石壁に背中を預けて立つサシカイアの前を、まるで檻の中の熊か何かのようにぐるぐると、シュリヒテが行ったり来たりを繰り返している。気持ちはわからないでもない。なので、しばらくは我慢していたがどうにも目障りだ。
「シュー、少し落ち着け」
「あ? ああ、わかっている」
生返事。反射的に応じただけというのが丸わかり。その証拠に、シュリヒテはぐるぐるを継続している。
サシカイアは嘆息し、仕方がないかと、正面にある扉に視線を向けた。
重厚な石の扉。
ここはマーファ本神殿の奥深く。精緻な装飾の施されたその扉の向こうは、いわゆる儀式の間。その名前の通り、大がかりな祭事、あるいは奇跡の行使のために儀式を行う際に使われる、ある意味、この地上において最もマーファ神に近いと言える場所。聖域。
話の種にと、サシカイアも一度そこを覗かせて貰ったりした。が、物理的に塵一つ無く清められているとか言う以前に、あまりに静謐で清浄、そして神聖な雰囲気に中てられて、いたたまれなくなって短時間で退場している。何というか、その場にいる自分自身が穢れとなり、この場を汚している、そんな風に感じてしまったのだ。これは別段、サシカイアが腹黒いから、とかそう言う理由では無い。無いと思う。……多分。
ともかく、今現在、この儀式の間では、ニースを中心にして蘇生の儀式が行われている。耳を澄ませばうっすらと、「ささやき、いのり、えいしょう、ねんじろ」の声が扉の向こうから零れてくる。この儀式は昨日の朝に始まり、昼夜をまたいで間もなく丸一日。よくよく目をこらせば、画面の右下あたりに「少女祈祷中……」の文字が見えるかも知れない。
ロードス島電鉄
28 少年期の終わり
魔神将との決着が先送りとなって。それでも、ゾンビ騒動だけは一応のけりが付いた。
その後にしなければならないのは、もちろん後始末である。
あちこちに転がるゾンビの死体(?)。人の残骸と言うべきか。これを放っておくことは衛生的によろしくない。これからの季節、放っておけばあっという間に腐敗が進み、下手をすると疫病が発生することになってしまう。早期の片づけは急務だった。
とは言え、全員激しい戦いの後でへろへろ。シュリヒテも疲労の極致にあるし、サシカイア、ブラドノックの精神力もガス欠寸前。他の者達だって大差ない。ギネスだけは途中参戦およびその他の理由で、やたらとハイになっていたが。
それでもシュリヒテは、トリスの遺体の回収だけは済ませ、それが限界。その日はみんなバタンキュー。魔神将が気を変えてもう一回襲いかかってきたら、エミルの村は簡単に壊滅していただろう。懸念していた悪夢に魘される、なんて余裕もなく、サシカイアは確保した村の宿屋、個室のベッドに入った途端に意識を飛ばしてしまった。
明けて翌日。
太陽の光の下で見る惨劇の傷跡に顔をしかめているサシカイアらに、神官戦士のマッキオーレが謝罪をしてきた。そして知らされる事実。
今回、脅迫のような形で戦いを強要したことへの謝罪。実は、アイテム鑑定の料金で、とっくに借金の返済は終了していたこと、等々。
唖然とするサシカイアらであるが、しっかり頭を下げて謝罪をされてしまうと、なかなか文句も言えない。謝罪がなければ、どんなに酷い仕返しだってできるのだが、下手に出られてしまえば、更に文句を言いつのる事はできなかった。サシカイアらがどう見られているかはともかく、基本的に人は好いのだ。そもそも、4人とも本格的に金で苦労したことのない年代なので、かなり考え方が緩いと言うこともある。また、今回のゾンビ騒動への対処のため、マッキオーレが必死だった、と言う事情もわかる。それに、サシカイアらが参加しなければ、神官戦士達だけであったならば、酷いことになっていたことは確実。──何より、所詮は凡人、喉元過ぎればの諺が示すように、事が済んでしまえば、あっさりと今回の苦労を半ば忘れ、何とかなったんだし、まあいいか、と言う楽観論が思考を浸食し始めていた。一仕事済んで、良くも悪くも気が抜けたタイミングだったと言うこともある。
