上司と酒を飲む。
前世では大学生だったので、諸葛瑾になって初めて体験したイベントであり、あまり体験したくなかったイベントでもある。
少なくとも友人らとのソレとは大きく異なっており気楽に飲めや騒げや、とはいかない。
そして何故このような考察を行っているのか説明すると。
事の起こりは先程。城壁の上で月を眺めながら、明日も仕事か……るーるーるー、と英気を養っていたところをひょっこり現れた仲謀様にキャッチ。リリースはされなかった。
何故かそのまま二人酒でを飲む運びに。
しかも普段呑んでいる奴ではない……紫の……ワインか?
酒には詳しくないのが、恐らくワインかそれに類するものだろう、という程度の予測しか出来ないし、この時代にあったのかなんて分からない。いや、事実あるのだからあるのだろうが、そうするとコレがワインであるか否かの問題になって……別にどうでもいいか。いつもの薄い酒より美味しいし。
それに重要なことはなみなみと注がれた紫の液体と、呑まないとは言い出せない上司の視線。
そもそも、いい加減逃げる理由の底が尽きた現状で仲謀様の前に出たのが運のつきだった。
前回、孫権といえば酒乱だけどこの人はどうなんだろうか? などと愚かな考えを持っていた俺はその数時間後に。
……酒乱だった。
という身も蓋もない結論を得た。
いやまぁ、おっさんが酔っ払って脱げと言ったり挙句には 酒の場でいった事は全てスルーして、とか言うのに比べれば妙齢の女の人がくだを巻く位どうということではない。
ないのだが、だからと言って何度も経験したいものではなく、仲謀様の背後には常に鈴の人が控えていることを考慮するとやはり可能であるのなら避けたいイベントである事には全面的に同意なワケで。
パワハラとか言えばいいのかもしれないが、この時代よりもそういった方面でも進んでいる21世紀であっても多くの人が我慢して呑んでいるのだ。
2世紀である時代を考えると言わずもがな、だ。そもそも三国志って酒で失敗する人多いよなぁ。有名どころだと張飛とか。
そして張飛同様の汚名を被ることが多いこの人、いくら世界が違うとは言え出された酒を前に飲まないという選択肢は今の俺に存在しないのだ。合掌。
………………。
…………。
……。
この世界で始めて飲むワイン(?)は存外美味しかった。どのくらい美味しいかというと、するすると 酒量が増え、気が付くと結構な量を飲んだ気がする程度だ。
もっとも俺は酔ってなどいない。前に座る仲謀様が二人か三人に増えているがそんな事この世界では日常茶飯事だ。仲謀様が伊賀の出だったという線も否定できない。
だから断じて酔ってなどいない。
むしろ酔っているのは仲謀様のほうだ。
「やっぱり呑めるんじゃない」
だって言葉使いに素が出てるから。
前回の経験からコレが第1段階であることは理解している。
第3まで来ると俺の精神に多大なる負荷がかかるので、そうなる前に逃げられるかどうかが勝負の分かれ目だ。
「――そもそも私なんて…………」
拙い、台詞にネガティブ要素が入ってきた。
フェイズ2に移行したようだ。何とかして進行を阻止しなければ。
「あ、あーーーー。えと、ここで突然であって故に何の前触れも無い事は当然なんですけどそういった事はどこかの次元においておいて、俺の昔話でも一つどうでしょうとか愚考する次第なんですけど?」
「…………」
ダメだろうか?
お前のカコバナなんておよびじゃねー、とか言われたらどうしよう。素直に謝るべきだろうか?
