憂鬱である。とても憂鬱である。
今まさに、この目の前にある現実を破壊して、素っ裸になって、何もかもから開放されたい。走り出したい。馬を盗んで十五ではなく十六だが、その十六の夜を演出してもいい。
「盗んだお馬で走り出すー……」
「あン?」
「ん、んーん、何でも」
いまルイズと一方通行の前にはとても大きく、豪奢で、隅々にまで金がかけられているであろう屋敷が立っているのだ。
そう、ここはルイズの実家、ラ・ヴァリエール公爵家である。
ため息をついたルイズは門扉を睨みつけ、睨みつけ、睨みつけ……。足が動かない。
一年前から何処も変わらずに存在している。従者が手入れしているのであろう庭も綺麗で、ちょっと寄って来た池(一方通行は湖の間違いじゃねェのか、と疑問をあらわに)にも小船があったし、ルイズが学院に放り出されたときから全然変わらないヴァリエール。
ルイズはこの家が嫌いである。両親は嫌いではないが苦手。姉は二人とも好きだ。
出来ることなら帰って来たくはなかった。が、停学と、オールド・オスマンから見せてもらった両親の手紙。文面は堅苦しく、いかにも『貴族』な手紙だったが、その内容はいつもルイズのことを教えろといった物だった。
見せてもらったときは我が目を疑ったものだが、それはルイズを心配している手紙だったのだ。
両親のランクが嫌いの一歩手前から苦手に変わったのもそのせい。なんだ、意外と親なんだな、と当たり前のことを当たり前に思った。
「だがしかし……」
「いい加減入らねェか」
「ちょ、ちょっと待って! 心の準備が必要なの。言ったわよね、私は親が嫌いではないけど苦手なの。出来ることなら顔を見ずに停学を終わらせようと画策しているの。ちい姉さまの部屋にいれば安全とかそういう問題ではないわ。そう、もう何て言ったらいいかしら……、ヴァリエールの空気が私には合わないのよ。窒息してしまいそうなの。魚が陸に上がったら息は出来ないでしょう? 同じなの。ゼロはヴァリエールに入ったら呼吸が───」
一方通行が門に触れようとし、それを何とか阻止するためにくどくどと口上を垂れていたのだが、もちろん一方通行には効かなかった。
ルイズの心情など知ったことかと言わんばかりに彼は玄関の大扉に触れ、何故かそれはとんでもない勢いで開かれるのだ。ばたぁん! とそのものを破壊するように。
そして開いた先にいた人物は、
「……随分長いこと考え込んでいましたね」
「おほっ、お」
「少しは変わったかと思っていましたが……」
「おか、おかかっ」
「相変わらずよく分からないことを言うわ、ルイズ」
「お母様! ああ嫌だわ、どうしましょう! よりにもよってお母様が一番だなんて、どうしましょう!」
「まるで会いたくなかったかのような言い草ですね」
「はい!」
「……」
「ああ、どうしましょう、どうしましょう……」
その場をぐるぐると回り始めるルイズは滑稽で、非常に微妙な顔をしたルイズの母は哀れで、そして一方通行が小さく呟いた。
「頭がヤベェ、か……」
01/~ラ・ヴァリール~
母と思しき人物に連れて行かれるルイズをさくっと見捨てた一方通行は特にすることもなく、しかし屋敷の散策をするほどに好奇心もなく、結局屋敷の外に出て、そして先ほど少しだけ立ち寄った池へと。
どう考えても、これはもはや湖だと思うのだが、しかし庭の中にあり、ルイズが池だと言うのなら池なのだろう。周りには春らしく綺麗な花々が咲き乱れている。
一方通行の心はぴくりとも反応しなかったが、しかし他の人間なら綺麗だと思うのだろうな、と。今さら風景を見て綺麗だと思うことは難しい。一方通行の目は常に暗闇を向いている。光は似合わない。
とはいえ、この暖かい太陽光と春色の風は一方通行の眠気を誘うのに十分な威力を発揮。
ふぁ、と大口を開けて欠伸をし、どこか寝る場所はないかときょろきょろ。
「あら?」
「……」
「あらあら?」
「……」
聞こえてくる声に無視を決め込み、そして一艘の小船を見つけた。
