいつは顔だけよ。顔だけはそこそこよ」
「ギーシュ様を馬鹿にしないでください!」
「きゃー! ギーシュかっこいい! 惚れる! 抱いて!」
「やめてー!」
「どうしろってのよコンチクショウ!」
ばしん、とデルフリンガーを床にたたきつけた。げふ、と鍔のあたりから曇ったような声が聞こえる。
「はぁ……、大体ね、あんなののどこが良いわけ?」
「あんなのじゃないもん」
もん。である。ケティは子供のように唇を尖らせて、もん、と言った。
「ああもう……、ギーシュのどこがいいの? 私にはわからないわ」
待ってましたと言わんばかりであった。
「えーとぉ、まずちょっとお馬鹿なところ。可愛くて、頼りないところがぐっとくるって言うか、なんだか守ってあげたくなっちゃう。かと思えば、花言葉とか、種類とか、珍しい飲み物も、お酒だって、そういう私の知らないところはよく知ってて、私に教えてくれるところはとってもかっこいい。美形だし、色白で、眉の形なんて完璧で、程よく手入れされてる髪の毛なんてとても美しいわ。金色できらきら輝いていて、以前泉に行ったとき、朝焼けの中のあの人は絵画から出てきたような美しさをたたえていたもの。それでいて最近は瞳の中に燃えるような熱意を感じます。魔法の授業も以前よりまじめに受けていると聞きますし、そもそもがグラモン家の血筋ですもの。魔法だってぐんぐんと上達するに決まっていますし、あ、そうそう、乗馬もそこそこにうまくって、後ろから腰に回る左手を感じるだけでどうしようもなく愛しさを感じました。顔を見ればいつだってどこかを褒めてくれますし、たまにくれる一輪のバラなんか、とても芳しく、固定化をかけて永遠にその美しさを維持したいほどで、それでいて───」
「はいはい幻想幻想」
「幻想なんかじゃありません」
「じゃあだまされてるのよ」
「そんなんじゃありません! これは、私がギーシュ様に恋するのは、運命なんです!」
もうやだこの子怖い。ルイズは思った。
「だって……」
「まだあるの?」
「だって、夢を見るんです」
「夢ときましたか」
「殺される夢、小さなころから見る夢」
何かを受信している人種に違いない。ルイズは確信した。
こういう輩はそもそも話を聞かないか、聞いてしまったのならはいはいと適当に聞き流すのが一番なのだ。
もともとルイズは人の話をまじめに聞く性質だが、こればっかりは仕方がなかった。だってこの子、電波さんなんだもの。電波の怖いところは、それが伝染してしまうところにある。電波を受信しているこの近くにいたら、こちらまで電波になってしまう。変な電波を受けて、いやありえないが、もし、もしギーシュなんかを好きになってしまったら、そりゃもう自殺しかない。もう自分で自分を殺すしか道はない。
と、思うくらいには、ルイズはギーシュのことが嫌いなのである。嫌いと言うか、どうでもいいのである。どうでもいいと言うか、好きにはなりたくないのである。
「えーと、なに? その夢で、ギーシュが助けてくれるわけ?」
「いいえ。私は怖い人に殺されてしまうの。怖くて怖くて、どうしようもなく怖くて、とつぜん真っ暗になる。それが死んだってこと。私は野ざらし。死んでそのまま。でもね、そこに金髪で、とても美しい人が通りかかった。その人はね、私にお墓を作ってくださったの。私と、私の仲間たちを埋葬してくださったの。心が晴れたような気分だった。見ず知らずの人なのに、なんてお優しい方なんだろうって」
「……それがギーシュ?」
「そう、そっくり。はじめてみた時、腰を抜かしそうになりました」
うっとりとした表情で、ケティは続ける。
「あの方は言いました。『次に生まれ変わったら、美しくなりなさい。そして僕についてきなさい』。……どう思われますか?」
「あなたの受信機能がバリサンだって事はわかったわ」
そう言い残してルイズは医務室から逃げた。
とんでもない女に絡まれたものである。
そもそも、ギーシュ。あのギーシュを好きだと言う人種がいることに驚きを隠せなかった。そしてその理由が夢を見る、と言うところなんて、ルイズから考えてば、ホントのホントに“頭大丈夫?”である。
いやな意味でどぎまぎしながら、ルイズは廊下を早足で抜ける。さっさと自分の部屋で落ち着きたい。おそらく一方通行はまだ寝ているはずだから、それを見ながらゆっくりと朝食の時間までを過ごそうかと考えた。
しかし、どこまでも不幸に見舞われるのがココのルイズなのである。不幸じゃなかったらルイズではないくらいにルイズなのである。
