その時歴史が動いた。
てな事言う程大仰な話ではなく、人と魔神の戦い、その現状の確認。
モスの小国、スカード国王ブルークによって解放された魔神王率いる魔神の軍勢は最初、ドワーフ族、石の王国を急襲した。
完全に不意をつかれた石の王国は効果的な対応が出来ず、あっさりと壊滅した。それも文字通りの壊滅。生き残りは僅かに鉄の王フレーベだけという徹底的な殲滅。長い歴史を持っていたドワーフ、石の王国は滅びた。
この結果、魔神はロードス地下に縦横に張り巡らされた大隧道を支配する。そして、その大隧道を利用することによりロードス各地に出没する事が可能となり、各地でゲリラ的に活動、混乱を巻き起こした。
サシカイアらが戦った魔神達も、おそらくこのルートを使って移動してきたモノと思われる。
この魔神の動きに対し、人は無為無策であったわけではない。──アラニア、カノンあたりの王国はそうとうに無為無策だったみたいだが。
魔神の出現した最も深き迷宮を国内に有し、それだけに被害も大きいモス各国は魔神に対抗すべく、竜の盟約を発動した。
竜の盟約。かつて、既に滅びた北の大国ライデンが南征の気配を見せたとき、小国しかなかったモスの国々が同盟を結ぶことによって対抗したことを起源とする。外敵に対してモス各国が力を合わせて対抗しようと言う盟約。
各王国は同盟してモス公国となり、連合騎士団を結成して魔神に対抗しようとする。
するのだが、魔神の方が一枚上手を行った。
モスの1都市マスケトに集合したモス連合騎士団は魔神の第一波を食い止めることに成功する。意気を上げる騎士団だが、翌日にはあっさりその勢いを止められてしまう。
翌日に再び現れた魔神の軍勢、その先頭に立ち、統率するのは、死亡したと見られていたスカード国王ブルークの姿。
その瞬間に、竜の盟約による連合騎士団はあっさりと瓦解した。
元々、外敵に対する為の盟約。魔神対モス公国であると考えたからこそ、発動した盟約。
ところが、スカード国王が魔神を率いていることで、戦争相手は外敵ではなく、モス公国内の一国、スカードとなり、戦争は内乱となってしまう。
もちろん人の姿を奪うと言われる鏡像魔神の可能性も上げられたが、残念なことに確証を得られない。そして得られない以上、盟約の続行はなされない。モスの国同士の戦いとなると、各国の思惑が表に出てきて、無心ではいられないのだ。
モス国内の全ての国が仲良し子良しというわけでは当然ない。どころか、領土をはじめとする各種権利を争っている間柄の国だって少なくない。元々、攻めたり攻め込まれたりはあたりまえの間柄。戦の神マイリー本神殿を国内に構えるくらい、基本的に好戦的な国々なのだ。
さらには。
魔神を率いるブルーク王、その第一子を外戚として受け入れていたハイランドの存在が、各国の疑心を煽る。
これは全て出来レース、南のスカードと北のハイランドによる、モス分割統治の絵図が、両国王の間で描かれているのではないか。魔神の軍勢と戦っているときに、後ろから襲われるのではないかという不安。
そんな不安を抱えたまま、共同戦線をくめるはずもなく。
その日の内にモス連合騎士団は解散となった。
さらには、モス各国はこぞってハイランドの背信を責め立て、宣戦布告をするに至る。
モス国内は、魔神に対抗するどころではなく、人と人の争いの場となろうとしていた。
ロードス島電鉄
013 ベイビー・ステップ
その目が、サシカイアの身体を縛り付ける。
別段、その目がパラライズの魔力を持つ邪眼であるとか、かつての少年マガ○ン連載、頭の上に「!?」なんてマークが踊る人たち張りの威圧効果を持つとか、そんな理由は一切なかった。何の魔力も持たない、ただの瞳。むしろ無力ですらある視線。いかに正面から見つめられようとも、こちらに何の害悪も与えてこない何の変哲もない眼。
しかし、その瞳は、サシカイアの行動を束縛する。
激しく数ばかり増えた呼吸は浅く、必要な酸素量を身体に取り込ませてくれない。対峙する、それだけで蓄積していく、目眩すら覚える程の精神的疲労。顔中にびっしりと浮かんだ汗が玉をなし、頬を伝い顎に達すると、滴となって落ちていく。汗に塗れ、額に張り付いた髪の毛が非常に鬱陶しい。
ナイフを握りしめるその手が、細かく震える。
ダメだ、怖い。
彼我の能力差を比べる。いや、比べるまでもない。こちらが断然に強いことなど、最初の最初から分かり切っている。腐ってもこちらは10レベル。向こうはこちらに傷を入れることすら叶わないだろう。相手は敵にすら値しないひ弱で無力な存在。レベル差とか、戦力差とか言う言葉を持ち出すことすら恥ずかしい程の差がここには存在するのだ。
また、状況もこちらに圧倒的に有利。向こうは手足を束縛され、ろくに動くこともできない。対してこちらは何の縛りもなく、自由自在に行動できる。おまけに相手は単独。対する自分の後ろには、頼もしい仲間達が控えている。圧倒的というのですら生ぬるいと言える程の圧倒的な状況差。
肉体、状況、天候、環境、味方の数──考えられる限りの、ありとあらゆる外的要因がサシカイア有利に整えられている。何の問題もなく、勝利の約束された状況。一方的な殺戮を可能とする状況。
それでも、サシカイアはナイフを握りしめて立ちつくす。
ただ、サシカイアの心のみが、相手に圧倒されている。相手に呪縛されている。
その目をこちらに向けるなっ!
