12/12 誤字修正12/18 加筆修正「さて、と。 じゃあ、仕切り直しといきましょうか。」 武が床に沈没してから数分後、ようやく彼が立ち直ったのを待って夕呼の話は再開された。 何時もなら沈んでいる間に話を進めてしまうのが彼女のやり方なのだが、いったいどうしたことだろうか? と首を傾げる武。「何でワザワザ私がこんなところに来たって、本題はこれからなのよ。 さっきも言ったけど、私のことを知ってるとかそう言ったことは実際どうでも良かったわけ。」 吐き捨てつつ、ポカンと間抜け面を晒している武を睨みつける夕呼。 じゃあなんでワザワザそんな話を切り出したのか? などと突っ込めるほど、武は命知らずではない。 第一、何時も理不尽な理由で――少なくとも武はそう思っている――酷い目にあっている身からすれば、この程度どうということは無かった。「……ふんっ、全く、アンタのせいで余計な時間食っちゃったじゃないの。」「す、すみません。」 険悪な空気を纏う夕呼に、武は素直に頭を下げた。 ここで反発しても何の得も無い。 こんなくだらない事で無益な争いをして、いったいなんになるだろうか。 頭一つで済むのなら安いものである。 幸い夕呼も武の反応に一応満足したらしく、嫌味の一つもなく武から視線をそらした。「さてと、これ以上は本当に時間がもったいないからさっさと本題いくわよ? ――アンタ達2人とも強制徴兵、拒否権は無し、以上!!」 夕呼は言うべき事は全て述べたとばかりに満足げな表情を浮かべ、くるりと体の向きを変え歩き出す。 突然のことに皆呆けて反応が出来ない。 一様に夕呼の後姿を凝視するのみで、その間にも夕呼はどんどんと進んでゆく。「……ま、待ってください香月博士!! そんな話、私聞いてませんよ!!」 精神の再構築をいち早く済ませたまりもが、今にも教室を出て行こうとしていた夕呼をすんでで呼び止めた。「当然でしょ? だから今話したんじゃない。」 あっけらかんと言い返す夕呼。 全くもって悪気が見えないあたり、いかにも彼女らしい。「――っ! まだ2人とも今年で15なんですよ?! そんな子供を――」「あら、斯衛では15才でもう戦場に出るそうよ? 優秀な人材を野放しにしておけるほど、人類に余裕が無いのは貴方も知っての通りでしょ?」 激高するまりもに、夕呼は凍りつきそうなほど冷たい眼差しを向ける。 それは仮にも友人に向ける類の視線ではなかった。 まりもは思わず息を呑む。 良識とか常識とか、そういったものは『香月博士』にとって何の意味も持たない。 己の利益になるか、ならないかの二者択一……そんなロジック的な思考をしているのが『香月博士』である。「……それともまりも、アンタは2人をスパイ容疑で逮捕して尋問にかけたほうが良いって言うの? むしろそっちの方が私は『カワイソウ』だと思うけど。」 苛立ちを隠そうともせず切り返す夕呼。 良識に『良識』で返すあたり、随分とえげつない。 まりもはこんどこそ閉口した。 変わって素っ頓狂な叫び声を上げたのは純夏だ。「スパイ容疑で尋問?!」 目を皿のように丸くして叫ぶ純夏。 武は思わず耳を塞いだ。「そうよ。 貴方自身は本来なら別に何の問題もないんだけど、貴方の連れがおかしな行動をしてくれちゃったからね。 『カワイソウ』だけど、その時は私を恨まないでよ?」 それを聞くなりギンと武を睨みつける純夏。 申し訳なさで、武は体を萎縮させた。「――でももしこのまま軍隊にいてくれるなら、別にそんな強硬手段取る必要も無くなるんだけど……。 まあ、どうしてもイヤって言うならしょうがないわねえ。 でも考えて見なさいよ、どうせ3年後には2人とも徴兵されるのよ? そうだ……いまなら特別待遇で入隊させてあげてもいいわよ?」「……特別待遇?」 