<レシア・クライティ>
『マスター、朝です。起きて下さい』
そんな機械的な声に聴覚を刺激され目が覚める。
「ん…………おはよ……スティレット」
『おはようございます、マスター』
返事はしたんだけど、すごく眠い。
普段ならもっと寝覚めが良いのだが、今日は何時もより早く起きたせいか頭がぼうっとする。
ああ――このまま二度寝したい。惰眠を貪って一日を過ごしたい。
そんな惰性な思考が脳内を支配しているんだけれども、それの実行は出来ないんだよね。
今日が休みの日ならこのまま二度寝……どころかスティレットにすら起こして貰ってすらないか。
で、なぜ惰性に過ごせないかというと、今日は魔法学校の文化祭があるんですよ。
それだけならわざわざ早く起こして貰う必要は無いんだけど、俺のクラスは「早く集まって気合を入れようぜ!」とかのたまった男子のおかげで、通常登校より三十分早く学校に行かなければならなくなった。ちくしょう。
そういうことでいつもより三十分早く起こして貰ったんだけど、いやはや、朝の三十分は貴重だと実感することになるとは。
睡眠時間の大切さを実感しながらも上体を起こし、目を擦るとぼやけた視界と思考が鮮明になってきた。
ベットの近くに置かれたテーブル。その上にチカチカと光って自己主張をするスティレット。
「……今回はちゃんと音声で起こしてくれたね。偉いぞスティレット」
『ありがとうございます』
……実は前回スティレットに起こすように頼んだら酷い目にあったんですよね。
今回みたいに音声で起こしてくれれば良いのに、スティレットは何を思ったのか大音量の念話を脳に直接叩き込んできた。
その威力といったらもう……まあ目は一発で覚めたんだけど。
スティレット曰く『マスターが確実に起きる方法を選択しました』とのこと。無駄なところで知能を発揮しないで欲しい。
そんなことを考えながらベットから降り、身体を伸ばす。パキパキと骨がなって心地よい。
「レシアー起きてるー? ご飯出来てるわよー」
意識が大分覚醒したところで、ルシィさんの声が聞こえた。
さて、今日の朝御飯はなんだろう。
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さて、気合を入れるというワケのわからない理由で朝早くから学校に登校。
意味も無く円陣を組んでやるぞ、おー。みたいな掛け声で気合が入った事になったらしい。正直、意味が無いと思う。
そんな今朝のことはどうでもいいとして。
学校で大きな行事を行う時は開会式みたいなのがセットだとは思っていたけど、どうやら魔法学校も例外ではないらしい。
現在、魔法学校に在学している生徒一同が体育館に整列中である。もちろん文化祭の開会式をやるため……文化祭だから開催式かな? まあどっちでもいいや。
並び順は初等部がステージから見て左側に並び、学年が上がるごとに右にずれていく。
校舎から体育館への入り口もステージから見て左側だから、初等部に優しい並び方になっている。
校舎に戻る時間も地味に短縮されてありがたい。背の順で俺が一番前なのが気に入らないけど。
魔法学校の体育館……といっても、実際はそこらの学校とたいして変わらない。俺が前世で通っていた学校と似ているんですよね。
ステージがあって、用具室があって、放送室があって……と、まあそんな感じ。
そんな魔法学校だが、文化祭を行うからにはしっかりとした舞台が必要と判断しているみたい。
そのため三日前から学校全体に各クラス分担でド派手……とはいかないモノの、それなりの飾り付けを行った。
おかげで見慣れたはずの校舎や教室が輝いて見える。多分気のせいだけど。
もちろん体育館も例外ではなく、壁にステージを使うクラスの宣伝用チラシが貼ってあったり、今日だけは土足で入れるようにシートが床に敷いてあったりと、ずいぶん様変わりしている。
そんなちょっとした変貌を遂げた体育館を、文化祭で使うクラスの数は多い。やっぱりクラスで何かするにも、大きな舞台でやりたいっていう気持ちがあるのかもしれない。
さっき体育館に貼ってあったチラシを見たのだが、ここ体育館で各クラスが行う内容はダンスだとかバンドがメイン。
中にはかなり気合の入っているようなのもあったんだけど……音楽を練習するのも良いが、ちゃんと魔法の勉強をしているのか不安に思うんだけどね。
ちなみにステージを使うクラスには俺のクラスも含まれている。
