山の向こうへ殆ど隠れてしまった夕陽によって半ばまで黒く染め上げられた帰り道を、明日菜はネギと一緒に歩いていた。気温の推移が登り坂に入り始めたとはいえ二月の北風はやはり寒く、二人は着込んだコートの下で小さく身を震わせながら、白い息をのんびり追い掛けている。少しばかり時間を外しているからか、周囲に他の人影は無く、静かな並木道に響くのは彼らの声だけだった。
「にしても驚いたわ、アンタを迎えに行ったらなんか夕映ちゃんまでいるし、本屋ちゃんは階段から落ちるし。流石に心臓が止まるかと思ったわよ」
「えぇ。僕もあの時は無我夢中でしたけど、後から考えてみるとホントにギリギリで……」
「まったくよ。夕映ちゃんは気絶までしちゃうし。ま、みんな怪我は無いようだったからよかったけどね」
肩を竦めた明日菜は、徐々に夜の色に染まっていく空を仰ぎ見る。予定よりも遅い時間になってしまったが、まだ大丈夫だろうと彼女は頭の中で独り言ちた。いや、寧ろ丁度いいくらいの時間かもしれない、とも。
あの後、何時の間にか倒れていた夕映を明日菜が背負い、落ちていた本はネギとのどかで分担して持つという形を取って四人は保健室へと向かった。当然だが夕映だけでなくのどかの診察を兼ねてもいる。幸いにして二人とも大した怪我は無く、少し待てば夕映の意識も回復するだろうとの事だった。
よかったと胸を撫で下ろした明日菜だが、此処で困ったのも彼女だ。
今日は木乃香に早く帰るよう頼まれていたのに、これでは予定が狂ってしまう。そもそもネギをあんな場所で待たせていたのも、他の生徒達に煩わされない為なのだ。かといって夕映達を放っておいてネギと帰る訳にもいかず、どうしようかと頭を悩ませていた明日菜を救ったのは、のどかが呼んだという一人の女性だった。
近衛 洸(このえ ほのか)。大学部の先輩であり、木乃香の従姉妹でもある彼女を、明日菜はよく知っている。直接対面した回数はそれほど多いとも言えないのだが、親友と、恋愛相談者からの繋がりで情報だけは色々と持っていた。彼女なら安心だとその場は任せ、こうして今、明日菜はネギと共に帰路へついている。
そんな、つい先程までの事を思い返しながら、最後に明日菜はのどかを助けた時まで意識を遡らせた。
(ホントに大変だったというか……)
あの時は確か、ネギに声を掛ける直前だったのだ。帰宅の準備を終わらせ、歓迎会として美味しい日本料理を作るのだと言った木乃香の頼み通りに遅らせた待ち合わせ時間を前に、明日菜はネギが待っているだろう場所へと向かったのである。
予想外だったのは、待ち合わせ場所にネギだけでなく夕映も居た事だ。
夕映は変に騒いだりするような人物ではないと理解しているけれど、だからといってネギと一緒に住むのだと素直に話すのは躊躇われた。どうやって話を切り出そうかと考えながら近寄ってみると、何やら二人して明後日の方向を心配そうに見詰めていたのだ。
何があるのかと思えば、明日菜が利用したのとはまた別の階段を降りているクラスメイトが居た。あまり親しくないとはいえ、夕映の親友である事からそれなりに知った仲である少女だ。その彼女が腕に抱える大量の本を見て危ないなと考えながら、二人に声を掛けようとしたその時、のどかは転落したのである。
そして――――――。
「ところでさぁ、ネギ」
何気無く、普段通りの調子で明日菜は話を切り出した。
「なんですか?」
ネギも、いつも通り気負い無く返事をする。
「アンタは――――――『魔法』って信じる?」
明日菜がそんな言葉を思いついた理由は、本人ですらよく理解出来ていなかった。
ただ、あの時。のどかが宙に浮いた時。傍に居た明日菜は風を感じていた。不自然な、のどかを包み込むように渦巻いた風に驚きを感じながら、それでも彼女は走っていた。同時に、彼女は”見て”、”聞いて”いる。ソレがなんであるのかなんて明日菜には皆目見当もつかなかった訳だが、足りない頭で色々と考えた結果、何故か頭の中でスッキリと填まったのが『魔法』という言葉だった。
こうして口にしてみると、余計にその感覚が強まったように思える。自然と唇から言葉が漏れて、音となって耳に響いてから頭の中で理解するような、そんな不思議な感じがしている。
「は、はい? えっと、その……なんですか、アスナさん? そんな魔法だなんて、馬鹿みたいな話あるわけがないじゃないですか。本の中だけですよ、魔法つか――――――」
「あの時さ」
ネギの言葉を遮るように、明日菜は重ねる。
「アンタ、何故か変な棒を取り出したわよね? 銀色で三十センチくらいのヤツ。アンタはその所為で私に抜かされた」
奇妙なまでの確信と、異様なまでの落ち着きが、明日菜の中にあった。
喋っている本人ですら理解出来ない何かが、胸の裡で渦巻いているように思えてならない。だが、そんな事は明日菜にとってはどうでもいい。よくないのかもしれないが、今の彼女には気にしている余裕が無かった。
冷静な声音とは裏腹に、先程から心臓が倍速で鼓動を打ち続けている。イヤな予感があった。何が悪いのかも理解出来ないが、とにかく手に汗が滲んで止まらなくなるような、そんな感覚が背筋を這い上がってきている。
