その後、黄巾相手に孫策さんの部隊は連戦連勝、流石としか言いようの無い戦果を上げた。
しかしあくまで局地的な勝利であってチート親子がいくら上田で頑張っても無駄だったように、黄巾党自体の勢いはとどまるところを知らない。
故に大陸が大混乱に陥ったのも当然の流れだ。
そんな中、もしかしたら忘れられてるんじゃね? と不安に思っていた俺たちの下にようやく孫策さんからの使いが駆け込んできた。
話が長ったらしかったので要約してみる。
YOUちょっと黄巾の本体叩いちゃいなよ。
ちょ、流石に兵力的に無理ッス。
だったら各地の部下呼び寄せちゃいなよ。
袁術って本物の馬鹿なのか何か裏があるのか。主従コンビは脊椎反射で前者を選んだが、本当にそんなんでいいのだろうか?
いくらなんでもそれは馬鹿を超えてるんじゃないかなぁ……なんて思いながら、ようやく巡ってきた機会にモチベーションが上がりに上がっている蓮華様を見る。
うん、真名。色々あって呼んでも良くなりました。
詳しくはまたの機会にして、今はただ蓮華様も妹キャラだった。とだけ言っておこう。
「それでは行って来る、朱羅」
馬上の人となった蓮華様が素敵な笑顔を俺に向ける。
ちなみに朱羅というのは俺の真名。均が朱琉なので朱里を入れて羅、里、琉とラ行変格兄妹と呼んでくれ。
「あ、はい。お気をつけて、かつ進展があることを祈っています」
無事に戻ってきてくれる事が一番だが、命を大切にするだけでは手に入らないものがある。
マスターカードなど無いこの世界に来て学んだ、学ばされた事実だ。
ましてや今俺の目の前にいる人はそんじょそこらとは格が違う大望を持っているのだから……変な意味ではなく死ぬ覚悟はあるのだろう。
……少し、心配だ。
確かに俺の知っている孫権は呉の皇帝となった。
この世界でも武将のエピソードや基本的なイベントは、性別と起こる年代を無視すれば、意外と俺の記憶と一致しているので黄巾との争いで呉が負ける事は無いし蓮華様が死ぬ事もない。
とは思うのだが、そもそもここは正史と演技をごちゃ混ぜにして、その上でカオス化させたような世界なので俺の知識はそれ単独で用いるのは危険すぎる。
「朱羅? どうかしたか?」
「――いえ」
少なくとも今蓮華様の前で考える事ではないな。
聞いた話では呉の主要な武将がせいぞろしているらしい。黄巾相手に遅れを取る事は無いだろう。
「今回は孫呉復興の前座とも言える戦いです、無様な失態は見せないよう」
「言ってくれるな。お前にはすぐに私の武勇を称えさせてやろう」
そう言ってくく、と笑いながら蓮華様は馬を走らせていった。
「気をつけて」
誰にも聞こえないであろうが声に出たのはどういう心境からだろう。
分からない、ただ……。
孫呉復興、前進するといいな。
小さくなっていく人と馬の群れを眺めながらふと、そんな事を思った。
………………。
…………。
……。
さて、俺は俺の仕事だ。
当たり前だが戦があっても街が亡くなるわけが無く、そうである以上仕事は存在していて、誰かは残らなくてはいけない。
その筆頭として名前が挙がったのが俺。よほど人手不足なんだろうな。
戦働きが出来るとは思えないので適材適所という奴だろう。戦にいかなくて良いと分かってほっとしたのも事実だ。
しかし、ほっとできたのはわずかの間。半刻後、俺の顔は盛大に歪められた。よくよく考えれば簡単な事だ、四則演算が出来ればわかるくらいに。
例えばこの竹簡。袁術へ送られる蜂蜜についてまとめられている。
何故蜂蜜か、何に使うのか、そんなことは知らない。問題となるのは戦があると無かろうとひたすらにこの作業は続けなくてはいけないという事。
次、幽閉状態とはいえ蓮華様には興覇さまを含めてそれなりの数の配下がいる。当然彼らは「働いたら負けかな」などと思っているわけは無く、各自仕事を持っている。
しかし今見渡してみると明らかに人数が減っているのは、戦にいったんだから当然だ。
これらの組み合わせ。何が起きるか理解できるだろう。
割られる数に変化は無く、割る数が低下した。
そう、仕事が増えたのだ。
…………。
訂正。
何故か今までは蓮華様と興覇さまが中心となっていた孫呉関係のものまで俺の仕事に入れられている。
これは流石に……無理なんじゃないかなぁ。
ははは、と笑おうにも顔が引きつって上手くいかない、ふと思い出す出発直前の興覇さまとの会話。
いや、会話ともいえないただ一言だ。
「無理しないように死力を振り絞れ」
何と言う難しい命令。
今思えば興覇さまはこのことを予測していたんだろうな。
それでも何一つ口に出さなかった辺りにあの人の人柄が(悪い意味で)しのばれる。
というか無理しないで死力を尽くすってどうやるんだよ。
その二つは両立可能なのか?
