「……気にいんないっ」 ミッドガルの首都であるクラナガンのとある学校で、彼女ノア・レイニーは憤慨していた。苛立たし気に金髪の少女が乱暴にランドセルを自分の机に置く。その視点の先には……水色の長い髪を無造作に後ろでまとめ、本を読んでいるというのに多数のクラスメート達に囲まれている少女の姿があった。 ノアは昔から曲がった事が大嫌いで親や教師の言う事が全て正しい、そういった考えを持つ少女だった。これは彼女に限らず大多数の子供に当て嵌まる。幸福に、不満なく育てられた子供になればなるほど、その傾向は強くなる。例え反抗して悪戯をするような子供だって、それが”悪いこと”であると認識しているのだ。彼女のような子供が大人の悪い面を反面教師として学べるようになるにはもう少しの年月が必要だろう。 学校での彼女は品行方正で、教師の言う事を良く聞き、答え、それを同じクラスメート達にも強要する……言ってしまえば”先生の味方”であった。教室で騒がない、廊下を走らない、宿題を写さない。彼女はそういった”悪い行い”を先生の代弁として、クラスメートに注意をすることが多々あった。自分は正しい、相手が間違っている。そういった考えで。自ら立候補して学級委員長になったのも、彼女の意思を補強していた。 ……そして、彼女は他の生徒から煙たがられ、クラスの輪から徐々に外れていった。 無論、言っている事自体は全てノアが正しい。同じ場面を教師が見ていたら、彼女がやっているように注意をしただろう。しかし、だ。子供たちの間にも暗黙の了解といった物があり、例えそれが社会道徳的に悪い悪戯だとしても、それを読まずに非難すれば異端者として弾かれる。クラスメート達にとって彼女は同じ生徒であり、教師のように”上”の人間ではないのだ。 空気を読まない人間は嫌われる。ところかまわず口煩く注意をする彼女が、生意気だと白い目で見られるのは至極当然の成り行きですらあった。 そんな物気にしていないとノアは強がったが、所詮は6才の少女だ。鬱憤や寂しさが身体の中に塵に積もっていく。そんな時、彼女と同じ”異端者”でありながら、クラスメートに何故か好かれるクラスメートが腹立たしく見えるのは……これもまたある意味当然の成り行きだったのかもしれない。「ちょっと、コッペルさん」「……ん? 何か用?」「なにかよう? じゃないわよ。学校で本を読んじゃいけないって先生に言われてるでしょ」 アイリーン・コッペルというクラスメートは、それはもう四六時中本に視線を落としているような少女だった。外見は確実に並以上。だというのに普通の女子が好きなお洒落話や恋愛ドラマに対しては一切感心を払わず、適当な相槌を打ちながら視線を本から剥がさないような読書狂いだ。授業中こそ読まないが、授業を片手間に何やら怪しげな文章を書き綴っているのをノアは知っていた。一度ならず何度も教師に進言したのだが、アイリーンがやっているそれはまた違う勉強だと誤魔化されてしまった。 ノアのようにアイリーンも”異端者”としてクラスから弾かれる要素を持っている。しかし、彼女の場合クラスメート達との会話を柔軟にこなしてしまうのだ。あまりに柔軟にこなし過ぎて、いつの間にか彼女の周りには悩み事の相談や頼み事をしようとするクラスメート達で溢れ返っている。いや、それだけではなく、なんともくだらない雑談も振っている。その度にアイリーンは本から目を離して律儀に返事をしているのだが、人数は一向に減らなかった。 そして、そんな彼女のあだ名は「いいんちょ」。そう、本物の学級委員長であるノアを押しのけてだ。 好き勝手やっているくせに、要領良くクラスメート達に媚を売って人気を稼いでいるアイリーンが、ノアには卑怯者に見えてしかたなかったのだ。「んー、それって漫画の話じゃなかった?」「え……い、一緒でしょ!」「いや、だいぶ違うと思うけど。まあ、言いたいことは分かった。本を読むなら図書室に行けってことだよね?」「そ、そうよ。教室でずっと本を読んでるなんて非常識なんだからっ」「……そうだなぁ」 段々と話がおかしな方向に脱線して行っているのを自覚してノアは内心焦った。注意をしているだけなのに、これじゃあ自分が難癖付けてるみたいじゃないか、と。教室で漫画以外の本、しかもアイリーンのように難しい”勉強の本”を読むのは本来禁止されていない。あえて文句を付けられるとしたら、四六時中本を読んでいるのは健康に悪いという程度だ。 ノアは決して理不尽な注意をしている訳ではない。”学校の決まり”を守らせようとしているだけなのだ。それを教室から無意味に追い出すのは彼女にとって本位じゃなかった。「けど、授業の合間の休み時間じゃ移動時間が足りないからさ。お昼休みになったら図書室に移るようにするから許してくれる?」「え、あ、う……うん。