なんて、びくびくしながら仲謀様の言葉を待っていると。
「ん~」と唸った後。
「そうね、興味があるわ」
何とか興味を引くことに成功した。
しかし、窮地を脱したとは言えある意味では自分から虎の口へ飛び込んだとも言える。
俺の過去で面白い話なんてあったか?……私塾より前は思い出してもいいこと無いし、あえて言うべきでもないので酒の席ということを考慮しても私塾時代が一番適しているだろう。
それなら簡単に言ってしまうと。
「私塾じゃあんまり出来のいい生徒じゃなかったんで大変でした」
この一言に尽きる。
とは言っても私塾全体から見れば上位に入っていた。
が、周りにいる奴らの関係で相対的にいって俺の駄目さが目立ったとういか、やはり周りが出来すぎたことによる悲劇だよ。
「私が何を分かっていないのか、自分でも分からないのに回りの奴らには分かると言う……何と言うか空恐ろしくなる現象が普通に起こってまして」
答えを間違えると本気で心配してくる朱里と雛里には正直、精神が悲鳴を上げた。
チェシャ猫じみた笑いで俺の間違いを期待する元直もどうかと思うが。奴にとって俺は某クイズ番組で△な答えを出す人扱いだった。
とはいえ逆に孔明、士元、元直という面々がアホだったらそれはそれで嫌だ。
「八門金鎖? 適当に攻めればおk」
そして曹仁に討ち取られる趙雲。
「とりあえず攻めましょう、曹操を」
天下三分の計頓挫。
「船酔いにはこの薬が効きます」
連環崩壊。
何て事になると劉備軍は壊滅しかねないしな。俺の心の平安と耳の大きな人のためにも奴らの能力は高い方がいい。
そう考えるとやはり上澄みとか青狸とか言われようとも、現状に不満を抱く事はお門違いだろう。
「やはり慣れです。人間なれる生き物です」
兄の威厳を示してやろう。何て考えていた時期が俺にもあった。
しかし、日がたつにつれ俺がダメなんじゃない、妹がチートなんだ。と思うようになった。こういうのを何と言うのだろう……あぁ、性格的に丸くなったんだ。
第一使徒(EVAに非ず)とか王子とかそういう感じだろう……何か違う気がするが。
俺が汗水たらして解いてる難問を隣で「今日の宿題簡単だね~」なんて微笑ましいやり取りをされる事など私塾では日常茶飯事だったしな。
そんな時俺は「マジで? じゃあここなんだけど――」と、妹に問うて学術的なピンチを乗り越えたものだ。
今でこそ少し情けなかったんじゃないか? と思わないでもないが当時は至極真面目で何の引け目も感じていなかった。
つまりどういう事かと言うと。
「結論だけを言ってしまいますと、俺にとって周りが優秀で、俺がそれに及ばないことなんて日が東から西へ動く位当たり前のことだったんです」
そもそも比較対象が1800年の時を超えて語り継がれている人たちだぞ? どこかで召使として召喚されてもおかしくは無い。
何のクラスでかは分からんけどな。
「もっともだからと言って俺が何もしなくて良いと言うわけにはいかなかったんで」
世の中そんなに甘くは無い。
呼びもしないのに沸いてくる害虫は駆除しなくてはいけないし、それ以外にも何故か事ある毎に厄介ごとが舞い込んできて、何故かそれらが俺に降りかかってくることが決まっていたりして。
そう、命を守る為にも 自分を鍛える必要は大いにあった。事実ニートしてたら死んでいた自信がある。
そもそも朱里と雛里については直接的な暴力からは守ってやらないといけなかったしなぁ。兄としてそのくらいはやっておきたい、という思いもあった。
……元直? あいつは守るとかそういう関係じゃない。むしろ俺が守って欲しい。
「そう考えて剣を習ったりしたんですけど、こっちの方は完全に才能が無かったようです」
ため息を吐くと共に苦笑いを浮かべる。
習い始めて早々に元直から断言された。「気にする事じゃないよ。あろうが無かろうがキミのすることに変わりは無いだろう?」なんて風にさらりと。
確かに言葉通りで、実際ある程度までは才能以前の問題なのだが……正直言い方があったと思う。
それでも、寄ってくる害虫駆除には役に立ったから元直には感謝しているんだけどな。
「存在している以上何かは出来るはずで、それが正の方向に働くように頑張っていた、という感じですかねぇ」
チートがひしめき合っている事は知っていたし、自分が彼ら(今のところ10割で彼女らだが)に及ばない事は百も承知だ。
だからと言って諦めたら、その瞬間ではないがそう遠くない将来人生終了だよ、てなことになるので俺には頑張るという選択肢しかなかったわけだ。
あくまで俺の場合で、ソレを一般化するとかだからあんたもそう思えとか言うつもりは無い。
そもそも今振り返ってみてもそれが正しかったのかなんて分からない。もしかしたら1800年後くらいに掲示板なりで評価されるのだろうか?
何て、対して面白くもない話を終えたわけだが。
聞き手の仲謀様は何故か神妙な顔をしていて、そして。
「一つだけ聞きたいのだけれど。今の私は何を求められているのだと思う?」
などと問われた。
はて、一体どういう流れだろうか?
仲謀様の意図を理解しかねるし、質問されても困ったというのが正直なところ。
自分については責任を負うのも自分だ。よって後悔もするだろうし愚痴も言うだろうが決断をすることに迷いはない。……それ以前に死ぬほど迷いはするが。
だがしかし、他人に対して何か言えるほど俺は偉い、若しくは賢いのだろうか?
