音が聞こえた。赤子が泣くような、けたたましい音。鉄の鐘をハンマーで叩く連続した音だった。
うるさい。おちおち寝てもいられない。
まだ眠い目をこすっては、散らかしっぱなしの漫画やゲームソフトをかき分けて目覚まし時計を止めた。ハンマーを真ん中に置き、その両側に鐘を置いた古めかしい時計だ。アラームタイプと違って、これで起きられないということはない。
ここは……。
清潔とは言えない汚れた布団。散乱した物。薄い壁。十畳一間の安い部屋だが、そのどれもが懐かしく思えた。
近くに、携帯を発見した。こんな端末をいじるのも久しぶりだ。2月27日、日付は合っている。しかし、年号は2009年のままだった。
帰ってきたのだ。自分の部屋に。
外を通る、いつもはうるさいと思うだけの車の音も、今はそれすら懐かしい。まだ、何年も離れていた訳じゃないのにも関わらずだ。
実験は、成功したのか? 香月博士の実験で、異世界へと飛んだはずだ。それが、戻ってきてしまったというのは、予定通りの場所なのか、それとも何か、知らない要因でも働いたのか、判別は付かなかった。
腕には、香月博士からもらったダサい腕時計があった。いや、時計じゃないか。腕輪、というには疑問が残る。腕時計でいいだろう。ともあれ、これがあるのなら帰れる。とりあえずは探し、ダメそうなら一端帰るのもありだろう。
考えをまとめ、灰皿の近くにあった煙草を見つけた。自分が愛用する銘柄、マルボルライト。金マルと呼ばれる煙草だ。一本咥え、火をつけ、煙を肺に落とすと、やはりこの味だと思った。向こうの煙草はどうにも荒い。味も、匂いもだ。この煙草がとりわけ繊細なんてことはないが、それでも吸いなれたものが一番だった。
時刻は12時。さて、どうやって探したものか。香月夕呼。この広い世界で、たった一人の人間を手がかりなしで探すのなんて、無理もいい所だった。せめて、活動範囲が限定される世界だったらよかった。しかし、この世界は自由がすぎる。行こうと思えば、金さえあればどこにだっていけてしまうのだ。
「……無理だろう、常識的に考えて」
白凌大なんてないのだ。ここで学校の教師をやっているとは考えづらかった。
とりあえずは腹ごしらえと、財布を探した。財布の中には二万と四千円。俺のいない間に一体誰が使ったのかと悩む。俺がいなくなった世界で、代替物が用意されるのなら、親への心配はないな、と思える。まあ、自分がいなくなった後など、悪いが知ったこっちゃないのだ。
服は普通の普段着だった。起きたそのまま、外に出ては自転車を探す。外観のボロい、いつ倒壊してもおかしくない二階建てのアパート。それを見上げ確認し、やはり自分の世界だと確信した。
自転車を走らせ、近くのハンバーガーショップへと移動した。ハンバーガーとポテト、コーラのセットに、単品でハンバーガー二つ。計三つのハンバーガーを買っては、それを前かごに入れて自転車を漕いだ。携帯が震え、電話を知らせた。ディスプレイを覗くと、佐々木ラーメンという名が浮かんでいる。バイト先だ。申し訳ないと思いつつ、携帯の電源をオフにした。今はそんな暇はないのだ。
自宅に戻ってすぐに、ハンバーガーを頬張った。この雑な味が最高だった。コーラも久しい。自分の生涯で、一番コーラをうまいと思った日だろう。
ポテトをかじりながら、暇だと思い、小さなテレビをつけて、チャンネルをブシテレビに合わせた。今は12時08分。『笑ってええよ!』がやってる時間だ。
テレビから視線を離し、音だけに耳を傾け、パソコンの電源を入れた。ネットで探してみるのは、第一歩だろう。
パソコンのうるさい駆動音に紛れて、テレビはお構いなしにトークを続ける。
『いやー、2年と3ヵ月ぶりですよね。お久しぶりです』
『お久しぶり。ツモリさん、少し痩せたんじゃないかしら』
