右腕骨折、頭部に裂傷、肋骨には数本ヒビが入っており、踏み外した左足は重度の捻挫。擦り傷切り傷も加えたら数え切れないほど。ついでに、雨に濡れたせいで軽い風邪を引いて疲労困憊での衰弱のおまけ付き。それが俺に下された診断だった。全治三週間だそうな。魔法を使ってこの数字なので、本気で重傷人である。 当然、今回ばかりは笑って許してくれる筈もなく。「辞めさせますっ! 絶っっっ対っ! 仕事なんて辞めさせるからね!」「だから、これは仕事のせいじゃなくて……」「嘘っ! アイ、嘘付いてる!! 足元がおぼつかなるぐらい仕事で疲れていたんでしょう!?」「あー、もう、だから……ごめんなさい……」「……うぅーっっ!」 地球の病院に担ぎ込まれた俺は一晩海鳴の地で過ごし、それからミッドチルダ市内の病院に転院した(隊長の身内の伝手でわざわざ事情に明るい医者を用意してくれたらしく、スムーズに転院出来た)。連絡を受けて駆けつけてきたマリエルは、それからずっと付きっ切り。包帯塗れの俺の姿に、泣き崩れるわ、怒り出すわ、宥めるのが大変だった。いやまあ、絶対に安全だと説明した出張先で娘が重傷を負って帰ってくれば、まともな親なら当たり前の反応である。 ……事情は、もう話すべきなんだと思う。マリエルだけじゃない、俺は今回知り合いという知り合い全てに多大な迷惑と心配を掛けた。だというのに、そうなった訳を説明しないのは俺に向けられた親愛への裏切り行為と言っていい。もっとも、その前から裏切っていなかったかと聞かれると、首を横に振らざるを得ないのだが。 だが、しかし。結局俺は誤魔化した。俺自身気持ちが整理し切れていないというのが一つ。本当の事を説明して信じて貰えるか、信じた所で拒否されたり嫌悪されたりしないかという不安が一つ。そして、何故”俺”がもう一人いたのか、何故俺がアイリーンとして生まれたのか。結局何も分かっていないということだ。あれは偽物で、俺こそが本物である、とはもう自信を持って言えやしない。その可能性もゼロではないだろうが、正直低いと踏んでいた。本物の”俺”がマリエルの子供に転生したというよりは、やはりアイリーンが何故か”俺”の記憶を持ってしまっていると考える方が納得出来る。子供に記憶を植え付ける=大人の人格が芽生えるか、というのも怪しい話だけれど。何者かが”俺”を転生させた上で、本物そっくりの偽物を元の場所に住まわせるなんて話に無理がありすぎた。 どうにかして調べる必要がある。しかし、事が魔法世界も真っ青な超常現象だ。警察でも探偵でも、ましてや霊能力者でもない俺に到底突き止められるとも思えない。 悩みに悩んで悩み抜いた挙句、俺は第三者の協力を仰ぐことにした。「只者やとは思ってなかったけど、ねぇ?」「……全部、正直に話しましたよ」「いや、うん、実に無形滑稽な話やったってのはこの際横に置いとこ。ただ……それってつまり、ぜぇんぶ私に問題を丸投げするっちゅうことやよねぇぇぇーっっ!?」「ごめんなさい、貴女しか頼れそうな人間がいなかったんです」 絶叫を上げたのは我らが小狸部隊長ヤガミ・ハヤテその人である。一拍置いて頭を抱えて絶叫するそのオーバーリアクションっぷりはさすが関西人。そういえば、翻訳魔法の誤訳ではなく、まんま関西弁喋ってたんだな。大阪だか名古屋だかは区別付かないけど。「私、こう見えても偉い人なんやで? こそこそ人目を忍んで部下に会いに来なきゃいかんような後ろめたいことは何一つした覚えないんですけど?」「なんか間男みたいでちょっと格好良いですね」「格好悪いの間違いやろがぁぁ!! せめて間女! それも嫌やけど!!」 マリエルが着替えを取りに家に帰った隙にこっそり連絡して来てもらったのだが、それが酷く癇に障ったらしい。しかしまったくもって部隊長の言う通り、悪いのは全て俺で。持ち込んだ問題も全て俺の事情で、末端の部下であるということ以外何の繋がりもないヤガミ部隊長に頼ろうとするのは筋違いも良い話だろう。それでも、俺は彼女に頼むしかないと踏んで全てを打ち明けたのだ。俺の推測、見た事実、知っていることを含めて、全部。 その上で、ベッドの上で深々と頭を下げた。脇腹が痛んだが、この際無視する。「お願いします、協力して下さい。正式な局員になって部下になれと言うならなります。”陸”に対するスパイをしろというならします。個人的なパシリでも良いです。