00/~ギーシュ・ド・グラ、グラ……、グラ、ハ……?~
その朝、彼は目覚めた。おめめパッチリ、寝起きは良い。
部屋の窓を開けて、まだ朝もやのたつ時間である事を確認。随分と早く目が覚めたようである。
ふむ。
顎に手をやり彼、ギーシュは一言。
「あえて言おう。ギンギンであると」
決して股間のナニがギンギンではなく、目がバッチリと冴えてしまったという表現のもとその言葉を発したのだ。
かぶっていたナイトキャップをベッドの上に放り、着替えを開始。
ギーシュは服にこだわりを持っている。この学院の制服は何の面白みもない。シャツに、ズボン。それだけである。
だからこそ、だからこそ! だからこそギーシュは制服を着ない! その何の面白みも無い制服に、学院に入学して三日で飽きたのだ!
これは教師、先輩、同級生全てを敵に回すのと同義であった。
シャツはオーダーメイドで仕立て、ボタンは常に上から三つまで開放。タックインなどという、シャツに対する不敬はしない。そう、ギーシュの仕立てたシャツは、裾のところに細かく、目立たないように金糸が通っているのだ。この金糸は自身の髪の毛をイメージしたもので、己の金髪に勝るものはウェールズくらいだと思っているギーシュにとって、金=ME! の勢いなのである。
きん と言えば かね だが、かね には縁が無いグラモン。であるならば、己のきんには誇りを持つ。
だからギーシュは金玉(ツインドライヴ)を磨く事にだって余念が無い。風呂に入るたびに「また始まった」と周囲の友人達は言うが、己のきんに誇りを持っているギーシュにとっては大事な事なのである! 圧縮粒子の開放に不備があっては困るではないか! トランザム! ヒャッハー!
「……馬鹿か僕は。馬鹿か僕は」
寝ぼけてとんでもない方向へとかっとんで行こうとしている思考を鎮めて、ギーシュは部屋の扉を開けた。
まだ皆寝ている時間らしく、しんと静まった廊下。いつもはこんな時間になんか起きないので、何だか知らない場所のよう。ちょっとだけ楽しくなってしまって、こりゃ二度寝をする気分は消えたなと悟った。
ふ、と小さく笑みを零して、ギーシュは散歩でもするかと寮を出た。
朝もやがうっとうしい。せっかくセットした髪の毛がしとしとになってしまった。
まじ後悔、くそ、がっでむ、と小さく呟きながらも、一度決めたことはやってしまおう、と変な意地が出てきてしまって散歩を続行。
まだようやくになって空が明るくなってきた時間だ。朝食が始まるまで、暇をもてあましてしまう。
そしてふと女子寮のほうを覗けば(完全なる無意識。女子を目で追う事はギーシュにとって最早当然。生活の一部。心臓を動かす事の次に重要な事である)、ルイズが随分と重装備で、さらに眠そうに出てくるではないか。
もちろん声をかけようと思った。ギーシュは公言している通り、今やルイズを尊敬しているのだ。そう、リスペクトしているのである。
しかしギーシュは声をかけようと上げた手を、ゆっくり下ろす。
彼女は今までゼロ、ゼロと言われてきた。いや、ギーシュが言っていた。ギーシュはルイズのことを無能だと、自分よりも下に見ていた。だって、ホントに無能だったのだ、ルイズは!
女の子をそんな目では見たくないのも事実。だけれど、『魔法が使えない』。これはいけない。これはもう、貴族ではないではないか。
だからギーシュはマリコルヌと一緒になってルイズをこき下ろしてきた。
『いくらゼロだからって胸まで消してしまうとは何事だい?』
恐らく、自分が言ってきた暴言の中で一番ひどいのはこれであろう。
もちろん忘れるなんてそんなことはない。
いま改めて考えると、なんてひどいことをしたのだろうと思う。だからこそ、ギーシュはいままでの事をルイズに謝った事はない。ごめんなさいだけで済ませてしまうなんて、なんだか、変な言い方をすれば、『もったいない』。
一方通行との決闘(と、ギーシュは思っている)。
そこで感じた優しさ。鼻がもげるかと思ったけど、感じた優しさ。
何をする! 叫ぼうとしたときに、それが『救いの蹴り』だと分かったのだ。
ちくしょう。ギーシュは思った。
この僕を、救いやがった! いままで暴言製造機だったこの僕を!
断言する。
自分だったら、いい気味だと思う。やられて、死ねばいいとか、骨折れろとか、地味に禿げろとか、そんな事を思う。だっていうのにあの『ゼロ』は、この僕を救いやがった!
