なんとも息が詰まるような、重たい沈黙。 なにやら言いかけて口を半開きにしたまま、武とまりもはお互いに言葉を失ってしまっていた。 そんな空気を切り裂き、最初に口を開いた猛者は、なんと純夏だった。「……タ、タケルちゃん?」 武の突然の奇行に、あっけに取られた様子の純夏。 呆れた様な、変人を見るような冷めた目で武を睨んだ。「あ~……ごっほん、私の名前は神宮司まりも。 階級は軍曹、この基地で教官を務めている。 とは言ったところで……ふむ、貴様に自己紹介は不要だったようだな? 白銀。」 再起動したまりもの名乗りを聞いて、驚いたのは純夏だ。 先ほどまで武に対して向けていた胡散臭そうな目は、瞬時に驚愕のそれへと変化した。 純夏とまりもの両者に凝視され、武は思わず一歩あとずさる。「……あ、いえ、衛士をやっている先輩から、きょ、教官の噂は聞き及んでいたので……。」 武はとっさに思いついた言い訳を口にするも、いかにも取って付けたようで胡散臭い。 まりもは「ほほう……。」と呟き腕を組むと、武の目を訝しげに見つめた。 武は引きつった笑みを浮かべながらも、視線だけはそらすまいと意地でまりもの目を見つめ返した。「……まあ、何はともあれ今日一日貴様たちはココの訓練兵であり、私の教え子だ。 よって私の指示には絶対に従うように。 それと――」 とりあえずは納得してくれたらしい、と、武はホッと一息つく。 写真撮影は禁止だ、基地の備品に勝手に触るな等といった一通りの注意を済ませると、まりもは武達を引き連れ『帝国軍白陵基地衛士訓練学校』の中へと足を踏み入れていった。※ 凡そ3時間後、 午前の間に訓練校内部を一通り一周した武一行は、休憩もかねてPX――基地内の百貨店兼食堂。 軍で生活中に必要な日用品はココに来れば大抵手に入る――へと移動していた。 ちょうど休校期間だからだろうか、昼食時だというのに空席が目立つ。「……お前達、午後はお待ちかねのシュミレーターと実銃の発射訓練だが、そのまえに腹ごしらえはしたくないか?」 武達が席に着いたのを確認すると、まりもは特に何か含ませた様子も無く、さらりとそう言った。 それゆえに、武は反応が一歩遅れてしまう。 結果として、その一瞬が、武達2人にとって、致命的な一瞬となってしまったのだった。「はい! タケルちゃんのせいでろくに朝ごはん食べられなくって、実は私、とってもお腹すいてたんです!」 何の疑いも無く正直に答える純夏。 ――ッ、しまった!! 武はハッと顔を起こした。「ま、待て純――!!」「そうか鑑。 ならお前の分は特別に大盛りにしてやろう。」 武の弁を遮り、満面の笑みを浮かべてそう言うまりも。 普段なら見ほれたであろうその笑みも、意味を知っている側からしてみれば悪魔の笑みに他ならなかった。「わ~い、やった~~~!」 無邪気にも、純夏は今にも飛び跳ねそうな勢いで喜んでいる。 武は見るに見かねて口を開いた。「神宮司教官!」「ん、なんだ、お前も大盛りがいいのか白銀? わかった、2人ともここでちょっと待ってろ。」 そう言ってまりもは笑みを顔に貼り付けたままPXの人ごみの中へと消えていった。 ……なんてことだ。武は伸ばしかけた腕を引っ込め、うなだれた。 止めに入った自分まで巻き込まれてしまった。 純夏だけだったら残した分は自分が食べるという選択肢があったのに……。 武は思わず純夏を怨めしげに睨まざるおえなかった。 ――衛士を目指す者がまず乗り越えなければならない最大の障害。 それは訓練校での野外訓練ではないし、まして適性検査でもない……飯の山である。 