孫仲謀様に仕えて一月ほどが過ぎた。
もちろんその間俺はニート生活をまっしぐら。働きたくないでござる!
…………。
なワケは無く仲謀様から仕事を頂いている。
初めは文字を書ければ出来るようなモノだったが回数をこなしていくうち仕事の内容が複雑化し数も増えた。
とはいえ元現代人でまがいなりにも大学まで進み、水鏡先生の下でこの世界仕様にモデルチェンジした俺、やれば出来る子です。というか戦争とか無理っぽいからこれが出来ないと真面目に出来る事が無い。
自分の存在意義をかけて、今日も朝から竹簡を消化していく。
幸運(?)な事に現在孫権陣営に文官が不足しているようで、相対的に俺の価値は高まった。なんでも大半が姉の孫策の方に付いているらしい。
だからだろうか、やればやるほど増えていく竹簡の数。出来るならもっと増やそうという判断らしい。
初日は楽だったんだけどなぁ。
それも今や懐かしい思い出だ。今も目の前にうず高く詰まれた竹簡が俺を威圧している。
この山を見るたびにいつも思うのだが、軟禁状態のはずの仲謀様にどうしてコレだけの仕事があるのか。
とてもとても不思議です。
そういえばこの間孫策さんが黄巾相手に勝利した報せが届いた。
さすが小覇王、すごいね。話によると周瑜さんと陸遜さんも一緒にいるらしい。何このオールスター、ぶっちゃけ仲謀様が孫策さんと合流したら俺いらなくね?
就職決まって数ヶ月で首とかしゃれにならんぞ。
「…………」
13通りの未来をシミュレートして見た。
うち14回解雇された。1回分どこから沸いてきたんだろう?
まぁいい。とにかく今の職を確たるものにするために失敗は許されない。無職とかもう嫌です。
かくして決意を新たに俺は初めと比べて数十倍に膨らんだ竹簡へと向き直る。
……もし首になったら朱里たちに養ってもらうか。
一瞬浮かんだ悪魔のささやきは全力で否定させてもらおう。それはやっちゃダメだろ、兄として。
色々とやってはきたがそれでも譲っちゃいけない一線はある。経済的に妹の世話になる兄……いくらなんでも情けなすぎるだろ。
そう思うと握る筆にも力が入るというものだ。このくらいの竹簡、今の俺にかかれば……。
かかれば…………。
…………。
ごめん、やっぱり無理。
正直計算量多すぎです。パソコンが欲しい、せめて電卓があれば。
というかこの蜂蜜代とか何だよ、額おかしいだろ。そもそも何で俺がそんな計算しなくちゃいけない!?
出来ないとは言わないけどさ。
計算する量が多すぎる。蜂蜜の割合も多すぎる。
仕事の方向的には俺に合っていると思うが、慣れたとはいえ文明の利器を知っているだけにストレスが貯まりに貯まる。
…………文明の利器?
ひらめいた。
電卓は無理だが、アレならば。幸い俺はアレを使える。
構造自体も簡単だこの時代の技術で十分に再現可能だろう。というか実際あるんじゃないか?
たまに覗く市場で見たことはないが、頼めば作ってくれるだろう。
思い立ったが吉日。
俺はすくと立ち上がり部屋を飛び出した。
………………。
…………。
……。
そして今朝、念願の物が届いた。
珠、枠、芯を組み合わせて形作られた機能美。その名称を算盤という。
頼んだ技師はどうやら腕が良かったらしく、思った以上の出来だ。これはもはや現代のソレと遜色ない。
もっとも形としては現代日本にある天1珠、地4珠ではなく天2珠、地5珠。確かこの頃の中国は尺貫法の関係でこっちの方が便利だったと記憶している。実際、便利だ。
そういえば算盤は関羽が発明したとか言われているが、創作だろう。商売の神様あたりから来たのかな?
