「それは本当か?」
今目の前にいるのは伝令であって冗談など言うはずもないのだが事は事だけに、俺は確認の意味をこめて問い返した。
「はっ、孫策様の軍は黄巾本隊を火計によって撃破。その名声は各地に広まっています」
報せとは蓮華様を含む孫策軍が黄巾党本隊を撃破したと言うもので、流石は三国一の放火魔、俺たちが出来ない事をさらりとやってのける。
報告のため、大急ぎで戻ってきたのだろう。息も絶え絶えな伝令に下がって休めと伝えた後俺はしばし黙考した。
黄巾党の本隊を破ったとなれば孫策の名は枯葉に火をつける勢いで広まるだろう。
人を集めると言う意味でそれは歓迎されるが袁術に目をつけられるという可能性も含まれている。
せっかく集まってきた武将たちをまた解散させられたりしてはたまらない。何とかこの兵力を維持したまま独立まで突っ走りたいのだが。
などとしばらく考えたのだが、答えなど出ない。
ま、その辺を考えなきゃいけないのは俺じゃないけどね。周瑜と陸遜なんていうチート軍師がそろってるんだ、上手くやるだろう。
俺なんかは誰にでも出来る仕事をひーひー言いながらやってるのがお似合いさ。
おっと仕事だ。そろそろ戻らないと。
こっちの方も慣れというのは恐ろしい。
今ではすでに生活の一部。人間の適応力って凄いね。
なんて、人の神秘について思いをはせつつなるべく机の上を見ないように気をつけながら席に戻った。見たら駄目だ心を折られる。
………………。
…………。
……。
そろそろ休んでもいいんじゃないかな。
気付くと日はすでに落ちていた。
そう言えば夕食食べたかな俺?
本来ならばある程度のローテーションで働くのだろうが今はスクランブル状態。蓮華様が帰るまで頑張るしかない。
筆を置き、伸びをする。
一度寝た方が効率が上がりそうな気がしてきた。
きっとそうだ。そうに決まっている。
だが、寝る前に確かめないといけない事が一つあって。
「あーすごく眠くなったなぁ」
ざ~とらしい声を上げ俺は注意深く辺りをうかがう。
「寝るぞー」
傍から見れば頭がかわいそうな子に見えるかもしれないが、今この場に居る誰もが事情を知っていので向けられる視線は、痛ましいものだった。
気配は感じられない。
しかし。
それでもヤツなら……。
ヤツならきっと何かしでかしてくれる……。
何を吹き込まれたのか(誰が吹き込んだかは予想が付くが)周泰さんは俺が仕事以外のことをしているとどこからとも無く現れて……。
「あ! 子瑜さん、暇なんですね!!」
そうそう、こういう風にキラって感じの笑顔を向けてくるんだよ。
…………。
振り返って共に苦労を分かち合ってきた仲間に視線を送る。
こめる言葉はただ一つ、助けて。
全ての視線が外された。男の友情とはかくも儚いものなのか。
「あのさ」
「はい?」
そう言えばキミは普段どこにいるんだ?
などと問うた事があった。
「あなたのすぐ傍にいます」
じゃあ。
「黄巾党との戦争は不参加?」
「? もちろん参加してますよ」
なんであんたが不思議そうな顔をするんだよ。
不思議なのは俺じゃなくて周泰さんの方だろ、常識的に考えて。
何て思っていた時期が俺にも合有った。今はもう理由は分かりかねるがそういうこともある、と納得と言うか諦めの境地に入っている。
こんな流れでよく分からないままに俺の休息時間は削られていった。……しかし!