考えるまでもなく答えは両方ノーだ。
そういうのは頭のいい、公瑾さまとか伯言さま辺りに聞いた方がいい。
俺に出来るとすれば話を聞いて思ったことを口にする位だ。そして判断は各自でしてね。
「何かの役に立てている自信もない。ましてや、護衛までつけられる始末よ」
「いや、護衛が付くのはおかしくないと思いますけど」
むしろ付いていなかったら俺が進言する。
「お姉様は先陣をきってをるけど?」
…………何やってるんだ伯符さま。森さん家のDQNじゃないんですからリアル三国無双しないで下さい。そんなんだからうっかりで死ぬんです。
「それは、危ないですね」
「ええ。冥琳も嘆げていていたわ」
君主としては軽はずみな行動に眉をしかめると同時に、軍師という激務の傍ら主君のストッパーをも担っている公瑾さまに同情する。この思いはきっと仲謀様と共有できるもだ。
しかし伯符さまを庇うわけじゃないが今が命のかけ時ということもあるのだろう。安全な位置から指示を出すだけの王には下が着いてこないのだから。
「って、そうじゃなくて」
何となく綺麗にまとまりかけた空気が漂ったのだが、やはりと言うか仲謀様の当初の疑問については全く答えてはいなかった。
当然か、俺ごときで答えを出せるならこの人も今こうして悩んでいないだろうから。
「復興した呉を継ぐ立場にあるんですから、危険は可能な限り排除したいということなんでしょうけど」
あー、言ってておかしな事に気づいた。
皆そう言っているので流してきたのだが……。
「しかし普通は跡継ぎとして子供をたてると思うんですけどね」
俺の知る三国志で孫権が後を継いだのは、名前は忘れたが、孫策の長男が幼かった為だ。
病死のように死期を悟っているわけでもないのに何故妹に後を継がせようとするのだろう?
まだ伯符さまに子供がいないから暫定的な処置なのか……? それにしてはすでに決まっているような感じを受けるが。
「確かに私は雪蓮姉様の跡継ぎとしては……」
あ、へこんだ。
そういう意味で言ったのではないが、きっと考えが悪いほうに悪いほうに行くんだろうなぁ。何か凄く親近感を覚える。
史実ではどうだったか知らないが、少なくともこの世界の仲謀様は結構なマイナス思考だ。
この人の場合、ただ暗くなるのではなくそこから何らかの行動に移すという長所があるのだが、もっともその行動というものが自分の身を省みないことが多い、などと興覇さまが言っていた。
そう考えると短所でもあるのか。
「ま、まだ子供いないですし」
「代用品」
何て自嘲の笑みを浮かべorzとへこむ仲謀様。やはりこの人酔ってるな。
俺にどうしろと言うんだ。
「難しく考えなくても仲謀様には孫家の血という最終兵器があるんですから存在するだけで意味があるんじゃないですか?」
きっと、おそらく、多分ね。
投げやりに言った言葉は投げやりだけに、とても失礼な単語が含まれていた気がする。
何だろう、と考えながら極自然に右手が動いて杯を傾ける。そして空にした時には些細な事だと思考から掃き捨てた。
この辺りから両者の記憶は怪しくなっていく。
よって語り部たる諸葛子瑜がその役割を担えなくなったのでこの話はここで終わりだ。
ただ、後の諸葛子瑜は語る。
「あの時あの場に興覇さまがいたら今日の俺は存在していませんでした」
………………。
…………。
……。
そして次の日。
「不幸な出来事だったわ」
「そうですね……触れない事にしましょう、お互いに」
朝起きると凄まじい頭痛と吐き気に襲われ再び意識を失いかけた。
そして正気に戻った後、身なりを整え部屋をでるとバッタリと仲謀様に出くわしたのが先程。
同じように飲んでいた筈なのに何故この人はケロリとした顔をしているのだろう?
あぁ、ALDH2の差か。
「人間生きていれば色々と……あるものね」
「…………そうですね」
しみじみとした様子で二人そろって頷く。
つまりは隣の庭は青く見えるとかそういう事なのだろう。俺場合は軍師3人組であり、仲謀様の場合は伯符さまだ。
どちらも三国でトップレベルの青さだろう。
「大切な事は自分が何を出来るのか、か」
「そうなんでしょうね」
頭が痛いので俺の返事はたいていが「そうですね」に固定されている。
「今はまだ何を言われても仕方ないけど、お前には孫としてではなく私個人の力を認めさせてみせるわ」
「そうで…………俺、何か言いましたか?」
しかし、続く言葉は"たいてい"に分類してよいものではなく、俺へ向けられたじっとりした視線を考慮しても何かしら意図が見え隠れしていて。
この人が何の理由も無くこんなことを言うはずが無く、そう考えると俺がイランことを言った可能性がなきにしもあらず。
しかも昨夜の出来事に関してはところどころ記憶が抜け落ちているわけで……結論として俺が礼を失する発言をした可能性も極めて低いながら……あるのだ、が。
「ええ、私は孫家に生まれていなければ存在価値無いとか――」
「申し訳ありません」
極めて低いとか言ってる場合じゃねー!