『伝統』と呼ばれているそれは、通常、適性検査のためシミュレーターに搭乗する『前に』執り行われる。 生贄は当日検査する一団の中から1人~2人選ばれ、今後人生において恐らく二度と目にしない、したくないような膨大な量の飯の山と格闘する羽目になる。 しかも、その生贄は直後に俗に『人間シェイカー』と呼ばれ、新米衛士から恐れられているている物体に放り込まれる訳だから……結果起こりえる惨劇は言わずもがな。 もちろん事後処理も『自己責任』として生贄自身にやらされる。 体にも精神的にも悪いことこの上ない『伝統』だが、それでも一応訓練兵達の間で脈々と受け継がれてきている立派な通過儀礼なのである。 武自身この『伝統』の犠牲者の一人なのだが、彼の場合は幸いにもその高い適正値のおかげでシミュレーター内を汚さずに済んだ。「これは伊隅少尉、丁度いいところにいらっしゃいました。 例の『伝統』をあの子達に教えてあげようと思うのですが、出来ればトレイを運ぶのを手伝ってはもらえませんでしょうか?」 PXの騒音の中、やたらはっきりと聞こえてきたその声に、武はPXのある一角に視線を移す。 そこには『過去』ずいぶんと世話になり、彼が最も尊敬する人物の一人である『伊隅みちる』、その人がいた。「……ぐ、軍曹、本気ですか?」 口元を引きつらせながらみちるは言った。 『伝統』の何たるかを知っている者なら、当然同じ反応をすることだろう。「どうやら彼女は兎も角、男のほうはここの『伝統』をよく知っているようです、遠慮はいらないでしょう。」 そう言って武の方を見やるまりも。 みちるは釣られて武達の方を振り向く。 ――そして武と目が合った瞬間、みちるは何故かひどく驚いたような表情を浮かべた。 だがそれも一瞬のことで、次の瞬間にはニヤリとした笑みを浮かべ、さも愉快そうに言い放った。「……なるほど、そういうことですか。 了解しました、伊隅少尉、恩師である神宮司軍曹の頼みとあらば。」「有難うございます。」 そう言って互いにニヤリと微笑みあう2人の周りには、姦しい雰囲気が漂っていた。「……ねえ、タケルちゃん、アレってどういうこと……?」 先程のやり取りに聞き耳を立てていたのは武だけではなかった。 同じくこっそり聞いていた純夏が、少々おびえた様子で武に問いかける。「なーに、気にする必要なんてねえんじゃねえか?」 武のその言葉に若干ほころぶ純夏の表情。「――気にしたって、もうどうしようもねえんだから。」 暗に「腹をくくれ」というメッセージをこめて、武は純夏の肩を「ポン、ポン」と二度叩く。 にっと笑った彼の顔には明らかに影が差していた。「そ、そんなー! ……タケルちゃん、最初からこうなること判ってたんでしょ?! 言っといてくれてれば、こんな事にならなかったのに!! 責任とってよ!!」「――知るかっ!! そもそも全部おまえの責任だろ!! ってかむしろおまえが責任取りやがれ! この能天気ばかっ!!」 あまりに理不尽な純夏の言い分に、武は思わず言い放った。「うぐううう……、ばかって言ったなあ!! ――レバッ!!」 迫り来る拳を前にして、しかし武は微動だにしない。「(ふっ、んなへなちょこパンチが、今のオレに効くとでも思っているのか!?)」 自慢の一撃を己の腹筋に跳ね返され、悔しさと驚愕に歪む純夏の顔が、武の脳裏には浮んでいた。 口をニヤリと歪ませ、純夏の一撃をあえて避けずに真正面から受け止めるべく、腹筋に力をこめる武。 ……そう、武はこの時、今朝油断していたとはいえ、純夏の一撃が綺麗に決まっていたことを、すっかり失念していたのだ。 次の瞬間、凄まじい衝撃が武の肝臓を直に揺さぶる。 