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No.4690の一覧
[0] ドラゴンクエストV 天空の俺[例の人](2009/12/04 20:17)
[1] 第1話[例の人](2008/11/05 20:00)
[2] 第2話[例の人](2008/11/05 20:01)
[3] 第3話[例の人](2008/11/06 03:31)
[4] 第4話[例の人](2008/11/07 04:54)
[5] 第5話[例の人](2008/11/16 21:20)
[6] 第6話[例の人](2008/11/16 21:23)
[7] 第7話[例の人](2008/11/16 21:25)
[8] 第8話[例の人](2008/11/15 23:18)
[9] 第9話[例の人](2008/11/16 21:27)
[10] 第10話[例の人](2008/11/16 22:20)
[11] 第11話[例の人](2009/12/04 18:39)
[12] 第12話[例の人](2008/11/23 01:59)
[13] 第13話[例の人](2009/03/07 01:59)
[14] 第14話[例の人](2009/05/07 03:02)
[15] 第15話[例の人](2009/05/12 20:56)
[16] 第16話[例の人](2009/05/12 20:54)
[17] 第17話[例の人](2009/05/14 23:46)
[18] 第18話[例の人](2009/05/18 06:44)
[19] 第19話[例の人](2009/12/04 22:14)
[20] 第20話[例の人](2009/12/04 22:15)
[21] 第21話[例の人](2009/12/13 00:59)
[22] 第22話[例の人](2009/12/28 00:02)
[23] 第23話[例の人](2013/06/17 23:01)
[24] 生存報告[例の人](2013/12/05 00:40)
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[4690] 第19話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:dbf3a8c8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/12/04 22:14
 黄昏時はどこか世界が曖昧だ。朝と夜とがカフェオレみたいに混ざり合って、境界線を溶かしてできたのが夕暮れなのかもしれない。詩人をきどるつもりはないが、そんな考えが頭に自然と浮かんできた。

 遠く聞こえるのはカラスの鳴き声。足元からは、歩く度に発生する単調な靴の音。沈む夕日をぼんやり眺めながら、俺は帰路に着いていた。

 暦の上ではそろそろ夏になろうとしているが、まだまだ夕方の気温は低い。このところ、昼間は暑くなってきたので油断して上着を羽織るのを忘れて出てしまった。

「冷えるなぁ」

 震えがくるほどの寒さではないが、不満が口から出る程度には寒かった。

 コンビニまでは、アパートから徒歩で五分ほど。この辺りは都会というほど開けている土地ではないが、それなりに人口は多い。夕飯の買出しをする主婦や、仕事帰りのサラリーマンの姿がちらほらと見えた。一様に早足で、忙しそうに思い思いの方向へと去っていく。あんなに急いでどこに行くというのだろう。もっとゆっくり歩けばいいのに。

「人はどこから来てどこへ行く、か」

 ラテン語の文句にそんな言葉があったはずだ。なんとなく口には出してみたものの、答えは明白だった。みんな、自分のいるべき場所へと帰っているだけなのだ。淡い赤色に照らされて行き交う、人々の群れ。足元から伸びた長い影は道の上で踊るように動く。向こう側から見れば、きっと俺もまた群れの中の一人にしか過ぎないのだろう。

「はぁ……」

 知らず溜め息が出てくる。今日何度目の溜め息になるのだろう。気になったが、数えるのは馬鹿らしい。先人が言うには、溜め息は一つ吐くとその分だけ幸せが逃げていくそうな。そうなると今日一日の累計で、俺の幸せは一生分くらい使い果たしていそうだ。

 とにかく、寝起き以来ずっと俺の気分は暗澹としている。胸の奥がもやもやした霧に覆われているような感覚。相も変わらず、その理由は分からない。悩めば悩むほど、深みにはまってしまっているような気がした。もしや……これが噂のマタニティブルーというやつだろうか?

