09/~赤色アルビオン・悪~
スカボロー。そこが一方通行の今現在の目的地である。
ルイズ達は船に乗りアルビオンへと向かった。それ以外に選択肢が無いのだから間違いないだろう。当然、船は港を目指すものであり、そのルイズ達が目指す港はスカボローの港なのだ。そこから王子様が居るというニューカッスルに到着するまでには約一日がかかるらしい。
移動時間が『一日』という時点で若干笑いがこみ上げてきたのだが、それはそれ。科学技術が発展していないここでは当然のことなのだろう。
一方通行は風竜、シルフィードの背中に乗り、背びれに背中を預けている。何かに乗って空を飛ぶのはあまり経験がした事がないし、確かに楽しくはあるのだが、どうにも不安だ。自分で動かさないと何となく、いつか落ちやしないかと、あまり安心は出来ない。一方通行は他人の運転する車に乗りたくない派の人間である。
この竜に乗ったままでも、その港に到着するのはまだ先の話。飛行機の一つでもあれば楽なのに、とない物ねだりに興じた。
「シロ君」
「うン?」
「もしかしてさ、自分で飛んでいったほうが速いのかしら?」
「速さだけで言うなら……、どうだろォな、まァ同じくらいなンじゃねェか?」
「……置いてく? いいわよ別に」
「それじゃ色々不都合があンだよ」
「うん?」
一方通行が重力を反転させ空を飛び、ジェット気流に乗り込んだらそりゃもう速い。だって、それは本物の風の速さなのだ。恐らくシルフィードの速度は超えるだろう。
しかし、一方通行が出来るのはあくまでも滑空。昇って、斜めに落ちていくのである。落ちていくのである。目的地をはっきりと確認して飛ぶのならいいが、その目的地がまだ見えないのだ。どのくらいの高度にあるのかもわからない、方角も定かではない場所。しかも浮いている国になど、どうやって『滑空』して行けようか。可能不可能だけの話なら当然可能だが、それはやるやらないの話ではない。普通に考えて、このままシルフィードに乗っていくのが正解であろう。アルビオンが見えるまではこの背中の上でだらだらしておくのが一番良い選択だ。
キュルケが不思議そうに視線を送ってくるが、一方通行はそのまま無視して空を眺めた。
空に浮かぶ島とは、一体どういったものなのだろうか。馬鹿馬鹿しくて笑いが出てくる。帰りたい。眠い。気になる。ミサカもルイズも。勝手に死なれるのは、うん、何だか腹が立つ。そもそも戦争なんかしているやつらが気に入らないし、アルビオンが気に入らないし、トリステインのオヒメサマ(笑)はもっと気に入らない。
一方通行は歪んだ笑みを口元に浮かべ、
「どォなっても知らねェぞ。この俺が行こうってンだからなァ……」
くつくつと咽喉を鳴らした。
◇◆◇
甲板へと上がり、デルフリンガーを抜き、「行けー! 財宝は目の前だー! ……なんちゃって、なんちゃって!」と海賊、空賊ごっこをして、そしてアルビオンが見えた。
水がアルビオンという一つの国から零れ落ちていて、途中で雲になっている様はまさしく幻想的。
一緒に来たかった。ルイズはそう思った。シロと一緒に、一方通行と一緒に。
水蒸気がアルビオンを支えているような光景。どうだ、この国が浮くという現実。そっちの世界はどうだった? 空を飛ぶ『ヒコォキ』は聞いたけれど、こんな物は世界を飛んでいた?
