その砦はかつて、邪神の信者達との戦いの最前線として、数多の激しい戦闘が繰り返された場所であると言う。城壁は血にまみれ、数多の兵士が屍を晒した。戦いの喧噪、勝者の雄叫び、負傷者の呻きと死者の怨嗟、様々な声がこの地に満ち。とにかく、騒がしいことこの上ない場所であったらしい。
しかし、今は半ば忘れ去られ、崩れ落ち、静かに森に飲まれようとしている。
かつてあった大地震によって、この砦そばを通っていた街道が崩れ、通行不能になったらしい。復旧が遅々として進まぬうちに、元々は迂回路であった現在の街道沿いが栄え始めた。わざわざ復旧する価値の無くなった街道はそのまま捨て置かれ、迂回路こそが本街道に出世した。本街道から外れてしまった砦もまた、その価値を失いうち捨てられた。
とは、ニースの説明。
その後、何度か低級の妖魔が大量に住み着いて近隣の村々の農作物に被害を出したり、盗賊団が根城として暴れ回って迷惑をかけたりしたらしいが、その度にマーファ神殿はドワーフと協力して掃討作戦を展開したそうだ。
出来れば、妖魔や盗賊のねぐらとなる無用な砦など、綺麗さっぱり崩して再発を避けたいところ。
しかし、アラニア国はそのための手間と金を惜しんだ。所詮は北部の辺境のこと。アラニア中央の貴族にしてみれば、どうでも良いことの筆頭でしかない。そんなことをするくらいであれば、中央でパーティやら政争やら恋愛やら文化やらに明け暮れていたい。それが貴族の本音。この辺りの領主からしてそんな感じだから、いろいろと終わっている。
また、マーファ神殿が問題を解決したことも、この場合マイナスになった。国が、領主がわざわざ出向かなくとも、マーファ神殿が何とかしてくれる。ならば放っておいても大丈夫。そんな風に貴族連中は考えてしまったのだ。これで確実に人心がアラニア王国から離れていっているのだが、おめでたいことに彼らは全く気づいていないし、気づいても、民衆が貴族に逆らう事なんて無いと信じ切る、おめでたい頭をしていた。
では、どうせ勝手にやったところでアラニア王国は気にしないのだから、マーファ神殿が砦の始末を付けてしまえばいい。
と言うのも、実は難しかった。
「マーファ本神殿とはいえ、基本的に貧乏なんです」
と、ニースは少しだけ恥ずかしそうに、そして残りの大半は誇らしそうに言った。
大地に根付き、自然とともに暮らす。それはマーファの教義である。こちら風に言えばスローライフか。信者からの寄進はもちろんあるが、その大半が農民であることもあって、ほとんどは農作物だったりする。神殿も信者も、基本的に金と縁がないのだ。
砦を始末するとなれば、当然まとまった金がかかる。そしてマーファ神殿では、それを払うことが出来ないのだ。信者の動員、と言う手もあるが、無償でやらせるのは当然まずい。信者に頼めば無償でも、割合簡単に承諾してやってくれるだろう。だが、それに甘えてしまうわけにも行かない。彼らにだって生活はあるのだから。基本的にお人好し。マーファの神官も信者も、だいたいそんな感じである。
これが国家権力と結びついたファリス教団や、商売の守護者であるチャ・ザ教団であれば良かったのだが。あいつらは本気で金を持っているから。
ところで、ニースは最近古竜ブラムドを魔法王国太守の呪いから解放し、莫大な財宝を譲り受けている。だから、今ならば金があったりする。しかし、その金も、元々大地震からの復旧に使うつもりで貰ってきたモノで実際そう使い、他のことは後回しになっていた。あまり金をばらまきすぎて物価破壊、ロードス経済をぼろぼろにするわけにも行かないから、何も考えずに全額気楽に使えるモノでもないし。更に言えばマーファ教団にとっても、この砦の優先順位は高くなかったのだ。
「こんな事になると分かっていれば、無理をしてでも壊しておいたのですが」
この機会に砦の撤去も考えよう、とニースは心を決めたようだが既に後の祭りで、どうやったって今回の事件には間に合わないのである。
ロードス島電鉄
08 僕の小規模な失敗
