無事に世界を渡ることができたのは良かった。
人がいる世界に行けたのは良かった。
でも、意識を手放したのはまずかった。
その結果が、俺の目の前にいる少女たちに見つかってしまい、助けられたという現状だ。
今となっては遅い後悔に苛まれて、頭を抱えた。
遠坂が悪いわけでも、赤いヤツが悪いわけでもない。
認めたくないが、俺が悪い。
「どおしたん?あたまいたいん?」
俺が頭を抱えている原因となっている、少女たちの一人が声をかけてきた。
今時の少女にしては珍しく、和服を着ているし、おしとやかそうだ。
「このちゃん、あかんて!」
反面、髪を結っている少女は、剣道着を着ていて、ものすごく強気そうだ。
俺のことを睨んでいるし、かなり警戒されているようだ。
まあ、それが普通の反応なんだけど、子供にまで警戒されるとは、容姿の問題だな。
肌の色がまず変色…あれ?変色してないぞ?
ん?なんか手が小さい気が…てか、部屋がでかい気が…。
…今はそんなことどうでもいい。
とりあえず、他に最優先事項がある。
「すまないが、大人の方を呼んでもらえないか」
別にこのまま、何も言わずに消えても良かったのだが、いろいろと厄介なことになっているみたいだ。
まず、今、自分が着ている服があの外套じゃないということ。
寝ている間に、浴衣に着替えさせられていた…しかし、どうやって脱がせたのだろうか?
そして、何らかの魔術がこの部屋に施されているということ。
結界か、罠か、また別の魔術かは知らないが、どのような効果であるか分からない以上、うかつに動けない。
せめて、外套を回収しないと逃げるに逃げられない。
一目見ただけでは分からないはずだが、解析されでもしたら、俺の異端性がばれてしまう。
…世界を渡って早々こんなに面倒なことになるとは…ついてない。
これ以上の面倒を起こさないためにも、大人に事情を話して、外套を返してもらって、逃げる、それが最善だ。
そう考えた俺は、少女たちに人を呼ぶように頼んだ。
多分、呼ばれてくるのはこの魔術を張った人間であろう。
「ええよ~、ちょっと待っといてな~」
「ああ、わかった」
おしとやかそうな少女は俺の願いを聞き届けてくれたらしく、襖を開けてこの部屋から出て行った。
が、すぐに戻ってきた。
原因は、さっきからずっと俺をにらんでいる少女だろう。
「せっちゃんも行こうな~」
おしとやかそうな少女は強気そうな少女の腕を引っ張って、連れて行こうとしている。
「せ、せやけど、ウチが見張らんとなにするかわからんし…」
責任感が強いのか、それとも警戒しているのか、多分どっちもだろう。
強気そうな少女はおしとやかそうな少女の誘いを頑なに断っている。
しかしな…。
「なにもしはらへんって」
「けど…」
「ほら早く行こって」
「このちゃん、ウチは安全を考えて…」
「だいじょうぶやって」
顔を赤面させながら、必死に抵抗する強気そうな少女と、相手の気持ちを知ってか知らずか、連れて行こうとするおしとやかそうな少女。
こういうやり取りを見ていて…自然と笑みがこぼれてしまった。
ここ数年、こんな光景を見ることがなかった。
俺は、言葉も交わさず、ただ暴力と暴力がぶつかり合う世界にいた…。
子供すら銃を持ち、人の命を奪うそんな世界だった。
だから、こんな子どものやり取りがとても幸せに見えた。
それに、この世界は平和であること、それを象徴していると感じたから。
「いいよ、行ってくれても。動く気は一切ないからさ」
きっと、気持ちが穏やかになっているからだろう。
自然と元の口調に戻っていた。
「誰が、貴様の言うことなど」
こちらを向き直り、さっきよりもキツイ視線で睨みつけてきた。
この程度なら、何度も向けられたことがある。
大抵は睨み返して黙らしていたが、子供相手にすることじゃないので、目線を外した。
「せっちゃん、行こ~。何もせんて言うてはるやん」
「せやけど、嘘かもしれ──」
「──嘘はつかないさ、本当に動く気はないから行っておいで」
両手をあげて、降参するようなポーズをとり、何もしないというのを表現して見せた。
