1/09 投稿1/11 誤字修正 ジトジトと洋服が体に吸い付く。 林のせいで辺りが湿っているのだろうか……否。 それとも訓練着を着替えていないせいだろうか……それも否。 結局、自分は今緊張しているのだ。 洋服がべたべたと体にくっついて気持ち悪いのは、つまり冷や汗のせいだ。「あーと、ちょっといい、タケルちゃん。」 帰りの道すがら、純夏は武の背中を「ちょんちょん、」と遠慮がちに叩き、小声で話しかけた。「なんだ、純夏?」 なにやら純夏がこちらに向かって手招きをしている事に気がつくと、武は不審に思いながらも純夏の傍へと近寄った。「――ん? どうしたんだ2人とも?」 背後から2人の気配が消えたことに気がつき、孝之は後ろを振り返る。「えーっと、ちょっと長くなると思うから鳴海君は先にPXのほうで待っててよ。」 純夏は「はあ? だからどうしんだよ、なんだよ用事って?」という、武の当惑した声を掻き消すような大声で孝之に言った。「――わかった。 じゃあまた後でな。」 何か納得したように頷くと、そのまま何の疑問も挟まずに林を駆け抜けてゆく孝之。 武は「そこで納得しないでくれ。」と思わないでもなかったが、純夏の手前仕方がなくそのまま後姿を見送る。「で、なんだよ用事ってのは。」 孝之の後姿を見送った後、武は改めて純夏に問いかける。 やっぱり今言わなければならないだろうか? 純夏は、一応武を呼び止めてはみたものの、彼に『人形』を無くした事を白状する決意がまだ固まっていなかった。「えーっと……怒らないでよね?」 思わず確認を取ってしまう純夏。「つまり、オレが怒るかも知れないような話題なんだな?」 『タケルちゃん』は私の心を見透かしているかのように、すぐさま切り返してきた。「う゛っ……。 ま、まあそうなんだけどさ。」 ぽりぽりと頬をかく純夏。 武は溜息をつきながら面倒くさそうに「怒らないから言ってみろ。」と純夏に先を促してくる。「本当に?」「本当だ。」「ホンとの本当?」「……どうせオレが『本当だ。』って答えたら『ホンとのホンとの本当?』とか聞き返すつもりなんだろ? 怒らないから取り合えず言え。 じゃねえと本当に怒るぞ。」 そう言ってどこからか取り出したスリッパを構えて見せる武。 純夏はビクリッと、電流でも流されたかのように背筋を伸ばした。 どうせ白状するしかないのに、頭を叩かれてはたまらない――白状したら白状したできっと叩かれるに違いないのだが。 純夏は観念して重い口を開いた。「『サンタうさぎ』……タケルちゃんが私にくれたの、覚えてる?」 どうせ『タケルちゃん』は忘れてるだろうけど……内心でそう思いつつ、というよりは、この時ばかりは願いつつ、純夏は武に問いかけた。「――ああ、なんだそのことか。」 ところが武は、純夏の問いを聞くなり、なんでもないようにそう返事すると、ズボンのポケットを探り始めた。「ほら、これの事だろ?」 そう言って武が差し出した手に握られていたのは、ウサギを模ったらしい、手のひら大の古ぼけた人形だった。 すっかり色は褪せ、ところどころ解れてしまっている。 間違いない――私の、『サンタうさぎ人形』である。「た、タケルちゃん、ど、どこで見つけたの? っていうかなんでタケルちゃんが持ってるの?!」 私は驚いて『タケルちゃん』に詰め寄った。 武は純夏のあまりの勢いに、思わず半身を仰け反らせる。「待った待った。 まずは落ち着けって純夏。 帰るときグラウンドで見つけたんだよ。」 続けて、何処か困ったような、照れくさそうな表情を浮かべて「まさかとは思ったけど、やっぱりおまえのだったんだな。」と呟く武。「ありがとー……ふう、無くしたらどうしようかと思ったよ。」 