いつぞやのようにテープで固定された吹雪。そのひしゃげた両腕は、見るからに痛々しい。 また派手にやってしまったものだ、と、武は夕日をバックにたそがれた。「白銀さん、お疲れ様です。」「おう、霞。わざわざ迎えに来てくれたのか?」 霞はコクリと頷き、「香月博士が待ってます。」と、ありがたくない一言を付け足した。「……そ、そうか。 なら、急いだ方がよさそうだな。」 もう一度無残な姿になった戦術機を見やりながら、額に汗を流す武。やがて気を取り直し、霞と頷き合うと、2人連れ立って演習場をあとにした。※「まったく、条件を『機体に傷つけないで勝利』にしておくべきだったかしら。 結局あの吹雪、部品取り用に回されるらしいわよ。」「――すみません。」 武はぺこりと頭を下げる。さすがに何百億とする『高価なオモチャ』を破壊したとなれば、どんな言い訳も意味を成さないであろう。「それに……アンタ、本気出さなかったでしょ?」 ボソリと呟く夕呼。「……え? 今なんて?」「――ま、過ぎた事を今更どうのこうの言っても仕方がないわ。 アナタには今後の働きで埋め合わせをしてもらうことにするわ。」 サラリと述べられた夕呼の言葉に、表情筋を引きつらせる武。霞はそんな彼の顔を気の毒そうに見上げた。「さて、明日からはアナタも原隊復帰するわけだけど……どうする?」「どうするって、何をですか?」「ナニって、アンタが今日の演習の仮想敵だったことをバラすかどうかに決まってるじゃない。」「……えっ!? そ、そんなのオレに聞くまでもなく、黙っておくべきでしょう?!」 夕呼の問いに、武は驚いて素っ頓狂な声を上げる。「あら、なぜかしら? それで何か不都合でもあるの?」「――いや、そう言われると……。」 改めて問い返されると、確かにこれといったデメリットはあまり思い浮かばない。自分は何故反論したのだろうか? と、悶々と思い悩む武。 武のそんな様子に痺れを切らしたのか、夕呼は軽く溜息をつきつつ言葉を続けた。「アンタ、どうせ手加減なんてできっこないんだから、訓練中もその調子でしょ? ばれるのは時間の問題じゃないかしら?」「……あの、それって、『オレに聞くまでもなく』、結論は出てたってことですよね?」「さあ? どうかしら?」 あくまで白を切る夕呼。武はそんな彼女を半眼で睨みつつ、さらに問いかける。「神宮司教官にどう説明する気ですか?」「神宮司――ああ、まりもに? そんなの、ありのまま伝えればいいだけじゃない。」「ありのままに伝えるって……。」「ま、あんたの身になにが起きようと、私には関係ないからね。 どうせ死にやしないでしょ。」――『この人、鬼だ。』 と、今更ながら『香月夕呼』の性質の悪さを再確認した武。世界が変わろうと、立場が変わろうと、人の縁と同じようにまた彼女の性質も不変のものらしい。「あ、そうそう。 まりもったら演習が終わった後、物凄い顔してたわよ。 よっぽど負けたのが悔しかったんでしょうね。」 まりも、ああ見えても古巣は富士教導隊で、しかもエースだったのよ? ケラケラと笑いながら付け足す夕呼。 彼女の言葉がとどめとなり、武はがっくりとその場に膝を着くのだった。※ ――次の日の朝「タケルちゃ~ん、おっはよ~!!」「白銀さん。 おはようございます。」「……後5分。」「だめです。」 断言する霞の声とともに、ズルズルとスローで引き剥がされる掛け布団。とてつもなくやるせない気持ちになり、武は渋々ベットから起き上がった。「やっと起きたね。 じゃあ私達は先に廊下で待ってるから。」「バイバイ。」「……おう、バイバイな。」 空元気な純夏ボイスに、罪悪感を誘う霞の布団剥ぎという無敵コンボの前に、さしもの寝坊魔たる武も敗北を余儀なくされてしまう。 