……助けて下さい」「……どうしてアイリーンはそう急に真面目になるかなぁ。ずるいんちゃう? 痩せても枯れてもこの八神はやて、部下の弱みに付け込む真似はせえへんよ」「……ありがとう、ございます」「もう……泣かれるとこっちが困るわ。涙拭き」 差し出されたハンカチを受け取って、目元を拭う。どうも、心が不安定になっているのは継続中のようだ。涙脆くなって困る。洗って返しますとハンカチを仕舞おうとすると、変な気遣いするなと引っ手繰られてしまった。善人だとは思っていたけれど、予想以上に人が良い。いや、もうこれはお人好しの領域だ。もちろん悪くなんて思ってない。心底、ありがたかった。 マリエルとクロエ、すなわちアイリーンの……今の俺の両親に真実を告げるのが、怖い。自分の子供に他人の人格が入っていた、しかもずっと赤ん坊の頃からずっと子供の演技で騙していたなんて俺ならぞっとする。マリエルとクロエが、善良な人間だということは知っている。もしかしたら、”俺”を受け入れてくれるかもしれないなんて、期待を抱いてしまう。 だけど、もし万が一。あの人達に拒絶されたら。本当の子供を返せ、そう言われてしまったら。俺は、あの人達にどう償えばいいのだろう? 俺はアイリーンで、たまたま”俺”の記憶を持っていただけだと、つい先日まで信じていたことと真逆のことを訴えるのか? そんなこと出来る訳がない。背筋に氷を入れられたような悪寒が走る。考えただけで、体が震えて止まらなくなる。……今の俺に、マリエル達に本当のことを告げる勇気はなかった。 しかし、そうすると協力して貰える人物は極端に少なくなってしまう。スバルちゃんに、ギンガ。それにティアナさんにキャロちゃん。それと、エリオ。信じて貰えるかは微妙だが、この5人は拒絶はしないと思う。ずっと子供の皮を被っていた両親達への対応と比べて、彼らとは限りなく素で接してきた。肉親ではない、血は繋がっていない、両親に比べれば少し離れた距離にいる彼女らには言って良いかもしれない。そう思う程度には信頼している。ただ、そんな事実を伝えて戸惑うのは確かだろうし、何より伝える意味がない。彼女達だと、俺と出来ることは大差ないのだ。無駄に混乱させるだけ、何よりあの四人は今大事な時期だ。邪魔するのは避けたい。 それで、残りの伝手となると、六課の隊長達、ゲンヤさん、レジアスのおっさんに開発チームの元同僚となるのだが……。「あんまり近すぎる人間は拒絶された時が怖い。かといって拒絶しない人間は子供ばっかりで、頼ってもどうしようもない。だから、とりあえず今の上司で、その辺権力もあって融通の効きそうな私に頼ったー……と」「……平たく言えば」「あー、はいはい。なのはちゃんやヴィータと比べると大して仲良い訳でもないもんねー。まだリインやグリフィスくんの方が書類のやり取りや打ち合わせで、話してるぐらいで……ぐすん、あれ、なんや。雨でも降ってきたかなぁ?」「すみません、その小芝居は要らないです」「やかましいわっ!! 怪我人やからといって優しゅうして貰えると思わんことやなぁ!」「ひはぁぁぁ!? ほ、ほんひへ、ふねっは、このひほ!?(いたぁぁぁ!? ほ、本気で抓ったこの人!?)」 頬を本気で引っ張られて、痛みに悶えることになったが。まあ、それは俺が調子に乗りすぎたからだ。甘んじて受け取ることにする。じゃれる事少し、マリエルが家と病院を往復するのに3時間弱しかないので、ほどほどに切り上げて貰って、本題に入ることにする。「まあ、協力することはかまへんよ。ただ、今は機動六課の大事な時期やし……」「はい、別に今すぐ一秒でも早くって訳ではないですので。……どうせ戻れる訳じゃないです、し」「う゛っ。また目が虚ろになってきとるよ? 元気出し。ほーら、深呼吸深呼吸」「だ、大丈夫です。……ヤガミ部隊長に頼みたいのは、俺の記憶と”俺”八重喜一が本当に同じか。十年前八重喜一に何かあったのか、調べて欲しいんです」「……わかった。管理外世界のことやから、少し時間掛かると思うけど。調べておくわ」 ”俺”の記憶が単なる妄想ではないか。妄想でないなら、何故こんなことになってしまったのか、俺はどうしても知りたかった。もう俺は、”俺”に戻ることなんて出来ないのだろう。だけど、理由を知らないと俺は前に進めない。この記憶が例え偽物でも、俺にとっては大事な過去なのだ。全部忘れて、能天気にアイリーンとして生きることなんて絶対に出来やしない。 