その響きに惹かれたのだろう、純夏は思わず呟いた。 夕呼はしめたとばかりに一気に捲くし立てる。「そう、特別待遇。 部屋は仕官用の部屋、ユニットバス付き。 訓練には一流の教官を付けてあげるし、もし無事任官できたら特別にスーパーエリート特殊任務部隊に入れてあげてもいいわよ?」 スーパーエリート特殊任務部隊……A01のことなんだろうが、だったらあんまりオススメできないような……。 武はぼんやりと考える。 隊員は確かに誰もが優秀なのだが、任務が余りにメチャクチャなのだ。 夕呼の私兵団といって過言では無い秘密部隊、ある意味全世界で『サイキョウ』の部隊だ。 当然欠員率もハンパじゃなく、加えてどんな過酷な任務で死んでも事故死扱いなのだから、正直浮かばれない。「あ、ちなみに3年後国から正規に徴兵された場合の待遇は、まず間違いなく部屋は男女混合の6~12人部屋で、もちろん風呂は共用でしょうね。 訓練は……そうね、鑑ほどの容姿があればオヤジ教官が文字通り手取り足取り教えてくれるじゃないかしら? 任官後のことまではわからないけど、ま、『死の八分』を乗り越えられれば何とかなるんじゃないの? 乗り越えられればね。」 武の記憶が正しいとすれば、夕呼の言っている『普通に徴兵』された場合の待遇はほとんど事実だった。 いつか他の隊の衛士からそんな話を聞いた覚えがあったのだ。 それにもし違っていたとしても、今回ばかりは夕呼に加勢せざる終えなかった。 徴兵を前にして軍隊に入隊できるこの千期一隅のチャンスを見逃すことなど、彼には出来なかったのである。「……わかりました、やります!!」 武は思い切って声を張り上げる。「ええ~?! ちょっとタケルちゃん!!」「なあ純夏、考えてみろよ。 おまえは惨めな最期を遂げるのと、人類のヒーローになるのとどっちがいいんだ? その他大勢のやられ役とオグラグッディメンのどっちが良いんだ!?」「……なんか例えがどっちもいやだけど……う゛~、タケルちゃんがそこまで言うなら……。」 とは言いつつまんざらでもない様子の純夏。「よし! 良く言った、オグラグッディメン!!」「だ~か~ら~、オグラグッディメンは止めてっ!!!」「グッバイキンッッ!?」 武の体に再び突き刺さる『どりるみるきぃぱんち』。 ―――だから、おまえはオグラグッディメンなんだって!!! 武は腹に走る激痛に悶えながら心の中で悪態を付いた。「さて、話も纏まったところで私は早速手続きを済ませてくるわね。」 そう言い残して、夕呼は今度こそ教室を後にした。 残された武達2人に、まりもはややあって声をかける。「本当に良かったの? 貴方達。」 その声色は穏やかで、心のそこから武達を気遣ってのものに違いなかった。 その姿に『神宮司先生』の面影を見つけた武は、やはり彼女は彼女なのだと頬を緩ませた。「ええ、元はといえばオレが変な行動を起こしたのが原因ですし……。 それに、生身でBETAと戦うよりは、戦術機に乗ってたほうがまだ生き残れる可能性がありますから。」 おどけた様子で答える武。 『恩師』である彼女に、これ以上心配をかけたくなかったのだ。 ところが、武の思惑とは全く逆に、まりもはそれを聞くなりハッと息を呑んで、表情をより翳らせてしまった。「えっと……純夏、オレまた何かへんなこと言ったか?」 思わず小声で幼馴染に確認を取る武。「え? 別に今のは普通だったと思うけど……う~んでもちょっとおおげさだったかも? でもさっきのよりはずっとマシだったよ。」「……ごもっともで。」 なんだかんだと歯に衣を着せない感想を返す純夏に、武はゲンナリと答えた。「――ごめんなさい。」 やがてまりもは沈痛な面持ちでそう言った。「え?えっと……。」 事情を飲み込めず目を瞬かせる武。