――97式戦術歩行高等練習機『吹雪』 元々不知火のデータ取り用に開発された機体だが、『不知火』の量産パーツ流用を前提に再設計され、97年に正式配備となった機体である。 ハンガー(格納庫)に新たに運び込まれた5体のそれらは、周囲に並ぶ撃震よりも随分と洗練されたイメージをキャットウォークから熱いまなざしを送っている207の訓練兵達はもちろん、機体の点検をしている整備兵らにも与えていた。 帝国の主力戦術機『不知火』や、今年EUに配備されたばかりの『タイフーン』などの第三世代機がなかなか普及していかない背景には、もともと『新兵器』というものを好まない軍の気質に加えて、今最も各国の軍隊で普及している『F-4』系列の第一世代機に比べてあまりにも高い機動性が要因のひとつとして上げられる。 全身を分厚い装甲で覆った第一世代機と、装甲を重要部分にのみ限定し、運動性及び機動性を重視した第三世代機では運用思想が根本から異なる。 本来なら衛士の再教育が必要なところなのだが、当然そんなことをしている余裕など、人類に在るわけが無かった。 そしてここ日本では、第二世代機の導入という前段階を踏まずに第三世代機を導入してしまったがために、人材不足が各国の中でも特に深刻であった。 未だ軍の主力は旧式の撃震で、肝心の最新鋭機である不知火の配備はといえば、量産体制の不備云々に加えて「肝心の衛士が乗るのを嫌がる」という嘘のような本当の理由も加わり、当初の予定よりもずいぶんと遅れてしまっているのが現状だ。 誰しもろくな慣熟訓練も受けられないまま、乗りなれない機体で戦場に出るなどゴメンこうむりたい、というわけである。 その点、207B分隊は幸か不幸か『魔女』の指示により、他の訓練校に先駆ける形で第三世代機習熟訓練、及び新OS慣熟訓練を並行して受けさせられているため、第三世代戦術機に対する拒絶反応は無いに等しい。 しかし一方で、どちらの訓練方法も未だセオリーが確立されたとは言い難い状態なのは、紛れも無い事実である。 実際に訓練を受けさせられている武達はもちろんのこと、一切の責任を背負わなければならない、教官であるまりもの心労も押して知るべし……といったところであろうか。 とまあこのように、なんとも先行きが不透明な207B訓練分隊であるが、今日はどういうわけか起床ラッパも鳴る前だというのに戦術機ハンガーへと集結していた。 前日に自分たちが乗ることになる練習機が搬入されることを、まりもから知らされていたのだ。「くぅう、かっこいいなあ。 なあ、お前もそう思うだろ?! 慎二っ!!」 まるで子供のように目を輝かせはしゃいでいる親友に、慎二は「ああ、そうだな。」と、苦笑を浮かべつつ相槌を打った。「……それにしてもまさか吹雪に乗れるなんて夢にも思ってなかったぜ。」「全くそうよね。 どうせ廃棄寸前の撃震か何かだと思ってたのに。」「うんうん、まさか去年配備されたばっかりの新型に乗れるなんて!!」「確か吹雪って第三世代機だったよね? 私、大丈夫かなあ、やっとシミュレーターに慣れてきたばかりなのに……。」「なーに、遙なら大丈夫だって。 何てったって、このオレですら乗れるんだからな。」 何時ものことながら不安そうにしている遙に、孝之は若干自虐ネタを混ぜながら言い放つ。「……そうかな?」 孝之の励ましに、遙は少しばかり表情をやわらかくした。「はあ、何て言うか、平和だなあ。」 孝之が「そこは否定して欲しかったんだけど。」と、ガックリ肩を落とした姿に近親間を覚えつつ、武はふっとまぶしそうに目を細めた。「ほーう、日本海側では未だ厳戒態勢が続いているというのに、よりにもよって平和とは……。 おまえも随分とふ抜けているようだな、白銀。」 脇から聞こえてきたその声に、武はギクリと体を硬直させた。 遙の号令が飛び、一同はまりもの前に一列に集合する。「楽にしていいぞ。 ……まったく、揃いも揃って物好きだな、貴様等は。」 フッと微笑みながら「まあ気持ちが分からんでもないが。」と、付け足すまりも。 「点呼の時間までには自室前に戻ってくるように」と念を押すと、特に他に何か言うわけでもなく、すぐに踵を返してハンガーを後にした。 