二度目の大嵐を潜り抜けた後は、それまでが嘘のように天候は落ち着いて航海は順調に進んだ。
そしてザパン市最寄の港町ドーレにたどり着く。穏やかに進む航海はそれはそれで素晴らしいものだが、レオリオは久方ぶりに踏みしめた地面の安定感にやはりほっとした。
見たところ、ドーレはそれほど大きな町では無いようだ。だが降り立った港には不自然なほどに人が溢れていた。どうやらこの場の群集はほとんどがハンター試験受験者なのだろうが、強面が多い割りには大したことが無さそうなものばかりだなという印象を持った。
もっとも、周りからすると子供連れの自分達こそが揶揄の対象になっているだろう。彼らの誰もが、レオリオの傍らに立つ少女に自分達がまとめてかかっても適わないなどとは思いもしないに違いなかった。
「随分な人ごみだな」
船内で打ち解けた四人は、ひとまず共に行動している。今口を開いたのはクラピカだ。エレナとゴンは降りてすぐ買ったソフトクリームを処理するタスクを口に課している。
「ああ、それでこれからどうする? バスが出てるみたいだが」
恐らくバスに乗る流れになるだろうとレオリオが誘導すると、エレナがソフトクリームを口から話した。
「それなら私とレオリオとゴンはあっちに行くからクラピカも一緒に行こうよ」
あっちと彼女が指差す方を見ると、一つ二つとそれほど高くない山々が連なっている。そのうちのある山頂に、一際目立つ巨大な杉の木が立っており、どうやらエレナはそれを指しているらしい。
「さっき船長が教えてくれたんだよ。あの一本杉を目指せって」
補足の説明が必要だと思ったのだろう。ゴンが一気にソフトクリームを口に放り込みあっという間にそれを処理すると付け加えた。
「でもせっかくザパン市直通のバスがあるんだぜ?」
「いや、レオリオ。先ほどの船でもそうだったが、なるべく試験会場にたどり着く受験者は少なくなるようになっているんだ」
だから直通のバスなどという便利なものは信用できないのだというクラピカの説明で、ようやくレオリオにも納得がいった。
「そ、だから直通のバスよりはマシかもよ?」
ようやく分かったかとエレナが悪戯っぽい笑顔を見せる。そしてすぐにソフトクリームの方に向き直ったので、彼女のつむじを最初から全部説明しろよとレオリオはにらみつけてやった。
「へーへー、分かったよ。じゃあそこまでゆっくり歩きますか」
レオリオは、当然お前も来るよなとクラピカに顔を向けた。
「ああ、では私も同行させてもらおう。構わないかな?」
「うんっ。一緒の方が楽しいよ」
飛び跳ねるようにクラピカの同行を喜ぶゴンを見て、こいつはいつも元気だなとついつい感心してしまう。そのままクラピカと並ぶようにして一本杉への道を歩き出したゴンの後ろを、レオリオは続いて歩いていった。
そこでちらりと横を見ると、ようやくソフトクリームをやっつけたエレナが前を向いて歩いていた。彼女は特別平時のテンションが高い方ではないので、黙々と歩いていても別に変では無いのだが、どうも二度目の嵐が過ぎた辺りから様子がおかしいようにレオリオは感じていた。
「どうかした?」
「いーや何にも」
こちらが見ていることに気づいたエレナに軽い返事をしてレオリオも前を向く。その後しばらくは両側に何もない道のりが続き、彼ら四人は適当な世間話を繰り返しつつ歩いていった。
その際、エレナに何もおかしなところを感じなかったレオリオは意気消沈しているように見えたのは気のせいだったかと思い直す。
そうやってしばらく歩いていくうちに、港町ウベの外れにもあるようなスラムへと四人は入り込んでいた。そしてその貧民街では、船長からの質問と同様、受験者の振り落としのための関門が用意されていたのだ。
それが、――ドキドキ二択クイズである。
ただのクイズではない。断じて否。そう、ドキドキ二択クイズだ。
気軽に答えてしまえば魔獣に襲われても文句は言えない。それがドキドキ二択クイズであり、受験者次第では出題者の村人がいつ皆殺しにされてもおかしくない。そんなところがドキドキの冠を戴く理由でもある。
ハンター協会からそれなりの補助金が出るからこそこうしてリスクを冒して出題しているものの、今度の受験者さんは大人しい人ならいいなぁと毎回鼓動を早めて出迎える村人たちの姿がそこにあった。
結果からいうと、レオリオたちは無事良い形でその村を通過することに成功する。
ドキドキ二択クイズでは、例えば「母親と恋人、どちらか一人しか助けられない状態ならどちらを助ける? ①母親、②恋人」のように、決して正解がどうとはいえない問題が出題されている。
そして、①あるいは②と答えてしまうと魔獣にフルコースで歓迎される道に通され、五秒間の沈黙でもって答えれば一本杉まで安全に行くことのできる隠された道へ通してもらえるというつくりになっていた。
