「――は?」
耳に届いた間の抜けた声。
誰だと辺りを伺う必要もなく、満場一致で俺のものだ。
「あ、いえ。野盗の、討伐ですか?」
「そうよ、蓮華を出すから貴方ついていって」
あっけらかんと簡単に言ってのける伯符さまだが、聞いてるほうとしてはまだその領域には達していないワケで。
「りょ、了解しました」
大いに混乱したが国王直々の命に異を唱えるなんてことが出来るはずもなく、伯符さまの隣に公瑾さまが黙したままいることから冗談などではない事は理解できた。
つまりどういうことだ?
伯符さまの前を辞して首を捻った俺はとある重要事項にいきあたりしばし呆然とする。
――現状の仕事については何も言われていない。
つまり、そっちの方は以前続行であり野盗討伐から戻り次第、ということか。
「オーケー、何とか頑張ってみよう……」
泣くのは心の中だけだ。
………………。
…………。
……。
などということがあって現在天幕の中。
蓮華様と机を挟んで向かい合っている。
正直なところ明命か亞莎、少なくとも興覇さまは居るのだろうと思っていたが、いつものメンバーというくくりでは蓮華様と俺だけしかいない。
興覇さまは? と問うたら「思春なら海軍の調練よ」と怪訝な顔で返された。どうやらセット的な考えは捨てた方が良さそうだ。
話を聞くと暇そうだったから、とか何とかいう理由で俺が選ばれた……らしい。
正直伯符さまは眼科に行くべきだと思う。
……いや、あの人に病院は必要ないか。分かっててやってるんだろうから。
むしろそっちの方がタチ悪いけどな。
もっとも今が忙しい時期であることは確かなので、俺しかいないというのが本当のところだろう。
呉の為ということは将来的に俺のために直結するので頑張ることに異論は無い。
戻ったら仕事が山積みなんだろうな、何ていうことは思考の隅に追いやって蓋をしてパテで固めて地中深く封印しておくとして。
「30人ほどですか」
今は今やることに集中しよう。
「ええ、襲われた村の住人の証言よ」
あ、そんなのあったんですね。
しかし……30か。
つれてきた兵の数が100だから問題ないといえば問題ない……筈。
不安を上げるとすると、こうして考えているのが俺であることとつれてきた兵達が陸の上での戦いになれていないこと。
「そういえばあなたが作ったあれ、凄く好評よ」
「あぁ、鐙ですか。聞いた話じゃ、そうみたいですね」
呉の将は馬に慣れていない人が多い。俺もその例には漏れていないのだ。
小さい頃は馬なんて買う余裕もなかったし、私塾に入ってからも馬といえば荷物を運んでくれる動物だった。間違っても人が乗るものではない。
私塾を出た後は徒歩で旅をしていたので本格的に馬に乗ったのは呉に仕えてからだ。
促成栽培で何とか乗れるようにはなったが、本当に乗れるだけでしかも凄く疲れる。
勿論徒歩に比べれば疲労度と進行距離のパフォーマンスは格段に上昇するのだが、それでも疲れるものは疲れるので、可能ならば楽をしたい。
そこで思いついたのが鐙だった。
コレに関しては元々は紀元前からあった筈だから大丈夫だろうと判断し、職人に頼んで作ってもらったのだ。
とはいえ、馬で長旅をしたことがなかったのでどのくらい楽なのかは分からなのだが、使ってみて好評なのだから便利なものなのだろう。
鐙で得られる効果としては戦術よりも戦略の方が高いと思われる。
要するに凄く早く遠くへいける。
コレを得意としたのが夏侯淵。
間違っても足が速かった人ではない。
実際に足が速いのは周倉だったか、赤兎馬と並走出来たとかどんなけだよ。存在自体が創作だろうが、この世界では現実のものとして存在しかねない。
閑話休題。
より早くより遠くへという点は戦でもかなり重要だ。
戦術的な方面での、つまり巨体にモノを言わせた突進については正直良く分からない。
張遼辺りに聞けば分かるのかもしれないが……どっちも魏の人だな。やっぱり呉で騎馬というとイメージがわかない。興覇さまならあるいは、と考えたがわざわざ聞くほどのことでもないだろう。
「とりあえずその話はこの辺で」
単純に兵数だけでも3倍。
しかもこちらは正規兵だ。錬度も士気も装備も相手を上回っている。
それこそ歴史に名を残す軍師とか将軍でもいない限り負けようが無い。
後一つ不安を上げるとすれば。
「拠点が分かってないんですね」
「そうね。やはりそこが一番の問題かしら」
ですね。
まぁ、相手としても拠点押さえられたら勝ち目無いのでその辺りの秘匿には細心の注意を払っているのだろう。
こういう時こそ明命がいてくれると楽なんだけど。
来ないかなぁ……と少し待ってみたがやはり来なかった。
来なくていい時とは違って、待っている時は絶対に来ない。使えねぇ。
仕方ないから俺と蓮華様で何とかする他に道はなく、出来れば別の歴史で呉の王となって劉備、曹操と対抗した実績を持つ蓮華様に全てを任せたい。
よって「では蓮華様よろしくお願いします」と口を開きかけた俺だが。
「一人で戦の指揮をとるのは初めてだから。よろしく頼むわ朱羅」
何て、"凄く出来るっぽい片鱗を見せる若様"的な言葉に先を制された。
長宗我部さん家の姫和子の初陣ってこんな感じなのか。
槍の扱いなど説明できればいいのだが、残念なことにそんなものは俺が知りたい現状だ。
そして何より、戦闘の指揮をとるのは初めてだし……ちょっとまて、てことは俺もじゃないか。
袁術との戦いでは上から来る命令にただ従っていればよかった。
もちろん実際はそんなに簡単なものじゃなかったが、思った以上に馬鹿だったのでするすると事が運んだのだ。
規模的にも比べる事は間違いな気もするが、それでも俺が……。
確かに初めて自分で戦闘の指揮をとったのが大阪の陣というどこぞの浪人さんに比べればマシなのかもしれないが……はっきり言って慰めにもならない。
…………いや、慰めになるか?