いつもそう上手くいくと思うなよ。俺は目の前にいる周泰さんの後ろに鈴の人の影を見る。
「幼平さん、これから俺は私室で誰にも任せられないとてもとても大切な仕事をするところです」
「あ、そうだったんですか」
睡眠をとるという超重要任務だ。誰にも代わりは出来ない。
「それじゃあ行って来る」
「はい、頑張って下さい!」
全く疑っていない周泰さんの声を背に歩き出す。
な、何かこうも簡単だとかえって罪悪感が……。
俺の背中に突き刺さる視線も先ほどの同情的なものから、殺意が込められたものへと変化している。
ならばお前らがやれ。
そう声を大にして叫びたい。自慢じゃないがここに居る誰よりも働いている自信がある。
まとわり付く視線を振り切り、俺は足早に執務室を出た。
………………。
…………。
……。
私室、と入っても寝るだけの部屋であってそこには私物など服くらいしか無い。
元々着の身着のままで拾われた上、仕官してからは忙しいの一言。物を増やす機会などは無かった。
諸葛瑾となる前の俺ならば部屋に入ってまずPCの電源をつけるところだが、ここにそんなものは存在しない。本当に寝るためだけにある部屋だ。
よって考える事はより穏やかな睡眠をとる事であり、その為にとりあえず服を着替える事にした。
バスローブのようなゆったりとした服の方が深い眠りを得られそうな気がしたのだ。
着替え終わった後、さて寝ようじゃあ寝ようとして……ふと、気付く。目にかかる前髪が邪魔だ。
今の今まではなんら気にならなかったのだが一度気になりだすと止められない止まらない。
考えてみれば結い上げているので気にはならなかったが後ろも降ろせば肩まで届くだろうし。
…………切るか。
そもそも髪が長い事もいらぬ誤解を招く一因なのかもしれない。
自分で大雑把に斬ったら無造作な感じでワイルドな男に変身できる、筈だ。
カット後の自分を思い浮かべる。
…………。
かなりイケてる様に思えた。ならばやるしかないだろう。
髪を解き引き出しの中に納められた短刀を取り出す。
ごくり、とのどが鳴った。
そして俺は髪を一房握って――。
「何をしているの!?」
「ひぐぅ!?」
思わず謝ってしまいそうな声に続いて背後からの衝撃。
危ない! 手を切りかけた。
「あんたが何を!?」
「何があったのかは知らないけど女であることを止めるなんて馬鹿なまねは止めなさい!」
止めるも何もそんなものになった記憶は無い!
「喧嘩売ってるんですか貴女は!」
片手で止められた右手は全く動かない。
だが、決めたんだ。必ず髪をきると。
「何があろうと、切ってみせる!」
「何と言おうと、止めてみせるわ!」
お互いの意思は真っ向からぶつかっていた。ならばここからは実力のみが……って、ちょ、痛……極まってる、極まってるって!
「いいい、痛、イタ!? ぎ、ぎぶ。ぎぶぎぶ」
俺はすぐさま白旗を揚げた。痛いのは……いやです。
「なかなか強情ね、これ以上頑張ると関節が死ぬわよ!」
しまった意味が通じてない!
ぎぎぎ……と関節が嫌な音を立てる。
頑張ると言うかもう声が出ません。
何とかこちらの意思を伝えようとタップしてみるが……やはり通じない。
あれ? これやばくないか?
なんだか気持ちよくなってきたよ……。
感覚が痛みを通り越した時、後ろの人が動いた事により偶然右手から短刀がこぼれ落ちた。
同時に戒めを解かれて、俺はその場に崩れ落ちる。
痛い、全身が痛い。何で髪を切ろうとしただけでこんな目にあわないといけないんだ。
俺は目に涙を浮かべながら理不尽さを呪った。全世界へ向けて呪った。
「全く……危ないところだったわ」
何が危ないのか原稿用紙3枚以内でまとめてみろ!
関節の痛みから復帰した俺は、恨みがましい視線を上げ、そこに凄い美人さんを見た。
その人はピンクの髪と……あれ? どこかで見たような気が……。
誰だ?
脳内に検索をかけるがヒットは0件、これだけ目立つ人なら覚えているはずなんだが…………いや誰かに似てる?