身支度を整え廊下に出ると、丁度起床ラッパが鳴り始めた。どうやらいつもより1分ほど早く起きたらしい。 点呼終了後、207B+霞のメンバーは、揃ってPXへと向かった。朝の時間帯はどうにも混んでしまうため、やや急ぎ足だ。「タケルちゃんも、ようやく今日から実機訓練だね!」「……そうだな。」 道中、突然振られた話題に一瞬言葉に詰まる武。「……どうしたんだ? 武は嬉しくないのか?」 不振な様子に気がつき問いかけてきた孝之に、武は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化した。 悪気はないのだろうが、その察しのよさはもっと身近なことに発揮して欲しいものである、と、心中で愚痴る武。「――あ、さてはタケル、アンタ緊張してるんでしょ。 大丈夫よ! シミュレーターも戦術機も対して変わり無いんだから。」「そうだよ、タケルちゃん。 私だって半日で慣れたんだから、タケルちゃんだったら1日もあれば――」「純夏、それはオレに突っ込んでほしいから言ってるんだよな?」「じょ、冗談だよ、冗談!」 スリッパを構えて見せる武に、純夏は慌てて言い繕った。「そういえば、昨日の模擬戦の衛士。 すごかったよな。」 純夏の助け舟を出したつもりだろうか? 突然そんな話題を口にする慎二。「――ああ、あの変態?」「変態って……確かに速瀬がそう言いたくなる気持ちも分かるが、ちょっと失礼じゃないか?」「いいじゃない、どうせ本人が目の前にいるわけでもなし。」 顔をしかめて返事をした水月に、慎二は苦笑しつつ同意した。――『いや、目の前にいるんですけど。』 とは口が裂けても言えない武。割り切って仲間達の純粋な感想を聞くことに専念することにした。「まるでバッタみたいに跳ね回ってたけど……光線級のこと、習わなかったのかな?」「……どうせ、孝之みたいに座学の授業中ずっっっとボケーっとしてたんじゃないの?」「それは……ありえるな。」「ぐぬぬぬ!! 言いたいほうだい言いやがって、オレをあんな変態と一緒にするな!!」「そうね、アンタなんかと一緒にしたら、いくら変態とはいえ、あの衛士が可哀想よね。」「あ゛ん?」 孝之がガンをつけるが、水月はどこ吹く風とまったく動じていない。 これが格の違いというものだろうか? と、バカな感想を抱く武を、どこか冷ややかな目線で見つめる霞。「――でも、間違いなくあの変態に私たちが手も足も出なかったことは事実よね。」「ああ、そうだな。 神宮司教官からは褒められてたから、もうちょっとはできるかと思ってたんだけど。」「現実はそんなに甘くなかった、ってわけだ。 ……な、速瀬?」 そう言ってニタリとした笑みを向けてくる孝之に、水月はすかさず豪腕を叩き込む。まったく性懲りも無いやつだ、と、武は呆れた。「調子に乗ってんじゃないわよ、孝之。 た、確かに真っ先に落とされたけど、あれはいきなり後ろから攻撃されたからであって!」「……マジで?」 水月の衝撃発言に、思わず『白銀語』を漏らす武。「マジ……ああ、『本当?』って意味だったっけ? ……そうよ、文句ある?」「い、いや、別に……。」「まったく、あの変態にはいつか10倍でこの借りを返してやらないと……。」 手をワキワキと鳴らしながら、水月は宣言する。「(青ですね……。)」 霞は苦笑いを浮かべる武の心の色を読んで、そんな感想を抱くのだった。 朝の訓練開始前のブリーフィングで、その『変態衛士』が武であった事を知らされた207B一同。 騒ぐよりも前に唖然として武の顔を見つめ、「なんだ、武か。」 という、誰かの一言と共に、この一件は存外にあっさり事実として受け入れられることとなった。 