「私達大人がもっとしっかりしていれば、貴方達を戦場に出さずに済んだかもしれないのに。 ――『戦術機の中の方が安全。』まさかそんな言葉を貴方達に言わせてしまうなんて、ね。」 武はそれを聞いて、己が何を言ってしまったのかようやく気がついて顔をしかめた。 すくなくとも、彼女を前にして言って良い言葉ではなかったはずだ。 『日本本土は、日本海が守ってくれるから絶対に安全だ。』というのが、この頃の一般常識なのである。 武は『2001年』における『軍部』の、それも『衛士の立場』から常識を述べたに過ぎないが、現在の段階では軍人含め日本国民の大半が本土の安全神話を信じていたし、まして志願を念頭に入れているものなど全体の1~2%に満たなかったのである。 この国民レベルでの認識の甘さが、BETAの九州侵攻を押さえ込むことが出来なかった原因の一つなのだが……。「……神宮司教官、タケルちゃんの頭がおかしなだけですから、そんな気にする必要ない――イッター!!!」「純夏、いくらなんでも『頭がおかしい』ってのは酷いんじゃねえか?」 まりもを元気付けようと明るく振舞う純夏。 彼女の意図を理解した武も、それに便乗して何時も通りの『返事』を返した。「イタタタタ……もうタケルちゃん、ちょっとは手加減してよ! 私これ以上馬鹿になったらどうすんのさ!!」「ふん、これぐらいでお前は丁度いいんだよ。 それに叩けばちょっとはマシになるかもしれねえだろ?」「ムッキー!! 私を古い電化製品と一緒にするな!!」 顔を真っ赤にして本気で怒り出す純夏。 おいおい、冗談だって念じるも、残念ながら武にESP能力などあるはずが無い。 次の瞬間には純夏の拳が腹部に突き刺さり、肺の空気が全て外に押し出された。「……ふふ、貴方達は強いのね。」 2人のやり取りに、微笑を浮かべてまりもは呟いた。 どうやら目的は達成したようである。 武は思わずホッとした。「――そうだな、おまえ達がそれで私がこんなザマでは教官として失格だな。 ……おまえ達、もし何か困ったことがあったらいつでも相談に来るんだぞ、こんな私でもよければなんでも相談に乗ってやろう。」 そう締めくくってニヤリと笑った彼女は、武の知っている何時もの『神宮司軍曹』の顔であった。 『神宮司先生』の面影が消えてしまったことを少々残念に思いながらも、武はしっかりと頷いた。「――はい、よろしくお願いします!」「よろしくお願いします!」※ 夕呼と入れ替わりに入ってきた金髪美人秘書、もといピアティフ技術中尉に連れられ、武達は今日仮に宿泊する部屋にまで案内された。 施設内を移動すること数分。 ついた先にあった部屋はどうやら2人部屋のようだった。 部屋の左端に二段ベッドが置かれ、奥にはロッカーが二つ。 反対の隅のほうには小さな机が備え付けられていた。「タケルちゃーん。 私上で寝ていい?」 お泊り会に来た子供のようにはしゃぐ純夏。 すっかり現状を忘れてしまっているらしい。 こんなのでこの先大丈夫なのだろうかと、武は頭痛を覚えた。「はあ、好きにしろ。 寝ぼけて上から落ちてくるなよ。」「ぶう、私そんなにドジじゃないもん!」 頬を膨らませて怒る純夏を、武は「……今朝、階段から愉快に転がり落ちたバカは誰だ?」とバッサリ斬って捨てた。 それからしばらく部屋で今日の出来事について話していると、まりもが軍隊の決まりごとや入隊宣誓などがかかれた冊子を持って現れた。 しかも、『明日までに全部覚えろ』というありがたい宿題付きだ。 その冊子のあまりの分厚さに、純夏は顔面蒼白で固まってしまう。 まりもはそんな彼女の様子に苦笑して言った。「今日は本当にご苦労様だったな。 いろいろあって疲れただろう、きちんと休養はとっておくんだぞ。」「はい、わかりました。」 ドアノブに手をかけた姿勢のまま、「ああ、それと……。」