彼は自身の体にいったい何が起こったのか理解するのに数瞬かかった。「んぐおっ!! ……ん……んなばかなあ。」 断末魔をあげ、たまらず床に崩れ落ちる武。 腹筋を貫通した!? 馬鹿な、有り得ないと心の中で繰り返すも、呼吸すら困難なほど痛む腹が現実を武に突きつける。「勝者「スミカ」、決まり手~、レバ~ブロ~!」 突然、そんなふざけた言葉が2人の背後から聞こえてきた。 この人を小ばかにしたような口調、彼女に他なるまい。 武はうんざりしたように振り返る。「――ゆ、夕呼先生。 まったく、いきなりなんなんですか。」「……なにって、そんなの『ジャッジ』に決まってるじゃない?」 ピクリと眉を反応させるも、何事も無かったようにしれっと答える夕呼。「ジャッジって……はあ、もういいや。」 どっと疲れて溜息をもらす武。 同時に頭が冷静になり、武は今朝純夏の一撃が己の腹に決まっていたことを思い出す。 先程まで増長していた自分を振り返り、武は思わず自嘲した。「ねえねえタケルちゃん。」「……なんだよ、純夏。」 影を背負ったままニヤつく武をすこし不気味に思いながら囁く純夏。 「なんだ、いまさら自身の過ちを認める気になったのだろうか?」そんな事を考えながら武は一応、聞き耳を立てる。 しかし、彼のその予想は全く見当はずれなものだった。「――あの人、誰? タケルちゃんの知り合い?」「……はあ? 誰っておまえ、そりゃあ……。」 純夏のその問いに、全てを悟った武は暫く思考が停止した。 その間も夕呼は口元に笑み貼り付けたまま、面白そうに武達のやり取りを観察している。「――っ、どわあ!!」「ちょっとなによ、いきなり人指差して『どわあ!』って?」 そう言って不機嫌そうに鼻を鳴らす夕呼。 と、そこへ丁度まりも達が戻ってきた。「これは香月博士、いつも昼食はご自室にておとりになっていらっしゃるのに……わざわざPXにいらっしゃるなんて珍しいですね。」「なによまりも、私がPXに居ちゃいけないって言うの?」「いえ、別にそういうわけでは……。」「ちょっとした気分転換よ。 ――ああー、それと伊隅、ちょっと急用が出来たから私と一緒に来て頂戴? 今すぐ。」 一瞬夕呼の顔に険しいものが浮かんだのを、武は見逃さなかった。「……はい、了解しました。」 みちるも夕呼の微妙な雰囲気の変化に気がついたのだろう、表情を任務に当たるときのそれにして、一つコクリと頷いた。 夕呼はそれを確認すると、飲みかけのコーヒーモドキを一気に飲み干し席から立ち上がった。「じゃあ私達はこれで失礼するから。 ――まりも、その子達のこと、よろしくね?」 まりもに釘を刺すと、夕呼は返事を待たずにPXを後にした。みちるも彼女の後を追ってPXから去ってゆく。 武はこの事態に困惑していた。 てっきり警備兵に拘束されるかと思ってみたら何の追求も無く夕呼は何処かへ行ってしまったのだ。 ――いや、もしかすればこの後すぐに警備兵が駆けつけてくるのかもしれないし、ひょっとすればもう少しの間泳がせて黒幕を探ろうと言う魂胆なのかもしれないが……。 なんにせよこうなったからにはもう流れに身を任せるしかどうしようもない。 武はとりあえず目先の『問題』を解決しようと気持ちを切り替えた。 「さて、と2人とも、待たせたな。」 まりもはそう言って手元のトレイに目を移す。 まるで山のごとく盛られたご飯、あきらかに器の許容量を大幅にオーバーしている。 先程からイヤに静かだと思ってみれば、純夏はその非常識な存在にずっと目が釘付けになっていたようだ。 「ゴクリ、」と、のどを鳴らしたのはいったい誰だったのか……。