とんでもない事言ってました。
穴を掘って埋めたい、数時間前の俺を埋めたい。
今の俺ならバイツァダストが使える気がする。
ダメだ俺、早く何とかしないと。
もしここで「お前が謝るまで殴るのをやめない!」などと言われようものなら、仲謀様の手を煩わせる間もなく鈴の音が聞こえてくるだろう。そしてまず喉を潰される。
つまり死亡フラグ。
そうなる前に何とか誤解、といっていいものか、を解かなくてはいけない。身命をとして!
俺は盛大に顔を引きつらせながらも、仮にも主である仲謀様を云々……と可能な限り低い位置から切々と述べた。
のだが、何故か話を聞いているうちに仲謀様の表情は怪訝な色を帯び始めて、
「……主と言うならお姉様じゃ?」
……ん?
「不思議そうな顔をされても困るのだけど」
それはこちらの台詞なんですが。
「いえ、私はあくまで仲謀様の部下です……よね?」
「え?」
え? とか言われても困る。
仕官したのは仲謀様であって、伯符さまはソレを認めただけだ。
よって今の俺の立場は呉の陪臣にあたる、と思っていたのだが。
「私が仕官したのは仲謀様ですから、伯符さまにとっては陪臣という立場ですし」
違ったのか……?
「いや、私よりも雪蓮姉様に仕えた方が……」
良いとか悪いとかそういう問題じゃなくて、今置かれている俺の立場的に主は仲謀様以外にありえない。
伯符さまには「蓮華に仕える? ふーん、いいんじゃないの」というような言葉しかもらっていないのだ。そんな事よりも髪切るな、などと軽く言われるほどだ。
ここで仲謀様に「でもそんなの関係ねー」とか言われたら凄く困った事になる。具体的に言うと職を失う。
「俺が仕えると言ったのは貴女であって他の誰でもありません」
だからこの人にはそこのところをしっかりと把握してもらわなくてはいけない。
「そ、そう」
何故か口ごもる仲謀様。
理解は出来る。
確かに不満はあるとは思いますよ。出来れば俺じゃなくて朱里とか雛里みたいなのなら良かった、とかね。
そうなったら同時期に周瑜、陸遜、諸葛亮、鳳統……どこのオールスターだよって感じだ。
でも仕方ないじゃないですか。その二人はあっという間に劉備さんにフィッシュされちゃったんですから。
むしろ餌のない針に食いついていきました。
「わかった……ということは、貴方、いやお前は私直属の部下ということ?」
「はい」
「……それじゃあ主として一つ」
「は、はい」
この流れで「だが断る」とか言うほどKYでも勇者でもない。
腹を切れとかそういう方向じゃないのなら何なりとおっしゃって下さい。
出来れば職の方も残してもらえると喜びます、主に俺が。
「真名をもらってもいいかしら?」
「――は?」
ソレは構わないのだが。
「そんな事でいいんですか?」
「真名をそんな事とは言わないわ」
確かにこの世界で真名は重要なもので、命にさえ関わってくることを考えるとおかしな話ではないのかもしれない。
「嫌なら例え主であっても断っても――」
「嫌なわけではありませんよ」
考えるまでも無くその言葉は口からこぼれた。
おかしな人生を歩んでいる俺だが、それでも「おぎゃー」と生まれた頃からこの世界にいる事は確かなのだ、真名の重要度は違和感はあるが理解はしている。
しかし、いやだから。
仲謀様に「朱羅」と呼ばれる場面を想像しても嫌な気持ちなど起こらない。
むしろ、真名は交換するものであって、そうすると自動的に俺も「蓮華様」と呼ぶ事になるのだから。
「光栄という気持ちの方が強いです」
「そ、そう」
何を思ったのか仲謀様は視線を俺から外して、上を向いたり下を向いたり……何かいるのだろうか?
俺としていて欲しくないのは間違いなく鈴の人だが、今出て来ないところから推測して、いないのだろう、いないといいなぁ。
疑心暗鬼に駆られて辺りを伺う俺に何を感じたのか、仲謀様は小さく笑った。
その笑顔は年相応のもので、しかし俺の知る限り城の中で見せたことはない種類のものだ。
だからだろうか、気付くと口が動いていた。
「"俺"としてもその方が利点が多いですし」
感覚的には水鏡先生と朱里……感謝と親しみの間だろうか。
あからさまに変化した俺に少し目を大きくして、驚きを表した後。
「そっちが素なの?」
蓮華様はやや憮然とした色を含んだ言葉を口にした。
「素というより半仕事形態? とでも言うんですかね」
軽口を行っているようで心臓はバクバクだ。流石に無礼討ちは無いと確信しているのだが。というか確信してなかったらこんなこと出来るわけねー。
「他に人がいないなら別に構わないわ。私としてもそっちの方が……」
「勿論その辺りは心得ていますよ」
「…………」
気のせいか蓮華様の言葉を遮ってしまった様な。そして何故か視線の温度が下がったような気がした。