それを見てか、強気そうな少女は口を開けたまま固まっている。
「…し、信じる気などさらさら──」
「──おや、目を覚まされたんですね」
開いたままだった襖から眼鏡をかけた男性が入ってきた。
ソイツが俺の目に入った瞬間、手を布団の中に突っ込み、気を張った。
服装からして神主か…つまり、ここは神社なのだろう。
ここがどういう場所であるか分かっただけでも、収穫だ。
しかし、コイツはただ者じゃない。
まず、隙が見られない。
その上、身のこなしが一般人のそれとは全く違う。
多分、ここに何らかの魔術を施したのはコイツだろう。
「あ~、父様や~」
「これ、これ、このか」
おしとやかそうな少女は彼に抱きつき、彼はそれを軽く窘めている。
そうしている間も、一切の隙を感じさせないところはさすがというべきか…。
「貴様…」
俺が彼に対して目を走らせていたのに気が付いたらしく、強気そうな少女はさっきよりも強く睨んできた。
所詮は子どもの睨みなので、気にせずに無視した。
その行動が頭に来たのか、少女は俺に対して一歩踏み込んできた。
「刹那君」
しかし、彼が言葉で少女の行動を制した。
「…」
少女は悔しそうに歯を食いしばって、動きを止めた。
制してくれなければ、多分殴られていたし、ありがたかったが…余計に恨みを買ったみたいだ。
「じゃあ、このか…私は話があるから、刹那君と遊んできてくれるかい?」
抱きついている少女の頭を撫でながら、優しく促している姿を見ると、ただの一般人にしか見えない。
だが、魔術師である以上、俺としては気が抜けなかった。
「よろしく頼むよ、刹那君」
「はい、わかりました、長」
「ほな行こう、せっちゃん」
おしとやかそうな少女に連れられて、強気そうな少女も出て行った。
俺の視界から消えるまで、ずっとこっちに向けて敵意を飛ばしていたので、彼女もまた同じ存在なのかもしれない。
しかし、今はそんなことどうでもよかった。
部屋に残っている、魔術師であろう、彼の方が重要だった。
「すみません、うちの者が手を出そうとしてしまって」
「いいえ、気にしていません」
「そう言ってもらえると助かります」
彼は困ったように苦笑していた。
俺も同じように苦笑しておいた。
「座ってもよろしいですか」
「…どうぞ」
「では、失礼します」
彼は俺がの正面に座った。
それによって、さっきまでなかった緊張感がこの場を支配し始めていた。
彼と腹の探り合いをするつもりなど、毛頭なかった。
だから、俺は沈黙して、相手の出方を待った。
それは、彼も同じだったらしく、黙ったままだった。
「…」
「…」
暫くの間、沈黙が流れていた。
もしかすると、彼は身元不明の魔術師と対峙することに、戸惑っているのかもしれない。
ただ単に、話を切り出せずにいるのかもしれない。
どちらにしても、面倒なことはできるだけ避けたい。
だから、俺から切り出すことにした。
「あの」
「はい?なんでしょうか?」
「服はどうなったのでしょうか?」
俺が最も優先すべきことである外套の回収。
それについての情報を遠まわしに聞いておいた。
話の流れとしてはまあ普通だろう。
「ああ、それなら少々汚れていましたので、洗濯させていただきました。ご都合が悪かったでしょうか?」
ふむ、それはそれで面倒なことになったものだ。
乾くのを待たないで、持ち去ってもかまわないが、肝心の場所が分からない。
「いえ、服が変わっていたので、処分されたのかと思いまして」
「そんな、とんでもないことをするつもりはありませんよ」
「そうですか…とにかく、助けていただいて、しかも服の洗濯までしていただいてありがとうございます」
俺は腰を折って、頭を下げた。
すると、すぐに「お顔を上げてください」という声が聞こえてきた。
顔をあげると、彼はまた困ったように笑っていた。
「いえいえ、そもそも助けたといっても、あの子たちが最初に見つけてくれたんです。礼ならあの子たちに」
「わかりました、あの子たちにもまたあとで、おかげで元気になったと礼をしておきます」
「そうしてあげてください。きっと喜んでくれますから」
…なん、だって?