それに、拘る理由はもう一つあった。真剣な表情で頷くヤガミ部隊長に、追加の注文を付ける。「それと……十年前マリエルがどうしていたか、それもお願いします」「アイリーン、今9歳やったっけ?」「……はい。妊娠期間も考えると、ほとんど時系列に差がないんです」 神様の気まぐれなどでなければ、何かしらの原因がある筈。マリエルの出身が地球だったというのも、気になった。マリエルの毛髪もアイリーンと同じ淡い青色だから、純粋な地球人って訳ではないのだろうけど。それでも、地球人であった”俺”と何らかの繋がりがあったのかもしれない。「自分で調べられれば良いんでしょうけど。俺には伝手がありませんし、直接行くのはもう無理だと思います。事故、起こしちゃいましたからね」「まあ……そやろな。私も許可は出せん」「我ながら胡散臭い話だと思ってます。性質の悪い悪戯と疑っても当然だと、思います。……でも、お願いします。俺にはヤガミ部隊長に頼むしかないんです」「……はぁ。海鳴のことはアイリーンが覚えている限り聞いたし、その範囲では少なくとも間違った箇所はない。疑ったりしとらんよ? こんなことでつまらない冗談を言う人間なんて思っとらんしね」「でも……」「でもやない。……今、アイリーンは混乱して、頭ん中ぐちゃぐちゃになって自分を信じられなくなってしまっとるだけや。そりゃあ、私から見ればアイリーンはアイリーンでしかないから、今更八重さんやー言われても実感なんかあらへんよ? でも」 ヤガミ部隊長の手が、そっと俺の頭の上に置かれる。頭には包帯が巻かれているので、頭頂部だけではあるが。小さく、優しく、その手が撫でて。ちょっと屈み込んだヤガミ部隊長は俺の顔を覗き込んで、視線を合わせると優しい笑みを浮かべた。まだ20にもなっていないのに、まるで母親みたいな母性を感じさせる笑顔で、何度も優しく、頭を撫でて。「自分を信じてやり。アイリーンの中の八重さんを知っとるのは他ならぬアイリーンだけなんやから。最後まで信じてやらんと八重さんが可哀想や」「……はい」「納得したら元気出すっ。ほれ、いつまでも落ち込んどったら治るもんも治らんよ」 部隊長の手が背中を叩く。身体は相変わらずあちこち痛くて、軽く叩かれた衝撃で痛みも走ったが。それでも、肩の荷が少し軽くなったような気がする。ずっと鎖で縛り付けられていたかのような胃の重さも和らぎ、微笑む彼女に笑みを返すことが出来た。 ……あー、そうか。よく考えたら、初めてなんだ。俺はアイリーンとして過ごす生活の中で、多かれ少なかれ演技をしていた。それは一番素に近い口調で喋っていたエリオにでさえそうだ。アイリーンになってからの九年間、”俺”として会話したことは、一度足りともなかったのである。ヤガミ部隊長には全部話したのだ、演技する必要はない。そりゃあ、気分も軽くなるだろう。「……ん? どうしたん? 私の顔凝視して」「え、いや、なんでも。気にしないで下さい」「そない言うても気になるにきまっとるやん。……あー! さてはうちに惚れたな? 中身は男の人やもんねぇ」「……うーん、顔は良いんですけど。ちょっとボリュームが」「ぐふぅっ!! まさかのマジレス……こ、言葉のボディブローとはやるやないか。恩を仇で返すとはこのことか……! やっぱ、おっぱいか! おっぱいがないとあかんか!?」「まあ、端的にいうと、はい」「YESとな!? ……ぐぐぐっ、なのはちゃんか? フェイトちゃんか? それともシグナムのわがままおっぱいぐらいないと満足できへんのか!?」「尻も足らないので、もっと食った方が良いですよ」「そしてさらに追撃のダメ出し!? ちゅーか、尻てエロオヤジかいな! ええいっ、自分こそちっぱいの癖にっ!」「ちょっ、さ、触らないで下さいよ!?」 その後は手をわきわきとさせながら近付いてくる部隊長とベッドの上で取っ組み合いになり、何故かおっぱいの形と尻のラインどちらの方が魅力的か言い争いに発展して、最終的に騒ぎを聞きつけた看護師さんにお説教と随分愉快な時間を送ることとなった。胸が足りないからこだわりがあるのかと思ったのだが、揉み心地まで追求するとはお前の方こそエロオヤジか。元男の精神年齢三十路越えと下ネタで五分に語り合えるって、女としてどうなんだろう? ヤガミ部隊長も実は元男なんじゃないのかと本気で疑ってしまった。なんせ、俺の胸を揉む手つきが凄くいやらしかった。