初等部の、しかも最年少クラスの劇なんだから自分達の教室で行えばいいのに、我がクラスの担任様が無駄に気合を入れてしまいまして。
倍率も結構あっただろうに、体育館の使用権利を、しかも一番最初の使用権利を得た。
そんなワケで開会式が終わったらすぐに我がクラスの劇が開演である。
正直、イヤだなーって思ったり。だって劇の台本、俺が書いたんだもん。
本の内容自体は王道だったけど、キャラクターの台詞とかをアレンジせざるを得ない場所が多々ありまして。
そのアレンジ内容も、演じるのが子供だから、言いやすくて、なおかつ子供が好きそうな台詞じゃなきゃいけない。
クラスの連中からは好評だったけど、まるで自分で書いたポエムを朗読されているみたいで死にたくなってくる。
俺としては脚本が自分の劇なんぞ内容も知ってるし見たくも無かったが、クレインちゃんが「絶対見てね!」なんて言うから見るしかない。見るといっても俺にも仕事があるから、ステージ裏から見ることになるんだよね。
まあ劇さえ終わってしまえば残りは自由時間なので、文化祭をおおいに楽しむとしよう。なんだかんだで文化祭には興味があるし。
そんな風に今後の予定を思案していると、がやがやと周りの人達が動き出す。
ん~どうやら開会式が終了したみたいだ。
「レッシアちゃん! いよいよだよ!」
ようやく終わった話を受け流すだけの時間に気を緩めていたら、クレインちゃんが咲き誇るような笑顔で話し掛けてきた。
「そうだね~。クレインちゃんの名演、期待してるよ?」
「まっかせといて!」
おお、クレインちゃんが燃えていらっしゃる。
案の定というかなんというか、一番やる気の漲っていたクレインちゃんが我が劇の主役である。
主役の魔法使いは男なんだけど……まあ、細かい所は気にしない方向で。
そんなやる気が暴発しかねないクレインちゃんを連れてステージ裏へ。
ステージ裏にも充分なスペースがあったので、昨日のうちに必要な道具等は運んである。最初に体育館を使えるクラスの利点だね。
さて、俺達は劇をやるといっても、本当にたいした内容じゃない。
背景、大道具、小道具、衣装その他のだいたいが六歳が手掛けたモノである。出来は推して知るべし。
台本は一応二十歳過ぎの人間が作ってるけど……初心者ですし。物語の流れとか台詞とかおかしくないと願いたい。
台本はともかく、それ以外が本当に酷い。いや台本も人のことは言えないけど。
まず背景。ぐちゃぐちゃ。お城ですって言われて、ああそう見えなくもないねってレベル。
魔法使いが持ってる杖も酷い。新聞紙を棒状にしてそれらしい色を塗りたくっただけ。デバイス使えばいいじゃんって思ったんだけど、デバイスの使用も禁止。本当に魔法学校か。
次に衣装。……まあこれはそれなり。そういう服が売ってる店など探せば見付かるもんです。
そんな不安要素たっぷりの劇だが、やるしかないんだよね……周りの子供達、まあ俺も子供だけど。みんなと協力して劇の準備を始める。
最初の場面の背景を貼り付けて、舞台に使う道具をセッティング。
…………ん、まあこんなもんかな。
「よーし、みんな集まってー!」
舞台のセッティングが終了したのを確認したのか、我らの担任から集合の合図。
クラス全員が集まって円陣を組む。朝の再現みたいな感じ。
「それじゃあみんな、気合入れていきましょう!」
「「「おーーっ!」」」
みんな元気だねぇ。舞台裏からこんな声が聞こえてきたら、お客さんがびっくりするだろうに。俺も声出したけどさ。
そんなちょっと皆の熱意に押されている俺は、現在マイクを持って移動中です。
何故かというと、脚本を書いた俺にはもう一つの仕事があったりする。
それは劇を始める前に場を静かにして劇を始められる体勢を作り、お客さんに注意事項を言うことである。
まあ早い話が司会みたいなモノかな。違う気もするけど。
そんなワケで幕の下りたステージに立っていると……なんかお客さんは来ているのか不安になってきた。
いやだって客の居ない劇なんぞ喜劇もいいところですよ。
そんな不安に駆られた俺は、ステージに下りた幕を捲り、チラッと体育館の様子を覗き見る。
わざわざ平均六歳の劇を見に来るんだろうか…………そんな不安は一瞬で消し飛んだ。
先程まで全校生徒が居た体育館。その半数近くが未だ体育館に留まっていて、がやがやと騒いでいる。
いやいや……いっぱい居るよ……ってか居すぎだよ! 想定していたよりずっと多いわ!