どうやら彼女も様子を見に来ただけだったらしい。 武は彼女の後姿に敬礼をしつつ見送った。「まあ、どうせ戦術機に乗れるのは明日以降だろうな。」 まりもがいなくなったのを確認して、ポツリと呟く。「ええっ! な、なんで?」 武の言葉に、素っ頓狂な声を出して驚く純夏。 武は純夏の方に向き直ると、仕方ないなといった口調で説明を始めた。「たった今搬入したばかりなんだから、普通整備とかで一日以上かかるだろ。 ……ねえ? 涼宮さん。」 武の問いに「うん、私もたぶんそうだと思う。」と相槌を打つ遙。「そうなの? ……もう、せっかく本物に乗れると思ったのに。」「マジかよ……。」「そんな~……むう、楽しみにしてたのに。」 口々に不平を漏らす水月、孝之、そして純夏。 一瞬、ほんの一瞬だが、その様子がかつて共に戦った『仲間達』の様子とダブってしまい、武はあわてて頭を振った。 そういえば、あの時は武御雷が搬入されて大騒ぎになったんだっけ? 空のハンガーを見つめながら、過去に思いをはせる武。 いつになく感傷的になっているようだ。「(……この空気のせいか?)」 体ごと戦術機に見入っている仲間達の様子を見て、武はふとそう思った。 武が訓練生になってはじめて「『衛士訓練生』になったのだ」という実感を覚えたのは、訓練用とはいえ、自分達の戦術機が搬入されるのを見たあの瞬間だ。 当然ながらその光景は、強烈な印象とともに心に焼き付いている。 そして今現在、この空間には武の認識における『かつて』と似たような空気が漂っていた――ともすればフラッシュバックが起こりやすい状況であると考えられなくも無い。「……? どうしたの、タケルちゃん?」「あ、ああ。 悪い純夏、オレはもうそろそろ戻るよ。」 適当な嘘をつき、一先ずこの空間から離れようとする武。 因果流出が起きているかもしれない現状において、これ以上過去を振り返るのは危険だと、そう判断したのだ。「え、何処か具合悪いの?」「いや、別に。 ただ、ここでいつまでもこうしてても仕方がないだろ?」 尚も腑に落ちない様子の純夏だったが、事情を詳しく説明するわけにもいかず、武は適当に別れの挨拶を述べると、そそくさと一人ハンガーを後にする。「(ったく、いったいどうなってるんだ?)」 武は宿舎へと繋がる通路を駆けながら舌打ちした。 次から次へと湧いてくる記憶に歯止めがかからない。 まるで走馬灯のように過去の出来事が頭の中をよぎってゆく。 武はいままで何度かフラッシュバックを経験したことがあったが、流石にここまでの規模のものは一度も経験したことが無かった。 脳が過負荷を受けているのか、こめかみの辺りがズキズキと痛む。 結局、その痛みは一日中尾を引き、武はその日の訓練にあまり集中することが出来ず、まりもから何度も叱責を貰う破目になった。※ 一日の訓練を終え、いつもなら雑談で盛り上がっているはずの夕食の席にも関わらず、嫌に静かで空気が重い。 だがそれも無理は無かった。 なんだかんだと話に加わっている武が、今日に限って生返事以下の返答しか返してこないのだ。 なにやらいつになく考え込んでいる様子で、普段明るく振舞っている武の姿からは想像も出来ないほど、その姿は弱弱しい。「……タケル、ちょっと大丈夫? 朝からずうっと元気ないみたいだけど……。」「大丈夫です、速瀬さん。 心配しないでください。」 やや躊躇気味に問いかけてきた水月に、武は本日何度目となるかも知れないセリフを口にした。「武、だらか何度も言うように、そんな真っ白な顔して言われてもぜんぜん説得力がねえっての。 それに、心配して欲しくないなら、それなりの態度をとるべきなんじゃないのか?」「ちょっと孝之! そんな言い方ないじゃない!!」「いや、孝之の言うとおりだ。」 孝之の突き放すような弁を水月は非難したが、慎二が直後に肯定した。「なあ、武。 なにか悩み事があるんだったら、何も一人で抱え込まないでオレたちを頼ってくれてもいいんだぞ? こう見えても、一応おまえより年上なんだから、少しは力になってやれると思うが。」 慎二の言葉をあり難いと感じつつも、同時に武は内心溜息を付いた。 年齢を傘にするのだとしたら、自分の実年齢は20歳をとうに超えている。 