「それに言ったわよね、”風よ”って。あの時たしかに、アンタは言った。どこの言葉なのかもわかんなかったけどさ、意味はなんとなく理解できたのよ。そのお陰で本屋ちゃんが助かったっていうのも」
「あ、あぅ……その…………」
「ねぇ、ネギ。教えなさいよ。アンタは魔法使いなの?」
尋ねたい事がある。知りたい事がある。興味から出たものなのか、好意から出たものなのかも明日菜には分からないけれど、まずはその答えが聞きたかった。考えるのは後からだと、勝手に結論付けている。
「――――――――高畑先生は、その事に関係しているの?」
ただ、何故だか無性に泣きたいと、明日菜は心の中で深く静かに思っていた。
――――第三話――――――――
「――――――以上が初日の報告になります」
簡潔な言葉で締められた報告に、近右衛門は鷹揚に頷く。
夜の帳の下で、静寂に支配された学園長室に居るのは二人の人物だった。オークの執務机に座り流れ作業で書類に判子を押していく、この部屋の主である近右衛門と、その彼の前で書類を持って直立している洸だ。
報告を終えて口を噤んだ洸は、黒色の瞳で仕事に勤しむ近右衛門の姿を見詰めながら、ジッとその言葉を待っている。微動だにせず、口出しもしない。やがて、紙の擦れる音が二十回ほどもした頃だろうか。それまで黙って書類と向かい合っていた近右衛門が顔を上げ、洸と真正面から向かい合った。
「…………流石は”ナギ”の息子といったところかの。まさか初日から魔法をバラしてしまうとはな」
「宮崎 のどか、綾瀬 夕映の両名に関しては既に意識操作を完了しています。事故そのものを忘れる事はありませんが、不自然に思う事は無いでしょう。ですが先程の報告にありましたように――――――」
「アスナちゃんの事じゃな」
はい、と洸は肯定する。
「神楽坂 明日菜については現状で意識操作・記憶処理共に施す事は困難と判断し保留としました。その結果、彼女はネギ=スプリングフィールドから魔法社会の情報を引き出す事となりましたが」
「いや、それでかまわんよ。お主もそう思ったからこそ、止めに入らなかったんじゃろ?」
「………………」
「ワシとてそういった事を期待しておらんかった訳ではない。でなければ一緒の部屋になどせんしの。まぁ、初日からというのは想定外じゃったが。ふむ…………タカミチ君には悪いが、これもまた運命なのかもしれんのう」
「私では判断しかねます」
少し硬い声で短く返した洸に対し、近右衛門は大らかな笑みでもって返す。歳を重ねた者だけが出来る柔らかくも威厳のある表情だった。洸にとっては見慣れたもので、だからこそ込められた意思を汲み取るのは容易い。
思わず緩み掛けた頬を、彼女はなんとか堪えた。
「言い訳にしていい言葉ではなかったの。まぁ、結局はワシにもわからんという事じゃ。正しい道がわかる者などおらんのじゃ、それが魔法使いであってもの。何時だって誰だって不安が付き纏う。だからこそ後ろを向き、過去を学び、そうして前へと進む勇気を得る」
「…………亀の甲より年の劫、という訳ですか」
「うむ。自らの経験は何より貴重な財産じゃ。振り返らず、前ばかりを見て成功出来る者などそうそうおらん。やる前から成功が決まっておる者はもっとおらん」
じゃから、と。
近右衛門は眉に隠された目を優しげに細めながら、
「この結果が失敗じゃったとしても、後悔する必要は無い。ただ、今日の選択があったという事を忘れなければよい。忘れずに、反省に活かせるならば更によい」
温かな、祖父としての声音で告げた。
「それにの。もしも責任を取る必要があるなら、それはこの老骨の役目じゃろうて」
洸は、返事をしなかった。黙したまま近右衛門を強い眼差しで見詰めて、それから、静かに頭を下げる。そのまま彼女は顔を上げる事無く、自らの職務終了と退室を告げた。濡れた感じのある、微かに震えた声だった。
「――――――では、報告が終わりましたので失礼させていただきます」
「あいわかった。遅くまでご苦労じゃったな」
真っ直ぐに背筋を伸ばして歩き去る洸の背中を眺めていた近右衛門は、思い出したように声を漏らした。
「おぉ、そうじゃ」
ピタリと、まるで機械のように洸が立ち止まる。
「いい茶菓子が手に入ったんじゃよ。どうじゃ、今度食べにこんか?」
「………………」
直立したまま何かを考え込むように黙っていた洸は、やがて、十秒ほど経ってから振り向いた。
その顔には先程までの硬い様子は無く、孫娘としての素直な表情が浮かんでいる。
「それじゃあ今度、エヴァと一緒に将棋でも打ちに来るよ。楽しみにしててね」
「ワシとしては恋人の一人でも紹介して欲しいんじゃがのう。ほれ、いい縁談話がこんなにも――――」
そう言って執務机の引き出しから見合い写真の束を取り出す近右衛門に構わず、洸は扉の方へと足を進めた。勿論、後ろの方で色々と話している近右衛門の言葉なんて聞いてない。静かにノブを捻り、音を立てずに扉を開いた洸は、退室する直前、扉の隙間から顔だけをヒョコリと出して、