「あー、純夏、あらかじめ言っとくが自分の分は自分で食えよ……。」「――そ、そんなの分かってるって!! タケルちゃんこそ全部食べきれるの? 言っとくけど、私は手伝わないからね!!」「勝手に吼えてろ!」 お互い目の前の敵から目を離さずに軽口を叩く。 武は一つ大きな深呼吸をすると、意を決して目の前のチョモランマを攻略すべく手に箸を握った。 それから数十分後、武の目の前に鎮座していた『山』はすでに半壊し、もはや攻略は時間の問題だった。 一方の純夏の方はと言うと――「うう、もう食べられないよ~。」 すでに、へばっていた。「……それは困ったな。 降参するとなると午後のシミュレーターはキャンセル、と言うことになるのだが。」「ええっ?! なんでですか!?」 まりもの衝撃発言に、堪らず食い下がる純夏。 半分はそのために来たようなものなのだ。 文句の一つや二つは言いたくなるだろう。「何でと聞かれても、『そういう決まりだから』としか答えようが無いな。」 そう言って意地悪く微笑むまりも。「そ、そんな~。 タケルちゃ――」「却下、自分で何とかしろ。」 純夏が何を言わんとしているか察した武は、先手を打って答えた。「むうう、タケルちゃんのケチ!」 武の耳元で叫ぶ純夏。 武はとっさに耳をふさぐ。「ケチって言われてもだなあ……。」「ケチケチケチケチケチケチ! ――アイタッ!!」「ああ、もう、うるさいっ!! 他の軍人さん達に迷惑だろうが、っていうか、そもそも自分で撒いた種だろ!?」「あう~、そりゃそうだけどさー。 ……ふんっ、もういいよ!! タケルちゃんなんてもう当てになんかしないからっ!!」 威勢よく答え、純夏は再び目の前の飯の山と対峙した。 ――それからさらに数分後、武は何とか目の前にあったチョモランマを完全克服し、ふと、だいぶ前から静かになっていた隣の様子を確かめようと首を捻る。 そこには案の定、完全に机にはいつくばった純夏の姿があった。「……。」 もうしゃべる気力も無いらしい。 純夏はぐったりとしてピクリとも動かない。「……もう、ダメ。 今度こそダメ……。」 純夏はそれだけ呟くと、今度こそ机に突っ伏した。「(……はあ、そろそろ潮時か。)」 武は覚悟を決めると、噛むことに疲れ果てた重い口を開く。「おい、純夏。」 一言喋っただけでアゴが外れそうな感覚に襲われ、思わず武はアゴに手をやり顔をしかめさせた。「……なにさ。」「よこせ。」「――へっ?」「だから、よこせって言ってんだ!!」「な、何を?」 純夏は怪訝そうな顔をして聞き返す。「ああ、もう、分かんない奴だなあ!! オレはまだ食い足りないから、おまえの分もよこせって言ってんだよ!!」「えっ?」 要領を得ない純夏に、苛立ちを隠せない様子の武。「ったく!!」「あっ!!」 武は痺れを切らせて強引に純夏の持っていた茶碗を奪い取ると、一気に中身を胃袋の中に掻きこんだ。 ……結局武は純夏の食べ残し分も含め全てを平らげ、『超々大盛り』とはいかなるものかをこの身で実感する羽目になってしまった。 武は後日その時の事をこう語っている――「もうBETAが束になって襲ってきても怖くない、それよりもずっと飯の山のほうが……うっぷ。」「タケルちゃん、大丈夫?」 そう言って心配そうに武の顔を覗き込む純夏。「……純夏、今は俺に話しかけんな。頼む。」 その服の上からもわかるほど膨らんだ腹とは対照的に、かなりやつれた表情で武は答えた。「う、うん。」「……すまないが時間がかなり押している。 きついとは思うが、私についてとりあえず座学教室まで移動、出来るか?」 