どうせ返ってくる言葉など、「あァ」だの「そォか」だの「うるせェ」だの「黙れ」だの、そして最終的には「殺すぞ」って言われるのくらいルイズは、そりゃさもちろん分かっている。分かっているけれど、もっと知りたいのだ。
一方通行と顔を合わせるたびに彼の世界の事を聞きたいし、彼の能力の事を聞きたいし、彼自身の事をたくさん聞きたい。知りたくってたまらない。ミステリアスな男がモテる時代は、ルイズの中で終わりを告げた。ルイズは一方通行の髪の毛の数だって知りたいし指の甘皮がどの程度の硬さなのかも知りたいし瞬きを何秒間隔でしているのかだって知りたいし、そして何より、ルイズを、自分の事をどう思っているのか、それがとても気になるのである。
好かれている、なんて甘い幻想はそげぶされた。そんなもの、豚のクソにも劣るような、ホントのホントに甘い幻想である。豚のクソが甘いかどうかなんてこの際どうでも良くて、とにもかくにも、自分は、一方通行には好かれていない! 何てことだろうか! こんなことばっかり自信を持っていえるなんて頭がどうにかなっているとしか思えない! ああ、ああ、シロシロシロシロ。こんなにご主人様が思っているのにあなたは一体何をやっているの? 大変なのよ大変なのよ。姫様の秘密の任務、頑張ってるのに大変で! こんなのってないわ! こんな、こんな、アレってまさか、何てことよこんな事!
「嬢ちゃん……、そろそろ俺、背中に戻ろうか?」
左手はビカビカしてた。
「あはぁあん! シロシロシロシロォ! なにやってるのよこんなに想ってるのにあんたはちっともこっちの事なんて見ないのね! 最低最低最低甲斐性無しの根性無し! 夜が来るたびに誘ってるこっちの身にもなりなさいよぉ!」
「じょ、嬢ちゃん! ちょ、おま、マジ嬢ちゃん!」
「ああ心配になってきたわ、凄く心配になってきたわ! だってだって! キュルケは置きっぱなしにしてるし! やだ、殺されたりしてなきゃいいんだけど……、ああ、ああ、何だか胸とお尻がざわ…ざわ…するわ! これはきっと良くないことが起きるような気がするようなしないようなっ」
何だか、そう、何だか気持ちがネガティブに入ってきた。嫌な想像まで何故かは分からないがどんどん出てくるし、やだやだ、キュルケ、キュルケぇ。たまんないわ、たまんない。この胸がきゅんとすぼまる様な感覚。何でもないのに涙があふれそうになって、何だかネガティブが増幅されているようで、
「───ルイズ!」
はた、と。
『ル』『イ』『ズ』。一方通行にそう呼ばれたときのことを思い出した。あの時の全能感ったらなかった。あの時は本当に何だって出来るような全能感が、ルイズの全身を駆け巡っていた。剣の一振りでゴーレムを叩き壊せると信じていたし、自分が負けるなんて事は想像外。何たって、あの時は最強だったのだ、ルイズは。
様々思い出を駆け巡って、一つだけ息を付く。
訳の分からない考えでビカビカと輝いていた左手の甲。そこにある『ガンダールブ』は徐々に輝きを薄くしていった。
「……、……。……、そうよね、考えたらあんな、殺しても死なないようなやつが簡単に死ぬ訳もなし、シロだってこれからたくさん時間かければ……、お婆ちゃんの一歩手前くらいで仲良くなれるかもしれないし」
「そうそう……、落ち着いて考えんだ。失敗なんぞどこにもねえ。万事OK。問題も、何もねえ」
そう、考えてみれば、自分はどういう女だったか。
何事もスマートに済ませてきた女ではないか。スマートに爆発を起こし、スマートに魔法を勉強し、スマートに筋肉をつけて、スマートに屈強な馬鹿男どもを沈めてきた。貴族の風格、その上に立っていたような、出来る女なのだ、ルイズは。
そんなルイズが考えて。
「……ボロ剣」
「おう?」
考えて。
「アレってさ」
「OH……」
脳みそ働かせて。
「問題発生じゃないかしら?」
「……おう」
大砲がこちらを向いている船は、敵だろうどう考えても。