ひと悶着を覚悟していた武としては、肩透かしを食らった感があったが、とりあえず無事で済んだことを、信じてもいない神に感謝したそうだ。 ちなみにこの日より武の二つ名に『変態』の文字が加えられたのは言うまでもない※ 編隊を維持しつつ、時速600km/hという壮絶なスピードでビルの合間を縫うように進む3機の吹雪。「こちら鑑、レーダー、目視ともに敵影見えません。」「こちら平、右に同じ。 タケル、そっちはどうだ?」「こちら白銀、同じく――ちょっとまった! 3時の方向、敵影あり!! ――ッ、まずい、ミサイルだ! 全機散開!!」 武が叫ぶないなや、白い帯を引きながら殺到する無数の小型ミサイル。誘導性はほとんどないが、面制圧能力は非常に高い。「全機、周囲警戒を怠るな! 必ず近くに――」「こちら鑑!! 敵と交戦中!!」「――ッ、わかった! 慎二、援護に向かってくれ。 いいか純夏! 慎二が着くまで無茶な真似はするな!! オレは囮になってさっきの機体をマークしつつ、最後の一機を探す!」「了解!!」 矢継ぎ早に指示を出しつつ、武はマップに目を走らせる。 先の先を読む、なんてかつての戦友たる『彩峰慧』のような芸当は己にはできない。 まして『榊千鶴』のように効率的な部隊運用など、できるわけがない。 結局、彼らと比べた時、『白銀武』は多少戦術機の操縦が上手いだけの、凡人なのだ。 唯一誇れる操縦の新概念も、『元の世界』には、己と同程度のゲーマーなど腐るほどいることを考えれば、己だけが特別などと自惚れられるわけがない。 そんな才能の差を補うために、己が頼りにするべきは――「見つけた!!」――長年の経験、そして運である。「見つけたのはこっちよ! タケル!! 私と勝負しなさい!!」 オープン回線で怒鳴りつけてくる水月。 つまり、今までの動きは己をこの状態に追い込むための――水月との一騎打ちに追い込むための布石だったらしい。 まんまと敵の手に乗せられたと言う訳か……面白い! 武はニヤっと獰猛な笑みを浮かべ、操縦桿を握り直す。「速瀬さん、言っとくが――手加減は、出来ねえぞ?」 武にかけられた言葉に一瞬きょとんとした表情を浮かべる水月。「ふふふ、上等!! さあ、かかってらっしゃい!!」 銃口が、交差した。※ ――戦術機格納庫 人間の9~10倍にも及ぶ巨体が何十機、整然と並ぶ姿は始めて見る人間を圧巻すること請け合いだ。 そんな格納庫に、また新たに6機の戦術機が搬入された。先ほどまで演習場で接戦を繰り広げていた、207部隊の『吹雪』である。「もう、孝之!! アンタねえ、たかが2人ぐらい相手に時間稼ぎもできないって、どういうことよ!!」「無茶いうなって! そんなこと言うんだったら速瀬、おまえが2人の相手をすれば良かっただろう?」「あのねえ、あの時1番動きやすい位置にいたのはアンタだったでしょう?!」「ふ、2人とも……喧嘩はダメだってばあ!」 タラップを降りる間にもギャーギャーと元気に騒いでいる衛士の卵たちを、吹雪の整備のために駆け寄ってきた整備員たちが苦笑気味に見守る。 彼らの視線に程なく気がついた遙が、顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうに頭を下げた。「はあ、まったく。 孝之はオレがいないといつもああなんだよなあ。」 頭を掻きながら、しかしどこかうらやましげに水月達を見やる慎二。「……それ、孝之に直接伝えておいてやろうか?」 「や、やめてくれよ。 冗談でもない。」 武に耳打ちされ、慎二は血相を変えて手を横に振った。「――それにしても、今回はお手柄だったな、純夏。」「えへへー、もっと褒めて褒めて~!」