それに加え、今度の件ばかりは全く相談のしようが無い。「ありがとな、でも――」「デモもストも無い!! まったく、少しは私たちを頼りなさいよ! それともなに? そんなに私たちって頼り無い?」「――そ、そんなことないです!」「ならキリキリ白状する。 3、2、1、ハイ。」 怒涛のごとく詰め寄る水月。 武が答えあぐねていると、遙が見るに見かねて声をかけてきた。「――水月、気持ちは分かるけど、強引なのはよくないよ。 誰でも、一人で悩みたいときぐらいあるんだから……ね?」「う……。」 遙に凄まれ、水月は罰が悪そうに引き下がった。「……白銀君、どうしても言えないって言うんだったら、無理に聞こうとは思わない。 でも、気が変わったら、私は……私達はいつでも相談に乗るから、遠慮せずに相談してね。」 そう言って弟をいつくしむ様な微笑みを浮かべる遙。 仲間達の心使いに、武は肩が少し軽くなったように思えた。「――その気持ちだけで嬉しいです。 でも……たぶんこれは、オレ一人でどうにかしなくちゃいけない問題ですから。」「そうなのか? ……まあ、ならとりあえずその湿気たツラ何とかしてくれよ。 こっちまで気が滅入っちまう。」「た~か~ゆ~き~ッ?! アンタいい加減にしなさい! 殴るわよ!!」 水月の怒声と共に孝之が地面と強烈な接吻をした、丁度その時だった。「白銀訓練兵、白銀訓練兵はいますか?」 自分の名を呼ぶ声が聞こえ、武は声のした方向に首を伸ばした。「――ピアティフ中尉、何か御用ですか?」 武の姿を確認すると、崩れてしまっていたブロンドの髪を直しながら、ピアティフは口を開いた。「香月博士が呼んでいます。 着いて来てください。」「……わかりました。 だそうだ、純夏。 悪いがオレの分の食器も片付けておいてくれないか?」「う、うん。」「じゃあ皆、明日の訓練、頑張ろうな!」 武は無理やりに笑顔を浮かべて仲間にそう語りかけると、ピアティフの後に続かんと席を立つ。「た、タケルちゃん!」「なんだ、純夏?」「えっと……その……無理は、しないでよね?」 憂いに満ちた瞳で武を見つめる純夏。「……ああ、わかってるって。」 武は恥ずかしそうに返事をすると、今度こそPXを後にした。※ もうどれだけ歩いただろうか、ゲートを潜るごとに人通りは疎らとなり、今では自分とその前を歩くピアティフの足音のみが廊下に木霊している。 ピアティフは迷いの無い足取りで歩を進めており、その後をやや遅れて武が付いていく。 しばらくすると、とある一室の前でピアティフは唐突に足を止めた。 どうやらここが目的地らしい。 コンコンと、彼女が部屋のドアを2回ノックをすると、中から「連れてきたのね? 入ってきなさい。」と、よく聞き覚えのある声で返事が返って来た。 部屋は想像していたよりも一回り小さな、しかし何処か見覚えのあるような懐かしい作りをしていた。 入口正面の壁には『ALTERNATIVE 4』の垂れ幕が掲げられており、その手前に設けられたデスクには、本日武を呼び出した張本人が不敵な笑みを浮かべつつ回転イスに腰掛けていた。「いらっしゃい、白銀。 私の研究室にようこそ。 ――ピアティフ、あなたはもういいから下がってくれるかしら?」「……はい、わかりました。」 夕呼に命じられると、ピアティフは命令どおり、部屋をそそくさと後にした。 結果、部屋の中に残ったのは武と夕呼の2人のみ。「えっと……香月博士、今日は何の用ですか?」 突然人払いをした夕呼に不気味なものを感じつつ、問いかける武。 不遜な態度だというのに、夕呼はそれを特に気にするわけでもなくその問いに答えた。「ええ、ちょっとあなたに訊きたいことがあってね。」「訊きたいこと……ですか?」 夕呼は「――そ。」と短く返事をして、同時に足を組み直した。「……ねえ、白銀。 あなた最近『夢』は見るかしら?」「『夢』……ですか?」「そうよ、『夢』。」 突然何を聞かれるかと思ったら、夢は見るかだって? それを知って彼女に何の徳があるのだろうか? 武は首を捻った。「『夢』って言われても……そりゃ勿論見ますけど、それがどうかしたんですか?」「……ごめんなさい、聞き方が悪かったわね。 ――そう、何か『不思議な夢』は見ないかしら? 