シン、と辺りが静まり返る。
彼女と、血の泉に伏したもうひとりの女性から湯気のように立ち上る魔力がそこで超絶の戦闘があった事を告げる。
死闘……ここで行われた戦闘は、そう呼ぶには少し足りない。
戦闘は殆ど一方的だった。
英霊、その中でも特段の強さを誇る騎士の王、アルトリア。
黒き願いに身を浸し、闘争において更なる特化を果たした彼女を相手取るのには、たとえ埋葬機関の『弓』といえども荷が重い。
シエルはアルトリアとの闘争に敗れ、自らより流れ出た血潮の海に伏していた。
「は――――ふぅ……」
いまだ鳴り響く己の鼓動をそのままに、アルトリアは剣を抜きシエルに背を向けた。
彼女を胸を満たすのは、空虚。騒がしかった祭りの後のような、虚ろな感情。
高鳴り、唸った感情が急に沈静化する。
シエルという、己が殺した強者の名をその心に刻み込みながら、彼女は己の従者が待つ部屋へと歩き出す。
諍いは終わった。この心地よい余韻を穢す、無粋な狩りを、今更行う必要などない。
今宵は上等なワインでも傾けながら勝利に酔い、眠るとしよう。
そう思い、彼女は背を向けた。
「ぐ…、がっ……」
だから、傷を負ったのだ。慢心の代償として。
彼女は見誤ったのだ。シエルから噴出すそれを、死骸より立ち昇る魔力の『残滓』であると。
第十四話
不死者へ贈るコトバ
黒鍵が肉を裂く。
振り向く動作すら、遅い。
「馬鹿な、何故……」
飛来した黒鍵は三本。
風切り音は無し。一切の無音、一切の無気配、一切の無殺意。
「何故生きている、シエル!!」
私の感知の悉くをすり抜けた聖なる刃は耳を霞め、頚椎を護る黒鎧に弾かれ、肩当てをすり抜けて肩甲骨へと突き刺さる。
シエルの投擲は的確に延髄、心臓、肝臓の三点を狙っていた。
致命傷を避けられたのは、直感に従い無意識に動いた左足の功績でしかない。
「言ったはずです。わたしは死神に嫌われていると」
肩甲骨を抉った刃を投げ捨て、剣を構え直す。私の視線の先には、渾身の投擲を終えて残心するシエルの姿があった。
彼女には私が奪ったはずの右腕が在り、穿ったはずの胸の穴は無く、全身に刻んだはずの無数の傷も無い。
彼女は完全なる姿で、そこに在った。
「わたしは死なないんじゃない、死ねないんですよ。
何度殺されようと、『世界』は決してわたしの死を認めない。
気が狂いそうな痛みと引き換えに、『世界』は矛盾を修正するためにわたしを再生する。
忌まわしき『蛇』の魂が、輪廻する限り!!」
ゴウ、と気風が舞った。
どこまでも澄み切ったシエルの魔力が、嵐のように荒れ狂う。
「そちらこそ、何処へ行く気ですか。
決着はまだの筈でしょう? さあ、さっさと剣を構えたらどうですか、異端!」
彼女のボロ布同然の修道服を剥ぎ捨てる。露になった肩口で、彼女の意思に呼応するかのように白い翼の刻印が輝いた。
彼女は意思を持つかのように飛来したパイルバンカーを回収すると、再び黒鍵を万全に構える。
「さあ、戦闘再開です」
『世界』とは、この星に生きる全人類の無意識の総和だという。
冬木の聖杯がそうであるように、強大な魔力は万能の釜足りえるならば、全人類の余剰魔力の総和もまた莫大な魔力を充填する万能の存在。
一切の矛盾を許容せぬ『世界』に“矛盾”と判断させる事自体が容易なことではない。
だがもしそれを成せれば、『世界』を形作る人類が滅びぬ限り、その矛盾を晴らさぬ限り、彼女は生き続ける。彼女の意思とは無関係に。
世界修正による不死。それは、なんという悲劇か。
「……よかろう」
生は、死によって定義される。
死を奪われることは、生きる意味を奪われるということ。
死なき生は、もはや生ではないのだ。
「来い、シエル」
彼女の悲壮な心の叫びに応じ、再び剣を構えた。
望まぬままにそれを手に入れた彼女。あの若い心はどれほどの屈辱を味わい、あの清んだ眼はどれほどの地獄を眼にしたのか。
彼女の明かした異能のあり方には、同情の余地は十分にある。
「我が全身全霊を以って、貴様を打倒しよう!!」
だが、己が強者と認める者に挑まれた以上、手加減という選択しは存在しない。
一騎打ちにおいては、手を抜くことこそ不義。相手を殺さぬは、最大の侮辱。
「―――― ゼロ! ドゥロア! セット! キャトル!!」
「 竜 炉 開 城 、 卑 王 鉄 槌 」
飛来する十数本の聖なる弾丸を、赫刃の逆胴をもって薙ぎ払う。