そしてもう一つ。
今回の働きの報酬として、マーファ本神殿に──正確にはニースにお願いしたいこともある。だから、神殿関係者を頭ごなしに怒鳴りつけ、非を責め立てるなんて真似もできない。関係の悪化は避けるが吉なのだ。
その、お願いする事とは。
それはもちろん、トリスの蘇生である。
正直なところ、マーファ神殿はトリスの蘇生に難色を示した。
今回の戦いにおける被害は大きい。一般人だけではなく、マーファの神官戦士にも大きな被害が出ている。参戦12人中(先に難民と合流して護衛をしていた者もいた)、8人が死亡している。ただでさえ、高位の神官戦士を中心に、アラニア北部での魔神との戦いで人を取られている。そっちも被害は皆無とは言えない。更にマーファ本神殿周りに難民キャンプが出来、そちらの治安維持やら炊き出しやらなにやらと、兎に角人が足りない状況でのこの被害。どこもかしこも人手不足で悲鳴が上がっている。
そんな余裕のない状況で、言葉は悪いがただの一般人の小娘をわざわざ蘇生する為に人手を割く価値はあるのか、と言う疑問。
しかも。
トリスの状態が益々否定的な人を増やした。
マーファ神殿にたどり着いた時点で、既に死後一週間以上を数え、プリザーベイションを使える者もいなかったために、トリスの遺体は腐敗を始めていた。死後の日数は、蘇生の難易度に密接に結びつく。ゲーム的な数値で言えばこの時点で必要な達成値は最低でも27。これは、知力ボーナス4のプリーストレベル11で基本魔力15のニースといえども、容易い数字ではない(素の状態で行うのであれば、15+サイコロ2個でそれ以上の数字を出す必要がある。出目12以外ダメ、ほぼ絶望的だ)。マーファ神殿的には、その顔とも言えるマーファの愛娘、ニースに疵を付けたくないという思惑もある。と言うか、そもそもこの時点でニースは未だ帰還しておらず、蘇生の難易度は更に上昇することが確実である。大人数の儀式、ニース自身の魔力の拡大等で成功確率を上げるにしても、やっぱり厳しいことには違いない。ニースには超英雄ポイントがあるから絶対成功、難易度なんて関係無しで大丈夫、とも行かない。超英雄ポイント、超英雄ポイントと気楽に言うが、ゲーム上の処理ではともかく現実では、どんな判定でも必ず成功する、なんてのは嘘だ。もし、本当に全ての判定が成功するというのであれば、原作、ロードス島戦記において、黒の導師バグナードは、ラルカスのかけたギアスを、ディスペル・オーダーの魔法で解除できていたはずである。しかし、バグナードはノーライフキングに生まれ変わるまで、その呪いから逃れることは出来なかった。現実はゲームのようには行かないのである。超英雄といえども、何でも出来るわけではない。無理なモノは無理として存在するのだ。
その、反対派と真っ向対決してくれたのは、やはりマッキオーレだった。マッキオーレはねばり強く関係各所と交渉、硬軟様々手段を使って状況を整えてくれた。
そしてゴーサインが出ると、即座に早馬を仕立てて北ドワーフ族は鉄の王国に赴いているニースに帰還を促し、同時に、儀式に参加する人間をかき集めた。
各所を調整して時間を融通して貰い、何とか10人集めたところでタイミング良く、ニースが大慌てで帰還した。
そこでまずは簡単な情報交換。
ドワーフ族はニースの説得を受け入れ、準備していた軍勢の派遣を中止した。タイミング的にぎりぎりだったらしい。兎に角、これでアラニア王国のドワーフヘイトが高まらないで済んだと、サシカイアはお礼を言われた。
とは言え、ドワーフ族が諦めたのは大人数、軍勢としてのモスへの派遣である。これまた原作知識からサシカイアの告げた方法、目立たないよう数人ずつのグループでバラバラに移動して、現地で集合、と言うやり方でモス入りをすることにしたらしい。