と武達の方を振り返るまりも。「明日、入隊してからは覚悟しておくことだ。 たとえ15歳とはいえ、手加減は一切するつもり無いからな。」 ニマアと笑ったその顔は、先程の優しさなど欠片もない、鬼コーチのそれだった。 武達の俄然とした表情に満足したのか、まりもはそのまま固まった2人を放置して部屋を後にした。※「ねえ、タケルちゃん。」 夕食を終え、夜ベットで休んでいたところ、突然思い立ったかのように純夏が声をかけてきた。「……なんだよ、純夏?」 武は眠たい目を擦りつつ返事をする。 「あ、ごめん、寝てた?」と、ベッドの上からひょっこり顔だけ出して尋ねる純夏。「いや、で、オレになんか用事でもあんのか?」「用事って言う程のことは無いんだけどさ、毎晩こうするのが習慣っていうかなんて言うか……。 タケルちゃんの顔を見てからじゃないと落ち着いて眠れなくって!」 純夏の返答に、何だ? 純夏は自分の顔を見ると眠たくなると、そう言いたいのか? と、少しムッとする武。「じゃあオレの顔はもう見たから良いな、おやすみ。」「わぁ~~!! 寝ちゃダメェ、もうちょっとお話しようよお!!」「……まどろっこしいこと言わずに最初からそう言えって。」「むう、タケルちゃんは乙女心が分かってないよ!」 ようするに純夏は『察しろ』と言いたいらしい。 いつ頃からかよく使うようになった言葉だが、正直、純夏が乙女と呼べるかどうかについては、まだ微妙なところだと武は思っている。「オレは男だ、んなもん永久に分かってたまるか!」「そんなだから、タケルちゃんぜんぜんモテないんだよ!!」「よ、余計なお世話だ!!」 売り言葉に買い言葉、それが2人の『いつも』のコミュニケーション方法。 と、何故かそれきり会話が途切れ、辺りを静寂が支配した。 しばらくお互い黙り込んでいたが、やがて純夏の方から口を開いた。「……ねぇ、タケルちゃん?」「……ん?」「私達、これからどうなるんだろうね?」 やはりそう来たか。 武はある程度予想していた……いや、予想以上の反応に、ある意味胸をなでおろした。 純夏はちゃんと自分の現状を受け止めている。 その上でこれからどうなるのか、不安に思っているのだろう。 『過去の自分とは大違いだ。』と、思わず自嘲する武。 ――これからどうなる、か。 武は思いをめぐらせる。 今回のことで図らずしも『避難の途中でBETAに捕縛される』という未来は回避できたかもしれない。 だがその代わり、全くと言っていいほどこれから先の未来が見えなくなってしまった。 今彼が確実に分かっていることは、『衛士訓練生』になったという事実のみ。「どうなるって……明日から地獄の訓練が始めるんだろ、どうせ?」 仕方なく、武は冗談半分にそう答えた。 「う゛……。」とうめき声で持って答える純夏。「――てえ、そ、そうじゃなくて。」 となると、それよりももっと先のことだろうか? 武は考える。 未来はもう武の知っている未来と同じとは限らないし、逆に同じであるほうが彼にとっては不都合であった。 何故なら、武の『記憶』の大部分が『己の死』を前提として成り立っているためだ。 武とてむざむざ死ぬつもりは無いし、例え自身の犠牲で世界が救われる可能性が高いとしても、それは彼の身近なものの死、そして己の消滅と引き換えなのだ。「そりゃ……任官してBETA共と戦うんだろ?」 このくらいが妥当な線だろうと、武はそう答えた。 「うーんちょっと違うんだけどなあ……。」と困ったように呟く純夏。「……そう言えば、タケルちゃんは怖くないの?」「ん? なにが?」 質問に質問で返す武。「BETAと戦うことに決まってるじゃん。」 若干イラついた様子で純夏は答えた。 当然武とてBETAは怖い。 