ちくしょう惚れた。惚れちまったぜちくしょう。これがまさしくあえて言おう! ギンギンであると! ちくしょう!
ここでもう一つ、あえて言わせてもらおうか。
僕は、ギーシュは、ルイズに惚れているのである。これまた厄介で、こちらを振り向いてくれる可能性は、無い! 無いんだよちくしょうちくしょう! これこそまさに彼女を貶めるときに使った『ゼロ』だってかちくしょう!
そう。ギーシュは分かっているのである。彼女がギーシュを好きになる事は、無い。
けれど、それでいいのだ。ギーシュはそれでいいと思ったのだ。
もちろん考えた。ベッドの中で自分の女の趣味について再考した。
好きってなんだろう?
思春期か恥ずかしい。
愛ってなんだろう。
倦怠期か恥ずかしい。
結論。
うん。僕が好きならそれでいいのでは?
その瞬間、ギーシュは漢になった。もともと深く考える事をしないギーシュ。その答えは簡単だったけれど、とても大きいものだった。だって、その考えはまさに、忠に生きるものの考え。忠義、尽くす。見返りを求めず、ただそれのために。
もちろん本人はそんなことには気がついていない。けれど、ギーシュは何となく貴族の階段を二、三歩飛ばしで上ってしまったのだ。
ギーシュはルイズが「許す」と言うまで背中を追い続けるつもりである。「もういい」と言うまで構うつもりである。「うざい」と言われたって気にしないのである。「ドラゴォオン!」くらったってなんだって、ルイズを追いかけるつもりである。
だから、宙をさまよった右手は降りた。
ルイズのその瞳は少しだけ悲しげだったけれど、何か決意をしている瞳だった。遠目にだが、日ごろ女の子の観察に余念が無いギーシュにはわかるのである。
ルイズはグリフォンで颯爽と現れた人物と一緒に、外へと出てしまった。一瞬だけ身体に影がかかり、上を見上げれば青い竜。
迷い?
あるわけないだろう。
ギーシュは急いで馬を用意して、その後を追った。
相手はグリフォン。相手はシルフィード。馬では追いつけない。グリフォンは足が速い。たまに空も飛ぶ。
けれどもギーシュは『土』のドット。じろじろと道を観察し、足跡を追った。変なところでスキルが高かった。
分かれ道のたびに止められる馬は迷惑そうな顔をしていたけれど、僕の愛のためにも頼むと懇願すると、よだれだらけの舌でベロリとギーシュの顔を舐め上げた。
進めや進め。
そう、これは愛だ! 愛しているぞ、ルイズゥゥゥウウウ!!
◇◆◇
死体を見つけた。
え、ちょ、なにこれ、え? ルイズ殺した? これ、ルイズ達がやったの?
グラモン家は軍人家系である。父は元帥。兄も軍人。隊で指揮を執っている。
それはもう、人の死になどは慣れっこだろう。友が死ぬこともあろう。部下の死などざらであろう。
けれど、目の前のリアル。
胸に穴が開いていたり、剣がぽきぽきぽっきー折れていたり、身体の前後が逆転していたり。もうこれは人間の仕業ではない気がした。
うん。死んでる。間違いなく死んでいる。あぁ……死んじゃってるよ。
その死体を呆然と見ていて、ギーシュは気がついた。メイジではない。道を塞ぐように盛り上がっている土山。この『感じ』は、メイジではない。
ギーシュは『土』のメイジである。またしても変なスキルが発動。
だって、道を塞ぐためにこの山を作ったとするならば、こんな不細工な土山にはならない。もう少しスマートに作り上げる。
これは美的観点とかそういう意味じゃなくて、無駄を省くと言う事。ドットのギーシュでさえももうちょっとマシな遮蔽物を作り上げることが出来る。
そういう訳で、これはメイジの仕業ではなくって、だって、この程度の山しか作れないメイジだったら、この死体たちに殺されてるはずで、だから、うん、これ、メイジじゃない。
「……にしても、もうちょっとこう、穏やかに殺す事は出来ないものなのかね? いやおかしいな。穏やかに、話し合いとか、そういう事は考えてもよさそうなものだけどね」
はぁ、とギーシュはため息をつきながら杖を振った。
傭兵の死体はワルキューレに運ばれて、脇の林の中へ。土を操作。人数分の穴を作り、その中に一人一人丁寧に入れていった。
「なんで僕が見ず知らずの平民の墓を作らなきゃならないんだ、まったく」
ぶつぶつと文句を言いながらも、その瞳は真剣だった。