たしかにメインの出し物は体育館が多いけど……まあ、その出し物の前座ぐらいの気持ちで来てるんだろうね。
…………こんな人がいっぱい居る中で、劇を見ることへの注意を促すのか……やばい、緊張してきた。
「レシアちゃん、それじゃお願いね~」
そんな俺の緊張を知ってか知らずか、担任が間延びした声でそう言った。
くそぅ、本当ならこういう仕事は先生がやるべきでしょうが…………はぁ……。
…………仕方が無い。
溜息一つで覚悟を決め、幕を捲って前に出ると――
――その瞬間、興味の視線が俺に突き刺さる。こっちみんな。
やばい、数百の視線に捕えられて足が震えて来た。蛇に睨まれた蛙状態。
それでもなんとかポケットから注意する内容を書いた紙、いわゆるカンペを取り出し――
「し……静かに……あっ……ッ」
――ドンッと音声を拡張された鈍い音が体育館に響いた。
ああああマイクの電源入れ忘れた! しかも入れたと思ったらマイク落とした! やめて! 笑わないで! 誰にだってミスはあるでしょ!
(あらあら、あの子可愛いわねー)
(でしょ? 私の自慢の娘よ)
(俺、新しい自分を見つけたかも)
(このロリコンめ!)
(レシアちゃん頑張って!)
なんかお客さんの声が遠い。うぅ……恥ずかしさで死にたくなってきた。
落ち着け、落ち着いて……うん、マイクのスイッチはオンになってる……よし。
「え、えーっと、皆さん静かにしてください」
ざわざわとしていた体育館に涙目の俺の声が響く。
くそぅ……本気でイヤになってきた。こんな辱めを受けることになるとは……。
俺の必死の訴えが功を奏したのか、お客さん達が静かになった。よし、今のうちに注意文を読み上げてしまえ!
「本日はお越しいただき、ありがとうございます。えーっと、これから劇を御覧になるにあたっての注意点を説明したいと思います」
よーしよし、ちゃんと前文は読めたぞ。この勢いでちゃっちゃと行こう。こういうときカンペの存在は偉大だね。
「まずひとちゅ……ッ!」
………………………………………………誰か俺を殺してくれないかなぁ。
なんでカンペもってるのに噛んじゃうんだよ! お客さんめっちゃ笑ってるじゃん!