欠けていたピースがはまるような感覚に襲われた。
同時に駆け巡る焦燥感によって、思考が混同する。
俺が、どこまでも、なによりも求めていたもの。
それが今、思い出されたような…。
忘れてしまったのか?壊してしまったのか?
失ってしまったのか?消してしまったのか?
どうでもいい、なくした過程なんて今はどうでもいい。
必要なのは、なくしたものだ。
…っ思い出せない!
俺はなぜ思い出せない!なぜなんだ!!
俺が自分を犠牲にしてまで得ようとしたのは、きっとそれがあったからじゃ──
「ところで、どこか体調の悪いところなどございますか?」
──はっ。
その質問で一気に現実に戻された。
さっきまで感じていた焦りはすべて消え失せている。
なんだったのだろうか?
まあいい、今はどう答えるべきか、だ。
触らずとも自身の体調は分かっている。
世界を渡っている時、感じた痛みは残っていない。
意識を失うほどの痛みだったのがうそのようだ。
実際のところ、特に体に違和感を覚えるところはない。
「特には」
「そうですか…では、なぜあのようなところに倒れていたのですか?」
なぜ倒れていたのか、か。
本当のことを話すなど論外だ。
この世界がどういったものかはわからない以上、迂闊に話すことなどできない。
しかし、嘘などつけるほど器用な生き方をしていない。
なら、こう言ってしまえばいい。
「旅の途中で、急に痛みを感じて倒れてしまったんです」
間違いではないが、本当のことではない。
俺の言い分を聞いた彼は、眉間に皺をよせ、険しい表情に変わった。
「旅、ですか…君のような子どもがですか?」
…KODOMO?…コドモ?…こども?…。
子ども?!
持前のポーカーフェイスで表情を変えずに、すんだものの…内心はかなりオロオロしている。
自分の目線が低いのは寝てるせいだと思っていた。
自分の手が小さく見えるのは寝ぼけているだと思っていた。
実際は、俺が、何の因果か知らないが、子どものようになっているという予想外の原因だったとは。
俺が子どもであるというなら…さっきまで感じていた疑問にも説明がつく。
服を脱がすことができたのは、俺が小さくなることによって、サイズが合わなくなっただけ……。
…拙い。非常に拙い。
これでは、さっき言っていたことに食い違いが出てくる。
それに、なぜでかいサイズの服を着て、ぶっ倒れていたのか説明が付けられない。
「ふむ…話せない事情がおありのようだ」
何も口には出せない。
しかし、相手が何かしようとするならば…。
即座に、殺す。
布団の中で、手に力を込めて、相手の出方を待った。
「…まあ、いいでしょう。もうすぐ日が暮れますし、今日のところは泊まっていってください」
意外な答えに、眉を顰めた。
これ以上この場に拘束されるのは、少々厄介だ。
「ですが、これ以上迷惑をかけるわけには」
「いえいえ、迷惑などとは思ってませんよ…それに、君はまだ礼を言っていないでしょう?」
相手の申し出を無下に断るほど、馬鹿じゃない。
それに…礼を言わないわけにはいかないだろう。
「分かりました、今日一日だけ、お言葉に甘えさせていただきます」
「頭を上げてください」
深々とお辞儀をして、相手に感謝の意を述べた。
彼は苦笑して、すぐにそんな言葉をかけてくれた。
「さてと、少々執務がございますので、そろそろ失礼させてもらいます」
「時間をとらせてしまったみたいで、すいません」
また、頭を下げようとしたが、今度は手で制せられた。
彼はどうやら、頭を下げられるのが苦手みたいだ。
今度からはやめることにしよう。
「いえいえ、そんなことございませんよ。…またあとで、夕食を届けさせますので、それまでゆっくりしておいてください」
「なにからなにまで、ありがとうございます」
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになってきた。
素性も何も言わないで、ただ黙っている俺に、ここまでしてくれるとは。
「あと、厠はこちらの障子から出ていただいて、右へ廊下沿いに歩いて行ってくだされば、ございますので」
「わかりました」
できることなら、この恩を返したい。
貸し借り云々じゃなく、俺なんかの為にいろいろしてくれたという恩を返したかった。
