間抜けを晒したサシカイアを、おかしくてたまらないと爆笑するイケメン達。その身体からにじみ出る黒い靄のようなモノ。
黒幕は人の姿をして、山賊たちの前に現れていた。人の姿と言われてサシカイアが連想した魔神には二種類の系統がある。
一つは変身系。鏡像魔神ドッペルゲンガーやダブラブルグなどの、人の姿を真似る魔神。現在ロードスでぶいぶい言っている魔神王もこの系統らしい。
そしてもう一つは、人に取り憑く魔神。ガランザン、ザワンゼンと言ったモノがこちら。これらの憑依系の魔神は人を操るわけではない為、サシカイアは考慮の外に置いていた。しかしイケメン達の身体からにじむ靄を見れば、憑依系の魔神と考えるべきだろうか。
しかし、何より今は。
「──」
サシカイアはニースとアイコンタクト。
こいつらはヤバイと2人揃って下がり、イケメン達から距離を取る。
「シュー、ブラ、ギネスっ! こいつらやばいぞ、気を付けろ!」
そうしておいて、階上へ向かって大声で警告。ニースと2人ではまともな前衛不在でこちらもヤバイが、それ以上に今はシュリヒテ達がヤバイ。
おそらく、あちらの綺麗どころも何かに取り憑かれていると考えるべきだろう。そうでなくとも、こいつらの協力者であることは確実。そいつらが、シュリヒテらを楽しませることだけを目的にしているはずがない。何かのろくでもない思惑があるに決まっている。
おまけに、きっと3人は油断しまくっている。油断しきっているところへ不意打ちを食らえば非常に拙い。いくら高レベル冒険者とは言え、急所に一撃喰らえばやっぱり死ぬのである。
サシカイアはこの警告が間に合うことを、心の底から祈った。
一方、イケメン達は腹が立つくらい爆笑を続けていたが、サシカイアの警告の叫びを受けて、ようやく笑いをおさめる。そうして、まっすぐにサシカイアに視線を向けてくる。その瞳はまるでガラス玉のよう。先ほどまでの友好的な雰囲気は消え失せ、表情を失い、酷くのっぺりした顔になっている。
「ティキキキキ。気が付かなければもっと穏便に事を進められたのに、残念ティキよ」
さほど残念に思ってもいない口調で、イケメンが奇妙な笑い方をする。どうやら、こちらの方が素らしい。
そちらを牽制するように、サシカイアは抜きはなった短剣を構える。澄んだ刀身にひんやりとした冷気を纏うこの短剣は、ブラムドの、マーファ本神殿の財宝の中からいただいたモノ。銘は「アイス・エッジ」。+1の魔法の短剣で、何よりサシカイアが気に入ったのは、刀身に宿る冷気──氷の精霊力。この短剣を抜きはなっていれば、何処でも何時でも、氷の精霊フラウの力による精霊魔法が使える。色々と場所の──その場に存在する精霊力の制限を受ける精霊魔法である。フルコントロールスピリットと併用して合計二種類の精霊を同行させられるというのは非常に嬉しい。ちなみに、サシカイアが現在フルコントロールスピリットしているのは風の精霊シルフである。スカートめくりに最適な精霊だ。
また、サシカイアは装備のほとんどをそのまま身につけていた。シュリヒテらは流石に鎧を脱いでいたが、サシカイアはそうしていない。そこまで油断していなかったというのは理由の半分。残りの半分は、元々サシカイアの装備は筋力の都合で、込められた魔法を除外すればちょっと丈夫な服程度のモノでしかない。身につけっぱなしでも何の不自由もなかったと言う消極的な理由だが、この場合は幸いだ。
「ティキキキキ」
短剣を向けられたイケメンが、大仰に身を逸らして笑う。
「無駄な抵抗ティキよ。武器を捨てて投降するティキ」
「ふざけるなよ」
「それが一番利口な行動ティキ。痛い目に会いたくは無いティキ?」
貴重な器候補を傷つけたくないとイケメンは笑う。
「器?」
「そうティキ。お前達2人とあの騎士には、我々の仲間の器になって貰うティキよ。残りの2人は生け贄にして、我らが神に捧げるティキ」