部隊長曰く、大きくなる見込みはあるらしい。余計なお世話である。 という訳で。という訳で! お仕事である!! なんだか随分長い事、具体的には一年半ぐらい魔法構成のお仕事をしてなかった錯覚に囚われるが、実際の所は入院生活を始めて三日間。その三日間で俺はギブアップした。入院生活が退屈で、息苦しいのもあるが、魔法を弄っていないとどうにも落ち着かないのだ。見事なまでのワーカーホリックである。まあ、思いきり趣味なので、仕事依存とはちょっと違うかもしれない。 機動六課の方も忙しいのか、ヤガミ部隊長と会って以来、誰とも顔を会わせていない。事故の原因を「散歩中に足を滑らせた。反省はしている」で押し通した為、凄く顔を合わせ辛いので助かったことは助かったんだが。まず突撃してきそうなスバルちゃんや静かに激怒していたタカマチ隊長までもが来ない所を見ると、意外とヤガミ部隊長が上手いこと説得してくれたのかもしれない。 そしてそのヤガミ部隊長経由で転送してもらったデータに目を通す。俺が入院している間も、新人達の訓練は当然続いており、いつものようにその訓練データのチェックをしていた俺は小さく溜息を吐いた。新人フォワード陣全体の調子が若干、いやはっきり言ってかなり悪い。もしかして、これは俺の事件の影響が関係しているのだろうか? 履歴を見るからに出張先から戻った次の日の訓練データだ。映像データは今ちょっと確認することができないのだが、それでも軒並み結果が振るわないのが如実に数値として現れてしまっている。ぬぬぬ、ほんと迷惑掛けてるんだなぁ……。まあ、退院してから土下座はするとして、今は仕事の方を優先しよう。まだまだ精神が不安定だし、深く考えたら気分が落ち込んで戻ってこれる自信がない。気にしなーい気にしなーい、と自己暗示でもしてみる。うん、ちょっと胃が痛くなった。 それはさておき。既存魔法は隊長達と打ち合わせしないとどうしようもないから良いとして、空中歩行魔法『フリーウォーク』の修正は急務だ。新人全員が使い始めたので、蓄積データから粗がぽろぽろ出てきている。特に酷いのはウイングロードと噛み合せて使っているスバルちゃんのデータだ。とにかく正式配備前に緊急停止してしまいそうなエラーは必死こいて潰したので致命的なエラーこそ起こってないが、エネルギーのロスはかなり出ている。フリーウォーク使用前に比べれば、加速度も最高速も格段に上がってはいる。が、肝心の初速で噛み合わせの悪さからもたつきが出てしまっていた。これでは当初予定していた数値には程遠い。加速開始時前へ向かう筈のベクトルが乱れて無駄なエネルギーが生じ、もたつきという形で現れているのだろう。思えば、スバルちゃんが全力加速でぶっ飛んだのも、この辺に原因があるに違いない。理論上、フリーウォークは100%ベクトルを加速に変換出来る筈なのだから、もっと上が目指せる筈だ。 しかし、ある程度使用者に会わせてセッティングを変えることは想定していたが、四人が四人とも見事に使用目的が異なっていた。 エリオは自身の俊敏さと機動性を上げる為に走り出し、カーブ、急ブレーキ、Uターンなど、相変わらず小器用に扱っている。元々ストラーダは突撃槍だし、フリーウォークとの相性が良いのだろう。速さは強さを地をで行っている。一方で同じ前衛のスバルちゃんはウイングロードの捻り・上下反転、壁走りなどのバリエーションを増やし、加速・減速についてもジェットローラーの急加速Gや敵目標との激突の衝撃を打ち消す事を主に使っていた。後者についてはフリーウォークの雛形でもある加重軽減魔法でもやっていたことなので、同じ感覚で使っているのだろう。 ティアナさんは要所要所の移動に使っているが、移動しながらの射撃などでは使いこなせていない為、今までのように普通に走って移動することも多い。もっぱら建物の屋上を移動する時やコンクリートの残骸が散らばった足場など、悪路を踏破しなければならない時に使用頻度が高いようだ。まさしく飛行魔法の代用品と言える使い方だ。 そういう意味じゃ、一番俺の想定していた用途で使いこなしているのはキャロちゃんだ。魔導師としては竜召喚士という分類の彼女だが、肝心のフリードの制御が甘いので味方を増幅魔法で援護していることの方が多い。なので、いざという時は逃げに徹するせいか、毎回フリーウォークで敵の射程からあっという間に離脱している。