Fate/zero×spear of beast 11 暴虐者ゆえに、英傑として名を馳せた者たちは、それこそ数え切れないほどこの世界に記録されている。 しかしである。この光景を目の当たりにして、いったい何人の暴虐者が、それを是とするだろうか。 濃密たる血臭のなか、赤黒い絨毯にうごめく数々の異形。汚猥にも似た粘液に包まれた触手が、密林の大蛇のようにビクンビクンと不規則なリズムでのたうつ様は、紙一重の醜さにあふれている。いびきにも似た苦悶の声を上げる犠牲者の悲鳴と、その傷口から滴り落ちる血潮の奏でる振動は、大気を震わせ悪魔への讃美歌を奏で続ける。 幼い肉体をキャンバスに描かれる龍之介の感性と求道心は、人の世において文字通り地獄を描き切っていた。 この光景は、間違いなく芸術であった。醜さの中にある美しさを、人間の肉体の中に潜む可能性を、生と死を、極限にまで見つめようとした結果が、有象無象のように転がっている。 しかしである。これではない。龍之介の見たいものは、これではないのだ。もっと、切実で、本質を抉らなくてはならない。未練を、自分に向けられる怒りを恐怖を、もっと堪能しなくてはいけない。 それが、その身を、自分へと差し出してくれた心の底から愛おしい生贄達への礼儀であるというのに。 限界まで自分の人生を楽しみ、他人の生命を支配するのが、豹である自分の生き方であると考えてきたのに。 苦痛の奥底を、腸の捲れ上がるほどの感動を。いままで一人では、決して到達することの出来なかった地平を、今ならば観ることができると信じていたのに。「……だめだよ、旦那……せっかく、いろいろ手を貸してもらった旦那には悪いんだけどさ……」 そうして落胆の声をもらす。 龍之介の声は、最初は興奮に満ちていた。 最大の理解者にして、最高の協力者を得たのだ。しかも、自分よりもこういったことに上手ときている。 下賎の作り手ならば嫉妬に狂い袂を分かつところだろうが、龍之介は素直に首を垂れた。 この退屈極まりない世界の中で、決して出会うことがないと考えていた同好の士を見つけたのだ。心底敬愛するに足る人物に出くわしたのだ。 周囲に転がるものの道理をわきまえない連中は、龍之介を悪魔などと呼ぶ。 失礼な連中だ、と龍之介は憤慨する。自分などただの殺人鬼である。本物の悪魔である青髭の旦那に失礼だと。 三十人以上を殺した龍之介にも、とても思いつかない創意工夫。醜悪さを通り越した先にある美しさを纏った邪悪。――このコンビならば、自分の追い求めているモノを見つけられる。作り出すことができると信じていたのに。 そもそもが、と龍之介は思う。 最初から、旦那はかっ飛ばしていた。 少年の希望から、絶望へと変わる瞬間を見せつけられたときから、旦那にやられてしまったのだと。 龍之介は自分の矮小さを恥じた。捕食者でありながら、いままで、如何に長く楽しむかにばかり心を煩わせていて、こんなにも感動的な瞬間があるなど思いもよらなかった。 たしかに、青髭の旦那の貴族的な趣味はすごいと感心する。こんなに贅沢な殺し方があったなんて思いもよらなかった。 しかし、自分は芸術家でもある。やはり後世に何か残したい。青髭の旦那のように、貴族的でありながらも、ゆっくりと時間をかけて愛して嬲ってやりたい。もっと深淵をのぞきたい。もっと妙味を味わいたい。 だというのに、人間の身体というのは、あまりにももろい。儚すぎる。これでは、自分の悲願を遂げることなど出来はしないのだ。 そう訴える龍之介に、「なあんだ。貴方は、そのようなことで思い煩っていたのですか?」 まるで、なんでもないことのように、青髭はそう言ってのけた。 それ以来、龍之介の作品はキャスターの掛けた治癒再生魔術により、そう簡単に死ぬことはなかった。 