「ごめんね、お爺様。私が好きなのは女の子だから」
未だ見合い写真を広げて何某かを喋っている近右衛門の反応も待たずに、音を立てて扉を閉める。後には呆然と扉を見詰める近右衛門と、そんな彼を見詰める写真の中の男達だけが残された。
「………………まったく。アレさえなければワシも安心できるんじゃがなぁ」
心底疲れたといった様子の呟きが、窓の外の闇へと吸い込まれていった。
◆
まだ日も昇り切らないような早朝の、澄んだ冷たい空気の中を、ネギと明日菜が並んで走っていた。明日菜はジャージの上着を、ネギはダッフルコートを、共に服の上から羽織っている。また明日菜の肩には鞄が掛けてあり、そこから顔を覗かせる新聞を次々とポストに挿し込みながら、彼らは人影の見当たらない住宅街を駆けていく。
一つ、愛用の靴が音を鳴らす度。一つ、口から白い息を吐き出していく。そろそろ走り始めてから三十分が経とうかという頃だが、互いの呼吸に乱れは無く、明日菜は魔法使いだというネギの凄さを認識していた。
「――――――それで、アンタはその『修業』の一環で教師をやってんの?」
「その通りです。魔法学校の卒業生は、卒業証書に浮かび上がった『修業』をこなさいと一人前とは認められません。進路を決めるのも修業中か、修業が終わってからという人が多いですね。進路が決まればそれに合った魔法を覚えていくんですけど、その師匠も修業先で斡旋してくれますし」
今は、明日菜の日課である新聞配達のバイト中だった。
「なんでそんな面倒臭い事をやるのよ?」
「簡単に言えば社会勉強です。僕みたいな魔法使いの村でしか暮らした事のない見習い魔法使いって結構多いんですよ。ですからそんな新人をいきなり現場に出したら大変だっていう考えがあって、まずは魔法使いの管理が行き届いた場所で働かせるんです。そこで魔法を使う場面とか、加減とかを学ぶ訳です」
明日菜と比べて短い間隔で息を吐き出しながら、ネギが答える。
「僕くらいの年齢で卒業するのもそれが理由でして、大した魔法が使えない内に一般社会を経験させたり、実際に働いている魔法使いを見せて早くから進路を考えさせるのが目的です。魔法使いの仕事と言っても色々あるので、魔法学校で全部を教えていたら何年あっても足りませんからね」
「だからアンタは、魔法使いが一杯居るウチの学園にやってきた、と」
「はい。まぁ、僕みたいなヒヨッコは進路を考えるよりも先に、魔法がバレないように生活する方法を学ぶのが第一なんですけどね」
そう言ったネギは、苦い笑みを浮かべていた。自分の現状について考えているのだろうと、彼が何を考えているのかはおおよそ見当がついた明日菜だったが、あえてそれに触れる事はしない。
結局、昨夜の明日菜が知る事が出来たのは、ネギもタカミチも魔法使いであるという事だけだった。それ以上の事は、混乱が渦巻いていた明日菜の頭では質問する気になれなかったのだ。以降は言葉を交わさず、寮に帰ってからも普段通りに過ごす元気が無かった明日菜は、夕食を食べた後は早々に布団へ潜り込んだ。
ただ、一晩経って朝起きた時に、彼女は異様なほど落ち着いた自分に気付いた。昨晩は色々と考え過ぎて、頭痛を感じるくらいグチャグチャになっていた思考が、何故かスッキリしていたのである。理由は分かるような分からないような、実に奇妙な感覚ではあったが、自然な様子で明日菜は寝ていたネギを叩き起していた。
(魔法使い、かぁ)
今、こうして走っていて、ネギに質問をしていて、そんな自分が何を考えているのかは、明日菜自身よく理解出来ていない。それでもやはり、知りたいという欲求だけは確実に存在している。
「ふ~ん、なるほどね。てことはさ、やっぱり学園長も魔法使い?」
「そのはずです」
「…………おじいちゃんも魔法使いなのかぁ。何年もお世話になってるんだけどなー」
通り過ぎた家のポストに新聞を挿し込みながら、感慨深げに明日菜が呟く。その内容に、ネギが首を傾げた。
「おじいちゃん、ですか?」
「そ、おじいちゃん。滅多に呼ばないけどね。私って両親がいないからさ、小学生の頃からずっとこの学園で育てて貰ってるの。学園長には一杯お金を出して貰ってるし、高畑先生にも色々と面倒見て貰ったしね」
両親の事は、今では顔どころか名前すら覚えていない。近右衛門に尋ねた事すらない。自分でも随分と薄情な娘だとは思っているが、それほどまでに明日菜はこの学園での生活を気に入っているのだ。
親友が出来て、悪友が出来て、好きな人も出来た。毎日が騒がしくも楽しくて、充実していて、記憶の片隅にすら残っていない両親の事で、その空気を壊したくはないのだ。
(ああ、でも…………)
もしかしたら、両親は魔法使いだったのかもしれない。魔法使いだったから、娘の明日菜を、近右衛門が引き取ってくれたのかもしれない。昨日から胸の裡で疼く奇妙な感覚は、もしかしたら既に自分が魔法使いを知っていたからかもしれないと、そんな事を、明日菜はふと考えた。
馬鹿馬鹿しい推理だ。けれど否定が出来ないくらいに、今の状況も馬鹿馬鹿しい。
