昼食の席で全員が揃うのを待つ間は暇なものである。退屈しのぎに、武はなんと無く純夏の後ろ姿を目で追った。 ふと、彼の方を振り向く純夏。しかし、目があった途端彼女はプイッと顔をそらしてしまった。 どうも最近純夏の様子がおかしい――武は溜息と共に頭を振った。思えば3日前の朝から彼女の様子はおかしかった。毎朝頼みもしていないのに目覚まし時計よろしく決まった時間に起こしに来る純夏が、どういう訳か姿を現さなかったのだ。霞も純夏が居ないことに困惑していた様子で、武を起こし終わると挨拶も無しに部屋から出て行ってしまった。 具合でも悪いのかと心配した武だったが、点呼の時には姿を現していたし、訓練中の彼女は元気そのものだった。違いと言えば、決して武と顔を合わせようとしないぐらいである。原因を聞き出そうと意識的に声をかけるものの、帰ってくる返事は生返事か必要最低限の内容だけ。 ああ、どうせあの夜の事なんだろうなあと、武はうすうすとではあるが気がついていた。しかし、気がついたところで対処法が彼には全く解らない。純夏に聞いたところで「別に気にしてない。」の一点張りなのだ。全くの唐変木であった過去よりはマシになった――と、本人は思っている――が、それでも乙女心は武にとっては彼方の存在だった。武には何で純夏がそこまで腹を立てているのか、皆目検討がつかなかったのだ。「なあタケル、お前ら何かあったのか?」 2人の様子を心配した孝之が、武に耳打ちした。「いや、オレにもどうしてこうなっちまったのかさっぱりわからねえんだ。」 まったくお手上げだよ、と、武は溜息をつく。「……そうか。 まあ、何かあったらオレも協力するから遠慮無く言ってくれよ。」「ありがとな、その時は頼んだ。」 武はニッと孝之にほほえんだ。「な~に~? 男2人そんなに顔寄せ合って内緒話なんて、キモチワルイ……。」 顔をしかめて文句を言う水月。「あん? 別に男が内緒話しちゃいけないって軍規はないだろ?」「それはそうだけど孝之……端から見ていて、あんまり気持ちの良い光景じゃないぞ?」 水月に対する孝之の反論に、今さっき戻ってきた慎二が小言を漏らした。確かに、皆の揃う昼食の時間帯に堂々と内緒話をするのはいかがな物だろうか、と気がつく武。「――悪い、無神経だったな。」「ああ、オレも悪かった。」「2人とも解ればよろしい。 さ~て、それじゃあ遙と鑑も戻ってきたみたいだし、お昼にしましょうか!」 昼食の間も純夏はタケルと顔を合わせようとせず――とは言っても、たまに目はあったのでチラチラと横目で見ているようだが――それは午後の訓練でも同様だった。いつもの彼女ならばストレートに己の感情をぶつけてくるが故に、いざこういったモーションをかけられると武は弱かった。 悶々としたストレスで訓練には身が入らず、妙なところでヘマをしては皆にバカにされるどころか心配される始末。教官からは「弛んでいる!」と、完全装備で校庭20周を命じられてしまった。ところが走っている間も武の頭の中は純夏のことでいっぱいで、気がつけば25周目を回ろうとしていたところで教官からストップをかけられていた。挙げ句の果てに、教官にまで医務室に行くよう進められる醜態をさらしてしまう武。 この3日間で、武は完全に調子が狂ってしまっていたのである。 溜息は回数を加速度的に増やしていき、結局終始ボーッとしたまま一日を終える武。心ここにあらずというか、普段武の存在感が人一倍有るが故に目の前にいる武がまるで抜け殻のように水月には感じられた。純夏も純夏で武に近づくのを意図的に避けており、結局2人とも丸一日まともな会話を成立させていない。この様子には207隊のメンバーもただ事ではない雰囲気を感じ、武達には内緒で夜に集会を開くこととなった。