ニースは、この砦の見取り図を持ってきていた。
何度かの掃討を行ったと言うことは、即ちこの砦の情報があると言うこと。今回出かけるに際して、マーファ神殿にあった砦の見取り図を書き写してきたのだ。最悪、この砦へ攻め込むことも視野に入れていたのだから、当然の備えだろう。あたりまえの準備を、あたりまえにした。ただそれだけのこと。
そして、その一方であたりまえの準備を怠った者がいたりする。
ブラドノックである。
今になってようやく気が付いたのだが、ブラドノックは使い魔を作ることをすっかり忘れていたのだ。へっぽこーずヒースクリフの烏フレディ(故)、すちゃらか冒険隊ケッチャの黒猫ザザ、オーファンの魔女ラヴェルナの正体不明な使い魔けろぴょんに代表される様な、動物を支配し、己の意志のままに使役する。それが使い魔。また術者と使い魔の間には精神的なリンクが張られ、使い魔の見るモノを術者も同様に見ることが出来る。これは、偵察に非常に役に立つ。
そう。ブラドノックが空を飛べる使い魔なんかを持っていたら、自分たちは安全な場所から、砦の偵察をして貰うことが出来たのに。
「……そうは言うが、いきなり9レベルだったからさ」
ソーサラーにとって、普段であれば3レベルに成長は重要なイベントで、嬉々として使い魔を選ぶ所。だが、今回はいきなり9レベルスタートだったから、高レベル魔法の方に視線が行ってしまい、使い魔の設定をついつい忘れてしまったのだ。
と、ブラドノックは言い訳するが、こんな辺鄙で危険な場所に来ることになった経緯の鬱憤もあり、サシカイアは汚物を見る様な冷たい視線で見下してやる。
やったのに。
最初は身をすくめていたブラドノックだが、時間が経つにつれ、ご褒美貰ったみたいにして頬を赤らめ息を荒げる。何というか、罵り、踏んで欲しそうにも見える。こいつ、なんだかやばいスイッチが入ったかも知れない。と、サシカイアは大慌てでブラドノックから視線を外した。
そんなこんなで。
今回砦に向かったのは、ニースを筆頭としてマーファの神官戦士が他に1人。ドワーフの戦士が2人、後、案内役のアダモ村の狩人が1人。そして、サシカイアら4人の総勢9人である。
残りの神官戦士やドワーフ、そしてアダモ村に滞在していた冒険者達は、村人の護衛をしつつ、北へ、ターバ村のマーファ神殿への大移動を開始している。ちなみに、冒険者にはちゃんと報酬がマーファ神殿から支払われる約束になっているらしい。
こちらに同行する彼らの実力については、出発前、前日に一対一の模擬戦を行う事で確かめてある。これは、こちらの実力の再確認も兼ねていた。
その結果。
命の関わらない模擬戦と言う事で実力を十二分に発揮したシュリヒテは、はっきり言って彼らを敵としなかった。明らかにレベルが違った。勝負にならない余裕の圧勝である。最早、10レベルであると言う事を疑う必要もないだろう。
続いたギネスも、危なげなく余裕の勝利。実力をちゃんと発揮すれば、ギネスだって十分に強いのである。何しろファイター8レベルだし。
次いでサシカイアも参加して見せて、勝利。ただしこれは模擬戦、当てっこだったから。実戦になれば、結果はひっくり返るだろう。器用で素早いサシカイアは攻撃を当て、かわす事は得意なのだ。しかしその一方で筋力体力が低いから、実戦となれば攻撃を当ててもなかなか有効打にならず、逆に一撃貰えばそれで終わってしまう脆さがある。
そんな辺りから総合的に判断して、ドワーフの戦士二人はファイター5~6レベルくらい。神官戦士は使える神聖魔法から、ファイター3のプリースト4くらいと予想している。ちなみに狩人さんは案内人で、戦力外である。
サシカイアは結局ニースに同行していた。きっぱり、はっきり、こんな危険なことはしたくない。平和が一番。今のロードスで平和なんて縁遠いかも知れない。しかし、それならば比較して安全な道を選びたいところ。具体的には、どう考えたって前途に危険てんこ盛りな、6英雄なんて連中とは関わらずにすませたい。辺境の放棄された砦に怪しい影が見えた? それがどうした。自分には関係ない。そう言うのは他の人間に任せて、自分はどこか遠いところで、しょぼくゴブリン退治辺りの仕事をして、地道に金を稼いでいたい。間違っても、魔神と戦う様なマネはしたくない。
