延々と長い距離を走らされてたどり着いた二次試験の舞台はビスカ森林国立公園であった。ちょっとした広さの体育館といった建物の前で、一次試験を突破した受験者たちは待たされることになる。総勢百五十一人が建物内部から規則的に聞こえてくる振動音に首を傾げつつもそれぞれ時間を潰して過ごす。
レオリオはクラピカと並んで座り込み、背を木の幹に預けていた。その視線の先ではキルアと呼ばれる少年がゴンをだしに使ってエレナとマツリカに話しかけている。
彼女たちはタイプは違えども同年代の男子からみれば相応に魅力的だろう。どちらかと言えばエレナの方に積極的に話しかけているようにみえるキルアの様子に、そいつは苦労するぞとレオリオは苦笑した。
エレナの方はというとどうやら上手くキルアとゴンの相手をできていないようだ。どこかしらぼうっとしていて受け答えを隣のマツリカが引き受けているような印象を受ける。
しかし一体何を考えてぼうっとしているのだろうか?
ここまでハンター試験は問題なく順調にきているはずだ。嵐の船上で目的は人探しなのだと言っていたのはマツリカのことだろうから試験合格以外の目的もかなえられている。
結局、考えても分らないだろうと結論づけたレオリオは、エレナの沈んだ様子がこれ以上続くのであれば直接聞き出してみようと考えた。
何ならお前らが元気付けてやれよとゴンとキルアに期待を託し、こちらはどうしようかねとチラリと視線を脇に逸らした。そこではマチと名乗った女性がレオリオたちから少し離れて立っている。
何度か話しかけてみたものの反応は全く持って芳しくない。その視線は先ほどまでのレオリオ同様ちびっ子組に向けられていた。
そこから視線を外せないのも無理はないかなというのがレオリオの実感だ。
あの子供の四人組は正直末恐ろしい。ゴンとキルアは念能力者では無いものの一度覚えたら自分が抜かれるのなんてすぐだろうなと思わせるようなオーラを放っていた。
マツリカに至っては明らかに現時点で化け物めいて洗練されたオーラを纏っている。
正直その中だとエレナが一番小粒かもしれないと考えてレオリオは思い至った。彼女はもしかしてそのことを自覚して劣等感に苛まれているのではないだろうか――。
「うへー、もしそうだったらすげー馬鹿馬鹿しいな」
思わず口に出してそうぼやいてしまう。そんなことで落ち込まれていたら未だ彼女より弱い自分はどうなるというのだろう。
大体そんなところで勝てなくともアリスであれば彼女の主の良いところをつらつらと並べ立ててくれるだろう。レオリオとしてもアリスの言い立てる彼女の美点をそれほど否定するつもりは無かった。
「何だ? いきなり」
「何でもねー、気にすんな」
突然のレオリオの独り言にいぶかしげな反応を示したクラピカに大したことじゃないと手を振って応える。納得したわけではないだろうが、クラピカは再び腕を組んで目を閉じた体勢に戻った。
そして四半時ばかり過ぎた頃、レオリオの隣で閉じられていた瞳が開くと同時に低い振動音を発していた建物の正面扉が開き始めた。
そしてそこから現れたのは細身の女性と、巨漢という言葉ではその体の大雑把さを表現しきれていないような気がしてしまう大男の二人組みだ。
「なあ、やっぱ音源は腹か?」
「ああ、正直信じがたいがそのようだ」
一体何デシベルだよという振動音は明らかに大男の腹から発せられている。このタイミングでこの場に出てくる以上試験官なのだろうが、一体どんな試験が始まるというのだろうか。レオリオたち受験者が身構えていると、細身の女性の方が皆に聞こえるよう声を張った。
「まずはお疲れ様。あなた達は一次試験合格よ。で、私たちが二次試験の試験官ってわけ。私はメンチでこっちの大きいのがブハラ。まずはブハラの試験を受けてもらい、それに合格した者だけが私の試験を受けれるって寸法よ。何か質問ある?」
