あれからというものの、何故か私は生かされていて、責められる事も無くいつもながらの日常を送っている。
母さんが何を考えているのか解らなかった。以前のように頭を弄くられた訳でもない。なんの枷も無し。
かといって何か言葉をかけてくるでもない。挨拶だけして、後はたまに食事のときに顔を合わせる関係。
ぬぬぬぬ……
フォークを握ったまま考える。
でも考えれば考える程に解らない。
解らない。
そもそも、あの場はどうなったのか。
答えがでない。
どうしても私には解らなかった。
「………オルタナ?」
呼ばれて顔を顔をあげる。
きっと、私は目を丸くしていたに違いない。
同じくフォークを手にクロックムッシュを咀嚼する姉さんと、怪訝な顔をするリニスがいた。
「……目玉焼きに何かおかしい所でもありましたか?」
少し狼狽しそうになる。
誤魔化す。
「んーん、美味しそうな目玉焼きだなーって……」
手にするフォークで目玉焼きに、もとい黄身に突き刺して口に運ぶんだけど。
「あ、たれちゃってるよオルタナ
しょうがないなぁ」
「も、もういいってば姉さん」
老婆心か姉心か。テーブルの上にたれた黄身と口許を姉さんが拭き取る。
まるで子供扱いだ。床で丸くなっているアルフにも鼻で笑われる。
「♪」
姉さんは笑顔だ。
清々しさもある。
自分でも口許を拭いながら、紅茶に口づける。口に残った黄身の香りと屈託さを押し流す。
それでも、母さん――プレシアの事だけは押し流せない。結局。あの場で何があったのか。私はまるで覚えていない。
テレビの電源を落としたように、プレシアと向かい合っていた時から何も覚えていない。
魔法を仕掛けれたという意識は無かった。
勝てるという意識もなかった。
だけど瞬殺されるという意識も無かった。
天狗になる訳でもない。でも、私は姉さん――フェイトと同スペックの肉体を有している。
それに現時点では私の方がフェイトよりも魔力及び魔法の運用は一枚上手という自負がある。
姉さんに電気変換資質があるように、私にも資質がある。
挑戦という気概。
意気込みという若さ。
どうしようもない青さ加減。
今から考えるとため息もの。
でも、一息には呑みこまれないという自信が私にはあったのだ。
それが母さん――大魔導師プレシア・テスタロッサの前では欠片ほどにも通用しなかった。
おろか、相手が何をしたのかさえ解らないまま有様。
憎しみと怒りの眼差しを向けてくる母さんが、脳裏に焼き付いている。
額に手を当てながら小さなため息を落とす。激していないものの、様々な感情が私の中で泳いでいる。
あのままだと、母さんはきっと答えをだせていない。でも、何故私は殺されなかったか不思議だった。
態々口調を強め挑発した甲斐もなかった?母さんは今――何を考えてる?
「オルタナ、まだ眠い?」
姉さんに聞かれる。
優しい笑顔で。
「眠くないの、この後はリニスと一緒に畑だなぁと思って」
「私と一緒に農作業はそんなに不満ですか」
じろりと睨まれる。
何故か、私じゃなくて姉さんが答える。
「そんなことないよ
オルタナ、リニスの事大好きだし」
ね? と問われる。
私もリニスも不意を突かれ少しばかり目を丸くしてしまう。
ガス抜きだった。軽く吹き出してしまう。
「そうだね。私リニスのこと大好きだよ」
「……ええと、勿論私も好きですよ。オルタナ。それにフェイトも。
アルフも」
何故か少し焦りながらも苦笑するリニスは大人だ。
姉さんは微笑んだまま。
「(敵わないな……)」
不幸な影がない姉。
とても眩い。
私はもう一口紅茶を口にした。
暖かさと甘さが香りのよさ同居する味わいに、そっと目を閉じた。
胃に落ちた紅茶の暖かさと固形物の満腹感が心地よい。
食事が終ると、麦わら帽子を手に、一足先に菜園へと赴く。
外は風も吹き、緑から排出される酸素に満たされ心地よい。
主にリニスが面倒を見ている。後は私や姉さん。それにアルフが手伝っている。
空は青く清涼だった。雲ひとつない快晴。自然は優しく凪いでくれる。葉が立てる音を聞きながら大きな呼吸をする。
でも満足感は無かった。
腕まくりをしてから手袋をして、適当な所で腰をおろして雑草に手を伸ばす。
握る。
引く抜く。
ふと気付く。
そういえば誰かが言っていた。
――雑草という名の草は無い。