まりもは気の毒そうな面持ちで言った。「――なんとか。」 戻しそうなのを必死にこらえながら、武は答える。「タ、タケルちゃん、しっかり。」「……すまねえ、純夏。」 武は純夏に支えられながらも、何とか座学教室まで移動した。※ まりもに連れられて入った座学教室で2人にはシミュレーションに搭乗する前の『簡単な説明とレクチャー』が行われた。 武の予想通り、純夏は網膜投影装置に素直に驚きはしゃいでいた。 新注の強化防護服――スケスケの訓練兵用――を受け取り、各自着替え室まで向かったまでは順調だったのだが……。「こうも全く反応しないとはな……貴様、本当に男なのか?」「え? あたりまえじゃないですか。 あははははは……。」 全く動じない武の様子に眉を顰めるまりも。 そんなこと言ったって、見慣れたもん見て興奮も何も無いですって!! などと心の中で叫びつつ、武は適当に笑って誤魔化した。 そんな彼も最初は思わず前かがみになってしまったものだが……やはり男性衛士は一般的にそうらしい。「タケルちゃん、絶っっ対こっち見ちゃだめだかんね!!」「……畜生、腹がつっかえる……。」 純夏の必死な声をバックに武はあさってのほうを見ながらたそがれた。「2人とも、シミュレーターの準備が完了したようだ。 係員の指示に従って鑑は1号機に。 白銀は4号機にそれぞれ搭乗しろ。」「あ、はい、了解しました。」 まりもの指示を受け、条件反射的に返事をする武。「タケルちゃん、また後でね~。」「おう、また後でな、ってヴァルナ~ッッ!?」「こっち見ちゃだめってば~もぉ~、タケルちゃんのH!!」 武が振り返ろうとしたとたん、純夏は『どりるみるきぃぱんち』を彼の顔面めがけて撃ち放った。 よりによって強化防護服の無いところを殴られ、哀れ地面に突っ伏す武。 この世の不条理に武は思わず泣けてきた。 係員によりがっちりとシートに体を固定される武と純夏。 係員が女性なのは恐らく純夏への配慮なのだろう。 実戦ではそんな事言ってられないとはいえ、あくまで武達は『体験』入隊者なのだ。「よし、2人共、搭乗は済ませたな。 ……鑑、まだ始まる前だというのに心拍数がかなり上がっているぞ。 もっと肩の力を抜くんだ。」「す、すみません!!」 まりもが思わず声をかけてしまいたくなるほど、純夏は見るからにガチガチだった。 極度の緊張によるものだろう。「ところで、本当に大丈夫なんだろうな? 白銀。 顔色もかなり悪いようだが……。」「あ、俺は大丈夫です、心配しないでください。」 まだ痛む額を擦りつつ武は返答する。「貴方がそう言うのなら――わかった、それでは適性検査を開始する。念のためにもう一度言っておくが、シミュレーション起動中に余計なおしゃべりは絶対にしないことだ。 忠告を破って舌を噛み切ってしまったとしても、私は責任を持たないからな。」 まりもの冗談交じりの忠告――といっても、可能性としては十分あり得るのだが――を聞いて、律儀にも身震いする純夏。 そんな彼女の様子に満足げな笑みを浮かべつつ、まりもはさらに言葉を続けた。「それと、吐き気を催したら無理せず緊急停止ボタンを押すように。 それでも間に合わないようなら先程教えた場所に格納してあるエチケット袋を利用しろ。 もしシミュレーターの中にぶちまけてみろ? キチンと後始末はしてもらうぞ。 ――それでは、シミュレーターを開始する。」 まりもからの通信が途切れ、同時に機械の駆動音と共に僅かな揺れが起こる。 続いて2人の網膜に機体状況、一瞬遅れていつもの市街地が映し出された。 やがて上下に激しく動き出すシミュレーター。 