レオリオはというと余りにもふざけた問題に出題者の代表である老婆の頭をかち割ってやろうかとも思ったが、判断に迷ってエレナと視線を合わせると、彼女が余裕のある笑みとともに両手を後ろで組んで目をつぶった。
動かないし何もしないというポーズに「それでいいんだな? 信じるぞてめぇ」といった具合にレオリオも沈黙を保つと、カラクリに気づいていたクラピカと考えても答えが出せなかったがゆえに沈黙していたゴンも何も言わなかったため、一本杉までの安全な道のりが開かれたというわけだ。
そうして歩き出した一本杉への道はそこそこの道幅があるものの、両側は常に深い森で風景の変化には乏しかった。遠めにも一本杉のある頂は、山というよりも高めの丘といった感じであったから傾斜が緩いのは何よりだが、さすがにそこを数時間も歩くと気疲れしてしまう。
「一本杉はまだかー。二時間で着くはずだろ? 二時間なんてとっくの昔に過ぎてるぞくそったれ」
「ほんとほんと、シャワー浴びたいご飯食べたいお菓子も食べたーい」
だらだらと歩きながらレオリオがエレナと愚痴を言っていると、数メートル手前を歩いていたクラピカがわずかに笑いながら後ろを振返った。
「二人とも体力的には余裕があるようだが、どうにも愚痴が多いな」
「いやほら、退屈な旅路をレオリオがその恥に塗れた半生を語ることで紛らわせてくれるかと思ったらそんなこともないしさー」
エレナがにやにや笑いながら無茶苦茶なことを言い出した。だがまあレオリオにとっては何時ものことである。
「何故に俺がお前を楽しませなきゃならんわけよ。ってか勝手に人の人生を恥で彩るな」
「えー、そんなの私の勝手でしょ」
澄ました顔でぬけぬけとそう言ってのけるエレナに、レオリオとしては苦笑してみせるしかない。もっとも、彼女はこれ以上言い過ぎると怒るというラインまでは大抵いかずに切り上げるし、積極的にからかいに行く相手はレオリオの知る限り自分とアリスだけだ。年下の少女に懐かれていると思うとそんなに悪い気はしなかった。
「ハハッ、おまえ達は不思議だな。最初はレオリオが尻に敷かれているのかと思ったが今はエレナの方が甘えているように見える」
端正というには繊細すぎる顔立ちの美少年であるクラピカがそんなことを言って笑ったので、レオリオは隣のエレナも同じ反応だろうと思いつつ、拳を握り締めた。その拳はわずかに震えている。
「ねえクラピカ、いえクラピー」
「く、クラピー? どうしたエレナ、少し怖いぞ」
低く抑えられたエレナの声音に、クラピカがやや後ずさると彼女はその分ずいっと大きく踏み出した。レオリオより前にエレナが出たため表情は見えないが、向かい合うクラピカの表情からすると相当に歪んでいることだろう。
「口は災いの元って言葉知ってる? 知ってるよね? でもあれだわ、知識だけじゃやっぱりダメなのよ。肉体的精神的な痛みを伴う経験によって人は物事を本当の意味で知ることができるんだって私は思うの。レオリオはどう?」
「そうだな、俺もそれを今実感してたところだ。幸いクラピカは知識欲が高いみたいだし、やってしまってもいいよなあ? エレナ」
ポキポキとわざとらしく拳を鳴らしてレオリオが近づいていくと、クラピカが救いをゴンに求めて振返った。しかし、ゴン少年はマイペースでずんずんと進んでしまっており助けになりそうもないことに気づく。だが救いはそのゴン少年によって数十メートル先からもたらされた。
「ねえっ!? 一本杉あったよーーーっ!!」
どうやら目的地が見えたらしい。その福音に真っ先に飛びついたのは無論クラピカだ。
「なにっ! 本当か、すぐ行くぞゴン」
身を翻して飛ぶように駆けていくクラピカの背に、仕留めそこなったかとエレナが悪態を吐く。だがまあクラピカの慌て様を見て多少は満足したらしい。「行くよ」とレオリオに聞こえるように言うと、軽い足取りで走り出した。
レオリオとしてはのんびりゴンのところまで歩きたいところだったが、彼も仕方なく走り出す。
「ほらっ」
最後にレオリオがたどり着くまで待って、ゴンが道の前方を指差した。そこには見間違えようもない一本の巨杉が佇んでいる。レオリオとしては四方に枝を伸ばす広葉樹の大らかさの方が好みだが、ここまで巨大な杉が真っ直ぐ天に向かって伸びているのを見ると胸のうちから自然と畏敬の念が溢れてくるものだなと実感した。
「小屋があるな、明かりも漏れているし人がいるのだろう」
確かにクラピカの言うとおり一本杉の威容から十メートルばかりのところに、木組みの小屋が立っていた。恐らくそこにハンター試験会場へとたどり着くための何か、恐らくは誰かがいるのだろうとクラピカやゴンに続いて小屋へと歩いていく。
「すみませーん、誰かいますかー」