心の底で絶叫する。しかし、その目はこちらから逸らされることはなく、サシカイアの身体の自由を奪う。
酸欠か、視界が霞む。思考が停滞し、同じ場所をぐるぐると回る。己が何故、こんな思いをしなければならないのか。世の理不尽に対する怒りすら覚え始めていた。
地面がぐらぐら揺れている様に感じるが、それは間違い。揺れているのはサシカイア自身。心の揺れがそのままに、身体までもを揺らしている。
喉が渇く。ひりつく程に喉が渇いている。
殺らなければならない。しかし、殺るのが怖い。
本当にたいした労力も必要ない。その喉にナイフを当てて、ちょいと力を入れて横に滑らせれば、簡単に殺せる。そりゃあもうあっさりと殺せる。非常に簡単な仕事。自分よりもっと幼い無力な子供にだって、この程度のことは簡単にできるだろう。その確信──いや、それが確固たる現実。
なのに、たったそれだけのことが、今の自分には、片手で白竜山脈をひっくり返すよりも難しいことの様に思える。
「──くっ」
呻きが喉の底から零れてくる。
我が身に疲労が蓄積して来ているのを感じる。こうして対峙しているだけで、精神的な疲労は高まり、それがついには肉体にフィードバックしてきている。緊張から体中の何処彼処に余計な力が込められ、明日あたりには酷い肩こりに苦しめられそうな予感がある。特にナイフを握りしめた手には力が入りすぎ、感覚すら失せてきている様な気もする。
まずい。
このままでは何か、ひどく致命的なミスを犯すかも知れない。これ以上精神的に追いつめられる前に、できうる限りで早く。一刻も早くケリを付けなければならない。
このまま睨み合い、千日手を続けていても、事態は一向に改善されない。このままで、何か良くなるという可能性は皆無。逆に、自分がこうして動きを止めていればいるだけ、周りに迷惑をかける。一刻も早い事態の解決こそが急務。
だからといって。だからといって最速の解決法を選ぶのも躊躇われる。
その方法は確かに最速であるが、同時に最も簡単で安易なのだ。簡単で安易──本来であればすばらしいと褒め称えるべき事であるが、今回ばかりはまずい。
その方法──それは、他者にゆだねること。この仕事を後ろで控える者達に丸投げすること。そうすれば彼らは何の問題もなく、あっという間に片付けてくれるだろう。そうすれば自ら手を汚す必要すらない。こんな風に泣きそうになりながら、ナイフを握りしめて立ちつくす必要もない。その方が迅速確実で、これ以上無駄な時間をかけて迷惑をかけることもない。
だが、それでは自らの成長に何ら寄与しない。それは逃げだ。いつまでも人任せ、己の手を汚すことを避けてばかりいては、今は良くとも、これから先が立ちゆかない。問題の先送りは、ここで終わりにすべきなのだ。今は自らの手を汚すべき時なのだ。
ほんの僅かな勇気。それさえあれば、事態は簡単に改善する。
勇気を出せ。勇気を出して、ほんの僅かに腕を動かせ。
勇気を出す、それが無理なら心を殺せ。心を殺して、ほんの僅かに腕を動かせ。
それだけで、それだけで本当に簡単にケリは付く。赤子の手を捻るよりも簡単な話だ。
こんなところで足踏みする自分で満足する気か? このまま一歩も先へ進めず。ここから先、何もできないままで。嫌なことから逃げだし。やりたくないことは全て人任せにして。誰かの後ろでおびえているだけの自分で満足する気か?
己を必死で叱咤する。
しかし、心に宿った恐怖はなかなか消えず。手足の縛りは一向に解けない。
その目。
まっすぐにこちらを見つめる瞳。無力で、無垢ですらあるその瞳。
その目を俺に向けるな!