「って、俺は妊婦かよ」

 自分自身でツッコミ入れる。少し虚しくなった。一人暮らしが長いと、自然と独り言が増えてしまう。悪い癖だと分かっていてもどうしようもない。

 沈みがちな気分を振り切るように、止まりそうな足を意識して動かす。猫背の俺は歩く時に俯き気味になってしまう癖がある。そのため、歩いていると自然と視線が下方に向かう。目に映るのは、小さなビニール袋にやや強引に詰めてあるコンビニ弁当。別段この味は好きでも嫌いでもないが、食わないことには餓死してしまう。だからなのか。この右手に感じる弁当の重みだけが、曖昧な世界の中で唯一リアルな感じがした。

「俺の居場所は、どこにあるんだろうな」

 答える者はもちろんいない。俺の問いかけは、風の中へと消えていった。

 ……ああ、だめだだめだ。どうにも調子が出ない。俺の居場所はどこかだって? 決まっている。あの安アパートだ。どうせ夢だか現実だか分からないような日々を、今までフラフラと生きてきたのだ。糸の切れた凧のような身の上。行き先は風の向くまま気の向くまま。どこへ行くのかは風に聞いてくれってか? そんな、文字通り風任せの生活がまた繰り返されるだけさ。さっさとアパートに戻って、飯食った後はゲームでもしよう。センチメンタルな気分はガラじゃない。

 俺は顔を上げると周りのように急ぎ足になろうとして、ふと足を止めた。

「結局、俺も周りと同じだな」

 他の者に対してゆっくり歩けばいいのになどと思っていながら、自分だって早足で帰ろうとしている。これでは他人のことなんて言えた義理ではない。思わず苦笑してしまう。

 空を見上げると、鰯のような雲が夕日で赤くなった空間をゆらゆらと泳いでいた。頬にはどことなく湿った空気を感じる。

 ──もうすぐ梅雨入りかな。

 そして俺は、視線を戻すとアパートへの道を再び歩き出した。





 テレビを付けながら飯を食う。これが俺の食事時のスタイル。マナーは悪いが、ここには俺一人しかいないんだから細かいことは気にしない。音量も絞ってあるし、隣の住人にはきちんと配慮もしてあるから大丈夫だ。

「あー、また三振しやがった。内角捌けないならオープンスタンスの意味がないじゃないか。こんな糞外人に二億近くとか、ふざけんなよ。スカウトはちゃんと仕事しろよ」

 俺はプロ野球中継を見ながら、その不甲斐ない試合展開に野次を飛ばしていた。あくまでも野次である。決してテレビ画面とお話をしていた訳ではない。そこまで俺は寂しい人間ではない……と思いたい。

 話を戻そう。主に関西一円で強大な人気を誇る、虎がトレードマークの某球団が俺の贔屓チームである。ちなみに対戦相手は兎をシンボルとする全国区の人気球団。余談ではあるが、会長の傍若無人な振る舞いも有名な球団である。この球団とは昔からの因縁の対決でもあるので、観戦にも自然と力が入ってエキサイトしてくる。

「大体なんだよあの構え方は。なんで打つ瞬間に明後日の方向に首が向くんだよ。最後までボールから目を離すな。本当に元メジャーリーガーなのか、おい。不満そうな顔でベンチに戻るな。打てないのは自業自得だ。こっち向け。話聞いてんのか」

 相手はテレビの向こう側なので聞こえるはずはないが、それでも俺は言わずにはいられなかった。

 まだシーズンが開始して二ヶ月も経っていないというのに、今年の助っ人も大外れなようだ。我が贔屓球団は毎年のように助っ人外国人を獲得するのだが、ここ十年ほど連続して外ればかり。今回の外人野手の成績も、ある意味では例年通りで仕方がないと言えるのかもしれない。だが、それで納得できるなら俺は野次など飛ばさない。

「他のみんなもチャンスでさっぱり打てないし、今日も負けかなぁ……」

 頭を抱えている内にも試合は進んでいく。8回の裏で点数は1対7。今日はアウェイでの試合なので、遺憾ながら負けている方が我が贔屓球団である。現在、2アウト1塁で相手チームの攻撃中。