「───……行くわよ、ボロ剣!!」
「おう!!」
ばったり出会ったのか、それとも計画されていたのか。
謎の敵が襲ってきたのは半日ほど前。警戒レベルはそれだけでマックス。
甲板を蹴り付けて、床板をばきばきをぶち壊しながらルイズは駆け出した。大砲の狙いはぴたりとこちらの船を捕らえていて、この船に武装は無い。
だが、それがどうした。
またもやルイズは馬鹿(さいきょー)になっていた。
「ぶっっっつぶすから!」
ぎゃっはっは! そんな声を上げながら、後頭部に衝撃直撃。
ぎゃふぼぉお! そんな声を上げながら、タバサに殴られた。
くるくると目を回すルイズはそのままズルズルとタバサに足を引かれて、シエスタからもらった田舎パンツ(ひよこ)を盛大に空賊様方々に披露。
何をどう考えても、タバサのファインプレーである。
◇◆◇
快適とはいえない空の旅。ようやくその終わりが見えた。ラピュタである。間違えた。アルビオンである。
一方通行はもう一度スタジオジブリが大喜びしてその後に卒倒するほどのものだなと思い、しかし相も変わらず冷静で冷血でどこか壊れているような自分の心を馬鹿にした。
普通だったら。
すげェ、こンなの見たことねェよ。感動だな。
くらいの感想は抱いてもよさそうなものなのに、一方通行が思ったのはただ一つ。口に出すのもただ一つ。
「どこの馬鹿がンなトコに建国しやがった……、頭イッてンな、オーサマ」
「あ、あなたね、そんなことアルビオンで言ったら大変よ? アルビオンの貴族はあの空中国家を誇りに思ってるんだから」
「事実だろォが。他国との交流もままならねェだろ、コレ」
「まぁ……ちょっとはあるわね、そんなとこ」
「くはっ、滅ンで当ォ然。戦争なンてくだらねェことやる訳だ」
「別に滅ばないわ。ただ単に治める人が変わるだけ」
「いや、そりゃァ分かンねェだろ」
「……? ……あッ、あなたまさ───」
一方通行が触れただけでキュルケは倒れた。それはもうぷつりと人形のように。ルイズのように犬の鳴きまねはしなくて、綺麗に綺麗に気を失った。このあたりに気品や、その他諸々の『いい女』の材料が詰まっているのだろう。
一方通行はシルフィードの上で立ち上がり、バランスを崩して背びれを握った。暖かくない。爬虫類。冷血。しっとりとした肌触り。
鼻で笑いながら口を開く。
「よォ、ドラゴン……、シルフィード」
きゅい。
「俺ァちょっと用事があってよォ、その女の世話なンざ、まったくこれっぽっちも出来ねェ訳だ」
きゅい。
「……オマエは帰れ。分かるか? 帰れ。どこだっていい。あの学院でも。とにかく、俺についてくるな。分かるな? 分かれよ」
一方通行には珍しく、というよりも初めて、どこか感情と呼べるようなものが映った瞳だった。
非常に遠いけれど、凄く凄く遠いけれど、どれかと言われれば、優しさ。と呼べるような呼べないような。あやふやな、瞳の色を見てしまえば吹き飛んでしまいそうだけれど、それは、この世界で初めて見せた優しさかもしれなかった。
言葉の通じない動物。だからこそかもしれない。
コレが人間相手だったら、もちろん諭すような言い方なんてしないに違いないのだ。帰れ。以上。コレで終わり。
言葉が通じなくて、だけれど賢くて、だからこそ一方通行は言葉を使った。
「わかったら、行け」
瞬間、一方通行は空へと落ちた。落上。反転させた重力は、簡単に一方通行を持ち上げた。
くつくつと咽喉を震わせて、瞳はぐらぐらと燃え滾って。
きゃは。
一つ聞こえた笑い声。実に楽しそうな声だった。
行き先は目視可能。スカボローの港。周りにはうじゃうじゃと人ごみ。ゴミ。きっとアルビオンの兵隊さん。何だか戦争中なので、そりゃもう港を大勢で取り囲んでいる。
優勢なのは貴族派。王党派は貴族派に追い詰められている。ルイズの用事を済ますには、王党派が生き残っていなければならない。
だが、どうだ、この大軍! 上空から見渡す限りに人人人人!