恐慌じみた心の叫び。
しかし、相手はまっすぐにこちらを見つめたまま、瞳を逸らそうとしない。逸らしたら最後、己の命が失われる。そう自覚しているかの様に、サシカイアをまっすぐに、正面から見つめている。
それでもナイフを持ち上げて、その喉に向ける。何とか向けることに成功した。
途端、喉の奥からこみ上げてくるモノがある。自分は今、非常に簡単にソレを殺すことができる。自分が他のモノの命を奪う、それが恐ろしい。ナイフを動かす。その結果、簡単にソレは死ぬだろう。酷く簡単に作り出される死体。やはり大量に血が流れるだろうか。物言わぬ骸となったソレはどんな風になるのか。傷口に覗く肉は、どんな生々しい色をしているのだろうか。それを想像し、胃の中身が逆流しそうになる。なるが、ここで吐いたらダメだと、必死で己を叱咤し、嘔吐感と戦う。
その拍子に、意図せずにして震えた腕に握られたナイフが相手の喉に触れ。
サシカイアは大慌てで手を引っ込める。引っ込めてしまった。
「──くそっ」
何度目かの舌打ち。
引っ込める必要など無かったのだ。相手を殺そうとしているのに、傷つけることを恐れて思わず手を引っ込める。その矛盾。
あまりの己のふがいなさに、涙すら浮かんできた。鼻の奥につんとしたモノが生じる。視界がぼやけ、霞む。そのくせ、相手の瞳ばかりははっきりと見えている。どころか大きくこちらに迫ってきている様にすら思えてしまう。
どんどん、自分が心理的に追いつめられていることが分かる。分かってしまう。
なのに、その解決の手法が全く思い浮かばない。どうすればいいのか。どうすれば、この金縛り、堂々巡りの状況から抜け出せるのか──
「なあ、エルフの嬢ちゃん」
と、そのサシカイアの背中に声がかけられた。
「盛り上がってるとこ、非常に申し訳ないと思うんだが、時間もおしてきているんで早くしてくれねえか?」
「もうちょっとだけ。もうちょっとできちんとできる気がするんだ」
振り向きもせず──相手の瞳から視線を逸らすことができず、声に背を向けたまま、そのままの格好でサシカイアは応えた。
そう、自分は先へ進むのだ。そう、いつまでもここでこうして立ち止まっていたりはしないのだ。そう、もうほんの少し。そう、ここまで来たのだから、この先もうまくやれる。そう、きっと自分は大丈夫。そう──そう──そう──。
「先刻からそう言い続けてドンだけ経った?」
その声に嫌みが混じっているのは、仕方ないことだろうとサシカイアは自覚していた。確かに、彼らにとっては「たかがこの程度の事」に自分は時間をかけすぎている。
「とにかく、こっちも仕事なんで、本当にそろそろ時間がやばいんだよ。やるならやる、無理なら無理で、早いとこ結論出してくれないか?」
「もちろん、やるに決まっている、だからもう少し時間を!」
「だから時間がないんだよ」
呆れた様に声は応じ、仕方がないとばかりに提案してきた。
「それじゃあ、俺が100数えるまでに結論を出してくれ。それで無理だったら、諦めて場所を俺に譲れ」
「せ、せめて200で」
「1、2、3、……」
サシカイアの心からの懇願などまるで無視して、声は冷厳にカウントダウンを始めた。
「くぅうう」
サシカイアは万策尽きたと呻きを上げ。手にしたナイフを力一杯握りしめる。
これは逆に考えればいいチャンスかも知れない。自分1人では、いつまで経っても思い切りが付かない。しかし、外的要因で締め切りを作られれば、自然、それに間に合う様に行動しようとするだろう。自分に必要なのはきっかけだけだったのだから、いい機会を与えて貰ったと考えよう。ここはポジティブに考えるべきだ。
「47、48……」
ここは50をきっかけにしよう。あまりぎりぎりでも問題だし、ちょうど半分、非常にきりが良い。たぶん今日のラッキーナンバーは50。そう言うことに、今決めた。
「……50」
今!
さあ今だ。なけなしの勇気を振り絞って、今こそ行動に移るとき!
「……ううぅ」
しかし、再び相手の目に迎撃されて動きを止める。止めてしまった。
「53、54……」
数を数えていた男は呆れた様に嘆息すると、カウントを休めて呟いた。
「しかし、たかがウサギを絞めるくらいで、そんなに思い切りが必要なもんかねえ」
男──マーファ本神殿のコック長の言葉に、厨房に詰めていた全ての人間が揃って頷いた。