「あ、おい! さっきからそのコースは甘いだろ!?」

 捕手のリードが悪いのか。投手の出来が悪いのか。あるいはその両方なのか。投手の手から放たれたのは、真ん中高めのストレート。打ってくださいと言わんばかりの、まさに絶好球というやつだ。

「うあああ……」

 顔を覆いたくなる。これは打たれるなと思った瞬間、相手チームの主砲の一振りで白球はライトスタンドへと消えていった。ホームラン、ホームランと画面の向こうでは興奮気味にアナウンサーが何度も叫ぶ。バッターは野次と歓声の中、ダイヤモンドを誇らしげに回る。

 イライラする。点差が更に広がってしまった。いくら野球は9回裏2アウトからと言っても、物には限度がある。メイクドラマはそうそう起こりはしないということだ。

「もう今日はいいや」

 俺はリモコンのボタンを力なく押すと、テレビのスイッチを切った。敵チームの打ったホームランのリプレイ映像など、忌々しくて見てられるか。

 空になったコンビニ弁当の箱をゴミ箱に押し込んだ後、俺は部屋の中央にごろんと横になる。そのまましばらく、ぼんやりと天井を眺めた。安物の電灯から吊るされた紐が、ゆらゆらと揺れていた。

 どうせ負けているだろうし、再びテレビを付ける気にはならない。一度寝転がってしまうと起きるのが億劫で、ほんの数メートル先にあるPCの方へと向かう気にもなれなかった。不貞寝しようにも、数時間前に目が覚めたばかり。最果てへと旅立っていった睡魔は、当分戻ってきそうにもない。

「うぅあー」

 特に意味のない言葉を口に出してみる。次は畳が敷いてある床の上をごろごろと転がってみた。そう、例えるならば芋虫のごとく。無論、行動に深い意味はない。何回か往復したら、すぐに飽きてしまった。人は所詮人でしかない。芋虫にはなれないのだ。

 それでも、胃の中が微妙にシェイクされてしまったようで少し気分が悪くなった。俺は一体何をやっているんだろう。

「そうだ、京都へ行こう」

 脳裏にふと飛来したJR西日本の某フレーズが、衝動的に口から漏れて言葉となる。思い立ったが吉日。俺は立ち上がると、玄関を出て駅へと向か……わなかった。

 とりあえず立っただけだ。当たり前である。そもそも勢いだけで口にした言葉だ。旅行するほど貯金に余裕もないし、こんな時間から遠出をするのも面倒くさい。元来俺は無精者。こうして立ち上がっただけでも御の字というものだ。もっとも御の字といっても誰が俺に感謝してくれるのかは謎だが、その辺は追求しないでくれ。

 さて、立ってはみたもののこれからどうしようか。顎に手を当てて、ふむと考える。

 奇跡の逆転勝ちを期待して再びテレビ中継を見るのは却下。外に出かけるのも面倒だし却下。となると、選択肢は自ずと狭まってくる。ネットをするかゲームをするかの二者択一に決定。勉強や筋トレといった、己を高める作業は埒外だ。

 例外として第三の選択肢に「かめはめ波を練習をする」というのもある。腰の辺りに両手を構えて部屋の中で「か~め~は~め~」とやってしまうアレのことだ。男の子なら、誰もが一度は通る道。この練習はやっている時はノリノリで楽しいんだが、ふと我に返ってしまうと猛烈に虚無感が襲ってくる諸刃の剣。よって、素人にはあまりおすすめできない。客観的に見ても、三十路を目前に控えた男の行動にはあまり相応しくない。

 まぁ、かといってネットやゲームもどうかと思うが、そこはそれ。もう何年も駄目人間に近いライフスタイルを送っている俺としては、あくまでも至極当然の行為なのだ。だから俺の行動は仕方がない。言うなれば自然の摂理、更に言えば大宇宙の真理。大体そんな感じに違いないはず。