隊列を組んでいた。長い長いその列は、遠く遠く続いていた。あの先が、ニューカッスル。敵軍へと進む兵隊さんたち。人ごみ。だから、ゴミ。一方通行は知らないことだけど、その数実に五万。五万人ものゴミを見つめて一方通行は。
きゃは。もう一度聞こえた。
きゃはは。もう一度。
「っっ、ぎゃはッ!」
狂笑だった。
「ゴミが集まったところでッ! そりゃただのゴミ山だろォが!!」
港へと、ミサイルのように飛ぶそれは、もちろん一方通行。
突撃で散った木片を片っ端から弾き『反射』。戸惑いの声も、不安の声も、怒りの声も、全部の怒号をそれすら『反射』。
当然そこに居る平民だろうが貴族だろうが傭兵だろうが、全ての視線を集めた。
もう、面倒なのだ。ルイズのことを考えるのは結局答えが出ないので飽きた。ミサカのことを考えるのだって結局答えが出ないので飽きた。虚無のことなんて、もっと理解不能。もう理解とかそういう範疇にあるものなのかどうかすら不安。不安。不安? っか、笑っちまう。不安? そのようなもの、一方通行には存在しない。一方通行にあるのは自身と自信のみ。自分こそが最強で、己こそが頂点。人間? そんなものはゴミである。人ごみとは良くいったモノ。もう一方通行には目の前の人間達が、そのあたりに転がっている空き缶に見えてしまう。この世界には空き缶が無い? だったら石ころでもなんでもいい。その程度の存在に見えてしまうことさえ理解してくれたらそれでいい。
一方通行はぽつりと呟いた。
「オマエら、悪党だなァ」
人を殺したら、それがどんな理由だって、殺そうと思って殺したのなら、
「決まってンだよ。悪党だ」
だから、と一方通行は続ける。
浪々と、詩でも刻むように。
悪党は、殺されて文句を言えるような筋が無い。もちろん一方通行はそれを理解している。だから一方通行は殺されたって文句を言うつもりも無い。物理的に無理だとかそういう話は置いておいて、つまりはそういうこと。
殺しの正当化。一方通行は悪党が大嫌いだ。人が人を殺すなんて、とても虫唾が走る。未来ある人間を殺してしまうなんて、何てことをするんだと、全世界の悪党一人一人に怒鳴り散らしたいほどに。当たり前だが自分の事は棚に上げる。棚どころか、天にも上ってしまってる。
だから、口から零れる言葉はこれで、
「戦争なンざくだらねェ……」
一方通行は歌なんて歌ったことが無いのでそういう戦争の終結策は取れなかった。だってギターなんて弾けないし、バルキリーの操縦方法なんて聞いたことも無い。
だから、一方通行の戦争終結方法は、当然これで、
「全員、俺に、あはっ……───殺されちまえってンだよなァ!!」
暴力以上が始まった。
◇◆◇
「……捕まったー……」
縄でぐるぐると蓑虫にされたルイズはため息混じりに呟いた。
本来なら今頃、ズカボローの港について、馬を拝借して、一日ほどかかろうがニューカッスルへと向かっている最中なのだ。
それなのに突然の空賊襲来である。
あ り え な い !
なんだろうかこのタイミングは。まるで計算されているように不都合が起きる。フーケはなぜか襲ってくるし、突然黒ずくめの男に襲われるし、そして空賊は来るし。
いや、確かに空賊ごっこはしていたけれど、こんなものを呼び寄せてしまうなんて思いもしなかったのだ。
ふんがーふんがーと暴れまわった結果、ルイズだけぐるぐるの蓑虫にされて、他の二人は杖を取り上げられて両手を後ろに縛られているだけである。
「ああもう、何でこんなことになるわけ? ホント意味わかんない。なによこの扱いの差は」
「暴れるから」
「暴れるわよそりゃ。目が覚めたら縄持った男が目の前に居るのよ? どんなことされるか分かんないじゃない」
「?」
「……だから、何か変なことされるんじゃないかなって思ったの」
「変なこと?」
「だ、だから、犯されでもするんじゃないかって思ったの!」
