12/14 投稿12/18 加筆修正12/22 誤字修正 夕呼の提案により、武達は施設案内などレクリエーションは全てすっ飛ばし、野外訓練を受けることになった。 とは言っても先日の体験入学がまさにレクリエーションのようなものだったため、特にこれと言った実害は無い。 早速作業着に着替え、グラウンドへと集合した2人。 程なくまりもの威勢のいい掛け声がほぼ無人のグラウンドに木霊した。 繰り返すようだが、本来なら訓練校は休校期間なのである。「1,2……1,2……1,2……ぜんた~い止まれ!! ――鑑、3度も足踏みしてどうするんだ!! 全く貴様は行進すらまともに出来んのか?!」 まりもの檄が飛ぶ。 先日とは桁が違うその迫力に、一瞬ビクッと硬直する純夏。 たしかに、このギャップは驚くよなあ、と、武は彼女の様子に己の過去を照らし合わせながら苦笑した。「すみません!!」 慌てて謝る純夏に、まりもは「ふんっ、まあ良い……。」と鼻を鳴らす。「さて、おまえ達には年齢という面でハンデがある。 だからといって他の訓練生の足を引っ張ってもらったのでは非常に困る。 よって、おまえ達にこの一週間で少なくとも訓練兵のレベルまでは体力を引き上げてもらう。 早速グラウンド20周行くぞ!」 有無を言わせぬ勢いでまりもは叫ぶ。 下手な行動を起こせば罰が下ることは武の犠牲によって証明されていたため、もとよりやる気の十分な武は勿論、純夏も嫌々ながらも走り出した。「私に遅れるなよ? もしどちらかでも遅れたら、さらに10周追加するぞ。」 まりもは低い声色で武達を脅す。 こう言われてしまっては、あまり気が進まない純夏と言えども本腰を入れて走らざるおえない。 しかし、いくら気持ちがあっても基礎体力の問題は如何ともしがたく、3周目を迎える頃には、純夏はすでにまりも達から10m程引き離されてしまっていた。「鑑訓練兵、遅れているぞ!! 10周追加されたいのか!?」 流石に10周追加は勘弁願いたい。 武は顔を青ざめさせた。 前回とは違い、己の体は正真正銘ガキの体なのだ。 全く、前回の鋼のように鍛えられた体が懐かしい。「おいっ、純夏!」「そ、それだけは勘弁してくださ~い!!」 どうやら10周追加は純夏も勘弁してもらいたいらしい。 涙混じりにそう叫ぶと、先ほどの倍の速度で走り、まりもに追いついてきた。※「……ほぅ、おまえ達、付いてこれたか。」 訓練開始からおよそ一時間後、そこには不敵な笑みを浮かべ呟くまりもの姿があった。 そんな彼女の目の前では、武と純夏が膝に手をつきながら呼吸を整えている。 2人とも肩で息をしているとはいえ、その表情からはそこまでの疲労は見て取れない。 日ごろから鍛錬を重ねていたのだろうか? ならばそれに合わせたカリキュラムを組んでやるべきだろう。 ニヤリとした笑みを浮かべるまりも。 その笑みに気がついた純夏は本能的に後ずさり、武は口元を引きつらせた。「……よし、まだ余裕がありそうだな。 鑑訓練兵、白銀訓練兵、腕立て、背筋、上体起こし、スクワット各30回2セット。 終わらせたら、グラウンドをもう一度20周して来い!!」「じ、神宮司教官、流石にそれはいきなり無理ですよ!?」 「無茶苦茶だ!」と、思わず悲鳴を上げる純夏。 確かにまりもが言う程度の事は軽くこなさないと、訓練兵としても失格だ、だが……。 ――明日、ベットから起き上がれるのか? 訓練当初の、全身に針金が通ったような痛みを思い出し、武は身震いした。「泣き言は聞かんと言ったはずだ! ――いや、そうだな、もしも時間内に終わらせたら褒美にいいところへ連れて行ってやろう。 だがもし時間内に終わらせられなかったら……さらにもう1セットだ。」 鬼教官の名は伊達じゃない。 初日から半端無い内容を突きつけるまりもに、苦笑いを浮かべる武。 