第三次聖杯戦争において、ひとりの青年がサーヴァントとしてアインツベルンに招かれた。
“彼”のクラスは、通常在り得ざる八番目の席、アヴェンジャー。そこに座る青年の真名はアンリマユ。
拝火教の悪神の名を冠す青年は、その名に恥じぬ、最も悪性の存在だった。
だが、所詮は小さな閉じた世界を救った反英雄。
その力は他の英霊と比べるまでも無いほどに弱く、彼は早々に戦争から脱落する。
だが、その彼が聖杯に至った時、奇跡が起こった。
彼は悪性という意味では、正しく英霊に相応しい存在密度を持っていたのだ。
無色な魔力の塊である聖杯は、無色であるが故にたった一滴の悪によって見事に染め上げられる。
『この世、すべての悪であれ』
そう願われ、誕生した英雄によって染まった聖杯ははじめて志向性を得る。
英霊の情報が還る刹那を捕らえ、根源への道を通すはずの魔力は、全てを焼く破壊と焦熱の澱みと成った。
この世、すべての悪
それが、聖杯に溜まる悪性の真名。
それが、孔より零れる呪泥の真名。
滴った泥は孔の真下でセイバーを捕らえ、魔力枯渇によって消滅寸前であった彼女を一瞬にして吸収する。
同じ霊的存在である彼女に、泥に抵抗する術はない。
瓦礫の下。崩れ行く高層ビルの屋上。
それら僅かな例外を除いて、泥の波は街の悉くを呪い、灼く。
二つの霊的存在を飲み込んだ泥は、すぐに近隣の民家に達し、阿鼻叫喚の大火災を引き起こしたのだ。
第一話
生誕の詩
―――渦を巻く。
罪が、この世の悪性が、逆流し増幅し連鎖し変換し渦を巻く。
暴食色欲強欲憂鬱憤怒怠惰虚飾傲慢嫉妬が巡り廻り犯し侵し冒して渦を巻く。
反乱罪牙保罪恐喝罪淫姦罪毀棄罪強要罪脅迫罪窃盗罪逃亡罪誣告罪放火罪侮辱罪不敬罪
余桃罪誘拐罪買収罪堕胎罪自殺関与罪賭い博罪死体遺棄罪兇徒罪聚衆罪遺棄罪偽証罪贓物
罪略取誘拐罪暴行罪皆々全て悉く須く死罪極刑につき恨め憎め拒絶否さい定し殺せ殺せ殺せ殺
せ許容せず殺せ殺せ殺せ認めず殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ煩い殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ煩い、黙れと言っている殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺黙らぬならばせ殺せ殺せ
殺せ殺せ殺せ貴様の存在自体を完膚なきまでに殺し切り、二度と戯けた口を聞けぬ様に―――――――――
“――――!?”
呪いの渦が蟠る。そこに在り得ないハズのモノを認識する。
全てを押しつぶし同化する存在が否定を叫ぶなかで尚、その否定を罵る声がした。
在り得ない。
この怨嗟と呪詛の渦の中で否定の否定など在り得ない。
なぜなら森羅万象全て余さず憎悪し邪とし醜いと断ずるが故に正気はなく、
否定の波を罵ることは乖離した意識が存在しそんなモノはあり得ない―――
だからどうした?
悪性だの罪だの、そんなもの私には 興 味 が な い。
私に言わせれば、正義だの悪だのは、戦を始めるための口実にすぎない。
そんな下らぬ議論は他所で行え。
“―――――!?”
呪いの声は問う。
他所?
ならば、この悪は何処へ行くべきなのだ?
誰の下に?
何処の集団に?
あらゆる場所に存在する故にどこにも居ないこの悪の生き場は何処か?
そんな、闇の審問に、覇気を漲らせた声が答える。
私が知るか、自分で考えろ。
その問い自体が無為であると気付け。
私が貴様に教えられることは唯ひとつ。
私を阻むな。
阻むならば、私は剣を以って貴様を滅す。
“―――――!?”