ちくしょう……もうイヤだ…………なんかお客さんが「頑張ってー!」とか励ましてくるし…………時として優しさは人を傷つけるんだよ……。
「うぅっ……まず一つ目は劇を御覧になる時は静かにお願いします…………次にステージ以外の照明を消しますので携帯電話等の光を発するモノの使用は御遠慮ください……最後に劇を御覧になさっている時の飲食は御遠慮ください……以上で注意点の説明を終わります……」
半ば自暴自棄になって言い終えると、何故か盛大な拍手が上がった。「よく頑張ったねー」とか「ちゃんと言えてたよー」とか言われて本気で泣きたくなった。ちくしょ。
これ以上この場に居ると、俺のなけなしのプライドが粉砕されそうなので、俺は逃げるようにしてステージ裏に帰った。
やっと終わった…………きっとあの醜態はルシィさんに撮られてるんだろうなぁ……なんかルシィさん昨日ビデオカメラ持ってたし……。
俺の黒歴史に新たなる一頁が刻まれたことを思うと軽く鬱だけど、もう過ぎたことだし、なるべく早く忘れられたらいいなぁ。
そんな内心ブルーな俺と入れ替わるようにして、クレインちゃんをはじめとする役者達が幕の下りたステージに立つ。
ああ、そういえば最後の仕事が残ってるな……開演の言葉を言わなきゃ劇は始まらない。
さっきの注意事項と違い、この一言はステージ裏で言えるから気が楽だね。
ステージ上のクレインちゃん達の準備が整ったことを確認、マイクをしっかりとオンにしてからすうっと息を吸い込んで――
「それでは、『正義の魔法使い』、始まります」
――言い終える。それと同時に幕が上がって、俺達の劇は始まった。
<ユーノ・スクライア>
さっきまでは体育館に居たけど、見るべきモノは見たので、僕はカレー屋になった教室に戻って来た。
教室には先生と、午前中に店を担当するクラスメイトが十人ほど。
ちなみに僕の担当する時間は、開店から午後二時まで。このお昼時の時間帯にレシアちゃんが来る可能性が高い。来なければ手伝うとでも言ってずっと居ればいいし。
わーわーと騒いでいるクラスメイトの避けて移動しつつ、時計を確認する。
今はまだ九時四十五分。開店時間は十時だから、もう少し時間がある。
それを確認して、僕は窓際に立ち、さっきまで居た体育館での出来事を思い出していた。
ああ……レシアちゃん、可愛かったなぁ。
劇の始まる前、劇を見る時の注意点を言いに来たレシアちゃん。
マイクを落としたり、説明の最中に噛んだり、それを恥ずかしがったり…………しっかりしてるように思ったけれど、意外とドジなところもあったんだ。
それを知ることが出来ただけで、体育館に残った価値がある。
正直なところ、あまり劇の内容を覚えていない。僕はずっとレシアちゃんのことを考えていた。
これからレシアちゃんが、ここに来る。そのことを考えただけで嬉しくなってくる。
「ふふふ……(今日、レシアちゃんが来るんだ……カレーもしっかりと作ってある。大丈夫だ……)」
「せんせ~ユーノ君の様子がおかしいです~さっきから一人で笑ってます~」
「気にしないで平気よ、男の子にはそういう日もあるから」
周りが少し騒がしいが、僕の耳には入ってこない。窓から見える景色が綺麗だなぁ。
そのまま十分ほど時間が過ぎて……。
………………よし、そろそろ時間だ。
「それじゃみんな集まってー! 開店する準備をするわよー!」
九時五十五分。そろそろ開店準備をしないとという時間になって、先生が集合するように声を掛けた。
騒いでいたみんなもすぐに集まって、先生の前に並んだ。
「全員、エプロンと三角巾を着けて。忘れた人は居ない?」
その言葉に各自が持って来たことを主張し始めた。当然、僕は忘れてはいない。
「はいはい騒がない騒がない。じゃあエプロンと三角巾を着けた人から、それぞれ役割の場所に向かってねー!」
そう先生が言うと、みんなが動きだす。
僕の役割はご飯の盛り付け。そこから流れ作業でルーをかけて、お盆に水とスプーンを備え付けてから注文した人に渡す。