だとすれば、私やフェイトも――と考えたところで考えるのを止めた。
今は目の前の事に集中したかった。
不安から逃げるようにリニスがきても、私は一心不乱に雑草を引き抜く。
なもなき草を引き千切る。仕事仕事。
「で、何を悩んでるんです?」
「へ?」
聞かれちゃった。
シャツは僅かに汗ばんでいる。
肥料を与えながら、リニスは再度問うた。
「だから何に悩んでるんですかオルタナ。
連日難しい顔をしていれば、私は悩んでますって言っているようなものですよ。
むしろ、何故悩んでいるのか聞いて下さい、という風にも見えます」
「…………」
ばればれだったみたい。
それもそうか。
腰を下ろしたまま少し考えて首を傾げる。
「いろいろ?」
「相談をする気が無いなら構いませんが、言いたい事は具体的かつ明確にお願いします」
「うーん」
雑草をブチブチ引き抜きながら考える。
母さんの使い魔であるリニスに、伝えるべきか伝えるべきでないか。
少し迷う。
でも、まあいいやと気持ちと前向きな思考を置く。
「母さんのことで、ちょっとね」
「ああ……」
やっぱりねといわんばかりの顔をするリニス。
なんだけど……
「何その顔」
「いえ予想通りというか……すみません。
その件に関して助言と伝言が一つあります」
「え?」
意表を突かれる。
でも、伝言と助言ってどっちよ!
「プレシアからです。貴女から相談があったら伝えるようにと言われています。
心配するな、との事です」
……………
「………………それだけ?」
「ええ、それだけです」
がっくし。
肩を落として近くにあった雑草をブチブチ引き抜く。
傾いた麦わら帽子の上で、くすくすと笑い声が聞こえた。
「プレシアからはそれだけですが、私からは大丈夫という助言を送りますよ。
オルタナ」
「どういう根拠で?」
「信頼関係、というほかありません。
私もプレシアが何をしようとして、行き詰っていたのかは解りません。
ですが、この前から少しずつ良い方向に向かっているような気がしてならないんです」
主のことをまるで自分の事のように、リニスは話す。
本当に嬉しそう。こんな使い魔がいれば、魔導師冥利に尽きるのかもしれない。
私も、吐息を一つ落とす。
「そうかな」
「ええ、絶対そうです」
リニスの笑顔は眩しかった。
姉さんもそうだったけど、絆とも呼べる信頼関係を結んだ家族は素敵だ。
私もその中にいるはずだけど、どこかほつれている気がする。
修繕、したいとも思う。
母さんも。
リニスも。
姉さんも。
そしてアルフも私にとって大切な家族だ。
かけがえのない家族なんだ。
このまま、母さんと和解せぬまま生きていく事を考えると菜園の草毟りに没頭した。
麦わら帽子で涙を隠す。私は強くもあり弱くもある。時に脆い。かつての私の経験値が
前面に出て前のめりになるときの私は、きっと強い。でも、かつてを忘れると
私は単なるクソガキに過ぎない。
生憎と完璧な人間にはなれないみたい。
菜園の水まきはリニスに任せて、私はシャワーを浴びて汚れと汗と涙を落とすと早々にベッドにもぐりこんだ。
寝よう。
寝てしまおう。
いやなことから逃げるように寝てしまおう。
いや、きっと今は逃げてもいい。
……そう思わなきゃやってられない。
母さんからの伝言も信じる。
だから今は、寝る。
さっさと寝る。
◆
オルタナは何か悩んでいる。
そして母さんは相変わらず引き籠り。
リニスも何か知っている風だけど口にする事はない。
訓練用のデバイスを手に私は一人。
森の中で佇む。
「……………」
森のざわめきも、生物の息吹も何も聞こえない。
それでも、私自身の吐息は聞こえる。
深呼吸一つ。
濃い緑の匂いで満たされる。
自然は雄大だ。
この山然り海然り。
人を引き付けてやまぬ何かがある。
言葉にするならば「魅力」だ。
生命の原初たるが故か。人は自然を求めて止まない。
私も、ある意味そうだ。
山に憧れている。
人にはない魅力。
――不安、畏れ、恐怖、曖昧さ、怒り、憎しみ。
最近のオルタナ。
母さん。
リニス。
楽しい感情以外のものが、垣間見えてしまう。
私だけ一人。
ぼっち。
吐息を落とす。
自然を見ていると、そういった煩わしさから逃れられる。
何故皆もっと仲良くできないんだろう?
不思議だね。
何故皆もっと仲良くできないんだろう?