※ シンと静まりかえった、物音一つしない室内で向かい合う4人の人影。消灯時間を超えたため、部屋を照らすのは電気スタンドの淡い光のみだ。4人の真剣な顔が下から照らされたその様子は、あたかも怪談でも語り出そうかといった雰囲気である。特に孝之などは巫山戯て怖い顔をして……遙の悲鳴と同時に、水月が放った野球ボールが彼の側頭部を抉った。「それで、2人のことだけど……何か心当たりのある人いる?」 コホンと咳払いをしてから切り出す水月。しかし、傍らに力なく倒れる孝之の姿がシュールすぎてなかなか空気が締まらない。「オレは確か3日前ぐらいからだったと思うぞ、2人の様子がおかしくなったのは。」 いち早く頭の中を切り替えた慎二が水月に答えた。「私もだいたいそのぐらいだと思うわ。 遙はどう思う?」「……え? あ、あ、私もそうだと思うよ?」「遙、今ちょっとボーッとしてたでしょ。 ダメよ? 確かにカップルはお互いに似てくるって言うけど、孝之の悪いところまで似ちゃったら。」 水月の言葉に、遙はボッと顔を赤くした。「いや、遙のは元からだと思うんだが。」「あら、孝之もう起きたの? 新記録じゃない。」 そう言って頭をさすりながら上半身を起こした孝之を茶化す水月。しかしその視線はまるで孝之を射殺さんがごとく冷たい。「巫山戯たのは確かにオレが悪かった。 だからそんな目で睨むのはよしてくれ。」「昼のことしかり、アンタも少しは『時と場所と場合』を弁えなさいよね?」「――くれぐれも胸に刻んでおきます。」 孝之は珍しく素直に頭を下げた。「……あ~もう! 孝之のせいで雰囲気がメチャクチャじゃない!」「落ち着いて、水月。 場の雰囲気も和んだみたいだし、ちょうど良かったと私は思うよ?」「むう、まあ遙がそう言うなら。」 渋々と遙の説得を受け入れる水月。「それで孝之、あんたは3日前武達に何があったか知ってる?」「……3日前? それといったことは起こってねえ様な気がするけど……というか、アイツら朝から機嫌悪そうだったから4日前に何かあったんじゃねえか?」「4日前? でも、特訓が終わるまではいつも通りの2人だったじゃない。 やっぱり3日前に何かあったんじゃないかと私は思うけど。」 水月の言葉に「あ、そういやそうだな。」と、笑って答える孝之。「まあ仮に孝之の意見が正しいとすると、何かが起きたのは4日前の夜って事になるな。 まったく、夜に何が起こったって……いや、まさか。」「どうしたの慎二、何か思い当たることでもあったの?」 突然眉間に皺を寄せて固まってしまった慎二に、水月は恐る恐る問いかけた。「まさかとは思うけど……武の奴、無理矢理に鑑を押し倒したとか。」「ちょ、ちょっと慎二! いきなり何てこと言うのよ! まさかタケルがそんなことするわけ無いじゃない!! あんたタケルをなんだと思ってるのよっ!!」 とんでも無い意見を言う慎二を烈火のごとき勢いで責め立てる水月。「――いや、わかんねえぞ。 純夏のあの避け方は尋常じゃなかったからな。 もしそうだと考えれば、全部つじつまが合うし。」「孝之まで?! ……でもそんな、あり得ないわよ! 2人とも幼馴染みなんでしょ?! それを無理矢理にだなんて……。」「……あの、ちょっといい?」 なにやら話が変な方向に向かいだした頃、遙は突然切り出した。「えっ、いいけど。 ……ひょっとして遙、あなた何か知ってるの?」 水月の問いかけに、遙は真剣な顔でこくりと頷く。固唾をのんで見つめてくる3人を前に、遙はゆっくりと口を開いた。「あのね、実は……。」※ 基地内のとある一角、まるで人目を避けるかのようにブロックから2枚扉を挟んだ先の部屋に、夕呼の部屋はあった。ほとんどの研究チームを帝国大学に残して出向している夕呼の部屋はそのまま彼女の研究室であると同時に応接間でもある。