いつ終わるともしれない苦痛に、じわりじわりと闇の中に広がる苦悶の声。 それらが複数の半開きの口から発されるたびに、何とも言えない不協和音となり、龍之介の創作意欲に火をつけたのだ。 しかし、そうすると、新たな難問が龍之介を襲った。 頽廃と堕落の極みを煎じ、享楽と冒涜の褥を絞り出してもまだ足りない、決して満たされることのない獣心の饗宴を表現するという行為は、龍之介が夢見ていた 以上に困難で、根気のいる作業だった。 流石に前向きが信条の龍之介も、失敗が十を超えたころには落胆の色を隠せなかった。「やっぱ、俺、旦那みたいに才能ないのかもしんない……」 そう弱音を、ローブを幾重にもまとった後ろ姿に漏らす。「リュウノスケ……貴方は」 振り返った人影は、「ローマは一日にして成らずという諺を知っていますか? あせってなりませんよ」 カメレオンのようにぎょろりとした眼が印象的な男であった。「貴方はもう、世界一富めるものなのです。ゆっくりと一歩ずつ歩めばよいではありませんか。結果だけを求めてはなりません」 その顔が、餓鬼畜生の業を忘れさせるほどに柔らかく笑う。「大切なのは、真理へと向かおうという意志なのです。あなたには才能がある。この私が保証します」 そうして、龍之介をまるで天使のように慰めた。「それってつまり、トライアンドエラーってこと?」「その通りです。わきまえてきましたね。それで、リュウノスケ。貴方は、今回はどのような失敗をしたのですか?」 その声は、穏やかで柔和で、まるで教え子を導く教師のようだった。「いや、もう大丈夫だよ、旦那。ただ材料が無くなってきちゃったんスけど……って、そうだ。俺、閃いた。閃いちゃったスよっ旦那!! 俺、やっぱり天才かもしれない!!」 もう、無傷の材料は、一つか二つ。そんなときに、最高のアイディアが浮かんでしまうとは。悔しさと興奮に、龍之介は震える。ヤベェ、俺、やっぱ天才かも!!「そうですか。貴方の勤勉さには頭が下がります。今度は、いったいどんなモノを作ろうとしているのですか?」「聞いてくれよ、旦那!! オルガンだよ!! 俺が指一本動かすだけで、悲鳴を上げるんだ!! ポロン、ポロンと鍵盤を叩いただけで、ドレミって悲鳴をあげてくれるんだよ!!」 かすれるような呼吸音が、声にならないか細い悲鳴が、二人の師弟を包む。 決して報われることのない、慈悲を求める怨嗟。訪れることのない、苦痛の終わりを求める苦悶の声。 幼い身体を包むのは、父母の抱擁ではなく、「ああ、やはり貴方は、素晴らしい発想の持ち主ですね!! 私のマスターにふさわしい、最高に愉快な方です」 冥府魔道への飽くなき探求を目論む、龍之介の女性のように真白い指。「さっそくで、悪いんだけどさ。旦那」「判っています、リュウノスケ。材料を補充しなくてはいけませんね」 その声に、もうすでに人格が宿っているのかどうかも判らない、肉塊となったソレの双眼から、血涙が滴る。「ううん、俺、すっげえわくわくしてきたッス。観ててくれ!! 旦那、最高にCOOLなヤツに仕上げてみせるよ、旦那!!」「そうでしょう。そうでしょうとも。何事も最初の発想が大切です。たとえ満足いく結果がでなくても、挑戦する行為にこそ意義があるのです!!」 そうして二匹の悪鬼が地獄の繭たる貯水槽から光射す外界へと旅立って行くのを、かつて少女であった肉塊は、苦痛に耐えながら、かすれゆく視界で見送った。 もう、自分のようなモノを作らないで下さいと、誰に届くとも知れない祈りを籠めて。 雁夜が、教会に提供した資料は、確かに聖堂教会のスタッフを通じて、外道たるマスターが存在することを言峰神父に伝えた。 しかし、不運なことに、その時点で召喚されていたサーヴァントはまだ二人であった。 すなわち、言峰綺礼の『アサシン』と間桐雁夜の『バーサーカー』のみである。