『手前ぇは何でそんな簡単に人を殺せるんだ!』
未だに耳に残るその台詞。
そんなのは簡単な事だ。答えなんかとっくの昔に出ている。
だから、こう答えた。
『あァ? 殺される為に生まれてきてンだから殺すのは当然だろうがよォ』
それは本心だっただろうか。偽りだったろうか。
だがすでに一万三十一人のサツジンを犯しているこの身としては今更手を引けるような状況じゃなかったのは確かだ。
───だからかもしれない。
『ふざけんじゃあねぇ!! そんな幻想、───俺がぶっ潰す!!』
あのクソ忌々しいガキがそう言ったのに対して自分は救われるかもしれない、なんて淡い希望を抱いてしまった。
その右腕で、何事にも侵されることの無かった神域を壊してみせろ。そう、思った。
決して、断じて、負け惜しみではないがヤツを殺す方法はその場で考えただけで八十四通りほど浮かんでいた。
それをしなかったのは単なる気まぐれで、自分では殺すしかなかった『妹達』をそいつなら救えるかも知れないと思ったから。
あのガキは救ってみせるとほざいた。それならそれでいい。
所詮この身は『一方通行』。救いの手を差し伸べられてもそれを跳ね除け直進するしかない。それしか出来ない。
01/『異界の扉は一方通行』
もぞり、と薄いシーツに包まった物体がうごめいた。
学生寮の一室。ベットの上。特に珍しい光景でもない。今は早朝で、カーテンの隙間から覗く太陽の光に当てられて睡眠からの覚醒が始まったのだろう。
なんら珍しい光景でもない。だが、その部屋が異常ではあった。
住人は物欲に乏しいのか、基本的に物が少ない。しかしこの部屋からはどうにもごちゃごちゃとした印象を受けてしまう。
その原因たる物ははっきりとしていて、ただ部屋そのものが崩れかけているだけだ。
主が寝ている寝具は無事なようだが、その傍にある壁には大穴が数多く開いていた。何をどうしたらそのような惨状になるのか疑問ではあるが、穴は開いているのである。さらには寝具以外で唯一の家具であろうソファーも中から弾けたようにスプリングがいたるところから飛び出している。
そのような破壊の痕はいたるところに及んでおり、まるで何かの武装組織に襲われたといったような有様だ。
「うぉあっ」
その馬鹿部屋の住人、一方通行は突然はねる様に飛び起きた。
ぜっぜ、と荒い呼吸を落ちつけるように顔に手をやる。びっしょりと濡れる感覚。かなりの量の汗が彼の顔には張り付いていた。
(……気持ちわりィ。悪夢で飛び起きるなンて柄じゃねェだろォが)
その事実を無きものにするように、汗を吸った拳を握りこみ壁に叩きつける。
ゴギャ、という音を立てて見事に拳が壁にめり込んだ。
一方通行は穴だらけの壁を一瞥すると舌打ちをひとつ。とりあえずこの不快な汗をどうにかするべくバスルームへ向かった。
最後に食事を取ったのはいつだったろうか。
少なくとも『アイツ』にぼこぼこに殴り倒されてからは一度も食事をしていない。もともと食が細いせいもあるのか、この二日は水分しかとっていなかったがそろそろ限界のようだ。
一方通行は『反射』で身体にまとわりついた水分を残らず弾き飛ばすとバスルームから這い出た。
正しく這い出た。
肉体を動かす為の養分が足りていない。
一方通行のベクトル操作は脳内で演算した『答え』を現実に送り出す能力だ。身体をまとう『反射』はすでに癖のようになっているが、あの時の戦闘で使った、空気中のベクトルを操り竜巻を起こすような現象は疲れる。頭の中で演算する計算量が半端な数ではない。そしてさらに、脳を働かせるという行為は人間の行うどのような行動よりもカロリーを消費する。要するに、
ぎゅるる。腹の虫が鳴いた。
(人間は一週間なら水と塩だけで過ごせるンじゃねェのかよ……)