(それに、ね)
実は魔法使いの関係者でした、というなら明日菜的には嬉しい。
魔法使いだと聞いてしまったからか、漠然と高畑先生が遠くに行ってしまったような気がして寂しいのだ。別に隣を走っているネギを見た所でそんなものは感じないのだが、やはり身近な人の知らない一面という事が大きいのだろうか。それとも、今までも困難に感じていた道のりに新たな壁の存在が見えたからだろうか。
勿論、その程度で諦める明日菜ではないのだけれど。
「…………アスナさんは、寂しく思った事はないんですか?」
「ん? なにを?」
「その、両親が居ない事を」
どこか申し訳なさそうに続けたネギの言葉に、明日菜は一瞬だけ目を丸くして、
「アハハ! ないないっ!! 私ってば両親の顔も覚えてないもん。それに学園長達だけじゃなくて、友達も一杯いたしね。このかとか、認めたくはないけどいいんちょとかさ」
軽く笑い飛ばした。
「ま、そんな訳だから学園長にはお世話になってるの。このバイトだって、学費くらいは自分で払おうと思って始めたんだから。学園長は気にしなくてもいい、て言ってくれてるんだけどね」
「…………凄いんですね、アスナさんは」
「そうでもないわよ。ウチの学園だと中学でも奨学金あるからさ、本当ならソレが貰えるくらい勉強を頑張って、将来返せばいいんだけど、私ってばソッチの方はからっきしだからね」
「――――ッ。そんな事ありませんよ! 本当に立派だと思います!!」
「わ、わっ」
鶏に代わって辺りの住民を根こそぎ起こしてしまうんじゃないか、なんて馬鹿な事を考えてしまうくらいネギの声は大きくて、思わず明日菜は立ち止まってしまった。それに合わせてネギも足を止めて、自然、二人は向かい合う形で立ち尽くしてしまう。
ネギの視線は真っ直ぐに明日菜を見上げており、ただそれだけで先の言葉に込められた気持ちが伝わってきそうだった。子供故の純真さからか、ネギ個人の性格によるものなのかは分からない。ただ、運動の所為だけではない頬の火照りは本物だろうなと、我が事ながらに明日菜は思った。
赤くなった頬を指で掻きながら、彼女は困ったように口を開く。
「…………なんていうか、照れるわね。そうマジになって言われると」
口に出す事で余計に意識してしまったのか、耳まで赤くした明日菜は、そんな自分に耐えられないといった様子で大きく首を振った。
「――――――あぁもうっ! とにかく新聞配達続けるわよ! 大体、今はアンタの事情を聞く時間でしょうが!! なんで私の自分語りなんかになっちゃってんのよ!! この馬鹿ネギ!」
「えぇっ!? アスナさんが勝手に話し始めたんじゃないですか!」
「うっさい黙れ! チャッチャと走る!! チャッチャと喋る!!」
「なんか言ってる事が無茶苦茶ですよっ!?」
先程までの倍以上の速度で住宅街を走り抜けていった二人は、結局、満足に話も出来ないまま新聞配達を終えて寮へと帰るのだった。
◆
昼休憩の鐘が鳴ってからもうすぐ三十分が経とうかという時間帯に、夕映は学園校舎を歩き回っていた。昨日と同じで、傍に親友二人は居ない。また、目的が人探しである事も変わらない。ただし今日の探し人はネギではなく、彼と一緒に居ると思われる明日菜だという点では異なっている。
今朝の明日菜――――木乃香もだが――――は、何故かネギと一緒に登校してきていた。
通学電車から降りてくる所を、夕映は目撃したのだ。その後も下駄箱に着くまでは行動を共にしていたようであるし、授業中にネギが二人に視線を向ける回数は、他の生徒達よりも多い気がした。否、事実として多かったはずだ。
「予想通りなのかもしれませんが、まるで嬉しくありませんね」
明らかに現状でネギが意識しているのは明日菜と木乃香の二人だ。のどかを意識させるとは言っても、彼女らが会話に割り込んできたら元も子もない。知り合いの少ない異国の地、親しい方に意識が向くのが自然だろう。
だからこそ、協力を取り付ける必要がある。幸いにしてどちらも仲の良い友人な上、ネギを好きになる可能性は限りなく低い。明日菜としてはある意味複雑かもしれないが、まぁおそらくは大丈夫だろう。
そう考えて昼休みに話し合おうと思っていたのだが、何故か明日菜は早々にクラス内から消えていた。木乃香も知らないと言うし、携帯に電話を掛けたら鞄の中に忘れていた。一体どうしたのかと、急いでお弁当を片付けてからハルナと共に探しに出たのだが、聞いた話ではどうやらネギと一緒に歩いていたらしい。
「間が悪いと言いますか、何と言いますか」
早急に対処しないと本当に不味いかもしれない。そう思いつつ、夕映は早足で廊下を進んでいく。やはり聞いた話ではあるのだが、どうやら今日もあの二人は屋外に居るらしかった。
「まったく、なんなんでしょうね」
ぼやきつつ、夕映は外へと続く扉を潜った。
□
「――――で、今更の質問なんだけどさ」
「なんですか?」
