「おかしいなあ」
「おかしいねえ」
「ヒントはたくさんあったのになあ」
「そうだねえ」
何やら呆然と言葉を呟くレオリオに対して、適当に返事をしているのはエレナである。
車中で話をしているうちにシノポン地区に入り込んでいたことに気づいたレオリオの顔面は途端に蒼白になった。その地区はマフィアであるマグチ組の本拠地として有名であり、自分が乗っている黒塗りの高級車やその他諸々の要素からレオリオの状況は明らかだ。
そして何より――
「お前ファミリーネーム何だっけ」
「やだなぁ、レオリオ。マグチだよマグチッ」
朗らかに事実を突きつけるエレナの笑顔に、レオリオは考えるのを止めて脱力した。困ったような笑顔でアリスが口を開く。
「通常若手が警備をしておりますし、何かあれば警察が24時間体制で張り付いてくれますから治安は悪くないですよ?」
何のフォローにもなっていないその言葉に、いよいよレオリオは座席の背もたれにぐったりと身体を預けて考えるのを止めた。
どうもエレナは繋いだ右手を外すつもりは無いらしいし、左右を固めるのが女性では押しのけて逃げ出すというのも気が引ける。
実際には彼女達が彼を逃がすつもりが無ければ実力的に逃げられないのだろうとは思うが、体格に勝る自分が乱暴をすれば傷つけてしまうのではないかと感じてしまうほどにエレナは小さく華奢で、アリスもまた細身だった。
もうどうにでもなってしまえといった気分のまま、豪勢な門を車ごと通って屋敷の敷地へと入る。いよいよ着いて車を出たところでエレナが口を開いた。
「大丈夫、マフィアの親分の家ってことを除けばちょっと大きな普通の家だよ」
普通の神経でそこを無視できるかと反論したいところだが、エレナの意外にも真剣な顔に口をつぐんだ。
「友達の家なんだからさっ。平気だよ」
「そうですね。ささやかながら私も歓迎させて頂きます」
アリスのエレナに向ける優しい目に、こいつ友達いねーのかねー、いねーんだろーなーという思いが頭をよぎった。
実際のところどうなのかは知らないが、港町ウベはもちろん、ウベを擁する国家であるハリマにおいてマグチの姓はそれほどに重いのだ。クラスメートに距離を取られるなどといった想像は余りにも容易にレオリオの頭の中でできあがった。
「まーほらあれだ、友達の家に初めて行く時ってのは割りと緊張するもんだろ」
こんなもんでよかろうという言葉を選択して言葉にする。
「そうだね。でもまあとりあえず家は横を素通りして自転車で裏庭に行くよっ」
エレナがレオリオの手を離すと、たたっと3メートルほど駆けてから振り向き、自転車が何台か固まっているポイントを指差した。
裏庭に行くのに自転車という現実に打ちのめされつつペダルを漕いで行くと、きちんと庭師に手入れされているエリアを3分ほどで抜ける。
道の両側はタダの原っぱになり、そこからしばらくして広大な更地が広がっている場所についてようやく先頭を走っていたエレナが自転車を止めた」。
「うへー、ここもまだお前ん家?」
一辺がキロ単位の四角形で個人が土地の権利を持っているというのはレオリオには想像し難いが、やはり金というのはあるところにはあるものだ。
「土地はそうだよ。最も塀の中では無いけどね」
「ただ、先ほどくぐった裏口からでないとこの場所に入ってくるのは危ないですから注意して下さいね」
何がどう危ないのかなど考えたくもない。何の注意なのか分からないがアリスの警告は一般市民のレオリオには無縁である。しかし善意からの言葉だろうと考えてレオリオはひとまず頷いておいた。
「じゃあ早速、超能力、念についての説明だけどさ。イメージとしては漫画とかアニメで良く見る気とかオーラとかで戦うのがあるでしょ? 基本的にあれだと思ってもらって大丈夫」
「ま、取り合えず信用するって前提で聞くがエネルギー弾みたいなのを出したりもできるってことか? それとお前らが俺にしたのは何だよ」
そんなものが実在するわけが無いなどと言い出しても時間が無駄になるだけだろう。そんな口論をするのは面倒だ。
ひとまず、自らに起こったことの説明をレオリオは求めた。エレナが誘拐されそうになった場で彼の足を止め、アリスに喫茶店で嘔吐させられた彼は何をされていたのかということを。
「エネルギー弾なら確かに出すことができるし、そういうのが得意な能力者もいるよ。それでね、まず前提条件として漫画なんかで光に覆われているみたいに描かれているオーラについては念の能力者じゃないと見えないの、そして他者の念による攻撃はやはり念による防御じゃないと防げないってことになってる」
「じゃあ見えないその念とやらで俺は攻撃されてたってのか?」
不満気な表情をしていたのだろう、エレナがやや慌て気味に言葉を重ねていく。