純夏はほうっと溜息をつき、顔を綻ばせた。 正直なところ、8割ぐらい諦めていたのだ。 だから、プレゼントをくれた武に『無くした』ことを白状しようと思ったのである。 スリッパでしこたま殴られるぐらいの覚悟は当に決めていたのだ。「ったく、それにしてもこんな人形のどこが良いんだ? さっさと捨てちまえばいいのに。」 人差し指と親指で人形をつまみ、シゲシゲと見つめながら話す武。 何て事を言うのだろうか。 純夏は武の物言いに憤慨した。「ええー?! だめだよお。 それ、大切なんだから。」「こんな汚ねえのが?」 武は人形を純夏の目の前に突き出しつつ言った。「う゛……まあ確かにボロボロだけどさ。」 自覚はあるらしく、ぼそぼそと呟く純夏。「わかった、さてはお前『捨てられない症候群』なんだろ? よしわかった、オレがかわりに捨ててやる。」 武は言いたいだけ言うと、突然、人形を握ったその腕を大きく振りかぶった。 ――え? 一瞬思考が止まる純夏。 数瞬後、武がとんでもないことをやらかそうとしている事に気がつくと、純夏はあわてて武に飛び掛った。「わー、わー、わー、タケルちゃんだめえッ!」 そんな純夏の悲痛な叫びも空しく――風を切る鋭い音――武は勢いよく腕を振り下ろしてしまった。「……た、タケルちゃんヒドイよ。あんまりだよ。」 まるで全身から力が抜けたかのように、純夏は思わず伸ばした腕をそのままに、その場にへなへなと尻餅をついてしまった。「人でなしだよ、信じられないよ、信じたくないよお……。」 弱弱しく呪詛を吐く純夏。 武はそんな純夏の様子を見ながら、ニヤニヤといやらしく笑っている――「おーい、純夏、こっち見ろよ。」 さめざめと涙を流す純夏に武は呼びかけるが、完全にへそを曲げてしまった彼女は、全く反応を返さない。「だからこっち見ろって!」 武の二度目の呼びかけに、純夏はユルユルと顔を上げた。「……なにさ。 って、えええッ?」 驚嘆の声を上げる純夏。 振り返ってみれば、武の手に今しがた闇夜に消えていったはずの大切な人形が握られていたのだ。「ばーか、フェイントだって――うげッ!」 武が言い終わるよりも先に得意のレバーブローを叩き込むと、彼の手から己が宝物を奪取する純夏。「よかったー、一瞬心臓止まったよ。」 人形を大切そうに胸ポケットに仕舞いながら純夏は安堵の溜息をついた。 「……こっちは物理的に呼吸が止まったがな。」武は恨みがましい様子で吐き捨てる。「タケルちゃんのばーか! 冗談でもやって良いことと悪いことがあるんだよ?」 「そのぐらい今時の小学生だって知ってるのに。」純夏は尚もグチグチとタケルを責め立てた。「ったく、悪かったって、確かにちょっと調子に乗りすぎた。 だがなあ、純夏。 おまえもいきなりレバーブローは、明らかにやりすぎだろ?」「フンだ。 そもそもタケルちゃんが紛らわしいことするのが、いけないんでしょ。」 武は「うぐっ」と言葉に詰まった。「――っと、そんな事言ってる間に戻ろうぜ。 多分速瀬さん達待ちくたびれてるぞ。」 結局、武は話題を転換することで、その場をやり過ごすことにしたようだ。 純夏の返答も待たずに武は再び基地の方へと坂を下り始めた。「速瀬さん……。」 純夏は呟きながら、顔色を曇らせた。 ポケット越しに、タケルから返してもらった人形を握り締める。 ――タケルちゃん、やっぱり……。 頭をよぎる、嫌な予感。「おーい、純夏、なにやってんだ? 置いてっちまうぞっ!!」 下から聞こえてきた武の声に、純夏は、ふと我に返る。 ボーっとしているうちに、武はもう随分下の方まで降りてしまっていた。 辺りは静まり返っており、夜の森独特の不気味さが、今更になって純夏を猛烈に襲った。 ヌラリ、と、頬を生暖かい風が撫でる。 