よたよたと思い通りに動かない身体に喝をいれ、財布だけを尻のポケットに突っ込んだ。
この家には食料は無い。あるのは気に入って馬鹿買いしたがすぐに飽きてしまった無糖缶コーヒーの山だけ。糖分が無いのなら当然カロリーは少ない。いくら飲んだ所で今の状態を維持するのが精一杯だ。
食料が必要だ。なるべく甘く、糖分がたっぷりと入って、さらには空腹を埋める物が良い。
意を決して一方通行は食い物へと続く扉を開けた。
瞬間、ギラリと照りつく太陽。どうにも今日は真夏日の様だった。
もう条件反射、または癖のようになっている『反射』を使用。
一方通行は色素欠乏症だ。燦燦と降ってきている紫外線には弱い。すぐに肌は赤くなり、アレルギーではないかと思うほどに水ぶくれが出来てしまう。その為の防衛手段だったのだが、それがさらに体中のエネルギーを奪っていく。
「───っぐ……学園最強の能力者が餓死じゃ洒落になンねェぞ」
一方通行は皮肉げに唇をゆがめながら、こんな事になった原因であるとある幻想殺しを脳内で二百二十三回は殺しながら食糧確保に向かうのだ。
やけに学生が多い。
いや、ここは学園都市だ。学生はもちろん多いはずなのだが、今日は休日ではないはず。
今は午前十一時を少し回ったところで、このような時間は普通の学生なら学校で授業を受けている時間なのではないだろうか。
(まァ俺には関係ねェか)
厳密には一方通行も学生ではある。
しかし彼のカリキュラムは通常の物とは違い『絶対能力進化《レベル6シフト》』に重きを置いたものであり、所謂学校には通っていない。だがそれも上条当麻によって打ち崩された。これでもう一方通行はサツジンを犯さずにすむ。
(ハッ、犯さずにすむ、ねェ……)
一方通行はくだらない思考をカット。学園都市ではそれなりの人気を誇る喫茶店へ。
二十四時間営業であり、一方通行も何度か利用した事がある喫茶店。静かでそれなりに気に入っていた店だ。いつもは夜、それも深夜にしか来ないのだが、今日はいつもと雰囲気が違っていた。とにかく、混んでいる。
この店にここまで客が入っているのを見たのは初めてかも知れない、と内心の驚きを顔に出さないようにしながら店員が近づいてくるのを待った。
「申し訳御座いませんお客様。ただいま店内混みあっておりまして。お待ちになるか、または合い席という事になりますがよろしいでしょうか?」
辺りを見回してみれば、確かに席は空いてないようだ。ただでさえそれほど広くない店内。見れば軽いすし詰め状態。
合い席というのは気に入らないが仕方が無いだろう。現状を鑑みるに、これは死活問題だ。真剣に餓死が迫っている。
しかし、合い席といっても空いている所はあるのだろうか。一方通行は外にあるベンチにも数人、席が空くのを待っていた者がいるのを思い出した。
もしかしたら何処も空いてはいないのではなかろうか。
「合い席ってェことは空いてるトコがあンだよなァ?」
「はい、あちらの席になるのですが……」
店員は手のひらを上に向けて店内の角席を指した。
学生が二人。こちらに背を向けているので顔はわからないが、あの制服はこの学園都市内でも有名なお嬢様学校、常盤台中学の制服であった。
「なにぶん有名なもので、他のお客様も敬遠なさるようで」
「……かまわねェ」
一瞬、一方通行もやめようかと思ったのだが、なにぶん相手は人間の三大欲求のひとつである食欲だ。しかもそいつはさっさと食い物をよこさねぇと殺す、と切実に訴えかけてきている。早めに何か腹に入れなければ本当に死ぬのだ。
一方通行の葛藤を何か別の物と勘違いしたのか、店員はにやりといやらしい笑みを浮かべ、
「では、こちらへどうぞ」
。。。。。
その日、白井黒子は心底上機嫌だった。