それでこそやりがいがある。 などと思えるあたり、まだ余裕があるのかもしれない。 一方の純夏と言えば可哀想に、そのあまりに過酷な訓練内容に言葉を失い、硬直してしまっている。「もう、こうなったらヤケクソだ~~~~!?」 突然絶叫すると、猛然と腕立て伏せを始める純夏。 過剰分泌されたアドレナリンと精神的負担が相まって、ついにラリってしまったようだ。 こんなペースで、最後まで持つのか? 武は勿論のこと、命令を出したまりもさえも、半ば同情の視線を彼女に送った。 ……結論を言ってしまえば、2人の心配は杞憂に終わった。 純夏は全工程を見事時間内に、しかも余裕を持ってこなしてしまったのだ。 もちろん武も一応時間内には終わらせることが出来たのだが――。「う~む、……恐るべし、純夏。」 思わず呟く武。 ある種の尊敬の眼差しでもって、傍らに大の字で転がっている汗だくの少女を見つめた。 彼は、幼馴染に対する評価を改めざるをえなかった。※ ――抜けるような青い空。 立ち並ぶ商店街。 そこを行き交う人々の目に、まだ絶望の影は見えない。「……?」 ニヤニヤしながら歩く武を、純夏は気味悪そうに見つめた。 しかし武はそんな彼女の目線には全く気づいていない様子で、未だ活気ある町々を眩しそうに眺めている。 そう、今、武達は基地の外にいた。 ――『さておまえ達、ご苦労だったな。約束どおり「良いところ」へ連れて行ってやろう。』 そう言って上機嫌で武達を連れ出したまりも。 肝心の目的地は明かさずに、ズンズンと前に進んでゆく。 ついてからのお楽しみ、ということだろう。「神宮司教官、一体これからどこへ?」 昼食も抜いてきたので流石に疲れたのだろう、5分程歩いたところで、純夏がとうとう悲鳴を上げた。「ん? ああ、もうそろそろだぞ。 そこの曲がり角を曲がったら目的地が見えてくるはずだ。」 やがて差し掛かった曲がり角を右に曲がる。 そこから歩いてしばらく先にあったのは一軒の定食屋だった。 昔懐かしい平屋の入口に吊るされた暖簾に書かれていた文字は『京塚食堂』。 その中では、武もよく見知った人物が彼等の事を待ち構えていた。「おばちゃん、お久しぶりです。」「おや、まりもちゃん、まあ随分と久しぶりじゃないかい。 ちゃんと食べてるかい? PXの食事は余り上等じゃないようだけど。」 「ああやっぱり。」武の口に自然と笑みが浮かぶ。 暖簾に書かれていた文字から大体予想はついていたが、当たるとやはり嬉しいものである。 割烹着姿の中年女性を前に武はそんな事を考えた。 『京塚のおばちゃん』の愛称で衛士達に慕われる彼女。 鬼教官と恐れられるまりもの顔も、彼女を前にしては緩んでしまっている。 なんと、彼女には夕呼すら頭が上がらないと言うのだから、おかしな話である。 店内はこじんまりとしており、L字型のカウンターテーブルに加えて普通の長テーブルが4つ、席は全部あわせても26程しかない。 店の大きさからは、やがてPX(食堂)という名の戦場を切り盛りすることになる凄腕のおばちゃんだとは誰も想像出来ないだろう。「で、そこにいるお2人さんはあんたの教え子かい?」 しばらくまりもと談笑していたところ、彼女の後ろにやたら小さな2人組みがいることに気がついて声をかける京塚のおばちゃん。「え、あ、はいそうです。」「『はいそうです。』じゃなくって、早く私に紹介しておくれよ。」 「全く、いつまでたってもおまえさんは何処か抜けてるんだから。」と、屈託無く笑う京塚のおばちゃん。「す、すみません……。」 まりもはそう言って恥ずかしそうに頭を掻いた。 そんな2人のやり取りを、純夏はキョトンとした様子で眺めている。 さっきまでの鬼教官が形無しなのだから、武も笑いを堪えるのに必死だった。「お、おまえ達!! さっさと横に整列しないか!!!」