有耶無耶なままに終わってしまった早朝質問会の再開は、気付けば昼休憩の時間まで持ち越されていた。ネギへと群がる生徒達のお陰で、登校してから今まで、碌に話も出来なかったからだ。新しい玩具を与えられた子供の如くはしゃぐ女生徒達を前にしては、強引な所がある明日菜といえど、そうそう無理を通す事は出来ない。
とはいえ、冷たい北風が身を震わせる季節にわざわざ校舎から離れた屋外ベンチを選んだ甲斐があったのか、今ばかりは周囲に人影は見られなかった。
「いや、ココに来てなんなんだけどね。アンタ、こんなに一杯話しちゃって大丈夫なの?」
「ハハハ………………ダメですね」
「あ、やっぱり?」
「――――いや、けどですね! アスナさんは大丈夫なんですよ!!」
「へ?」
唐突に表情を明るくしたネギの言葉に、明日菜は目を丸くした。
「実は昨日の夜に学園長からメールが来たんですよ」
「メールって……アンタ、携帯持ってたんだ」
「昨日の朝に支給されました。それでメールの内容ですが、アスナさんには魔法使いの事を話しても構わない、という事らしいです」
「はぁ? なにそれ」
理由を聞きたいのは自分の方だと、ネギは思う。
昨夜、勢いに押されて自分は魔法使いだとバラしてしまったネギは、それから後はまるで生きた心地がしなかった。
普通なら修業の中止どころか実刑に処されかねない失態である。如何にネギが半人前の子供といえど、厳罰は免れない。それこそ下手をすれば、修業だけではなく将来的な事も含め、全てが終わる。一般人に魔法の存在をバラしてはならない、というのは魔法学校に入学していないような幼子でも知っているような基本事項で、最も基本的な決まり事だからこそ、信用問題に直結してしまうのだ。
目撃された所までは、まだ良かった。望ましい事ではないだろうが、それでも失態を取り戻すのは不可能ではない。しかし、自分から話すというのは言語道断だろう。もしも追及されたら申し開きのしようもない。
お陰で木乃香が用意してくれたという日本料理も箸が進まず、味も分からぬまま機械的に口を動かす事しか出来なかった。仕舞いには木乃香に薬まで用意されて心配されたのだから、非常に心苦しい。そして食後には無理矢理ベッドに寝かされ――――布団が用意されていたが、慣れないだろうと木乃香のベッドだった――――、携帯電話に届いていたメールに気付いたのはその時だ。
差出人は近衛 近右衛門。事前に登録してあったその名前を見た時、ネギは知らず体を震わせた。
恐る恐る、心の中で謝罪の言葉を幾百と並べ立てながら開いたメールの内容は――――何故かネギの行動を許すというものだった。魔法学校で散々オコジョにされるなどと脅かされてきたネギにすれば、あまりにも信じ難い。
自分の失敗を知られていた事に対する恐怖を感じながらも、ネギは何度もメールの文面を読み返した。けれども、内容は変わらない。だからといって安心など出来るはずもなく、しつこいほど確認のメールを送り、そして、朝起きてから昨夜と同じ文面のメールを見る事で、初めてネギは安堵の息を吐いた。
ただ、結局その理由は教えられていない。尋ねる勇気も無い。
「僕にもよくわかりません。ただ、アスナさんだけは例外的に事情を話してもいいとの事でした。勿論、僕もアスナさんも他の人に話したらなんらかの罰則はあるらしいんですが…………」
明日菜の様子を窺うように一度そこで止めて、
「高畑先生や学園長にも迷惑掛かるんでしょ? バラさないわよ」
当然といった感じで返ってきた言葉に、ネギは安堵の息を漏らす。
「ふぅ。ありがとうございます」
「いいわよ、別に。アンタの為って訳でもないしね」
ぶっきらぼうに返しながら、明日菜はお弁当の唐揚げを口に放り込んだ。それに倣うようにして、ネギも唐揚げに箸を向ける。一噛みで口の中に広がった肉汁に、ネギは自然と頬を緩ませた。
木乃香が作ってくれたお弁当の中身はどれも美味しく、昨夜は碌に味わう事の出来なかった彼女の料理をネギは存分に楽しんでいた。唯一残念なのは、この場で木乃香に感謝を述べれない事くらいのものだ。
「ですからそういった事情もあるので、アスナさんには僕達の事を知って貰う必要があるんです」
「それって、私が変な事をしないように?」
「はい。あ、それとこの件に関しては魔法関係者にも話さないように、との事です」
僅かに、明日菜は目を見開いた。
「…………高畑先生にも?」
「タカミチにも、です。その、本当に特別な事なんです。僕もまだ信じられないくらいで……ですから、えっとですね、気分のいい事ではないと思いますが…………お願いします」
形容し辛い、小難しい表情を明日菜は浮かべた。唯一ネギに読み取れたのは明確なまでの不満であったが、彼には本当にどうしようもない事なのだ。折角見逃してくれるというのに、下手にごねてしまっては全てが水の泡となりかねない。
ネギにとっても、明日菜にとっても、だ。
だからネギは、ただ静かに頭を下げる。それ以外には、どう頼めばいいのか思いつかなかった。明日菜の声が掛かるまで、ネギは一分以上の間、顔を上げなかった。
「――――わかったわよ」
ゆるゆると、明日菜はどこか不貞腐れたように首を振る。
「えっと、すみません」