その理由は簡単で、彼女がお姉さまと慕う御坂美琴の機嫌が良いからである。
ここ最近、何かに悩むようにして伏せっていた憧れのお姉さまの機嫌が良くなったのだ。二日前から。
いつもはスタンガン程度に威力を抑えた電撃が来るであろう『瞬間移動抱擁《テレポーテーションハグ》』をしても“もう、仕方ないわね”で終わった。
ついに自分の愛が届いたのだと思い、物理的に合体を果たすべく急いで服を脱いでいたら電撃が来たのだが。
何にせよ、彼女の機嫌が良いのはとてもとても良い事である。
そして今、黒子は美琴と共に食事に来ている。
大覇星際準備期間という事で授業は午後から。“それならあそこでお昼を食べていきましょう”という美琴の誘いに黒子は喜んで食らいついたのだ。
店内は随分と混んでおり始めは合い席になるかも知れない、と美琴とのデート(だと黒子は思っている)を邪魔される危惧が浮かんだのだがそんなことも無く平穏無事に。
“合い席になるかもしれませんから”と、自然に美琴の隣に座り、偶然を装いすでに七回は太ももを撫で回している。いつもなら三回目あたりでビリビリが来るのだが今日は何度やってもこない。来る気配も無い。
先ほどから美琴の話の話題が上条当麻という人物一色なのは気に入らなかったが、それでも黒子にとって彼女の隣に居られて太ももの感触を堪能できる今は至福の時間だった。
だったのだが、
「失礼します。合い席のお客様をご案内してよろしいでしょうか?」
その一言で至福の時間は終わってしまった。
(まったくよろしくないです! わたくしとお姉さまの至福の時間を邪魔しないでくれませんこと!?)
黒子はギラリと店員をにらみつけた後“断ってください!”と視線に言霊をのせ美琴を振り向いた。
きっと美琴なら自分の思いを汲み取ってくれて、丁重にお断りするはずだ。
「うん、いいんじゃない」
(ああん、おねえさまぁ!)
軽い調子で美琴はうなずいた。
「では、ご案内させていただきます」
黒子の意に反して颯爽と踵を返す店員を視線だけで殺せそうな目でにらみつけながら、いったいどんなやつが来るんだコンチクショウ、とこちらに重い足取りで歩いてくる人物を視界に入れた。
(お姉さま級の美人じゃないと、ゆる、さ、な……)
そこに見えた人物。
「───いいっ!?」
黒子は思わず口から漏れてしまった声を手でふさぐ様にして一気に目をそらし、乗り出すようにしていた身体を全力で引っ込めた。
背後からこちらに近づいてくる足音に絶望を覚える。
「ちょ、どうしたのよ?」
美琴は余りに挙動不審な態度を諌める様に眉根を顰めたが、黒子はそれどころでは無かった。
別にかくれんぼをしているわけではないのに呼吸を浅く保ち、気配を殺してしまう。
黒子の要望どおり、歩いてくる人物は確かに美人だったのだ。
ちらりと視界に入った白髪は、何処のビジュアル系気取りが来やがったかと思ったがよく似合っていた。肌は雪のように白く、瞳は血の色。男なのか女なのかよく分からない風貌。肩幅は狭いが男性っぽくはある。腰は女性的に少しふっくらとしているような気もするが、気のせいだろうか。決め手はその顔のパーツ。若干切れ長の目に、すらりと顔の中央を走る鼻梁。少し薄くはあるが綺麗な赤色をした唇。
確かに、美人なのだ。
だが、それは外見だけの判断。
その人物はこちらの面子をちらりと見るとはぁ、と大きくため息をつき気だるそうに腰を下す。
同時にバクバクと黒子の心臓が高鳴りだした。
黒子は己の『瞬間移動能力者』としての力を思う存分に発揮する為に、生徒による学園都市学園自治組織『風紀委員《ジャッジメント》』に所属している。
そこではこう教わるのだ。
ヤツには手を出すな。手を出せば殺される。
ヤツには近づくな。近づけば壊される。