「へ~」
その美人さんは、首をひねっている俺を尻目に何事か感心したような声を漏らし、ずいっと顔を近づけてきた。
それは数センチという距離にまで接近したが、甘いな。女子校で鍛えられた俺のATフィールドを持ってすればその程度、どうということはない。
「蓮華、以外と……」
その一言でもやもやした思考に一筋の光が射した。
この女の人の正体が分かりそうな気がした…………のだが。
俺が答えに行き着くより早く女の人は 後ろに回りこんで、
「――っ!?」
先ほどの激痛が頭をよぎり、身体が硬直する。
あれ?
つかまれているが痛みは無い。
いやそれどころかふにゃっとした感触と甘い匂い。
抱きしめられた?
いや疑問形じゃなくて実際手が胸の前に回されて拘束されている状態。
とりあえず言いたい事は、何故胸のところで手がわきわきと動かされているのでしょうか?
「あ、気にしてた?」
「何をですか……」
「あまり気にしなくても大丈夫よ。小さい方が好きな人もいるし」
何を言ってるんだこの人は。
小さいも何も元々そこには何も存在しないんだよ。
だんだん腹が立ってきた。どこの誰かは知らないが、ここは一つガツンと言わなければいけないようだ。
「お姉様! やはりここでしたか!」
Tell you GATUN.
そう口を開きかけた俺。
そこに、床を踏み抜くんじゃないかという勢いで現れたのは黄巾党との戦に行っていたはずの蓮華様。
久しぶりに見る我が主はどういう理由からか俺を見るとぐっと目を細めた。
「……何をやっている子瑜?」
何って、貴女のお姉さんに後ろから抱きしめられてます。正直すごく気持ちいいです。
あ、今気付きましたけど。字で呼ぶ事で距離感を生み出し、怒りを表現しているわけですね。中々に芸が細かい。
「子瑜、ってことはやっぱり貴女が諸葛瑾ね?」
「あ、はい、そう……うわぁ!?」
くっつき過ぎくっつき過ぎです!
あと読みはあってますけど当ててる漢字間違ってましたよね、貴女。
何ていうことは突っ込んではいけない。だって口で言ってる分には分からないはずだから。
「お姉様! 貴女は冥琳をほったらかして何をしているんですか!」
お姉様……てことはこの人が孫策だろう。なるほどさっきの違和感は蓮華様に似ていたからか。
その孫策さまは蓮華様の詰問にもどこ吹く風で俺の拘束はさらに強くなった。
「本当に白くて綺麗な肌してるわね~、何か腹が立ってきたわ」
「ひぃ!?」
な、撫で……ないで。……中に入れるなぁ!?
「蓮華、様。助け、て」
「…………」
動けないのか動きたくないのか、もはや自分でも分からなくなってきたがとにかくこのままではマズイ。
俺はこの場に居るもう一人の人物に助けを求めた。
心優しい我が主ならば俺を助……あれ? 何かマーカーが赤に変わってる? いわゆる敵軍色に……。
「蓮華、さま?」
何故?
興覇さまならともかく何で貴女まで? 愕然と見つめる俺の後ろで孫策さまが腕にこめる力を強めた。
うわー、メロンが! 柔軟性に富んだ二つのメロンがー!!