 自己弁護がつつがなく終了したところで、俺は部屋の脇にある小さなテーブルの前に移動した。目当ての品はテーブルの上に無造作に置いてある某携帯型ゲーム機。元花札屋の大手ゲームメーカーが開発した、世界的大ヒットの品だ。上下二画面、タッチパネル付きの液晶は遊び心が満載。人気になるのも頷けるってもんだ。確か、ドラクエ5のリメイク作をやろうと思ってゲーム機本体にROMを入れたままにしてあったはず。

「お、あったあった」

 ゲーム機を掴み上げると、俺はROMがきちんと刺さっているのを確認した上で電源を入れた。続きをやろうやろうと思いつつも、かなり前から放置していたので電池が心配だったのが、充電の必要はなさそうだ。

 特徴的な起動音が鳴り終わると、今度は初期画面が液晶に映し出される。立ったままプレイするのも馬鹿らしいので、ゲーム機を片手にその場に座って胡坐をかいた。俺は姿勢が悪いので見事に背中も丸まっている。全国のお母さん連中から苦情が殺到しそうな光景だが、俺は気にしない。座ろうが寝転がろうが、ゲームは好きなようにやるのが一番だ。

 起動画面の次は、オープニング画面。シリーズ恒例のBGMを心行くまで堪能した後は、セーブデータである冒険の書を開く。ほどなくして「ユート:レベル1」と書かれた項目が表示された。

「主人公はユートか。自分の名前でやってたっけ? 他の名前でしてたような気もするが……」

 ま、細かいことは置いておこう。レベル1ということは、まだ序盤だった……はずだ。プレイしている内に思い出すだろう。

 さて、それではいざ冒険開始──と思ったのも束の間。

「……あれ?」

 かすかな、それでいて妙な違和感を感じた。

 思い過ごしではない。違和感はすぐに直接的な形となって目の前に現れた。一瞬俺の目の前で、ゲームの液晶画面がブレたように波打ったのだ。

 そんな怪現象だけに留まらず、違和感自体も膨れ上がるようにあっという間に大きくなっていく。

 ──なんだこれは。どうなっているのだ。

 眩暈にも似た感覚が襲ってくる。手が震え、液晶の画面が霞む。目の前にあるはずのそれは、遠近感が狂ってぐにゃりと歪んで見えた。

 周囲からは音が消え、頭の中には直接響いてくるような耳障りなノイズがどこからか溢れ出してくる。

 ふわりとした浮遊感。床の感触が尻から消え失せてしまっている。座っていたはずなのに、立ったままどこかに落ちているような気がした。

 世界が緩やかに色を失っている。冷たい汗が出てくる。喉はカラカラだ。全身の皮膚がぞくぞくと粟立ち、次第に大きくなるノイズは脳を締め付けている。目が回る。暗い景色が回る。

 舵の利かないまま、闇夜の海に船出したような。

 狂っているのは俺か、世界か。錯覚なのか現実なのか判断がつかない。俺が、俺であるという当たり前の事実ですら正確に知覚できない。全てが曖昧に溶けていく感覚は、買い物帰りに夕日を見た時とよく似ていた。

 いや、それよりも。──何かが、頭の隅に引っかかっていた。重大な何かを、今まさに俺は思い出そうとしている。それが何なのかは分からない。思い出したくないが、思い出さないといけないという強迫観念めいたものがある。怖い。なんだかとても怖いのだ。圧倒的な不安感。世界から見放されたような孤独。果てのない寂しさに俺は包まれた。