一騎打ちに勝ち逃げはない。敗者は血の海に沈み、勝者は誉れを胸に敗者の命を背負う。
相手に情けという侮辱を与えれば、それに見合った責任を要求される。
「――――風よ、猛り狂え」
シエルが次弾を放つよりも早く、魔力を以って飛ぶ。
彼女の上空に身を曝し、ようやく収束した風王を再び撃ち放つ。
「 風 王 鉄 槌 」
一騎打ちの敗者は既に死人。その時計は、勝者を殺めるまで動かない。
だからこそ、殺す。
最大の敬意と最大の殺意を以って、徹頭徹尾殺し尽くすのが、一騎打ちの作法である。
「く、あぁぁぁーー!」
私と、シエルの戦力差は歴然。
実力。経験。武装。全てにおいて私はシエルを上回っている。
幾度戦おうとも、彼女が私に勝つ見込みなどない。
だが、彼女は死なない。
彼女は『不死』である限り勝機がある。
そして彼女には戦う意思がある。
「ぅん? ハ、ユニテリウスめ、逝ったか」
不意にプツンという小さな音が心中に響き、私が魔力を吸い上げていたラインの一本が切れたことを告げる。
どうやら私の過剰な搾取に耐え切れぬ者が出始めたらしい。これは由々しき事態だが……
「――――主よ、この不浄を清めたまえ!」
生憎と、出し惜しみをしていい相手ではない。
狂風の中心で、左腕を失った狩人が炎の式典を撃ち放った。
着地と同時にそれを回避し、一息に前へ。
選んだ方法は、共に刺突。シエルが指に挟んだ三本の黒鍵と、私の魔剣の切っ先が交錯する。
「く――――」
「――――覆え」
勝負は痛み分け。シエルの黒鍵は砕けたが、私の進撃も止まった。
ならば次。私は自身を覆う黒霧をそのまま彼女に叩きつける。
物質化するまでに密度を高めた魔力が彼女の眼前を覆い、視界を塞ぐ。
「ぐ、あ……」
その霧のど真ん中を左手でぶち抜いた。
ようやく回復した腕でシエルの首を掴み、右腕で魔剣を振り上げ――――
「堕ちろ!」
叩き斬る、だけでは温い。刃を心臓まで食い込ませ、そこで止める。
蘇生を待ち、その瞬間に再び殺す。
手首の捻りによって魔剣の切っ先が回転し、シエルの心臓を抉る。
狙いは断続的な死傷による精神の崩壊。
魂を壊し、ただ生きているだけの人形に変える……いや、無理だ。
この者に限って、精神を止めることなどありえない。
「はぁッ!!」
腕の再生を待たず、胸から鮮血を噴出しながらもシエルは黒鍵を構え、撃ち放つ。
それを打ち落とした時は既に、シエルの姿はそこに無い。
一瞬の踏み込み、一瞬の武装。やっと回復の始まり、筋肉が剥き出しになった腕で彼女は第七聖典を支える。
「コード……」
「遅い!」
聖典に刃を立て、叩き落す。
杭の先は地面に突き立ち、魔剣に押えられる形で両者が膠着する。
「ひとつ、訊こうか。シエル」
「―――――ッ!」
「なぜ、貴様は戦う?」
「―――――」
「その不死性を教会の上層部が知らぬはずは無いし、かといって協会が知れば即座に封印指定ものだ。
どちらの追跡は周到にして執拗。なのに貴様の名は世界に轟いている。
何故だ、シエル。何故貴様は、望まぬ異能を駆使してまで、教会に従い吸血鬼を狩る?」
「――――……」
「答えぬか、まぁいい。
ならば続けようか。そろそろ、宴もたけなわだ」
「………黙れ!」
私が剣を外した瞬間、シエルが一気に間合いを切った。
そして再び始まる円舞曲。
「串刺しに、成りなさい!」
高く跳躍したシエルからの、聖矢の大量放射。四度の連投で射出された三十二の黒鍵が私の回避路を悉く潰し、確実な死を唄う。
どう剣を振ろうとも黒鍵は確実に私の急所を捉え、刃に込められた概念がこの身に致命傷を刻むだろう。
「ここに来てこの気迫、見事だ。だが、一手遅いな」
血肉が剥がれ落ち、蘇り、果てに辿り着こうとも、この者は諦めない。
ならば、襲い来る黒鍵ごと、この一手をもって幕を引く。
「活目せよ、これが我が魔剣の輝きだ。
その目にしかと灼き付け、逝け、シエル!」
神秘はより強い神秘に打倒される。
はたしてその異能は、『世界修正』は、絶望を束ねた魔剣の旭光に、耐え切れるか?
「 約 束 さ れ た ――――」
真名の開放と共に、魔剣が一際強く輝く。
圧倒的な黒の奔流。
魔剣に注がれた私の魔力が黒い極光へと変換され、創り出される空間の断層が、決着を告げる。
「アルトリアさん!!」
だがそれよりも早く、その只中に第三者の声が割り込んだ。