ヤツの能力の前には等しく何もかもが無意味。戦略兵器を人間一人で相手にすることはできない。
そう、教わる。
「よぉ、合い席オジャマシマス」
その人物、『風紀委員』の仲間を何人も再起不能にしたレベル5能力者はそういって黒子と美琴にぺこりと頭を下げた。
「あ、ああ、あく、せられ……た……?」
ようやく思考の海からの帰還を果たし、黒子は聞いた。
いや、聞かずとも分かっているのだが聞かずにはいられなかった。他人の空似であることを祈りながら。
もちろんその願いは、
「ハイ、『一方通行《アクセラレータ》』デス。ひゃひは」
一方通行の邪悪な笑いの前に一蹴された。
そう、今日この日、白井黒子は上機嫌『だった』のだ。
「なんのつもり?」
自分の声に自分で驚愕した。
まさか自身の口からこのようなドス黒い声が出るとは思わなかったのだ。
見れば黒子も美琴の発した声に驚いているようでちらちらと横目で盗み見してくる。
目の前に居る人物。美琴の『妹達』を一万人以上殺した者。
割り切ったつもりではいた。あれは美琴自身の弱さも原因だ。一方通行だけを糾弾しても何の解決にもならない。
美琴はふぅぅ、と自信を落ち着ける為に長い息を吐き、ごめん今のナシと手を振った。
「ふぅ。……で、何しに来たのよ」
「あァ? 飯食いに来たに決まってンだろォが」
美琴の問いに一方通行はやや気まずそうに答えた。
一方通行としても今会いたくない人物ナンバーワンの美琴に会ったというのはやや堪えるのか、面倒くさそうに髪の毛をかき上げながらメニューを開く。
その答えが、その様が美琴には気に入らない。
自身が殺した人物の親族、もとい同一人物ともいえる者がいるのにどうしてそう平然としていられるのか。
「あら、学園都市最強の能力者でもお腹が空くのね」
美琴としては出来るだけ皮肉っぽく言ってやったつもりだったのだが、当然失敗。対面に居る一方通行からの“何言ってんだこいつ当たり前じゃねェか”という視線が若干耐えられない。さらには隣に居る黒子もオロオロしながら成行きを見ている物だからなんともいえない気分になりながら、やっぱ今の無しと再度手を振った。
ピンポーン。
頼むメニューを決めたのか一方通行が従業員呼び出しのベルを鳴らす。
そんな一方通行の一挙手一投足にぴくっぴくっと反応を見せる黒子をやや不憫に思いながら、この殺伐とした雰囲気をどうにかできないものか、と。
「……何頼んだのよ?」
「何だっていいだろォが」
「……」
「……」
気まずい。この気まずさは尋常ではない。
はぁ、と美琴は何度目かになるため息をついて、もう帰るべきだろうかと隣で小さくなり若干涙目になっている黒子を見ながら思った。
「お待たせしました~。ご注文を御聞きします」
「ジャンボストロベリーミックスパフェ。あと無糖のコーヒー」
「はい、少々お待ち下さい」
店員が静々と厨房に入って行くのを目で追いながら美琴は何とか笑いを収めようとする。
驚愕した。これは一方通行と鉢合わせた以上の驚愕だった。
(一方通行がパフェ……ぷふっ)
思いは黒子も同じだったようでぽかんとした顔を一方通行に向けている。
学園都市最強の超能力者。
近寄ると殺されるとさえ噂がたつ人物。
絶対能力者にまでなれるといわれた『一方通行』が、そんな一方通行が、
「ぷ、ふふ……くく、ぱ、ぱふ……くくく、パフェて……一方通行がパフェて!」
「わ、笑っては、いけませんわ、お姉様、ぷ、くくくっ」
「ンだよ、マズイのかこれ?」
「キャラ考えろって言ってんのよ。ぷっ」
未だに何で笑われているか分かっていない一方通行を見て美琴は初めて同じ人間なんだという確信を持ったのだ。