「では、失礼します」
彼はすこし会釈して立ち上がり、襖の方から出て行った。
が、すぐに戻ってきた。
「そうそう、自己紹介がまだでしたね」
そういえば、そうだった。
彼の名前も彼自身のことも、知らなかった。
憶測で、魔術師であると断定してはいたが。
「私は、ここで最高責任者を務めている、近衛詠春と申します」
「近衛、詠春さん…ですか」
「君は?」
「俺は…衛宮、士郎で、す」
名前を言いきった後、しまったと思った。
が、よくよく考えれば、名前など調べれば、いくらでも出るだろうし、俺自身がいない証明にはならないだろう。
「どうかしましたか?」
俺が不自然に区切ったことに、違和感を覚えたのであろうか。
ならば俺は、至って普通でいなければ。
「いえ、別に」
「?では、失礼します」
近衛さんは少し首を傾げていたが、執務のこともあるのか、いそいそと出て行った。
近衛さんがいなくなり、ようやく俺一人となった。
さっきまで、他に人がいたからか、一気に静かになった部屋が奇妙に感じた。
…とりあえず、状況を解析しよう。
──解析、開始(トレース・オン)
身体年齢、約8歳。それに伴い、筋力低下、身長低下、体重低下。
魔術回路、27本中11本は正常に起動、16本は何らかの原因で停止。
魔力量、全快時の半分以下…自己生成外の魔力も取り込んで増えている。
アヴァロン、正常に起動。
──解析、終了(トレース・オフ)
なにか、おかしくないか?
自己生成外の魔力だと?アヴァロンがあるだと?
まず、自己生成外の魔力という点は、正直不可解すぎて説明が付けられない。
魔術回路そのものから生成されるのは分かっている。
しかし、それだけにしては増える量が多すぎる。
まだ、元々あった量までは回復していないが、一日で元に戻りそうだ。
もし、このまま増え続ければ、俺の切り札の展開を長くできるかもしれない。
俺の持つ切り札は、展開こそすれ、全ての力を扱えるレベルではない。
『真名解放』…ここまでできて、初めて英霊たちと引けを取らないレベルにまで発展できる。
だが、まだまだ、魔力が足りないのと、担い手たちの技術を擬態できない以上、できないだろう。
次に、アヴァロンが存在する点は、まだ説明がつく。
多分、俺を治癒していたときにでも、遠坂が入れたのだろう…そうであれば、あの時の痛みは説明がつくし。
しかし、どうして遠坂が持っていたのか?なぜ起動しているのか?
それに関しては、俺にはよく分からない。
そんなことよりも、彼女の鞘が再び戻ってきていることが何よりも重かった。
また、彼女の世話になってしまうかもしれない。
そうならないためにも、どうにかしなければ…。
とりあえず、身体能力の低下でどれだけ動けるのか、それが今後の課題だな。
魔力行使には問題がなかったが、投影、強化はできるかどうか、不安なところだ。
まだ、魔力が完全に戻ってないうちに試すわけにもいかないし、また明日にでも考えよう。
それと、ここにかけられている何らかの魔術についても解析しておくか。
近衛さんは厠…トイレの場所を教えてくれた以上、俺がトイレに行くこと=外に出ることに関して束縛をかけていない。
その点から見てもそうだし、それに、さっきは安易に魔力行使をしたけど、何らかの反応が出たわけではない。
つまり、罠であっても、攻撃的な罠ではないだろう。
だから、思い切ってやることにした。
──解析、開始(トレース・オン)
かけられているのは、遮音と魔力漏れ封じの魔術らしい。
敵意や悪意などはこめられておらず、ただ張ってあるだけのようだ。
なら、いいか…今のところは体を休めよう。
起こしていた体を倒し、布団をかぶった。
なぜだか、すごく心地よかった。
何年振りだろうか…布団の感触を味わうことができるなんて。
寝ていても警戒する必要がない場所で寝れるということが、どれだけ至福なことなのか、今の俺には実感できる。
安心したら、眠くなってきた…。
何の警戒心もなく、意識を落とした。
─────あとがき─────
2010/04/29 あとがき変更、行間変更、誤字修正
あとがきを変更する意味はあまりなかったんですが、前回とか今回とか少々混乱するようなことが書いてあったので削除しました。
一応、刹那と木乃香の年齢は4~5歳です。