更に、ニース自身も、己の目で魔神の本拠の現状を見るためにモスへ向かうことを石の王と約束しているらしい。これも、原作通りである。
サシカイアらの方からニースへ知らせることは、ゾンビの大群は何とか退治成功したこと。更に、ボスの魔神将がいて、こちらとは引き分けたことなど。そこまでは良かった。──が。
「ところで、ペペロンチャと言うのは?」
小首をかしげたニースの質問。
サシカイアがなんと言って応えるか悩んでいる内に、ブラドノックが真相を教えてしまった。
それに対するニースの反応は。
サシカイアに対する何とも言えない視線だった。咎めたわけではない。生ぬるいわけではない。
しかし、サシカイアは盛大に悶絶した。
「やめ~。その、母親がやんちゃな悪ガキに向けるような視線はやめて~。この年でその視線はきつい~」
さすがは大地母神、マーファの高位神官。母性と慈愛に満ちた暖かい視線だったのだが、サシカイアにはかえって効いたみたいである。
閑話休題。
ともかく、まずは蘇生の儀式。ニースは旅の汚れを落として身を清めると、疲れを取る為の休憩は省略。マッキオーレがニースの帰還に合わせて準備していた儀式の間へ直行した。
これで安心と気を緩めかけたシュリヒテだが。
「全力は尽くします。ですが、成功するとは限りません。それは覚悟しておいてください」
マッキオーレがしてくれた準備は、状況が許す最大限。11レベルプリーストのニース主導で、儀式の補助に神官を10人。さらに、儀式の時間として丸一日。これが、神殿上層部とのやりとりでマッキオーレが引き出した全て。今のマーファ神殿を取り巻く状況を考えれば、これは良くやってくれたと言っていいだろう。サシカイアが盗賊スキルを生かして小耳に挟んだところでは、これでマーファ神殿におけるマッキオーレの出世の目はなくなったらしい。むしろ、どこかに飛ばされてもおかしくないとの事。時期的なことを考えると、飛ばされる先は多分モス。これを聞いてサシカイアは、素直に頭を下げた。頭が下がった。
そして、ようやく「少女祈祷中」の文字が消える。
扉がゆっくりと開き。
そこから姿を現したニースの表情を見て。
それだけで、結果がわかってしまった。
「……」
シュリヒテもサシカイアと同じ事を感じたらしく、とっさに声を出せない。
そちらへ向かって、ニースが頭を下げる。
「ごめんなさい。私の力では、届きませんでした」
マーファの愛娘。竜を手懐ける者。次期最高司祭候補。いろんな立派な肩書きがあるとは言え、ニースは17才の少女でもある。しかも、元々旅の疲労のあったところへまともな休み無し、一日がかりの儀式である。疲労に頬がこけ、目の下に隈を浮かべ。なんだか身体が一回り小さくなったようにすら見えた。偉大なる二つ名に目を眩まされていたが、実はこんなに小さな女の子だったんだ、と、サシカイアは今初めて気が付いた。
そのサシカイアの思いを余所に。
「──!」
拳を握りしめ、シュリヒテが口を開く。
そのシュリヒテとニースの間にサシカイアは大慌てで身体を割り込ませた。シュリヒテが馬鹿な行動をしようとするならば、壁になる。なったところで、シュリヒテ、サシカイアの肉弾戦における彼我の能力差を考えれば、壁にすら成り得ないかも知れないが。兎に角、ニースに向かって馬鹿な真似をすることだけは阻止しなければならないと、サシカイアは必死だった。
眦をつり上げたシュリヒテは口をわななかせ、開き、閉じし、握りしめた拳を振るわせて。
──不意に大きく息を吐くと、天井を見上げ。
「……済まなかった」
一言囁くように言うと、ニースに頭を下げた。
「いえ、私の方こそ力が足りず……」
そこへ、車輪付きのベッドに乗せられたトリスが運ばれてくる。顔まで隠すように身体の上にかけられた真っ白な布を、横に控えていたマッキオーレが厳粛な顔、静かな動きでめくり上げて、トリスの顔を露出させる。