「謝んなくていいっての。アンタが決めた訳じゃないでしょうが。ま、学園長に文句言うつもりもないけどね」
「あ…………はい」
それきり、会話が途切れてしまった。
互いに雑談を振る事も無い。風が髪を揺らし、遠くから生徒達の喧騒が聞こえてくる中で、二人は静かに箸を進めていく。時折、ネギが思い出したように明日菜の顔を見上げるが、不機嫌そうな彼女の表情にすぐ視線を落としてしまう。
そんな時間が暫く続いて。
「――――――それで? 他に話す事はないの? なんか、私の方からだと聞き辛いじゃない」
先に切り出したのは明日菜だった。
「そ、そうですよね! アハハハ…………いや、気が利かなくてすみません。他には……そう、魔法使いの目的とかでしょうか。魔法使いが目指している夢といいますか、そんな感じのです」
「ふぅん。やっぱりそういうのってあるんだ。なに? 魔王でも倒すわけ?」
「違いますよ! たしかに悪魔を倒すのも魔法使いの仕事ですけど、そういうのではないんです」
空になった弁当箱を脇に置いたネギは、校舎の方を仰ぎ見た。
窓ガラスの向こうに見える廊下では、多くの生徒が行き交っている。顔を知る者が居れば、当然ながら知らない者も居る。ただ、誰もが楽しそうに笑みを浮かべ、明るいを上げているのはこの場所からでも見て取れた。
その何気ない学園の風景を眺めながら、ネギは少しだけ誇らしそうに胸を張る。
「僕達は、不幸な人々を一人でも多く助ける為に活動しています」
「不幸な人を助ける?」
視線を校舎に固定したまま、ネギは静かに頷く。
「はいっ。困っている人を、傷付いている人を、一人でも多く助ける事が魔法使いの目的です。たしかに全員が直接的に活動しているわけではありませんが、みんながその目的に貢献しようと頑張っているんです」
「…………魔法使いみんなで、ねぇ」
よく分からないと、そんな感じで呟かれた明日菜の声音に、ネギは苦笑する。
まだまだ幼い子供とはいえ、大学卒業レベルの知識はあるのだ、現実離れした感覚だという事は一応ネギも理解している。けれど彼が目指す『偉大な魔法使い(マギステル・マギ)』とはそういった活動に従事し、功績を認められた者達の事を指すのだ。今でも魔法使いの間では最も尊敬を集めている存在であり、ネギが誰よりも憧れている人も、その代表例としてよく挙げられる。
だから、決して夢物語ではないのだとネギは思っている。
「………………」
「………………」
沈黙のまま遠くからの喧騒に耳を貸し、冷たく頬を撫でていく風に身を委ねていた二人は、
「――――ネギ先生、アスナさん。少しよろしいでしょうか?」
唐突に掛けられたその声に、驚きも露わに顔を向けた。
□
「本屋ちゃんが一目惚れ?」
呆けた顔で呟いた明日菜に対し、夕映は静かに頷き返す。
校舎の一角に用意された、それほど利用者の無い自動販売機スペースでの事だ。ジュースを持って設置されたベンチに腰掛けた夕映と明日菜、そしてハルナの三人は、この場所でちょっとした密談を行っていた。
議題はズバリ、宮崎 のどかの恋について。
「そーいう訳よ。だからさぁ――――」
「うわっ」
強引に肩を引き寄せられた所為で、明日菜の口から情けない声が漏れた。
明日菜が抗議しようとハルナを睨み付けようとしたら、それよりも早く、互いの息が掛かりそうな距離まで顔を寄せられる。ニヤニヤと性質悪そうに口元を歪め、眼鏡の奥にある目を好奇心でギラつかせるハルナに対し、明日菜は半ば反射的に誤魔化すような曖昧な笑みを浮かべていた。
正直、傍で見ると非常に怖い。
「ネギ君と仲の良いアスナに協力を頼みたいわけよ」
「ええ、是非ともお願いしたいのです」
「はぁ!? え、ちょっ、私がネギと仲良いって……そんな事になってんのっ!?」
「ネギ先生はアスナさんとこのかさんだけは名前で呼ぶですし、今朝、一緒に登校してました。それに、先程も一緒にお昼を食べていたではないですか」
冷静に返された夕映の言葉に、明日菜は天井を仰ぎ見た。
言われてみればなるほど、彼女達の言葉には納得せざるを得ない。それに、確かにクラスの中で一番ネギと仲が良いというのは事実なのかもしれない。
(なんせ魔法使いって知ってるしねぇ)
高畑先生などはもっと親しいのだろうが、こんな恋愛相談をされた所で迷惑にしかならないだろう。
「あ~、うん。たしかに仲良いのかも。アイツ、ウチの部屋で預かってるし」
「ほほーぅ。それはまた美味しそうなネタじゃないの。どれどれ、そんな面白そうな事をみんなに黙ってたのは――――この口かな?」
「……ふぁにふんのよ」
明日菜はグニョグニョと頬っぺたを引っ張るハルナを睨み付けるが、向こうはまるで意に介した風もない。寧ろ余計に面白がってしまう始末で、頬に掛かる力が強くなってしまった。
「ハルナ、ふざけるのは後にしてください」
「はいはい。ホント、思い遣りのある友達を持ててのどかは幸せ者だね」
「それでどうでしょうか、アスナさん。手を貸してくれるですか?」
「そりゃもちろ――――――ッ」
肯定の返事をしようと声を出し掛けた所で、明日菜は慌てて自らの手で口を押さえた。