特に、タカマチ隊長の砲撃・誘導弾乱れ撃ちを振り切ったのは賞賛に値するだろう。 構成のダイエットを計りながら、思考を巡らせる。初速や加速度についてはバグ取りをしつつ、実践データで少しずつ精度を上げていくしかない。また新しい物理の本でも買って、勉強するか。一生勉強を続けなくちゃならない職種とはいえ、学校を卒業してからも小難しい勉学に縁があるのは正直結構きつい。うーむ、専門学校で情報技術オンリーじゃなくて、ちゃんと大学行くべきだったかもしれない。……いや、まあ、偽物かもしれない俺が後悔することじゃないのかもしれないけれど。 そういえば、ヴィータ副隊長に古代ベルカ式、ひいてはヴィータ副隊長用のカスタマイズを頼まれていたな。古代ベルカ式へのコンバートはどうせ最初から作るような物だし、専用として一から組み立ててみるのはありかもしれない。新人四人が使ってる魔法は設定を変えているだけであくまで同じ代物だ。将来的には俺の手を離れて、不特定多数の人間が使うことも想定しているので、設定もかなり簡単、言ってしまえばかなりアバウトな作りをしている。だからここは、一度番外の試作品ということで専用フリーウォークを作り。性能を特化させて、取れたデータを正式採用の標準型にフィードバックさせる。テストも兼ねているので、流用はかなり楽だ。どうせ番外だ、最終的なバランスは考えずとも良い。ヴィータ副隊長は安定し切った戦い方から脱却して強さを求めているのだし、そういう意味でもやる価値はある。おお、なんかいける気がして来たぞ。ただまあ、それをやるならもう1、2タイプぐらい違う特化型が欲しい。全部ヴィータ副隊長にやらせるのは無理があるし、影響されやすい成長途中の新人ではなく、完成された隊長陣の中から協力者を募って……。「アイ、お腹空いてない? 何か買ってこようか?」「んー、甘い物が良いな。アイスとか」「冷たいのは身体に障るからダメよ。ゼリーやプリンで良い?」「うん、それでいいよ」 マリエルの唐突とも言える言葉に、俺は淀みなく答えを返す。仕事をしていても、マルチタスクでこの通り四六時中張り付くマリエル対策もばっちりである。網膜モニターなんて、趣味で作っていた代物だがこの通り役に立った。備えあれば嬉しいな、っと。ふはははは、はぁ。 そうなのである。入院してから三日間、マリエルの手厚い看護は緩むどころかどんどんきつくなっていた。重い怪我は魔法で癒されているし、痛み止めの点滴を打っているので、歩くぐらいなら問題ない。しかし、マリエルは俺が身を起こそうとするだけで大騒ぎし、トイレに立とうとすると尿瓶まで用意してくる始末だ。もちろん、それは必死の懇願で断ったが、付き添い見られながらのトイレという恥辱を味わう羽目になった。当然、仕事なんて許して貰える筈もないので、作業はバレないよう行っている。シーツの下に隠し持ったソーセキで網膜に画像を投影をする形で、思念操作で作業しているのだ。 真正面から目を合わせると網膜モニターの光でバレてしまうので、マリエルとはまともに視線を合わせていない。下の売店に買い物に行く為部屋を出て行った背中を見送ると、俺は深々と溜息を吐いた。……どうも、マリエルと接しにくい。ほんの数日前まではちゃんと母さんと呼べていたのに、口に出して呼べなくなってしまっていた。たぶん、原因は罪悪感だ。今までちゃんと相手にしてこなかった、薄っぺらな演技で騙してきた。そして今も嘘を吐き続けていることに対しての罪悪感。入院している時ぐらい休んだって罰は当たらないのに、それでもなお仕事を続けているのは、マリエルと二人きりの会話に耐え切れないからというのも一因であった。 ようやく一人になれた俺は胸を撫で下ろす。マリエルが悪い訳じゃない。悪いのは、全部俺だ。今まで嘘を吐いていたのが悪い。今もなお嘘を吐き続けているのが悪い。本当のことを告白する勇気を絞り出せない俺が悪い。胃が軋む、頭が痛い。左手に握っていたソーセキをシーツの下から取り出した俺は、頭を抱えて蹲る。「なんとかならないかなぁ、ソーセキ」「【知りません】」「……えっ?」「【私はマスターに置いていかれたので、事情を知りません。なので、お答え出来ません】」「……も、もしもし。ソーセキさん?」「【なんでしょう、マスターアイリーン】」「もしかして……放置していったの、怒ってます?」「【私は機械なので怒るという感情を持ち得ません。