ご飯の盛り付けは二人、ルーをかけるのも二人、水とスプーンは一人ずつで、注文を受けてお客さんの元にカレーを運ぶのが三人。最後にレジが二人。それを先生が監督する。
所定の場所に着くと、店の外から人の声が聞こえてきた。
まだ開店時間前だが、気の早いお客さんが来たのかもしれない。
レシアちゃんが来たら配膳とか盛り付けとか全部自分でやって、レシアちゃんに運ぶのも僕がやろうかな……。
開店前になって、僕はそんなことを考えていた。
<レシア・クライティ>
さて、劇も滞り無く終演し、俺達のクラスは自由時間となった。
……劇が終わってステージ裏から外に出たら、満面の微笑みでビデオカメラを持ったルシィさんが居たんでまた泣きたくなったけどねっ。
「レシアちゃん、どこ行くっ?」
そんな風に我が身に降り掛かった不幸を嘆いていると、クレインちゃんが今にも走り出さんほどの雰囲気で俺の腕を掴んできた。
どこ行くと聞かれましても…………文化祭用に用意した手提げ鞄から、先日配られた各クラスの出し物が書いてあるパンフレットを取り出す。
一応流し読みをしたが、ここには絶対行きたいっ、というほど興味をそそられた店は無かったし……。
「ん、そうだね……クレインちゃんはどこか行きたい所はある?」
そんなワケでクレインちゃんにそのパンフレットを渡し、逆に聞いてみる。
パンフレットにはこの魔法学校の大まかな地図が書いてあり、その地図に各クラスの場所と出し物が書いてある。
どこにどんな店があるかとかがわかりやすくていいね。
「え~っとね、あたしはね……」
クレインちゃんが唸りながらも地図を見ている。う~ん、微笑ましい光景です。
そんな風にどこに行くか丸投げしちゃったんだけど……本当に俺としてはどこに行ってもいいんだよね。やっぱこういう時に積極性というか主体性があったほうがいいのかな。
「あ! レシアちゃん、あたしここ行きたい!」
「ん、どこどこ?」
おお、クレインちゃんが興味を示すような場所があって良かった。これでどこでもいいよ~なんて言われたら困ってただろうし。
クレインちゃんが指差した場所には『お化け屋敷』の文字が。
「クレインちゃんは怖いもの平気なの?」
「へいきだよ~、じゃあレシアちゃん、行こっ」
そう言うなりクレインちゃんが俺の手を引いて歩き出す。
え~と……お化け屋敷は校舎の三階か。上手いこと先導していかないと。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
おかしいな……なんで足が震えてるんだろ。動悸も激しいし。まるで怖がっているみたいじゃないか。
「レシアちゃん、だいじょうぶ?」
隣で歩いているクレインちゃんが心配そうに聞いてくる。やだなぁ、大丈夫に決まってるじゃないか。
「あはは、レシアちゃんって怖いの苦手だったんだね~」
「いやいやいや、それは違うよクレインちゃん。わたしは怖がってなんかいないよ? ちょっと驚いただけで」
そう。俺はちょっと驚いただけだよ? うん、間違い無い。見た目はこんなんだが中身は二十歳過ぎの男がお化け屋敷如きで怖がるワケがないじゃないですか。
「そうなの?」
「うんうん、ちょっとびっくりしちゃっただけだって」
自分に言い聞かせるように言う。
そうだよ、俺はただびっくりしちゃっただけ…………ごめんなさい嘘です。超怖かったです。たかだか文化祭のお化け屋敷だって甘く見てました……。
クレインちゃんの手前、怖がってないように振舞っているけど……正直、ビビリまくりです。
なんであんなに怖いんだよ……そこらにある日本のお化け屋敷よりよっぽど怖かった……。
……っていうかクレインちゃんはなんで平気なの? 君の心臓には毛が生えてるの?
きっとそうに違いない。そう思わないと、情けない気持ちでいっぱいになってくるんだもん。普通の六歳児が平気で、二十歳過ぎの俺がビビるなんてありえない!
