「し、死ぬかと思った……」
崩壊して倒れ込んでくる城壁から、きわどく逃げ切ったサシカイアは地面にしりもちをついた格好で大きく息を吐いた。これほど死を身近に感じた事はない。具体的には、落ちてきた自分より重そうな石ころがすぐ脇に転がっているくらいの身近さだ。 ちょっと手を伸ばせば届くところにある死。ほんのちょっぴり運が悪ければ、地面に真っ赤な華を咲かせていたところ。心臓のドキバグが止まらない。
「もう、死んでも良いかも……」
とはブラドノック。
その声はやたらと至近、自分の顎の下辺りから聞こえてきた気がして、サシカイアは視線を下にやる。
見れば、ブラドノックが胸に顔を沈める様にして、こちらに抱きついている。
……これは、事故だろう。
不埒な事を考えてではないはずだ。何しろ、二人ともまじめに死にかけていたのだから。逃げに逃げて、最後に城壁が折れて落下した衝撃に突き飛ばされ、二人まとまる様にして転がった。そして、偶然このような格好で地面に転がっていたのだ。だから、罪一等を減じて温情判決、執行猶予を付けてやっても……
「サシカイア、言葉は正確に使えよ。お前、沈める程胸無いだろ。これは、押しつけていると表現するのだ」
と抜かすブラドノックは、未だに顔を胸から上げようとしていない。
「ひゃうっ」
どころかそのまま首を左右に振られ、サシカイアは変な声を上げてしまった。
反省の色無し。どころか、故意の可能性まで有り。
判決、死刑。
サシカイアは腕を振り上げると、ブラドノックの頭頂部めがけて思い切り肘を叩き付けた。窮屈な格好故全力とは行かなかったが、それでも気分は戦闘オプション、強打。防御を捨てた必殺の一撃。
「のぉぉぉぉぉぉっ!」
しがみつきを解いたブラドノックが頭を押さえてのたうち回る。
「うわぁ、今の一撃へたしたら死ぬぞ……」
なんてつぶやきが後ろから聞こえたが、無視してサシカイアは立ち上がり、転がるブラドノックへ向かう。
こんな真似、本物の女の子相手なら絶対にしないだろう。中身が男だったらセクハラしても大丈夫だと思っているとしたら、その勘違いは早めに正しておいた方が良い。そう、それはもう徹底的に。
サシカイアはブラドノックを冷たい視線で見下ろすと、ストンピングストンピングストンピングストンピング、嵐の様に踏みつける。
「さ、サシカイア、気持ちは分かりますが、それ以上は……」
「大丈夫、死ななきゃヒーリングで直せる」
おそるおそるニースが止めに来るが、素っ気なく言い捨ててストンピング続行。
気が付けば、ブラドノックは沈黙していた。生命力ゼロ、手加減(?)攻撃故生存、そんな感じ。
そこでようやくサシカイアは冷静さを取り戻し、大きく深呼吸、荒くなっていた呼吸を整えにかかる。
なんだか、ニースらがびびっている様な気がする。
冷静さを取り戻すと、今の行動に後悔の念がわき上がってくる。しまった、大失敗だ。なぜなら、ブラドノックは頬を染め、何かをやりきったという様な、幸せそうにすら見える表情で沈黙している。こいつにはご褒美になってしまったかも知れない。もっと違ったやり方があったはずだ。
「良し、反省終了」
と宣言して気持ちを切り替える。
「え? それで良いんですか?」
「問題ない」
戸惑って尋ねてくるニースに応じ、ブラドノックは捨て置いたまま、改めてサシカイアは砦の様子を確認する。
そこは最早、砦とは言えない有様になっていた。いくらか残っている城壁はあるが、そう言われなければ正体が分からない程に壊れている。建物はほぼ全壊。うまい具合に塔が建物の上に倒れる様に落ちたため、一気に地下部分にまで崩落している様に見える。
これはあくまで見える、であって確実ではない。