霊器盤に反応があったのはその二つだけ。もしも仮に、冬木市の悪魔がマスターであるとするのならば、人間の生贄を使用してまで召喚を失敗するとは考えにくい。 その時点で、最有力の容疑者は皮肉にも雁夜本人となってしまった。 聖堂教会と遠坂の秘密裏の連携を見越したうえで、居もしない外道のマスターをでっち上げ、他のマスターを牽制し、遠坂と監督役の監視を撹乱しようとしていると考えた方が、理が通る。 わざわざ狼藉者を演じ、外道の振りをする道化師。それならば、なにひとつ対処する必要などない。労力を割くこと自体が、落伍者たる雁夜の策に乗ることに他ならない。ただアサシンによる間桐邸の巡回監視を続けるだけで良い。それが、遠坂時臣の決定だった。 その致命的な誤解が、第四の事件を引き起こすことになる。 雁夜は、そのニュースを聞いて以来、不機嫌だった。 第四の事件が起きたのは、教会に資料を提供したその二日後である。 事件が起きるまでに、監督役が対処する時間は十分あったというのにだ。つまり、監督役は、この件を問題無しと裁定したのだろう。 事件の概要は、単純な押し込み殺人だった。 しかし、残されたサーヴァント召喚の魔法陣と、なんの生き物かも知れない、現場に付着した大量の粘液が、犯人が魔術師であることを雄弁に物語っていた。 無表情な桜が、バケモノの背中で、「カリヤおじさん、怒ってる……」 ボソリと簡潔に呟く。 バケモノが、「ああ、怒ってるな……」 女性の髪のように長い鬣をいじくられながら答えた。 雁夜は引き攣った左半身を、ずるずると引き摺りながら、せわしなくブツブツと、なにか訳のわからないことを呟いている。「カリヤおじさん、元気になったのかな?」 眠気をこらえるように桜が言う。「いや、あれはイラだってんだ」 もちゃもちゃと、蟹ギョーザバーガーを頬張りながらバケモノが解説する。 草木も眠ると言われる時刻になっても、ぐるぐるとTVの前をミステリーサークルができそうなぐらいに旋回している。 確かに、いまにも死んでしましそうな人間の行状ではない。 一日の半分はベットで過ごし、栄養補給を点滴で賄っている男の立ち振る舞いにしては、いささか元気すぎると言えるだろう。 「落ちつけ、マスター」 はやる雁夜をたしなめるのは、意外にも好戦的で、堪え性がなさそうなバーサーカーである。 堪え性などとは無縁のザーヴァントに指摘されて気がついた。 そう、雁夜は確かに苛立っていたのだ。これほど強力なサーヴァントを召喚しながら、暗殺を恐れている自身に。始まった戦に穴熊を決め込んでいる自分に。顔も知らない、狼藉を繰り返しているマスターに。 出会ったのならば、今すぐにでも戦端を開き、自身の狼藉をその身に刻んでやりたいと考えるようになって、はや数日である。 まだ、自分にもこんな感情が残っていたのかと驚いた。時臣に対する復讐心と敵愾心しか残っていないと信じていたのに。 ルポライター時代の、とっくに涸れ果てたと思っていた、正義感とか使命感とか、そんな青臭くて口に出すのもはばかられるのような感情が、ぬれぬれと首の付根の下あたりから湧き出てくるのだ。 この枯れた樹木のような身体を駆け巡るのは、臓硯によって植えつけられた、胸糞悪い蟲共だけのはずだったのに。 その苛立ちと、気恥かしさを誤魔化すように、口の中で「……やかましい……」 とだけ声にならない声を出す。 大体がだ、と雁夜は心中で毒づく。この屋敷に臓硯が、神経質なほど張り巡らしていた防衛の結界は、バケモノによって破壊され、今や外と中とを隔離する最大にして最後の一本を残すのみとなっている。 魔道の知識に乏しい雁夜は、この穴の開いた結界で籠城をすることの意義など解ったものではないが、心細いことこの上ない。 