「ヒッ!」 思わず、純夏の口から小さな悲鳴が漏れた。「ま、待ってよタケルちゃん、こんなところに一人で置いてかないで~!」 純夏は叫び声を上げながら、武の後を全速力で追いかけるのだった。※「……ふむ、それで?」 所変わって座学教室。 まりもは能面のような表情で、目の前で正座している武、孝之そして純夏に向かってそう問いかけた。「……い、以上です。」 武が恐々とした表情で締めくくる。 武達3人は、それぞれ如何とも表現しがたい表情をしているが、3人に共通して言える事は、まりもに対する恐怖で顔が真っ青であることだ。 そんな彼等の事を、他の207Bメンバーは同情とも呆れとも取れる表情で冷ややかに見つめている。「つまり、何の相談かは知らんが鳴海の相談を受ける、たったそれだけの為に訓練校を脱走した、というわけだな?」 「仲間想いで大変結構なことだな。」と、まりもは見るものを震え上がらせるような、そんなステキな笑みを浮かべて言った。「そ、そんな、神宮司教官脱走だなんて、私たちそんなつもりじゃ!!」「よせ純夏。 許可もとらずに基地の外にでたんだから『脱走』って言われても仕方ないだろ。」「ほう、白銀。 そこまで分かっていながら何故止めなかったんだ?」 聞こえてきた武の囁きに、まりもは鋭く突っ込んだ。「うっ……申し訳ありませんでした。」「『申し訳ありませんでした。』では無いわ、この馬鹿者ッ!! ――全く、貴様達は軍の規則をなんだと思っているんだ!?」 まりもの怒声が武達の鼓膜を直撃した。 耳が「キーン」と悲鳴を上げるが、ここは3人とも根性で耳を塞がずに耐えた。 と言うよりは、その迫力に身動きが取れなくなってしまったというのが正しいだろう。 その脇では、武達の説教を聞いていた速瀬達までもがハトが豆鉄砲を食らったような表情をして固まってしまっている。「全く、これが正規の軍隊だったら貴様達は二の句も告がせず銃殺刑だぞ?!」 まりもはそう叫んで「ハア……。」と、眉間を押さえつつ深い溜息をついた。「本来なら『営倉で頭を冷やして来い!』と言っておきたいところなのだが……今回の件は諸事情により、特別に不問とする。 ただし、このようなことが再び起こるようだったら、その時は営倉でなく『桐の箱』に入ってもらうからな。」「諸事情……ですか?」 『桐の箱』という気になるけど聞きたくない表現を意識の外に追いやりつつ、孝之は不思議そうに首をひねった。「それは今から話すところだ。」 まりもはイライラとした口調で言い切ると、ゴホンと一つ咳払いをした。「――さて、こんな時間に緊急招集をかけたのは、何も馬鹿な脱走兵を炙り出すためでも、貴様達の楽しい夕食を邪魔するためでもない。」 まりもは皮肉交じりに言いながら、207Bメンバー全員の顔を見回した。「時間があまり無い、単刀直入に言うぞ――『今日中に総合戦闘技術評価演習の準備を済ませ、明日の演習に備えよ。』との命令だ。 基地司令からの、な。」「……っ?!」「急の事態に驚いているようだな。 まあそれも仕方がないだろうが。」 武達は驚きのあまり言葉を失ってしまった。 そんな彼等の様子も想定の範囲内だったらしく。 まりもは特に褪せる様子も無く――どちらかというと、先にも増して疲れたような表情で――その先を続けた。「――なんでも大型の台風が南シナ海に出現したらしい。 その予想進路上には、演習の準備が施されている某島も含まれている。 よって予定を繰り上げ、明日急遽実施することになった、ということだ。」「ちょ、ちょっと待ってください。 いくらなんでもそれは急すぎます! それに何故延期でなく繰上げなんですか?!」 いち早く我に帰った水月が、呑み込めない様子でまりもに訴えた。 