■奇妙な夢・本編
奇妙な夢を見た。
――と書くと、間違いなく何かのパクリとなるだろうが、本当に奇妙な夢だったので仕方がない。
何しろ俺の夢にしてはやたらとストイックだったから。
裸のお姉さまが大量登場する夢とか、女の修羅場に逝る(誤字にあらず)夢とか、そういう話なら俺らしいと言えるが……。
で、どんな夢かというと、それはしんしんと雪の降る空の下で、ボーと突っ立っている自分に気付く場面から始まった。
流石に夢にしてもそれだけじゃ何だなと思った俺は、目の前にあった古い教会に入った。どうしてそんな事をしたかと言われれば、夢だからとしか言いようがない。
古い樫の高い扉を過ぎると、そこは聖堂だった。
その光景は唐巣神父の教会とほぼ同じだった。よく覚えてはいないけれど、少なくとも空気は同じだった。
何となしに奥へと進んだ俺は十字架の前に一人の人物がいる事に気付く。
その人はフードを深く被り、床にひざまずいて祈りを捧げていた。
その人は祈りを終えて立ち上がった所で俺に気付いた。
その人は俺の前に近付きながら、フードをめくった。
その人に俺は――。
「なんやー。せっかくの夢だから、美人なシスターさまがいて、あーんな事をしてくれたり、こーんな展開となれば良かったのに」
と、言ってしまう。
流石にシリアス空気に耐え切れなかったので。
これが現実なら即効でシバかれた筈だ。それでもって簀巻きにされて外に放置されて雪に埋もれるデッドエンド――あるいは唐巣神父なら自■隊から入手した対空ミサイルを撃っていたかもしれない。
だが、奇妙な夢の展開は違っていた。
「なるほど、夢か」
「―――はいッ?」
フードを外した男は俺の言葉に納得したのだ。それはもうあっさりと。
来るべきツッコミが来ないのに戸惑う俺。
まさか彼が現実の存在で、俺が夢の存在というオチ!?
恐ろしい予感さえも覚えてガタガタ震えだしたい俺だが、男の独り言でやや正気に返る。
「道理で誰もいないのに変だと思えない訳だ。夢であれば当然か」
「えーと、あの、とりあえず、貴方は?」
「私か? 君は私を知ら……。いや、私はこの修道院の見習い僧だが」
男は自分の名を言わなかった。
夢の登場人物だけあって細かい設定ができていないのか?
彼は返事に続けて、俺の名前を訊いてきた。
名乗る俺。男はさらに問いかける。
「それで、君は何を懺悔するべく此処に来たのか?」
「ざッ、懺悔?」
俺の行動パターンからは光年単位でかけ離れている行為を言われ、吃驚してしまう。
男は静かに笑った。
「懺悔をする必要がないのなら、わざわざこの夢に出ては来ないだろう。何か言いたい事がある筈だ。それが私に対しての言葉ではなくとも」
「いっ、いや、そんな事を急に言われたって」
「話せる事を思いつかないかな? 私には、君が何か大切な人を失った様に見えたのだが」
「――――!」
「どうか怒らないで欲しい。ただ、どうしてか、そう思ったのだ」
思ったって……そう言い返そうになる俺だが、彼を見て納得した。
彼の目は落ち窪んでいた。彼の体は健康で丈夫そのものだったが、俺には飢え渇き散々に打ち据えられ疲れ果てた罪人の様に見えた。
それで俺も分かった。彼は自分を責めなければならない過去と罪を抱えていると。
だからこそ、彼は俺に共感を、あるいはそれと同類の何かを感じたのだ。
「……いきなり初対面の相手に話をしろと言われても難しいか? なら、先に私から話をしよう」
「いや、俺の話を聞いて下さい」
「――分かった。では適当な場所に座って欲しい」
彼は頷き、椅子を勧めた。俺はその言葉に従って手近なベンチに腰掛けた。
男は通路を挟んで反対側のベンチに座った。ちょうど通路越しに向かい合えるように。
それは教会のしきたりとは違うけど、俺が話しやすいようにと考えての行動なのだろう。
俺は話を始め、男は耳を傾ける。
彼は既にアシュタロス事件の全貌を知っていた。
だから俺が何を話せば良いかはすぐに分かった。
それは二つだけだ。
俺の所為でルシオラが死んだ事、彼女を生き返らせる機会を俺が潰した事。
それだけだ。
最後まで話した俺は、あの日、美神さんに言ったのと同じ言葉で締めくくった。
「俺は口ではホレたのなんのと言って、最後は見殺しにしてしまったんだ!」