甘いものが苦手な上に、思いのほか大量だったパフェを悪戦苦闘しながらも平らげ、やけに目を輝かせながら色々と質問してくる黒子を適当にあしらう。非常に面倒くさい女である。一瞬だが、その生体電流を乱して昏倒させてしまおうかとも考えた。
そしてその隣。
(謝るっつーのはなンか違ェか)
そう、御坂美琴だ。
彼女の妹達を殺したのは間違いなく一方通行である。一万三十一人。それだけの数の人間を殺した。
心中は察しきれないが正直、よくも仇である自身を前にして笑っていられる物だと一方通行は思ったものだ。
自分には家族というものが存在しないので当て嵌まらないが、大切な物を傷つけられるのは非常に腹が立つだろう。もし一方通行が何かしらの大切な物が出来、それを破壊されたのならばその者には殺してくださいと言われるまで痛めつけてもまだ足りないに違いない。
であるからして『超電磁砲《レールガン》』である御坂美琴に鉢合わせた時はまぁ一発くらいなら食らってやってもいいとまで思っていたものだが、
(なンか違ェ)
そもそも謝ったくらいで許されるような罪ではないのだ。それほど一万三十一人の妹達と、それより以前に行われていた実験で殺してきた人物たちの命は軽くない。
さてどうした物かと糖分を過剰に摂取して軽くなった頭で考える。
すると美琴がすい、と優雅に席を立った。
「そろそろ行くわよ黒子」
「え、あ、はい」
「っ!」
瞬間、一方通行の体は意に反して動いてた。
「ちょ、ちょっ……なによ?」
なんだろうか。
一方通行自身も分からなかった。気がついたら美琴の腕を掴んでいたのだ。
身体が意識に反する反応をしたことに自身で驚きながらも気を落ち着けるようにゆっくり息を吐き、
「俺の話を聞いていけ」
予想だにしない言葉に本日三度目になる驚愕をし、美琴はなるべく平静を装って黒子に顔を向けた。
「……いいわ。黒子、先に行ってて。すぐに追いつくから」
「ですが……」
黒子は一方通行の方を一瞥し不安げな顔つきになる。
美琴はそんな黒子の心中を察し、
「それなら店の外で待ってて。私が襲われそうになったらすぐに飛んでくるのよ」
少し冗談まじりに言った。
。。。。。
結局。
(そりゃそォだ。ンなもんうまくいくわきゃねェンだよな)
結局対談は失敗に終わった。
話を聞けといったにも拘らず一方通行は何を話していいか分からなかったのだ。
その聡明な頭をフル回転して、悩んで、悩んで、口から出て行った言葉は、
「───俺は、謝らねェぞ」
どこのガキ大将かと。
予想通り、美坂美琴は、そう、と短く頷き颯爽と去っていった。
去っていく時に一度も目が合わなかったことを考えると、怒らせたか。
まぁ、
(関係ねェか)
恐らくもう会うことはあるまい。
コレだけ大々的に実験失敗をかましてしまった。これから俺はどうなるのか。そればかりが一方通行の頭を駆けた。硬く握った手のひらがじっとりと濡れている事に気付き、さらに自己嫌悪。
「柄じゃねェ……ッてンだよ!」
っち、と舌打ちを吐き捨て雑に一歩を踏み出そうとした時、それは起こった。
「……何が?」
くい、と袖を引く感覚。
「───っ!」
別に一方通行は格闘の達人ではない。最強ではあるが。よって、誰かの気配を読む、感じる、などのニュータイプ補正も無い。最強ではあるのだが。
しかしここまで、袖を引かれるまで接近されて気が付かないなど愚の極みだ。自分の命を狙っているやつなどそれこそ五万といる。
0.1秒の思考。
ちり、と首筋が燃える感覚。
瞬間、一方通行は瞬時に演算。背を向けたまま袖を掴んでいた手を反射ではじき返した。
「きゃあ~」
なんともやる気のない悲鳴。
生体電流の一つでもぐちゃぐちゃに乱してやろうかと考えていたのだが、どうにも敵意は無い様子。
肩透かしを食らったように一方通行は振り向いた。
そして、本日何度目かのため息。