そこで一度声を区切り質問の出る様子がないことを見て取ると、細身の女性、メンチは再び話し出した。
「じゃあ二次試験を始めるわよ。二次試験の内容は料理! 合格するには私たちに"おいしい"と言わせることっ」
「俺からのお題は簡単、ブタの丸焼き、俺の大好物。この国立公園に生息するブタなら何でもOKだからどんどん持ってきてよ」
まさかハンター試験にきて料理をするはめになるとは思わなかったと、受験者たちがざわつくのも構わず、巨漢の男ブハラは自分の課題がブタの丸焼きであることを告げた。
ひとまず複雑な調理技術が不要であることにほっとした受験者たちがブタを求めて国立公園の中へと散って行く。
ゴンと仲良くなったらしいキルアという少々小生意気な少年を加えてなかなかの大所帯になった面々が森へと分け入っていくと、鼻が異常に発達した大型のブタに遭遇した。
その獣は数頭の群れで行動しており、こちらに気付くとその全てが興奮状態となって突っ込んできた。そこをゴンが手持ちの釣竿で頭部を強打すると呆気なく昏倒したので頭部が弱点だと掴んだレオリオたちは問題なく人数分のブタを処理することに成功する。
「うん、うまい合格。……うまい。これも合格」
焼いたブタを持ち込んだその先で、同じ人類だとは認めがたい分量を次から次へと腹へ収めていくブハラによってレオリオたちは問題なく合格した。したのだが、そこでレオリオは傍らでエレナが愕然と落ち込んでいることに気付いた。
「ど、どうしたんだエレナ?」
「レオリオ、私ぼーっとしててさ、何の下処理もせずに丸焼きにしちゃったよ。最悪だあ」
何だそんなことかと思うレオリオだが、どうやら彼女は本気で落ち込んでいるらしい。「あんな大きなの丸焼きにする機会なんてそうそうなさそうなのに」などと呟いている。
「丸焼きくらい今度家で試してみればいいだろ? ってかそもそもぼーっとしてた理由は何だよ? 余計なお世話じゃなければ教えてくれ」
「んー、ちょっと言えないかな。まあ私にどうこうできることじゃないし、レオリオに気にさせるようなことでもないからさ。でもアリガトね」
随分と素直に礼を言うもんだとレオリオは思った。やはり彼女はそこそこ参っているに違いない。ハンター試験の合格に関しては今目に見えている障害はヒソカの存在くらいだが、それであれば理由を隠したりはしないだろう。それ以外だとどうなるかと考えても範囲が広がりすぎて答えが出そうに無かった。
もっと自身の試験合格のために集中すべきだとでも言っておこうかと考えて――それはエレナの心配をしている今の自分にも当てはまることかとつい苦笑してしまう。
そうこうするうちに、メンチが何所に用意をしていたのか、中華風のドラを鳴らしてブハラによる試験の終了を告げた。
この時、エレナを問い詰めても未来は何も変わらなかったかもしれない。その可能性は高かった。
しかし――、この後レオリオは少しばかりの苦い思いとともにハンター試験を振返ることになる。
もし、あの時エレナのケアを優先して彼女のそばに自分が張り付いていれば、彼女があのような目に遭うことは無かったのではないかと。
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マツリカたちを含めて、ブハラの試験の合格者は七十四名だった。つまり目の前の巨漢はそれと同じだけの数のブタの丸焼きを腹に収めたというわけである。マツリカはブハラが何の念能力を使う様子もなしにそれを成し遂げたことに戦慄してしまった。
「やっぱハンターって皆すごい人たちなんだねっ」
「いや、まあすごいっちゃすごいが」
素直に感心するゴンとそれにあきれ気味の突っ込みを返しているキルアからやや離れて、マツリカとエレナは並んで立っている。
「どうする? どっかで話でもする?」
