二次試験会場から乗り込んだ飛行船は夜間も順調にフライトを続け、翌日の午前十一時にトリックタワーと呼ばれる塔の頂上に着陸した。そして、十一時半に飛行船を降りた先で第三次試験の説明を行う旨が船内に放送される。
受験者の面々がそれぞれの荷物をまとめて船を降りて説明をまった。そうして判明した第三次試験の内容はトリックタワーを七十二時間以内に生きて降りてくること。マツリカのマチへのお願いはやはり有効に作用しているらしく、エレナのもとへとマチがやってきて耳元でささやいた。
「しばらくゆっくりしてな。人がいなくなったらすぐに降りるよ」
「分りました」
それだけでマチが何をしようとしているかを察知したエレナは明るい子供だと印象づけられるようにはきはきと了解の返事をする。どうにも言葉が足りていないのはマチ自身分かっていたのだろう、碌な説明もなしに彼女の方針を受け入れてみせたエレナに一瞬呆けたような顔をした。
そして――、もしかしたらマツリカにもそうしているのだろうか。そっとエレナの頭に手を置いて言葉を付け足す。
「ま、何も問題ないからのんびりしてなよ」
語調はぶっきらぼうだし、表情も無表情のまま変わりは無い。だが思わず見てしまったマチの意外な一面にエレナは少し嬉しくなって。
「はい」
元気よくそう応えた。
自身の三次試験合格はどうやら間違いなさそうだという余裕を持ったエレナは、周りを見渡して一転陰鬱な気分に陥る。既に現時点で残っている人数は恐らく五十人を切っている、その中で生きて下までたどり着くのは果たして何人になるだろうか。
今後の試験の内容を知っているから、今受けている三次試験に合格のあてがあるから、そんな余裕のある状態だからこそついつい他の受験者のことを考えてしまう。恐らくはとても失礼なことだった。
ここまで残った受験者の多くからは、命を落とすリスクを受け入れている気配が見て取れる。命を賭けて挑戦していて、であるからには当然そこにそれだけの価値を見出している。そんな人たちを相手に、安全な場所から「あなたはまだ危ないから止めたほうが良いですよ」などと言う権利は誰にも無いだろう。
そして、そうでなくとも、今のエレナは自身の合格にこそ集中すべきだった。
しかし、一体何なのだろうこれは――と、何度この世界に問うたか分からない疑問が体に満ちるのをエレナは止められない。彼女のすぐ前で、ゴンやキルアたちが塔の屋上の縁から下を覗き込んでいた。
その視線の先で、外壁を伝い降りていたロッククライミングの達人だという受験者が塔の立つ森の何処かから飛び立った巨大な人面鳥に食い殺されたのである。
エレナは命を賭けた挑戦を止める権利は無くとも、明らかな無駄死には防ぐべきだと思っていたから、それとなく人面鳥の存在をロッククライマーの受験者に伝えてみた。しかし、彼は一流のロッククライマーであれば当然知っているべき知識として「この大陸には人面鳥はいないよ」とエレナの忠告を一笑にふして降りていってしまったのだ。
では何故いないはずの人面鳥がいるのか? それを考えたエレナの拳が震える。本来囚人を捕らえておく刑務所として存在するのがこのトリックタワーである。脱走を防ぐ手段の一環としてタワーの管理者側が飼っているとしか考えられない。
脱走の防衛策として悪趣味だと思う。そして、極一部を除いてほぼ全ての受験者は犯罪者などではないのだ。ハンター試験受験者へのハードルとしては悪辣過ぎではないかと思わずにはいられない。
ヌメーレ湿原で騙されて命を落としてしまった受験者にしてもそうだ。ハンターとなるに値する実力を持っているかどうかなど、もっと、より安全にテストすることができるはずだ。そうしようと思ったならば必ずできる。
ハンターになるためなら命を賭けても良いとまで思っている人たちをもっと大切にするべきではないか――
「外壁を伝って降りるのは無理みたいだな、こりゃ」
「そうだな、何処かに下へ降りる道があるはずだ」
下を覗きこんでそんなことを言う――そんなことしか言わないレオリオとクラピカの会話をとても聞いていられなくてエレナは彼らから離れた。今となってはもう、エレナはハンターライセンスに何の魅力も感じてはいない。