ここ(学園都市)に奇人変人が多いのは認めるが、
「……」
「……」
「……」
「……今の。なに?」
巫女は、初めてだ。
「だから。募金」
「ンなモンは善人に頼め」
一体何度この問答を繰り返したか。
名も知らぬ巫女。どうもこの女は募金をしろといってきているらしい。よくよく見れば足元にあるダンボールにはちょこちょこと小銭が散らばっている。何とあつかましい事か。
しかし銀行の前で座り込み、募金を寄越せという根性にはさしもの一方通行であろうと驚嘆したものだ。
「……悪人?」
会話のペースがつかめない巫女は一方通行を指差し言った。
「っハ、真っ向から堂々と悪人だぜ。俺を捕まえて善人といえる奴ァそうそういねェ!」
俺を善人と呼ぶ奴がいたら褒めてやってもいい、と一方通行は続けた。
自覚しているのだ。100%悪人。悪党。悪者。一万人以上を、自らの手で殺している人間は悪党だろう。それに今更善人になりたいとも思わない。
……また、気分が悪くなってきた。
もうコレでいいだろう。そろそろ帰りたい。
だがこの巫女、諦めない。
「じゃあ。募金……して」
一方通行はもともと気が長いほうではない。いや、短い。
流石にこの女を殺したくなってきた。話が通じていないはずはないのだ。それをしつこく食い下がってくる。
(……もういい)
気絶でもさせて帰るか、と生体電流を乱すべく右手を伸ばした時、
「ワルモノはお金持ってたら。悪いことに使うから……募金。して」
っハ、言いえて妙だな、そりゃアよ。
「……」
柄にもない。
こちらもため息と数えて本日何度目だろうか。
結局、募金してしまった。百万ほど。人を殺してもらった金。実験協力代。あの巫女はそれを知らずに使うのだろう。所詮この世はそんなものだ。
がさり、と右手に持ったやけに大きなビニール袋が鳴った。中には白い部分と赤い部分がまちまちの、塗装が随分とへたくそな羽がぎっしりと入っている。
コレはなんだと聞いたところ、募金してくれたからやると言うのだ。
当然、一方通行は断った。のだが、ここでも暖簾に腕押し。こちらの話を聞いているのか聞いていないのか。募金に続き、結局押しに負けてしまった。正直な所かなりいらない。
(捨てるか)
そう思い、その思いのままにビニールを放り投げようとした時、
「っ!!」
突如として眼前に赤い鏡(?)のようなものが出現したのだ。
当然の如く一方通行は一歩のけぞった。そしてこの攻撃を仕掛けてきたものを探るようにあたりを見渡す。
「っく、くく、どこのどいつだァ、この俺に攻撃を仕掛けてくるたァよォ。プチっと蛙みてェに潰しちゃうぞォ」
咽喉からでたのは引きつったような笑い声。
ああそうだ。やはり、『こっち』の方がいい。『こっち』の方が、自分に合っている。今日は自分にしてはおかしな行動が目立った。合い席をしたのもそう。黒子の質問にいちいち答えていたのもそう。美琴の手を引いたのもそう。さらには募金など、それは目も当てられない行為だ。
俺は何だ? 一方通行だ。学園都市で『最強』の能力者だ。悪党だ。
「殺してやンよ。ひゃひっ」
つかつかと足音高く、左手を前に突き出し妙な鏡に向かって歩く。
ちゃちゃっと壊して実力の差を教えてやるのがいいだろう。
身体の『反射』は万全。
目の前の鏡からマシンガンが出てきて掃射されても欠伸をしながら迎え撃つことが出来る。
だが、
「───あァン?」
壊すつもりで触れた鏡に手が埋まった。
とぷん、とまるで水面に小石を落としたときのような波紋が広がり、
「おろ?」
ぱくり、と一方通行を引き込んでしまった。
その日、学園最強の能力者は消えた。
学園が誇る屈指の衛星を使っても探し出せないどこかに。
おろ? という、おおよそ『最強』には似つかわしくない言葉を残して。