「お初にお目にかかります伯符様。徐元直です」
「――孫伯符よ」
帰宅、そして現在元直をつれて伯符さま達の前。
「さて、さっそくだけど一つ質問するわ。今の大陸の状況をどう思っているか聞かせてくれないかしら?」
ようやく仕事も終わりと、やれやれだぜ的に脳内でため息をついた俺の目の前で、伯符さまが何やらのたまいはじめた。
あれ?
てっきりこのまま採用! と言う流れだと思っていたのだが。
少なくとも俺に限定すれば伯符様直々に問答のようなものを受けた記憶はないし、記録もない。
いや、伯符様がわざわざ会いに来ると言う時点でなにかおかしいとは思っていたのだが。
それは元直も同感であったようで、「聞いてないよ」という意味の視線を向けてきた。
しかしそんな事を言われても俺だって知らなかったのだ。故に「悪い、俺も知らない」と小さく首を振るしかない。
こういった仕草一つで意思疎通が出来るのは付き合いの長さからだが、すっと細められた青の瞳が言わんとする内容は出来れば理解したくなかった。
元直の表情から推測すると一食……いや昼と夜か?
まぁ、昔と違って今は定職者だ。そのくらい問題ない……と考えるのは徐元直という人物を過小評価している馬鹿だ。俺は違う。
奴は標的(えものとルビる)の限界と言うものを正確に把握し、ぎりぎりの線をいく。
故に俺の懐がダイエットに成功するのはもはや確定事項。できれば禁則事項にしたいのだが、それは未来人の専売特許なので涙を呑んで受け入れるしかない。…………あれ、何か忘れている気がする。
一瞬考え込んだ俺だが答えはすぐに出た。出たのだが「いや、俺は異世界人だろ」と一笑に付すことにした。
どこかで軍神様の性別が反転する事はあっても主要人物のほぼ全員がそうなるなんてことがあっていいはずが無い。
閑話休題。
すでに元直に二食分くらい奢ることが決定した。今俺するべきはその傷を可能な限り小さくする方法を模索する事で、これがよく訓練された元直の友人としての正しい姿だろう。
視線の交錯で約束の取り決めが行われ、伯符さまからの問いに答えるためか元直は一度瞳を閉じた。
「……あくまで孫呉という形式に拘るのでしたら、戦力の建て直しに関しては魏の方が有利であると考えています」
大陸の情勢と問われながらどうしてその話になるのかは分からないが、伯符さまの表情を見る限り正解らしい。なんというテレパシー。
「へぇ、理由を聞いてもいいかしら?」
「国と言うものへの考え方の違い、と言えばご理解いただけるかと」
その言葉だけで伯符さまは成る程、と頷く。
「確かに曹操ならある程度の危険を犯しても最短の道をいくでしょうね」
身分にとらわれない登用、領民への教育。
確かに国の利とはなるだろうが家を守る事には直結しない。
実際に史実で魏はのっとられている。まぁ、コレは直接的には関係ないのだが、それでもそうなる可能性は高まる。
時代を見極めて改革と保守のバランスをとることが重要なのだろう。
今の魏は呉に比べて改革の方にに大きく傾いている状態でソレが良いのか悪いのか、その判断をつけることが出来る者はこの時代に存在しないだろう。結局は残ったほうが正しかったとなるのだから。
「なるほど。良く分かったわ」
とはいっても、呉としては嬉しくない予想であることに変わりは無いのだが、伯符さまの顔色は思いのほか明るい。
「子瑜」
「はい?」
美女が笑顔を俺に向けてくれる。文にすると素晴らしいことなのだが、今現在の俺はどうして逃げたいなどと感じてしまうのだろう?
いやいやいや、今回に関しては逃げる必要など皆無……の筈。何と言っても徐庶を引き抜いてきたのだ。ほめられる事は会っても勘気をこうむる言われは無い。
などと気楽に構えていた俺は続く言葉に耳を疑う事となった。
「罰一つ。みんなに一食奢りなさい」
「わかりま……は?」
命令をオートで受領、しかけた俺だったが、話の内容が頭へ入った瞬間にシナプス細胞が待ったをかけた。
「こんな良い娘知ってて隠していたのだから当然よ。曹操は勿論劉備でさえ取られたくないわね」
いえ、実際は呉なんて選択肢に入る余地すらなかったんですよ? そう考えると徐元直を連れてきたのは諸葛子瑜最大のファインプレーだっんじゃ?
と言えたら良いのだが、言っても分かってもらえる可能性は限りなく低い。
よって、それ以外の方法を考えなくてはいけないのだが……正直なところ独力で伯符様に立ち向かうなどコンボイの謎のステージ9をクリアする以上に困難だ。
というわけで誰かに助けを仰ぐ事にしよう。
真っ先に視線を送った蓮華様は何がそんなに気になるのか、いやもちろん気にならない訳はないのだが、元直を見ているので俺の視線そのものに気づいていない!