「火のないところに煙は立たず……なんて世間では言うらしいけど。」 渋く入れたコーヒーを一口すすりながら夕呼は誰にともなくつぶやいた。「でもボヤに気を取られて、油を火にかけたまま家を飛び出すなんてバカにもほどがあると思わない?」「まったくですな。」 夕呼の呼びかけに、パナマ帽を被った男が頷いてみせる。表情は薄く、不細工ではないが全くどこにでもいそうな顔立ちは特徴をあげるのが難しい。「ああ、そういえば最近寝苦しい日が続いておりますが、そのためか扇風機をかけたまま寝入ってしまい低体温症で命を落とす事故が多発している様です。」 「博士も気をつけられた方が良いのでは?」男はうっすらとした笑顔を浮かべて言った。「せいぜい注意しておくわ。 アナタも火事で家主の連帯保証人に逃げられないよう見張っておく必要があるんじゃない?」「おお、それは何とも……。 さすがに連帯保証人に逃げられてはたまりませんなあ。 毎年多額の保証料を払っているというのに。」「そうなれば良くて半焼、最悪全焼どころか周りの家に飛び火するんじゃないかしら?」 そう言いながら愉快そうにクスクスと笑う夕呼。男はそんな夕呼の顔をただジッと見つめている。「……確かに、あり得ない話ではありませんな。」「言っとくけど、私は火事の中いつまでも居残るほどこの家に未練はなくてよ?」 夕呼の言葉に、一瞬男は鋭く目を細めた。その視線を真正面から受けながらも、全く平静な顔を浮かべている夕呼。「ふむ、いつもながら博士は私に無理難題を押しつけなさる。」 男はいかにも困った風に、眉をハの字に曲げて答えた。「それにしても、何故博士は"かの国"が我らを見捨てて撤退するとお考えで? 面子を大事にする性質上、彼らがそう簡単に条約を反故にするとは思えんのですが。」「知りたかったら自分で調べてみたらどう? 私はとりあえず警戒ぐらいはしておいた方が無難だと思うけど。」「……ふむ、そうですか。 確かに一理ありますな。」 不気味に笑う夕呼に、男は無表情で返した。夕呼がこの話題についてこれ以上話す気はないと悟ったのだ。同時に、確証に足る何らかの理由をすでに見つけているであろうことも。「おっと、忘れるところでした。 私の息子……いや、息子のような娘……娘のような息子……ハテ?」「言葉遊びに付き合ってる暇はないの。 アナタは何が言いたいのかしら?」 惚けたように首をかしげる男に、夕呼は辛らつな言葉を浴びせた。「実は娘が最近小物作りに凝っているようでしてな、押し花ならぬ押し草のしおりを送ってきたのです。 なんでも幸運を呼ぶとか。 残念ながら博士の分はありませんが。」「……もうそろそろ帰りたいのね?」 なおも惚け続ける男を鋭い目で睨む夕呼。この男は一度脱線すると強い言葉で遮ら無い限り延々とくだらない話を話し続ける事を知っているためだ。「日本人最年少の衛士が近々この基地から誕生するらしいという噂を聞いたのですが――それも2人も。」 男は顔にアルカイックスマイルを貼り付けたままの表情で言葉を紡いだ。「学徒志願兵よ。 ここは戦線からは遠い内地の基地、なにも不思議なことじゃないでしょう? それともアナタは何か気になることでもあるのかしら?」「いや、失礼いたしました。 息子と同年齢の子供が衛士になると聞いて驚いただけなのでお気になさらず……おっと、娘でしたな。」 そう言って男は、ニコニコと人好きの良さそうな笑みを浮かべた。目まで笑っているため、本心で笑っているのか、演技が徹底しているのかは夕呼にも判断は付かない。それが解るのはESP能力を持つ霞のみだ。しかし、心の色がコロコロと変わる上に思考が統一しない彼の心を理解することは、心を覗くことが出来る霞ですら手を焼いている。「ならさっさと帰りなさい。 なんなら今迎えの衛兵を呼んであげるわよ。」