「そう」
「そうよ」
「そう」
変わらず冷静なタバサに胡乱気な視線を贈り、ルイズはがじがじと縄にかじりついた。まずい。毛羽立ってる。ちくちくするし、たまんない。今度は尺取虫のように身体を動かして、どうにかこうにか縄を解こうともがくが、どうにも強烈に締め上げられている様子。ちょっとやそっとじゃ解けそうにない。
ああもう。
ルイズはため息をつきながらころころ転がった。
「あんまり動かないほうがいいぞ。体力を温存しておくんだ」
壁に背を預けて目を瞑っていたワルドが、少しだけ笑いながら。さすがにルイズの奇行に突っ込まざるをえなかったらしい。
「んなこと言ってもねぇ……、もうこの現状だけで疲れてくるんだけど」
「こういう時はいつでも動けるように準備しておくんだ。頭の中でシミュレートして、こうなった場合はこう動く、こうなったらこう動く、ってね」
「なにそれ、経験者は語るってやつ?」
「いや、何かの小説で読んだだけ。なんだったかな、平民が貴族に復讐していく話なんだ。もちろん廃盤になったけどね」
本の話になったとたん、タバサの眼鏡が光る。
「エリオールの復讐」
「ああ、それそれ。よく知ってたね」
「四回読み直した」
「そんなに面白かったかい? 僕は嫌いだったね」
「なぜ?」
「だって、復讐が簡単に成功するはずがないじゃないか。彼は単純だったよ。力で貴族を殺しまわっただけだ」
「内面はよく表現されていた」
「あんなの卑屈になってるだけさ。どろどろのネトネト。もうちょっと救いがある話のほうが好きだね、僕は」
「……そう」
「それで、その人最後はどうなるわけ?」
ルイズは多少興味を持って会話に参入。
しかし、
「死ぬよ」
「げ、なによそれ。私絶対読まないわ。ハッピーエンド推奨派だから」
「けれど、復讐は完了したよ。一応はハッピーなんじゃないかな?」
「どこがよ。生きて結婚して子供作って大きな白い犬飼って最後は孫達に囲まれて老衰する。このくらいの想像が後からついて来るのがハッピーエンドよ」
「そりゃまた……、究極だな」
「だって、私が本の作者なら、想像の世界でくらいは幸せを書いていたいわ」
「そりゃそうだが……、使い古されてる。売れないよ、それじゃ」
「大丈夫よ。どっちにしろ作家になんかならないから」
「ずいぶん投げっぱなしな答えだね、ルイズ」
「そもそも受け取るつもりがないでしょ、こんな馬鹿話」
「まぁね。よくご存知だ」
「いい加減な男ね」
「はっは、本当に僕のことをよく分かっているよ、ルイズ」
ワルドは笑って、そして目を瞑ってしまった。本人の言ったとおり、体力を温存させておく作戦のよう。タバサは変わらず何を考えているかは分からないけれど、何かを考えているだろうことは分かった。話し相手にはなるまい。
ルイズは静かにため息をついて、もう寝てしまおうかと思った。どうにもこの三人で解決は出来ないような状況。だったら何か起こるのを待つしかなくて、それなら寝てたっていいのかも。うん。よし、寝よう。
ルイズは目を閉じた。床が固くって安眠は出来そうにもないが、それでも思考を始めてしまったらネガティブな事ばっかり考えてしまう。状況が状況なので仕方が無いのかもしれないが、それはあまり好きではない。ネガティブは良くない。ポジティブのほうがずっと良い。だから、そう、寝てしまおう。
縛られている身体を仰向けにして、枕が無いから寝違えてしまうかもと心配をしたときだった。
閉じられている扉が乱暴に開いた。入ってくるのは痩せぎすの男で、三人は一様に瞳をその男に向ける。一歩だけ男が後ずさりしたのがルイズは滑稽だった。
「お、お前ら、アルビオンの貴族派か?」
「そういうアンタはどうなのよ」
「っは、俺か? そりゃ空賊なんかやってんだ。貴族派の皆さんのおかげで商売できてるってわけ。当然のことながら貴族派ってこったな」