明命、もダメだ。あの顔はすでに何を奢ってもらうかを考えている。猫とか言うなよ、愛でるのも食べるのも好きですとか言われたら返事に困る。
興覇さまは論外として…………亞莎! キミに決め――。
「なんですか? 嫌と言うつもりですか? まさかそんな事はありませんよね?」
「な、何かあったのか? 主に嫌なことが」
どこか普段と異なる事は早い段階で気がついていたのだが……真面目に何があった? 俺がいない間に。
「いえ、特に何も。ただ、報酬としては正統なものではないかと考えています」
そのゴミを見るような視線は眼が悪いからだろう。心なしかモノクルが新しい気がするのだが……きっと気のせいだ。
最後の砦として期待していた人物はすでにマーカーが赤に変わっていた。
こうなった以上、俺に出来る事があるとすればジュリアス・シーザーの有名な台詞を頭に思い浮かべながら、力なく首を縦に振ることくらいだ。
あ、一応褒美はもらいました。結局差し引きでマイナスになったけど。
空気の読めない人が数名……さすがに伯符さまも気まずそうだった。
………………。
…………。
……。
そして、主に俺の懐に、大きな傷跡を残した一幕の後、心の傷を癒すべく月を眺めようとしていた俺は。
「ん?」
「あ」
「おや?」
順に、俺、蓮華様、元直。
という感じで二人と遭遇した。
二人も今会ったばかりのようで、何かを話していたという雰囲気は無い。
俺と元直は手ぶらだが、蓮華様の手には酒瓶がぶら下げられている。……まだ飲み足りないんですか。
一瞬呆気にとられた俺だが、ややあって主の優しさに気づく。
この質と量の酒を先ほど頼まれたら俺のライフはゼロというかオーバーキルだった。
心の涙を流し、一人忠誠度を+10させている間に何となく3人で月を眺めなが、酒を飲む事になった。
………………。
…………。
……。
黙々と、その一言が綺麗に当てはまるほどに音のない世界でただアルコールを摂取する行為だけが休むことなく行われている。
3人集まったが、俺の知る限りその全員が率先して喋るタイプではない。
よって、ただ黙々と酒を飲む事になるのはもはや自然の成り行きで、その事について今更どうこう言うつもりもない。
俺としても沈黙に耐えられない、などと軟弱な事を言うつもりはないしなにより……喋りづらいというのが正直なところだ。
そもそもこの二人に共通している話題と言うものが無い。私塾での話し、呉に来てからの話そのどちらも片側としか共有できない。
よって、このままお開きになるまで3点リーダを作り続けるのかと思ったところで。
「少しいいかしら?」
以外にも始めに口を開いたのは蓮華様だった。しかもその矛先は俺ではなく元直という。
「はい」
怪訝に思った俺だが、元直は意外そうな表情を浮かべることなく、むしろ当たり前という感じで応答する。
このあたりは予想していたのか、お得意のポーカーフェイスなのか。動物愛護団体が文句を言いそうな猫と同様、今の俺に知るすべは無い。
「個人的な酒の場なのだから、そんなに畏まらなくてもいいのだけど」
「そうですか、それでは」
と、元直の口調から少し、硬さが取れる。
最もある程度の緊張感は保っているようで、いくら上から無礼講だと言われたところで礼儀を欠いてよいという理由にはならないのだ。
どちらも多く話す方では無いと言ったことに間違いは無いが、決して他者との会話を疎んでいるわけでもなく、むしろ筋の通った話ならば文句を言うことなく聞きに回るという共通点もある。
まぁ、片方は頭に血が上るとそのままGOしちゃうのだが(Kさま談)。あえてどちらとは言わない。
なんてことを考えているうちに、簡単な自己紹介から始まった二人の話は私塾での出来事へ移っていった。
「朱羅は私塾ではどういう生徒だったの?」
そんな中、特に理由は無いのだろう。というか蓮華様の方からふる話題と言えばその位しかないのだから予測すべきだった。
このあたりは俺の落ち度といってしまえるのだが、今は置いといて。
この質問、ひどくよろしくない。
色々とはっちゃけていた私塾時代をさらされるのは可能な限り避けたい。昔はヤンチャしてました、で済む話ではないのだ。
「私塾での子瑜ですか? そうですね……」
あいも変わらずポーカーフェイスで答える元直。
当たり障りの無い内容で頼む、と元直に視線を向けた俺だが……おい、何故目をそらす?