形はともかく概念自体は古く、紀元前からあったらしい。そう考えると算盤と呼ばれるものの原型くらいはこの時代にもあるんじゃないかなぁ。
何が言いたいかと言うと、それほど歴史を狂わすものではないだろう、ってこと。
さて、それじゃ始めるか。
あー、なんだったか……そうそう。
ご破算で願いましては――。
新たな武器を装備した俺は強大な敵(竹簡)に立ち向かう。心なしか竹簡の山が小さく見えた。
………………。
…………。
……。
すごいぞ算盤。アレだけあった竹簡が見る見る間に消えていった。
あまりの嬉しさに喜びのダンスを踊っていたら入ってきた仲謀様とすごく気まずい空気に……。
「あー……」
「…………」
沈黙が痛い。
が、めげずに人格のチャンネルをチェンジ。仕官モードに移行するよ。
「何か用ですか、仲謀様?」
「あ、あぁ。すまない」
いきなり謝らないでください。
「なんだ、その……仕事の邪魔だったか?」
「いえ、邪魔と言う事はありません、もう終わりです」
そう言うと仲謀様はきょとん、とした顔をされて……驚いているのか?
「あの量をか?」
お、話を変えられそうなふいんき(何故か変換でry)。
「あの、と言うのがどれを指しているのかは知りませんが。任された分は終わらせましたよ」
やるべきことをやらないと追放される可能性がありますから。目立たないながら出来る文官を目指して頑張ります。
「思春もお前も私には過ぎた将だな」
突然仲謀様が妙な事をのたまった。
「……興覇様はともかく私は違うと思いますが」
甘寧がチート級であることに異論は無い。実はあの人かなりの万能選手なんだよなぁ、全適正A以上はあの人だけ……ってそれは関係ないか。
「おまえは自分を過小評価しすぎだ」
苦笑しつつ聞きなれない言葉を使う仲謀様。
正直なところ謙遜とかではなく心底そう思っているのだが、もしかしたら朱里、雛里という化け物が身近にいた弊害かもしれない。付け加えると元直も化け物臭が漂っていたけど。
しかしあの孫仲謀が言ってくれたのだ。もしかしたら俺って結構有能なんじゃないか? このままいけば軍師として華麗に兵を……。
「はわわわわ」
「あわわわわ」
そして脳裏に過ぎる二つの声。
それは心底ほんわかしたもので、他の誰が聞いても心温まるものなのだが俺には。
「えーマジ~諸葛瑾?」
「諸葛瑾が許されるのは内政までよねぇ」
と、脳内変換された。脳裏によぎった声をさらに脳内変換する俺、とても器用だと思う。
いやいや、さすがにコレは被害妄想も甚だしい。
そもそも諸葛瑾の力が最大に活かされるのは外交だ。そのための技能を持って……。
それはともかく。
しかし俺を優秀とするとあの二人は何だ? ……あぁチートか。
そして最前線はそういうチート武将たちがひしめき合っているのだ。俺も諸葛瑾などに軍を率いさせた記憶がない。あぁ、そうだ俺なんて3人一組になって市場立てたり槍作ったりしてるのがお似合いなんだ。
「ど、どうしたの瑾?」
喋り方に地が出た仲謀様。
気づくと俺は床にのの字を量産していた。
「いえ、何でも。身近にすごい出来る奴がいて」
「そう、それは誇らしい事だけど……」
遠くを見るような目をする仲謀様。
あぁ、そう言えばこの人もだったか。ただこっちの場合は優劣というより質の違いだと思う。確かに今は孫策向きの状況だから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
一瞬出かけた「あんたと一緒にするな」という言葉はのどの奥に飲み込む。主に対して突っ込むなどとんでもない事です。
「まぁ、正直今更どうでもいいんですけどね」
「どうでもいい?」
諸葛亮と鳳統に負けたからといって誰が責めるというのか、誰も攻められない。史実だと軍略微妙じゃね? とかあんまり活躍してなくね? とか言われてるが……一緒に勉強してきた俺が言うのだから間違いない。
やつらは、絶対に何かが憑いてる。
しかし――。
「だからといって俺が困った記憶も無いわけで、それでも頑張ろうとは思えましたから」
何よりあの二人の癒し効果は凄まじい。均? あいつはもはや意味不明。何考えてるのか分からん。大事な妹であることに変わりは無いがな。
「それはそうだが……自分が情けなくなったりは」
…………情けなく?