ちょうど良く人間一人が横になれるサイズで、ゆらゆらと風に揺れている様は更に眠気を誘ってくる。
いよいよもって眠くなってきた一方通行は片足を船に乗せ、
「うおっ!」
ぐらり、と船は揺れた。
船に乗るのは初めてで、特にこんなに小さなボートなど乗ったことはない。存外難しいものだな、と。
ちらりと視線を送れば、
「横からじゃなくて前から乗るとバランスがとりやすいわ」
「……」
女が一人、くすくすと笑いながら一方通行を見ていた。
助言の通りに船の横は避け、前から乗れば、うん、その通り。船は一方通行を乗せ、そして優しく揺れ動いた。
一方通行は『ハンモック』を経験したことはないが、おそらくこういう物ではないだろうか。ゆらゆら、ふわふわ。ぐらぐらではない。ゆらゆらなのだ。
同年代の子供と比べると『経験』が少ない一方通行はこの世界の何もかもが珍しい。もちろんもとの世界でもそうだ。学園都市に居れば間違いなくボートに乗る経験は無かったはずだ。
こういったものまで『力』になるとは思わないが、しかし経験しておくことは無駄では無かろう。一方通行はそう自己完結して(決して眠気に負けたわけではないのだ!)、そして眠ろうかという時。
「私もご一緒していいかしら?」
「沈む」
「そ、そんなに重くないわ」
「どォだか」
少なくともアイツよりは重そうだ、と片目をあけて一方通行は続けた。
にこにこと柔らかそうな雰囲気を放つその人物は、ルイズによく似た女性であった。似たような髪の毛の色に顔立ち、体型はまぁ、うん、あまり似ていないのだが、それでもあのやかましいゴシュジンサマを女らしく成長させたのならこうなるのだろうな、という完成形のような印象があった。
余りにぶっきらぼうな一方通行の態度はその女性にすると珍しいのであろう。綺麗な瞳をまん丸に開き、そして何処までも柔らかそうに笑う。
「面白いかた。お父様に用事が?」
「ここには何の用事も無ェ。ただアイツが学院に居ねェと俺の飯が出ねェからな。たまにゃ言うこと聞くのも悪かねェだろ?」
「あら、もしかしてルイズのお友達かしら。あの子もう帰ってきているの?」
「鼻水垂らしながら母親に連れてかれたぜ」
「ふふ、停学ですって。何かしたの、あの子?」
「……なンつったか、『土くれ』の何とか……ソイツのゴーレム? に突っかかって、ンで死にかけてたな」
「まぁ、怪我はしていないかしら?」
「少なくとも死ンじゃ居ねェよ」
毎日毎日ルイズを物理的にぶっ飛ばしている一方通行にはなかなかキツイ質問である。
いつもの一方通行なら気にもしないのだが、何となくこの女には泣いて欲しくないなと思った。
一方通行をしてそう思わせるのはひとえにこの女が放つ雰囲気。柔らかくて、そういうのが似合わない一方通行にすらも安らぎを与えるような、そういったモノ。
学園都市にはまず居ない人種。少なくとも一方通行は会ったことがない人種である。
科学者どもは毎日毎日研究ばっかりで、レベル6シフトの研究員はちっとも優しくない。というより、皆自分のことで精一杯なのだ。他人に構う暇など『現代』で見つけるのは難しい。わが身を犠牲にしなければそういった時間は取れないから。
(あァ、そういや居たな、一人だけ……)
ふと思い浮かべるのは最弱。あの男は、敵対していなければこういったモノを持っていたのかもしれない。
包み込まれるような包容力というか、何といったらいいだろうか、母性? そういったもの。
馬鹿なことを考えてるな、と自身そう思い思考をカット。
いよいよ目を瞑ってしまおうという時。
「……私もご一緒していいかしら?」
「沈む」
「そんなに重くないわ」
「……勝手にしろよ」
一方通行はため息をつきながら身を起こした。
何かが変わっていた。何か、どれかよく分からないが、絶対に何かが変わっていたのだ。
。。。。。
「言いたい事と聞きたい事が山ほどありますが、さて、どちらからいきましょう」
どちらとも飲み込んで私を学院に帰してくれ。