器=取り憑く、と言うことか。生け贄にされるよりは穏便かも知れない。いや、それだってろくでもないか、とサシカイア。しかし。
「……どういう判断基準だ?」
「見て分からないティキか?」
イケメンは、酒場の人間をぐるりと示す。
「綺麗な娘やイケメンがちやほやすると、人間は簡単に油断するティキよ。お前らのお仲間もそうだったティキ。──そうやって我々は、この村までやってきた物好きな連中を、労せずして無力化してきたティキよ」
言われてみれば、不自然な程に容姿の整った人間が多い。こういう店だからと言うだけではなく、最初、村の入り口で迎えてくれた連中も、村長などの一部の例外を除けば美男美女が多かったような気がする。
「お前や、そちらのマーファ神官娘なら、店一番の売れっ子になれるティキよ。だから素直に投降するがいいティキよ」
「……そうやってべらべら内情を教えてくれるのは、負けフラグって言うんだぜ?」
やっぱりろくでもない。サシカイアは言外に誰が投降するか、と切って捨てる。
「ティキキキキキ」
しかし、イケメンは気にせずに笑う。おファンタジックな世界では、こちらの常識は通用しない? いや、こいつらにはそんな負けフラグを気にしない程の、絶対の勝利の自信があるらしい。どうして、そんな風に思えるのか?、それはすぐに知れた。
「投降しないと言うティキならば、彼らに相手をして貰うティキよ」
イケメンはぱちんと指を鳴らし、背後の二階への階段へ振り向く。
この隙に斬りかかってやろうか、なんてサシカイアは考えたが、好奇心、あるいは嫌な予感に命じられるままに、素直に階段の方を見ることにした。
そして、盛大に顔を顰める。
背後で、ニースの息をのむ気配。
階段を、ぎこちない動きで下りてくる男が3人。3人は一歩一歩、己の身体の動きを確認するかのような慎重な足取りで階段を下りきると、道を開いてくれたイケメン、綺麗どころの間を抜けて、最前列に出てくる。
「ティキキキキキ」
勝ち誇るようにイケメンが笑う。
「さあ、どうするティキ? 仲間同士で殺し合いを演じるティキか?」
いやらしい笑い声を上げるイケメンの言葉通り、その3人は仲間。どうやら警告は間に合わなかったらしい。揺らめく靄みたいなモノを背負い、のっぺりとした無表情、どんよりとした瞳を向けてくるのは、シュリヒテ、ギネス、ブラドノックだった。
ロードス島電鉄
38 笑っていいとも
「きゃっ」
前に出てきた3人、主にシュリヒテを見て、ニースが小さく悲鳴を上げて視線をそらす。
3人は二階へ綺麗どころと共に上がっていった。二階=宿屋の部屋。当然ベッドはある。さて、そこで男女が2人切り(シュリヒテの所は3人か?)で何をするか。ナニである。では、服はどうするか。普通は脱ぐ。
と言うわけで、3人は半裸。
サシカイアは視線こそ逸らさなかったものの、顔をゆがめてしまうのは避けられなかった。
ギネス、ブラドノックの2人はまだいい。この2人はステテコパンツ一丁。それだって見た目美しくないし、徹底的に嬉しくない。ニースには目の毒。だが、まだ許容範囲内。
しかしシュリヒテは。
ニースが困ったように、視線のやり場を探している。あううぅ、とかうめくニースの顔は、耳まで真っ赤になっている。(※注)
何しろシュリヒテは、上着こそ着ているが、下の方はすっぽんぽん。風もないのにぶ~らぶら状態。どうやら、3人の中でこいつが一番性急だったらしい。最近、脱チェリーを果たしたばかり。兎に角やりたくてたまらない時期なのだろうと理解はするが、焦りすぎだ。まったくもって勘弁して欲しい。これが女の子であれば大歓迎するところ。上着だけ着ている女の子、素晴らしい。靴下も許可。──しかし、男ではちっとも嬉しくない。