がちゃ。そんな音とともに開かれる扉。キュルケとは反対隣の部屋。
「あら、ルイズじゃない」
彼女は友好的とは言いがたい笑みをこぼしながら、ルイズにオハヨウ、と。
おやおや、と首をかしげる。彼女、モンモランシーとは、確かに仲がいいというわけではないが、特に嫌われるようなこともしてはいない。彼女が不機嫌なのは、自分のせいではない。
先ほどの一件がなければ、ルイズはそう考えたであろう。
だが、ルイズはピンときている。これは間違いなく、あの男のせいなのだと。ギーシュのせいなのだと。なぜならモンモランシーとギーシュは、付き合っているだかいないだか、喧嘩しただか仲直りしただか、最後までいっているだかキスもまだだか、とにもかくにもこういう噂があるのである。そんな中、戦女神戦女神とルイズを持ち上げるギーシュが居るという現実。
ルイズは人生に疲れた老婆のようにため息をついた。
「……おはよ」
「ええ、おはよう」
「……えと、それじゃ」
「まぁ待ちなさいな。ちょうどよかったわ、あなたに聞きたいことがあるの」
「いや、そういうの私には無いわけだし……」
「……? 私が、あなたに、聞きたいことが、あるのだけれど?」
ひく、とモンモランシーの口の端が動いたのを、ルイズが見逃すはずがなかった。
「まって、考えてもみなさいよ。そういうの、ありえないって思うでしょう?」
「そうね。そうよね。私もありえないって思っていたわ。だってあなたですもの。ゼロのルイズですもの」
「……まぁ、そうよね。いい気分はしないけど、そうよ。ゼロのルイズですもの」
「でも、それがどういう訳か、戦女神なんて云われているじゃない。どういうことなのかしら?」
「遠回りするのね。はっきり言ったらどうなのよ」
けんか腰、という訳ではないが、ルイズははっきりと不快感を顔に出しながらそう言った。
そもそもが、戦女神だのどうだのというのは、ギーシュが広めたことではないか。そう言われて嬉しくなかったのかと聞かれると、ルイズは自信を持って頷けるほどに、嬉しくはなかった。余計な二つ名がついたと感じていたのだ。最近になってようやくあきらめもついてきたのに、そのことをこうも穿り返されると、いかなルイズでも機嫌が悪くなるというもの。
「なによ、その態度。ゼロのルイズのくせに」
やや怯んだようにモンモランシーは呟いた。
「私は、ギーシュをなんとも思ってなんかいない。わかるでしょう? それって、私の態度を見てもわからないこと?」
「……でも、でも」
「不安なのは分かるわよ。私だって、シロとなんかギクシャクしてるし。距離って言うか、なんかそういうの」
「私とギーシュの距離は、あなたのおかげで離れたわ……」
「なにそれ! 私のせいで恋人にフられたって言うの!」
「だってそうじゃない! あんなにスケベで馬鹿だったギーシュが! いきなり真面目になっちゃって、いきなり魔法の特訓なんか始めちゃって! それってあなたのせいじゃない!」
「“せい”!? そう言うのはね、“おかげ”って言うのよ! スケベで馬鹿が直ったんなら、いったいなにが不満なのよ!」
朝も早い廊下で、ルイズは大声を出した。
私は関係ないじゃないか。そういう気持ちでいっぱいだった。
しかし、モンモランシーはルイズに負けないくらいの大声で、
「私はッ! スケベで馬鹿なギーシュが好きなの! 手当たり次第に女の子に手を出して、そのことで喧嘩するのが好きだったの! 馬鹿みたいに私のことを褒めてくれるのが誇らしかったの! 下心丸出しで、だけど最後は私の意志を尊重してくれるようなところが好きなの! 女の子に甘くたって、馬鹿だって、スケベだって、それでもいいの!」
今度はルイズが怯むような、そういう勢いが、モンモランシ-にはあった。
「だって、だって!」
「……」
「だって……どうしようもなく好きなんだもん。私、ギーシュに、惚れているもの……。ほかの男の子なんかより、ずっと格好よく見えるんだもん。失敗したって、浮気したって、しょうがないなって思えちゃうんだもん……」
そりゃ何かの呪いに違いない。
そんなルイズの思いを肯定するように、モンモランシーは続ける。
「……馬鹿らしいって思うかもしれないわ。私自身、馬鹿みたいだって思うもの。でもね、なんだか確信があるの。それを後押しするような、変な夢を見るの」
「ゆ、夢ときましたか……」
「そう、夢。子供のころからずっと……。私はね、怖い人に殺されちゃうの。それでね───」
飲ますわ。
飲ますとな?