やはりしっかり確認するためには、近付いて調べるか、ブラドノックのシースルーで改めて見て貰うか──リスクを考えるならばシースルーかと振り向けば、ブラドノックは既に復活していた。ローブに付いた足跡はそのままだが、怪我の方はほぼ回復。別段これは脅威のギャグキャラ回復力ではなく、ギネスの神聖魔法によるモノだろう。
「……で、どうだった?」
「……う~ん、正直ボリュームは全然物足りない。でも」
「……でも?」
「……良い匂いがした」
「……くそ、てめえ、なんてうらやましいマネを」
そこ、男3人集まって何小声で密談している。
ここは精霊魔法のウィンドストームで……と思ったが、先刻の地震、効果範囲拡大して使ったせいで、精神力に余裕がない。ぐぬぬ~、と、顔をゆがめ。
「ブラドノック、余裕があるなら生き残りがいないか視てくれ」
今は我慢と、ひっひっふ~と怒りを追い出す呼吸をしながら指示を出す。
「わ、わかった」
びくっとブラドノックは小さく震え、すぐにこちらに向き直る。ギネス、シュリヒテも同時にびくっとしたが、まるで自分たちは何も関係ありませんという具合に、口笛吹いたりなんぞしながらそれぞれ明後日、一昨日の方に視線をそらしている。てか、聞こえてたんだよ、お前らの会話。覚えておけよ。
「それじゃあ……」
と、呪文の詠唱にかかろうとして、ブラドノックは止まる。
「ん?」
「あ~」
と声を出しながら、ブラドノックは指を伸ばす。
「シースルー使うまでもないや。生きてる奴いるわ。ほれ、あそこ」
見れば確かに、瓦礫の下から異形の怪物が這い出してきていた。
心臓が一つ大きく跳ねた様に感じた。
この感じは覚えている。つい先だって、宿屋に男が助けを求めに来た瞬間に、同じように心臓が跳ねた。
全身が萎縮する。身体の末端から血が引いて冷えてくる。寒気すら感じる。顔からももちろん血が引いて、その癖こめかみ辺りの血管の脈動がうるさい。お腹の真ん中に、ずんと何か重くて冷たいモノが生じた様に感じる。奥歯が小刻みにぶつかり合って鳴り出しそうなのを、歯を食いしばる事でこらえる。
この感覚は知っている。
これは恐怖。
今更、と思われるかも知れない。だが、遠距離からろくに敵も見もせずに一方的に魔法攻撃するのと、顔をつきあわせて殺し合い演じるのでは、やはり全然違う。前者は魔法なんてファンタジックなモノの存在もあるが、どこか現実感が希薄なのだ。ヴァーチャル感覚? とにかく、己の手で捻り殺したというわけではないのは、かなりの余裕を持たせてくれた。死体はほとんど瓦礫の下で見えないのもいい。また、命の危険がないのも──自分たちのポカでこの上なく危険になったが──落ち着いて行動する事を助けた。
しかし、敵を目の当たりにする。己の手で、目の前で、相手を殺さねばならない。自分も攻撃を受け、死ぬ可能性がある。それが、心を、身体を縛る鎖となる。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
必死で自分に言い聞かせる。しかし、言い聞かせるたびに思考はあちこちに飛び、現実逃避を試みる。ダメだ、怖い。逃げ出したい。平衡感覚が歪む。世界がぐにゃりと曲がった様に感じ、自分がどんな格好でいるのか、まっすぐ立てているのかすら分からなくなる。
「どどどど、どうするのさ、逃げよう、やばいよ。だから、早くっ」
「落ち着け」
しかし、自分以上に狼狽えていたギネスの存在がこちらを助けてくれた。ほとんど反射的にギネスを窘める事で、僅かながらに冷静さを取り戻す事ができた。少なくとも、自分はしっかり地面に立っていると認識できた。
それができると、少しずつ見えてくるモノが増えた。
これまで意識して見ていなかった敵の姿がはっきりと見える。