「ティキキキキ、さあ、どうするティキ? 仲間同士で殺し会うなんて馬鹿なことは止めて、投降するのが利口ティキよ?」
シュリヒテが、普段はしないような下卑た笑いを浮かべ、まるだしの下半身を見せつけるみたいに突き出してくる。どうやら、真っ赤になったニースの反応を楽しんでいる様子。まるっきり質の悪い露出狂だ。
更に、サシカイアの方が平然としているのが気に入らないのか、今度はこちらへ見せつけてきた。
サシカイアは、酷く冷めた目でそれを見つめた。恥じらえと言われても、その期待には到底応えられない。
何しろ、サシカイアの見た目こそ美少女エルフでも、中身は男なのである。そんなモノは生まれた時からつい先だってまでの長い長いつきあいで見慣れている。最近の生き別れ状態が非常に悲しい。早い内に是非とも戻ってきて欲しい。それはもう切実に。
そんなことを考えながら、サシカイアは目をそらすことなくそれを見つめ。
なるほど、いつかのシュリヒテの世話役をしていた神官見習の娘が、「可愛い」と称する訳である。なんて納得をした。
「ふっ」
そして思わずといった風に、微笑みを浮かべた。
その笑みは、蔑みでも哀れみでもない。ただ、可愛らしいモノ、微笑ましいモノを見て自然に零れてしまった。そうした笑み。しかし、悪意とは全く無縁なその微笑みこそが、この場合、最も残酷だった。
「はうっ!」
シュリヒテが激しく反応する。まるで、何かに胸を打ち抜かれたように両手で押さえ、よろりらり、と大きくよろめく。
「ん? 何事ティキ? 何で勝手に動くティキよ」
そのシュリヒテの口から焦りの声。憑依して自由を奪ったはずが、どうやら思い通りに動かせなくなったらしい。
「まさか、暴走?」
なんて声も聞こえる横で、シュリヒテはふらふらふら~っと力無く酒場の隅っこまで移動。棚と観葉植物の間にはまり込むみたいにして、膝を抱えて座り込んでしまった。「動け、動け」なんて言葉がその口から零れているが、シュリヒテは動かない。目の幅涙を流しながら、る~るるる~、っと黄昏れている。
「……1人無力化に成功したな」
これは思わぬ大ラッキー。なにやら仲間の精神に深刻な傷を与えたような気もしないではないが、この場は良しとしよう。ニースもヤバイモノが視界から消えて、安堵の息を零しているし。
「くっ」
イケメンは悔しげに顔を歪め。しかし、すぐに口の端をつり上げるような笑いを顔に取り戻す。
「1人ダメになっても、まだ2人もいるティキよ」
その言葉の通り、まだ、ブラドノックとギネスの2人が敵の支配下にある。こちらはステテコパンツを身につけているから、シュリヒテのような方法で無力化することは出来ない。元々、意図したわけではない棚からぼた餅的な勝利だったと言うこともあるが。
「ティキキキキキ。どうティキ、これでもまだ戦える──」
と言って前に出てきたのはブラドノック。
「セクハラ野郎撲殺パンチ!」
が、皆まで言わせずにサシカイアは、その顔の真ん中に拳をたたき込んだ。
「……な、何をするティキよ、こいつは仲間──」
殴られた箇所を手で押さえ、慌ててブラドノックが言ってくるが、サシカイアは無視。躊躇無く、二撃目の準備。腕を振り上げる。
「セクハラ野郎抹殺チョップ!」
「……ま、待つティキよ」
「セクハラ野郎轢殺キック!」
サシカイアはちっとも待たなかった。
「セクハラ野郎絞殺チョークスリーパー!」「セクハラ野郎滅殺地獄突き!」「セクハラ野郎圧殺デコピン!」「セクハラ野郎刺殺目つぶし!」「セクハラ野郎爆殺膝かっくん!」「セクハラ野郎轟殺ブレンバスター!」「セクハラ野郎貫殺ビーム!」「セクハラ野郎必殺トルチョック!」
ついには倒れたブラドノックに馬乗りになって、日頃のセクハラの恨みをこの機会に晴らしてやろうとばかりの殴打の嵐。君が泣くまで! 殴るのを止めない!