「「了解。」」 まりもは顔を赤らめ、恥ずかし紛れに言い放った。 顔がニヤつきそうになるのを必死に堪えながら武達は指示に従う。「彼女の名前は鑑純夏。」「鑑純夏です、よろしくお願いします!」 ビシッと覚えたての敬礼を決める純夏。 本人は精一杯のつもりなのだが、何処か様になっていないのはご愛嬌と言ったところだろうか?「そしてこの子は白銀武。」「白銀武です。」「2人共訓練部隊に配属されたばかりの新米です。 これから私が出来る限りのことを教えてあげようと思っています。」「へぇ~! あんたが新入り連れてくるなんて珍しいじゃないか。」 京塚のおばちゃんはニコニコ笑いながらそう言った。「……そ、そうですか?」 まりもは目を逸らして白を切る。「まぁそんなことはおいといて。」 京塚のおばちゃんはそう言うと純夏の方を振り向いた。「ふ~む、こりゃまたあんた見事な赤毛だねぇ、純夏ちゃん。 へぇ~、しかも良く手入れされてるじゃないか。 これだけ長いと毎日梳くのに時間がかかるだろう?」「あ、はい。」 突然声をかけられ驚く純夏。 京塚のおばちゃんは、そんな彼女を安心させるように人の良さそうな笑みを浮かべた。「純夏ちゃん、そんな畏まらなくたっていいよお。 髪は女の命だからねえ、これから訓練でよく汚れると思うけど、手入れを怠っちゃダメだよ? せっかくあんたの髪は綺麗なんだからねえ。」「あ、ありがとうございます!!」 自慢の髪を褒められ、純夏は嬉しそうに返事する。 純夏が髪を大事にしていることを一目で見破るとは、さすが京塚のおばちゃんだ、と、武は思わず感嘆の息を漏らした。「さて。」 そう言いつつ、京塚のおばちゃんがこちらに向き直った。 右腕がサッと横に伸びる。 はあ、やっぱり今回もそうなのか。 武は内心涙を流しながら、来るべき衝撃に備えた。「……ッ!」 重く鈍い音とともに、武の背中に激痛が走る。 一瞬よろめきそうになるも何とか武は踏ん張って耐えきった。「ほう、今のを耐えられたかい。 武とか言ったね? なかなか立派じゃないか。 男だったら、ちゃんとこの娘のフォローもしっかりしてやるんだよ?」「……わ、分がりまじだ。」 背中がヒリヒリするのを堪えながら、武は何とか返答する。 毎度ながら痛烈な挨拶である。「さて、あんた達、教官殿に扱かれて腹が減ったろう? 大盛りにしてあげるからじゃんじゃん食いな!! どうせ教官殿のおごりなんだろうから、遠慮するんじゃないよ!!」 そう言って豪快に笑う京塚のおばちゃん。 まりもは苦笑しつつも、自覚があるためか否定はしなかった。「私、鯨の竜田揚げ定食とラムネ!!」 先陣を切ったのは純夏だ。 京塚のおばちゃんの言葉を聞くなり何の躊躇もなく注文をしたあたり、彼女も案外ちゃっかりした性格をしているのかもしれない。「じゃあ、オレはサバミソ定食と玉露で。」「私はいつものをお願いできるかしら?」「はいはい、すぐ用意するからちょっと待ってなよ。」 それから15分後、一行は京塚のおばさんの『本物を使った』料理を堪能した。「美味い、美味すぎる……。」 夕呼の以前言っていた『京塚のおばちゃんだから~』の言葉の真意を知り、武は思わず涙した。 一方で箸はその間も動き続けているのだから器用なものである。 その傍らで、純夏は幸せそうな顔でだれていた。「うっぷ……おばちゃん、も~だめ、これ以上入んないよぉ。」「本当にそうかい? 遠慮してんじゃないだろうね?」「まさか、本当ですってば!!」 これ以上食べさせられてはたまらないと、焦って手をばたつかせる純夏。 「冗談だよ!」と京塚のおばちゃんは豪快に笑った。 「ああ、それはそうと、アンタ達年は幾つなんだい?」 京塚のおばちゃんは何気なく声をかける。 「え~っと確か17だったっけ?」とわざととぼける武に、純夏は思わず噴出した。