ただ、キメラアント対策のために入国する必要のあるミテネ連邦やNGLにおいて、ハンターライセンスを持っていた方がスムーズに事が運ぶから、そしてレオリオが学費免除を勝ち取るために必要だからというのがまだここにいて試験を受け続けている理由だった。
そうしてアテもなく屋上を考えながら歩いていると、何時の間にかマチが近くに来ていた。
「あんまりフラフラするんじゃないよ」
そう言うと彼女は視線を床に走らせる。このトリックタワーの屋上には下へ降りられる階段などは造られていない。ではどうやって下へ降りるのかというと、床の所々に床板が回転して下へ落ちることのできる仕掛けが施されているのである。
マチはすでにエレナがそのことに気付いているという前提のもとに注意しているのだ。
「すみません。ぼうっとしてしまって」
「アンタが勝手に落ちると面倒みれなくなるかもしれないからね。気をつけな」
「はい、すみません。わざわざ有難うございます」
そう言って軽く頭を下げると、マチが一つ溜息をついた。失望させてしまっただろうかとエレナが見上げると、エレナが考えていることに気がついたらしい。
「いや、あの子がこれくらい素直だったら色々楽なんだけどと思ってね」
エレナを責めているわけではないとマチがわざわざ説明してくれたことに少しだけエレナの胸が高揚した。目の前の女性は犯罪者集団の一員であることを考えなければさばさばとしていて格好良く、素敵だと思える女性なのだ。
「でもマツリカが急に素直になったら私は裏を疑っちゃいますよ?」
「ははっ、違いないね」
「マツリカといえばですね、マチさんはマツリカから何て言われて私と一緒に行くことにしたんですか?」
エレナが常にレオリオたちと行動を共にしていたのはマチも知っている。そのエレナとマチに二人で組んで行動して欲しいという頼みごとを、マツリカはこの試験内容が発表されるよりも前にどう説明したのだろうか。エレナはそこをはっきりさせておこうと質問した。
「いや、あんたに聞けば分かるって言われたんだけど、心当たりはないかい?」
どうやら全てをエレナに丸投げしたということらしい。ならばと彼女は心中でほくそ笑んだ。好き勝手に嘘をつかせてもらうよと何所かそのへんでスケッチをしているだろうマツリカに心中で言い放つ。
「あー、そうですね。あります、心当たり。ここだと人がいますので後でいいですか」
「分かった」
さてさてどうしようかねと、マチに笑顔を向けながらエレナが考えていると、やや離れたところからレオリオの声が届いた。
「おーい、エレナー。ちょっとこっち来てくれ」
すぐ傍にはクラピカとゴン、キルアとマツリカもいる。どうやら原作どおり五つの隠し扉が密集しているポイントを見つけたようだ。
隠し扉は五つで、一行はマチもいれて七人。真っ先にマチが自分は別のポイントから行くと言って外れ、打ち合わせ通りにエレナとマツリカが自分たちもマチとともに行くと発言した。そして二人は顔を見合わせ、周りがついてこれないうちにマチへ着いていく方をジャンケンで決め出す。
エレナが勝ってマチとの同行の権利を喜んでみせるまで誰も口を挟むことはできなかった。
何時の間にそんなに仲良くなってたんだと驚いたレオリオと、何も言わないが隠し扉が一人一つならマチと残っても意味がないのではと言いたそうなクラピカとキルアを強引に見送ってほっと一息つく。
そしてすぐ後ろにいるマチへと振り向いた。
「じゃあまたしばらくぼけっとしますか?」
「ああ、ぼけっとし過ぎて落ちるんじゃないよ」
エレナとマツリカの小芝居が滑稽だったのだろう、少しだけ口元を緩ませてマチがそんなことを言う。やっぱ美人が笑うと違うねなどとくだらないことを考えながら、エレナはまた屋上の散歩を再開した。
(なーんか忘れてる気がするなー。何かすっごく下らないことなんだけど)
レオリオを見送ってすぐに、何かを見落としているような気がしてきた。エレナは首を捻ったがどうにも思い出せない。命の危険などとは関係ないはずだが何だっただろうか。