こっちは3倍の兵数。練度、装備を含めればさらに差は開くのだ。
何か道が開けた気がする。
普通にやれば勝てる。
そんな言葉が俺の脳裏に過ぎった。
しかし、気が付かなかったが呉の人手不足はそこまで深刻なのだろうか? イメージ的には蜀の方がヤバそうなんだが。
何と言っても俺に指揮を任せるほどだ。
………………。
…………。
……。
正規兵と野盗。いうまでもなく質は前者の方が高い。まして今回は3倍の兵力を有しているのだ。
それぞれ小覇王、三国一の放火魔と後の世に知られる孫伯符と周公瑾には「普通にやれば勝てるので、普通に戦うことしかしないあの男ならば普通に勝つだろう」という判断があった。
しかし、なまじ才能というものがあったが故に、凡人と銘打ってよい子瑜が、実のところパニックになる直前の頭で必死に指揮をしていることなど知る由もない。
実際、無駄に勇ましく突撃したがる蓮華を抑える子瑜の精神状態はギリギリのところだったりするのだが、やはり命じた本人達にこの情報が届くことはなかった。
………………。
…………。
……。
野盗討伐は成った。
何の山もなければ谷もない。
あったとしても山と呼べば全国の山脈連盟から苦情が来そうな、標高しかないであろうし、谷も道路の端にある溝程度だろう。早い話どちらも砂場で再現できます。
そんな風に、とりわけ奇抜な策を実行するわけでもなく。ただ、兵の各個撃破だけに気をつけ常に敵より多い状況で戦った。
地道に拠点を探し、地味に兵を指揮して、結果勝利したのだ。
こちらの被害も多くも少なくも無い、つまり予定通り。
そもそも俺に華麗な采配やら神算、鬼謀を求めるのが無理というものだ。
俺個人としてはそこそこの上手くやれたのではないか、などと思っているのだが。
「…………」
隣で先程から難しい顔のまま黙している人が約一名。
言うまでも無く蓮華様なのだが、とても不満そうだ。
「えーと、今回は先陣を勤める人がいませんでしたから…………勿論蓮華様はダメです」
何とかフォローしようと口を開いた俺に凄く何かを言いたそうな顔をする。でもそれはダメだ、ダメ絶対。
「お姉様もそうだけど、みんな私を何だと思ってるのかしら」
「それはもちろん、大切に思って――」
睨まないで下さい。
それに、どれだけ不満そうな顔をしても駄目なものはダメだ。特に今回は興覇さまも明命も居ないのだ、俺一人では何かあったときの対応力が低すぎる。
無いとは思うが、不測の事態というものは無いと思ったところにくるから予測できないのだ。
「それに伯符さまとは状況が違いますし。野盗相手に命かけても仕方ないですよ」
故に安全を優先する必要があって、自然と出来る事は限られてくる。
蓮華様も経験が浅いし、俺なんて言わずもがな、だ。
そう考えた時に、良くやった。という当初の評価に行き当たるのだ。
「いつも思うのだけど、貴方は少し自分を過小評価し過ぎじゃないかしら?」
「――え?」
「自分に出来ることをする。以前聞いたその意見には同意できるけど、貴方の場合は自分から出来ることの範囲を狭めていってる気がするわ」
「いえ……そんな事は」
無い、よな?
「いや、でも……こんなものですって」
むしろ今でさえ実力以上のものが出ている気がする。
うーん、と「あわはわ」言ってる奴らと比較してみるが……うん、俺は間違っていない。
「孫家の血を引く私には、私だけに出来る事がある」
「その事は常々――」
「別に怒ったとかそういう……そうね、確かに少しは腹が立ったけど」
酒の場の出来事なんです、勘弁してください。何て言い分けは通用しないですよね。何であんなこといったんだろう。
「そんな死にそうな顔をされたら私が困るのだけど」
「いえ……続けてください」
「そ、そう」
少しの間。
「今の私に足りない所はこれから補っていけばいい。それに私一人で全てを補う必要はない。これが貴方との話で私が行き着いた結論なのだけど」
先ほど「HANASE!」と叫んで突撃を断行しようとした人とは思えない言葉だ。もっとも、あれは孫家伝来のものである程度は仕方ないのかもしれないが。
「貴方は私についてくると言ったわ。だから、私だけに出来ることが見つかった時……貴方のことは頼りにしているのよ? 朱羅」
「え?」
何を言った?