「っぷ、なに言ってるのさタケルちゃん!! 私達まだ15にもなってないじゃない。」 純夏が武を罵倒した瞬間、室内の空気が凍りつく。 武は「あちゃあ……」と、思わず顔を覆った。「――ちょっと待ちな。 純夏ちゃん、今いくつって言ったんだい?」 穏やかな口調とは裏腹に、京塚のおばちゃんの目からは先程までの笑いが完全に消えていた。 ここにきてようやく純夏は己の失言に気がつく。「あの、え~っとお。」「お、お前なあ、いくらなんでもここ3年間ずっと誕生日が雨だったからってノーカウントはないだろ。 年齢詐称は立派な犯罪だぞ!」 目を泳がせて答えあぐねる純夏に、武はとっさに助け舟を出した。「……あ、あはははは。 だってもう私年取りたくないし~。」「なに言ってんだよ、ったく。 その台詞はお前にはまだ十年はやいってーの。」 武の意に気がついた純夏は、何とか話をあわせようとするも、3文芝居も良い所だった。 ――ワケありだな。 ほどなく悟った京塚のおばちゃんは、その目を哀しそうにスッと細めた。「――はあ……やな世の中になったもんだねえ。」 やがて京塚のおばちゃんは重苦しい溜息と共に吐き捨てた。 十台半ばの衛士がいると言う噂は聞いたことがあるが、まさか本当にお目にかかることになる等とは思ってもみなかった。 本来なら青春を謳歌しているはずの年頃だろうに。 全く、いつになったらこの惨たらしい戦争は終わるのだろうか?「あのすみません――」「ああ、心配するんじゃないよ。 わたしゃこれでも口は堅いほうだからね。」 まりもの意を瞬時に察した京塚のおばちゃん。 「絶対に口外しないよ。」と約束し、まりもの肩を叩いた。 その気遣いに、まりもは申し訳なさそうに俯く。 そんな彼女を、京塚のおばちゃんは優しく叱った。「ちょいと、教官がそんな様子でどうすんだい。 この子達が不安がるだろう? 悪いのは、アンタでもこの国でも、ましてこの世界でもなくて、BETAとかいう化け物だよ。」 京塚のおばちゃんは「全く、お互いいやな時代に生まれたもんだよ。」と溜息混じりに苦笑する。 まりもは沈黙していたが、その表情が彼女の弁を肯定していた。 方や置いてけぼりを食った武達2人組みは、お互い居心地悪そうに目配せしあっていた。 いわゆる「この空気、どうにかしてくれ!」というやつである。 静かで熾烈なやり取りの末、結局純夏に押し負けてしまった武は、仕方なしに言い放った。「――じゃあその時代、オレが変えて見せますよ。」 武の突拍子もない発言に、キョトンとした表情を浮かべる一同。 その中には、それを促した純夏さえも含まれていた。 ――やば、すべったか? 武の額を冷汗が伝う。「ふんっ、なかなかいっちょまえなこと言うじゃないか。 武。」 そう言って心底愉快そうに笑う京塚のおばちゃん。 それを皮切りにしてまりもと純夏も笑い出した。「全く……白銀、貴様口だけは一人前だな。 それこそ貴様には十年早い台詞なんじゃないか?」「武ちゃん、今のはちょっとキザすぎだよ~。」「な、なんだよ……お、オレはマジだぞ?! いやだからマジなんだって!!」 武の情けない叫びは、余計に彼らの笑いをのツボを刺激してしまう。 いよいよ収拾がつかなくなり、笑いの坩堝と化す京塚食堂。 武はむっと口をゆがめた。 こうなる覚悟があって引き受けた役回りとは言え、流石にココまで笑われてしまっては、さしもの武も傷つくというものだ。 まさか彼が嘘でも冗談でも迷い言でもなく、真実にそう決意していることなど、他の誰も知る由がないのである。 ――ま、いいか。 武はしばらくして、ふっと口元を緩ませた。 例え己が笑いものになっても、それで皆が少しでも幸せになれるのであれば、それでいいじゃないか。 限りない絶望を見てきた武にとって、皆の『笑顔』は、もはや何物にも変え難い宝物となっていた。