「それは結構、私一人でも帰れますので。 ――と、忘れるところでした、もしよかったらコレを2人に渡しておいてくれませんかな? ささやかなお祝いと言うことで。」 返事も待たずに奇妙な首飾りを夕呼に押しつけると、男は「ちなみに捨てたら呪われますぞ?」と忠告を残して廊下の暗がりへと姿を消した。 途端に静かになる室内。夕呼は男が去っていったドアをしばらくボーッと眺めていたが、やがて飽きたのかウンと背伸びをした。「まったく、私から呼んだとはいえアイツの相手は疲れるわね。」 重い溜息とともに愚痴る夕呼。男が残していった首飾りを改めて眺める。目玉模様の施された小さなトンボ玉が連なった不気味な首飾りだ。ゴミ箱へと投げ捨てようとして、ふと手が止まる。以前、彼の忠告を無視して捨てた結果しばらくの間「これでもか!」というほどツキに見放されてしまったことを思い出したのだ。迷信を信じる訳ではないが、何となく捨てることに抵抗を覚える夕呼。「……そうね、せっかくだからアイツのご希望通り白銀にあげようかしら。」 つぶやきながら、夕呼は部屋を後にした。 ※「「――くしゅんっ!!」」 同時に大きなくしゃみをする武と純夏。純夏の部屋中に大きな音が響き渡り、びっくりして思わずお互いに見つめ合う2人。何となく気まずくて「ニマッ」と、微笑みあった。 ところが純夏は我に返った途端、またプイッと顔をそらしてしまう。 「えーっと、それで純夏。 何でそんなにお前は怒ってるんだ?」「……。」 しかし純夏はタケルの言葉に全く耳を貸そうとしていない。顔をそらしたまま、ふてくされた顔をしている。彼女の態度にムカッときたものの、そこは伊達に何回もループは繰り返していない。武はようやく成長してきた自制心を総動員して己の怒りを静めた。「オレが何か悪いことしたなら謝る。 でも、何も言ってくれないんじゃ解らないだろ?」「……別に、タケルちゃんが何か悪いことしたって訳じゃないよ。 っていうか、そのセリフだけはタケルちゃんに言われたくないよ。」「――!!」 純夏の言葉に、武は返答に窮した。 ――「タケルちゃん、何も話してくれないんだもん!」 武の脳内にフラッシュバックする、いつぞやの純夏の声。黙りこくる武に、純夏は大きく溜息をついた。「ハアァ……そうだよね。 タケルちゃんは『超』が付くほどの鈍感なんだから、ハッキリ口で言わなきゃ解らないよね。」 これまた図星であるため、武は何も言い返せない。純夏は武の顔をまっすぐと見つめ、大きく深呼吸をした。 私も、そろそろ覚悟を決めるべきなのだろう――「変わる」覚悟を。「永久不変」なものなんてこの世には存在しない、人と人を結ぶ縁なんてその最たる物だ。どんなに私が否定しようと、変わらざるをえない。ただ、予定より"ちょっと"それが早まっただけだ。 純夏は己に言い聞かせた。 「あのねタケルちゃん。 私がタケルちゃんに付いてここまできたのは、タケルちゃんが幼馴染みだからじゃないんだよ?」「……へ?」 タケルはキョトンとした顔でつぶやいた。全くコイツは、そんなことにすら気がついていなかったのかと頭痛を覚える純夏。一方、武は武でなぜ純夏の口から突然『幼馴染み』などという言葉が出てきたのか理解できず、やはり頭を悩ませていた。「もちろん、ちょっとはあるけどさ! あとは、タケルちゃん一人だと心配だからって理由とか……。」「あ、ああ……。」 純夏が何を言わんとしているのかさっぱり解らず、曖昧な返事をする武。「あー! もう、私が言いたかったことはそんな事じゃなくて!!」 一体自分は何を言っているのだろうかと心の中で自問自答する純夏。覚悟を決めたはずなのに、全然覚悟が決まっていないではないか。こんなじゃあ"ライバル"に彼を取られてしまっても、何も文句が言えない。