少し考え込んでいたせいで聞き間違ったか?
「まさかついて来てはくれないとでも言うつもりかしら?」
「いや、そんな事は無い……ですけど」
無職は嫌です。
何て事は置いといて、呉に、蓮華様についていく事自体に異議は無い。
コレだけよくしてもらえているのだから報いたいと思っている。ただ……。
「とはいえ、何とも頼りないですから、おまけ程度に考えておいてもらえれば」
あまり期待してない分、何か手柄を立てたときに凄く喜ばれるような立場がいい。
のだが……何で不機嫌そうな表情になるのでしょうか?
「この際だからはっきりと言っておくべきね。私はあなたを頼りないと思ったことは無いわ、一度たりとも」
心の中で首をかしげた俺を知ってか知らずか蓮華様はそんな事を真剣な顔でのたまった。
「…………」
あ、鳩が豆鉄砲ってこういう事なんだ。
今この場に鏡が無いのが残念、ってそんな事はどうでもいい。
あーー、どうする何て返せばいい?
いかん頭が盛大に空回ってる。
「…………それは、KOE、じゃ無くて光栄です」
かろうじて出た言葉はそれだけ。面接なら減点対象間違いなしの返答だ。
そして何より、中耳辺りで停止していた言葉が脳にまで行き当たって、ようやく言葉を把握できて……。
うわ、ヤバイ。顔が赤くなってる絶対。
何か、恥ずかし嬉しいとでも言うべきか、妙な気分だ。
「どうしたの朱羅?」
「いえ、なんでもないです」
「何でも無い様には見えないのだけど」
えぇい、未来の呉王は天然か!
などと心の中で叫びつつ、無駄に怪訝な表情を向けてくる蓮華様に必死の対応を試みる。
「分かった、分かりました。どれだけのものかは疑問が残りますが、精一杯やります、やって見ますよ」
しかし、今現在サボっているわけでもないのでどうすればいいのだろう?
言った後で気づいた難問に、俺は額を押さえて考え込む。
この人が呉の王になるのかは分からない。ただ、呉にとって重要な人物であることは確かだ。そんな人について、一国の中枢で働くなんていうことが俺にできるのだろうか?
長年俺の中で育てられた意識は一笑に付して「無理だ」と言う。
――――まて。
なぜ無理なんだ? そもそも孫権に仕えようとは以前の記憶が戻ってすぐ考えた事で、とするならこれは予定通りの事の筈。
かなり重要な部分がどこかで変わっている。
考え込んだ俺は、やがて一つの答えに行き着き、納得と同時に大きく肩を落とす。
そういうことか。
あの時は、何だかんだと否定的な事を言っても、歴史の知識を持っていれば何とかなる。なんてティラミスにあんこと蜂蜜かけるくらい甘い事を考えていたのだ。
そして、本人達にそのつもりは無いだろうが、そういった思い上がりを粉々に打ち砕いたのが、朱里達だ。
あいつらとともに過ごしている内に所詮、凡人が後付の賢しい知識を持ったところで高が知れている。なんて斜に構えるようになった。こんな感じだろう。
以上、俺自身の問題は終了。目を外へ向けると不思議そうな視線を向けてくる蓮華様が居た。突然押し黙ったのだから当然か。
この人は――はっきり言って酒グセ悪いし、時々人の言うこと聞かないし、たまにネガティブ入るし……しかし、おれ自身でさえ理解していなかった問題をたった一言で解決してくれた。そのことに感謝と敬意をこめて、
「少し、やる気が出ました」
まずやってみよう。
「あ、いえ。もちろん今まで手を抜いていたとかそういう意味じゃありませんよ?」
「その位はわかっているわ」
そこから先は――。
「あの…………」
突然振って沸いた、遠慮がちな、第三者の声。
思わず二人そろって振り向くとそこには蓮華様についてきた呉の兵の一人が居心地悪そうな顔で立っていた。
「…………何だ?」
「はい、生き残った野盗共の拘束もすみましたのでそろそろ戻った方がよいのでは、と」
すごくもっともな意見だ。
俺と蓮華様は黙ったまま顔を見合わせる。
「あーうん、そうだな。それじゃあ……」
「わかった、先に準備を進めろ。私もすぐ戻る」
無駄な気もするが佇まいを正し、命じる「あっち行け」
勿論「だが断る」なんていうはずも無く、男は礼をとった後すぐさま取って返した。
ただ、その場に残った、去り行く兵士の後姿を眺める俺と蓮華様の間にはなんともいえない空気が発生していてれて。
「とりあえず、これからもよろしくお願いします」
「え、ええ……そうね」
さっきこれからの人生を左右する程の決心をして、もう少しで何かが分かりそうな雰囲気だったのに……いろいろと台無しだ。
「そういう落ちか」
なんとなく仰いだ天は、腹立たしいほどに晴天だった。