遅ればせながらプリザーベイションの奇跡によって保存され、さらには死化粧が施されている。セーブソウルの奇跡による魂の救済をなされたその顔は、穏やかですらある。
シュリヒテはゆっくりと、おそるおそるという風に手を伸ばして、トリスの頬に触れ。その温度に吃驚したように手を引っ込め。手を引っ込めた自分自身を許せないような表情を浮かべ。
そこで、サシカイアは背中をニースに押された。
振り返ると、ニースは無言でこの部屋の出入り口を示していた。
サシカイアも無言で頷くと、ニースに続いて、この部屋から外へ出た。
閉ざした扉の向こうから聞こえてきた嗚咽。しかし、サシカイアは何も聞かなかったことにした。
葬儀は翌日に行われた。
既にトリスの肉親はない。父親もまた、ゾンビ騒動で命を落としているらしい。そうした無縁仏は昨今珍しくもない話で、マーファ神殿裏の共同墓地に葬られることになる。
その日は朝から雨が降っていた。
参列者が少ないのは、それが理由ではない。
そもそもトリスを知る人間、アダモ村の生き残りがごく少数なのだ。村への魔神の襲撃、避難中のゾンビの襲撃と、二度の不幸に見舞われたアダモ村は、魔神王が退治されてロードスに平和が戻っても、最早コミュニティーとして成り立つ人数を割り込んでしまっている。多分、このままひっそりと地図から消えてしまうのだろう。
葬儀の段取りを仕切ったのはマッキオーレ。司祭としてはニース。ニースの存在もあって、手の空いていた神官や、他の村の人間などが、本当にごくごく少数ながら参列してくれた。
激しさを増していく雨の中、それでも葬儀は寂しく、粛々と進み。
そして終わる。
皆が三々五々散っていき、最後まで残ったのはシュリヒテ。真新しい墓石の前に立ち、静かに雨に打たれている。
後ろ髪を引かれる表情を浮かべていたニースも、他の神官に促されて神殿に戻り。雨足が速まる中に残る他の参列者もおらず、残ったのはシュリヒテの他にはサシカイアら3人だけ。
シュリヒテの姿は叩き付けてくる雨に煙り、まるで幽鬼のよう。今にも消えてしまいそうな儚さ。
「シュー」
だから、たまらず、その背中にサシカイアは声をかけた。
「……正直に言うとさ。俺、トリスのこと好きかどうかって、未だによくわからないんだ」
ぼそり、とシュリヒテが呟く。
「ぶっちゃけると、あの時、俺テンパってたから、何でもいいから現実逃避がしたかったんだ。なにか、すがるモノ、おぼれるモノが欲しかったんだ。そう、本当にそれだけだったんだ」
小声で、うまく聞き取れない。無いが、これはただの独白。サシカイアらの返事なんて初手から期待していないのだろう。だからサシカイアらは沈黙を守る。
「だけどさ。あのとき、腕の中のトリスはさ、すげえ幸せって顔をしていたんだよ。こっちはこっちの都合で、便利だからって、好都合だからって、ただそれだけで抱いたのにさ。こっちも色々初めてだったら気遣う余裕なんて無くて、かなり痛かっただろうにさ。だけど、ものすごく幸せそうに笑ったんだよ」
シュリヒテは己の掌を見つめ、続ける。
「すごくくだらない理由で、すごく自分勝手な理由で、ただやりたかっただけで抱いたのにさ。なのにあんなに幸せそうに笑うんだぜ? これで、本当に幸せにならなければ嘘だろ? その時、心からそう思ったよ。──なのにさ」
掌を握り込み、シュリヒテは声のトーンを落とす。
「だからさ、俺は魔神と戦うよ。この落とし前を付けて貰わないと、どうにも我慢が出来ないんだ。ああ、そうさ。俺はすげえ勝手なことを言っている。そんなことは百も承知。だけど、それくらいしなくちゃ、我慢できないんだ」
静かな口調でなされた、それはシュリヒテの魔神に対する宣戦布告。
ゆっくりと振り向いたシュリヒテの顔は、つい先だってまであった幼さをそぎ落とした、男の顔をしていた。