泥は問う。
己の中にありながら、己を抑すなと言うお前は何者かと。
そして問うてしまってから矛盾に気付く。
『個』の存続など決して許さぬこの場所で、泥はまたも自らの中に他者を認めてしまった。
さらにもうひとつ、在り得ざる筈の異物を抱えてしまった。
それは魔剣の主、即ち魔を纏う剣王。星の創りし神造兵器を闇に浸した背神の凶戦士。
彼女の名は――――『黒き騎士王』アルトリア・ペンドラゴン
/ / /
「だから黙れと言っている。
不快だ。貴様のような汚濁が私に関わるな」
黒い泥の海で、私の周囲から逃げるように泥が退いた。
泥は、自らの怨嗟の半分を以ってしても、終に異分子を消化しきれなかった。
故に泥は、次善の策として、私という絶対的な我心を吐き戻す。
泥が、私に屈したのだ。
「――――くっ……」
そして燃え盛る大地に膝を付き、裸身の私は静かに眼を開ける。
熱風に揺れる白金の髪、煌く黄金の瞳。
魔力が枯渇し白蝋の様だった肢体は、泥より魔力を強奪し白磁の輝きを取り戻している。
彼女の肉体はもはやサーヴァントとしての霊体ではなく、現世の肉より成る正真正銘の実体であった。
「く、ふふ、ふ。悪くない……」
一時でも同化した今なら解る。あれは、かつてアインツベルンが辿り着いた第三の片鱗なのだ。
あらゆる生命を否定する泥が、自らの内に紛れ込んだ不純物を結晶化させて破棄した結果。
私は黒く反転したままに、遂に受肉を果たして現世に帰還したのだ。
「だが、台無しだ。
これでは新しい肉の感触を愉しむこともままならない」
その肉の身体に感じるのは、肌を撫でる―――というには少々熱を持ちすぎた風。
焼けた大地の熱さ。身体を焼く炎の痛み。
「 風 王 結 界 」
私は即座に風の宝具を起動させ炎を吹き飛ばす。
受肉しても滞りなく発動する宝具の力に満足し、同時に熱から身体を護る為にまず服と具足を出現させた。
「こんなところか。それにしても、あんなものが聖杯とは……
馬鹿げている。
あんな塵芥にも劣る愚劣なモノを巡って、我らは争っていたのか」
私は落胆した。
あんなモノが、冬木の聖杯。
あんなモノをかつての私は求め、あんなモノのために幾多の英雄が命を散らしたのか。
伏せた視線を上げれば、そこは炎の草原。燃え盛る炎と、灼け爛れる瘧の群れ。
黒い孔から流れ出た汚泥が、大地の全てを呪っていた。
「この規模……
死者の数は三百を下るまい」
きっとこの場を、より鮮明な霊視が出来るものが見れば、宙を漂う無数の霊魂が見えるだろう。
それがあの泥の悪性によって犯され、近い将来ここは怨嗟の声で満たされる。
向こう数十年。この地に命が芽生えることは決して叶わないと、私は確信した。
「残っているものは、おらぬか。
私に忠誠を尽くすと誓うならば、慈悲をやるというのに」
服の裾を翻し、絶望を冠す聖剣――――否、魔剣を手に、焼け野原を闊歩する。
高熱にさらされたコンクリートは具足で踏むだけで簡単に砕け、酷く足場が悪い。
煙と埃は風の護りが弾き飛ばすが、うっかりすればそれが逆に埃を巻き上げ、視界を遮ってしまう。
「――――ぅん?」
ふと、足下に黒い塊があるのを見つける。
既に完全に炭化しており、足先でコツンと蹴っただけでボロボロと崩れるほどに脆い。
よく見ると、それは赤子の頭部のようだ。
ならば、それを抱えるように伸びるこの黒い二本の棒は、母親か父親の腕だろう。
その先は瓦礫の中に埋もれ、未だ黒い煙を上げている。
肉の焼ける匂いが、辺りに充満している。
「人の業とは、かくも醜き物か。
此れならば、真黒の絶望のほうがまだ美しい。真紅の悲嘆のほうがまだ芳しい」
ひと思いに、それらを聖剣で纏めて薙ぎ払った。
周囲の瓦礫ごと、親子の亡骸が塵となる。せめて、その一部でもこの呪いの外に流されればよいのだか。
「ほう――――
そんな姿になったというのに、ずいぶんと優しいのだな」
不意にそんな、不遜な声が聞こえた。
「優しい?
馬鹿め、どうやら貴様の眼には未だあの泥がへばり付いていると見える。
民の死を悼むのは王として当然のこと。それが解らぬなら、王を名乗るな」
「ハ、莫迦は貴様の方だ。
万民の命は既に、王である我に捧げられた財貨である。
我がその財を失って後悔こそすれ、貴様がそれを悼むのは筋違いであろう」
背中ごしに感じる声。
その声の主など考えるまでもなく、私は身に纏う衣を鎧で包み込む。
「見誤るな、虚け。民とは自由なき自由を与え、管理するものだ。
そして王の生業とは、それに対する絶対的な統治だというのに、その民を財とみなすとは。
やはりどうあっても、貴様とは解り合えぬようだな、アーチャー」
「雑念に堕ちた貴様に価値などない。
疾く、消えよ、セイバー。この王の手を煩わせるな」
私が振り返ると、ひときわ高く積み上がった瓦礫の頂上に、黄金の弓兵が立っている。
奴は戦支度を整え、確たる肉の身体を持ってそこに在った。
どうやらあの不遜な王もまた、私同様にあの泥に打ち勝ったという事のようだ。
「笑わせる、王を名乗るものが覗きとは。
その鎧といい、悪趣味が過ぎるぞ金色。程度が知れるというものだ」
「―――ハ、覗きだと?