なのに。
仲間の3バカはすっかりニースに魅せられ、乗せられてしまっている。ニース様のために、と盛り上がり、サシカイアが何を言っても耳を貸そうとしない。必殺、上目遣いの涙目でお願い攻撃、なんてのをやれば聞く耳持ってもらえそうな気がするが、それはダメだ。絶対にダメだ。それだけはダメだ。人として、いや、男として、何か非常に大事なモノを失う様な気がするのだ。ただでさえ大事なモノが付いていないこの身、更に失うことは絶対に避けたい。
危険には近づきたくない。それは本心だが、だからと言って3バカを見捨てて自分だけ安全な場所にいる、と言う選択肢も選び難かった。村人の護衛をした方が、きっと危険度は低いだろうと推測は付いていて、それでもこちらへ来た。
正直に言おう。1人残されるのは心細いのだ。
ここではサシカイアは異邦人である。だから、同郷の3人と別れて単独行動を取ることに恐怖すら覚える。これが元の世界であれば単独行動どんと来いだが、こんな異境、異世界に一人きりというのは勘弁して欲しいのだ。
「ここから見ただけでも、大分老朽化、崩壊が進んでいるな」
だから、僅かでも危険を減らすべく、慎重に砦の様子を伺う。ちょっと離れた丘の上に陣取り、砦を見下ろし、見取り図と見比べながらサシカイアは呟いた。
砦は元々は四方を高い石の城壁に囲まれ、その内側にそれなりの大きさの広場、こちらから見て奥まった部分の城壁と一緒になって敷地の半分くらいを占める、見張り塔を持つ大きな建物があった。この建物の中にオールインワン、兵舎や厩、牢屋に武器庫と、必要な施設が全部入っていたらしい。しかし、城壁の何処彼処が崩れてしまっているし、建物もかなり崩れている。唯一塔くらいが、所々を崩落させつつも、往時の姿を残している様子。明らかにニースの持つ見取り図以上に崩壊を進めていた。
「この前地震もありましたし、これも20年以上昔のモノですからね」
しかし、これが最新のモノでもあるとニースが告げる。要するにそれくらいの期間、この砦は忘れ去られてきたと言うこと。事件が起きなかったと言うこと。そりゃあ、わざわざ壊さないで無視されるわけである。
「で、どうだ、ブラ、何か見えるか?」
使い魔がいない、それは酷い失態だったが、文句を言っていればどこからともなく使い魔が現れるわけではない。今から使い魔を作るのも現実的ではない。使い魔を作るには準備に3日、詠唱12時間という長い時間を必要とする。それを思い出してブラドノックがうげ~と言う顔をしていた。この件が片付いた後、使い魔を作るための苦労に絶望したのだろう。どこぞのピンクで貧乳でゼロなメイジの様に、キス一発で使い魔ゲットとは行かないのだ。だからどうやったって、この件に使い魔は間に合わない。
ならば、別の方法での偵察を考えるしかない。
サシカイアらが角突き合わせて思いついたのは、古代語魔法による偵察。まずはヴィジョンで遠距離からの砦の観察。望遠鏡の様に遠くにあるモノを見ることの出来るこの魔法を使い、砦の様子をうかがう。そのためにここ、かなり距離があるモノの、高所にあって砦を見下ろせる場所に一時陣取っているのだ。
「……特に何も見えないね」
何度か魔法をかけ直して、たっぷりしっかり観察してのブラドノックの言葉に、サシカイアは大きく頷くと言った。
「よし、問題なし。じゃ、帰ろうか」
言うが早いか立ち上がって回れ右、足早にその場を立ち去ろうとする。
その肩をニースががっしと掴まえる。
「おおぅ」
と、歩みを止められるサシカイア。
たおやか、細腕なのに意外にニースは力が強い。なんとニースの筋力は14(+2)もある。実にサシカイアの3倍近くである。……サシカイアが非力とも言うが。
「子供のお使いじゃないのですから、結論が早すぎます」