文句も言わない。
愚痴も言わない。
ただ、素晴らしいものだけをくれる自然は好意的だった。
それでいて、死というものからも決して目を反らす事は無い。
人間の愚かさとはかけ離れた清々しさがある。
私も、この不動たる山のように在りたい。
オルタナも好き。
母さんも好き。
リニスも好き。
だから、いつも皆が安心していられるような笑顔でいたい。
―――そして強くもなりたい。大切なものを守る為に。
閉じていた目をそっと開く。
脳が情報処理を開始する。
遠くから、何かの音が音が聞こえてくる。
森の中を駆け抜けてくる何かだ。
それはどんどん近付いてくる。
音は小さなものから大きなものへと変わっていく。
どうやら、私の使い魔はうまくやってくれたらしい。
「ナイス、アルフ」
手にしている訓練用のデバイスをそっと傾ける。
準備万端、とばかりに待つと茂みから何かが飛び出してくる。
同時に、私は魔力を解き放ち魔力変換資質を解放する。
周囲に光が走り、飛び出してきた何かは光を受けて失速してしまう。
デバイスから魔力刃が飛び出す。
すれ違いざまに、デバイスを一振りして獲物に一太刀入れる。
そのまま、ごろごろと転がりながら少し離れた所で止まる。
もとい、死んでいた。
兎だった。
今日の獲物。
訓練用のデバイスを待機モードに戻して、変わりにナイフを取り出した所で獣モードのアルフがやってくる。
荒い呼吸を繰り返しながら、追いこみ役を終え一息のため息を落として尋ねる。
「うまくいったかい?」
「ばっちり。ありがとう」
流石私の使い魔、と誉めて撫でてあげると喉を鳴らして喜んでくれる。
可愛い。――と、愛撫はそこそこに気絶した死んだ兎のもとに赴くと足を掴む。
「さ、帰ろうか」
「うん」
兎は今日の夕飯になる。
たまに、アルフの狩りに私も付き合う。別に食料に困っている訳でもない。
でも訓練にもなるし、私は嫌いじゃなかった。
「今日は兎鍋かい?」
「リニスに相談かな」
涎をたらしそうなアルフの頭を撫でながら歩く。
兎の血を垂らしながら歩くのは、少しシュール。
夕暮れ時。バインドで血抜きを速めながらさっさと家に戻ると、まだ菜園にいたリニスに兎を見せる。
「これは御馳走ですね」
山猫の血が騒ぐのか、尻尾をぶんぶんしながら歓迎してくれた。
アルフと同じで生のまま食べたい、と顔に書いてあるあたり純粋だと思う。
我慢する辺りはリニスだけど。
兎を任せて、部屋に戻る途中オルタナにあった。
寝起きなのか髪が少しぼさぼさになってる。
「寝てたの?」
「ん……ちょっとだけ」
そう言いながら私の妹は曖昧に笑った。
可愛いけど、寝癖が気になる。
「アルフ、モフモフー」
「オルタナ、あんた汗臭いよ。それと寝癖」
モフモフーと言いながらアルフと戯れるオルタナはやっぱり可愛かった。
文句を言いながらも拒まないあたり、アルフもアルフか。
「フェイトは訓練?」
「違うよ。兎取りに行ってただけ」
「じゃあ、今日は兎鍋?」
「リニス次第、かな」
アルフと同じ反応で少しおかしい。笑ってしまう。
そこで、ふとひらめいた。
「ねえ、オルタナ」
「ん?」
「訓練しない?」
「んー……」
頭をボリボリ掻きながら、面倒臭そうにオルタナは考えている。
「また今度ね、姉さん」
「あんたまた今度また今度って言ってばかりじゃないか」
「だって姉さん強いんだもん」
頬を膨らませてから、シャワー浴びてくるねと言葉を残しオルタナはその場を去った。
長い髪で、私と瓜二つの妹は残滓一つ残さない。でも、私の胸に去来するのは僅かな悔しさだった。
「フェイト?」
「ん……私もシャワー浴びにいこうかな」
「それじゃあ、私も」
「うん。行こうオルタナを不意打ちだ」
くっくと忍び笑いを漏らす。
食事の時間になると、珍しく母さんが姿を見せ兎に舌鼓をうち、美味しいわ、と言ってくれた。
すごい嬉しかった。私もオルタナも目を丸くするほどに。そうして夜は更けていった……で終りじゃないけど、夜。
久方ぶりにオルタナと空戦模擬訓練をしてみた。
オルタナの趣味の場所で。因みにこれまでやった回数は133戦。
戦績は口にしない。私はもっともっと強くなる。
それがおおよそ一年前ごろの記憶。