そして。
「……悪は滅びた」
サシカイアはふらりと立ち上がり、一仕事終えた満足げな笑みを浮かべて額の汗を拭う。その足下には、ぼろ切れみたいになったブラドノック。流石に殺す気はないので手加減(?)攻撃。瀕死だが命はあり、びくんびくんとちょっとやばげな痙攣をしている。その手元の床に血文字で書かれた「エルフ娘」のダイイングメッセージをさりげなく踏みにじって消すと、サシカイアは本当にイイ笑顔を浮かべる。
その笑顔は、素晴らしく爽やかで魅力的な笑顔だった。元々、顔立ちが非常に整っていることもあり、世の男連中がこの笑顔を見れば、一発でいちころ。──が、その白皙の頬に点々と飛んだ真っ赤なアクセントが、その笑みの魅力を台無し、ある種の迫力を与えてしまっていた。違う意味でイチコロ、てな感じに。
「さあて、次は?」
と、にっこり笑ったサシカイアが一歩前に出ると、そのステキな笑顔に気圧されたように、ギネスを含めたイケメン連中は後ろに下がる。
「こいつ、仲間にも容赦なしティキよ」
「何て酷い奴ティキ。血も涙もないティキ」
なんて呟きが癇に障るが、これ以上仲間を人質として前面に出されても困るから、良しとする。時に躊躇いは余計に酷い状況を招く。必要とあれば覚悟を決めて、非道と思えることでもしなくてはならない時があるのだ。そして、今がその時だった。ただそれだけのこと。日頃の鬱憤を晴らしただけ?、いえいえ、そんなことはありません。
「ならば、こっちの娘ティキよ」
「え?」
と、戸惑いの声を上げるのはニース。ニースの見た目はおっとり美少女だし、こちらの方が与しやすそうだと、矛先を変えたらしい。
イケメンの1人が、両手を広げてニースに迫る。
拙い。流石にニースを人質に取られてしまっては、身動き取れなくなってしまう。ブラドノックあたりを見捨てるのとでは、意味合いが違いすぎる。ニースを見捨てでもした日には、今まで築いてきた正義の人のイメージが台無しになってしまう。
そんなことを真面目に考えるサシカイアだが、心配は無用だった。
「きゃっ」
と、小さく悲鳴こそあげたが、跳ね上がったニースの足がイケメンを蹴りつけていた。それもクリティカルで。どういう具合にクリティカルだったのか。その命中音を漫画的な擬音で表すならば、「キンッ!」と言った感じの金属質のモノだった。これで理解して頂きたい。
蹴られたイケメンは、かなりヤバイ感じで床に崩れ落ちた。この場に審判がいたら、即座にKOを宣言して救護班を呼びつける、そう言う倒れ方。イケメンはそれでもなんとか立ち上がろうと床の上で藻掻いているが、足にうまいこと力が入らない。生まれたての草食動物みたいにぶるぶる震える足は簡単に崩れ、足掻いてもろくに身動き取れていない。蒼白を通り越してヤバイ色合いになった顔面は嫌な感じの汗にまみれ、舌を突き出し、呼吸困難みたいに喘ぎながら、必死で嘔吐感に抵抗していた。
しかし、ついには限界。
イケメンは耐えきれず、えれえれえれ~っと、なにやら黒い靄みたいなモノを吐き出した。
靄は寄り集まって、体長20センチくらいの、複眼、かげろうみたいな羽を持つ、黒い小型の魔神に変じ。直後、がっくりと脱力すると、再び靄に。靄はそのまま拡散すると、空気に溶けるみたいにして消えた。残されたイケメンの方は、白目をむき、泡を噴いている。はっきり言って、先のブラドノック以上にやばげな痙攣をしている。センスオーラで確認すれば、なぜだか勇気の精霊力の臭いが薄まり、知られざる命の精霊の臭いが増してきているような気もする。
うわあ、とその哀れな末路に腰を引きながら、サシカイアは、今度の敵が何かを悟っていた。
こいつは、こいつらは魔神ティキラ。先のヴァルブレバーズ同様、SW2.0で登場した魔神で、モンスターレベルをこちらに換算すれば6と言ったところ。ルールブックには人に取り憑くような特殊能力は記載されていないが、公式リプレイでは取り憑いていたから、そう言うモノなのだろう。