「そ。じゃあ私も貴族派ってことで。ほら、仲間でしょ。縄解きなさいよ」
「……」
「なによ?」
「……信用できねぇな。本当は王党派なのかも知れねぇし」
「アンタ馬鹿ぁ? 今さら王様に協力するような馬鹿が居るわけ無いでしょう。全部今更なのよ、今更。戦況はどうなのよ。貴族派は優勢なんでしょう? もう勝ちの目前に居るんでしょう? だったら王党派に残るのは王様と勇傑のみよ。戦況を分かってる人間は今更アルビオンなんかに行かないっての。そんなの馬鹿でしょ。ただの馬鹿」
「……ふん……その通りだな、まったく。……頭に報告してくる。じっとしてな」
そういうと男は出て行った。
またも乱暴にドアを閉める音。バタン、と今度は余計に乱暴だったように感じた。
「……ワルド、やっぱこの船貴族派の船よ。早く逃げなきゃ」
「出来たらやってるよ」
「それもそうね」
ルイズは虫のように身体を起こして、
「……貴族派って言っちゃった」
「別に気にする必要は無い。僕でもそう言ったさ」
「そうかしら? あなたプライド高そうだしね、王党派って正直に言うんじゃない?」
「馬鹿にするなよ。僕のプライドなんて犬のクソにも劣るさ」
「あら、あなたが犬のクソにも劣るんだったら私は何?」
「君か……、うぅん、そうだな……」
「ゴミ以下」
「……そ、そうね。私のプライドなんてゴミ以下ね。プライドなんて売ってもいいんだけど、ゴミ以下じゃ誰も買わないわね」
そう、プライドなんて、必要なときにだけ必要な分取り出せばいい。さっきはいらない。ゴミ以下である。
だってルイズは、確認した。あの痩せぎすの男は、それはそれは空賊のような格好をしていた。もう胡散臭いほどに空賊だった。ターバン巻いて、爪とかも何だか汚くって、ちゃらちゃらと妙なアクセサリーまでつけて。そして、短剣を腰から下げていた。
そう、短剣を腰から下げていたのだ。
いくらルイズのプライドがゴミ以下でも、それだって譲れないものは譲れないのである。売っても誰も買わないなら、それは持っているしかないのだ。
「ゴミ以下の意見だけど、聞く?」
「犬のクソにも劣る僕でよければね」
「本の紙魚程度の私も」
ごにょごにょごにょ。
準備完了である。
バタン。男が入ってきた。
「───ぶっ殺すぞゴラァ!!」
まずはワルドだった。彼は実に活き活きしていた。このような言葉、幼い頃から中々使っていなかった。久しぶりである。
皆そうであるように、ワルドも幼い頃、ごっこ遊びに興じた事がある。ワルドはヒーローよりも悪役に魅力を感じる男であった。親と見に行った舞台劇。ヒーローよりも、悪役のほうが格好よかった。
何にもとらわれないアウトサイダー。自身が貴族という犬のクソにも劣るプライドを背負わされているだけに、非常に魅力的だった。だって、強そうじゃないか。だって、格好いいじゃないか。
だから幼い頃はいたずら者で、しかし、親が死んでからはそうはいかなかった。犬のクソにも劣るプライドを大事にしなければならないのだ。貴族だのどうだの、そんなの、意味が無いとワルドはわかっているのに。
痩せぎすの男に体当たりを食らわせる瞬間、そりゃもう活き活きとした表情で体当たりを食らわせる瞬間、ワルドは大口を開けて笑った。
「あっはっは! 任せたぞタバサ嬢!!」
声を聞いて、いや、その前の「ぶっ殺すぞゴラァ!!」から動き出していたタバサは、倒れた痩せぎすの男のわき腹に蹴りを入れ込んだ。まさしく入れ込んだという表現が適切で、その軽い体重でどうやればそこまでの威力が出るのか、つま先は中ほどまで食い込み、めきめきだのぼきぼきだの、生々しい感触が伝わる。
「あがッ───」
痩せぎすの男の苦悶が聞こえ、とっさに身体を丸めようとした男にもう一発。
ビクリと跳ねた男の上には。
「準備完了」
「まっかせなさいよ!」
ごちん。