いよいよメンチの試験が始まろうというところだというのに、マツリカはそんな話をエレナに振った。
「今晩の飛行船の中で良くない? 試験中はいちおうそれに集中しときたいし」
エレナは落ち着いた声でそう答える。マツリカは二人だけがこれから起こることを理解しているからこそ成立する会話についついにんまりしてしまった。
これから始まるメンチの試験は試験不成立で全員再試験となるのだ。
「おっけ」
小声でそうマツリカが応じると同時に、二次試験官メンチによる試験のお題が明らかになった。その課題は、本来大和民族の二人にとっては馴染み深い握り寿司である。課題発表後、ブハラの試験を突破した受験者はこの場に到着した時二人の試験官が出てきた建物の中へと通された。
その中は本来広々とした体育館だったのだろう、今はそこに何列も調理台が並べられており、その一つ一つに十分に料理ができるだけの器具が備え付けられているようだった。
ほとんどの受験者は寿司とは何かということを知らないらしく、それぞれ適当な料理台へと散らばって用意されたライスの味を確認したりニギリズシというその呼び方から試しにライスを握り固めたりしている。
「お寿司がマイナーってのが微妙に許しがたいわね」
エレナが周りを見渡すと顔をしかめてそう小声で呟いた。
「確かにそだね。あー何か穴子の一本握りが食べたくなってきちゃった」
SUSHIがまだジャポンの郷土料理という地位しか獲得していないだなんて、この世界の人々は絶対損をしていると思う。
「あっそうだ。せっかく持ってきたのに忘れるところだった」
マツリカの穴子への幻想を断ち切るかのように声をあげたエレナが、背負っていた大き目のリュックを下ろして中を探り出す。そうして姿を現したのは一抱えほどもあるタッパーだ。恐らく食べ物が出てくるのだろうとマツリカはエレナの頭の横から覗き込んだ。
「驚くなー」と呟きつつエレナがそのタッパーの蓋を開けると、錆びた釘のような茶色いそれが姿を現した。
「おおっ、いかなごだ」
その場に醤油としょうがの甘辛い美味しそうな匂いが広がった。マツリカにとってそれは春の訪れを告げる匂いだ。彼女やエレナが元の世界で住んでいたところでは三月の上旬を過ぎれば街角のあちらこちらからいかなごを炊くこの匂いが漂ってきていたものである。
「ちょっと失礼――、んーやっぱウチのとはちょっと違うかなー」
黙っていてもエレナが勧めてくれたとは思うが、待ちきれなくなったマツリカは指を伸ばしてイカナゴを一つまみ口へと運んだ。懐かしい味が口の中に広がるとともに、感じるほんの少しの違和感。
「マツリカの家は毎年早めにつくるからもっと一匹一匹が小さいよね。ま、ウチのともまた違うけど喜ぶかなと思ってさ。クジラ島で泊まった宿で作ってたんだよ」
「うん、嬉しいよ。ウチでってか母さんの作るのが一番だけどね」
こう言えば次にエレナが何と言うかは自明の理というやつだ。自分の家のいかなごこそが白飯の最強の供であるという議論は毎年のように繰り返される宿命なのである。
「いやいや、断然ウチのがベストさね。ま、それはともかく桶に入ってるのは酢飯だけど炊飯器に入ってるのは普通の白飯みたいなんだよね」
よっという掛け声とともにタッパーを料理台の上に載せると、エレナは台の上に最初から用意されていた炊飯器を引き寄せて蓋を開けた。
そこから立ち昇った蒸気の匂いと中のご飯の色から間違いなくそれが酢飯でないことは分る。こうくれば彼女がやりたいことなど考えるまでもない。
ここまでいかなごを離さず持ってきてくれたことに感謝のキスの雨くらいは降らせても良いくらいである。もっとも、そんなことをしたら間違いなく嫌がられるだろうが。
「ゴンとキルアも食べる?」
会話の意味は全く分らないだろうが、興味津々でこちらを伺っていた少年二人組みへとマツリカはそう声をかけた。