コーラを飲みほし、外に目をやった。季節はまだ冬。この薄い壁じゃ寒気が筒抜けだと、着る服を探した。
『私ですか? いやーもうね、腹周りばかりに肉がついちゃって、大変ですよ。おかげでダイエット始めまして』
『あら、どんなダイエットですか?』
『いや、ほんの少し、移動を歩くようにしただけなんですけどね。その途中で面白い人がいたんですよ』
『どんな人だったんですか?』
セーターを見つけ、それを上から着た。下にもジャージを重ねて履いた。
『ちょっと無理して歩いちゃいましてね、さすがにバスに乗ろうと思ったんですよ。それでバスに乗ったら、その運転手、それがよく喋るんですよ』
『ああ、分かりますわ。時々いらっしゃいますね』
『いますよね。止まる時とか、バス停車しますとか、バス発進しますとか。人がたくさん乗ってるのならわかるんだけど、みんな座ってるのにそんなに喋られちゃ、逆にうるさくてしょうがないんだよね』
『ふふ、私も寝たいのにその声に邪魔されることがありますわ』
『そう、それで、バスが停車して、一人のお爺さんが降り口に立ってるんだよ。降りる訳でもなくて、そこに立ってるだけ。それで運転手が、聞くんだよ。どうしたんですか? って。お爺さんの声は聞こえなかったんだけど、運転手はマイクでしゃべってるから良く聞こえてさ。それで運転手が、八月町まで行きたいの? って言ったんだよ。それでお爺さんが頷いたんだけど、そしたら冷たく、八月町に行きたいならさっき座ってた席に戻って大人しくしててくださいねって言ったんだよ。その冷たい態度に思わず笑いそうになっちゃってさ』
八月町。近所じゃないか。ツモリはここら辺に住んでるのか?
『それで、八月町に着いたんだよ。私もそこで降りたんだけど、所がお爺さんが降りてこなくて。そのままバス行っちゃったんだよ』
『あら、何も言って差し上げなかったのですか?』
インターネットを開いて、とりあえず煙草をもう一本と思い、手に取った。火をつけて一服。
『いやあ、そんな暇なかったね。コウヅキさん、最近面白い人って会いました?』
途端、コーラを蹴とばしてしまった。だがそんなものは後回しだ。今、コウヅキって言ったぞ。
画面をみると、香月智呼に瓜二つの女性が、ツモリの横に座っていた。智呼がそのまま年をとったような、しかし智呼の年齢を考えるには若すぎる風貌。小皺が少しあり、その代わりに胸が智呼と比べて断然大きい。名前が書かれたプレートには、香月夕呼と書いてあった。
……夕呼先生、何してんですか。
呆気に取られては、テレビを凝視していた。探している人物は、こんなにも近くにいた。物理的には近くはないのだけども。
有名人なんて、どう接触したものだろう。今ブシテレビ局にいるとするのなら、その場にいけば会えるだろうか。とりあえずは行ってみようと思う。
できる限りの正装をして、家をでた。黒いスラックスに、黒いYシャツ。白のジャケット。……自分の服のセンスには自信などへったくれもない。
近場のコンビニ行って、いろいろと買い込んではバスに乗った。八月町からである。駅に向かってどうするかと、ビニール袋を提げたまま、考えた。
お台場にあるブシテレビ局。変な丸い球状の展望台らしき特徴的な外観をしたそれ。場所を案内板で確認し、向かうとすぐに発見できた。
あれを作ったコンセプトはなんだったんだろう。自分みたいな常人がいくら考えたところで、答えなんて出そうになかった。
時刻は12時48分。ぎりぎりだ。1時で生放送は終わる。それまでに潜入し、生放送終了とともに、接触しなくちゃいけない。別の場所に移動されたら探しようもないのだ。
正面口には警備員がいるだろう。なら、関係者通用口ならいけるだろうか。正面よりは警備が薄いかもしれない。