「あの、アスナさん…………たしかにネギ先生は教師ですし貴女の身からすれば複雑かもしれませんが、のどかは本気なんです。どうか協力してくれませんか?」
そうじゃない、と心の中で否定する。
確かに教師であり年下の少年でもあるネギは、好きな相手としてはとても勧められたものではなく、似たような恋をしている明日菜としては積極的に応援したい気持ちと共に、諦めた方がいいという考えも存在している。
だが、問題はそれだけではない。
ネギは魔法使いなのである。しかも『修業』というよく分からない理由で教師をやっているのだ、将来的にはどうなるかわかったものではない。何かヘマをすればすぐに麻帆良から立ち去り、仲良くなれても言えない秘密が存在し続けてしまうような相手なのだ。正直、応援するには問題が多過ぎる。
(でも…………)
明日菜が同じ立場なら、そんな理由で諦めるのは嫌だ。
今だって少しは恵まれていると言っても、明日菜と高畑先生の関係はのどかとネギのソレとあまり変わらない。そして勿論、明日菜はこれからも頑張っていくつもりである。
難しい問題だった。頭を悩ませた所で答えが出るのか、そもそも答えがあるのかも分からないような難題だ。のどかを応援したい気持ちも、彼女に辛い思いをさせたくない気持ちも、等しく存在している。
「お願いします、アスナさん。貴女ならのどかの気持ちがわかるはずです」
分かる。痛いほどに理解出来る。だからこそ悩んでしまう。
夕映の瞳に映る意思は、どこまでも真摯だ。隣で肩を竦めているハルナにしたって、一見すればふざけているようだが、瞳には似合わない心配の色が滲んでいる。二人の期待に応えたい、とは思う。応援したい気持ちも、確かにある。だがちょっと待て、と冷静な自分が心の中で言っている。このまま恋の手助けをして、その先に待ち受けているのはなんなのかをよく考えろ、と。
「アスナさん!!」
「頼むよアスナー」
額に汗が滲み、知らず喉を鳴らしていた。
迫る夕映とハルナを前にして、明日菜は――――――。
◆
「えっと……そういう訳なのでー」
「ネギ君歓迎パーティーのぉ」
「はじまりはじまりです」
のどか、ハルナ、夕映という仲良し三人組の音頭と共に、そのパーティーは始まった。
本来のメンバーであるネギ、明日菜、木乃香に先の三人を加えた計六人で、種々様々な料理が置かれた少し大き目のテーブルを囲んだ彼女らは、手に持ったコップ同士を軽くぶつけ合う。当然だが中身はお茶である。
明日菜達の寮部屋で開かれたこの会食は、昨晩体調が芳しくなかった――――と思われている。実際、精神的には最悪だった――――ネギの為に、改めて腕に縒りをかけた料理を振る舞おうと木乃香が張り切った結果の事である。それに便乗する形で三人組が参加出来たのは、どうにか明日菜の協力を取り付けられたからだ。
その明日菜は現在木乃香の対面に座る形で参加しており、複雑そうな表情をしてこのパーティーの主役を眺めている。彼女の横に二人並んで座っている夕映やハルナとは対照的に不景気そうな様子で、少しだけ場の空気から浮いていた。
「あ、これ――――」
「それは肉じゃがっていうんよ」
「えっと、いつもより少し甘めに味付けしたんですけど……その、お口に合いましたでしょうかー?」
「宮崎さんが作ったんですか? とっても美味しいですよ!」
「あ、ありがとうございますー」
調理を担当したのはのどかと木乃香の二人であり、彼女らはネギの左右に座って色々と料理の解説をしている。のどかに至っては遠くにあって取り辛いおかずを、ネギの代わりに取り皿によそってあげたりと、実に甲斐甲斐しい行動をしていた。
そんな様子をつぶさに観察しながら、明日菜は食事に箸をつける。三人の話に出た肉じゃがを口に運び、その木乃香とは違う味付けを舌の上で遊ばせた感想は、素直に美味しいというものだった。だが、そう感じたからこそ、明日菜は余計に眉間の皺を増やしてしまう。
誰の為に作られたのか、誰に喜んで貰いたかったのか、そんなものは考えるまでもない。
左方向から突き刺さる視線を感じながら、明日菜は一つ溜め息を吐いた。
「そういえば宮崎さん、お体の方は大丈夫ですか?」
「はいー。特に違和感もありませんし、保険の先生も問題は無いと言ってましたから」
「そうですか。安心しました」
なんて事はない二人の会話は、けれど傍から見ている明日菜には可笑しく見えた。のどかの顔が異様に赤いのだ。首にまで伝播しているその赤みは、顔の半分を覆う前髪では到底隠し切れるものではないのだが、はたしてネギは気付いていないのだろうか。それとも気付いていて触れていないのだろうか。
ネギの考えは明日菜には想像するしかないが、ただ、のどかの気持ちが本物であるという事だけは痛いほどに伝わってくる。同時に、高畑先生の前に出た自分もあんな感じなのだろうなと、そんな事を考えて苦笑する。いつも生暖かい視線を送ってくる親友の気持ちが、少し理解出来た気がする。
「ありがとうございます」
不意に、隣に座る夕映がそんな事を言った。