蓑虫ルイズのヘッドパッドはミラクルヒットした。両者共に額からぴゅーぴゅー血を流して、しかし気を失ったのは男だけだった。ルイズはゴミ以下のプライドにしがみついて、決して意識だけは失わなかったのだ。
「作戦通り。さすが私ね」
「僕の体当たりが最高だったな」
「私の蹴りが一番だった」
三者三様自画自賛。
ワルドが後ろ手に、痩せぎすの男の腰から短剣を抜き取り、己の縄を切り裂いた。順に二人の縄も切り裂いて。
その時になって「何事だ!」と大声が聞こえた。なんとも運が悪い事である。もちろん、空賊の方々。
だってワルドの手の中にある短剣はルイズの手に渡り、殺気立ってる今、心がドキドキワクワク勃起しまくってる今、
「よしきたぁあ!!」
ルイズは駆けた。
空賊を倒すという目的を持っている今、簡単にはネガティブに落ちはしない。目的を持って、その目的を目指して動くという行動はドーパミンの発生を促して、じゃぶじゃぶ出てくる快楽物質を抑えようとエンドルフィンが出てきて。
今度こそ、
「ぶっっっつぶすから!」
角から出てきた男目掛けて、短剣すら使わずに拳を叩き込んだ。ゴキィ! と異音が響き、男は鼻からどぴゅどぴゅ血を流し、床に頭を強かに打ちつけて昏倒。ガンダールブ万歳。
こちらを取り押さえようと二人三人と出てくるが、ルイズには何の問題も無い。相手がナスビとかキュウリに見えるくらい何の問題も無い。
死屍累々。嘘。もちろん殺していない。だが、来る男来る男ルイズは叩きのめしていく。そこそこに技量を持っている相手もいるように見えるのに、それでもルイズには届かなかった。
ふしゅぅぅうう……。どこか闘牛を思わせるルイズの鼻息。
「やだ、下品だわ。あは」
すでに気になっていない。
そして見つけた、なにやら守りの堅い部屋。異変を察知しているだろう空賊は、短剣を抜いて……いや、杖を抜いていた。
杖。杖というのは、平民が持っても何の意味も無いものである。なぜなら魔法を使うときに必要なアイテムであり、魔法を使えない平民にとってはただの木の棒。
という事は、貴族。そういうことでしかない。貴族が空賊をしているのだ。なんだ、戦争に勝ちそうな派閥は、空賊をしなければいけない義務でもあるのだろうか。
妙な違和感を感じながらもルイズは一歩だけ歩を進めた。
「待て、待て待て! お前たち、貴族派ではないのか!?」
「ゴメンあれ嘘」
「嘘とな!?」
「そ。嘘。ごめんなさいね、私、約束も破るし嘘も付くような、普通の人間なの」
聖人に会いたければ天国へでも行ってこいと言う。
慌てふためく空賊を尻目に、ルイズはもう一歩距離を詰めようと足を動かす。たん。やけに大きく響いた。
相手が杖を抜いている。今までのように簡単に行く相手ではない。ワルドに一度だけ視線を向けて、下がっていろと念を押した。
今までよりも前傾に体を倒し、踏み抜く勢いで床を蹴り付けた。
その時。
そこで空賊が守っていたであろう部屋の扉が開いたのだ。
空賊たちがいけませんだのどうだのと口を開いて、出てきた人物はキラキラの金髪イケメン野郎で、
「王党派に残るのは王様と勇傑のみ。戦況を分かってる人間は今更アルビオンなんかに行かない。そんなのはただの馬鹿、か。……ふむ、なかなか面白いことを言う。だったら君達は、どうなのかな?」
「……ただの馬鹿で十分よ」
ルイズは普段から馬鹿なので十分も何もただの馬鹿以外に選択肢は無いのである。
「君は、何者だ?」
「黙れ貴族派」
「……すまないな。敬意を払おう。私は───」
ルイズは駆け出した。
拳を硬く握り、そりゃもう全力で駆け出した。
「うぉ待て待て待て!! ウェールズだ! 私はウェールズ・テューダーだあ!!」
「嘘付け馬鹿者ぉ!!」
拳は王子様の鼻っ柱を的確に捉え───る前に、タバサの蹴りがこめかみにヒットした。
ルイズはくるくると目を回しながらぽてんと倒れこみ、ぜぇぜぇと荒い息を付く王子様に田舎パンツ(ひよこ)をご披露したのだ。