声はあの時と同じく、叫びになっていた。
俺の周りの皆はそんな事はないと言ってくれる。美神さんも、おキヌちゃんも、それ以外の誰かも。
だが、俺は何度その言葉を聞いてもそれを受け入れる事はできなかった。いや、受け入れたくなかった。
暫くの静寂の後、男は口を開いた。
「それが君を苦しめている原因なのか?」
「――ああ」
当たり前な事を訊かれ、俺は怒りたくなる。
だが、彼の表情にはからかう気配などなかった。
だから俺はただ肯定した。
そんな俺を男は真直ぐに見つつ、口を開いた。
「ならば、今のまま苦しみなさい。どこまでも深く苦しみなさい」
「―――え?」
それは今まで一度も言われなかった言葉だった。
「その苦しみこそ、貴方が彼女を本当に愛していた証拠なのだから」
「―――ええッ!?」
今まで誰にも言われなかった言葉だった。
それに戸惑う俺に、男は告げる。
「君が彼女を愛していなかったのなら、彼女を助けられなかった事で苦しみはしない。苦しむ道理がない。君か全く知らぬ誰かが死んだとして、それを聞いた君は悲しめるか? 今、涙を流しているほどに悲しめるのか?」
俺は応えられない。
「本気で彼女を愛したからこそ、君は彼女を失った事に苦しむのだ」
「……………」
何も言えない俺。
彼の言葉は真実だったから。
「君は彼女を愛していたのだ。そして今も愛している」
「本当に? 俺には女の子を愛する資格なんか――」
「資格はある。彼女が保証している。私も保証しよう」
「……俺は本当に『俺』で良いのか?」
「当然だ。そんな君を彼女は愛したのだから」
男は頷き、それまでの沈痛な表情を消し、微かに優しく微笑んだ。
彼は何か辛い過去を抱えている。俺と何かが似ている過去を。
そんな彼が俺を肯定していた。
“俺は…やっぱ俺らしくしてなきゃな”
それで良いと、彼は言ってくれた。
ルシオラだけではない。俺と出会って半日も経っていない人も言ってくれた。
だから俺は俺らしくあるべく訊ねる。
「じゃ、じゃあ、俺が今まで通りにハーレム作りに励んだとしても?」
「…………」
流石に絶句する男。
怒り出すかと思ったが、その予想とは逆に彼は低く笑い出した。
「それで良い。君は君でいれば良い」
「あの……ハーレム発言に起こらないのですか?」
「問題ない。君にハーレムが作れるとは思えないからな」
「それは……酷い……コメントや」
「いや、君に魅力がないという意味では無い。君ならハーレムを作れても、作りはしないと見通しての言葉だ。当たっているかは自信ないけれど」
……作れても作りはしない?
作る気があっても作れない、の間違いじゃないのか?
クイズの様な表現をされて訳が分からなくなる俺。そんな俺を見て、男は更に笑った。
と、彼の表情が驚愕へと一変する。
その理由は俺もすぐに分かる。俺の体が透明になりつつあるからだ。
どうやら夢から醒める時が来たらしい。
待ってくれ。男はそう言って俺の肩を掴んだ。
その掌は人のモノでありながらも鉄の固さがあった。
「まだ言わなければならない事がある。聞いて欲しい」
「何を―――?」
彼は言った。
君のその苦しみを表に出すのは、本当に必要な時だけ、そうするべき時のみ、あるいは誰かに話しておくべき時だけにしなさい。
そうしないと君の苦しみは簡単に自己陶酔へと変わってしまうから。
それと――。
その最後の言葉を聞けぬまま、俺は夢から醒めるのだった。
それから数日後、ルシオラの復活は不可能との結論が出た。
必要な霊体が僅かに足りないと。
パピリオからの手紙を読んだ後、俺は嘆き、おキヌちゃんに心配をかけるが、泣き叫びはしなかった。
美神さんからルシオラが俺の娘として転生する可能性を聞いた時も、驚愕し呆然としても泣き叫ばなかった。
俺は泣き叫ぶことはなく、ただ心の何処かから聞こえた彼女の声を受け止める。
ルシオラの声をもってしても俺のこの苦しみは消えない。
ルシオラは俺が苦しむのを望んでいない。だが俺は、いや、『だからこそ』だ。
だからこそ俺は――、
「俺……悲しむのやめにします…!」
――密かに静かに穏やかに、この苦しみを抱いて生きていこう。
それが俺、横島忠夫の在り方と為るように。