「攻撃っていうのは分かりやすい言葉を選んだだけで、レオリオの場合、私の時はあなたが近くにいるのが分かっていたから危ないところに近寄らないようにってことで周りに警告のオーラを散らしてたの。まさかそれに抵抗してまで助けようとしてくれるとは思わなくてさ、ごめんね。ちなみに至近距離にいた普通の人間だった誘拐犯さんはそれだけで気絶したんで私は大丈夫だったというわけ」
自らについての説明を終えてエレナがアリスへと顔を向ける。
「私の場合は単純に脅しです、人払いであったお嬢様のものに対して私のオーラには悪意が含まれていた分、レオリオさんへの影響も大きくなった形になります。重ね重ね大変申し訳ありません」
「謝罪はさっき受けたしもういいぜ。じゃあそれを信じるとすると俺はその念とやらに触れたせいでああなったのか?」
「そうですね、細かいところは私からお話しましょう――」
そう言ってアリスがエレナに顔を向けると、エレナが頷いた。説明の了承を求め、それをエレナが了承したのだろうとレオリオは判断する。
念能力者では無いレオリオにはエレナの頷くという動作にしか注意ができなかったからだ。
だが、この時アリスが説明をする内容にエレナが条件を付けていた。もしレオリオが既に念能力者であったなら、「彼にはゆっくり起こしてもらうからねっ」という文字がエレナの身体の前方の空間に彼女自身のオーラによって描かれていたのがきっと見えただろう。
「まず念でというところのオーラについてですが、これは念の習得如何に関わらず全ての人間が持っています。そしてそのオーラを通常は身体からこぼれるままに垂れ流しているので、通常人は自身のオーラに身体全体を包まれているのです――」
そうしてアリスの説明は続いたが、確かに最初にエレナが言ったように漫画で出てくる生命エネルギーだったり闘気としての"気"の概念に似ているとレオリオは感じた。
まず説明されたのはレオリオを襲った怖気や吐き気の正体についてである。他者のオーラは自身を傷つけることも可能であるため、喫茶店でアリスのオーラのプレッシャーを浴びた時、身体は本能的に包丁を突きつけられていることを判っているのに、その包丁は目に見えないために頭では何が起こっているのかまるで分からないという状態にレオリオはあったこと。
その"何が何だか分からないがとにかくヤバイ"という時、多くの人が寒気・頭痛・吐き気・恐怖感などに襲われるようだということらしい。
そこから話は念の体得についてへと移っていった。第一段階は自らの内を巡るオーラを感じることであり、それを操作できるようになった時点で未熟ながらも念能力者と呼べるということらしかった。
続いて話は念習得のメリットについてとなった。まずは念による攻撃にたいしての防御力の大幅な向上。そして身体能力及び持久力・回復力のアップなどの肉体面の向上や、自身の生命エネルギーの効率的な取り扱いによって寿命の延長や老化を遅らせることが可能となるといった説明が行われた。
「んじゃ、アリスさんが実は30代でびっくりとか」
「私は見た目通りの年齢ですとだけ申し上げて起きます。ですがまあ実際にそのような人物はいるでしょう」
思いつきをつい口にしたレオリオにアリスが少々口調を冷たくしながら対応する。
エレナが何か口を挟んでアリスをからかうかと思ったが、彼女は神妙に口をつぐんでいた。どうやら真剣に聞けということらしい。
「――そしてデメリットですが、まず一つは習得及び技術の向上に時間をかける必要があります」
「まあ当然だな。他には?」
「最大のデメリットは自身以外の念能力者から念能力者だとマークされる可能性があることです」
「具体的にはどういうことだ?」
「例えばすでにレオリオさんが念能力者だったとします。本当にたまたまお嬢様の誘拐現場に居合わせたとしても、私はそれを偶然だとは判断しません。必ず身辺調査をしますし、最悪その場で処分するということも考えられます」
淡々と告げられたその内容は、口ぶりなどから事実なのだと思い知らされた。
「ハハ、そのデメリットはでけーわな」
「念能力者の敵は念能力者ということです。警戒が過剰に思えるかもしれませんが、これは念能力の種類の膨大さのためですね。何かをされてからでは遅いということが念には十分考えられますから」
「種類ってのは何だ?」
バトル漫画をイメージしていたせいで、オーラの塊を飛ばしたりオーラを込めた拳で殴りあったりといった想像をしていたのだが、単純なドンパチ以外にも色々とあるということだろうか。
「そろそろ暇になってきたから私から説明するねっ」
エレナがすっとアリスの前へと身体を出し、それを受けてアリスが下がる。