俺の睨んだところ、前半は建前で後半が本音なのだが。もちろん答え合わせをするわけにはいけない、命は大切にしようね。
………………。
…………。
……。
ついにこのときがきた。馬上で蓮華は地平線の先を睨んでいた。
孫呉の為に戦う。
幽閉状態にありながらもその意思は常に磨いてきた。袁術にいいように使われている姉の話を聞きながら我が身のふがいなさに枕を濡らす日もあった。
しかし今、その切欠をつかもうとしているのだ、元々感情の起伏が激しい蓮華だ。興奮するのをとめられるはずが無い。
「蓮華様、この分では予定より半日ほど早く雪蓮様と合流できそうです」
隣を行く思春は主の気性を理解するが故、あえて感情を排し現実的を引き合いに出す。
「そう、思った以上に兵を集めるのに時間がかからなかったおかげね」
「これまでの準備の成果でしょう」
これは主である孫仲謀を持ち上げた発言。少なくとも思春にとってはそうだったのだが。
その言葉を聴いた瞬間蓮華の表情が緩んだ。
彼女の変化はわずかで一瞬後には引き締められていたが、目ざとい思春は気付く。そしてその原因までも。
(ち……)
流石に隣り合っている今、小さくとも聞き取られる恐れがあるので心の中で舌打ちをする。甘興覇とはそういった配慮が出来る家臣だった。
とはいえ舌打ちした彼女も主が今考えているであろう事に対し同意では、ある。それほどのこの件に関してはあの男の存在が大きかったのだ。
もっともそれと感情は別物だが。
「でも思春も朱羅をかっていたのね」
「…………は」
いかなる時でも主である少女の言葉を聞き逃す事などありえないが、それでも出来てしまった微妙な間が思春の心中の葛藤を表していた。
「朱羅に任せた仕事よ。思春の方から彼の名前を出すとは思っていなかったわ」
蓮華と主だった家臣が全て出陣する。それでも孫呉復興までの道のりは長いだろうから準備を滞らせるわけにはいかず、結論として誰かに任せる必要があった。
その時に真っ先に浮かんだ顔があの男。
「あの男自体は気に食わないところが多々ありますが、恐らくは信用はしても大丈夫でしょう」
能力に不満は無い。問題は仕官して数ヶ月という、信用できるかどうかという事だが。
言っては何だが、今の孫権に使えても利点は少ない。
可能性があるとすれば袁術が差し向けた監視役なのだが、諸葛瑾という男を注意深く観察した思春はそれも無いと断した。何よりあの馬鹿がそんな手を使うとは思えない。
それでも部下に監視は続行させ、不穏な動きがあれば問答無用で捕らえよといい含めてはいるあたり、らしいと言えばらしい。
実のところ、確かに助けられたり仕事をもらったりの恩も大きかったが、諸葛瑾なんだから呉じゃね?
と極めて簡略な思考回路で仕官先を選んだなどという裏事情があったのだが、もちろん彼女達が気付くわけもない。
「それは褒め言葉ね、あなたの場合」
そう言って小さく微笑う蓮華を見ながら、
(肩の力が抜けるのは結構だが……)
今まで幾度と無く注意し、聞き入れてもらえなかった問題だ。
それ故に気に食わない気分に陥ったとしても誰も思春を責める事は出来ないだろう。
一方で将であり配下である冷静な思考は、原因を考えなければ、結果だけを見れば良い事だ。と判断している。
結果を重んじる主義である思春はとりあえず今のところは納得する事にした。
あくまでも今は納得するだけだ。つまり問題の先送り。
…………。
ちょうどこの瞬間、遠くはなれた子瑜は突然の寒気に襲われていたとかいないとか。
………………。
…………。
……。
竹簡が一本……二本……。
九本……一本足りな……い事はない、むしろ山ほどある。
唐突だが皿屋敷のお菊さんとは仲良くなれそうにないという確信に至った。
蓮華様が出発して早3日。
今俺は全力で睡眠を求めている、しかし、そんな身体の状態とは打って変わって心の方はとても穏やかだった。
「お猫様万歳」
「お猫様万歳!!」
その日、俺は運命に出合った。
それは猫……。
神々が創造したこの世でもっとも神秘的かつチャーミングな生物だ。
人に飼われながらも確たる自分を持ち、人の手から離れてもなお美しい在り方。
地上でもっとも気高い生物と言っても過言ではない。
…………。
―――で、そんな戯言は置いといて。
「すみません。蓮華様からの伝言をもう一度いいですか?」
うん、事の起こりは今目の前に居る周泰さんが来たことから始まったのだ。
………………。
…………。
……。
「あと……これだけ」
もう少しで俺は地獄から解放される。
もちろん日々の仕事である以上明確な終わりは存在しないが、とにかく私室に戻って布団へダイブする権利を得る事だけは確かだ。
へへ……俺、この仕事が終わったら夕方まで寝続けるんだ。
脳内はすでに昼寝に最適なスポットが12箇所ピックアップされていた。
残りはわずか、最後のラストスパート……大事な事だから二度言った。
頑張れ諸葛瑾。ゴールはすぐそこだぞ。
誰も応援してくれないので自分にエールを送りながら俺は血走った目を竹簡へと向ける。
その瞬間、意識が遠ざかり……やがて光の扉が目の前に。
「っは!?」
やばいやばい別のゴールに行きかけた。俺にはもうすぐ眠れる時間が出来る、こんなに嬉しい事は無い!