裏手に回り、地下駐車場のような場所に入った。車の出入り口に設置されたカメラと遮断バー、そしてそれを見張る警備員を掻い潜るため、柵代わりの植木を超えたのは、どうにも犯罪臭がしてならない。無論、犯罪なのだが。
薄暗い駐車場を進むと、社員が出入りしている裏口を発見した。ID確認もない、本当の裏口。
あそこから入ろう。
携帯の電源を入れ、ディスプレイを秒針付きの時計に変えた。大きな段ボールを抱えて運ぶ男に目をつけた。
裏口から離れたことを確認し、男の後をつける。どうやら車に荷物を積み込んでいるようだった。バンの後ろに段ボールを積み込んでは、大きなため息を漏らしていた。
「あといくつだ? 資材運ぶの一人でやらせるなよ、ったく」
その男に後ろから、静かに近づいた。素早く口を押さえ、携帯を背に強く押し当てた。
男は暴れたが、訓練兵として鍛えた自分には力で劣っていた。自分はそっと、「動くな、騒げば撃つぞ」と低い声で言った。携帯は銃のつもりだ。
男は抵抗をやめ、両手を上げて首を上下に振った。口を離し、その手で首をつかむ。
「笑ってええよの収録スタジオはどこだ」
「あ、あんたなんなんだ。こんなことして、ただで済むと思っ――」
男が話し終える前に、後頭部を携帯で殴った。うつ伏せに倒れた男を引っ張って立たせ、また後ろから男の首をつかみ、携帯を押し当てた。
「聞かれた事にだけ答えろ。収録スタジオの場所は?」
「よ、4階のAスタだ」
「ゲストの楽屋は?」
「ゲストは6階だ、た、頼む、乱暴はよしてくれ」
「香月夕呼の楽屋は?」
「そこまでは知らない! 頼む、ほんと――」
そこまで言った所で、首筋に思いっきり携帯で殴りつけた。男は意識を失ったようだった。それをバンに積み込んで、バンを閉めた。
どちらにいくか。そこまで考えて、初めて気づいた。ゲストは番組終了までいないじゃないか……。
しまった。失策だったか。それでも、とりあえずは楽屋まで行ってみようと決めた。香月夕呼の自宅を調べるよりは楽だろう。
携帯の時計を見ると、12時59分だった。教官に教わったことのまねごとでもしてみようと思う。秒針合わせ、57,58,59,作戦開始だ。
同時に裏口を全力で駆け抜けた。入って早々、数人とすれ違ったが、何事かと目をぱちくりするだけだった。現代人なんて、こんなものだ。
エレベーターを見つけ、呼びだした。ここはB1Fらしい。降りてきたエレベーターに乗り、6階のキーを押した。
順調に上がり、途中、4階で止まった。誰かが入ってくる。自分は背を伸ばし、エレベーターの隅に移動した。扉が開き、男が一人入ってきた。少し、いぶかしむように自分を見たが、特に問題はないようだった。この男、見覚えがある。ツモリだ。生ツモリだ。
「……お疲れ様です。ツモリさん、今日のゲストの香月さんって、もう帰っちゃったんですかね?」
「ああ、おつかれさん。香月さんなら、まだ楽屋じゃないかな。今日は後の仕事がないって言ってたよ。何のようなの?」
「いえ、彼女が落としたらしい物を拾ったので、届ようと」
「ああそう」
エレベーターは6階で止まり、二人して降りた。まだバレてはいないらしい。
「香月さんの楽屋ってどこですかね?」
「ここまっすぐ行ってつきあたりを右に、あとは名前探せば見つかるよ」
「ありがとうございます」
「所で君、どこの――」
「失礼します」
遮っては走った。危ない所だった。冷や汗なんてかいたのテロ事件以来だ。つきあたりを右に曲がり、部屋の扉に張られた紙を探した。
何人かの有名人の名前を素通りして、目的の名前を探す。あった、わらってええよ! トークゲスト、香月夕呼様。これだ。
3回ノックし、失礼しますと言って部屋に入った。
「……誰あんた」
目の前には、香月智呼そっくりの女性、香月夕呼本人だった。