「こら、調子に乗るんじゃねえ。 っていうか、おまえいい加減、戦術機に振り回せれないようになりやがれ!」 舞い上がる純夏の頭を、ポカリと叩く武。純夏は叩かれた頭を擦りながら、怨めしげに武の顔を見上げた。 訓練でバランスのよい運動をしているせいか、武の身長はこの数ヶ月でグンと伸び、限りなく「元の身長」に近づいていた。もちろん良いことばかりではなく、それに伴う成長痛にも悩まされているのだが。「それにしても、鑑はあんな動きしてて、本当に目を回さないのか?」「――え? うん、別に?」 仮にも水月と並ぶ腕を持つ孝之を押さえ込めたのは、純夏の「謎な機動」による部分が大きい。 急加速、急減速、そしてまた急加速――まったく未来予測が出来ない奇奇怪怪な動きが、今の純夏の持ち味だ。 一見物凄い機動に見えるかもしれないが、何のことはない、純粋に純夏は微妙な動作を苦手としているだけ――つまり、不器用なのである。 本来なら中の人間が加速度病に犯されてもおかしくないような動きだが、なぜか本人はケロッとしている。「あー、孝之。 こいつはどんだけ回しても酔わないと思うぞ。 なにせ、三半規管の作りが凡人とは違うんだから。」「――私、褒められてるの? なんだか、物凄いけなされているような気もするんだけど。」 純夏の疑うような視線に、武は笑って手を振りながら誤魔化した。 戦術機での訓練が終わると、決まって反省会が開かれる。 反省会の場では、教官であるまりもを中心として活発な意見交換が行われ――というよりも、指名されても何も答えられなかった場合、教官から懲罰が下されるため、反省会が始まる前に自分の意見をまとめてしまっている者が多い。 もちろん、それは207B部隊とて例外ではない。各々反省すべき点を割り出し、座学教室へと到着する前に頭の中で整理してきている。「さて、今回の貴様らの反省点はなんだ? ――速瀬!」「ハッ、白銀訓練兵ばかりに気を取られ、他の2人に対する警戒を怠ったことかと思います。」 ハキハキと自分の意見を述べる水月。一瞬、首筋にちりちりと感じた殺気に、思わず武は首をすくめた。「なるほど、確かにそれもあるかもしれんな。 涼宮、貴様はどう思う?」「私も速瀬訓練兵と同意見ですが、加えて、部隊が広域に展開しすぎ、相互の連携が取れない状況になってしまったことにも原因があるように思えます。」「……ふむ、そうか。 では、なぜそれに対処できなかった?」「はい、作戦を変更しようと思ったそのときに、すでに戦端が開かれてしまっていたので……。」「つまり、どういうことだ?」 言いよどむ遙に、まりもが先を促す。「――私の状況判断が遅れたのが原因です。」「なるほど、涼宮の意見はわかった。」 まりもは頷くと、部隊全員の顔を覗き込んだ。「皆、覚えておけ。 戦場では1分1秒の判断の遅れが、作戦の成否、ひいては自分や部隊の仲間達の生死に直結する。 慎重さは美徳だが、時には決断も必要とされることを忘れないように。」 まりもの忠告に、揃って返事をする一同。 それから数十分間、反省会は続き、それぞれ意見が出揃った頃合で反省会はお開きとなった。 ※「それにしても武、おまえなんで『6対1』なんて状況で勝てたんだ?」 一日の訓練が終わり、例のごとくPXでつかの間の休息を取っていたところ、孝之が思い出したかのように武に問いかけた。「オレなんて2対1でも手一杯だったぜ。」「そりゃあ、おまえ、オレだって『2対1』じゃあ手一杯だよ。」「……はあ? いや、おまえ、現に6対1で勝ったじゃないか。」 不可解そうに首を傾げる孝之「いや、だから――」武が説明しようとしたところ、思わぬところから突込みが入った。「だって、鳴海くんは2人相手に戦ってたじゃない。」