そうして更に数時間が経ち、まだ屋上に残っているのが数人となったところでマチが動いた。隠し扉を見つけきれずにいた数人の受験生が次々とマチが昏倒させていき、屋上で意識を保っているのはマチとエレナだけとなる。
「さ、いこうか」
「はい」
マチに返事をしながら、彼女に昏倒させられた受験者の気配を探り、皆生きている様子なのを確かめて内心ほっとした。
「私としてはアンタを抱えた方が楽なんだけど、それでいいかい?」
「はい、目も閉じておきますね」
エレナはマツリカ以外には窺い知れぬ事情からマチの念能力を知っている。彼女は変化形の能力者であり、オーラを糸状に変化させて操るのだ。だからエレナはマチが彼女自身の念をロープのように使って塔の壁面を降りるのだろうと予想できた。
そして、本来念能力は共闘関係に無い者には秘匿すべきものであるため、エレナはマチに目を閉じておくと伝えたのである。
マチは軽く首を振ると、右手の先から白く光る鮮やかなオーラの糸を噴出させた。それは瞬く間に糸とは呼べぬほどに太くなり、ロープと表現するのが適切であろう形態となる。
「別に見られても困らないさ。サービスだ」
そう言ってマチは、まだ屋上に停泊していた飛行船にそのロープを巻きつけていく。飛行船の質量であれば難なく彼女たちの体重を支えられるだろう。そして、エレナに見られても困らないというのは厳然たる事実だ。エレナはマチに何かができるほど強くはなく、そして先ほどの場面で「目を閉じておきます」などと気遣いのできる人間であればペラペラとマチの能力を吹聴したりはしないと判断したのだろう。
何より、元々マチの能力を知っていたエレナに対してここで能力を秘匿する意味は実際のところ存在しない。そのことを、もしかすると原作で外れを引いたことのないマチの勘が見抜いているのであれば恐ろしいことこの上なかった。
「分かりました。それではその、よろしくお願いします」
エレナはそう言ってチョコチョコと既に塔の周縁部に立っているマチに近づき、すぐ傍まで行ってクルリと背を向ける。するとマチの空いている左手が、エレナの左脇から体を抱えるように回された。
背中から伝わる女性らしい匂いと柔らかさにほっとするものを感じないわけではないが、相手は幻影旅団のマチだ。エレナは体が震えるのを抑えきれない。
「すみません。実は高いところは余り得意ではなくて」
「……ま、少し我慢してもらうよ」
そのやり取りを経て、二人の体は塔の縁から踊り出した。数十メートルの自由落下を繰り返すその降下速度には、今更人面鳥が付近の森から飛び立っても間に合わないだろう。どんどん近づいてくる地面に、楽をしすぎかなとエレナが考えた瞬間、雷光のようにその記憶はよみがえった。
まだ塔の上にいたならば仕掛けを無理やり壊してでもレオリオたちの後を追えたかもしれない。今からでもマチに頼めば再度上れるかもしれないが、彼女に動いてもらうだけの説明が難しい。それはエレナが本来知りようのないはずの事だからだ。
最早取り返しようのない事態に気付いてエレナの顔は一瞬にして青褪めた。それに遅れること数秒、マチがトリックタワーを四分の三ほど降りた辺りで一度止まる。そして何も言わずにエレナの顔を覗きこんだので慌てて答えた。
「だ、大丈夫です。少し気分が悪くなっただけなんで」
「分かった。じゃ、とりあえず下まで降りるよ」
「はい」
マチが残りわずかとなった地面までの距離をゼロとするまでさほど時間はかからなかった。地面へと降ろされたエレナは思わず降りてきた塔を振り仰ぐ。もうそこで起こることを彼女には止められない。あとはもう親友に祈るしか術は無かった。
とりあえずレオリオたちが降りてきたら真っ先にマツリカに確認しようと心に決める。そして、これだけ不安にさせたのだから事実の有無に関わらずレオリオはとっちめなければならない。いや、ちゃんと我慢していたらやっぱり許してあげるべきだろうか。