「ホントッ? いいの?」
予想通り飛びついてきたゴンに一度笑顔を向けてキルアの様子を伺う、彼はきっと試験中に何やってるんだかなどと小言を口にしつつも参加するだろうと思ったのだが、彼の反応はマツリカの予想とは異なった。
「あー、何かエレナが微妙な顔してるけどいいのか?」
何ですとと慌てて旧友の顔を見ると確かに微妙に泣き顔になっている。咄嗟に耳を近づけると「これで全部なんだけど」と消え入りそうな声で呟いた。
――ちょっと悪いかなと思いつつマツリカは声を響かせて腹の底から笑った。
そうだったと思い出す。マツリカの親友は気が利いて、優しく、ホラ吹きで、そして何よりも食い意地がはっているのだ。
「……そんなに笑うことないと思わない?」
「いや、ゴメ――。何かツボに入った」
くっくとまだ続く笑いの発作に耐えるマツリカだが、不満気なエレナの顔に更に笑いが込み上げてしまう。喋れなくなったマツリカにかわってゴンが話を続けた。
「じゃあ俺は食べたことあるからいいや」
確かにくじら島で貰ったとエレナが言っていたのだからゴンが食べたことがあっても不思議でも何でもない。そして、彼が断ったことでキルアも食べにくくなってしまう。
「あー、じゃあ俺もいいや」
「えっ、いやっ、私そんなガメつくないよ? 何も言わないよ……ちょっと口惜しいけど。だから食べても大丈夫だって」
そんなやり取りを繰り広げる三人をよそに、マツリカはちゃっかり茶碗を見つけ出してご飯を盛っていた。すでに開けられているタッパーから適当な量を箸で摘んでご飯に乗せ、そのまま食べ始める。
「あ、こらっ勝手に食べるな」
「うん、美味しいよエレナ」
負けじとご飯をよそうエレナを見てマツリカは一人陶然と微笑んだ。彼女が示してくれた故郷への執着が嬉しくてたまらなかったからだ。自分がエレナを元の世界へと帰すためにしていることが決して間違いじゃないと思っても良いのだと思うと誇らしくてたまらなかった。
マツリカは、そのために生きてきたという一面が多分にあるからこそ、エレナには元の世界に戻りたいと思っていて欲しかったし、またそうあるべきだと信じていた。
「ほらっ、食べていいよキルア」
「いやっ、ていうか試験は?」
「えっ、何? 私が涙をこらえてよそってやったご飯を喰えないとでも?」
何だか妙な争いを繰り広げる旧友を見つめて、マツリカは目尻に浮かんだ涙をそっと拭った。あの日、あの時、この世界へ落ち込んでいく自分を掴んでくれた、そして引きずり込んでしまった彼女が、本来の世界で積み上げていた全てを取り戻す日が待ち遠しかった。
その時、少し離れたところで話し込んでいたレオリオが、
「魚ぁ? 海もねえとこでどうしろって言うんだよ」
などと言う声が建物の中に響いた。それが寿司の材料だと感づいた受験生たちが我先にと外に飛び出していく。
レオリオとクラピカ、それから更にそこから離れていたマチはチラリと彼女たちに視線を向けてから同じく魚を求めて出て行った。
自分たちは動かなくていいのだろうかと頬を掻くゴンの前でキルアがいかなごと一緒に白飯をかっ食らっている。
「これ結構うめーな」
「美味しい時には美味しいって言いなさいよね。結構とかまあまあとかそこそことか付けなくていいから」
「何でさっきから微妙にこええんだよっ」
このままぼーーっとしていても、受験生がメンチに素人が作った寿司を跳ね除けられる姿はスケッチできるはずだからマツリカとしては問題ないと言えば無い。
しかし、さすがに最期まで建物内に残った四人に対する試験官の視線が痛くなってきたのでそろそろ魚を捕まえに行く提案でもしようと頭を切り替える。
結局のところ――
ここまでエレナが元の世界へ帰りたいなどと口にしたという事実は無い。
そしてそれは最期の時までそうだった。