 俺は、どうすればいいのだ。泥船が海に溶け落ちてしまったような気分だった。

 その時。

 声が、聞こえた。

 ──さい。

 耳元で誰かが囁く。俺を呼んでいる。ひどく冷たい声だ。嫌な声だ。幻聴だろう。そうに決まっている。

 ──おやすみ、なさい。

 聞きたくない。でも今度はさっきよりもはっきりと聞こえた。俺の耳元で、冷たい声が。

 ──おやすみなさい、坊や。

 この声は、この声は。俺に終わりを告げたあの声だ。忘れるはずがない。

 ああ、そうだった。そうだったのだ。全てを思い出した。なぜ今の今まで忘れていたのだろうか。

「どうして、俺は──」

 言葉にならない言葉。あの時……俺は、眠るように意識を無くした。

 冷たい、冷たい、硬い氷の塊が、俺の腹に。腹に刺さって、血が流れて、動けなくなって、それから、俺は。

「あぁああああああぁぁあああぁあああああ!」

 身が震え、腹の底から叫び声を上げる。

 死んだ。俺は一度死んだのだ。忌まわしい記憶と共に、壮絶な恐怖心も湧き上がってきた。

 俺は氷の女王に腹を貫かれ、全てを諦めて惨めったらしく死んだ。得意気に作戦指示をしていても、弱い自分を誤魔化していただけだった俺。あの時俺は、ドラクエの世界で自分の存在になんの意味があるのだろうと思った。本来ならもっと早くに考えなければいけない問題だった。死を目前に控えるまで真剣に考えないとは、自分のことながらお気楽だ。

 本来の俺はボロアパートに住むただの貧乏男。だが気が付けば、俺がいたのはドラクエという未知の世界。しかも大人であるはずの体は、なぜか子供の姿に。レベルは一行に上がらないし、特異技能があるわけでもない。唯一俺の手にあったのは原作の知識。何かあれば原作と道を外れることを気にして悩み、そんな不安を消し飛ばすようにわざとらしく騒ぐ日々。

 今思えば、俺は不安だったのだろう。死にたくない、危ないことは嫌だと口では言いつつも、取り残されるのが不安で誰かの後を追いかけてきた。本気で嫌ならずっとサンタローズの家に引きこもっていればよかったのに、リュカに付き合って動き回っていたのがいい例だ。いや、それ以前に原作キャラと関わりを避けて、パパスの元を離れて無難に暮らすという選択肢だってあったはずだ。それをしなかったということは、訳も分からず異世界に放り出された自分という存在を確立するのに、きっと必死だったに違いない。ゲームで見知っただけとはいえ、誰か知っている相手がそばにいないと怖かったのだ。

 原作知識を用いることこそが使命なんだと信じ込んではみていたが、死という結果は知識の行使以前の問題だった。呆気なく、簡単に死んでしまうのならば。あの世界での俺の「役割」とはなんだったのか。

 いや、そもそも俺という存在はなんなのか。ドラクエ世界と現実世界。どちらが真でどちらが偽か。こうやって考え悩んでいる俺は幻か? アパートでの生活は夢だったのか? ドラクエ世界での冒険は幻だったのか?

 違う。違う。違う。それは問題ではない。

 ──そんなものはどちらでもいい! 今重要なのはそんな話ではない!

 己という存在を否定しても意味がない。怖い怖いと喚きちらし、なんで俺がこんな目にと騒いでいても解決にはならない。
 
 ドラクエ世界とアパートでの生活。どちらが夢で現実か。どちらが本当に俺がいるべき場所だったのか。そもそも……俺はどちら側にいたかったのか。

「分からない。でも……」

 ──僕の名前はリュカ。君の名前は?

「俺は……」

 ──その年で大したものだ。いやいや、このパパス、感心したぞ!

「俺、は……」

 ──またいつかいっしょに冒険しましょうね! ぜったいよ! だから元気でね、ユート、リュカ……。

「ぼう……けん……」

 そう、冒険だ。俺はあの世界で間違いなく冒険をしていた。例えそれが一炊の夢であろうと、あの場所で体験したことは、俺にとって紛れも無い現実だ。

「俺には……まだあそこで遣り残したことがある」

 雪の女王にあっけなく負けた俺だが、あの場所にはまだリュカやベラが残っている。一度負けた俺なんかが役に立つとは思えないが、それでも懐いてくれた弟分を放ったらかしにしてなかったことにするのは寝覚めが悪い。今重要なのは、こうして考え抜いた末に結論を出したという事実のみ。

 一度死んだ? 