うひゃひゃひゃは、と笑いながら俺は筆を走らせる。
心なしか周りが静かになった気がするが、疲れがそう感じさせるのだろう。
…………。
終わった。
ようやく、終わった。もうゴールしてもいいよね。
いや、止められてもする。
そう、誰も俺の惰眠を阻む事は出来ない。
「何時でも貴方のすぐそばに、それが私、周幼平です!」
唐突に沸いた気配。
振り向くと背の低い少女がシュタっと現れた。
「…………」
周幼平……周泰ね。
普段ならこんなおいしい場面逃すはずも無く、冴え渡る突っ込みも今の俺のテンションは日本海溝、とっても低いんです。
「あれ? 興覇様の話だと……」
「で、何?」
「あ、はい。蓮華様から伝言です」
不思議そうに首をかしげた周泰さんから告げられた意外な一言。
何かあったのか?
蓮華様の言葉とあれば聞かないわけにはいかない、寝るのはその後だ。
………………。
…………。
……。
そして今。
「つまり、黄巾党との戦いの後もさらに戦いは続くだろうから準備をしておけと」
「はい! 今回の戦乱で世は荒れ、その先に割拠の時代が来ます。ですから軍備の増強は必須! との事です」
それは、間違いない。そのくらいは俺にでも分かる。
分かるのだが、蓮華様を送り出すだけでも死にそうになってる今、さらに仕事を増やせと?
俺は黙って振り返る。それはうず高く詰まれた竹簡、今の今まで俺と死闘を演じていた宿敵(とも)だ。
…………。
あ、きっと疲れてるんだ。
聞き違いに決まっている。
「すみません、本当に申し訳ないんですがもう一度言ってもらえませんか?」
「あ、はい。簡単に言いますと、すぐに使える兵の数と物資をまとめて下さい、という事です」
疲れてるんじゃなくて憑かれてるっぽいな。きっと今の俺の背中には霊媒師が裸足で逃げ出す何かが住んでいる。
「あー、つまりその……仕事、増えた?」
「そう、です」
「俺の?」
「はい」
……あー俺の仕事が増えたのか。そうか。
「あの、子瑜さん?」
「オーケー、理解した……大丈夫だ。今ので忠誠50下がった」
「おーけー? ……ってよく分からないけどそれきっと大丈夫じゃないです!?」
大丈夫だ、理解したんだ。自分の迂闊さ具合を。
「どう見てもフラグ立ててました」
「ふらぐ?」
何でもありません。
何か悟りを開いたような心境。
ゆっくりと視線を動かすと、そこに広がる阿鼻叫喚、カオスな世界。
何故か顔が良く見えない文官の人たちがうめきながら仕事をしている。
それに加えてもう次の準備?
……死人出るんじゃないかな?
正直無茶言うな……と叫びたいところなんだけどなぁ。
……はぁ。
嫌がらせか何かで無理難題を押し付ける人じゃない。そうするより他に無かったんだろう。
「了解しました。何とかやってみると伝えてください」
「分かりました! それでは」
俺とは対照的な返事を返した周泰さんはしゅた、と消えた。
あの人も大概人間やめてるなぁ。
先ほどから突き刺さる視線が痛い。すでに怨念言えるレベルまで昇華されたそれを言語化するなら、「おま……空気嫁」か?
んなこと分かってるんだよ。だからといって無理です出来ませんで済ませられる状況じゃないだろう。
この日俺はまた一つ賢くなった。
戦いは現場だけで起きているんじゃない、会議室でも起きてるんだ!