他のどんな衛士、否、人類よりも武はBETAという存在の本質を知り、恐怖している。 大切なモノを汚され、奪われ、己の命までも幾度となく……。「そりゃ怖えよ。 あんな気色悪いうえに数だけは無駄に多くて……ああ、イヤだ。」 苦虫を噛み潰したような表情で武は吐き捨てる。 そんな彼の様子を不審に思ったのだろう、純夏は不思議そうに尋ねた。「……ねえタケルちゃん、さっきから思ってたんだけどさ、タケルちゃんBETAに会ったことでもあるの? なんかまるで自分の目で見てきたみたいな口ぶりだけど……。」「えっ? ……あ、いや、さっきまりもちゃんから聞いたんだよ。 ほら、トイレ行ったとき、偶然廊下でばったり会ってだな。」 しどろもどろに答える武。 純夏は探るような目線で武を見つめた。「神宮司教官から? 本当に?」「だ……だったら逆に聞くが、まりもちゃんから教えてもらったんでなきゃ何でオレがBETAのことなんて知ってるんだ?」「タケルちゃんのことだから口からでまかせかもしれないじゃん。 アイタッ!!」 武は思わずスリッパで持って彼女の頭を引っぱたいた。 半分図星だったがために、余計腹が立ったのだ。「んなつまらん嘘つくかっ!!」「……それ言うんだったらさっきのアレ、どう説明するのさ?」 アレとはつまり『夢がどうたら』というあの件のことだろう。「だからアレは本当――」「ふん、いくら私が馬鹿だからって、騙されないからね!!」「誰もおまえが馬鹿だなんて一言も言ってねえだろうが。」「どうだかね!!」 そう言ってむくれる純夏。「――あ、ひょっとしてお前、オレが『オレよりも馬鹿だ~』って言ったことまだ気にしてんじゃねえだろうな?」 どうやら正解らしい、純夏はプイッと武から顔を逸らした。「ったくお前はなあ、あんなの言葉のあやに決まってんだろ? バーカ。」「あーーー!! また馬鹿って言ったー!! ……なんちゃって……アハハッ、タケルちゃんと話してたら、私なにが不安だったのか忘れちゃったよ。」 純夏は笑いながら言った。 武は突然の展開についていけずボケッと呟く。「はあ……?」「な、なんでもない、おやすみ!! ……あ、やっぱりちょっと待ってタケルちゃん、もう一つだけ聞きたいことがあるの!!」「なんだ?」「私達さ、これからもずっっと一緒だよね?」 その問いに、武は思わずふっと笑いを漏らす。「……そんなの当たり前だろ?」「そっか……。」 純夏は安心したように呟いた。「ってそうそう、タケルちゃん、入隊宣誓や隊規とか軍規ってちゃんと暗記したの?」 心配そうに尋ねる純夏。 ――人が折角シリアスやってたってのにこいつは……。 ありがた迷惑だ、と、武は舌打ちする。「――当っったり前だろ……」「今の間って何さ? ……さてはタケルちゃん、まだ覚えてないんでしょ!!」 「もしタケルちゃんが間違えたら、恥じ掻くのはタケルちゃんだけじゃなくて私もなんだよ!?」と言って武のことを指差す純夏。「心配するな、純夏じゃねえんだから、もうちゃんと覚えてるって。」「それってどういう意味さ!!」「ん?だっておまえ、まだ覚えてないんだろ?」 さも当然と武は答える。「ムッキーーー! 何でそんなこと分かるのさ!?」「純夏だから。」 とどめの文句を武が言ったとたん、純夏はプルプルと震え出した。「―――タケルちゃんの、バカ――!!」 純夏はハラリと二段ベッドの上から飛び降り、地面に着地した刹那、その拳を振りかぶった。 この運動神経が平時にも生かせればいいのだが、生憎彼女の才能は武に突っ込むときのみに発揮される。 迫り来るこぶしを眺めながら、武は必死に次の吹っ飛び台詞を考えた。「ストレルカッッッ!?」 ――『ストレルカ』。 ソ連生まれの、人間よりも先にロケットに乗って宇宙飛行してきた犬の名前である。 