しかしそんな振動などどこ吹く風と、武は観光気分で辺りを見回していた。 ――唐突に鳴り始める敵襲警報。 遠くに見えるBETAのシルエット。「(最初はこれ見てビビッたんだよなあ……てか『オレ』ってBETAなんて見たことあったのか?)」 ふと沸いてきた疑問に、武は思わず首を傾げる。「ご苦労。 これで適正検査は終了だ。 係員が来るまで余計な物には一切触るんじゃないぞ。」 聞こえてきたまりもの声に、武はゆったりとシートに身を預けた。※「ふ~、楽しかったー!!」「おいおい、あんまりはしゃぐと怪我するぞ。」 純夏はシミュレーターから伸びるタラップを一足飛びに降りてゆく。 そんな彼女のはしゃぎ具合に、武は呆れたように肩をすくめた。 そう、新米衛士をさんざんに苦しめているシミュレーターを、この2人はものともしなかったのだ。「――あ~、2人とも、またずいぶんと元気そうだな……。」 検査を終え、シミュレーターから元気そうに出てきた2人に、唖然とした様子のまりも。 明らかに頬が引きつっている。「神宮司教官!! もう一度コレ、やらせてもらえませんか?!」「……鑑それは出来な……いや、そうしたほうが良いかもしれないな……。」 本来なら誰にせよ少なからず乗り物酔いのような状態になるはずなのだが……機械の故障だろうか、と、まりもは首をかしげた。「なあ、純夏。 おまえ本当になんともないのか……?」 一方で武も納得いかない様子で純夏に詰め寄る。「うん、それがどうしたの?」 本当に何ともないらしく、全く淀みなく答える純夏。 興奮のせいか、未だ自分が恥ずかしい格好をしていることもすっかり忘れてしまっているようだ。「いや、なんともねえんなら別にいいんだけどよ。」 三半器官がおかしいんじゃないだろうかコイツは? と、己のことを棚に上げ、失礼なことを考える武。 武の困惑する様子に、口元をニシシと歪める純夏。「……あ~、さてはタケルちゃん、さっきので酔っちゃったんでしょ?」「――はあ?! まさか! んなわけねえだろっ!!」 武は「冗談じゃない」と、思わず声を張り上げる。「ふっふっふー、タケルちゃんってば強がっちゃって~――ってイタッ!!」「ばーか、調子に乗ってんじゃねえよ。」「……うう、ひどいよー! 叩くことなんてないじゃんか!!」 拳を振り上げ抗議する純夏。 だが武は「知るか!」とばかりに無視を決め込んだ。「無視するなっ!」「全くお前達は……。」 ふう、と溜息をつき、まりもは口元に微笑を浮かべた。 去って行った日々を懐かしむような、そんな目で武達を見守りながら。 一つ深く息を吸い、まりもは気持ちを切り替える。 表情を教官のそれに戻すと、2人に呼びかけた。「取り込み中、失礼するぞ。」「あ、すみません神宮司教官!!」※ まりもの指示により、武達はいったん服を着替え、座学教室まで戻ることになった。 検査結果が出るまでしばらく時間がかかるらしい。 その間暇な時間を利用して座学教室では質疑応答が行われた。 純夏の「BETAってどんな格好してるんですか? やっぱりテレビに出てくる怪獣みたいな格好なんですか?」と言う質問に、たまらずまりもが「そんな可愛いものならいいんだが……。」と漏らし、直後に慌ててなんでもなかったように取り繕うなど、少々のハプニングはあったものの、至って穏やかに時間は過ぎていった。「うーむ、そろそろ検査結果の紙が届くはずなのだが……。」 まりもは時計を見つめ、困ったように呟く。 予定の時間を過ぎても検査結果の書類が手元に届かないのだ。「すまないがお前達、ここで待っててくれないか?今から私が――」「その必要はないわよ、まりも。」 