手遅れになる前に、不戦敗になる前に言わなくてはならないのだ。今度こそ決意を固め、いざ口を開く。「私、『鑑純夏』がタケルちゃんといつも一緒にいるのは――」 ずっと胸の奥にしまってきた言葉を言おうとしたその瞬間、部屋の扉が開いて数人の人影がなだれ込んできた。運悪く部屋の入り口に立っていた武は「ドンっ!」という鈍い音と共に、はね飛ばされてしまう。突然倒れ込んできた武を支えきれず、純夏は押し倒されるようにしてそのまま仰向けに倒れてしまった。「武!! お前、鑑を大泣きせたんだって?! いったい何を――って、おま!!」 飛び込んできた孝之が大きく身をのけぞらせる。「どうしたの孝之――って、ちょっとタケル!! あんた、何してるのよ!!」「……?」 水月の素っ頓狂な声に、武は改めて己の状況を確認し直した。突然後ろから誰かに突き飛ばされたかと思ったら、目の前が真っ暗になってしまった。この感触からして、布団か何かに突っ込んだに違いないが……。立ち上がろうと手をつくと、そこにはなにやら棒のような物が転がっていた。「あいたたた……。 もうタケルちゃん腕離してよ……痛いよ。」 やや現実逃避をする武の意識を引き戻したのは、純夏のうめき声だった。今度こそガバリと立ち上がり、後ろを振り返るとそこには壮絶な笑顔を浮かべ仁王立ちする水月の姿。今までの経験から、武はなにやらとんでも無い誤解をされたらしいことを悟った。「――い、言っとくが誤解だぞっ!!」 即座に弁解するも、状況が状況だけに誰もそれを信じる事はなかった。それどころか火に油を注いでしまったようで、いよいよ水月は具合を確かめるように肩をぐりぐりと回し始めた。「まさかアンタが、か弱い女の子を無理矢理押し倒して乱暴するような下衆男だったとは思わなかったわ。」「武、見損なったぜ。 お前はもっと模範的な人間だと思ってたのに。」「まったくお前がそんな最低なヤツだったなんてな。 どんなに衛士として優れているか知らないけど、人間的に腐ってるぞ。」 口々に武を責め立てる水月、孝之、そして慎二。武は救いを求めて純夏に視線を送るも、サッと顔をそらされてしまう。再び視線を戻すと、そこには青色の髪をユラユラとたなびかせる阿修羅が居た。 「タケル、覚悟は良いかしら?」 そんなものは無いと心の底から叫びたい衝動に襲われたが、終ぞタケルがその言葉を口にすることは出来なかった。3人の凄まじいまでの怒気に、完全に闘争心が萎縮してしまったのである。何も言わないタケルに、ニコリと頷いて腕を振りかぶる水月。 その日、武が最後に見た物は、純夏のそれと勝とも劣らない神速で鳩尾に叩き込まれた水月の豪腕であった。※ 翌朝、武は4日ぶりに純夏の空元気な声によって目を覚ました。彼女が戻ってきたことで、どことなく霞も嬉しそうだ。その証拠に3日間いつも項垂れていたウサ耳が、今日はピコピコとせわしなく動いている。 着替えを終え、武が廊下に出ると待ち構えていた水月が突然頭を下げてきた。どうやら昨日のうちに誤解は解けていたらしく、完全に目を回してしまった自分は孝之達によって布団まで運ばれたらしい。申し訳なさそうに何度も頭を下げる水月に、だんだんと言われている方が申し訳なくなってきて、武は特に文句を言うわけでもなく許してしまった。「あ、そうだった。」 点呼のため部屋に戻ろうとしたところで水月が武を呼び止めた。「孝之の奴は私がとっちめておいたから、それで許してやってちょうだい?」 水月の一言に「ああ、結局涼宮さんの件がばれたんだな。」と気がつく武。通りで水月がしつこく謝ってくるわけである。水月が去ってしばらくすると、向かいの部屋から純夏が姿を現した。「おう、純夏。」「あ、タケルちゃん。」 気まずそうな笑みを浮かべつつも返事をしてくれることからすると、どうやら許してくれたらしい。