地球帰還後にストレルカが生んだ子犬の内一匹は、アメリカ合衆国大統領にプレゼントされたとかなんとか……。 武はその日、成層圏でストレルカと戯れる夢を見た。※ 翌日、朝食の後すぐ講堂で執り行われた入隊式は恙無く終了した。 とはいえ、入隊式と言っても列席者は基地司令をはじめとする基地関係者数人とまりも、そして武達2人といった大変質素なものだったが。 式典終了後、武達2人は207B教室へと一路向かった。 まりもからそこで待機するよう指示を受けたのだ。 なんでもこれからのことについて詳しく説明があるらしい。 その教室への道すがら、純夏は意外な人物を目にし、思わず足を止めた。「あ、ピアティフ中尉だ。」「ん? ピアティフ中尉だって?」 武は釣られて前に視線を戻す。 なにやら大きな紙袋を両手に提げ、207B教室の戸を開こうとするピアティフの姿が目に映った。「――ピアティフ中尉、どうなされたんですか? 神宮司教官に何か御用でしょうか?」「丁度良かった、白銀訓練兵、鑑訓練兵、香月博士がこれを貴方たちに渡すように、と。」 ピアティフはそう言って大きいだけでなく、やたら重い紙袋を2人に押し付けた。「……っ!!」 純夏が袋の中身を見て声にならない悲鳴を上げる。 中にはこれでもかと言うほどビッチリと何がしかの本が詰め込まれていたのだ。 昨日彼女は分厚い冊子を一冊丸暗記したばかり。 もう本などしばらく目にかかりたくなかったことだろう。 真っ白になってしまった彼女に同情しつつ、武は一番手前にあった本を手にとり、その背表紙を何とはなしに読み上げた。「古典……ってん? 古典??」 他にも数学、物理、現代国語、etc...なんと袋の中に詰め込まれていた書籍は殆どが所謂教科書の類だった。「あの……ピアティフ中尉、これっていったい?」 武は訝しげな様子でピアティフに尋ねた。 その問いに煮え切らない表情でピアティフは答える。「貴方たちには、基地内でも教育を受けてもらうことになったそうです。」「……はい?」 その突拍子も無い内容に、武は思わず間抜けな声を漏らした。「なんでも流石に15歳以下の子供を徴兵することには政府も難色を示したそうで……。 話し合いの結果、基地が責任を持ってあなたたちに教育を施すということで決着を付けたらしいです。 詳しい事情は私にも分からないのですが……。」 ピアティフはそう補足して溜息をつく。 「でもでも、斯衛の人たちは15才から戦場に出るって昨日香月博士言ってませんでしたっけ?」 純夏は納得いかない様子で言った。 それに相槌を打つ武。 ピアティフは「それは事実そうなのですが……。」と答え肩をすくめる。「斯衛の大半が武家、或いは公家出身の方々なのは2人ともご存知の通りかと思います。 戦となれば率先して戦い、国民を命がけで守るのが元々彼らの『使命』なのだそうで。 ……守られるべき国民にはその義務も権利もない、と言うのが彼らの言い分だそうです。 ――香月博士もその考え方には猛抗議なされたそうなのですが……。」 ―――全く、どんな理屈だよ。 政府の言い分に、武は怒りを通り越して呆れを覚えた。 幼い人命を尊んでいるあたり、BETAによって滅亡の危機に瀕している諸外国に比べ、まだ日本には余裕があるという証拠であるし、民を大切にするその態度には武とて好感が持てたが、後半の部分に承服しかねたのだ。 華族だろうが一般人だろうが、人類滅亡を前にしてそんなものは関係ないだろうに、というのが武の認識である。 まあ安全神話が公然とまかり通っている『今の』日本の認識など所詮それまでなのだろう。 一方でまた武は、安全神話云々抜きでも己のこの考え方が、恐らく『大日本帝国』と言う国においては異端であろうことは重々理解していた。 だからあえて口にしなかったし、彼には珍しく心の内だけにとどめたのだ。 