「え~~」
と不満の声を上げるが、ニースは意見を変えてくれない。おまけにどんなに力を込めても、ニースの手はびくともせず、サシカイアを離してくれない。中身男としては、あまりの非力さに悲しくなるサシカイアだった。
「それで、次はどうしますか? 移動して、砦の中に入ってみますか?」
「……男前な意見だなあ」
と呟いたらむ~っと睨まれた。痛い痛い、肩痛い、力入りすぎです。
「問題ないのであれば、中に入っても構わないのではありませんか?」
「いや、もっと慎重に行きましょう、ニース様」
口を挟んできたのはギネス。こいつ、出かけるまでは勇ましいことを行っていたくせに、目的地──砦が近付くにつれて腰が引けてきている。今更ながらやってきたのを後悔しているみたいだ。正直、ここで日和るなら、初手から他のバカ二人に賛成しないで欲しかった。
と思いながら、やっとニースに肩を解放してもらえたので慌てて距離を取る。肩をはだけてみてみると、手の形に真っ赤になっていた。涙目でそこにふ~ふ~息を吹きかける。何でか、シュリヒテらが慌てて視線をこちらからそらしている。
「でも、ぶっちゃけ、こうなってみると、これまでの俺らって酷い無謀なマネをやってたんだなあ、って思うぜ」
明後日の方を見ながら、シュリヒテが呟く。
「こういう場合、割合簡単に突入してたな」
うんうん、と一昨日の方を見ながらでブラドノックも頷く。
それは現実ではなくて、プレイの話。
どこそこの遺跡にゴブリンが住み着きました、退治してください。
なんて依頼を受けたら、低レベル、最初の冒険だろうとも平気でその遺跡に突入してた。こうなってみると、考えられない軽率な行動だ。
まあ、あちらは神様──GMとの信頼関係がある。間違ってもレベル1の冒険者の前に、戦闘不可避の状態でエンシェントドラゴンを出したりはしないだろう、と言う信頼。何とかそのレベルで戦うことの出来る敵しか出してこないだろうというお約束──、たまにその予定が外れ、敵が強すぎたり味方がへぼ過ぎたりして死人が出る事もままあったりするが。
また、死んでも現実にはデメリットがないこともあった。キャラクターの死はキャラクターの死でしかない。もちろん思い入れがあったから死ねば悲しいし、ゲーム的なデメリットはある。だが、そのキャラクターが死んだからと言って、プレイヤーが死ぬ、なんてことはあり得ない。
翻るに今。そんな優しいマスタリングは期待できない。これはいかに真っ当でなく、ふざけている様に思えても、現実なのだから。下手を踏めば死。果たしてこちらでの死はどうなるのか。それは全くの不明。あるいは、死ねば現実に戻れる、なんて事もあるのかも知れないが、それを確かめる勇気はない。少なくとも、怪我をすれば痛いと言うことは、シュリヒテが先の戦いで確認している。死ぬ程痛い目に遭うのも、正気勘弁だ。
「ですが、一刻も早く脅威を取り除く必要があります。幸いなことに、今であれば彼らの戦力も減少しているはずでしょう?」
アダモの村で、サシカイアらがさんざんに魔神とその眷属を打ち倒している。確かに、数が減っているだろうと言う推測は立ち、間違いではないだろう。魔神とて有限の存在。どこからともなく湧き出してくるわけではなく、殺せばその数は減る。そして、その数は人に比せば決して多くはない。だからこそ、原作では鏡の森のエルフ集落を襲って黄金樹を奪い、そこから最下級の兵士スポーンを生み出しにかかっていたはずだし。
だが、だからと言って考え無しに突っ込んで、予想外にたくさんいました、手に余ります、と言うのも困る。人に比して少なくとも、ここにいる味方の人数に比すれば、魔神の数は絶望的なまでに多いのだから。
「もう少し、詳しく調べてみるべきだろうね」
まだまだその手はあるし、とブラドノックが結論するみたいに言って、腰を上げた。
「とりあえずは、もっと砦に近付いた場所へ」
確かにこの場で調べられる事は多くないだろうと、揃ってぞろぞろと移動を開始した。