そう、飲ますわ。
なんぞたいそうなことを。
協力して。
ふぁっく。
惚れ薬、というものがある。人の心を操る薬で、当然それはご禁制である。
しかし彼女、モンモランシーの手にかかればちちんぷいぷい魔法でポン、である。
惚れ薬を飲んだものがどうなるのか。当然、惚れる。それを飲んで、一番初めに見た人物に、心を奪われるのである。
モンモランシーは言った。浮気しても仕方がないと思えると。許してやろうという気にもなると。だが、現実として、そういうことが起こるのは避けたいのだと。
ルイズもそりゃそうかと思った。しかし、だからといってご禁制の薬に手を出すのはどうだろうか。人の心を操るなど、そんなことをしてもいいものだろうか。ギーシュのことは嫌いだが、それはそこまでしてもいいものなのだろうか───、
「ギーシュ、最近あなたの話ばかりなの。あなたに惚れてるってそんなことばかり言うの。私が泣いても、キスしてくれないの」
「協力するわ」
決断は早かった。
どんなに好かれようと、それだけは頂けない。まるで本気ではないか。本当の本当に、ギーシュはルイズに惚れているではないか。
個人の心を操る。そのことに罪悪感を感じるも、いままでの記憶がよみがえってしまうのである。
ゼロ。何回言われたのか分からない言葉。腹が立ったし、殺してやりたいと思ったこともあった。地味に禿げろと何度も呪った。昔のことを引きずるのはよくないとは言っても、簡単に忘れることの出来ないものだった。
ごめんギーシュ。でもあなた、気持ち悪い。
ルイズは心の中で、それだけを思った。
ギーシュが知れば、過去の自分を殺したくなるのだろう。しかし、今まで自分のしてきたことのしっぺ返しがくるのは、当然といってもいいのかもしれない。
いまをどんなにがんばって生きようと、過去は過去と捨てられないのが人間である。一方通行も、コルベールも、誰だってそう。後悔するのが人間。
だが、ギーシュの場合はその後悔する機会を、薬で奪われる。憐れだとか、可哀想だとか、そういう問題ではないのだ。だからこその、ご禁制。
ルイズの考えが足りないことは間違いないのであろう。個人の憎しみや冗談で使っていい薬ではなかった。
だから当然、ルイズにもしっぺ返しがくるのは間違いないのである。
それから二日後の話である。
「ああ、美味しそうなワインだ」
ギーシュはそう言って、グラスを傾けその芳醇な香りを楽しんだ。
モンモランシーのルイズはベッドの中。布団をかぶり、息を潜めている。見つかってはまずいことなど、当たり前。一人では心細いというモンモランシーに連れられて、布団をかぶせられ、そこで待機と命じられた。
今更になって騒ぐ心臓は、どういうものを表しているのだろうか。緊張? 後悔?
じわりと汗がにじんでくる手のひら。いまならまだ間に合う。
「それじゃあ……、はは、なにに乾杯しようか?」
「なんでもいいわよ?」
「それじゃあ、もっと魔法がうまくなりますように」
「なぁに、それ。お願いじゃない」
ギーシュとモンモランシー、二人は楽しそうに笑って、グラスをキスさせた。
どくん。どくん。心臓が高鳴る。いいの? 本当にいいの? 問いかけてくるような鼓動。
や、やっぱり……。
「やっぱり、だ、だめよね、こんなこと……」
小さく呟くが、ギーシュは気持ち悪い。
「でもでも……、これって、犯罪で……」
ギーシュが、ワインを一口。鼻に抜ける香りを楽しみ、喉を、喉に通した。
こくり。ルイズの聴覚は、喉のなったその音さえ捉えた。
飲んだ、飲んだ!
そのときである。ルイズの後悔が、扉の奥から現れた。
ばたぁん! と乱暴に開かれたドア。蝶番がはじけるような威力だったのではないだろうか。
「よォ、居ンだろココに」
(ああ、ああ、ああああ!!)
ルイズは声にならない声を出した。
「ぎゃああああああ!!」
声になる声すら出して、ベッドから飛び起きた!
しかし! それはもう遅かったのだ!
既にギーシュは、一方通行のほうを向いている! ルイズが捕らえた喉を鳴らすタイミング、扉が開け放たれたタイミング!
そのすべては、神の悪戯などでは片付けられないほどに奇跡的! 奇跡! 奇跡!
時は、止まった。
ギーシュがゆっくりと、緩慢にではなく、穏やかに足を組んだ。キザったらしい態度はそのまま。しかし瞳の奥は、熱い想いにとらわれているようだった。
ボタンを、優雅に、いつも開いている第三ボタンから、その下までを一つずつ空けていく。除く肌。確かに、綺麗。
ギーシュは、扉の方を向いて漢らしく微笑んだ。微笑んで、一方通行にこう言うのだ。
「やらないか」
い、意外といいかもしんない……。
ルイズは鼻血を出しながらそんなことを考えた。