ゴンが何度か戸を叩き、中にいるであろう人物に呼びかけるがどうにも反応がない。
「えーーっと、すみません入りますよー」
しびれを切らしたのか、はたまたくじら島ではそれで何も問題が無いのか、中からの反応が無いと見たゴンが遠慮なく扉を開いた。そして忽然と視界に飛び込んできたのは、キツネ色の巨体だ。がに股に丸まった猫背、そんな状態で軽く二メートルを超える魔獣がそこにいた。
キルキルキルキル――
何かが軋むような耳障りな音はその魔獣から発せられており、そして何よりその右腕には気を失った女性が軽々と抱えられていた。その後ろでは腕に抱えられた女性の連れ合いだろうか、男性が床に転がって苦悶の声を上げている。
状況を見て取ると同時に、レオリオの手前にいたゴンとクラピカは臨戦態勢に入っていた。だが扉が開かれた時にはすでにこちらに向き直っていた魔獣は、こちらの人数を警戒したのか、女性を抱えたまま窓を突き破って逃走へと移る。
「レオリオッ、怪我人を頼む! ゴンッ我々はアイツを追うぞ!!」
「おうっ、任せとけ」 「分かった!」
ゴンとクラピカが逃げ去った魔獣を追っていくのを見送ると、レオリオは倒れている男へとかけよっていく。彼はまだ意識を保っていた。
「妻……、私の妻は?」
「大丈夫だ。俺の仲間が追ってる。必ず取り戻すさ」
そう励ましながら怪我の具合を確認していく、外傷は恐らく左腕上部の裂傷のみだと判断してスーツケースから包帯を取り出す。しきりに妻を案じる男をはげましながら、手際よく応急処置を行い終えたところで、エレナが事態に反してやたらのんびりした声を出した。
「ねえ、一年でこの時期しか使わないんじゃしょうがないかもしれないけどさ、掃除はもっと丁寧にやった方がいいと思うわよ」
多少埃っぽい室内が気になるのだろうか、エレナは鼻から口元にかけてを片手で覆っている。
「エレナ、一体何言ってるんだ?」
「それに窓は出て行ったとこしか破れてないし、私達が来た時に扉が閉まってたってことは随分きっちりした誘拐犯さんね」
確かにあの魔獣が逃げ去るその時まで窓に損傷が無かったのならば、あの大型の魔獣はレオリオたちと同じ扉をくぐったはずであり、押し入った直後にわざわざ扉を閉める手間などかけるはずがない。そして何より、レオリオは応急処置を終えた男のオーラが今まで見てきた人のものとは明らかに異なることに今更ながら気づいた。
「げっ、人間じゃないのかっ」
「大丈夫、さっきの奥さんと誘拐犯さんも合わせての小芝居だと思うわよ」
「ははっ、そこまでバレチャ仕方ない。申し訳ありません。私どもはここを訪れるハンター志望者を試させてもらっているものでして」
怪我をしていたはずの男が、よっこらしょと腰をあげるとそういって一礼した。どうやら謝罪のつもりらしい。
「あー、じゃあアンタもさっきのデカイやつが本当の姿なんだな? あとゴンたちは危なくないのか?」
「私の正体についてはそれであっています。あなた達の連れに関してはそれぞれご自身で転んだりしない限りは危険はないと思ってもらって大丈夫です」
ならまあ問題ないかと判断してレオリオはひとまず胸を撫で下ろした。
「でよ、念のために聞いておくがその怪我は大丈夫なのか?」
「ええとですね、念のため本当に体に傷をつけていますので、適切な応急処置をしていただき助かりますというところですね」
どうやら包帯を無駄にしたというわけではないらしい。いよいよすることの無くなったレオリオはそのまま魔獣であるらしき男と、エレナとともに話をして時間を潰した。
彼らは凶狸狐と呼ばれる魔獣であり、一家四体でハンター試験のナビゲーターをしているらしい。ナビゲーターとは有望なハンター試験受験者を本試験会場に誘導する者たちの呼称であり、どうやら試験会場にたどりつくためには彼らのようなナビゲーターを見つけるのが効率的だということらしかった。
そうやってしばらく待っていると、凶狸狐が二体と凶狸狐が人間の女性に化けた姿をしたものが一体、そしてゴンとクラピカが無事小屋へと戻ってくる。
そこで改めて彼らがハンター試験会場へのナビゲーターであることの説明と、ゴンの身体能力やクラピカの観察力などがハンター試験受験に相応しいと彼らが判断したことを話された。
「でだ、実を言うと期限が迫っててね、このまま夜の散歩としゃれ込ませてもらうよ」
一家の長である父親の凶狸狐が最後にそう言った。毎年変わるハンター試験の会場、期日を正確に知るナビゲーターの判断だけに少々しんどいなあと思いつつも従わざるを得ない。徒歩だと嫌だなとレオリオが思っていると、凶狸狐たちの両腕が翼へと変形した。
そして――彼らは月夜を背に腕を凶狸狐たちにそれぞれ掴まれて、ぶら下がり健康法を実践しながらザパン市へのフライトを楽しむこととなったのである。