とりあえず、憑依された人間を生死判定に追い込めば、こいつらは離れ、滅びるらしい。それが早い段階でわかったのは幸い。憑依された者を殺さなければ滅ぼせない、魂に取り憑くガランザンやザワンゼンに比べれば、良かったと考えるべきか。
「やりましたよ!」
そんなことを考えているサシカイアの横で、ニースが勝ち鬨を上げていた。魔神を一匹倒しましたと、喜びに溢れたガッツポーズ。同時に、消滅した魔神が床に書き残した「マーファ神官娘」のダイイングメッセージをさりげなく踏みにじって消しながら、本当に良い笑顔。そこにはただ敵を倒したという喜びがあり、自分が床に倒れた男にどれほど酷いことをしたのか、全く理解していない。そう言う、屈託のない笑顔だった。
サシカイアはこの瞬間、唐突に、この世の真理とでも言うモノを理解した。
長年連れ添った夫婦、仲の良い恋人同士。そうした人たちは、お互いに相手をのことを理解していると思う。理解し合えていると考える。しかし、それは錯覚だ。ニースの晴れやかな笑顔を見れば分かる。男と女は、どこまで行っても、決して分かり合えることなど有りはしないのだ、と。
「サシカイア?」
呼ばれて、サシカイアは我に返る。
「何故、サシカイアまでそんな顔で?」
ニースはちょっぴり不満そうな顔。
サシカイアはうなじの毛を逆立たせ、腰を引いた格好になっていた。そうして、怯えの表情でニースの方を見ていた。それは、他のイケメン連中と、見事なまでに同じ格好だった。
ごほんと、サシカイアは誤魔化すように咳払い。まだ僅かに腰を引き気味にぎくしゃく歩いてニースの隣に並ぶと、イケメン連中に向き直る。
「見たか。俺たちに人質など無意味。特にこちらのマーファ本神殿の最終兵器、「男殺し」ニースにかかれば、お前達もこの男同様の屍を晒して、あの世で後悔することになるぞ」
誰が男殺しですか、変な二つ名を付けないでください、と言うニースの抗議は聞こえないふり。今は何より、人質が無意味だと思わせることが大事。
「くっ」
イケメン連中に取り憑いた魔神は、素直にサシカイアの言葉を信じたらしい。目の前であんな残酷なモノを見せられては、信じるのもあたりまえかも知れないが。
「確かに、貴様らのような冷血漢には、人質は通用しないみたいティキね」
言って、皆で目配せ。同時に指を口に突っ込んだ。
「え?」
と戸惑うサシカイアらの前で、喉を刺激して嘔吐感を誘発。えれえれえれ~、と揃って嘔吐。幸い、口から吐き出されたモノはヤバイモノじゃなくて、黒い靄。いや、これも十分にヤバイのだが、何だか安堵してしまった。そのサシカイアの前で靄はそれぞれがゆっくりと集まり密度を増して、20センチ程の蜻蛉の羽を持つ人型、魔神ティキラになる。その数はここにいたイケメンらの人数と同じ、20程。
「ここは不利だから外へ」
ニースの手を掴むと、サシカイアは入り口の扉へ向かって走り出す。
サシカイアは精霊使い。精霊魔法の大きな問題点は、精霊のいない場所では、その精霊力に基づく魔法を使えないと言うこと。むき出しの大地がなければ、大地の精霊による魔法を使えず、火がなければ火の精霊の魔法を使えないといった具合。以前、エフリートを呼び出すために盛大に炎を焚いたのも、このルールによる。また、基本精霊力は自然に宿るモノ。人工物、今回であれば家の中では、使える魔法を酷く限定されてしまうのだ。これが新戦記最後頃のディードになれば、水から離れた場所にだって水の精霊王を呼べたりするのだが、流石にサシカイアでもその域にはない。──てかあれは反則だろう。多分超英雄ポイントの恩恵だと思うが。
外へ逃げる事は、シュリヒテ達を放置することになる。が、今は戦って勝つことを考える。勝てなくともニースを逃がす事を最優先。最悪、ニースさえ生き残れば、死んでもリザレクション出来るのだから。
ティキラは現在姿を固定しようとしていて、こちらへ攻撃は出来ない。離脱のペナルティ有りで攻撃を受けることは無く、おまけにさりげなく場所を移動して入り口近くに来ていたから、2人は問題なく外へ飛び出す事へ成功。
外は既に闇に包まれていた。