「オーラの性質は人によってそれぞれ違っていて、オーラを飛ばすのが得意とか形を変えるのが得意とか色々あるんだよ。後はオーラを使ってモノを操作したりオーラを物質化してモノを具現化したりとかね。けどまあこういうのは見てもらうのが一番早いかな」
エレナがそう言うやいなや、彼女の掌から水流が噴き出した。その水の流れはエレナの体の周りを螺旋を描くようにして取り巻き、そしてゆらゆらと静止した。
「これが私の能力、オーラによる水の具現化ね。具現化したっていっても元はオーラだから一般人から見えなくすることもできるんだけど、……私にはまだできないんだよね」
「更には念能力者からすらも見えなくすることが可能ですが、こちらも当然お嬢様はまだお出来になりません」
説明の途中で何やら沈み込んでいったエレナの言葉も、補足を加えたアリスの言葉もレオリオには聞こえてはいなかった。
理屈ではなく目の前でエレナが纏う水の流れは嘘っぱちでは無いのだということが分かったのだ。
「すげーー、何ていうかすげーーな!」
世界にはまだこんなモノがあった。そしてどうやら念能力は個々人が修練の末に身に着ける、つまりはお金があるだけでは行けないところにそれはあるのだ。そして何より――
「こいつは金になりそうだぜ! ハンターになれれば更にウハウハってかーー」
そう、念能力はきっと金になる。金だけでは得られない能力を持ってして金持ちから金をむしりとることができるとしたら何と爽快なことだろうか。
「ま、正直なのは良いと思うけどさ。レオリオ、アリスの心象が悪くなっちゃうよ? あとほら、すごいらしい私を褒めたまえ」
エレナがそう言って苦笑いすると、纏っていた水を消してレオリオへと寄り、頭をひょいっと突き出した。
「いやー、まじですげえなお前。何ていうか感動したぜ」
適当に頭を撫でてやると「うむ、満足満足」と呟いてエレナが頭を起こす。
アリスの方はレオリオの言動のせいもあるだろう、やや目を細めて二人を見つめていた。その視線をほんの少し不快に感じる。
レオリオは自分の言動が品を欠くものだったことは分かっているし、自身の金への執着心が世間一般から見て醜く映るということも知っている。
だから、今のアリスのような目で見られることも仕方が無いと思わないでもない。だがレオリオは毎回思うのだ――金の無いみじめさを知らない奴らになんで蔑まれないとならない? と、そう思ってしまう。
そしてその苛立ちは時として口から零れ落ちることがあった。
「いやまあホラ、アリスさんだってその念能力とやらでこいつの護衛をして収入を得てるんだろ?」
遠まわしにレオリオが念で持って金を儲けようと考えることをアリスが蔑むことはできないだろうという意味を込める。相手がそれに気づかなくても構わない。
ただちょっと嫌な目で見られたから不満を口に出しただけのはずだった。
「……私は、お金などのためにお嬢様の護衛をしているわけじゃありません」
適当に流してくれて構わなかったのだが、思いのほかアリスの声は真剣だった。
そしてその返答がレオリオにとっては最悪に近い。"お金など"と金銭の価値を無視した彼女の言葉に瞬間的に頭が沸き立つ。
「へー、じゃあ護衛さえできれば金はどうでもいいと?」
「ええ、もちろんです」
「はあっ!? ふざけんな!! じゃあ服は? 食い物は? 金無しでどーすんだよ」
「だから要らないと言っているでしょう!!」
口論がいよいよエスカレートしそうになったその時、両者の間をカーテンのようになった水の層が遮る。
「……本当は頭にぶっかけたかったけど、それじゃアリスだけ避けちゃうしね」
蚊帳の外に置かれていたエレナが手を出したのだ。エレナは二人の注意が自らに向いたことを見て取り水のカーテンを取り除く。
「まずアリス」
「はい」
「あなたが私の姉だったり年の離れた親友だというのならともかく、護衛であり、従者であるのなら私の友人に対して今のような態度は取るべきではないのは分かる?」
「はい、大変申し訳ありません。レオリオ様にもご不快な思いをさせてしまいまして誠に失礼しました」
そう言ってアリスがレオリオに対して深く腰を折って謝罪した。
葛藤の結果だろう、表をあげた彼女の顔には表情と呼べるものが抜け落ちている。そのような顔をするぐらいなら謝る必要はないとレオリオは思った。
大体売り言葉に買い言葉のどうしようもない口喧嘩だ、どっちが悪い何てこともない。そして――従者であることをアリスが選んだ瞬間に、彼女の後ろにいたエレナが少し寂しそうな顔をしたのをレオリオは見てしまっていた。
目が合ったエレナが困ったように笑ったので視線をずらす。
「いや、俺がカッとなっちまって悪かった。ちょっと金が無くて困ったことが昔あってな」