「お初にお目にかかります。香月博士」
それだけしか言わずとも、夕呼は「ああ、なるほど」と言った。頭の回転は相変わらずらしい。
「誰の差し金? 連合のお偉いさんかしら?」
紺の女性用スーツをきた博士は、どこか気品を漂わせていた。腕を組み、楽屋のイスに腰掛けた姿は、イメージ通りそのまま。
「……あなたの娘さんからですよ」
「智呼から? ……また珍しい人からね」
驚きの表情を見せては、目を細めた。娘からが、というのはそんなに驚く事だろうか。
「それで、なんだって? まさか、戻って来いなんて言わないわよね? あの子、私のこと嫌ってたはずだし、それはないだろうけど」
「嫌っている? 何故そんなこと」
「母親らしいこと、何にもできなかったからね。嫌われて当然でしょ。最後に会った時は口もきいてくれなかったし」
まるでなんでもないことのように、あっけらかんと言って見せていた。
「……親子の関係がどんなものか知りませんけど、智呼さんは、会いたいと言いましたよ?」
「本当に?」
ずいぶんと疑り深いものだ。自分の娘のことだろうに。何も分からないのか。
「本当です。いくらなんでも、自分の娘でしょう。会いたいと思うのは当然じゃないですか」
「そう……そうね。そうかもしれないわね。あの子は今、どうしてるの?」
「あなたと同じ役職についてますよ。横浜基地副指令」
「あの子が? ずいぶんと背伸びしてるのね。どうせ狸おやじたちに担がれたんでしょ。考えそうなことよ」
鼻を鳴らして言うと、溜息をついては俯いた。
「……あの子、うまくやってる?」
「やってますよ。自分もずいぶん助けられました」
「そう。やれてるんだ。あの子。……軍隊とか、そういうのとは無縁でいてほしかったんだけどね。私は。ああ、鎧衣課長ね、唆したのは」
「いや、詳しい事は自分は知らないですけど。とにかく、早く戻りましょう。智呼さん、何か焦ってたんで」
「焦ってた? ……悪いけど、もう少し時間をちょうだい。必ずもどるから。もう少しだけ、お願い」
……ゲームの中とはずいぶんと印象が違う。夕呼先生ってこうも弱気な人間だったか。迷うなんて……。
「……分かりました。先に行きますよ」
そう言って、腕をまくり、腕輪タイプの装置を見た。腕に巻きつけてあった荷物入りのビニール袋も音をたててもちあがる。
「なにそれ」
「帰るための装置だそうですよ。これ押せば、そのうち帰れると」
「そうじゃなくて、その袋」
「おみやげです」
その言葉と同時に、ボタンを押した。瞬間、腕輪が眩い光を発した。
「うお、眩しい。何これ、本当に変身とかしないよね」
光は体を包み込んだ。来たときと同じような、眠気にも似た感覚。何がしばらくすればだ、即効性じゃないか。
博士は帰ってくるだろうか。今は信じて待つしかない。あの様子、どうにも帰りたくない様子だった。いや、智呼と会いたくないのか。それなら、粘ったところで意味はない。夕呼が、会う決心をつけるまで、帰りはしないだろう。……まるで駄目な母親っぷりだ。まあ、夕呼が母親をやっている姿など、自分には想像はできないのだけれども。
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どうもryouです。脳は朝に覚醒すると言いますが、どうにも夜のほうがスムーズに進みます。
さて、本日の日高の名言。
陰陽弾を食らえ!
「うお、眩しい!」
どうにも今回、知識より想像ばかりが先行しています。少し描写がおかしいかもしれませんが、お許しを。
そのうち外伝書こうと思います。このまま、全然別の世界に行っちゃったときの話とか。
そのまま変身して、ヒダカイザーにでもなってしまったりとか。妄想は膨らむ一方です。悪乗りですね。
さて、次回は如何に。