よってクレインちゃんが普通の子より、怖いものに耐性があるということにしておく。そうじゃないと俺がどれだけ情けないのさ。
その後、恐怖の余韻で震える足でのろのろと歩いて十分ほど経った頃。
「そういえばお腹すいたね~」
俺のお化け屋敷に対する恐怖が抜けてきた頃、クレインちゃんがそう呟いた。
「クレインちゃん、お腹空いたの?」
「うん。なにか食べよ~」
現在時刻午前十一時。ん~ちょっと早い気もするけど……でも考えてみればお昼頃になるとどの飲食系の出店も混むだろうし、早めに食べたほうが正解だね。
となればなにを食べるかなんだけど……まあ、これは考える必要が無いか。
「じゃあカレー食べに行こっか」
「おお、さんせーっ」
カレーを提案すると、クレインちゃんは満開の花を思わせる笑顔で肯定してくれた。
ユーノとの約束もあるし、カレーに決定。それにユーノが勇気を出してクレインちゃんを誘ったんだ。その願いは叶えてあげないと。
そんなワケで手提げ鞄からパンフレットを取り出し、地図を頼りにカレー屋を探す。えーと…………なんだ、すぐ近くじゃないか。
ユーノのカレー屋がある場所は、お化け屋敷の真下。現在俺達が居る階が三階だから、階段下りればすぐに着く。
場所がわかったので、あとは移動するだけ。トコトコとクレインちゃんと一緒に階段を下りて行くと……もう店が近いのだろう。カレー特有の香りがしてきた。
「んゃ~おいしそうなにおいだねっ」
おお、クレインちゃんの食指を刺激されている。ん~でも確かに美味しそうなにおいがする。
階段を下りきり、廊下に出るとユーノの店はすぐにわかった。
すでに少し列が出来ている店が一つ。どうやら混んでしまう前に食べてしまおうという考えを持った人が他にも居たらしい。
まあ似たような思考を持つ人間なんてたくさん居るしね。仕方が無いことではある。
「こんでるね……」
「そうでもないよ、ほらクレインちゃん。並ぶよ~」
待ち時間に抵抗がある様子のクレインちゃんを宥めつつ、列の最後尾に加わる。
カレー屋の待ち人数は十五人ほど。これは十分近く待つかな~なんて思ったが、案外客回しが良く、すぐに順番が回って来た。
どうやら教室内に用意された席で食べるのと、カレーだけをテイクアウトするという二つのパターンがあるらしい。
そのおかげでお客さんの数が分散され、すぐに順番が回って来る仕組みといった感じ。
うむぅ……考えてるなぁ……結構繁盛してるみたいだし、これは期待できそう。
そんな風に感心していると、中に居る女の子の一人が入り口に立って居る俺達に気付いて注文を取りに来た。
「いらっしゃいませ、カレーはお持ち帰りですか? それとも店内で食べますか?」
「あ、すいません。ちょっと待っててください。……クレインちゃん、店内で食べるよね?」
「え? ……うん。そうしよっかっ」
一瞬の思案の後、クレインちゃんは頷いた。
「えーと、それじゃ店内でお願いします」
そう女の子に告げると「それでは席にご案内しまーす」と言って店内に入ったので、俺はクレインちゃんを連れて後を追う。
案内された席に座ったところで、店の片隅から視線を感じ――
「…………ッ」
――そちらを見ると、ユーノがこちらを顔赤くして見ていた。
……ユーノ。クレインちゃんが来てくれて嬉しいのはわかるが、ご飯を盛り付ける作業が止まってるぞ。どうやら流れ作業みたいだから一人が止まると……あ、隣に居た子に注意されてる。あ~あ、余所見してるから……。
「あ、あの男の人このまえ図書館で話しかけてきた人だよね?」
お、クレインちゃんもユーノがこちらを見ていることに気付いたみたい。
「レシアちゃんの知ってる人?」
「ん~……まあこの前知り合ったばかりの人かな」
「そっか」
知ってるかって聞かれたら首を縦方向に運動したくなるんだけど、それはアニメを見ているからでなんだよね。お互い会話したのなんてあの時が初めてだし。
よって曖昧に濁すことにする。クレインちゃんも特に興味も無さそうだし。……それはそれでユーノが不憫な気もするが……頑張れユーノ。
「あ、そうだっ。レシアちゃん、こんどお泊り会やろうよ!」