軍人家系。死者に対する礼は、これでもかと躾けられている。それが平民であっても同様に。
ギーシュは錬金した青銅に『ナナシⅠ』『ナナシⅡ』『ナナシⅢ』……と加え、それぞれ埋めた場所に突立てた。
その後、一礼。黙祷。特に何か考えたわけではなく、こういうものだと父から教わった。
顔を上げて手近な『ナナシ』にぽん、と手を置き、
「アーメン ツケメン 僕イケメン、ってね。知ってるかい? いまトリスタニアで馬鹿ウケのギャグさ。僕には神に喧嘩売ってるとしか思えないよ。あの芸人も近いうちそっちに行くんじゃないかな。ほら、敬虔な信者から見るなら、そういう対象だろう? 知らないならそっちで見せてもらうといいさ」
馬の背に颯爽と乗り、あぁ忘れてた、と。
「ここまでしてやったんだ、生まれ変わったら美少女になってくれよ? 僕が声をかけたら一も二もなく付いて来てくれ。そのくらいの役得あってもいいって、そう思わないかい?」
◇◆◇
ラ・ロシェール。
どうやらルイズ達は戦場へと行くらしい。だってこの町、アルビオンに行く以外に来る意味がない。
なんだってアルビオンくんだりまで旅行しなきゃならんのだ。今は戦時中なのに、そこに何の用があるというのか。
少しだけ考え込んで、同時に心がちくりと痛んだ。
ルイズは、キュルケとタバサを連れている。
そこにギーシュは居ない。当たり前である。なんと言ってもここに居るから。
自分に声がかかるなんて、そんなうぬぼれは無いけれど、それでも一緒に行きたかった。あなたも一緒に来なさい、と行って欲しかった。
いや、大それたことを言っているのは理解している。簡単だ。嫉妬しているのである。タバサに、キュルケに。
ギーシュは、皆がフーケに立ち向かっているときも、一歩踏み出せずに居た。
元来目立ちたがり屋だが、あそこにはひっじょぉぉぉおおおおおおおおおに現実的な死があった。
ギーシュは寮の出入り口まで来ていたのだ。当たり前であろう。あの時の馬鹿でかいゴーレム、その足元にはルイズが居たのだ。助けに行きたい。行きたいのに、足が動かない。
情けなかった。悔しかった。涙は根性で止めたけど、夜、寝ているときにいつの間にか泣いていた。
はぁ。
またしてもため息をついてギーシュは手ごろな宿に泊まった。
自分は何をやっているんだろう。そんな思いが、ちょっとだけ出始めていた。
◇◆◇
轟音。
びくっ、と布団を跳ね上げながらの起床である。何事?
ギーシュは窓を開け放ち、ラ・ロシェールの町並みを一目見ようと、
「……夢じゃない」
頬っぺたをつねってみたが、この痛みは間違いなく現実である。
ゴーレムが居た。あの馬鹿でかいゴーレム。ギーシュに一歩を踏み出させなかったゴーレム。そしてそれに追われて、キュルケ。
「夢じゃないなら、なにかの冗談……というわけではないようだから、と言う事はこれは本当で、本気で……、───なんで魔法を使わないんだ、キュルケ!」
使わないのではなく、使えないのだ。キュルケの精神力は底をついていた。
その時、ギーシュはまたも足が動かなかった。
何度足を叩いても、何度頬を張ろうとも。
夢でも冗談でもなくキュルケが追われている。当たり前だが、三十メイルのゴーレムと人間の歩幅はそりゃもう全然違う。
ゴーレムの動作が遅いということを知っていても、ありゃ当然追いつかれる。フーケのほうを見れば、なんだか青筋たてまくってて鬼の形相。ギーシュをしてあの女怖いと思わせるその顔。般若も裸足で逃げていく。
助けなきゃ。そう思う。そう思っている。
キュルケはルイズと最近仲がいいようだし、そうなれば彼女はルイズの友達と言う事で、それは、ギーシュの守る範囲に入っているのではないだろうか。
「なんでっ、なんで動かない、僕! 足が言う事をきかない! 恥知らず! 僕は、ルイズに、今まで、何をしてきた!」
暴言を吐きまくった。お家に連絡されたらグラモン取り潰しくらいの勢いで。
「恥ずかしい! 愛の伝道師ギーシュ・ド・グラモン! 動け!」
これは、彼は、大真面目に言っているのだ。
開け放たれた窓に向かって。自分の足をぽかぽかと殴りながら、じわりとその瞳に涙を溜めながら。
「やるぞ! 足が動かないってんなら、僕には! 手があるじゃないかぁあ!!」