頭に血を昇らせて、うんうんと唸るエレナの様子はマチにはさっぱり理解不能だったに違いない。この第三次試験において、レオリオの右手がとある女性囚人の股間の辺りを探検することなど普通は予見できないのだから……。
「取り込み中悪いんだけどさ、良かったらマツリカの件について心当たりを聞きたいんだが」
「あっ、はいっ、ごめんなさい」
マチのことをほっぽり出していたのに気付かされて、エレナは反射的に謝った。そういう状況をつくり出したレオリオに思わず心中で悪態を重ねる。そして、ひとまずマツリカが恥ずかしい思いをするように「普段はなかなか言えないけどマチさんのことが大好きだって」とでも言っておこうかと考えた。真相は話せない以上仕方ないのである。
しかし――、エレナはそのことを口にすることはできなかった。マチがそっと目を細めただけで蜘蛛の糸に絡め取られたみたいに動けなくなってしまう。
「アンタは嘘が多いからね、気をつけて話しなよ」
(マツリカ先生、全然大丈夫じゃありません)
こいつは不味いなと心中で思わずついたその呟きに、意外とまだ心に余裕がある自分を知って驚く。しかしこの状況、ひとまず正直に話すしか術は無さそうだと判断した。
「すみません、話せません。しかしマツリカが望んだことです」
これで駄目だったら正直打つ手はないなと思いながら、目に力を込めてマチをぐっと見る。殺される殺されないの状況では無いはずだが、弱いということはこういうことなのかという実感があった。蛇に睨まれたカエルという言葉を今後はずっと上手く使えそうだ。
マチがふぅと息をついた瞬間に、ずんと圧し掛かっていた圧力が霧散する。ほっとすると同時に、エレナは息をするのを忘れていたことに気付いて二、三度呼吸を繰り返した。
「ま、それは嘘じゃないみたいだね」
「いいんですか?」
話せないということを話しただけで引き下がったマチにエレナは思わずそう問いかける。
「ああ、あの子に振り回されるのには慣れてるしね」
そう言って苦笑したマチの表情に一瞬見惚れた後、エレナはぐっと左拳を握った。
(マツリカ、あんたやっぱ大物だわ)
しかし、覚えて置けよとここにはいない親友に向かってエレナは呟く、相当に怖い思いをしたのだから多少の仕返しくらいは許してくれてもいいだろう、と。
△
▼
エレナが塔の下へと降り立ち、三次試験合格のアナウンスを受けていたのと丁度同じ頃、マツリカは寝た振りをしていた。何故なら彼女が起きていると、その視線を気にしてレオリオが原作通りの行動を取らなくなるかもしれないと思ったからだ。
実際、彼女の思惑通りに事は進み、現在レオリオは調査・鑑定の最中である。その女は気に入らないから指の一・二本などと考えるマツリカは、自身がエレナの最後の希望となっていることなど終ぞ知らなかった。
今行っているのは五人の囚人と、こちらも五人の受験者による団体戦であり、レオリオが今負けようとしているのが四回戦目である。
レオリオが行ったのは賭けの勝負、最後の最後、目の前の囚人が女性では無いことに賭けた彼は、だらしの無い顔で相手が残念ながら女性であることを認めた。これにより四回戦はマツリカたちの負けであり、ここまでで2勝2敗の五分である。
ちなみに勝ったのがゴンとクラピカであり、負けたのがマツリカとレオリオだ。
マツリカはまさか負けることができるとは思っていなかったので、望外の幸運に内心上機嫌だった。彼女の相手はゴツい元軍人の男で、ルールはどちらかが降参するか死ぬまで戦うというもの。原作ではマツリカの代わりにいたトンバが開始即降参しているため、彼女としては負けておきたかったが、上手く負ける手が考えられなかったため仕方なく開始直後に相手の意識を奪った。
しかし、単純に戦って勝てば良いと思っていたマツリカが待機場所に戻ると、囚人側から「こちらは降参していないし死んでもいない以上勝負はまだついていない」というイチャモンがついた。つまり、意識を失った男にトドメをさすか、意識を取り戻させて「まいった」と言わせるまで終わりではないぞということである。
そこで一つ思いついたマツリカは駄目モトで芝居を打った。ゴンたちへと振返ってこう言ったのだ。