そんな風にユーノに対して哀愁の念を感じていると、クレインちゃんが手をポンッと叩きつつそんなことを言ってきた。
「お泊り会?」
「そう! お泊まり会! きっとたのしいよっ」
う~む……また突然の提案だね。
「え~っと、それはわたしの家でやるの? それともクレインちゃんの家?」
「あたしはどっちでもいいよっ」
ああもう、笑顔が可愛いなぁクレインちゃんは。
しっかしお泊まり会ね…………正直、ルシィさんにはあんまり迷惑を掛けたくないんだよね……。
俺は拾われた身なんだから、最低限の礼儀、節度は守るべきである。
だけどルシィさんは「家族なんだから遠慮なんかダメっ!」と常々言ってるし……う~む……。
「じゃあ義母さんに聞いてみるね」
結局はそういう結論に至った。ルシィさんの性格を考えたらすぐに許可をいただけそうだけど。
「うん! あたしも聞いてみる!」
どうやらクレインちゃんは、お泊り会についてはこの場で思いついただけらしい。
それはいいとして。多分、お泊り会をするなら冬休みの間になるだろう。
冬休みは十二月の中旬から。現在が十一月の終わり頃。この後にテストやらなんやらで余り纏まった休みは無い。泊まったは良いけど、次の日すぐに学校ですなんてのはイヤだし。
「でもね、クレインちゃん。お泊り会をするのは冬休みになってからだよ」
「えーっ」
どうやらすぐにでもお泊り会をしたクレインちゃんは不満気なご様子。
そんなクレインちゃんにこれから学校がまだあって、テストもある。それに遊ぶならなんの気兼ねも無く遊んだほうが楽しいよー、みたいなことを柔らかく説明すると「おおーっ、じゃあそうしようっ」と言って納得してくれました。
「あの……カレーをお持ちしました」
クレインちゃんに説明を終え、少し喉が渇いたなと思っていたら、店員さんがカレーを運んできてくれた。
「ってユーノさんじゃないですか」
俺達の元にカレーを運んで来たのは言葉通りにユーノ。おかしいな……このクラスの様子だと、カレーが出来るまでは流れ作業で、ユーノはご飯の盛り付けの担当だと思ったんだけど。違ったのかな。
「こ、こんにちは」
俺とクレインちゃんの前に、カレーと水とスプーンが入ったお盆を置きつつ、伏目がちにユーノはそう言った。
うむぅ……緊張しているみたい。
まあ好きな子が出来ると、子供の行動はだいたい二つに分かれる。全力で仲良くなろうと構いたがるか、緊張して全然話せないか。どうやらユーノは後者みたいだけど、勇気を出して動いてる感じなのかな。
俺とクレインちゃんが二人で「こんにちは」とユーノに挨拶しているなか、そんなことを考えていた。
「……来てくれて、その、ありがとう」
顔を紅潮させながらユーノが言う。
「いえ、約束しましたから。それにわたし、ユーノさんが作るカレーを食べてみたかったですし」
「えっ……! あ、そそそれじゃゆっくりどうぞっ!」
俺が極当然なことを言うと、ユーノは顔を真っ赤にしながらダッシュで持ち場に帰って行った。
……おーい、ユーノさーん。クレインちゃんが唖然としているぞー。うむぅ……やっぱりまだクレインちゃんと話すのは恥ずかしいのかな。このぶんだとまだまだ先は長そうだねぇ。
「やっぱりあの男の子ってかわってるね~」
「はは……んじゃカレーも来たことだし、食べようか」
「うん! いただきまーすっ!」
元気良く食事宣言をして、カレーを口に運ぶクレインちゃん。
俺は喉が渇いていたのでまずは水を一口。その後スプーンをを手に取りカレーを口に運ぶ。
「…………美味しい」
「だねっ。とってもおいしいっ!」
やや甘めだが、これは美味い。辛いのは人を選ぶから仕方が無いが……これはかなりのレベルに達しているような気がする。
欲をいうなら福神漬けが欲しいところだが、そんなことは些細なことだね。福神漬け無くても充分美味いし。
予想以上のカレーの美味さに舌鼓を打っていると、作業しているユーノがチラチラとこっちを見ていることに気が付いた。
うん、そりゃ気になるよね。誘っておいてあんまり美味しくなかったらアレだし……でも安心しろユーノ。このカレーは美味しいぞ!