「……えっと、鑑までいったい何言ってんだ?」 一方で武もまた純夏の突っ込みに驚いていた。こいつ、変なところで観察眼が鋭いな、とは武の感想である。「――はは~ん、そういうことね。」「わかった、そういうことか!」「そっか、なるほどー。」 やがてその他の面々も気がついたらしく、口々に「わかった」と言葉を口にする。 しかし、孝之はいまだよくわかっていないようで、目を白黒とさせていた。「いや、なんなんだよいったい!」「ねえ……孝之くん。 この前見せてもらった、模擬戦での白銀くんの機体の映像……覚えてる?」「あ、ああ、でもそれがどうしたんだよ?」「ったく、鈍いわねー。 武のガンカメラに移ってた戦術機の数は?」「えっと……。」 眉を潜め、考え込む孝之。「ああ、なるほど! そういうことだったのか!!」 遙と、そして水月の指摘により、ようやく孝之も武の言わんとしたことに気がついたようだ。 武の言葉の真意――それは、2機以上の敵を「1度に」相手にしたら、自分でも負ける、ということであった。 武とて、何機もの相手を同時にできるわけがない。戦場を動き回ることで敵をかく乱し、常に1機以上の相手をしないように立ち回っていたのである。 孝之は、己の技量を過信して1度に2機を相手にし、そして敗北を喫したのだ。「それとだな孝之、おまえの役目は時間稼ぎだったんだろ? なにも2機相手に真面目に戦う必要はなかったのに、おまえわざわざドッグファイトしてただろ。」「う……。」「基本、戦術機の戦い方はヒットアンドウェイだ。 弾が切れたら格闘戦に移るしかないが、それでもその場に踏みとどまって刀を振るい続けるのは、よほど腕に自信がない限り自殺行為だぞ。」「ふーん、そういうものか。 ……いや、でも斯衛部隊や帝国軍精鋭部隊では、乱戦を重視した訓練をしているって聞いたことがあるけど?」 武の発言に、慎二がどこで聞いた噂なのか、そんな言葉を口にした。「……彼らは別格。 物心ついた頃には刀を握っているような連中と比べても、不毛なだけだぞ。」 接近戦で斯衛に勝とうなんて夢見ちゃいない。武は知り合いの衛士達を思い浮かべつつそう思った。「まあ、でも戦術機にはある程度の太刀筋が入力されてるから、いざとなればド素人でもボタン一つで敵を真っ二つにできるんだが……」「……? さっきの話と食い違ってないか?」 慎二が眉を潜めて武に尋ねる。「いや、乱戦をしようとなると、立ち回りとか、間合いとか、そういった機械じゃどうしても補正しきれない部分があるだろ……?」 その質問は予想の範囲内だったようで、武はすらすらと答えた。「なるほど……。 となると、日頃の模擬刀や模擬短刀を使った訓練は、そのためにやってたのか。 言われてみれば、無意識に間合いとか意識していたような気がする。」「そうだな。 あと、接近戦に限らず、どんなレンジでの戦いでも基礎訓練は重要だぞ? なんせ、戦術機のFCSには、そのためにわざわざ遊びが作られているみたいだからな。」「どうりでちゃんとロックオンしているはずなのに、タケルや鑑には弾があたらないわけね。」 しみじみと漏らす水月。 純夏の場合、半分はそのあまりにも高い運のせいだと、武は心の中で呟いた。「……えーっと、そこらへん神宮司教官から説明されなかったか?」「え? あ、一応説明はされてたんだけど――どうもFCSを意識しすぎて忘れちゃってたみたいで。」 最初はトリガーを引くのが早すぎるって注意されてたんだけどね……。 水月は苦笑いを浮かべつつ言った。「私もFCSばかりに気をとられてたかも……。 あ、でも私は水月とは逆で……。 ほら、私、もともと実技は苦手だったから。」