彼の良く知る『日本』とは違い、大政奉還が行われたにせよ幕府に実権が残り、しかもその体制が戦後もそのまま続いたこの『大日本帝国』においては、未だ色濃く士農工商思想の影響が残っているのである。 武は改めて自身は『日本人』では無いのだと実感した。「え~!? じゃあ私達、普通の勉強と衛士になるための勉強、両方一緒にやんなきゃいけないの!?」「恐らく……そういうことになるかと思います。」 ピアティフは言いにくそうに答えた。 がっくりと肩を落とす武と純夏。 「……じ、じゃあ、私はそう言うことで。」そう言い残して、武達の視線から逃げるように足早にその場を後にするピアティフ。 彼女が去った後2人の前に残されたのは、大量の教科書の山。「タ~ケ~ル~ちゃ~ん、タケルちゃんの責任なんだからねぇ~。」 「どうしてくれるのさー」と、武に詰め寄る純夏。「いや、オレじゃなくて夕……香月博士だろ?」 純夏のジト目に耐えかねて視線を逸らす武。「むう……まあそれは、そうなんだけどさあ。」 純夏はガクリと肩を落とした。 「あう゛~……でもそういえばタケルちゃん、軍隊のなかで先生出来そうな人……っていうかむしろ教員免許なんて持ってる人居るのかなぁ?」「免許持ってるかどうか知らねえけど、適任そうな人なら昨日お世話になったばかりだな。」 と言うよりも、彼女以外に適任な教官等居ないだろう。 外部からわざわざ呼び込むわけにも行かないだろうし……。 深く溜息をつく2人。 窓から見える、どこまでも続く雲一つ無い澄み渡った空が、妙に恨めしかった。※「あ~、なんというか……ここは『ご愁傷様』と言っておくべきなのかな?」 開口一番にまりもはそう言った。「まりもちゃんがそれを言ったらお仕舞いじゃないですか……。」 ゲンナリとした様子で武はそれに答える。「白銀、上官侮辱で腕立て50。全く貴様、上官への口の聞き方には気をつけろ。」 「まあ大方香月博士の口調が移ってしまったのだろうが。」と内心溜息をつくまりも。 いい加減夕呼にも軍属と言う立場である以上、公の場だけでも軍規に従って欲しいものだと憤りを覚えた。「白銀、香月博士は私の上官、一方貴様は訓練兵、つまりは一兵卒だ。 公の場では『神宮司軍曹』または『軍曹』と呼びたまえ。軍規は軍規だからな。」「す、すみませんでした。」 素直に頭を下げる武に「もしそんなにも私のことを『まりもちゃん』と呼びたいなら、ココを立派に卒業してからにするんだな。」と言って不敵に微笑むまりも。 一方で武は己がまた「まりもちゃん」と呼んでしまった事に激しい自己嫌悪を覚えていた。 もう二度とまりもちゃんとは呼ばない……それが己の『甘さ』との決別だと思っていたのに――本人を前にしたとたんこのざまだ。 また自分は繰り返そうというのか? 武は腕立て伏せをしつつ、己を戒める。「……とまあこのように、『普通』の授業とは言え、甘えは許さんからそのつもりでな。 おまえ達2人を腑抜けのまま戦場に送り出すわけにはいかんのだ。」 戦場では『甘え』がそれこそ命取りとなる。 対BETA戦争においてはまさにそうだ。 年齢など関係なしに、油断したものから命を落とす。 それが戦場における不動の掟。「その代わり私も一教師、一教官として、全力を持っておまえ達を鍛え上げるてやるつもりだ。」 まりもは半分自身に向かってそう言った。 それこそが自分の『贖罪』であり、課せられた『責務』なのだ。「ああまりも、ちょっといいかしら?」 突然姿を現したこの騒ぎの元凶。 昨日といい今日といい、全くタイミングが良すぎる。 「ま、またなの?」思わず小声で呟くまりも。「ねえねえタケルちゃん。」 純夏はこっそりと武に耳打ちした。「なんだ、純夏。」「……ひょっとして香月博士って、いつも出番待ちしてるのかな?」 