もちろんそれは声になることは無く、口から出て行くのはあ、う、と意味をなさない音ばかり。
幼い頃からのお勉強部屋。そこにルイズは連れられた。
何度ここから逃げ出したことだろうか。窓を開けて飛び降り、少しだけ高い場所にあるのでいつも足がしびれていた。そこからは植え込みに身を隠して、そして猫のようにこそこそといつもの池に行くのだ。いつもの小船に乗り込んで、ゆらゆらと揺れるそこで毎回泣いていたのを覚えている。
ちら、と窓のほうに目を向けると、
「無駄です」
母から送られる冷たい視線。
今まで何度逃げ出したのか分からないが、しっかりと対策は練られていたようだった。
鍵が三つもついている。一つ開けるのに半呼吸。三つ開けて、窓に足をかけ、そして飛び出す。ああ、その間に首根っこを捕まえられること間違いなしである。
ランブル・フィッシュのように目を泳がせながらルイズは汗をたらした。
「ルイズ……」
「は、はい」
「私に言いたいことがあるように、あなたにもあるでしょう。これまでの手紙は読ませてもらいました」
「て、手紙? 送った覚えは……」
「カトレアに送られてきた手紙は私も読ませてもらいました」
「ひょッ!」
「考えなかった、と? ええそうでしょう、あなたは私達が嫌いなのでしょう。そうね、あなたの前でため息を漏らした事もあります。あなたをたくさん傷つけた事でしょう。そのことは謝ります。私の配慮が足りませんでした」
だが、と母は、カリーヌは続ける。
「……ですが、だけどねぇっ、親の! 親の痴呆を心配するとは何事ですか!! 父親に向かって! 母親に向かって! 死ねばいいのにとはどういう事ですか!!」
「あ、あれはそのっ」
「正座なさい!」
「はいっ!」
カリーヌの眼光に貫かれルイズは足を折りたたんだ。床の上に直に座りこみ、そして思わずため息。とほほ、といった調子である。
考えてみれば、両親に一通の手紙も送らず姉にばかり送っていれば、それは親として気になるところだろう。
最初は渋ったのだろうが、それでも親が子供を心配している様を見て無視できるほど心無い女ではないのだ、姉は。
「お説教です!」
子供の頃から何度も聞いたその言葉。
小さな頃は体が震えるほど怖くて、今も大して変わってはいないが、しかしルイズだってちょっとは成長しているのだ。
一年前とは違い魔法が一度だけ成功して、そして今の自分には使い魔も居るではないか。
ルイズは大きく息を吸い込み、
「ど、どんとこい!」
。。。。。
小船で向かい合い、一方通行は視線を合わせずに水面を見つめる。
気を許してしまうと吸い込まれてしまいそうな印象があるのだ。
「それでね、ルイズはお母様のお説教のときにいつも逃げ出してこの小船で泣いていたわ」
「そォかい」
「だから今日は先回り。きっと今頃お説教されてるもの」
「ッハ、そりゃ停学だからな。怒られンのも仕事のうちだろ」
「そうなの。あの子、昔から無茶するところがあったから。皆がどれだけ心配してるのかきちんと分かってもらわなくちゃ」
カトレアと名乗った女はふわふわと笑った。そしてう、と何気に一方通行は引いてしまうのだ。
なんと言えばいいだろうか、非常に居心地の悪い空間である。
そもそも何で自分は律儀に話を聞いてやっているのか。一方通行にはそれが分からなかった。眠ろうと思って船に近づいて、バランスを崩して、そして何故か一緒にゆらゆらと風に揺れている。
いつもの一方通行ならば無視するところだったろう。しかし、何となく、本当に何となくなのだ。何となく話をしてもいい気分になった。
何か魔法による攻撃かと考え、自身の反射設定を見直したがそんなことも無く、これはカトレアの人間性がそうさせるのだろうな、と。
はぁ、とため息をつきカトレアに視線を送れば、ん? と小首をかしげてまた微笑む。
一方通行は薄ら寒いものを感じながら、そして考えるのをやめた。駄目だ。とても理解の範疇にあるような女ではない。
「眠たそうな顔ね」