敵はたぶんアザービースト。たぶん、と言うのは、何というか、微妙にレベルが上っぽかったから。そこ、またかとか言わない様に。
魔神はブリみたいなモノで、成長すると名を変え出世していく。たとえばマリグドライなんか、まさしくアザービーストから成長しましたよ、なんて感じだし、更に成長すれば魔神将デラマギドスだって見えてくる。今ロードスでぶいぶい言わせてる魔神王にしてから、ダブラブルグ→ドッペルゲンガー→魔神王と言った、出世の行程を経てきたみたいだし。それはともかく。目の前のアザービーストは、名前が変わる程ではないが、順調に出世の行程を上がっている途上、そんな感じに見えた。
そして残念な事に、その出世もここでおしまいになるだろう。
いかにアザービーストを超越しようとしていても、まだまだ低レベル。ようやく下位魔神の階につま先がかかった程度。これだけの人数でタコ殴りにすれば倒すのに苦労はなさそう。おまけにアースクェイクから生き延びたとは言え無傷とは行かず、半死人みたいな状態なのだ。
鷹に似たその頭は右目が潰れているし、カマキリの様な前足は左腕が取れてしまっている。山羊に似た右足をたまに引きずるし、どう見たって五体満足には遠い。生命力半減くらいか。おまけに攻撃回数も減ってるっぽい。──それにしたって、アースクェイクの大揺れの中でそれだけのダメージですんだというのは、かなりの運の良さ。最も、魔法行使の途中で集中切らして逃げ出しているから、本来程の継続時間はなかったのだが。
そのアザービーストは、びっこを引きながらもこちらへ向かってきている。逃げればいいのに。せめても一矢報いようと言うつもりだろうか。
翻って味方を見る。
ギネスは狼狽えまくり、間違いなくダメ。シュリヒテ、ブラドノックはこちらとどっこいで、かなり微妙。ドワーフ、神官戦士はあたりまえに大丈夫。
そしてニースは……意外に緊張している様に見える。
「?」
と首をかしげると、こちらに気が付いてニースはぎこちなく笑った。
「実は私、まともに戦うのはこれが初めてなんです」
そう言えば原作ではそうだったかも、と思い出す。確か、モスへ行こうと行動を開始して、どこぞの領主に化けたドッペルゲンガー戦が初陣だったはず。確かそのとき生乳晒すんだよなあ。等と余計な事まで思い出し、おかげで、アダモ村での戦いの時よりは落ち着けている事に気が付く。相変わらずの様で、多少は成長しているらしい。未だ、あんまり戦えそうにないが。
ちなみに氷竜ブラムドとの一戦は、ニース的に戦いではなく、あくまで解呪みたいである。
「ふぅ」
と、一つ息を吐く。大丈夫、1人じゃない。これだけの味方がいる。十分に戦える、と自分に言い聞かせる。
「ギネス、戦いの歌行けるか? いや、行けなくても歌え!」
まずはこれがないと始まらない、と命令を下す。
「う、うん、分かった」
ギネスもそれを理解していて、泣きそう顔ながら頷いてくれた。
「無用っ!」
しかし、シュリヒテが拒否してきやがった。
皆の前に出、まっすぐ横に腕を、剣をのばして味方を通せんぼし、鋭く言ってくる。
「あのアザービーストは、俺が相まみえる。干渉、手助け、一切無用っ!」
「なんだと?」
「良いじゃないか、サシカイア」
眉をひそめて聞き返すと、横合いからブラドノック。思わせぶりにウィンクしてくる。
「いずれは自前の力で戦わなくちゃならなくなる。アレは、そう言う意味では手頃な相手だと思う」
その言葉に、サシカイアは納得して頷く。これがニースに良いところを見せようという理由であれば、絶対に反対するところだが、そう言う理由ならば逆に応援できる。