例えば記憶には無いはずなのに、やたら生々しい夢とか……。」 瞬間、夕呼の眼光が鋭くなったのを感じ、武の背筋に冷たいものが走った。 それはまるで、「嘘をついてもお見通しよ。」と言わんばかりだ。 武は喉が一瞬で干からびたのを感じたが、決してそれを表情には出さないよう、なんとか取り繕う。「で、どうなの?」「……そうですね、最近よく見るような気がします。」「それは何時頃からかしら?」「総戦技評価演習が終わってから……戦術機の訓練が始まってからだったと思います。」 確かに、自身の記憶について気になりだしたのはこの時期だ。 少なくとも嘘はついていない。 夕呼は武の答えに「ふ~ん。」と返事をすると、急にその視線を緩め、デスクへと向き直った。 武はそんな夕呼の反応にますます彼女の目的が分からなくなり、ついにはその思考を停止させる。 カタカタと、夕呼がパソコンに何かのデータを打ち込む音だけが部屋に響く……。 「あの~、すみません、夕呼先生。」 10分ほど経過した頃、武は居たたまれなくなって口を開いた。「あら、アンタまだそこにいたの? 質問はもう終わったから、帰っていいわよ。」 武へと視線を戻すと、夕呼は露骨に顔をしかめさせ、シッシと野良犬を追い出すように手をヒラヒラつかせた。「そういえば先生、試験の結果まだ返してもらってないんですけど……。」「はあ? 試験の結果? ……なにそれ?」「ちょっと……先生、忘れたんですか? 自分で『このテストに合格できないようだったら、後期も継続して私の授業を受けさせる。』とか言っていたのに。」「……あら、そう言えばそんなこと言ってたかしら。」 アゴに手を当て、そんなことをのたまう夕呼。「ここのところ忙しかったからすっかり忘れてたわ……えっと確かここら辺に……。」 夕呼はそう言ってデスクの上に積んであった書類の山を崩し始めた。「あったあった、はい、アンタ達の答案。 これでいいでしょ? 私は忙しいんだから、さっさと出てって頂戴。」 夕呼から答案を受け取ると、これ以上夕呼を刺激すると薮蛇をつつくことになりかねないので、武は言われたとおり、おとなしく部屋を後にした。※「うわー、こりゃひどいな。」 見事に真っ赤に染まった自らの答案に、武は思わず目を覆った。 そもそも合格点に達しているのかどうかさえ怪しい己の回答。 なぜ合否を夕呼に聞き忘れてしまったのだろうと己を責る。 間違ったところを復習する気もないのに、渡された答案をなんとなくめくってしまうのは人の性質だろう。 だが今回は場所が悪かった。 廊下を歩きながら書類を読むと言った行動は、どんな理由があるにせよ本来自粛するべきであった。 武は答案を読むのに夢中になるあまり、曲がり角から突然現れた人影に気が付くのが致命的に遅れてしまったのだ。――ボスン 正面から強い衝撃を受けて、思わずよろめく武。 何事かと周囲を見渡すが、何も見当たらない。「……ごめんなさい。」 ひょっとしたら聞きそびれてしまいそうな、そんな小さな声が胸より下のあたりから聞こえてきた。 はてと目線を下げた武の目に入ってきたのはピコピコとまるで本物のように動く、ウサ耳のようなもの――そして、2本に結わえられた銀髪と、真っ直ぐとこちらに向けられた、クリクリと大きなグレーの瞳であった。 突然のことに頭の中が真っ白になり、武は目を見開いて、ポカンと口をあけて呆然とその場に立ち尽くす。 しばらく『彼女』はそんな彼の間抜けた顔を、感情を写さない瞳でジッと見詰めていたが、やがてそれも見飽きたのかクルリと体を反転させると、今来たであろう道をそのままトコトコと戻っていってしまった。「……かす……み?」 武のかすれた声は、幸いなことに誰の耳にも届くことは無かった。 何故? 彼女は「まだ」、「ココ」にはいないハズ……。 我を取り戻した武はすぐさま彼女の後を追おう扉に飛びついた。 だが、その扉は開かなかった。 己のカードでは、セキュリティーレベルが足りないのである。 当然、行きに武が通ってきた道も、勿論夕呼の研究室に繋がるドアも彼のセキュリティーカードでは開くはずがない。 結局、武はピアティフが通りがかるまで、約30分ほどその空間に閉じ込められる破目となった。