どうぞ、仕事を続けて下さい】」「明らかに怒ってらっしゃる!?」 ちゃんと網膜モニターにデータは映し続けているし、命令した仕事はきっちりこなしてしてくれているのだが。いつもは親身になって相談に乗ってくれるソーセキの反抗に、俺はショックを覚えた。こ、こんな所にも心配を掛けて怒っている人物(?)がいたとは。クロエから誕生日プレゼントして貰って以来、メンテ以外で手放したことなどなかったので、ソーセキの方こそショックだったのかもしれない。 金属製の兎型キーホルダー、手の中に握り締めていたそれを見下ろすと、兎の目に嵌め込まれていた小さな青い宝石がきらりと光る。というか。「ヤガミ部隊長と話してた時いたんだから、事情は知ってるだろ?」「【マスターの大事な秘密のようですので、ログを残さないよう遮断していました】」「ああ、メンテで記憶領域を洗いざらいなんてやらないだろうけど、やろうと思えば出来るしな……って、なんかムキになってないか?」「【なっていません】」「いや、なってるだろ」「【なっていません】 しかも、すげえ頑固である。この頭の固さはデバイスだからではなく、ソーセキ個人の性格なのだと最近になってようやく気付いた。ソーセキとはもう6年近い付き合いになるのに、未だに把握し切れていなかった事があったのかと少々考えさせられる。そう、ソーセキにだって、俺は”俺”のことを話さなかった。ログが残るからとか、教える必要がなかったからとか、理由はそんな単純な物だ。……でも、話さなかった。信頼を裏切った。それは、両親にした裏切りと……同一の物ではないだろうか? 網膜モニターを終了させると、俺はシーツの上に待機フォルムのソーセキを置いた。汚れなどはフォルムを変える度に自動洗浄してしまうので付いていない。滑らかな金属のラインを指で撫でながら、俺は声を絞り出した。「悪い。もう、置いてかない。許してくれ」「【マスター、デバイスの私に謝る必要はありません】」「必要はある。ちゃんとソーセキに協力して貰えないと困る」「【私はきちんと仕事をしています】」「……意地悪言わないでくれよ」「【意地悪なんてしていません】」「泣くぞ」「【……それは困ります】」 困るのか。ちょっと泣きが入っていただけに、本気で泣いてやろうかと思ったが。最近涙腺が弱いので、マリエルが戻ってくるまでに泣き止む自信がないのでやめておく。所詮デバイス、所詮AI。どんなにインテリジェントデバイスが高度なAIを詰んでいるからといって、人間ではない。……しかし、もしも今ソーセキとの絆が、いや、誰との絆だって一つでも壊れたら。きっと本当に大泣きしてしまう。”俺”という地盤が崩れて、子供みたいに不安定になっている。自己分析出来るぐらいなんだから、開き直れることが出来ればいいのに。それもちょっと現状では無理そうだ。視界が歪み、慌てて目を擦る。ソーセキを両手で握って胸に抱え込んで、何度も深呼吸を繰り返した。「【泣かないで下さい、マスター】」「……泣いてない」「【申し訳ありません。マスターの心を傷つけるなんて、デバイス失格です】」「……泣いてないって」「【私は貴方の味方です、マスター】」「知ってるよ……」 心が弱くなっている。本当に子供になってしまった気分だ。こんなにも心を乱してしまうのは、本物の”俺”じゃないからだろうか? 泣くなんて情けない、みっともない。三十路過ぎの男のすることじゃない。脳裏に、元の”俺”の姿が浮かぶ。おお、見苦しい見苦しい。ムサイ男が泣いて良いのは、親が死んだ時と好きな女に振られた時、それから財布を落とした時ぐらいだ。笑え。笑うんだ。「……ふぅ、ちょっと、落ち着いた」「【頑張りましたね、マスター】」「子供扱いは普通に傷付くからやめろ」「【了解です】」 なんだか疲れてしまって、ベッドに倒れ込む。もう今日は仕事を止めて不貞寝してしまおうか。そんなことを思い始めた時、廊下から誰かが歩いてくる足音がした。もうマリエルがデザートを買って帰ってきたのだろうか? まだ検診時間ではないし、俺の病室は個室なので、他の患者が帰ってきたってこともない。マリエルだろう。俺は慌ててシーツを被ると丸くなる。点滴で痛みは消えているので、寝返りを打つ程度は大丈夫だ。あんまり変な姿勢になると、後で酷そうだが。 ソーセキを抱えたまま、病室の扉から背を向けて寝た振りをする。もしかすれば、起こさないように帰ってくれるかも知れない。