サシカイアは精霊使いの能力の一つ、インフラビジョンで暗闇でも何とか見通すことが出来る。しかし、それだってお日様の下に比べれば不自由が多い。そして何より、ニースの方はそれすらない。だからサシカイアはポシェットから光晶石を取り出す。
「ピィ~カ~」
合い言葉を唱えることで、光晶石は光り、周りを照らし始める。これで、暗闇の不利は消えた。
「待つティキよ」
ティキラの群が宿屋から飛び出してくる。更にティキラ達が周りの家に声をかけると、わらわらと、他の家からも、ちょっと吃驚するくらいの数のティキラがあふれ出してくる。
「ちょ、ちょっと待て、その数は反則だろう」
これはたまらんと、サシカイアはニースの手を引いて村の中を逃げ回る。幸い、遠くから観察したこともあり、村の建物なんかの配置はわかっている。
しかし、敵の数は膨大だった。しかも、背中の羽は伊達でなく、空まで飛べると来ている。
何時しか、サシカイアとニースは、袋小路に追い込まれていた。
「ティキキキキ、おいかけっこは終わりティキよ」
「お前ら、どんだけいるんだよ」
背後は壁。残りの正面と左右、そして上に溢れるティキラ達。いくらなんでも数が多すぎる、反則だと、サシカイアが罵る。
「ティキキキキキ」
ティキラが笑う。
「我々、かげろうさんチームは、魔神王様の解放以来、我らが神に供物を捧げ、地道に仲間を増やすことに尽力してきたティキよ。その甲斐もあって、今の我々は百を超えるまでに至ったティキよ」
おそらくは暗黒魔法のイモレイトか。生け贄に神を降臨させて、願いを叶えて貰う。あんまり大きな願い事をかなえて貰うのは不可能だが、ティキラを増やすくらいは応えてくれるらしい。
ティキラの言葉は続く。
正面からぶつかって殺し合うばかりが能ではない。そんな脳筋な真似をしていては、こちらの被害も馬鹿にならない。現実、ライオンさんチームは壊滅に近いし、やぎさんチームはそのトップまで討たれた。だから我々は違う道を行く。地道に仲間を増やし、こうして村を作り。更に発展させて村を町に。町を都に。そうやって少しずつ数を増やして支配領域を広げていき、人間が気が付いたときにはその勢力は逆転しており、いずれロードス中を我々が支配するようになるだろう。
そんな気の長い未来設計図を、サシカイア達にべらべら話してくれる。
追いつめたところで自分たちの計画を教える。それはやっぱり負けフラグだと思うのだが、勝利を確信したティキラ達は気にしてもいない。
「──と言うわけで、お前達には我々のバラ色の未来のため、接客の要としてがんばって貰うティキよ」
「お断りだね」
サシカイアは言い捨てた。
その髪の毛を、風が梳る。
今日は、良い風が吹いている。それこそ、ヤイサホーと叫びたくなるくらいに。
不意に突風が吹き抜ける。
空中のティキラの何匹かがバランスを崩し、慌て気味の声を上げる。
「油断しすぎだぜ、お前ら」
サシカイアは言うと、高らかに精霊に語りかける。
「まとまりすぎだ、一網打尽にしてやるぜ」
「──っ!、魔法を使わせるなっ!」
「いいや、限界だ、使うね」
殺到しようとするティキラに、サシカイアは言い捨てた。
風は高まり、いよいよ強く。巨大なる存在がここに顕現しようとしている。
行ける。
サシカイアにはそんな確信があった。
敏捷度24は伊達じゃない。ティキラ達の妨害よりも早く、この魔法は発動する。
そしてそれ以上に、今回の魔法は完全に決まるという確信を、サシカイアは早い段階から抱いていた。今回の呪文詠唱は完璧。自分でも怖いくらいに、見事なまでに、完璧。10LVシャーマンとはいえ、これほど近くに精霊を感じることは希だ。これだったら(効く効かないはとりあえず置いておいて)魔神王の精神力抵抗だって抜くことが出来る。そんな確信と共に、サシカイアは高らかに告げる。
「偉大なる風の精霊王よ、疾くきちゃりて……」
「きちゃりて?」
何処の言葉ですか、と首をかしげるニースの前で。
サシカイアは詠唱を中断、口元を押さえてしゃがみ込んだ。
「……ひょっとして、噛みました?」
ニースの言葉に、サシカイアは涙目で頷く。
「な、何やってるんですか」