確かに、いろいろな理由から、戦いの歌に頼り切るわけにはいかない。自分の力だけでも戦える様にならなければ、この先やっていけなくなる。だから、それを考えれば、あのアザービーストはその試金石として手頃なように思える。微妙に強いとは言え、10レベルファイターとは比べモノにならないレベルであるのは間違いないし、何より傷つき、弱っている。理想を言えば、やっぱりゴブリンが良いのだが、贅沢はきりがないし、このくらいは許容すべきだろう。
「やれるか?」
「ご期待にはお応えしよう」
それでも最後の確認と尋ねると、シュリヒテは堂々と応じ、まっすぐにアザービーストに向かう。
……やっぱり、こいつ、ニースの視線を意識している。まあ、それがモチベーションのアップに繋がるのであれば、この際許可しよう。あくまで、今回に限り、であるが。
「良いのですか?」
ニースが心配げに尋ねてくる。傍目には、危険な一騎打ちを行う必要なんてある様には見えないのだから、これは当然の反応だろう。
「構わない。いずれはやらなくちゃならない事だから」
サシカイアはニースと、その向こうにいるドワーフたちにも頭を下げる。
「すみませんが、そう言う事でよろしくお願いします。俺たちは、徹底的に殺し合いに慣れていない。だから、ここでその経験値を稼いでおきたいんです」
「?」
と、理解できない、納得できないという部分もあった様子だが、ニースらは頷いてくれた。
はっきり言って、シュリヒテとアザービーストの戦いは泥仕合となった。
「何じゃ、あやつ、儂らと戦ったときとはまるで動きが違うぞ」
と、ドワーフの1人が呟いた言葉が全てを物語っている。
本来一撃で勝負が付いても不思議でない戦いが、長時間の見るに堪えない泥仕合になったのは、シュリヒテの動きが悪い、悪すぎたから。本来の実力の半分、いや、4分の1も発揮できていないのではないかという無様さ。偉そう、堂々とした態度を見せていたとは言え、あくまで虚勢。中身は酷いモノだったのだろう。
初陣に比べ、多少の慣れが出ている事が今回、マイナスに働いている様に見える。
前回、ウェイトレスさんを助けたときは、それこそ無我夢中で余計な事を考える余裕もなかった。ただがむしゃらに突っ込んでいっただけ。放っておけば殺されてしまう結構可愛い女の子を助けるため、なんてわかりやすい行動の理由付けがあるのも良かった。
しかし、今回。本来は一対一で戦う必要なんて無い。それに慣れが出たと言っても、比較すればであり、まだ殺し合いに慣れているわけはない。緊張は変わらず有り、いや、変に冷静な部分があるだけに、余計な事を考えてしまって注意力が散漫になる。がむしゃら、無我夢中になれない。自然動きは堅くなり、それ故にますます焦りが生まれ、焦りがまた動きを堅くし──と、どんどん悪循環に陥っている様に見える。
それでも、地力の差故にシュリヒテが優勢に戦いを繰り広げていた。
アザービーストは傷を増やし、シュリヒテは無傷。いかに魔神の眷属とはいえ、その体力は無限ではない。元々死にかけ。そうでなくとも痛みに耐えるという事は、酷く体力を消耗させるモノであるし。シュリヒテも大分肩で息を始めていたが、それでもこちらの方が余裕がある。
そして、長い長い戦いもついに終局。
痛んでいた右足がついに限界を迎えたか、アザービーストが大きく体勢を崩した。対して、シュリヒテは万全の状態。
「ぅ、おおおおおおっ!」
己を鼓舞する様に叫びを上げて、シュリヒテは鋭い一撃をアザービーストに振り下ろす。
アザービーストの方も、残った右手を捨て鉢気味にふるって対抗するが、明らかに遅い。
シュリヒテとアザービーストが交差し。
シュリヒテの首が飛んだ。
「──え?」
サシカイアらは戸惑いの声を上げ。
「ええええええええええっ!?」
次いで、揃って絶叫した。
ロードス島電鉄
011 死に至る病