アサシンのクラスなら、あっさり掻い潜ってくるのではないだろうか。 それに、このサーヴァントはマスターに対する敬意というものを払う気など、さらさらないというのも苛立ちの大きな原因だ。 昨夜のことである。 バーサーカーの大きい背中に、ひしっと抱きついてウトウトしている桜を見て、不覚にも雁夜は微笑んでいる自分に気がついた。 その瞬間、バケモノは脂汗と冷や汗をぼろぼろと流し、桜と雁夜の間に割って入るのようにして、「……ますたー……おめえ、ろりこんか?」 などと、全身の血脈が逆流しそうなことを言ってのけた。 冬木の聖杯は一体何を考えているのか、バーサーカーの座にどんな知識を与えているのだろう。 ロクなものでないのなら、いっそのこと破壊した方が世のため人のためのような気がする。 桜が、抑揚のない声で、「ろりこんってなんですか?」 などと、雁夜のほうを向いて言ってくる。――桜ちゃん!! 一生知らなくていい。君は永久に知らなくていいんだ。お願いだから桜ちゃん!! 慌てふためく雁夜を無視して、「いいか、コムスメ。ろりこんって言うのはだな……」 などと、解説し出したアホなケダモノに思いっきり殴りかかったのは不可抗力だろう。 サーヴァントを、生身の拳でぶん殴った初めての男。そんな偉業に、誰も気が付かないうちに夜は過ぎていった。 今日になっても、あの忌まわしい言葉を連呼したのなら、「桜ちゃんに、余計なことを教えるんじゃない」 と貴重な令呪によって命令しなくてはならないところだったが、幸いにもそのような馬鹿げた事態にはならなかった。 そんな感慨を打ち消すように、光を失ったはずの左眼に激痛が走る。視神経に接続されている蟲に、使い魔として放った蟲からの映像が送られてくる。 信号を受け取った蟲が、頭蓋の中でビクンビクンとのた打ち回るたびに、言いようのない吐き気に雁夜は襲われた。 吐き気の原因は、決して痛みだけではない。見えない左眼に映し出された映像が、雁夜の理解を超えていたからだ。 己がサーヴァントとは全く別の金色であった。燃え立つような金色ではない。燦然と輝く星空の、遥か何万光年先までも照らす恒星を間近に受けた様な煌めき。 その金色が輝きを放つたびに、黒い痩身の人影の一部が欠け落ちる。 解る事がある。 抵抗の意思さえ示さない黒い人影は罪人で、この世で一番眩い輝きに、これから罰を下されるのだ。 流星雨の如き剣、槍、鋒、斧、鎚、それら全てが凡将などではない。歴戦の勇者であり、勇壮な武功を誇る聖剣、魔剣、神剣であった。 双瞳が紅玉の輝きを放つたびに、その投擲、否、爆撃は苛烈さを増し、ただ立ち尽くすだけの罪人を、一片の塵さえ残さずに処刑した。 その光景を目撃して、雁夜は自分の喉の奥から湧き上がってくる衝動を抑えることは出来なかった。 雁夜の胃袋には、吐き出すものなど何もないというのに。その衝動をどうしても抑えることが出来なかった。後書きという名の言い訳 更新が遅くなってしまい申し訳ございません。PV数や、感想をいただくたびに、申し訳ございませんと画面に手を合わせていました。遅くなった最大の理由は、モチベーションの低下……でも何でもなく、オリジナル板の連載です。この話とは全く逆の、軽い描写を心がけている恋愛もの? のためキャスターの悪行などどう書いていいやらわからなくなってしまいました。重々しい書き方を心がけていたのですが……。プロットでは龍之介が、人間パラソルとかをどう作るかなどという描写をしようとしていたのですが、実際書いてみると、あまりにもきつくて断念です。今の形にしてみました。根性無しと笑ってください。バトルは次回か、次々回あたりにやっと開始です。オリジナル板の、『陰陽師――八神衛 吸血鬼の美少女に恋すること』ともどもよろしくお願い致します。以上露骨な言い訳と宣伝でした。