「いや、そんなに不思議そうな顔をしないでくれ」
よほどおかしな顔をしていたのか仲謀様は少し困ったような顔をした。
「情けなくは……まぁ何度もありましたけど。慣れですね慣れ」
「な、慣れたのか」
慣れる慣れる。何より俺があいつらを好きだし。
自分への劣等感などどこぞの犬にでも食わせればいい。あいつらもそんなことは気にしていなかった。
……それでもたま~にヘコム事があるのは否定しないが。
「仮に劣等感を持ったとしても好きな奴は好きであることに代わりが無かったんですよ、少なくとも俺の場合は」
「そう……それはなんとなく理解できる気がするわ」
そう言って仲謀様は微笑った。
肩から力の抜けたその笑顔は、俺の中の孫権のイメージ映像である髭面を綺麗に消し去るほどの威力があり……。
……あった、のだが。
ああ、分かってますよ。そんなに近づきませんって。
左にいる仲謀様と自然な動きで一定の距離を保つ。あまり露骨にやると失礼だし近すぎると命の危険が迫る。そんな地味に難しい作業を続けている俺の右側から聞こえる鈴の音。
最近は隣に仲謀様がいるにも関わらず、俺に聞こえかつ仲謀様に聞こえない絶妙の音量で鈴を操っている。もはや人間じゃねー。
「しかし」
あーりんりん煩いなぁ。
「何だ?」
せっかくの機会だから疑問を解決しておこう。
「仲謀様って袁術に軟禁されている身ですよね?」
「……ああ、そうだな」
仲謀様は悔しそうに、一拍間をおいてから答えた。
「それなのにこんなに仕事があるって……」
「自分でやるのが面倒くさいのだろう」
――え?
一瞬何を言っているのか理解できなかった。
面倒くさいって、理由ソレ?
「いくらなんでもそんな事は」
「ある。何と言っても袁術だからな」
それは一体どういった理由なのか、俺ごときには理解できない 高度な考えが、
「家柄も兵力も良いのだが、少し頭がな」
無かった。
仲謀様は語尾を濁したが、それは『馬鹿』といったも同然だ。そうか、ここだと袁術さんは馬鹿の子なのか。
そして我らが孫呉は頭が残念な人に顎の先で使われているのか。
「…………」
「…………」
お互い無言だったが何を思っているのかは、何故か、理解できた。
「今日は飲もう」
「飲みましょう」
後でもう一度聞いてみると、一応仕事を回して仲謀様に余計な事をさせない、という考えかたもあるがそんなことは考えていないだろうと仲謀様が言っていた、鈴の人も同じ意見らしい。
その後……。
「そもそも姉さまは――」
「ははは、そうですね」
先ほどから仲謀様オンステージ。マイクを手放しません。そいや酒癖悪いんだっけこの人。
姉に対する不満、というよりは無謀を責めている内容だが、史実じゃこの人の方こそ無謀だったんだよなぁ……。
「何だ、その目は」
「い、いえ。何でも」
飲むと絡む人だったのか。
マイ辞書に新たな一文が書き加えられた瞬間だった。
………………。
…………。
……。
「そういえば知っているか雪蓮?」
「……ん? 何を?」
黄巾党の本陣を攻めろとか言われ、頭の中で17回袁術を斬っていた孫策、雪蓮は親友である周瑜の言葉に怪訝な声で返した。
「蓮華様が新たに将を登用したそうだ」
「へぇ……どんなコ?」
「姓は二字姓の諸葛、名を瑾。字を子瑜という。水鏡殿の私塾にいた、らしい」
聞きかじった風を装いながらもしっかりと情報をつかんでいるあたり、らしいなぁ、と思いながら雪蓮は生真面目な表情をした妹の顔を思い浮かべた。
「そう、あの子が」
「気になるか?」
「そうね、一度あってどんな"娘"か見てみないとね」
水鏡私塾=女子校。その知識は二人の中にあった。
故に一つ大きな勘違いが発生する。
…………。
「――っ!?」
「どうした瑾?」
「いえ、何か凄まじく嫌な予感が」
気のせいか?