武はホッと一息ついた。「それにしても……純夏、お前一体何に怒ってたんだ?」「……えっ? あ、うん。 ごめん、私の勘違いだったみたいだからもう良いの。」「勘違い?」「うん……プレゼント、涼宮さんたちのために一生懸命考えてたんでしょ?」 純夏は頬を掻きながらそう言った。「ああそうだけど……って、ひょっとしてお前、そのことで勘違いして……。 まったく、こっちは振り回されて良い迷惑だったぞ。」「あ、あははは! ……ごめんなさい。」 謝る純夏に、武は溜息をつきつつも同時にホッと安心していた。どうやら、何か不味いことをして嫌われたわけではないらしい――そのことが解っただけでも、武には大きな収穫であった。このところ特訓や博士の手伝いなどでほとんど純夏をほったらかしにしていた武。ひょっとして、ついに愛想を尽かされたのではないかと内心ヒヤヒヤしていたのだ。実戦が数週間以内に迫っている以上、隊内の不和やメンタル面での不調はなんとしても避けたかったと言う理由ももちろんある。だがそれ以上に、憎からず思っている人に邪険に扱われるのはつらかったのだ。「そういや、来週にはもう卒業か。」「……っ!! そ、そうだね。」「あっという間だったな。」 本当にあっという間だった。武はここまでの道筋を振り返る。1998年に戻ってきたのがつい4月ほど前、その頃はまだ肌寒かったというのに今ではノースリーブの訓練服を着ていても汗がにじんできそうだ。歴史を変えるための手段は手元になく、守るための力も持っていなかったあの頃。少しでも歴史を変えるために白稜基地へと身を投じ、その中では意外な出会いもあった。速瀬水月、涼宮遙、平慎二、そして鳴海孝之との出会いである。特に水月の思い人であったらしい孝之との出会いは、武にとって衝撃だった。 207Bとして集められた6人は、特に特技といった者こそ無かったがそれぞれが並以上の才能を持っていた。年の差や入隊時期の差は、障害になるどころかお互いの競争意識を煽って結果的に短期間で並の衛士程度の体力、技術を持つに至る。旧207隊でも直面した――いや、ある意味それ以上のメンタル不安を乗り越え、悪条件が重なった総戦技評価演習を突破し、その過程で仲間達との結束も深められた。 新OSの早期完成と、それに伴って開いた時間を利用して行なわれた特訓。中でも神宮司教官の操縦技術をかじる程度とは言え学べたことは非常に意義が大きい。隊としての練度に関して言えば、12月のクーデター発生時点の旧207隊に匹敵するかそれ以上まで高めることが出来た。 一方で不安材料も残っている。彩峰中将の生存を皮切りにするかのように、突然変化し始めた歴史。中でも気になるのは、北海道にBETAが上陸したことにより九州地域が手薄になってしまっていることだ。しかし、国連軍基地が前史より持ちこたえたがために戦力が温存できたことや、新OSの効果かA01が未だ連隊規模を維持しているなど悪くないニュースもある。これらの誤差が今後どういった変化をもたらすのかは、1訓練兵である武には情報量が少なすぎて全く解らないのが現状だ。「タケルちゃん、なにボーッとしてるのさ? もうそろそろ点呼が始まっちゃうよ!」「おっと。」 何にせよ、今は出来ることから最善を尽くすだけである。※ ――訓練校卒業日 順調に訓練を終え、立派な衛士へと成長した207隊はついにこの日を迎えることとなった。 内輪だけで行なわれた前回や前々回と違い、ささやかなセレモニーをもって送り出される207A訓練兵分隊。旧207Bのように泣き出すメンバーは居なかったが、それぞれが訓練校卒業の幸福をかみしめていた。「そういや、207B分隊も今日で解散になるんだよな……。」 そう、慎二のこの発言が聞こえるまでは。