分かってくれるなら、それでいいのよ」「うん」 拍子抜けする事に、アイリーンはあっさりとノアの注意を受け入れてしまった。代わりの提案にノアは思わず頷いてしまったので、短い休み時間である今は本をそのまま読み続けていても文句は言えなかったのに、本をしまってノートに何やら書き始めた。居心地悪くそれを覗いたノアだったが、数字や見たこともない難解な単語が意図不明に羅列されていて眩暈を覚えた。 ノアの頭は決して悪くない。それどころか”飛び抜けて”優秀な方だと言える。しかし、アイリーン・コッペルはさらに別格、大人ですら躊躇うような知識を持っているのは周知の事実であり「学校始まって以来の天才少女」と言われるほどだ。実際の所、純粋な頭の回転速度ならアイリーンよりノアの方が上だったりするのだが、そんなことが分かる筈もない彼女はまざまざと差を見せ付けられようで、また少し気分を重くするのだった。 それからどうしてもアイリーンから目が離せなくなっていた。淡々とマイペースに過ごす彼女は見ていて苛々する。どうしてそんな風に思うのか、自分でも分からず戸惑いながらもノアは自分の使命を遂行することにした。「コッペルさん、男子に宿題見せたでしょ!」「宿題? ……ああ、読書感想文だったから見せたんだよ。多少書き方を参考にさせただけだって」「……で、でも、それでも宿題は一人でやるものよ」「うーん、確かに甘やかしすぎた……かな? 次から気をつけるよ、レイニーさん」「コッペルさん! 早く着替えて、もう皆着替えて外行っちゃったわよ!」「あ。ほんとだ。気付かなかった……あ、わざわざ教えに来てくれてありがと」「……べ、別に学級委員だもの。それより早く来てよね!」「分かった」「コッペルさん!」「ん? 何?」「何じゃないでしょ! 調理実習の時に本を読むなんて非常識にも……!」「レイニーさん、これ料理本。私見ないと分かんないから」「……ご、ごめんなさい」「お、おかしいわ……これじゃあ私の方が問題児じゃない……」 放課後の教室で突っ伏しながらふるふると震えるノア。いつもならピンと張っているくせっ毛までどこか萎びれている。もう既に他のクラスメート達は帰ってしまって空は夕焼けで真っ赤に染まっていたが、自分の不甲斐なさにノアはずっと臥せっていたのだ。恥ずかしすぎて顔も上げられなかった。「どれもこれもコッペルさんのせいよ。私が注意してるのにあんな平気な顔で……平気な顔で、言う事聞いてくれて」 言葉が自然と鈍くなる。ノアの注意をそのまま受け止めてくれた人など、久しぶりだった為だ。大抵は迷惑そうな顔をしながら謝り、酷い相手になると真正面から罵倒を返された。思い出すと涙が零れ落ちそうになる。しかし、ノアはそれを堪えた。泣いた時点で間違った人間に負けを認める事になると思ったからだ。「ああ、いたいた。レイニーさん」「ぴっ!?」 誰もいない筈の教室で、突然声を掛けられてノアは飛び上がった。慌てて振り向けばそこにはアイリーン・コッペル、最近の彼女の悩みの種が教室の入り口に立っていた。きちんと教室の扉を閉めておけば開けた時に気付いた筈だが、どうやら閉め忘れていたらしい。ノア・レイニー痛恨のミスである。放課後の教室で一人佇んでいたのを見られるなんて恥ずかしい……もとい、何か悪戯しようとしていると勘違いされても仕方ないシチュエーションだ。難癖を付けられては溜まらないと言い訳を口にしようとしたノアだったが、「はい、これ」 ノアが何かする前にアイリーンがノートを差し出してきた。反射的に受け取って渡されたそれに目を落とすと、それはノア自身のノートだった。家庭科のノート……今日の調理実習の際に忘れてきてしまったのだろう。『不覚……!』とノアは唇を噛んだ。よりにもよって最大の敵にしてライバルの少女にこんな凡ミスを晒してしまったのだから当然である。 が、当のアイリーンは歯牙にも欠けず、ノアの失敗を指摘する事も、お礼を言わせることもしようとせずに手を軽く上げて去ろうとする。……ノアの手が、ぎゅっと握られた。「ま、待ちなさいよっ! アイリーン・コッペル!」「はい? 何か用?」「私なんて……気に留める必要もないって訳!? それ余裕のつもり!?」「あー……えーと?」「頭良いくせに、みんなのズルも注意しないでへらへら合わせて! ずるいっ、な、何様の……つもりよっ!! ずるいずるいずるい!」 ノアの頭の中はぐちゃぐちゃだった。自分が何を言っているのかも良く分からない。ただ分かっているのはずっと流すまいと思っていた涙が頬を伝って零れ落ちているということだけ。泣かされた、それが悔しくて悲しくて。目の前のアイリーンに、感情をそのままぶちまけた。 ……ぽかん、と口を開けてその様子を見ていたアイリーンは、やがて決まり悪げに苦笑した。必死に涙を隠そうと服の裾で涙を何度も拭うノアの頭に、ぽんと暖かい手が乗せられた。