まりもがいよいよ様子を確かめに行こうとしたその時、まるでタイミングでも計っていたかのように夕呼が部屋に入って来た。「ふ~ん、へ~え。」 なにやら手に持った書類を楽しそうに読んでいる夕呼。 どうやら武達の検査結果が書かれているらしい。「あの、香月博士……?」「あら、ごめんなさい。 はいどうぞ。」 そう言って夕呼はあっさり手に持っていた書類をまりもに手渡した。 渡された書類に目を通し、まりもは一瞬眉をひそめる。「さて、検査結果だが……まず鑑、お前は類稀に見る優秀な戦術機適正を持っているようだな。」「わ~い、どうだタケルちゃん、恐れ入ったか!!」「おお、純夏、すごいじゃんか。」 武の賞賛の言葉に、純夏は複雑そうな表情を浮かべる。「むう、なんかこうあっさりタケルちゃんに褒められても、あんまりうれしくない。」「……なあ、純夏、オレにいったいどうしろと?」 そう言って溜息をつく武。 と、横から聞こえてきた咳払いに、2人は己の立場を思い出し、再び前に向き直った。「さて、一方の白銀の方なんだが……。」 そこで何故か言いよどむまりも。「神宮司教官、どうしたんですか? ……まさかタケルちゃん不合格……とか?」 純夏は尻窄みに問いかける。「――安心しろ、ところどころおかしな点はあったものの、白銀、貴様も合格だ!」「なーんだ神宮司教官、びっくりさせないで下さいよお。」 ニヤリと笑うまりもに、純夏はホッと溜息をつく。 だが当の武と言えば、ずっと上の空で何の反応も返さない。「なんだ白銀、嬉しくないのか?」 武の様子を不審に思い、声をかけるまりも。 武は我に返ると、ぼーっとしていたのを誤魔化すように慌てて弁解した。「――いや、純夏が大丈夫だったんだから当たり前というかなんと言うか。」「……ねえ、ちょっとタケルちゃん。 それってど~ゆ~意味~?」 よほど聞き捨てならなかったらしい、据わった目で武を睨みつける純夏。「あ゛……落ち着け純夏、何もおまえがどんくさいとか、オレよりも馬鹿だとか、そういったことを言ってるわけじゃないんだからな?」 口に出してしまってから武は己の失言に気がつくも、すでに手遅れだった。「言ってるじゃん!! くらえっっ!!!」 本日数度目の一撃が、武の腹に叩き込まれた。 その様子を呆れたように見つめるまりもと夕呼。 「……そう言えば『ところどころおかしな点があったー』ってさっき神宮時教官言ってましたけど、タケルちゃんどうかしたんですか?」 床に蹲る武を尻目に、純夏はまりもに尋ねた。「あー、鑑、それはだな?」「それは今から説明するところよ。」「香月博士、ちょっと……。」 またしても、まりもの言葉を途中で遮る夕呼。 相手が上官とはいえ、流石に二度も話の腰を折られれば腹も立つことだろう。 まりもの声色は恨めしげだ。 そんな彼女に対し、夕呼はピシャリと言い放った。「まりも、ここは私に任せなさい。」「……はっ、博士がそう仰るのでしたら……。」 上官にそう言われてしまえば、まりもは立場上引き下がる終えない。渋々といった様子でまりもは了承の意を表した。「さて、話の続きだけど、あの適正検査の最後の演出は、突然危機的な状況に置かれたときに被験者がどのような反応を示すのか検査するためのものなのよ。 だから当然『どんな人が見ても』驚くよう、計算されて作られているわ。 ところが白銀、アンタは全く驚かなかった。 ……これがまず第一点目」「そんな事言ったってそれは理論上の話でしょう? 例外ならいくらでもいるんじゃないですか?」 いつの間にか復活していた武がとっさに言い返す。 しかし、夕呼は眉一つ動かさず逆に問いかけた。