「誰かさンのおかげでな」
「はい、いいわよ」
ぽんぽん、とカトレアが自身の膝を叩いた。
「何だそりゃ?」
「頭。膝枕。おいで」
「……あン?」
「ルイズは好きなのよ、膝枕。嫌い?」
「いや、好きとか嫌いとか……、そういうモンか?」
「そういうものよ、きっと」
どちらにしても遠慮しておく、と一方通行は首を振った。
『最強』が膝枕など、今この瞬間も大分おかしな状況なのに、それこそ目も当てられなくなってしまう。
一方通行はぼりぼりと頭をかきながら片手を水面につけた。話をしている間に風に運ばれ、池の中ほどまで移動していたのだ。
「漕ぐときはこれを使うのよ」
『ふわふわ』が手にしたのは小さなオール。まるでおもちゃのようなそれは、一方通行には必要のないものである。
水流操作系の能力者に倣って、そこに動きがあるのなら一方通行はなんだって操ってみせる。
風と同様、全てを操ることは出来ないが流れを作るくらいなら、この小さな船を動かすくらいならお手の物である。
一方通行は静かに目を瞑り、改めて自分の眠気を感じ、そしてベクトル操作。一つの波を掴み取り、もう一つ掴み取り、それは風の方向を無視して二人を運ぶ。静かに揺れる小船はゆっくりともとあった場所に進んだ。
「あら? あらあら?」
「……っは、何かおかしいかよ?」
「ええ、何だか変な感じ。水が意思を持って私達を運んでくれているみたい」
「それはそれは。どうにも美しい表現ありがとさン」
「まぁ、お上手ね」
皮肉すら効かない。
一方通行は顔をしかめながらさっさと陸地に上がった。
「行ってしまうの?」
「寝ンだよっ」
「そうね、今日は太陽が気持ちいいわ。私もルイズが来るまでそうしてようかしら」
適当な場所で横になった一方通行は頭の後ろで腕を組み、そして目を瞑った。
……瞑ったのだが、またもカトレアが傍に来るのだ。
パーソナルスペースにたやすく入ってくる彼女は、しかし一方通行にストレスを与えることなく、ただそこに居る。一方通行の隣に座りこみ、ぽんぽん、ぽんぽん、と自身の膝を叩き、またもふわふわと微笑んで。
くそったれ、と口の中だけで呟き、
「俺ァ枕は低い方が好みなンだよ」
「大丈夫。私の足、そんなに太くないわ」
「……、たまンねェ……」
諦めた。何かを途中で投げ出すのは余り好きではないが、これはいよいよもって諦めた。
大きく大きくため息をつきながら一度だけ体を起こし、そして頭をカトレアの膝の上に落とした。
香る香水は一方通行の好みに似ていて、どういうことか眠気は強くなるばかり。
「どう?」
「ん、あァ、なンつーか……ねみィ、な……」
「うん、おやすみなさい」
怖いマホーツカイも居たもんだ、と何かよく分からないことを考えながら一方通行の意識は沈んでいった。
そしてカトレアは一方通行の額にかかる髪の毛をさらりと流す。本当に寝てしまったようで、瞼は静かに閉ざされていた。
カトレアは自身、結構勘のいい女だと思っている。身体は生まれつき良くなかったが、その代わりに勘が良かった。
何となくピンと来る事が小さな頃から良くあった。ああ、この人はもうすぐ……、そう思えばそうなった事も何度となくあったし、少しだけ薄ら寒いものすら感じるが、事実として勘がいいのだ。
春色の風を身体に感じながら大きく息を吸い込んだ。
同時に思うのは一方通行のことで、何となく、そう、何となくなのだが、異質な感じがする人物だ。なんだか今まで知らないところで育ってきたような、それともちょっと違っていて、本当に『違う存在』、そんな気が。
一目見たときからカトレアは痩せっぽちなこの少年の事が気になって気になって仕方がなかった。
瞳の色は今まで見た誰とも違っていて、放つ雰囲気は鋭いくせに、ともすればぽきりと折れてしまうような危うさも残している気がする。
思う、気がする等の何の根拠も無い話だが、カトレアは自分の感覚をなるべく信じるようにしているのだ。
この少年は目を離してはいけない。そう思わせる何かが彼からは出ていた。