「え? いきなりどうしたの?」
「いえ、あそこまで嬉しそうなのどかは久し振りに見ましたので、私もつい嬉しくなりまして。それもこれも、アスナさんが誘ってくれたお陰です…………ですから、そう思い悩まないでください」
口元に笑みを浮かべた夕映の視線は、真っ直ぐにのどかとネギの二人へと向いている。それに倣って、明日菜も目線を移す。話題を振るのは専らネギの方であり、のどかはそれに答えているだけではあるが、確かに普段見掛ける彼女の様子よりも明るいかもしれない。
いや、そもそもネギを高畑先生に、のどかを自分に置き換えてみれば想像するまでもない事だ。そう思うと、幾分気が楽になったように明日菜は感じた。
「…………そうね、これでよかったのよね」
「よくなかったとしても、私がよくしますから大丈夫です」
慎ましやかな胸を張ってみせる夕映に、明日菜は思わず笑みを漏らす。なんとも頼もしいではないか。のどかにとっても、自分にとっても。そう、結局は一緒に頑張っていくしかないのだ。
誰かを好きになるという事は、やめたくてもやめられない。
好きになってしまった気持ちは、止めたくても止められない。
だから恋する少女に出来るのは一つだけで、とにかく好かれる為の努力を続けるしかない。泣くのも笑うのも全てが終わった後。その時までは全力で足掻くべきであり、それが出来ないのなら本気の恋愛じゃないというのは、頻繁に夕映が口にし、明日菜も気に入っている言葉だった。
いつも理性的に考えようとする夕映なのだが、こと恋愛においては感情的な意見を好む傾向にある。その辺りはやはり、思春期真っ盛りの女子中学生という事なのかもしれない。口にする言葉には論理性を求めても、理想とするものは夢見がちだったりするのが夕映なのだと、明日菜は思っている。
「言うねぇ~、ゆえ吉も」
「あ、ハルナ」
「自分の事になったらサッパリの癖にぃ」
「な、なにを言うですかハルナ……」
ニタァと見るからに意地悪そうな笑みを浮かべるハルナに、夕映は頬をひくつかせる。明日菜にしても反応は夕映と変わらず、不気味さすら漂わせる友人の様子に乾いた笑みを浮かべるだけだ。
「ん~? バレンタイン前日の事を忘れたのかなぁ?」
「うっ」
「のどかにご教授願って折角作ったチョコを、あんだけ張り切って作ったチョコを、当日に自分で渡せなかったヘタレさんは誰よ?」
「あ、あれはですね……」
言い淀んだ夕映の背中をバシバシと叩きながら、ハルナは朗らかに笑ってみせる。
「アッハハハ! だからアンタものどかも恋の事は私に任せなさいっての! ビシバシ鍛えてあげるからさ!!」
「異性を好きになった経験も無い人がなに言ってるですか。いやまぁ私も同じですが、そうではなくてですね」
「フフフフフ――――このパル様が恋愛物を何本書いてきたと思ってんの、シミュレーションは完璧よ!」
「それこそドコの漫画のキャラですか……」
疲れたように溜め息を吐き出した夕映の様子に、明日菜は苦笑せずにはいられなかった。
なんだかんだ言ってもやはり親友なのだろう、ここまで明け透けな態度の夕映は非常に珍しい。彼女は基本的に理屈を優先する人間なので、ここまで投げ遣りな態度を取る事はそうそう無いのだ。
そんな事を考えながら、明日菜は自らの親友である木乃香へと視線を向ける。
勿論、彼女にものどかの気持ちについては教えている。だからだろう、木乃香はネギ達の会話には積極的に参加する事は無く、時折相槌などを挿んで空気が崩れるのを防ぐに留めている。お陰でネギ達は対面に座る明日菜達の会話を気にする事もなく、自分達の話に没頭出来ているようだった。
そうやって対面の様子を明日菜が眺めていたら、ふと思い出したように木乃香が手を打った。
「あ、そやそや」
こんな時、木乃香の声は騒がしい中でもよく通る。
この場でも誰一人として聞き逃す事は無く、自然と集まる視線も気にせずに、木乃香はマイペースに言葉を続けた。
「ネギ君は昨日ご飯の後すぐ寝てもーたから、この後はお風呂に入らへんとな」
「え?」 「へ?」
「ん?」 「はい?」
「ほほう」
木乃香の思い掛けない発言に、各々呆気に取られたような声を漏らす。否、唯一ハルナだけは面白そうに顎に手を当てている。夕映がその様子に気付くよりも僅かに早く、彼女は楽しそうに身を乗り出した。
「いよーし! それじゃーこの後は大浴場で二次会とイキますか!! みんな水着を忘れんなよー!」
「ハ、ハルナ――――!?」
騒がしい夜は、まだまだ終わりそうになかった。
――――後書き――――――――
第三話を読んで頂きありがとうございます。作者の青花です。
今回は状況をある程度整理した話ですね。まだまだ地均しといった感が強い回です。展開が少し拙速かなとは思うのですが、この辺りは中々上手くいきませんね。
しかし、弄った設定やキャラクターがドンドン表面化してきてますね。明日菜とか二週目解放ルート突入状態みたいな事になっていますし。上手く収拾出来るように頑張っていきたいと思います。
それでは、今回はこれにて失礼させて頂きます。