莫迦め、我の行いがそんな物に該当するものか。
覚えて置け。王の行為は、下々の者の尺度では定義できぬものだ」
がしゃり、と瓦礫を踏み砕きながら、アーチャーが地面へと降りる。
口ではああ言ったが、こうして見ればこの者もやはり王だ。
周囲の妄念どもが、奴と私を避け、周りはそこだけがぽっかりと空白になったように感じる。
それは、さながら用意された戦場のよう。
「それにしても、雑念だと?
……ああ、なるほど。確かによく染まっている」
私は己の纏う鎧を見て、頷いた。
そこにあったものは嘗ての白銀の鎧でも、狂呪の煤に犯され濁った煤黒い鎧でもない、艶やかな漆黒。
三原色をどう用いても作れぬ、絶対の、黒。
それは先程までとは決定的に違う、美しく、かつ禍々しい鎧だった。
そして、英霊である私の武装が劇的に変化したというならば、当然、私自身も変化しているのが道理。
白銀の聖鋼が狂呪を吸った不完全な“わたし”の身体は、暗黒の泥によって溶解/再造された。
故に此処にある私は、ただ反転したのではなく――――――
「だが、堕ちた、とは筋違いだな。
あの泥は、人々の『全ての悪であれ』という願いから生まれたモノ。
その願いを享受し、絶望を現実とするのもまた英雄の勤めであろう?」
「その願いの名こそ、雑念というのだ。
享受? ふん、下らん。全ての悪など、とうに背負っている。
それに易々と染まった貴様こそが未熟であり、英雄として不足なのだ」
「違うな。真に英雄であるからこそ、あの願いの受け手に相応しい。
英雄とは、その実、人々が『悪』とする殺戮を最も上手く行えた大量殺戮者を指すのだからな」
悉く、私の意見と奴の意見は衝突する。
これは、表裏ではない。そもそも、奴と私では己を画す定義が違うのだ。
故に、議論は永遠に平行線を辿るは必定。
「はっ、相変わらずお喋りな男だな、金色」
「ふん、お前は堕ちていくぶん饒舌になったようだな」
だが、問題はない。
会話が遂にかみ合わず、議論が決裂をもって終局した時の為の対応策を人類はちゃんと持っている。
有史より以前から変らぬひとつの法。
人の営みとは即ち、神世より続く争い(殺し合い)の歴史である。
「そうだな……やはり結論は既に出ていた。
いくら言葉を重ねても、貴様と意見は永遠に合わぬ。
故に私は、貴様の意見を駆逐することで、我が言を正当なるものとしよう」
「ほう、面白い。
だが貴様同様に黒く錆び付いた元・聖剣で、我が財に抗ぜられるとでも?」
「愚問だ、アーチャー。
ヴィヴィアンがモルガンに代わったところで、性悪女という点では同様だ。問題などない」
魔剣を地面から離し、抜き身の切っ先をギルガメッシュに向ける。
下らぬ舌戦は、これにて終幕だ。
これより先は、暴力の範疇。
私と奴、より強い者が、弱い者の意志を踏み砕く。
「――――なに、代わった?
………く、くくく、ハハハハハーーー! そうか、そういう事か!!
喜べ、セイバー。
雑念に堕ち、人の業に汚れた貴様でもまだ価値はあった。いや、価値が出来たというべきか。
よかろう、貴様を我が財と認定する。
なに、遠慮するな。この王が直々に宝を覆う形骸を剥ぎ取ってやる。謹んで、その魂を我に捧げるがいい!」
そう言って、突然に笑いだしたアーチャーは、空間の揺らぎから歪な剣を取り出した。
それは紛れもなく、あの剣軍を召喚するための鍵。
「そうか。
ではこちらも貴様の首を天に掲げ、我が誉れとしよう。
いくぞ、アーチャー。この下らぬ喜劇の、最終章の開演だ」
殺意が、爆ぜる。
こはやこの場に、炎も怨嗟も介入することは赦されない。
冬木に集った七人の英雄。
その蠱毒を生き抜いた最後の二騎が、ここで雌雄を決するのだ。
「さあ―――」「では―――」
「「 決 着 を つ け よ う 」」