「待て、何を言うつもりだ?」
元直の態度に不穏な空気を覚え、思い過ごしならいいなぁ、と希望的観測を胸に小声で問い掛けてみる。
「何って……色々と。今思い起こしてみると中々に波乱万丈だったじゃないか、キミは」
「だからって陰口みたいに過去の話を穿り返す事は無いだろう」
そこには忘れたい話があって、きっとすでに忘れている(封印した)話もあるのだ。なんていうか、病んでたからなぁ色々と。
「子瑜、確かに人の陰口を叩くと言う行為は恥ずべきものだよ」
「だよな!」
「でも今僕達は君の目の前で論じているのだから何ら気兼ねする事はないね」
えー。
「それもそうね」
隣で蓮華様が大きく頷いている。
一瞬突っ込みかけた、が鋼の自制心で思いとどまる事に成功する。
ここは突っ込みの達人ならば例え主で会っても突っ込む場面なのだろうか? だとしても俺は達人とまで呼ばれる領域には到達していないし、これからも到達する予定も無い。
さらに言えば到達したくも無い。
「じゃ、じゃあ……私は明日の職務に差し支えますのでこのあたりで失礼――」
「確かにキミがいなくなれば前提条件が崩れるね」
しかしそんな事は予測済みだ、とでも言うように元直は意味ありげな笑みを浮かべると。
「ところで仲謀様……」
今度は元直が蓮華様になにやら耳打ちをした。正直いやな予感しかしない。
「朱羅」
「は、はい?」
聞いちゃダメだ聞いちゃダメだ聞いちゃダメだ。
が、無視するわけにはいかない。
残念な事に、俺には話を聞かずにかつ無視はしないという難問を解くことが出来なかった。現実は無情である。
「命令よ、酌をしなさい」
「……わかりました」
だが断る。
その一言を言えたスタンド使いに心から敬意を表そう。
感嘆符をつけずに、つまり強調するでもなく自然にこの言葉が出るためにはどれだけの精神修行を重ねればよいのか分からない。コレをもって黄金の精神というのだろうか?
そんなものがあれば人生もっと余裕を持って生きられるのだろうなぁ。
などという現実逃避をこのまま続けたい誘惑にかられているのだが、そろそろ何らかの手段を講じなければ、手遅れになる。
手遅れになったらすでに打つ手が無いのは当たり前で、つまり可能性を少しでも残すためにはここで動かなくてはいけないのだ。
「元直、分かっているとは思うが」
さすがに笑えない話は止めて欲しい、と一口釘を刺そうとした俺だが。
「朱羅」
「…………はい」
言い終わる前に蓮華様から待ったの声。
適度に出来る部下を目指す俺はその内に潜む意思……「少し黙ってろ」というサインを的確に見抜き、見抜いてしまったので返事を返す以外の手段を封じられた。
だが、今のだけでも俺の言わんとすることは元直も理解したはずだ!
不安要素を挙げるとすれば理解する事と実際にソレを行動に移す事には天と地ほどの差があるという事。
そして、徐元直という人物について考えてみると、奴は全てを理解した上で……ヤル奴だ。
「年端の逝かない少女相手にあらゆる手段を用いて弱みを握り、さらに僕の見た時は股の間に頭を突っ込んでましたね」
肩車ですね、わかります。そして発した言葉の前と後ろに繋がりは無い。
弱みといっても、今思えばその過程で幼い女の子を対象とするにはどうかと首を傾げなくはない手法を用いたとは言え、菓子を対象とした賭けに勝っただけだし、肩車は木の上から降りられなくなった猫を救出するためだ。
そんな事は当然蓮華様も分かっているだろう、視線の温度が下がって気もするが気のせいだ。
「その上私塾では女装している事をいいことに女性の着替えを堂々と鑑賞していました」
あれは……何と言うか。コレについては責められて然るべき、かもしれない。しかし堂々とは見てないぞ。
「朱羅、本当なの?」
「はい」
思わずうなずいてしまった。その後で気づく。
しまった……このタイミングだと全てについて肯定したことになってないか?
「あなた…………」
「ち、違っ! 元直が勝手に」
などと手を横に振って否定しては見るが蓮華様の表情を見るに時すでに遅し。むしこのタイミングで取り繕おうとすればするほどドツボにはまっていきそうだ。
こういう時こそ落ち着付かなくてはいけない。
そう考えて素数を数え始めた俺は、声が漏れない程度にのどを震わせている元直を見て気づく。
ワザとかこのやろう。
コレを予測して最後に俺が罪悪感を持っている話を持ってきやがったな。綺麗に引っかかる俺も俺だが。
もっとも、元直が知っているであろう俺の話全てを考えれば、話す内容を選んではくれたのだろう。だが、今の話だけではコレまで築き上げてきた俺のイメージが崩れ去り、ただの変態として扱われかねない。
……757、761、769……。
ここで一番いけないのは何とかしようと焦るあまりにろくに考えもせず反論する事。
何しろ相手は元直だ、下手な攻撃は確実にカウンターできって捨てられる。そして事態はさらに悪化する。
……2399、2411……。
となると、元直をしても反論する事が出来ないレベルの反論が必要になる。そんなものがこの世に存在するのか?
この一点を考えるため素数を数えて、今一度頭を冷やそうとした俺は9973を数えたあたりで色々と手遅れである事に気づいた。
………………。
…………。
……。
そこから先は正直思い出したくない。かつて無いほどに胃にダメージを受けた酒宴は続き、非生産的な時間が流れていく。唯一収穫と呼べるものがあるとすれば蓮華様と元直の間に妙な連帯感が生まれていた事だろうか。
ソレが俺にとってどう関係してくるのかは今のところ不明だし、正直酒に逃げた今の俺には考える余裕が無い。
そんな訳で、今俺に出来る事は明日が今日よりも良い日であらん事を祈るのみだったりする。