「ごめんね、ノアちゃん」「……ぐずっ、訳もわかってないくせにっ、謝ってんじゃっ、ないわよっ」「何か私が怒らせるようなことしたんでしょ? ノアちゃんはいつも注意してくれるじゃない」「迷惑だって……余計なお世話だって……思ってるくせにっ!」「……なるほど」「何がなるほ……っ!?」 夕暮れで真っ赤に染まる教室で、泣きじゃくる金髪の少女が同い年の少女の胸に抱きしめられていた。胸に掻き抱くように、優しくぽんぽんと小さな頭を叩いて。「良くやってるよ、君は。感心する」「……嘘、私のことなんて、ちっとも見てないくせに」「そんなことはないさ。今日だっていっぱい注意してくれただろ?」「注意したって、皆嫌がるだけだもんっ、私、間違ってないのにっ」「ああ、間違ってない。間違ってる人間にそれを指摘してやるのは親切だよ。ノアちゃんは正しいことをしてる。でもね」 大人びた……ともすれば成人男性のような口調で優しくアイリーンはノアに語り掛けてくる。ノアの不満を聞いて、それを一つ一つ噛み砕くようにして答えを返しながら。「叱るのも大事だけど、褒めるのも大事なことなんだよ。失敗ばっかり挙げられたら、ノアちゃんだって嫌だろう?」「……うん」「クラスのみんなだって同じさ。失敗ばっかりを責めるんじゃなくて、みんなの良い所に顔を向けなきゃ……ね?」「良い所……」 良い所。そんなの、ノアは考えたこともなかった。親の言う通り、先生の言う通りに周りにも間違ったことはさせないとノアは頑張ってきた。でも、間違ってないことが良い所じゃないとアイリーンは言う。「……コッペルさんの良い所は頭が良いこと?」「うぐ、人格とまた関係ない所に来たな……せめて頭が柔軟だと言ってくれ」「そんなの、知らない」「そこで否定かよ。……まあ、俺、ごほん、私のことはともかくとして。たとえばクラス前列の騒がしい馬鹿男子いるだろ?」「レイン君のこと?」「そうそう、そのレイン君。くっだらないギャグしか言わないし、授業中うるさいし、廊下を走る所か滑るし……」「コッペルさん……悪口になってるわよ」「おっとっと。まあ、あいつにも良い所はある。知ってるか? この前ペットが死んじゃって泣いてる女子を笑わせようと目の前で裸踊りしたんだ」「良い所じゃないじゃない!?」「でも、その子は笑ったよ。私はそっとしておくしかないって思ってたのにね」 ノアは同級生の胸から顔を上げて、アイリーンの顔を見た。楽しそうに笑っている。何故だか頬が熱くなっていくのをノアは自覚した。でも、目が離せない。「そう考えれば、少しは普段の馬鹿も許してやれる気になれるだろ?」「……でも、間違ってる事は、間違ってる」「そこがノアちゃんの良い所だ。本人の為にもビシバシ言ってやると良い。それも立派な優しさだ」「私の……良い所」「ノアちゃんには分からないかもしれないけど、そうやって間違ってる事を間違ってるって言うのは難しいよ。本当にね。そして……必要な事でもある」 アイリーンはまるで母親のような慈悲に溢れた優しい表情を浮かべると、もう一度ノアの頭を抱きしめた。背中を優しく撫でられるとせっかく止まった涙がまた出そうになる。「大丈夫。分かる人はちゃんと分かってくれるよ。ノアちゃんは良い子だって」「……うぐっ」「私ももちろん分かってる。それに個人的に好きだな、そういうはっきり言える子は」「……うあ、あ、わああああんっ」 ダメだった。もうノアには耐えられなかった。こうやって自分の行いを全部認めてもらったのなんていつ以来だろう? あれだけ敵視していた同級生の身体はとても温かくて。服を汚しちゃうのはちょっと悪いな、なんて頭の片隅で思いながらも、顔を彼女の胸に埋めて遠慮せずに声を上げてノアは泣いた。「か、勘違いしないでよねっ、私あんたのこと好きでも何でもないんだからっ……?」「そうそう、さすがノアちゃん。似合ってる」「……この台詞、何もかも間違えてる気がするわ。アイリーン、本当にこんなの流行ってるの?」「今もまだ流行ってるかは知らない」「ツンデレは流行りだって言ったのはアイリーンでしょうがっ!?」 そんな馬鹿なやりとりが、いつしかノアにとって当たり前になっていた。休み時間に教室で騒ぐ生徒の気持ちが分かる……堕落したな、と6才の少女はちょっぴり大人びた感慨を抱いた。 しかし、まあ「あ、こらそこの男子達! 宿題写すなんて許さないわよっ!」「げっ、自称学級委員長のノア!?」「自称じゃないっ!!」 間違っている事は、やっぱり許せないノアだった。■■後書き■■この作品はオリキャラが大変に多く登場します。そうい(ry番外編その2。番外編はわざと雰囲気を変えさせて頂いています。いいんちょと呼ばれない委員長は好きですか?はい、報われないキャラは大好きです。ツ、ツンデレが気に入ってるって訳じゃないんだからねっ。