ギーシュは杖を抜いた。
相変わらず足は動かなかった。だから手で、腕でその窓から飛び降りた。同時にフライ。
着地は見事に失敗だった。顔面から地面に落ちて、みっともなく鼻血を出した。
ずるずるとそれを啜って、その時にはキュルケとゴーレムは遠くのほうへ。
ギーシュは目いっぱい息を吸って、そして叫んだ。
「ヴェルダンデェエエ!!」
ぼくり。
地面から顔を出したのはギーシュの使い魔、ヴェルダンデ。ジャイアントモールの彼(?)はヒクヒクと鼻を動かした。
「みっともないと僕を笑うかい?」
モグラはつぶらな瞳をギーシュに向けてくるだけであった。
「だけど、みっともなくっていいんだ、僕は。……いや、本音を言えば格好よくありたいよ? でもね、ここはそういうことを言っている場合じゃないらしい。分かるだろう、ヴェルダンデ。さぁ、僕を連れて───」
言い終わる前に、ギーシュは穴に引きずり込まれた。
その穴の中は当然、光がない。魔法で光を作ることも可能だが、ジャイアントモールは強い光を嫌う。余計な精神力も使いたくない。このまま暗闇を進むのが一番なのである。
そして覚醒を始めるギーシュのセンス。才能。使う場所がやけに限定されるその能力! 土! ギーシュは土だけで像を作るほどのセンスを持っている!
そもそもがグラモン家の末っ子。どいつもこいつも年がら年中『土』を操り、『土』と共に生き、『土』と共に育んできた家柄! 魔法を使えるという貴族! 当然ながらギーシュに至るまで平民の血は流れていない! 濃く! その濃度! 『土』を操るというスペシャリズム! アビリティ! シックスセンシズ! そして乙女座の彼にこそ感じることの出来る! センチメンタリズム!
ずしん。
ゴーレムの足音。
ずしん!
ゴーレムの、足音!
ギーシュの頭の中には、その図が鮮明に浮かんだ。追われるキュルケの図さえも、刻明に。
何も見えない空間というのが幸いだったのかもしれない。目には頼らない。ただ、土、砂、石、岩。その全てが伝える。
そうか、ここはラ・ロシェール。山を切って、そして作った町。石が多いのか。ヴェルダンデ、硬いだろうが、頑張ってくれ。
「わる、きゅーれ」
もちろん真っ暗である。
けれどもギーシュには、ギーシュの瞑った瞼の奥。その瞳には、見えていた。
建築物。逃げ惑う人達。
その中に、三体のワルキューレ。
「いってくれ」
自分の足が動かないなら、魔法で作った足を動かす。
地上のワルキューレを操作。ワルキューレには、攻撃力なんてほとんど無い。だから───!
「投げろ投げろ投げろ! ああ! 違うそっちじゃない! うわ、ああすまんそこの平民! そうじゃないんだ! わざとじゃないそんなに怒らないでくれ! よせ! 止めろ! そんな事をしたらキュルケが危ないだろう! ほら! ほらほら! 僕の愛を邪魔するんじゃない! 投げろ! とにかく投げろ! 注意を引くんだ! 何でもいいから! よし! そうだいいぞワルキューレ! それを操っている僕! カッコいいじゃないか僕! これは近年稀に見るカッコよさじゃないか! いけるぞギーシュ・ド・グラモン! 愛の伝道師ギーシュ・ド・グラモン! カッコいい! すばらしい! このセンス! ギーシュ・ド・グラモォォオオオン!!」
ギーシュのその攻撃は、確かにフーケの邪魔をした。
フーケ自身は町を壊したので平民達が怒って物を投げつけているのだろう、程度にしか考えていなかったが、平民にはそんな蛮勇は居ない。全て、ギーシュがやったのだ。
地中で叫びながら、ミミズのように、モグラのように。みっともない。それがどうした。だって僕、いま輝いてる!
「あえて言わせてもらおうか! これが、ギーシュ・ド・グラ、げほ、げぇっほ! はむぅ……土を飲んでしまった」
そして、町を二週。そう、町を二週だ。
いくら狭い町と言っても、人間とゴーレムの追いかけっこ。町二週は、ゴーレムが勝つはずであった。
だけれど、ほんのちょっとの時間。ほんのちょっとの隙。それを稼いだのは何を隠そう、ギーシュ・ド・グラハムだったのである。
精神力を限界まで使って、使い切って、何故だか地上にゴーレムの気配が消えて、ギーシュはゆっくりと意識を失った。
確かに一歩。いや、その一歩は手だったけど、それでも一歩、彼は前に進んだのだ。