心配して来てくれている母親に酷い対応だが、どうしても今は話したくなかった。仮病なんてどれくらいぶりだろうか? 少なくとも、アイリーンになってからは初めてだ。 背後で、小さく扉の開く音がする。覗き込んでいる、のだろうか? 妙に後ろめたい気持ちになって、ソーセキを強く握り締める。ああ、もう俺はなんでこんな事をしているんだろうか。どうしようもなく情けない気分になり、もうこのまま本当に寝てしまおうと目を瞑ると、予想外の話し声が背後から聞こえてくる。「寝てる、みたいだね。どうしようっか、エリオくん」「うーん、今日は止めようか。体調悪化させちゃったら元も子もないし」「エ、エリオ!? ッ、あ、イッ、ぐっ……ふにぃ」 あんまりにも予想外過ぎて。思わず反射的に起き上がってしまった。痛み止めにも当然限界はある。肋骨に走った鋭い痛みに、呻きながらベッドの上で蹲る羽目になってしまった。扉の隙間から上下連なってみていたエリオとキャロちゃんがそんな俺を目を丸くして見ていて。二人はすぐに我に返ると、痛みで脂汗を流す俺の方へと駆け寄ってくる。 ああ、もう……本当に格好が付かない……今日は絶不調だ……。 魔法世界といえども、回復魔法でぱーっと治る訳ではなく、医学の一部として魔法が使われているので経過を見ながら治療を施していくのがミッドチルダでの標準治療だ。この前のことで右腕を骨折してしまっているのであるが、曲がらないように正しい形で固定した上で骨の繋がる速度を魔法で促進、補強しているらしい。ミッドチルダ式魔法にファンタジーな要素はほとんどなく、理論に基いて構築されてている一種の学問だ。当然、人体の仕組みを理解して、効率良い医療を目指していけば、地球の医科学に似通ってくるのも当然で。まあ、RPGよろしくその場で傷を治す回復魔法というのもない訳ではないけれど、体に負担となってしまうのできちんと治療出来る場ではじっくり本人の回復力に任せる方法が主流ということだ。本当に危ない傷は病院に運ばれてきた時に治してしまうし、痛みの方も薬でほとんど消えている。こうして入院して、回復魔法に頼らず自然治癒に任しているのも、そうした理由だ。 んで、何が言いたいかと言うと、だ。「さ、さっきのはたまたまだから。まだ骨はちゃんとくっ付いてないけど、それは腕だし。ちょっと歩くぐらいなら、松葉杖もあるから大丈夫なんだって」「ダメだよ、アイリーンちゃん。フリードも卵の頃からずっと、わたしがお世話してたんだよ。得意だから、わたしに任せて」「そうじゃなくて、自分でトイレぐらい行けるから……エリオ、キャロちゃんを止めてくれ」「見ませんからっ! 後ろ向いて耳塞いでますから!」「そこのエロ小僧! 100万歩譲って止めないなら、出てけっ!!」 尿瓶を片手に善意という名の押し売りを果たそうとキャロちゃん。勘弁してくれ。八つ当たりではなく正統な怒りを元に、部屋の隅で耳を塞いで蹲る馬鹿の後ろ頭にプラスチック製の尿瓶を思いきり叩き付けてやる。相変わらずデリカシーが著しく足りない。今回の場合、エリオのいる場所で尿瓶を使わせようとするキャロちゃんもキャロちゃんであるが。 普段はキャロちゃんの桃頭の上に居座っている子竜も、本日は病院なのでお留守番のようだ。訓練の合間を縫ってお見舞いに来てくれた二人は、缶ジュースを差し入れに持ってきてくれたり、お見舞いの花束を入れていた花瓶の水を入れ替えてくれたり、わいのわいのと賑やかにしながらも俺の世話を焼いてくれていた。先ほどの醜態を見られ、さらには石膏で固めた右腕や包帯でぐるぐる巻きになっている左足を確認した途端にこの熱心な世話焼きようだ。 竜と一緒に暮らすどこかの部族の出らしいキャロちゃんは、赤ん坊の竜の世話などに慣れているそうで、尿瓶を片手に迫ってきたという訳だ。さすがに動物と一緒にされたくない。というか、こんな小さな子に下のお世話になったら一生のトラウマ物だ。悪いが、全力で拒否させて頂く。「はぁ……トイレは良いから、さっきも行ったし。それより、二人とも訓練の方は順調? 一応データの方は貰ってるから、数値としては知ってるけど」「え、っと……はい。少し前からフェイトさんも僕達の教導に付き合ってくれてますから。成果は出てると思います。ね、キャロ」「う、うん。最近はわたしもフリードを元の姿に戻しても、制御出来るようになってきたし。