「――確かにね、その可能性も否定できないけど、例えアンタがその例外だったとしても、それ以前の反応がおかしすぎるのよねえ。 例えば戦術機が動き出したときの反応。 緊張どころか、始まる前よりリラックスしてるってどういうことよ? それともなに、アンタの家は万年震度7で揺れてるってワケ?」「いや、それは無いですけど……。」「今のが二点目ね、そして何より――」 言葉をそこで一端止め、夕呼は武のことをギラリとした目で射抜く。 武はその気迫に思わずひるんだ。「――何故貴方は最初から私のコトを知っていたのかしら……?」 無言となる一同。 壁掛け時計の針が進む音が、教室内にやたらと良く響いた。「それは――」「例え何らかの事情である程度特徴を知っていたにせよ、普通初対面の人間をそれだと一目でわかる?」 武は自身の迂闊さを呪った。 ここで二の足を踏んでいる暇など無いというのに……。 営倉に入れられるのは確実として、その後どうしようか、そう言えばあそこって寒いんだよな……等と武が悩んでいると、夕呼はしばらくして不意にその口を緩ませた。 「ま、正直私はそんな事はどうでもいいんだけどね~、まりもがどうしてもって言うから。」「わ、私ですか?!」 突然話を降られ、思わず声が裏返るまりも。「あれ?違ったっけ?」「こ、香月博士~。」 勘弁してくださいとばかりに、まりもは肩を落とす。 ほう、という溜息が重なり、夕呼を除く3人は思わずその顔を見合わせた。「ふむ――それにしても、確かになんで貴様は私が私だとわかったんだ?」 まりもはふと思い出したように武に向かって問いを投げかける。 まずいという顔をする夕呼。「まあ良いじゃな――」「夢ですよ、夢。」 夕呼の視線から解き放たれ、少し余裕が出てきたのだろう。 武はあっけらかんとそう答えた。「ゆ、夢~~?!」 まりも、夕呼、加えて純夏の口からも異口同音に呆れた声が漏れる。「そう、夢です。予知夢って言うんですかね? こうなんか神宮司軍曹に香月博士、他にも数人いたと思うんですけど学園でわいわい……って、なんだよ純夏、そのかわいそうな人を見るような目つきは!!」 武が振り向いた先には、呆れたような悲しそうな眼差しで武を見つめる純夏の姿があった。「タケルちゃん……そんな恥ずかしい言い訳するぐらいなら自首しなよ。」「自首ってオレは何も悪いこと……って、おま、鼻から信じてねえな?!」「いや、信じろと言われてもだな……例えそれが本当だったとしても、私ならもっと信憑性のある『ウソ』をつくと思うぞ?」「――ま、神宮司教官まで?!」 思わず悲鳴を上げる武。「えーっと白銀……だったわよね?」「はいっ!」 最後の希望とばかりに、武は凝る様な視線で夕呼を見つめた。「私の知り合いに優秀な脳外科医がいるんだけど、紹介状、いる?」 めったに人に見せない心配そうな顔付きで武に声をかける夕呼。 武は膝から崩れ落ちた。「あーあ、タケルちゃんいじけちゃった。」 まるで人事のように純夏は呟く。「うーむ、見たところ特に怪しい点はないように見えるのだが……。」「さっき言ったところ意外は、ね。」 まりもの言葉に付け足す夕呼。「まあ私もコイツが何か企んでるとかそういうこと考えてるわけじゃないけど……でも今のは流石に『傑作』だったわね。」「それって嫌味ですか?」「あら、それ以外に聞こえる?」 武のジト目をあっさりかわし、返す刀でさらに追い討ちをかける夕呼。「うばーーー、誰かオレに優しくしてくれーー!!」 はたして、武の魂の嘆きを聞き入れる者は、この教室内に誰一人として存在しなかったのであった。