先ほどは鍛えられたといったがそれはあくまで非接触の場合のみ。私塾ではひたすらに逃げの一手をうってきた俺にこの感触は耐えられるものではない。
「っ! お姉様!! いい加減にして下さい」
危なかった。
見るからにやばそうなスイッチが押される直前、俺は蓮華様によって孫策様の拘束という名の天国から開放された。
「あ……」
いや何と言うか、天国と言ってしまったことから分かるかもしれないが……。
失ったメロンに思わず声が出てしまったのは仕方の無い事、じゃないかなぁ。
「随分と名残惜しそうだな」
そんな風に誰に対してか分からない言い訳を考えている俺を絶対零度の視線が貫いた。
「いえいえいえ。そんなことはありませんですますよ?」
孫呉のメロンは化け物か。
しかし今の蓮華様の眼力もなかなかのもので。俺はただ首を横に振ることしか出来なかった。
「う~ん、蓮華にそっちの気は無いと思っていたんだけど……」
顎に手をやり唸る孫策さま。ていうかこの人はさっきから何を言ってるんだ。
「お姉様……朱羅は男です」
「あ、もう真名を…………え?」
「ですから、これは男です」
これって……。
…………。
「え? ホント?」
驚いた表情の孫策さまは手を――ちょ待って。
止めてください。上はともかく下を確認するのはマジで止めてください。
「雪蓮姉様!」
「ああ、ごめんごめん。それにしても……その顔で男? 世の中ってまだまだ分からない事が沢山あるわね」
俺は神秘の珍獣か何かか。
「誰がどう見ても男でしょう」
「「いやそれは無い」」
……あれ? 何か目から汗が。
………………。
…………。
……。
その後、何事かを納得した孫策さまは「冥琳が怒るから」と言って去った。
何に納得したのかは言いたくない。
その背中に蓮華様が「もう十分怒っていた」と不機嫌さを隠すことなく呟いていたが、孫策さまはよほど重要な会議でもすっぽかしてきたのかな?
しかし、そんなことよりも今気になるのは孫策さまが去り際に残した謎の微笑。
何と表現したらよいか……獲物を見つけた猫、というか虎?
それがどういった理由からくるのかは知らないが俺の身に火の粉として降りかからなければいいな。
そう切に思い。夜空の星に願いをかけた。
あ、流れた。
流れ星に願いを、じゃなくて願いをかけた星が流れた場合ってどうなるんだろ?
よく分からないけどきっと叶うんだろう。そう思おう。
とにかく結果として散々騒ぎを起こした後スパッと帰っていった孫策さまがいて、その後には俺と蓮華様が残された。これが今の状況。
「何をしていた? お姉様と」
「いえ、髪を切ろうとしたら女を捨てるな! とか言われて後ろから極められました」
「……あの人は」
蓮華様は額を押さえた。
「えーと、戦勝おめでとうございます」
「ああ……しまった。取るものも取らずに雪蓮姉様を追いかけてきたからすぐに戻らなくては。流石に興覇が困っているだろう」
「あ、そうなんですか」
ていうかその辺り姉妹ですね。
慌てた様子で外へ走り出した蓮華様は、何事か思い出したのか俺を振り返ると。
「出るときに言った通り、お前には私の話を聞いてもらうぞ」
「分かりました」
そして出来ればその時間は仕事としてカウントして下さい。
………………。
…………。
……。
さて、ここには寝るためにきたのだが、色々ありすぎて眠くない。
髪ももはや切りたくない。トラウマになってなければいいんだが。
とはいえせっかくの休みを無駄に過ごすのももったいないし……。
ああ、そうだ私塾に手紙を出しておこう。
出来れば朱里と雛里にも出したいんだけど、玄徳さんがどこにいるか分からないんだよなぁ。
時代をまったく考慮せずに劉備がいそうな場所を考えると荊州の劉表か幽州の公孫賛もしくは曹操って可能性もありうる。
流石に蜀とったりはしてないだろう。そんな大事件は今のところ耳にしていないし。
所在が分かり次第連絡を取るつもりなのだが、ここから直接はまずいかもしれない。
そう考えると私塾に朱琉(諸葛均)がいるはずだからあいつを経由して、が一番簡単で確実か。
しかし朱琉が蜀に仕えていたら……仕方ないその時は先生を頼るか、まだいるなら元直宛でもいいな。
元直といえばあいつは劉備の所に行くのかな?
あんまり仕官欲が無さそうだったからスルーしてたけど。
その辺りの事も聞いておこう。
俺は筆を取った。とりあえずは水鏡先生でいいだろう。
えーと。
拝啓
…………よく考えるとあの人違う意味で背景だなぁ。