でもそんなんだとまた注意されちゃうぞ。それはさすがにどうかと思うので、ユーノにジェスチャーと口パクで美味しいということを伝える。
「……ッ!(レシアちゃん……美味しいって……! よかった……)」
あ、しゃもじ落とした。また注意されてるし。
その光景が微笑ましくて、少し笑ってしまった。頑張れユーノ。
そのようなことをしつつも、カレーを完食。まことに美味でした。
あああクレインちゃん、俺が食べ終わったからって急いで食べないでいいから。ゆっくり食べないと危ないよ。
そんなこんなで数分の時間が経った。
「クレインちゃん。そろそろ行こっか」
カレーを食べ終え、少し食休みをしてから席を立つ。さすがにこれ以上いたら迷惑だし。
そんな風に店を出ようとすると、ユーノの視線が再び俺に突き刺さる。
うむぅ……やっぱりクレインちゃんが来てくれたのはいいんだけど、名残惜しいというかなんというか……そういう気持ちがあるみたい。
………………よし、決めた。せっかくだし、ちょっと一緒に文化祭を回らないかって聞いてみるかな。
これはそう、ユーノとクレインちゃんが仲良くなるためのきっかけ作り。これもユーノのお手伝いってことでいいよねっ!
そう決めた俺は店の出入り口に向けていた進路を反転。ユーノのもとに歩いていく。
「ユーノさん」
「え? レシアちゃん。な、なにかな?」
ユーノの期待と不安が入り混じった瞳。そんなに期待されても困るけどね。
「もしこのあと暇でしたら、一緒に文化祭を見て回りませんか?」
「せんせ~二時まで当番だったはずのユーノ君がどこかに行っちゃいました~」
「気にしないで平気よ。男の子にはそういう日もあるから」
~~~~~~~~~~~~~~~~~
「あら、どうしたのレシア。随分と嬉しそうな顔して」
文化祭も終わり、家に帰るためにルシィさんと合流した矢先、そんなことを言われた。
う~む、やっぱり俺は顔に出やすいのかな……ルシィさんには毎回心理を見破られている気がする。
「そんなに文化祭は楽しかった?」
「別に……なんでもないよ、義母さん」
まあ、楽しかったのは事実だけどね。ユーノを一緒に回らないかって聞いたら快く了解してくれたし。
クレインちゃんも最初は戸惑ってたけど、もともとクレインちゃんは明るい子だからすぐに仲良くなれた。よきかなよきかな。
「ふ~ん……ま、私は楽しかったんだけどね~」
そう言うとルシィさんは肩に提げた鞄から…………それはビデオカメラ!?
「レシアの可愛い姿も撮れたし~」
「ちょ待って義母さんっ! ちょっとそのビデオカメラを貸して!」
ちくしょう! やっぱり体育館での失態は録画されていたよっ! なんとか抹消しないと!
「それは出来ない相談ねレシア」
「なんでさ!?」
「だって渡したらせっかく撮った映像消すつもりでしょ? それはいけないわね~」
そう言ってニヤニヤと笑いながらビデオカメラを鞄に戻すルシィさん。くそぅ。俺に見せびらかすためだけにビデオカメラを鞄から出したのか。
「うぐぅ……やだなぁ、別に消したりしないよ。思わずビデオカメラを落としたり踏んじゃったりはしちゃうかもだけど。ね、だから貸して」
「レシア、本音ダダ漏れよ。……大丈夫、レシアの成長の思い出として大切に保存しとくから」
「全然大丈夫じゃないってえええっ!」
…………その後、家に帰って体育館での辱めを何回も見られて、俺は泣きたくなった。……はぁ。