 ──それがどうした。どの道、人間誰だっていつかは死ぬんだ。

 恐怖心は? 

 ──怖いからってなんだ。気合と根性で乗り越えてやる。

 また辛い目に合ってもいいのか? 

 ──ああ、構わないさ。痛みがあるのは生きてる証。それに本音を言えば、大冒険には昔から憧れてたんだ。

 レベル1で何が出来る?

 ──知るかンなもん。なるようになる、してみせる。こっちにゃそれなりに人生経験だってあるさ。三十路前を舐めんな。

 あの世界へ行きたいと思うのは、辛い現実から逃げたいからではないのか?

 ──そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今はそんなことどうでもいい。

 どうして俺はドラクエの世界へ行ってしまったとか、一度死んで戻ってこれたのは何故かとか、面倒な疑問は全て後回しでいい。出たとこ勝負で行ってやる。

 とにかくどんな目に合おうとも、俺はもう一度みんなに、リュカ達に会いたい。あのドラクエという世界における自分の役割が分からないのなら、分かるまで探し抜いてやる。この熱意と想いは混じりっけ無しの本物だ。それに、何よりも、

「あの世界で……また冒険したいんだああああああああッ!!」

 魂を震わす絶叫。その瞬間、空間が軋みを上げた。暗闇に亀裂が入り、隙間から光が漏れてくる。

「ははッ」

 最高に愉快だ。笑い声が出てくる。くだらない毎日を生きていく中ですっかり忘れかけていたが、俺はずっと冒険に飢えていたのだ。目を閉じれば、それだけでいくらでも思い出せる。

 夏の日、入道雲、麦藁帽子。秘密基地、暗号、チャンバラごっこ。隣街まで自転車に乗って出かけるだけで大冒険だった日々。

 子供の時の思い出は、まるでキラキラと光る宝石の数々。輝きは何年経っても色褪せることはないのだ。子供から大人になった今でも、俺の本質はあの頃と変わらない。

 俺だけじゃない。きっと本当は大人は誰だって同じだろう。みんな、見た目だけは大きくなったかもしれないが、芯の部分は冒険を求める子供のまんまに違いないのだ。

 再び何かが始まるという予感があった。今や俺の心の中の霧は完全に取り除かれていた。暗澹とした悩みは吹っ飛び、晴れ晴れとした気分だ。生まれ変わったような気分とは、こういうものを言うのかもしれない。

 ふと、俺を見て誰かが笑ったような気がした。

 曖昧だった世界は、壊れた硝子細工のように音を立てて砕け散る。現と幻の境界は破られた。

 予感は確信へと変わっていく。

 粉々になった世界の欠片はビデオテープの巻き戻しのように急速に再生される。あの懐かしくも素晴らしい、もう一つの世界が構築されていく。

 一度は失ったはずの色が、そして世界が──今俺の目の前で鮮やかに蘇る。さぁ、大冒険の再開だ。





 頬を撫でる冷気。辺りの景色は、アパートから氷の館へと戻っていた。

「ユート、目を覚ましたのね!?」

 優しい声が降り注ぐ。俺の頭上には、涙を浮かべたベラの顔があった。後頭部に当たる柔らかな感触から推測するに、どうやら俺は膝枕をされているらしい。

「ユート……。よ、かった……。もう、目を覚まさないんじゃないかって、私……」

 話しながらもベラの瞳にはどんどん涙が溜まり、やがて安心したことで緊張の糸が切れたのか堰を切ったように嗚咽を漏らしながら号泣する。ベラは何度もしゃくり上げながら「ユート、ユート」と俺の名前を連呼した。

 なんだか気恥ずかしくなったが、照れている前にこれだけは伝えたかった。

「えっと……ただいま」

 本当はもっと気の利いた言葉があるのかもしれないが、今の俺はこの言葉を一番言いたかったのだ。

 ベラは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、

「おかえりなさい」

 と、肩を震わせて微笑んだ。


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