「それは――。」まりもは言いかけて口をつぐんだ。 なにやらブツブツと呟いているようだが、小さすぎて武達には聞き取れない。「あのー、神宮司教官?」「――ああっと……それはだな、どうやら香月博士の差し金らしい。」 思わず頭を抱える207B一同。 武と純夏の2人を除く207B隊員は、ここに来てようやく武の「香月博士を舐めてはいけない。」という言葉の真意が分かったような気がした。「『演習の下準備はすでに整っているのだから、台風で使い物にならなくなってしまう前に済ましてしまったほうが、金も時間も節約できる。』ということで、基地司令もあっさり納得してしまって。」 「あーもう、だから夕呼は。」「なんでこうなるの?」などと呟きながら頭を振るまりも。 そんな彼女の哀れを誘う様子を見ながら、武は「夕呼先生のことだから、絶対に基地司令の弱みを握って強引に認めさせたに違いない。」と、今までの経験上から当たりをつけた。「――それって、もう、どうしようもないんですか?」 遙がビクビクしながら尋ねると、まりもはきっぱりと答えた。「それが軍隊というところよ、覚えておきなさい。」 その言葉に、揃って意気消沈する一同。「(――まりもちゃん、それはラダビノッド司令のセリフです!!)」 武の心の叫びはともかく、まりもは「さて、私はこれからやらなければならないことが、それこそ山のようにあるのでな。 各自準備は完璧に済ませておくように。」と、言い残すとそのまま教室を後にした。 武達もまりもの影響で完全に気力を失ってしまったらしく、各々無言のままそれぞれの部屋へと引き返してゆく。「ったく、勘弁してほしいよなあ、夕呼先生にも。」 愚痴りながらも準備を進める武。 準備とは言っても、必要なものは意外と少ない。 演習自体が極限状態を想定しているため、持ち込めるものと言ったらお守り程度なのだ。 とは言っても、「ヘビ除け対策」など、裏ワザ的な細かな下準備は怠ると悲惨な目に会うので、それなりにしっかりやらねばならないのだが。「よし、これでいいな。 後は――」 机の上に置かれたあるモノを前にして武の動きがピタリと止まった。 ソレはウサギを模した木彫りの人形。 少々不恰好だが、作るのはこれが二度目ということもあって、出来はそれなりに良い。「なんで、『アレ』がこの世界に……?」 人形を見つめる武の顔にはありありと困惑の色が浮かんでいた。 アレとはすなわち、純夏の持っていた『サンタウサギ人形』の事である。 確かに『サンタクロース』という存在自体があまり浸透していない『この世界』において、サンタ衣装をまとったウサギの人形が存在することは不思議なことであるが、それ以上に武にとってあの人形は特別な意味を持つ人形であった。 幼き日、「サンタクロースからのプレゼントが届かなかった。」と、泣いていた幼馴染をどうにかしてなだめるために渡した、今考えてみれば彼女に対する始めてのプレゼント。 それが『サンタウサギ』。 それ以来武は毎年のように色々なもの――大半がガラクタであるが――を、必ず彼女にクリスマスプレゼントとして送っていた。 だが、それは『この世界』の話ではない。 武の主観からすれば元々住んでいた、正確には『白銀武』という存在のモデルになった因果世界においてあった出来事である。 『この世界』においても同様のことがあったとすれば納得できるが――否、そうでなければ今回の事態はあり得ない。「――どうでもいいか。 それでどうこうなるわけでもなし。」 まるで自身に言い聞かせるように、ワザとらしく声に出す武。 机の上の人形を拾い上げると「やっぱり似てねえなあ。」と呟きながら、訓練着のポケットに、乱暴に突っ込んだ。