ジッと廊下でタイミングを窺っている夕呼の姿を想像し、武は思わず噴出した。「そこっ! 何2人でコソコソと話してるの?」「わっ、す、すみません。」 ば、ばれた。 慌てて姿勢を正し、謝る純夏。「鑑! 特に白銀、貴様には先程言ったばかりだろうが!!」「っ、申し訳ありませんでした!」「――あ~、まりも、良いの良いの、別にそこまで気にしてないから。」 手をひらひらさせながら、夕呼はまりもを宥めにかかる。 別に武の身を案じているわけでなく、ただ単に自分が面倒くさいのだ。「ですが……。」「もう、私が良いって言ってるんだから良いじゃない。」 尚も食い下がるまりもに、面倒くさそうに答える夕呼。 夕呼が関わると軍規もへったくれもないと、まりもは肩を落とした。「そうそう、話を元に戻すけど、まりもが授業を持てない時は私が授業を担当することになったから、よろしくね?」 そんなまりもの気苦労を他所に、サラリととんでもないことを告白する夕呼。「えっ!? ――こ、香月博士! そういう大事なことは事前にお知らせしていただくよう、いつも言ってるじゃありませんか! それにご自身のお仕事はいったいどうなさるおつもりなんですか!?」 目を真ん丸くして驚くまりも。 彼女の言う通り夕呼の本職は研究、教育とは全く接点が無い。「大丈夫よ、まりも。 最近私暇なのよね~、理論の研究だったらそれこそどこだって出来るし、別に問題ないでしょ?」 何が大丈夫なのか良く分からないが、夕呼先生はしれっとそう答えた。 ――そうか、理論の研究はどこでも出来るのか……ってそうじゃない! 武は危うく乗せられそうになった己を責叱する。 彼女には世界を救ってもらわなければならないのだ。 自分達相手に油を売られていたのではたまらない。 効率主義の彼女が、一体全体どういう風の吹き回しだ……? 理由を考えようとして、刹那武は思考を取りやめた。 考えるだけ無駄だと、今までの経験が武に語りかけたのである。 一見無駄に見える行動でも、それは綿密に計算された上での行動のはずである。 とりあえず、今は彼女を信頼するほかあるまい。 全く、彼女の教えを請うのは何十年ぶりだろうか? 振り返ってみると、なんと最近まで彼女の授業を普通に受けていたことに気がつき、武は面食らった。 そういえば、自分がこの『狂った』世界に『生まれて』からまだ数年も経っていないのだ。 それが何故だろう、もう随分と前のように感じられる。 いったい彼女に何を教わっていたのかも、今となってはほとんど思い出せない。 まあそんなことはともかく、いかに現在平時だとは言っても、夕呼にはその身分に応じたそれなりの仕事があるはず。 それが『暇』だとは一体どういうことなのだ? ひょっとして、ピアティフ中尉に雑務は全て押し付けているとか、そういうわけじゃないだろうな? ――まさかな。 武は嫌に現実味のあるその妄想を、必死に頭から振り払った。「さて、それじゃあ明日からの予定を組まないとね。」「あの博士、失礼ですが―――」「あ、それアンタの予定表? ちょっと貸してね。」 「え、あの、ちょ、ちょっと!?」 回りを巻き込みながら、あくまで自分のペースを崩さず突き進む夕呼。 完全に夕呼のペースに巻き込まれてしまった3人は、もう呆然と事の成り行きを見守るしかなかった。 まりもの努力と夕呼の気まぐれにより、『体育』は正規の衛士訓練兵達と合同で午前中に、午後は『普通授業』を5時間程行うことになった。 座学は毎日プリントが配られ、それを元に自主学習し、夏季試験で合格すれば免除、不合格なら半年後『体育』の変わりに行うことになるらしい。「タケルちゃ~ん、ハードすぎだよこれって。」「ああ、オレも正直そう思うぞ。」 武と純夏は互いに顔を見合わせ、揃ってため息をついた。