「なるほど、私が言うのも何だけどね、アリスは私の護衛を仕事っていうより使命みたいな捉え方をしているところがあるからさ、レオリオが出した例がちょっと合わなかったというか意地になっちゃったんだよ。ごめんね」
今度はエレナの言葉にアリスの表情が曇るのを察してレオリオは冷や汗をかいた。ただし先ほどと違うのはエレナが分かってやっていることが分かることだ。
アリスが傷つくと知っていてあえて言葉を選んでいるのが第三者のレオリオからは良く見えた。
護衛を使命と捉えているアリスに対して、彼女の主人であるところのエレナが仕事として任せているというニュアンスで喋るのはつらいだろう。
「そっか、悪かったなアリスさん」
「いえ、こちらこそさしで「それダメな」」
再度謝罪の言葉を口にしようとしたアリスの言葉を強引に遮る。そう丁寧に謝られても気持ちが悪いだけだ。
「あんま堅苦しい言葉ばっかだと正直息が詰まるんでな。普通に喋ってくれると助かる。何なら友達ってことでいいからよ」
「しかし……」
「いや、こっち見られてもプライベートのことはアリスの自由だからさ。でもレオリオ、アリスは基本的に丁寧語だかんね」
「まあ口調とかがもう少し砕けてればokってことで……だめか?」
何と答えたものかアリスが迷っている。主であると彼女が思っているエレナの友人と自身が友人関係を結んで良いのかどうかの決心が着かないのだろう。
それかさっきの口論から友人関係などとんでも無いと思われているのかどちらかだと思うが、手応えとしてはそちらではないようである。
隣でエレナが"押せ"と目配せしたので本当なら交際を申し込みたいところ何だがなあと思いつつ言葉を続けた。
「なってくれてもいいってのは言い方が悪かったな。是非友達になってくれ」
自分で言っておいて何やら妙にこそばゆい気分になる。大抵の場合友達というのは何時の間にかなっているもので申し込んだりするものではないからだろう。
「アリス、品が無いところと何かお金に執着があるところはともかくとして良い人だと思うよ? 自信ないけど」
「どこから突っ込めばいいんだそれは?」
「前半は真実だし、後半は自分で良い人だと思ってるの?」
ぐぅの音も出ないとはこのことであろう。どうせチンピラですよと拗ねかけたところでその声はようやく発された。
「そのっ、では、私のような者で良ければよろしくお願いいたします」
この人とお近づきになりたいって人はそれこそ人類の半分くらいいそうだがなあと妙に緊張しているアリスの様子に内心苦笑をもらす。
「よろしくな。呼び方はレオリオでいいからよ」
「……その点に関しては努力します。こちらはアリスでかまいません。――き、金銭に価値を見出すことの無意味さに関してはゆっくりとでも覚えて頂きます」
「うおっ、何だか価値観を歩み寄らせるって気配がねえなおい」
「アリスはまあ一途というか頑固というか、単純だから」
エレナがそう言ってポンポンとレオリオの背中を叩く。
「でもまあ、念の先生をやってもらうんで表面上は仲良くやってよね。じゃないと私がしんどいからさ」
ニコニコと身も蓋もないことを言ってのけるエレナに、こいつの相手もしんどそうだよなと思う。
でもまあ仕方がないだろう、このちんまい少女が目の前で披露してのけた奇跡のような水の流れに自分は魅了されたのだ。
そしてそれはまた少し違ったカタチで自分が得ることも可能だというのならそこに飛びつきたいと思ってしまった。何より念能力を身につければハンター試験に合格する確率がグンと上がるのは間違いない。
――そしてもしハンターとなれたら、その時は――
ぐっと思いを込めて拳を握り締めたその横で、エレナがアリスをしゃがませて耳元に口を寄せた。
何を囁かれたのか「ぷっ」とアリスが噴出し、慌てて口を押さえる。
「ん、どした?」
「いえ、何でもありません。―そのっ、顔をこちらに向けないで下さい」
今にも噴出しそうな表情であまりにも失礼なことをアリスが言ってのける。顔を向けるなと言った彼女の方が背を向けて何やら震えていた。
「あーあー、自分が笑ってたらダメだよーアリス」
「ってかお前何吹き込んだんだよ」
どうせしょうもないことに違いない、レオリオは突っ込みに備えてエレナへと近寄った。
「や、ほら念の師匠としてレオリオはまず顔の整形からとか何とか言ってみてくれないかなーと」
「じゃかましいわっ!?」
「いたっ」
恨めしげに頭を抑えながら彼を見上げるエレナにそれ以上文句を言う気にもならず、一つため息を吐いた。変なツボにでも入ったのか、まだ背中を震わせているアリスの様子が微妙にショックでもある。
「まっ、これからよろしくねっ」
「へいへい、よろしく頼むわ」
こうしてレオリオの、ハンター試験に向けての日々は始まったのであった。