「……うーん、まあ、BETA相手の戦いの時には、むしろFCSまかせのほうが、そのぶん別のところに注意を払えるからいいと思うぞ。」「なに、タケルちゃん。 その引っかかる言い方。」 純夏が口を尖らせて言った。「あ、ああ。 ちょっと言い方が悪かったな。 別にFCSに頼るのがまずいとか、劣っているとか、そういうわけじゃねえんだ。」「そうじゃなくて、まるでBETAとの戦いが特別みたいな口ぶりだったけど。」「ああ、そっちか。 そりゃそうさ、BETA相手の戦いと、戦術機相手の戦いは、根本的なところで違うんだからな。」「――エエッ?! た、タケルちゃん! それって本当なの?」「ふむ、そうだな。 白銀訓練兵の言っている事は、概ね正解だ。」 純夏の素っ頓狂な叫びに続いて聞こえてきた、聞き覚えのある力強い声。「じ、神宮司教官?!」 突然の来客に、慌てて立ち上がり、敬礼をする207隊員一同。「座ったままで結構。 今はプライベートの時間のはずだが、勉強会か……熱心でいいことだ。」 不敵な笑みを浮かべつつまりもは言った。「さて、ついでだ白銀。 皆にシミュレーター上でBETAと戦い、感じたことを話してやったらどうだ?」「は、はい。」 突然振られた話題にまごつきながらも、とりあえず率直な感想を述べようと武は頭を捻った。「まず、あの量に圧倒されましたね。 まるで地面が動いてるかのように真っ赤な津波になってBETAが押し寄せて来るんですから。」「赤……戦車級のことだな。 ああ、戦車級とは、BETAの内、小型種と呼ばれるものの内の一種だ。 小型と言っても、大きさは大型トラック1台程もあるんだがな。」 武の言葉に補足説明するまりも。 武はふと、己がまだBETAに関して何の説明も受けていないことを思い出した。うっかり固体名を口にしなくてよかった、と、胸をなでおろす。「BETAにも何種類かいるみたいですね。 座学でも説明があった光線級はもとより、他にも山のように大きなBETAや、戦術機ほどのBETAも数種類確認しました。」「BETAの詳しい説明は後日座学でするとして、他に何か感じたことはあるか?」「囲まれたら終わりってことと、動けば動くほど寄ってくるってことでしょうか? 特にちょっとでもジャンプしようものなら、離れたところにいたBETAまでUターンしてきますし。」「飛翔体や、動くものを優先して狙うのも、BETAの特徴だな。」 他にも有人機、無人機では有人機を狙うらしいが、それをあえてここで口にする必要もないだろう。「あとは、一撃必殺なんて狙ってたらあっという間に距離を詰められてしまうんで、脅威となりそうなBETAを見つけたら、ロックオン完了次第撃った方がいいってことですかね。」 武は一度言葉を区切ると、「人の操作する戦術機と違って、BETAはロックオン外しのための急加速なんてしませんし。」と、付け足した。「それと、さっきは動き回ったらBETAが寄って来るって言いましたけど、動かないと今度はBETAの波に飲まれてしまうんで、結局動き回る破目になりましたね。」「動いてこその戦術機、と、言って差し支えないだろう。 戦術機から機動力を取ってしまえば、戦車と何の変わりもなくなってしまうからな。」「オレもそう思います。 戦術機はいかに動き回ってBETAを翻弄、拘束できるかだろうと。 習性を利用すれば、存外に簡単に動きを制御できるようですから。」「ふん、油断して実戦で足元をすくわれんようにな。 シミュレーターは、所詮シミュレーターだということを忘れるな?」 知ったような口を利く武をたしなめるまりも。 だが、武はすでにシミュレーターの想定した『最悪』のさらに上を行く、それも人類史上最大級の過酷な『実戦』を3度も経験しているのだが、それをまりもが知る由もない。