皆強くなってるよ。ね、エリオくん」「だから、僕達のことは心配しないでちゃんと休んで下さいねっ」「いやまあ、入院してるんだから休んではいるけど……。じゃあ、竜魂召還とフリードリヒの自身の魔法もそろそろ見ておいた方が良さそうかな。召喚魔法は正直専門外なんだけど、フェイト隊長経由で詳しいこと書いてある書物も集めて取り寄せて貰ってるし。キャロちゃんにも貸して上げるから、勉強して行こうね」「べ……勉強かぁ……」 何故か笑みを引き攣らせるキャロちゃん。いやいや、別に構成の知識を叩き込もうって訳じゃないからね? キャロちゃんに見せるのは指南書の類だから。よほど普段の反省会兼勉強会がきつかったのだろうか? 物覚えがいいもんだから結構な詰め込みをしてしまっているが、もうちょっと手加減するべきかもしれない。 しかし、それにしても先ほどから二人の様子がおかしい。妙に歯切れが悪いというか、ことあるごとに二人で視線を合わせて、口にする言葉を選んでいるように見える。入院している俺に気を使っている? まあ、エリオには海鳴で狂乱っぷりを見せつけてしまったので、不本意ながら心配されるのは仕方ないのだろうが。それでも何か納得行かない。というか、こうして三人で話しているのに、アイコンタクトであからさまに内緒話されると正直気分が悪い。アイコンタクトだけじゃなく、実際念話で内緒話してるんじゃなかろうか。「……で?」「で? ってなんですか、藪から棒に。だからお見舞いに来たんですよ」「そうじゃなくて。何か隠してるだろ、二人とも」「えっ……い、いや、そ、そんなことないよね、キャロ!」「う、うん、そんなことないよ。ね、エリオくん」「嘘吐け、こらぁ!! さっきから何度目だ、その相槌の打ち合い!」「「ひぃっ!」」 うがーっ! と叫びながら両手を振り上げると、エリオとキャロちゃんが同じタイミング同じポーズで頭を抱えて縮こまった。そんなに俺が怖いか。いやまあ、両手を振り上げた動作でまた脇腹に痛みが走ったせいで、表情強張ってるかもしれんけど。 バレないよう慎重に両腕を下ろすと、一つ咳払いして二人の様子を改めて伺い見る。こうして見舞いに来てくれた以上、心配してくれているのは確かだろう。しかし、素直で腹芸が出来ない二人にしても、わざわざ見舞いに来たのにこの反応の鈍さはおかしい。ふむ、もしかして。「この間の件が問題になって、私がクビになったとか?」「なってませんよ!? 入院してる人にわざわざ言いに来るって僕達凄い鬼畜じゃないですかっ!」「じゃあ、エリオが遂にセクハラ問題で訴えられ」「ていませんっ! わざとじゃないって何度言わせるんですか!」「ってことは、六課で何か問題があったとか」「……そっ、そんなことな」「はい、ダウトー」「ああっ、しまった!?」 どうしてこいつはこう馬鹿正直なんだろう。隣で椅子から飛び上がって顕著に反応してくれるキャロちゃんもいたので、エリオが失言しなくてもカマ掛けは成功していたのだが。しかし、そこは子供でも女の方が強かなのか、目を泳がし脂汗をかいてまで必死に言い訳を考える馬鹿とは違い、キャロちゃんは小さく息を吐くとエリオの服の裾を摘んで軽く引いた。「エリオくん、やっぱりアイリーンちゃんに相談しようよ。わたし達じゃもうどうしたら良いか分からないし……」「で、でもっ、怪我をして入院までしてるアイリーンさんに、これ以上負担掛けるのは……!」「あー、いらない。エリオ、そういう気遣いいらないから。逆に腹立たしい。お前が私を心配するなんて、100年早い」 いや、ほんと。こういう時の男の見栄っ張りというか、無様さはちょっと悲しくなるぐらい情けない。しっしっと犬のように手で追い払ってやると、ヘタれる顔が余計にそう思わせる。まあ、元男として気持ちは分からないでもないが、先ほどイラっとさせてくれた件もあるし、エリオはスルーしよう。 キャロちゃんに視線を向けると、こちらの意図を汲んでくれたのか一つ頷いて話し始める。今現在、機動六課で何が起こっているのか。その問題の、始まりを。「実はね、この前ホテルで警備の仕事があったんだけど……」■■後書き■■この作品では原作イベントに顔を出さないで病院でごろごろ不貞寝しているのが主人公です。(ryという訳で、今回はこんな所で引き。次回はEXで別視点になる予定。それにしても相変わらず関西弁がわけわかめ。はやては好きなキャラなんですけどねぇ。