ニースの声は悲鳴に近い。ここでそれは、致命的に過ぎる。
呪文詠唱をとちってしまったので、魔法は失敗。吹き始めていた突風はそよ風となって消えてしまう。出現しようとしていた巨大な気配もまた、雲散霧消していた。
そして、隙だらけになったサシカイアらは、殺到するティキラ達に飲まれ──はしなかった。
「ティ~キキキキキキキキ」
ティキラ達はサシカイアの失敗に大爆笑。足を止め、腹を抱え、呼吸困難に陥りそうなくらいに笑っている。
ティキラは、人の失敗が大好きなのだ。それ故か、人の失敗を見るために、ごくごく限定的ながら運命すらねじ曲げる。そう、今回のサシカイアの失敗は、彼らの特殊能力「不運」のせい。この「不運」、自動的成功を自動的失敗にねじ曲げる。6ゾロを1ゾロに、強制的に変えてしまう能力。今回、サシカイアの魔法の出来が良すぎたために、この条件に引っかかって不運発動、強制的に失敗させられてしまったのだ。
ティキラ達は随分長いこと爆笑していた。
おかげでサシカイアも痛みから立ち直るだけの時間が出来たのは幸い。
しかし、ここから先が問題だった。
魔法は空振り。それでも、しっかり精神力だけは消耗している。しかも、彼我の数の差がありすぎ、一撃で決めないと反撃が拙い。一網打尽を狙って魔力の拡大をしていたため、サシカイアの精神力はこれでほとんどガス欠状態。魔晶石は持っているが安いモノばかりで、一網打尽を可能とするような大魔法を拡大して使うには足りない。長丁場になれば、数の差、前衛不在でじり貧になるのは確実。なんとしても早いラウンドでケリを付けないとならない。
「ニース、トランスファーお願い」
だから、サシカイアはニースに願うが、流石にそれを見逃してくれる程、ティキラ達も甘くはなかった。
「させないティキよ」
笑いを終えたティキラ達が言って、呪文の詠唱を始める。
「ま、待て。それだけの数を喰らったら、俺たち死ぬぞ?」
特に俺が真っ先に。生かしておいて器とやらにするんじゃなかったのか?、焦ってサシカイアは制止するが、ティキラ達は詠唱を止めない。
正直、一撃であれば大したことはない。レベルはサシカイアらの方が上であるし、装備も良い。防御を抜けてもちくりと来る程度。だが、数がいけない。大勢のティキラ達から一斉射撃を受ければ、何かの拍子に抵抗を抜いてくる奴もいるだろうし、サシカイアらの側が抵抗に失敗する可能性もある。また、ちくりだって積み重なれば大ダメージになる。
「お前らは──特にそちらの娘は危険ティキよ」
と、サシカイアが背後にかばうニースを示す。なんでですか、とニースは憤慨するが、サシカイアは大いに頷いた。アレはヤバイ。あの蹴りだけは本当にヤバイのだ。そして、当人がそのヤバさを自覚していないのだから、更に倍だ。
「だから確実に無力化させて貰うティキよ。なあに、死んでも大丈夫ティキよ。必要なら、我らが神に蘇生を願うティキから」
そうすれば、一週間の説得期間を設けることが出来る。大丈夫、我らのコーディネートで、指名数ロードス1を達成してみせるから。なんて、ちっとも大丈夫でないことをティキラが言う。
ニースがサシカイアの肩に手を触れ、トランスファー・メンタルパワーの準備はしているが、どうしたって一拍遅れる。その遅れの間に、雨あられと攻撃魔法を喰らうことになる。どうしようもなく致命的だ。
どうする?、どうする?、どうすればいい?
サシカイアは知恵熱を出しそうなくらいに必死で頭を働かせ。
そして、起死回生の一打を放つ。
(※注)
この物語では、ニースはちょん切り丸オーナーなので、ここで今更顔を赤らめたりする反応はおかしいと思われるでしょう。
その通りです。
それもあって、最初、シュリヒテに生暖かい視線を向けるのはニースの役目でした。
ですが、その場合シュリヒテのダメージはサシカイアの時以上で再起不能になりそうですし、やっぱり平然としているより顔を赤らめて欲しいなあ、と言う書いている人の願望で、矛盾を承知でこうしました。
申し訳ありませんが、そう言うことで一つお願いします。