「ところで貴様の話からは光線級の話題が出てこないようだが、光線級について何か感じたことはないのか?」「高度を取れば脅威になりますけど、BETAの群れの中にいる限り撃たれることはないので、BETAの動きに注意していれば何とかなりましたね。」 モーゼが大海を割るかのようにBETAがザーッと左右に分かれていく姿は圧巻ですよ、と、両手を広げ、苦笑交じりに述べる武。「BETAの群れの中にいれば……か。 面白い考えだな。 だがそれでは、BETAに囲まれてしまうのではないか?」「はい、だから常に動き回ってなくちゃいけないんです。 そう、例えるならバッタみたいに。」 武は、水月が己の動きを「バッタのよう」と形容したのに習って己の機動を説明した。「光線級も最初から全力照射してくるわけじゃないんで、初期照射を浴びているうちに地面に戻れば粘膜にダメージを蓄積することもありません。」「理論的にはそうだが……口で言うほど簡単に出来ることではないぞ。」「従来なら、確かにそうでしょう。 でも新OSを使えば、あるいは誰でもそれができるようになるんです。」「ほほう。」 まりもは興味深げに相槌を打った。「具体的に言えば、跳躍噴射の最中にキャンセル――直前に入力した動作を中止するか、あるいは最初からコンボ――動作の事前登録を済ませてしまえばいいんです。」「キャンセルにコンボか。 香月博士から機能は伺っていたが……なるほど、コンボにそういった使い道があるとは。」「それだけじゃないですよ。 コンボは、うまく使えば動作後の硬直をほとんど0にすることすら可能なんです。 そのメリット……神宮司教官ならわかるでしょう?」「……それが事実だとすれば、まさに夢のようなOSだな。」 まりもはそう言って顔を綻ばせた。「とは言っても、やはり無理なキャンセルや、飛んだり跳ねたりっていうのは機体に無理がかかるので、多様を避けるか技量を磨くかしなければならないんですけどね。」「言うなれば、そこが新OSの欠点と言うわけか。」「そうとも言えるでしょう。」 渋い顔をして頷く武。 現に過去、武は無理な暴れ方をして、『不知火』を機動だけで中破寸前まで追い込んでいる。 一方、同じ戦いを戦い抜いた熟練衛士の乗る『武御雷』は――機体が違うので、一概に比較できないが――作戦継続にほとんど支障がない程度の損害にとどまっていた。「……っと、すまない。 話こんでしまったな。 」 他の訓練兵達がおいてけぼりを食らって呆けた顔をしているのに気がついたまりも。すこしだけ頬を赤らんでしまったのを誤魔化すように咳払いをした。「そういえば神宮司教官、何か御用があってPXに来たのでは?」「ああ、そうだ。 明日からの訓練で重要な知らせがあってな。」 まりもは再び咳払いをして声色を整えると、おもむろに表情を引き締めて言い放った。「207B訓練兵部隊は、明日より対戦術機訓練と平行し、対BETA訓練を行う。 午前中はBETAの特徴についての講義を行うため、ハンガーではなく座学教室に、08:30までに集合するように。」「――ッ、了解!!」 なるほど、だから神宮司教官はワザワザ自分にあんな話を、と納得しつつ、同時に武は一種の危機感を抱いた。 対BETA訓練……どうせ提案したのは夕呼先生あたりであろうが、なにを彼女はそんなに急いでいるのだろうか?「(まさか奴らの第一陣にオレたちをぶつける気じゃ……。)」 ありえない、妄想だと首を振りつつも、しかし拭いきれない疑念は武の心の中に、まるで真水に一滴垂らした油性インクのごとくたゆたう。 ――今夜あたり、夕呼先生と話をしておいたほうがいいな。 武はなぜかそう確信した。