「悪いんだけどさ、一敗でいいかなあ? 殺すと後味悪いしさ」
すでに確認のためと意識を失った男は囚人側の待機場所へと連れ込まれている。殺そうにも拷問して降参させようにも粘れるだけ粘るのが向こうの方針だろう。そして何よりマツリカはまだ十代となったばかりの少女だった。
彼女に積極的に拷問や人殺しをさせようとする人間はなかなかいない。そのようにして、マツリカにとって意外にも最良の結果がもたらされることになった。
その後はレオリオの右手の秘境探検までほぼ原作通りの展開が続いた。ただクラピカの勝負の勝ち負けのつき方だけが少々異なっただけだ。彼が行ったのもマツリカと同じ決闘方式であり、原作ではクラピカこそが「こちらはまだ降参しても死んでもいない」という今回マツリカの受けたクレームを受けていたのである。
しかしこの場ではエレナが先にそういう状況に追い込まれていたため、クラピカは相手囚人が背中に刻んだ偽者の旅団メンバーの刻印に激昂しつつも相手に「まいった」と言わせるのを忘れなかったのだ。
後は最後にキルアが相手の囚人の心臓を抜き取って瞬殺するのをスケッチしておしまいだと、マツリカは本当に心底上機嫌だった。彼女が行く道は祝福されているのではないかと、自分でも笑ってしまうような空想に酔ってもいた。
そんな風に、キルアの戦いが始まるまでは彼女の高揚は続いていたのだ。
戦いは一方的だった。ザバン市犯罪史上最悪の大量殺人犯と呼ばれる解体屋(バラシヤ)ジョネス、異常な指の筋力によって他者の肉を容易く千切り取ってきたその男は、世界最高の殺し屋一族であるゾルディックの姓を持つキルアにひたすらに翻弄されていた。
腹を蹴られ、顔を殴られては喚いているジョネスの姿を見ながら、マツリカは強く歯ぎしりしていた。これは違うだろうという気持ちを抑えられない。原作では一瞬でジョネスの心臓をキルアが抜き取って終わらせていたのだ。
キルアが裏の世界のエリートだということを強く印象づけるシーンを描いて、マツリカはこの世界をより強く作り物の世界だとイメージできるようになるはずだった。この世界を改変可能だと信じ込むことでマツリカの能力は底上げされる。原作シーンの目撃とそのスケッチはこの世界は漫画に過ぎない、彼女本来の世界ではないと改めて強く印象づけるチャンスなのだ。
それが何故こんなことになってしまっているのか、答えは分かりきっている。昨晩エレナがトレーニングルームから退室するキルアを追いかけた時、ゴンと会長を優先した彼女はその場を動かなかった。キルアが通りすがりの受験者を惨殺するはずだった場所でマツリカの親友が何かをしたに違いない。
キルアが殺しを控えるだけの何かがあったに違いなかった。
マツリカとエレナ、そしてマチ、原作ではいなかった自分たちの存在がやはり少しずつ物語に影響を与えてしまっている。もちろん、全てが原作通りにいかないことは最初からマツリカにも分かりきっていた。
だけども、やはり変更点は最小限に留めておきたいというのがマツリカの願いだ。今回同行してもらったのがマチなのも、彼女と一番親しいというだけでなくマチが基本的に他者と余り関わりを持とうとしない性格だからだという理由が大きい。
最も重要な目的の一つであるこちらの世界での親友の名前と顔はもう確認できた。それさえ分かっていれば必要な時に彼女に会いに行くことは可能である。この世界で、ただ彼女だけが三次元の強い色彩で輝くようになった時に、五体満足の親友がいればよいのだ。
原作を乱す可能性のある不確定要素はできる限り排除するべきだった。つまりマツリカ自身以外は、だ。エレナとこちらの世界での名を名乗る親友ハツネと再会した時、本当に嬉しかったものだから――ついハツネのいる状況のままで、できる限りの原作シーンの再現を目指そうとしてしまった。
だが、それはやはり間違いだったのだと思う。
ジョネスがみっともなく命乞いを始めた時に、マツリカは腹を決めた。
どんなことをしようともハツネを元の世界に戻すと決めていたのだから、と――。