「……一目ぼれかしら?」
くすくすと笑いながら。
さらさらの髪の毛。長いまつげ。形の整った眉。
どれもこれもが純白で、新雪にも勝るそれは美しかった。非常に珍しい毛色で、冬に父が獲って来るウサギに似ていた。
「それにしても……」
カトレアは少しだけのんびりした口調で、
「今日は粘るわね、ルイズ」
。。。。。
足が痺れてきた。なかなか高レベルの痺れである。今まで経験した中で一番の痺れかもしれない。
限界が近い。その事を母に伝えようとするも母の眼光は鋭く、ルイズの発言は未だ許されていないようだった。
「いいですか? あの人はあなた達に甘いですからそう強くは言わないでしょうが、これでも私達はあなたを心配して───」
聞いたよ聞いた、それはさっきも聞いた。なんというエンドレスリピート。
ルイズの思考がちょっとずつアレになっていっているのは、もちろん下半身の痺れが原因である。
もう脂汗が出てきているのである。お説教を聞いてやろうと思ったのはいいが、まさか身体的な限界が先に来るとは思っていなかった。
心臓の鼓動は速くなっているし、指先で足を触れば感覚なんてない。
はぁ、はぁ、とルイズは呼吸すら満足にできず、そしてついに、
「お母様! その話はもう四回目です!」
「そうですか。あと六回は聞かせましょう」
「たまらん! もう無理です!」
「そんな事はありません。無理無理と言っていたあなたはちゃんと魔法を成功させたのでしょう? オスマン老からの手紙に書いてありましたよ」
「無理の種類が違います! 例えるなら私の無理はみかんでお母様の無理はリンゴだわ!」
「またよく分からない事を言うのですね。それより、魔法に成功したというのは本当のことなのですか?」
「う……ま、まぁ……、成功と呼べるのかどうかは分かりませんが、一応使い魔は召喚できました」
とんでもない者をだが、一応召喚は成功している。コントラクト・サーヴァントはしっかり返ってきたが。
「ふむ、そうですか。一目見たいものですね。何を召か───」
「人間です! しかも異世界から来た人間です! 魔法なんか全然効きません! ぜ~んぶ跳ね返ってきます!」
「ルイズ」
「本当です! 私は嘘もつくし約束を破る時だってあるけど、今この瞬間には絶対無いと、始祖ブリミルに誓います!」
「……はぁ、分かりました。ではその者を連れて来なさい」
「は、はいー!」
ようやく開放された、とルイズは立ち上がった。
だが足の痺れでよろけ、
「ありゃりゃ、っとと」
ついつい母に手を伸ばした。
その手を母は当然のようにとり、そしてルイズは抱きしめられたのだ。
へ? と間の抜けた声を出してしまって、ちょっとだけ恥ずかしかった。
いつ以来だろう、母に抱きしめられるのは。その最後の思い出は随分と昔のもので、おそらく小さな小さな子供の頃以来だったろう。まだ無邪気に魔法の力を信じていた時から、そして自分にはその才能が無いと知ったときからルイズは両親に甘える事を一切しなかった。
こうやって抱きしめてくれるのは魔法が成功したからだろうか、と無粋な事を考えるも脳内ではしっかりと答えが出ていて、自分がこうやって甘えたかったように、母もそのタイミングを今か今かと待っていたのではないだろうか。顔を合わせて話し、ようやくになってその事が分かった。
心臓は跳ねて、懐かしい母の匂い。鼻の奥がつん、と痛くて、母の優しい手の平にルイズの頭は一度だけ撫で付けられた。
じわりと涙腺が緩んでしまって、
「よく帰って来ました、ルイズ」
その言葉で涙が流れ落ちた。
「心配していました。勝手な事を言っているのでしょう、私は。だけど……本当に心配していたのよ、私のルイズ」
「……ん……今までごめん、なさい……」
母の服に鼻水をつけるのは申し訳なかったが、これは我慢できそうにはなかった。
わんわんと大声を出して泣き、母の手は誰よりも暖かくて、ようやくルイズはお母さんのことが分かったのだった。